先物日記(2004年9月〜12月)

最新の日記へ戻る



2004年12月31日

雪が積もっている。蕎麦、つゆ、ネギ、掻き揚げ、ニシン、を用意して年越しの準備は完了。 レコード大賞と紅白を見ながら日記を更新中。 今年は疲れる出来事も多かったが、総体的にはまぁまぁ良い年だったと思う。

今年最後という区切りの良い日にHPのカウンタが100万を突破。 これもひとえに訪れて下さる人達のおかげです。
来年も先物探花をよろしくお願い致します。



2004年12月30日

昼過ぎに獣王さんと梅田で合流し、ネットカフェでマッタリ。 夜になってから、出目のろっぽさんとたれぱんださんと合流して4人でエビフライを食いに行った。 その後ちょっと色々とあって非常に後味の悪いオフ会になってしまった。 会わせるべきでない人同士を会わせてしまった自分の判断の甘さも原因の一つである。 知らず知らずのうちにサラリーマン感覚に陥っていたようだ。 やるせない。



2004年12月29日

出目のろっぽさんと唐辛子さんとろっぽさんの友人が伏見稲荷大社へお参りするのについて行った。 徹夜麻雀明けだが、しんどいのは通り過ぎているのでなんて事は無い。 相場で取れるならたとえ火の中水の中である。 伏見稲荷には色んな神様が祭られていて祠も山ほどあるのだが、その中で商売繁盛の神様を中心に参拝。 山中の眼力社(先を見通す力の神様)のあたりの雰囲気が気に入った。 来年、相場で取れたら鳥居を建てないといけないな。場所は眼力さんのあたりがいい。 50万円〜100万円くらいで建つらしい。

午後はベッドにぶっ倒れるように寝て、夜になって起きたら、急に食欲が出てきて体調も良くなった気がする。 伏見稲荷では健康の神様にもお参りしたし、さっそく霊験あらたかかも。



2004年12月28日

大納会ということで、岡地大阪支店でタダ酒を飲んできた。 普段のピンと張り詰めた雰囲気も良いが、 一年の相場が終わって、フロアの空気がふっと弛緩するような雰囲気も心地良い。
今日はゴムも油も下がるし、けったくそ悪いが、 一年トータルではかなりのプラスを計上することが出来た。 調子が良ければ来年の早い時期に全資金1億に乗せることも出来るだろう (あくまで調子が良ければの話だが)。
ただ、今年一年の相場の内容については反省点が山盛りである。 コーンの買い下がりの方は途中で資金防衛のために苦渋の撤退を敢行したが、 油の売り上がりの方で最後までお付き合いしてしまった。 結果オーライだが、それで済ませてはいけないのは明らか。 資金管理について何らかの縛りを設けなくてはならないと切実に感じる。

夜は滋賀でエースさんの1億円達成のお祝い会。 参加者はエースさん、先物五段さん、ゼロさん、出目のろっぽさん、エースさんの友人、秋山。 料亭で料理から宿泊まで全部エースさんのおごりで、交通費まで頂いた。ありがたい事である。 ゼロさんとは初対面だったけど、実物はネット上の文面から受けるイメージとは違った人であった。 いい男である。
温泉に入って飯を食った後は、3人は夜の街へ繰り出し、残り3人は残って麻雀。 僕は体調不良で外に出る元気は無かったので麻雀へ。エースさんに9000円献上。
体調が悪くて料理にほとんど手を付けられず、酒もほとんど飲めなかったのが残念であった。 食べても飲んでもすぐ吐いてしまうし、下痢で下からも出てしまう。 でも、しんどくて朦朧としてくると脳内物質か何かが出るのか、明け方付近では逆にハイになって来た。 今度、元気な時に九州でゼロさんや五段さんらと集まって飲みたいものだ。



2004年12月27日

今年の相場も残り1日半。 インドネシア・スマトラ島沖で大地震が発生したようである。 現地は悲惨な事態になっているようで心が痛むが、 つい相場と結び付けてしまうのは相場を張る人間の職業病みたいなものか。 とりあえずゴムを買ってみた。

昨日酒を飲み過ぎた後、風呂に入ってから寒い格好で寝てしまい、 朝起きたら体調が完全にダウンしてしまっていた。 頭痛、寒気、吐き気、下痢、関節痛が全部やって来た。 夜は家族で集まってカニを食いに行ったのだが、みな旨そうに食ってるのに自分だけはほとんど何も食えず。 家で寝てるのが一番だとは思うが、明日から色々と予定が詰まっているので休むわけにはいかない。



2004年12月26日

3時間ほど寝てからみんなで阪神競馬場へ。 有馬記念は、馬連1点に3000円→紙屑、三連単2点に1000円ずつ→紙屑、 保険の単勝に5000円→10000円、保険の複勝に5000円→6000円、差し引き1000円のプラス。 でもその前のレースで900円が紙屑になっているので実は100円のプラス。 競馬場の入場料金は200円。

夜はそのままの流れで忘年会。それほど飲んだつもりは無いのだが、 後から考えると大概だったようだ。



2004年12月25日

阿倍野で「レディ・ジョーカー」を観た。 高村薫は好きなので楽しみだったのだが、期待通り原作の雰囲気が忠実に再現されていて嬉しい。 キャストと空間表現が素晴らしいね。特に吉川晃司はいい味を出している。 ただ、ちょっと短時間にまとめ過ぎていて、 原作を読んでない人には訳が分からないかもしれない。 映画だけ観た場合だと犯人グループの結びつきも動機も分からないと思う。 あの重厚な内容なら3時間20分くらいで構成して欲しかった。

夕方から出目のろっぽさんの家にお邪魔して、ろっぽさんの友人もまじえて麻雀した。 13000円負けた。最近ほんとに麻雀に勝てん。その後はちんちろりん。 こっちは15000円勝った。



2004年12月24日

税金対策でガソリンにバイカイを振ろうと思ったのだが、 時間差で…と考えてるうちにえらい事に。 ガソリンを新規で買っては引かされ、仕方なく原油を売って、 とやってるうちに玉が増えてバイカイどころではなくなってしまった。 日中にバタバタしたせいで60万ほど損した。まぁ、続きは来週かな。

世間はクリスマスのようだが、キリスト教でもないのであまり関係ないな。 子供の頃は近くの教会に行ったりしてたけど。 クリスマスは今日じゃなくて明日。



2004年12月23日

一年のニュース総集編みたいな番組が流れるようになると、年末という気がしてくるねぇ。
海外では油が急落しているようだ。ぼちぼち買って行くとするか。
とうとう年内にはガソリン灯油の臨時増しが解除にならなかったので、 カツカツの状態のままで税金対策をしなければならなくなった。 明日の後場寄りあたりで実行の予定。

年内にカウントが100万ヒットを越えそうである。 HP開設から5年。長かったようで短かったようでもある。



2004年12月22日

ようやく出張終わり。なんか疲れたねぇ。

3時ごろチラッと相場を見ることが出来た。 ガソリンと原油の鞘が良い感じになっていたので、 ガソリン4月6月買い原油5月売りを引け成りで出して仕事に集中。 引けてから相場表を見て愕然とした。 注文を出してから引けるまでの間にガソリン4月がSLを付けている。 引け成りで出した時点で今日中に買うことは決定しているわけで、 しかも今日はSLより下がることは無いんだから、引け成りじゃなくて当然SL指し成りにするべきである。 4月限は3枚だけだったがSLとの差額5万円弱をみすみすドブに捨てたことになる。 全資金からすると大した金額ではないが、金額の問題ではなくて、 相場に対する自分の甘さを感じて嫌になってしまう。



2004年12月21日

出張二日目。夜はまた飲み会。最近、全く相場が見れない。油を仕掛けたいのだが…。



2004年12月20日

出張一日目。夜は伏見に旨い酒を呑みに行った。 京都時代にお世話になった人達と呑めて楽しかったのだが、 かなり疲労が溜まっていたので早く帰って寝たいという気持ちも半分くらい。



2004年12月19日

明日から京都出張だが、一足先に奈良の実家へ帰省。



2004年12月17日

昨日、迂闊にもSHで利食ってしまったコーヒー指数は無事に安値で買い直すことが出来た。 理論値裁定はチビチビと稼いでも一回の操作ミスで台無しになってしまう可能性があるので、 慎重にやらねばならない。
昨日投げたゴム指数も安値で買い直すことが出来た。
ガソリンを少しだけ試し買い。
油の鞘が逆行中。クラックは逆行してもどんどん仕掛けて行けば良いので無問題なんだが、 ガソの異限月が気に入らん。 サルファフリーがらみでどう動くかまだ判然としない。

近所のドンキホーテに行ってみたが、さすがに通路が広くなって見通しが良くなっていた。



2004年12月16日

今日は色々と下手を打った気がする。
クラックを利食いしようとガソ5を売り指していたら一文差で成立せず。 その後は戻りを期待して下げていくのをただ眺めてしまった。
外電換算からアラロブともに一日中張り付きは無いだろうとコーヒー指数から仕切ったら、 その後は張り付いて1枚も買えず。売り越しに。コーヒーは何かしらヤバイ雰囲気が漂っているし、 もう現値には戻ってこなかったりして。
思わずゴム指数を投げてしまった。大衆心理に陥ったなぁ。
傷が拡がらないようにしなくては。

麻婆豆腐を作ったのだが、少しだけトマトを潰して入れたら、ほのかな酸味が効いて美味しくなった。 入れ過ぎると良くないとは思うけど。
最近、野菜はおつとめ品しか買ってない。 痛んだりしているけど値段が非常に安いのである。 ニラ一袋50円 → 麻婆豆腐へ。 小松菜一袋70円 → 豚肉とオイスターソースで炒める。 トマト4個で100円 → 麻婆豆腐、サラダ、パスタなどへ。



2004年12月15日

値洗い損の大きい玉(主にガソ5の買い玉)を集中的に仕切って納税額を圧縮した。 これでもまだ昨年度より税金は多くなりそうで、もっと帳尻損を出したいのだが、 後は頑張ってもせいぜい200万くらい損切りできるだけである。
今年も残り8営業日。気を抜かずに行かねば。

為替証拠金取引の業者からテレコールがあった。以下その時の会話。

業者「豪ドルですと年利40%の金利が付くんですよ!」
秋山「それって証拠金ベースでの話ですよね。 資金余裕を考えれば1万ドルあたり30万円くらいは余裕資金が必要で、 投入資金ベースで考えたら40%の金利にはならんでしょう。」
業者「いいえ、40%っていうのはちゃんと数字で出ている決まった金利ですよ。」
秋山「あのねぇ、10万円で豪ドル1万ドル買ったとするでしょ。 40%の金利になるのは、1年の間に一回も買い値を下回らなかった場合だけで、 途中で追証がかかって追加入金した場合は、投入資金に対する割合で考えれば40%にはならないでしょ。」
業者「その点は大丈夫です。 当社の場合は、値段が下がって追加入金しない場合は自動的に決済されるようになっていますので。」

いい加減に相手をするのもダルくなってきたので少し方向転換。

秋山「罫線を見るとこんな所では豪ドルは買いたくないねぇ。」
業者「資源国通貨というのは安定してるんですよ。例えば豪ドルでもここ数ヶ月は3円くらいしか動いていません。 だから安心して金利を取って頂けるんですよ。」
秋山「あのねぇ、僕も豪ドルのグラフくらい見てるけど、去年から今年前半にかけて良く動いたでしょ。」
業者「確かにそうですねぇ。」
秋山「とにかく今は為替には妙味は感じないから。」
業者「そうですか、それではまたお願いします。」

こんな感じで終了。これは話の流れを書いただけで、実際は電話で45分くらい話をしていた。 これでは本当に40%の利率で運用できると勘違いする人も多そうである。



2004年12月14日

奇特な人がコーヒー指数をストップ安で350枚ほど買ってくれたお陰で、 自分とこにも11枚だけ廻って来た。すかさずアラビカとロブスタを買ってヘッジ完了。 その奇特な人は理論値なんか見てないんだろうねぇ。



2004年12月13日

ストップ抽選を売った銀を全部利食い。 ヘッジに買った白金とパラジウムも利食いして、合計200万ほどのボーナス。 こんな楽な相場ばかりなら苦労も要らないんだけどねぇ。

同僚と飯を食いながら、前に書いた、1980年度生まれ以降から学力低下が目立つという話をしていたら、 それは新課程になったのと時期が同じだなということになった。 確か、数T、基礎解析、代数幾何、微分積分、確率統計、という区分けが、 数学TUVABCという区分けになって、高次方程式や三角関数や指数関数の微積は駄目とか、 微分方程式は駄目とか、一次変換が駄目とか、かなり内容が制限された覚えがある。 現在は更に内容が削減されて、中学校では不等式も二次方程式の解の公式も出て来ないらしい。 以前、新幹線を作ってる会社の人と話した時に、 最近の新入社員はトンネルの断面積の計算(簡単な積分問題)も出来ないと嘆いていた。 文部科学省は日本を沈没させるつもりなのだろうか。



2004年12月11日

小春日和の週末。フリースを着てると汗ばむくらい。 近所の公園でしばらく昼寝。そよ風が心地良い。 データを見ると11月に入ってから現在まで気温が平年以下になったのは2日だけ。 本当に冬なのか?



2004年12月10日

今日も銀の売り注文を入れていたが、特別売買に回されてしまうのか、1枚も約定せず。 それにしても昨日成立した売りは札束が竹薮に落ちているようなものだった。
コーヒー指数の理論値裁定を一部利食い。 継続して仕掛けるにはロブスタの板の薄さが一番のネックになるが、 マーケットインパクトを考慮に入れても年間500万円くらいは儲けられそうな気がする。

日経新聞で連載中の「愛の流刑地」が面白い。 なんというか、舞台設定がどう変わろうと、登場人物が現代っぽくメールでやり取りをしていようとも、 渡辺淳一が書くとなぜかレトロな感じになってしまうようだ。 どうも渡辺淳一の描く女性は和服というイメージ。 世の中のおじさん達と作者と主人公がオーバーラップして、妄想全開で突き進んでいる感じがしてとても良い。 突っ込みどころ満載である。 失楽園は最後に死んで終わりだったが、流刑地というからには駆け落ちする展開になるのかな。

フィブリノゲン製剤の納入先がようやく公開されたが、被害の確認と補償はこれからである。 フィブリノゲンによるC型肝炎感染については、 他のマスコミが見向きもしない時からフジテレビがニュースJAPANで報道しており、個人的にも興味を持っていた。 彼らの取材が今に繋がるわけで、マスコミとはかくあるべきだと思う。 テレビ朝日やNHKも見習って欲しいものだ。 それにしても、アメリカでは1977年に承認を取り消されたフィブリノゲンを、 その後10年にわたって垂れ流しにしたミドリ十字(現三菱ウェルファーマ)という会社は本当に救いようが無い。 この会社は薬害エイズでも危険性を知りながら血液製剤を販売しているし、 人間を実験動物と同じくらいにしか考えてないと思われる。 さすがは元731部隊である。



2004年12月9日

昨日の夜の段階で貴金属の外電が暴落していたので、 銀の売り注文を3社に分けて85枚入れておいた。 結果は2社で合計18枚の成立。
以前、外電速報のページについて、円換算が明確に出てしまうので美味しいチャンスが減ってしまう、 と言われたことがある。 確かに今回の銀の暴落にしても、円換算18円安というのを見て、 売り玉の利食いを止めたり新規で売り注文を入れたりした人は多いと思う。
自分以外の市場参加者を敵と考えれば、敵に塩を送るようなものであるが、 そもそも、こんなのは少し計算すれば分かることであるし、 外電の換算値を載せているページは他にもあるわけであるから、 あまり神経質になることもないと思う。

安かったジャガイモに緑色の部分があり、適当に皮を剥いていたので食べてしまったような気がする。 ソラニンのことをさっぱり忘れていた。 心配になって調べてみたが、中毒するほどソラニンを摂取するにはかなり大量に緑の部分を食べねばならず、 現実的には心配は無いらしい。ソラニン中毒の成人の死亡例も無いようだ。

OECDの学力調査で日本の学力低下傾向が一段と鮮明になっている。 昔、教育関係の仕事をしていたことがあるのだが、1980年度生まれの人くらいから以降、 なだらかに学力が低下して来ていると感じる。 その世代が続々と社会に出て来ている現状で、日本の国力の低下に繋がらないか心配である。

耳の聴こえ難いのは、いつのまにか治ってしまった。



2004年12月8日

油は11月11日に売り越しを解消してしまったのだが、 そのまま売り維持にしていれば今頃は有効額が優に1億を越えている。 しかし11月末の戻りを大玉を売ったまま精神的に耐えられるとは思われないから、 後悔しても仕方の無いことだろう。 戻りといっても大した戻りではなかったのだが、売りで引かされた期間が長いと恐怖感が先に立ってしまう。 器の大きさの問題である。修行が足りないな。

将来設計の話をしていて、相場で儲けて船を買って世界を航海しながら相場を張るとか、 食って行くのに困ったらトラックの運転手でもしながら相場を張ろうかなとか、 いっそのこと外務員になるのもいいかな、とか好き勝手なことを言っていたが、 それって全く将来設計ではないという事に気が付いた。第一、何も設計していない。 まぁ、本業の方でキャリアを積み上げることが本筋なんだけど。 給料安くてもいいから気楽な立場でのほほんとしていたいんだが、 そういう訳にも行かないんだよね。



2004年12月7日

ここ何日か相場が良く見透せる気がする。 今までの経験から、こういう時は曲がらない。
灯油の売り玉を仕切って原油を売っていたら帳尻が増えてしまい、税金対策に頭を悩ませている。 年内に出来るだけ値洗い損の玉を仕切らなければならない。 何も考えずに普段どおり売買していると長者番付に載ってしまう。

また耳の調子が悪くなってきた。耳鼻科に行かなくては。



2004年12月4日

梅田の旭屋で「相場師奇聞」と「トービン金融論」を購入。 トービン金融論は前からじっくり読みたいと思っていたのだが、 暇が無さそうなのでしばらく本棚の肥やしになることだろう。



2004年12月3日

出目のろっぽさん、エースさん、ろっぽさんの友人ら、と麻雀を打った。 2万円ちょっとの負け。最近は麻雀で勝てる気がしない。



2004年12月2日

NY原油が暴落した。 ガソリンと灯油の値幅制限の違いで大きく値洗いが減少。 ストップで歪んだ鞘はストップが外れても完全には戻らないのが通例なので、 しばらく苦しい展開に入るかもしれない。
灯油の臨時増しが捻出できん。 利パッチを解消すれば良いのだが、これ以上納税額を増やしたくないんだよねぇ。

「ハウルの動く城」を観た。ハウル役のキムタク、ソフィー役の倍賞千恵子など、声優は特に違和感なし。 面白かったけど、ラストが、いいんかそれで?って感じである。 簡単に終わらせられる戦争なら最初からやるなよ。プンプン。 宮崎アニメはやはりラピュタとナウシカが越えられない山になっていると思うな。



2004年12月1日

今日もほとんど相場を見られず。一般的なサラリーマンはこういう状況で相場を張っているんだねぇ。 目隠しをされているようでどうもやり辛い。
油の6月限の鞘のイメージがどうも掴めない。 じっくり分析したいのだが暇が無い。

最近、子が親を殺したりとか、親が子を殺したりする事件が多い気がする。 人の命が軽い。理解の範囲を越えているのだが。



2004年11月30日

日中、全く相場を見られず。おかげで寄りの高いところでゴムを買ってしまった。 風邪と口内炎は、実家で暖かくして寝たのが良かったのか、飯が良かったのか、だいたい回復。

さて、明日から今年最後の月に突入である。気を抜かないようにしなくては。



2004年11月29日

今日から出張。始発の新幹線で京都へ。 前夜、炬燵でうたた寝して風邪を引いてしまった。 口内炎もつらい。 出張先では朦朧とした頭でミスを連発。ひたすら鬱鬱。 夜は京都在住の友人らと軽く麻雀して6000円の負け。

麻雀はさっさと切り上げて実家に帰り、寝たきりになってしまったネコと対面。 いつもは頭を撫でてやるとミャーと返事をするのだけど、顔を向けただけでもう声を出す元気もないようだ。
母親の作ってくれた飯を食って寝る。



2004年11月28日

昨日、スーパーでお勤め品のネギとアスパラガスとトマトが安かったので購入。 昨日からのメニューは、ネギとアスパラの野菜炒め、ネギ&アスパラ&キムチ&納豆&卵ご飯、 ネギとアスパラとトマトのチキンライス、ネギとアスパラとトマトのペペロンチーノ。 これでようやく消費完了。 明日から出張だから残しておくわけにはいかない。



2004年11月27日

実家のネコが死んだそうだ。もう一匹も年は越せないような状態らしい。 来週の京都出張のついでに様子を見て来よう。 一時はネコ四匹と犬一匹で賑やかだったのだが、元気なのはネコ一匹だけに。 生老病死は世の習いではあるが。

最近の気温にはものすごく違和感を感じる。 平均気温の日次データをずっと記録しているのだが、 今月に入って気温が平年以下だったのは11月16日の一日だけである。



2004年11月26日

耳鼻科に行って来た。どうも自分は耳の管が狭いらしく、内部が腫れて聴こえにくくなっていたようだ。 空気を通してもらったらスッキリ治った。 5年ほど前にも同じ症状で耳鼻科に行った事があったので、 また起きたかという感じ。



2004年11月25日

右耳の調子が良くない。痛みがあり聴こえにくい。 耳鼻科に行こうと思ったが木曜日の午後はどこも休みのようだ。 明日にしよう。

ガソリンの臨時増しのせいで証拠金が足りなくなり、不足が出てますよ〜と電話があった。 とりあえず入金するか。
ゴムが面白くなってきた。ゴム雑感も再開しないといけないなぁ。



2004年11月23日

福岡へ帰還中。 新幹線に乗る時はいつも自由席の3人がけ方の窓側である(混んでる時は無理だけど)。 1号車が好きなのと(1号車は常に自由席)、海が見える側がいいのと、 徳山のコンビナートが見たいからである。今も1号車の1番前に座っている。 1番前の席にはパソコン用の電源があって便利。 ただ山陽新幹線はトンネルが多くてネットに繋がりにくいのが難点。



2004年11月22日

桂のあたりに温泉が出来たという話を聞いていたので市バスを乗り継いで行ってみた。 国道9号線沿いの「仁左衛門の湯」という所で、泉質は無色透明だけど少しヌルヌルしていて良い感じ。 今は油もパッチになって、他の銘柄も大した玉は建ててないので、朝に指値を入れておいただけで非常に気が楽である。 存分に温泉を堪能してきた。
夕方から京都駅のホテルグランビアで相場に関する打ち合わせ。
夜は麻雀。昔は徹マンも平気(というか当たり前)だったのだが、最近はもうすぐに眠たくなってしまう。 午前2時半ごろにはダウンしてしまった。8千円ほどの勝ち。



2004年11月21日

祇園〜新京極あたりをブラブラ。 Vodafoneショップがあったので携帯電話の機種変更をした。 今まで使っていた携帯は20世紀に買ったやつで、 画面白黒で、着メロは単音で、長いメールは読めず、 しかもメールは100件くらいしか保存できず、Webも当然見られず、当然カメラなど付いておらず、 というような骨董品だったのだが、充電池が古くなって長電話一回すると電池残量が減るので、 さすがに交換することにした。 一番最新の機種にしたのだが使い方がまだ良くわからない。小さい「つ」を打つのにまず一苦労した。

夜は、友人ら3人で大学近くのモダン焼の店へ行った。 2年ぶりくらいにも関わらず「久しぶり〜、よく来たねぇ」と言われてかなり嬉しい。



2004年11月20日

大学時代のサークルの関係で京都へ。 毎年みんなでこの時期に集まるのだが、 飲みに行って思い出話に花を咲かせていると昔に返ったようで非常に懐かしい。 それにしても、昨年あたりから、結婚しただの、子供が何人目だの、家を買っただの、 という話が多くなって来た。 子供が出来た人は、何となく目付きが穏やかになっているような…。
少し見ない間に大学の建物が様変わりしている。 自分が学生だった頃は、壁はあちこち剥がれていて、 机はデコボコで下敷きを使わないと試験の解答用紙に穴があくような状態だったんだけど、 最近は重点配分で金があるんだろうねぇ。



2004年11月17日

今日はコーヒーを仕込もうと昨日から色々と計画を練っていた。 NYが前日比で上昇する場合が一番簡単で、NYが昨日の上げを帳消しにする暴落でも面白い仕込みができたのだが、 実際は普通程度の急落。 一番難しいパターンだったが、昨日の余韻が残っていると考えて、 コーヒー指数を買ってアラビカとロブスタを売ってみた。悪くはない。

ダニエル・ヤーギン著「石油の世紀」上下巻を手に入れた。 合わせて1300ページもある大著で、読み応えがありそう。



2004年11月16日

なんだか急に忙しくなってきた。 年末が忙しいのは毎年の事ではあるが。

為替証拠金取引の会社から電話があった。 資料を送ってくるらしい。やらんって言ってるのに。

コーヒーの外電が暴騰している。 とりあえず抽選を取りに行って、コーヒー指数を150枚中2枚、アラビカを100枚中2枚捻じ込んだ。



2004年11月14日

たまには自然に触れて運動でもしようと、獣王氏と山に登ってきた。 場所は福岡と広島の間ということで山口県に。 検討した結果、城跡があるということが決め手になり下関市長府の四王司山に決定した。 長府駅で待ち合わせて車で登山口に移動。 そこから1時間もかからずに山頂へ。展望は広島方面から関門海峡、九州まで見渡せて気持ちが良い。
山頂付近の山城跡は鎌倉時代末期に厚東氏が築城したもので、 後に大内に攻められて落城した。 後から調べてみると厚東氏というのはなかなか由緒ある家柄のようである。 昔は権勢を誇っていたようだが、 南北朝時代に大内氏が北朝に鞍替えしたのに対抗して南朝側につき、 南朝の衰退とともに歴史からも姿を消した。 山頂には厚東義武の墓なるものがあったが、はたして本物かどうか。
山の反対側に下りたところには別の城跡があって、 こちらは比較的新しく、幕末に長州藩が外国軍から逃れるために築いた館跡だそうだ。
山に登った後は温泉に入り、マッサージ機で体をほぐし、休憩所で昼寝して、飯を食って帰ってきた。
なかなか有意義な一日であった。



2004年11月13日

仕事でミスをしてしまい、かなり凹み中。 昨日までに作成して提出しなければならない書類をすっかり忘れていたという、 普段なら絶対に有り得ないようなミスである。 相場のせいにはしたくはないが、やはり石油相場にうつつを抜かしていたせいだろう。 猛反省しなければならない。

相場の方も一段落してきたので、生活を立て直すべく、台所周りをピカピカに磨き、 部屋を掃除し、炬燵を出し、自炊生活を復活させるべく食材を買って来た。 とりあえず今日は鍋にする。ダシと味噌をベースに、白菜、ネギ、魚の切り身、ニンジン、餅、 おでんの具などを適当に入れて煮ただけ。楽ちん楽ちん。



2004年11月12日

時間があったので、5分特気を利用した日計りを試してみた。 思惑通りにあっけないほど簡単に儲かった。 誰でもすぐに思いつくような方法なのだが…。 ただ、売買環境のせいで何度か仕掛けのチャンスを逃してしまった。 出来るだけリアルタイムに近い相場表と、注文入力と取消しが即座に出来る環境が必要である。

税金対策の利パッチに多大な証拠金を拘束されているため、 建ち玉可能額が非常に少なくなっている。 やはり少しばかり溶かすかな。



2004年11月11日

油の売り越しを解消した。でもタイミングとしては失敗したっぽい。 寄りで買いを入れたのだが、その後に暴落で、 売り玉を放置したまま何もしなければ600万のプラスだった筈が、逆に800万のマイナスになってしまった。
今回の石油相場は、10年に一度のチャンスと考えて資金を集中投入して売ったのだが、 それでも1億には届かず(あのまま売りを維持してれば今頃1億取れてたのに! と後から思うことになるかもしれないが)。 最近は一日で値洗いが1000万以上増えた日があったり、どうみても建て過ぎ状態なので、 規模を減らすこと自体は悪くないと思う。 後は年末までユルユル行く。
とりあえず2200万ほど利パッチにしたのでこのまま来年に送るけど、 それでもまだかなりの額の税金を納めなくてはならない。 つくづく考えると、税金差し引いて1億儲けようと思ったら1億2500万相場で取らないといけないんだよね。 せめて税率10%くらいにならないものか。



2004年11月5日

油が戻りそうな匂いをプンプン漂わせている。 実際にも週末は売り越しを縮小した人が多いようだ。 落ち着かないので、NY原油の上場来(1983〜)の期近3本の約定値とその鞘をじっくり眺めてみた。 少し落ち着いた。

相場の前では人間はみな独りである。 孤独だからこそ、相場を張ってる人同士は初対面でもすぐに打ち解けるのだと思うが。

ネット上で香田証生さんの首切り画像を見てしまった。 夢に出そうだが、これが世界の現実である。目をそらすべきではないだろう。



2004年11月5日

どんなに二日酔いでも外電が気になって朝5時くらいには起きてしまう。 でも外電見たら二度寝するんだけど。

近所に美味しいスープカレーの店が出来たので、ちょくちょくお昼に食べに行く。 激辛のカレーで二日酔いもスッキリである。

それにしても最近の石油相場はひどい。 麻雀に例えると、ワレメ三麻の北花抜きドラに5総ドラって感じ。死人が出るって。



2004年11月4日

職場の人達と焼肉に行って、その後、午前2時くらいまで飲んだ。 1年ぶりくらいの焼肉だけど、やはり肉は良い。 オーストラリア産なんだろうけどアメリカ産に比べて油が少なくて堅いような気がした。 でも気のせいかも。 チシャ菜のことを最近はサニーレタスと言うらしい。チシャはチシャだろうに。



2004年11月3日

ブッシュの当選がほぼ確定した。上下院も共和党が優勢である。 これで世界が再び混沌の4年間に突入することが確実になった。 今後はアメリカの没落が一層明白になると思う。 ローマ帝国→大英帝国→アメリカ、とヘゲモニー国家は西へ西へと移り変わってきたが、 次の覇権国家は中国だろうか?  小泉さんもブッシュ再選で胸を撫で下ろしているようだが、 いつまでも腰巾着ではアメリカと心中することになりかねない。

近鉄バッファローズが消滅して楽天がパリーグ加盟。 実家が近鉄沿線なんで、一度は日本一を取ってもらいたかった。 12球団で唯一、日本一になってないからねぇ。 1989年の日本シリーズで3連勝してから4連敗したのが忘れられない。



2004年11月2日

仲の良かった女の子から、今度結婚しますとの連絡が…。 別に恋愛感情があったわけではないのだが、少し寂しいね。 男だったら結婚しても飲みに誘ったり出来るけど、女性の場合はそうは行かないし。

「トリコロールに燃えて」を観た。シャーリーズ・セロン演じるギルダの色気にクラクラ。 こんな女性に呼ばれたら僕も同じように職を辞めてパリに行くね。 永遠に続くかに思えたパリでの平穏で享楽的な日々も、徐々に戦争の影が差してくる。 人生において、なるべくしてなったと、何かしら運命を感じる瞬間がある。 ギルダにとっては、彼との出会いも運命なら、ドイツ占領下での行動とその結末も、 運命に沿って生きた結果なのだろう。 久しぶりに良い映画を観た。今年観た映画の1位にランクインしておく。
子供の頃、ケンブリッジに住んでいたことがあるのだが、 町並みとかカレッジとかケム川の長い棒を使って動かす小船とかの映像が出てきて懐かしい気分になった。



2004年11月1日

最近すっかり寒くなってきた。早いけど炬燵を出そうかな。

油の売りでメタメタにやられていたが、下げて来てくれたのでようやく年初来プラスに復帰した。 もう少し上手いことやってれば今ごろ大儲けだったんだが、それは言っても詮無いこと。
最近、毎日の有効額の変動が年収と同じくらいだったりする。 パチスロの3万円の勝ち負けと相場の300万の勝ち負けが同じくらいの感覚である。 今年プラスで終わったら少し贅沢しよう。車でも買うか。 少しは実体経済とリンクさせないと、どんどん感覚が乖離してしまう。



2004年10月28日

秋晴れの良い天気。NY原油の急落で気分も爽快。 全米在庫は軽質燃料在庫が大幅減で発表直後から急騰したものの、その後は一転して下げ続けた。 売り越しなので嬉しいのだが、緩やかなラウンドトップを予想していただけに少し意外である。

油が下げたおかげで生産的なことをする元気が出てきた。 溜まっている洗濯物を片付け、ゴミだらけになっていた部屋を掃除し、 滞納していた電気代と電話代とガス代と水道代と市民税と国民健康保険料を払った。 別に金が無いわけじゃないんだが、相場が曲がっていると支払い関係は先に延ばしたくなるんだよね。

最近は自炊する気力も無く、コンビニや外食中心のガタガタの食生活だったのだが、 今日も懲りずに吉野家へ。今キャンペーン中で、牛丼3杯食べると1杯無料になるので。 油が下げたので少し贅沢をして豚キムチ丼に半熟玉子を付けてみた。

新潟中越地震、土石に埋まった車から奇跡的に生還した優太ちゃんと、 死亡した母親、姉のニュースに思わず涙する。即死と思われるのがせめてもの救いか。

イラクでまた日本人人質事件。 イスラム圏のしかも治安の悪いイラクで、短パンに長髪に髭も無し、非常識にもほどがある。 以前にも日本人カップルが、 イスラエルとパレスチナがドンパチやってる所に何も知らずに観光気分で現れて保護されるという事件があったが、 旅行に行くなら、旅行先の歴史や文化や政治情勢について予め知っておくのは当たり前ではないのか?  自分探しの旅とも言われているが、他者を理解しようともせずに自分探しもないもんだと思う。



2004年10月24日

いまいち日記を書く気にもなれん。油が下がってくれないことには。
今回の石油の大相場にはいい加減懲りた。 この油が一段落したら、売買指示から資金管理から銘柄配分まで完全にシステム化してしまうつもり。 しかし、そのためには今の自分のシステムには改善しなければいけない点が何点かあるんだよね。 まぁ、ゆっくり考える。

週末は読書三昧。塩野七生「ローマ人の物語」の単行本の最新刊が出てたので買って来た。 カエサルがルビコン川を渡っていよいよローマを手中に収めようというところ。 でも石油相場もルビコン川を渡ったところか。 後は三浦綾子の「天北原野」などを読んで過ごす。



2004年10月17日

踏み投げ氏、獣王氏と新橋のパチスロへ。 あえなく3万8千円ほど負けた。 結局、拳王様には会えずじまい。まぁ、向こうが会いたくないというなら仕方あるまい。 合計で7万3千円の負けだが、おそらく生涯で最初で最後のパチスロなのでそれも良かろう。 いま羽田空港なのだが、徹夜で麻雀して一睡もしていないので、飛行機の中では熟睡できそう。
それにしても、金曜日には財布の中に20万円ほど入っていた筈なのだが、 今見ると諭吉さんが数えるほどしか残っていない。東京は怖い街だ。

NewsWeek日本版の、世界で尊敬される日本人100人という記事に、知り合い(というか後輩)が載っていた。 自分はこんなことしてていいのかと考えてしまうね。少し凹む。

家に帰ってきた。 飛行機に乗って座席に座った瞬間に眠りに落ち、次の瞬間に目を覚ますと福岡空港であった。 3分間くらいしか寝てないような気が…。テレポーテーションした気分。 しかし家に帰ってもまだ眠い。泥のように眠りたいが、相場の分析をしなければ。



2004年10月16日

踏み投げ氏と待ち合わせてパチスロへ。 パチスロをやるのは初めてなので、コンビニで踏み投げ氏にレクチャーしてもらって予習をしてから実戦へ。 あえなく3万5千円ほど負けた。
回転寿司で腹を満たし、オールド氏の職場を見学に押しかける。 その後、3人で東京駅へ移動し、広島から新幹線でやってきた獣王氏と合流。 八重洲口近くのサウナの麻雀ルームで朝まで麻雀。 結果はオールド氏の一人沈み。ちょっと申し訳ない気分だけど、 恨むならたれ氏を恨んでおくれよ〜 (当初はたれ氏が来る予定だったのだが、来れなくなったのでオールド氏を無理やり誘った)。 みんな結構テンパッていて、コーヒーが暴落してどうの、原油が暴騰してどうの、 誰がどうして、彼がどうしてと、バカ話をして朝まで笑い転げながら打ってた。



2004年10月15日

オフ会出席のため東京へ。 秋晴れの良い天気で、飛行機からは富士山の雄姿を拝むことができた。 オフ会の出席者は、僕、落山風さん、リズムさん、踏み投げさん、オールドさん、ロバートさん、7人目さん、 弱虫熊さん、AAAさん。
油のせいで一日中、吐き気が止まらず(比喩じゃなくて本当に)。酒もあまり進まず。 う〜、げろっぷぁぁあああぁぁああぁあ。
ホテルに帰ってきて一刻も早く寝たいにも関わらず、外電を確認するためにパソコンをつけてしまう。 ついでにこの日記も更新してしまう。でも、もうそろそろ外電は関係ない段階に入ってくるとは思うが。
秋山さんは最近は希望的観測が目立つと言われた。自分でもわかってるって。



2004年10月14日

今日の油は、片張りと鞘取りのダブルパンチで吐きそうになった。 まさに血反吐を吐くような相場である。
もしこの相場を買いで乗せて行っておれば、資金は既に1億を超えている。 しかし、自分の理詰めの張り方ではそれは無理である。 どうしても相場の最後の利を越えた部分、つまりバブルの部分は逆張りになってしまう。 そのバブルが、意外と値幅もあるし長続きするんだから困ってしまう。 そこは資金管理で何とかするしかない。

売り方で引かされる間は長けれど、下がる相場は迅きものなり

それは確かに正しいのだが、売りたい人が多いほど引かされる間は長く、引かされ幅も大きくなる。



2004年10月13日

油は下げたけど、まだまだ一筋縄では行かないだろう。 やはり天井を売りたい人を全員殺してからじゃないと天井を打たないのかもね。 基本的にはNY次第とは思うけど。



2004年10月12日

コーンの単収158.4って、これはいったい何の数字かと、小一時間…。 しかし、この規模に市場が順応してしまうと、来年はちょっと大変なことになるのでは?  まさか2年続けて超大豊作もあるまいし。



2004年10月10日

システムというものは基本的には内部要因を根拠にしている。 よって指標を出すには過去1年分ほどの価格データがあれば十分の筈だが、 最近の油の上昇を見ていると、売りで頑張ってしまう人の心理には、 イラク戦争時の暴落や、今年のコーンの暴落の動きが非常に大きく影響しているように感じる。 逆に、天井を打った後のコーンに延々と値頃買いが入った心理には、 同じコーンの1996年の動きが影響していると思われる。 結局、相場における心理状態の分析には、かなり広いスパンの値動きが重要になってくる。 それをシステムにどう取り込むかはなかなか難しい。



2004年10月8日

ようやく怒涛の1週間が終わった。 風邪もいつの間にか治っている。 あまり相場を見る暇が無かったが、それでも油を売ったり銀を買ったり、 なんやかんやと売買した。

東京は目先天井のような感じだが、NYはまだ元気だね。



2004年10月4日

今日から週末まで毎日6時に起きて日帰り出張。 風邪が治らん。倒れそうになりながら頑張る。 しかしそんなときでもトイレに行ってガソリンを売る。 何とか週末まで乗り切るしかない。

外国人と話すと相変わらず英語力の無さが身に沁みる。 通常のスピードで話されるとさっぱり分からん。 こちらの言いたい事もとっさに出て来ない。 暇になったら英会話を習いに行こう。



2004年10月2日

イチローが最多安打の大リーグ記録更新。凄いねぇ。 彼のヒットを見ていると、ほんと職人芸だなと思う。 たゆまぬ自己鍛錬の賜物なんだろう。

風邪が治らん、それどころか酷くなるばかり。来週から超忙しいのに…。 週末の間に完治させておかないと、来週は地獄の一週間になる可能性が…。



2004年10月1日

油の鞘が激動している。色々と仕掛けるチャンスがあると思うが、やはり臨時増しはきついねぇ。 片張りは売りで良いと思っているが、あと2000円か3000円はあるかもしれない。 市場参加者が高値に慣れてこないと下げるのも難しいような気がする。

シンセの姫神さんが亡くなられた。今日は神々の詩を聴きながら寝よう。



2004年9月30日

油に翻弄された一日。 前場に一時的に買い越しになったが、バタバタと売ったり買ったりしていると相場観が揺れてしまうので、 自分を律する意味で固い意志で売り玉を仕込んだのが1000円安付近。 そこからアホほど担がれた。やっとられん。

窓開けて寝てたら風邪引いた。



2004年9月29日

今日は寄りから油をゴッソリ売って、30分後に下げて来たところで利食い。 昨日たくさん売ってしまった玉も利食いになった。 利食いと同時に、以前からの引かされ売り玉も処分。 結果的に売り越し縮小。

出張が終わったのに相変わらず忙しい。休みたいけど休めない。



2004年9月28日

NYがとうとう50ドルに乗せた。歴史的な瞬間である。 こうなると勢いで52ドルか53ドルくらいまでは行ってしまうか?  日経の今日の夕刊と明日の朝刊は記念に取っておこう。
鞘取りを仕掛けようと売りから入ったらSHに張り付いてしまい、結果的にかなりの枚数を売ってしまった。 前回49.4ドルを付けた時よりは枚数も少ないし資金も豊富なのだが、 50ドル突破で上値の目処が立たない状況を乗り切れるか。 日柄的もまだ足りないっぽい。



2004年9月27日

油を3分の一ほど踏んでおいた。さすがに前回のような目に遭うのは勘弁ってことで。



2004年9月26日

植物園に行ったら、台風の影響で当分のあいだ閉園しますとなっていた。
大通り公園に行って昼寝して、寿司を食いに行って、 職場への土産にROYCEのチョコレートなんぞを買ってから空港へ。
ようやく自宅に戻って来た。10日間の出張はさすがに長丁場である。



2004年9月25日

ようやく出張の任務も終了。 二日酔いからも回復して気分も爽快。

夕方から南幌温泉に行って来た。 泉質はラジウム温泉で、露天風呂の褐色の湯に少し浸かるだけで体が暖まり、 外気で涼んでまた浸かるの繰り返し。 ポカポカ良い気分。

明日はようやく家に帰れる。札幌は最近少し寒いので、そろそろ暖かい九州に戻りたい。



2004年9月24日

二日酔いで頭が痛いのと吐き気がするのとで、一日中半病人のような状態であった。 でも合間を縫って油を売り増し。
仕事の後、小樽まで寿司食いに行きましょうと誘われたが、とてもそんな気分ではなかった。



2004年9月23日

すすきのに連れて行ってもらった。どうやら飲み過ぎたようだ。 飲んだのは主に自分ともう一人だけだったのだが、ボトルが2本ほど空になったような…。 どうやって宿まで帰ってきたかほとんど記憶が無い。



2004年9月22日

本日はほとんど場を見られず。 前場が引けた後に見たら灯油2が張り付いていたので、灯油2を全部踏んだ。 午後に見たら急落していたので売りをバカスカ入れた。引けてから見たら噴き上げている。 バタバタして資金を減らしただけである。



2004年9月21日

昨日の晩から東京灯油3月限に60枚ほど買い注文を入れていたのだが、寄りで成立したのは2枚だけであった。 その後、昼まで場を見られそうに無いし、場を見るたびに灯油新甫が下がって来ていたので、 残りはキャンセルしてしまった。見てない間に全約定してしかも下げたら目も当てられんからなぁ。 昼に値段を見てあわてて注文を入れ直したが、そんな後から注文して成立するわけもなし、 2時前から大引けまで場を見られないのでまた取り消した。 出張中じゃなければ何とでもなったんだけどねぇ。 こういう時は相場専業の人が羨ましい。

今日は朝から冷えるね。長袖を着ていても寒いくらい。



2004年9月20日

早朝に札幌の街を散歩したのだが、道庁では木が倒れまくっていて鉄製の柵がベコベコに曲がっている。 北大構内もたくさんの木が倒れて、まだ片付けが終わっていない。 台風の威力の凄まじさを目の当たりにした思い。
夜は新篠津まで温泉に入りに行った。 旅費と出張手当をもらって遊びに来てるんですか?と突っ込みが入りそう。 東京であれだけ疲れたのに、北海道に来てすっかり疲れが取れた。



2004年9月19日

今日は午後から暇になったので「アイ,ロボット」を観に行った。 アシモフの「われはロボット」が元ネタらしいが、 中学生の頃に読んだ記憶があるものの記憶からは既に飛んでしまっている。 映画の内容はかなり皮相的(特に最後の方)だが、スピード感と緊迫感が最後まで持続するので、 頭を空にして楽しむ分には心地よいだろう。でもアシモフの熱狂的ファンには不評だろうねぇ。 ウィル・スミスはGood!

古本屋で野間宏「さいころの空」を購入。日が暮れるまで大通り公園のベンチで読書にいそしむ。

北海道限定で、札幌CLASSICってビールがあるんだけど、美味いんだよねー。ホテルで飲みながら読書の続き。 それにしても相場の無い日は心が安らぐ。



2004年9月18日

東京出張は今日で終了だが、晩の飛行機で北海道へ。引き続き札幌出張。 羽田−千歳1時間半なり。今日はもう寝る。



2004年9月17日

出張中で、なかなか相場を見られない。 いきおい、ザラバの売買は寄り付き、前引け、後場寄り、大引け、等を利用ぜざるを得なくなってくる。 油は買い越しを縮小、鞘関係もかなり仕切ってしまった。 年末にかけてまだまだ油も取れそうだが、そろそろゴムとコーンにも本格的に玉を入れて行こうと思う。



2004年9月16日

今日から東京出張。早朝の飛行機で羽田へ。飛行機から富士山がきれいに見えた。 羽田空港に着くなりロビーでパソコンを広げて注文を出すというのもどうかと。
相変わらず東京の地下鉄は複雑である。 一つの券売機に何とか線やら何とか線やら色々なボタンがあって、何がなんやらわけわからん。 全部合併して一つの料金体系にして欲しい。 いつも思うけど東京は人が多くて疲れる。
飲みすぎたのでもう寝る。



2004年9月15日

日経の夕刊を見たら、社会面がほとんど殺人事件関係で埋まっていて暗い気分になってしまった。 21世紀に入ってから、世の中がどんどんと殺伐で刹那的になって来ている気がする。 相場をやっているとあまり感じないけど、 最近の若い人たちの間に蔓延する閉塞感というのはかなりのものだと思う。 オリンピックやITベンチャーなど、今の日本でも才能があって努力する人は成功できる可能性があるのだが、 一部の自分で未来を創ろうと頑張る人と、大部分の流される人の二極化が著しいように感じる。

OPECは総会で100万バレルの生産枠拡大を決定。とんだ茶番だな。 油に関しては、朧げながら今後の展開が見えてきた気がような…。
全世界の、ありとあらゆる原油のデータが収録された「International Crude Oil Market Handbook 2004」 という本があるのだが、1195ドルもするんだよなぁ。でも欲しい…。



2004年9月14日

筥崎宮の放生会 (ほうじょうや:殺生を戒め万物の生命をいつくしみ、実りの秋に感謝する祭り:博多三大祭りのひとつ) に行ってきた。 平日の夜にも関わらず、すごい人の多さ。 みくじを引いたら小吉、相場は、停滞伸悩先行は上がる、と出た。 いま停滞して伸び悩んでる銘柄は上がるってことだな。



2004年9月13日

今日は原油を売ろうと思い寄りから見ていると、期近の方が千何百枚かの買い端で張り付いて始まったので、 これはいかんと成行きで先限に50枚ほど売りを入れたら張り付かずにサクッと成立。 顔に縦線が入りつつも何とか20円安で処分完了。
油はガソ先と灯油近〜中買い原油売りのトータル買い越しで、 ようやく自分のイメージ通りのポジションに持ってくる事が出来た。
現在、年初からの収支がわずかにプラスという状態。 年末にかけて一儲けして今年もプラスで終わりたいものである。 取れそうな銘柄は、油、ゴム、コーン。こんなとこだろうなぁ。



2004年9月12日

WTIとIPEとOPECバスケットとドバイオマーン平均価格と国内クラックのデータを取ってみたのだが、 思った通り価格関係がかなり歪になってきている。 自分の推測が正しいとすると、これはちょっと売れないし、むしろ買いでも良い気がする。 週明けの油は安そうなので買って行くか。 ちょっと大衆売買っぽくて嫌だけど。

二日酔いが…。



2004年9月11日

オフ会出席のため大阪へ。一次会は阪急ターミナルビル屋上ビアガーデン。 来る予定になっていた獣王氏が台風被害の復旧作業で来られず、 たれぱんだ氏とてんおう氏とMIGHTY氏と僕の4人。 二次会から車掌さん合流。 MIGHTYさんは定年退職して悠々自適してる人に違いないと思っていたのだが、 会ってみたら全然違っていた。車掌さんもイメージ違ったなぁ。 飲んで食って話して、満足。 4人がすっかり出来上がっているところにシラフでやってきた車掌さんが少し気の毒だった。



2004年9月10日

油が反発したせいで一日で600万ほど利が剥げてしまった。 でも昨日増えた値洗いが消えただけと考えればそう落胆することも無いか。 昨日売り玉を仕切れば良かったのかも知れないが、昨日仕切るようなやり方をしていたら、 多分それ以前に仕切ってしまっているので、それは考えても詮無いことである。 一時的に買い越しにしたが、来週からまた売って行くつもり。 最近、自分のイメージと実際の建ち玉がたんだんと乖離してきていたので、 この機会に一気に修正するつもりである。



2004年9月9日

箱崎埠頭まで散歩に行って、フェリーに貨物が積み込まれる様子をボーっと眺める。 船はいいねぇ。一隻欲しい。



2004年9月8日

油の下げで、ようやく再び年初からの収支がプラスになった。 これだけ油を売りまくっていてやっとトントンってことは、 今までどれだけやられまくっていたか分かろうというもの。



2004年9月7日

今回の台風は前回のに比べて速度が速かったので、個人的にはそれほど被害を被らず。 しかし広島は大変なことになっているようだ。最大瞬間風速60mって、そこは石垣島かと。
近畿では地震が多発していて少し心配。そういや九州に来てから地震を意識していない。 こっちの地方では少ないのかな。



2004年9月6日

キティーちゃんはペットとしてネコを飼ってるらしい。 ネコがネコを飼うっていうのは、結構シュールだ。 蔵前さんじゃないけど、人間が人間を飼うようなものじゃないか。



2004年9月5日

ロシアの学校占拠テロが悲惨な結末に…。 未来のある子供を犠牲にしてしまっては、どんな大義も色褪せるし、 とうてい支持も得られないと思うのだが。 頭がおかしいとしか思えん。



2004年9月4日

「華氏911」を観てきた。 ムーア氏の著書は読んだことがあるので内容は特に目新しいものでは無かったが…。 反ブッシュのプロパガンダ映画にしてはインパクトが弱いのではないか。 日本人の感覚としては普通のドキュメンタリーという感じ。 この程度の内容に過剰反応し、映画の配給を止めようとしたりするアメリカというのは、 つくづく救いようが無いなと。 戦争が旨みのあるビジネスであり、政権と軍需・エネルギー産業が結びつくのはごく常識的なんだが、 それをわざわざ映画にして突きつけられないと現実を見抜けないほどアメリカの一般市民は能天気なのだろうか。

梅田で映画を観た後、福岡へ帰還。



2004年9月3日

獣王さんから、コーヒーが暴騰しているよ!と嬉しそうな電話あり。 出目のろっぽさんから、ゴムどうよ?って電話も。 みんな、それぞれの相場で頑張ってるなと。自分は今は油だな。 なんだか考えれば考えるほど上へ行きそうな気がしてくる。 最近は資金が一日で300万くらい動いても特に落ち込んだりハイになったりすることもなくなった。 まぁでも何日かマイナスが続けばさすがに、ノートパソコンを地面に叩きつけたくなるが。

夜は奈良の実家に寄る。



2004年9月2日

昨日遅くまで麻雀して、今日朝早くから仕事で、寝不足気味。今日は別の友人と飲む。

油は急反発だなぁ。髪を切ったのがいけなかったか?



2004年9月1日

久しぶりの京都はかなり懐かしい。何だか故郷に帰って来たような感じである。 夏は暑くて冬は寒くて大変なとこだけどね。 夕方になって時間が取れたので母校に足を伸ばしてみた。新しい建物がいくつか建っている。 京都在住時代に良く行った銭湯に行ってみた。番台のおばちゃんも含めて何も変わっていない。 京都在住の友人と麻雀した。ちょい勝ち。

油が下がるまで髪は切らんぞ〜、って思ってたが、下げてきたので散髪した。 うん、スッキリさっぱり。 でも見た目、新人外務員みたいになってしまった。



TopPageへ