| 名前 | ぴょーたん | 更新日時 | 2025/11/13(木) 20:44:45 |
| ホームページ | なし | ||
| どんな人? | うさぎ年 うすのろ〜おマヌケ男子〜君の不思議は僕のせい 《2ー10》 メイン通りに待機しているタクシーに乗り込むと、刹那に那智治香は僕の肩に頭をくっつけたまま眠りに落ちた。15分程乗車して、郊外のバス通り沿いで僕らふたりはタクシーを降りた。ここからなら彼女の自宅まで歩いて5分位だろう。この辺りは郊外の住宅地だから、流石に真夜中ともなると路上に人の気配は無い。 那智治香の自宅に向かって少し歩いた所で、僕らは途中にある“せせらぎ公園”を横切るルートを選んだ。公園の中央付近に差し掛かると、公園内を照らす外灯の下で、僕らふたりは俄にライトアップされた。まるで自分達が映画の主演カップルにでもなったかのような、そんな錯覚に襲われる。 ーーー今だ 僕は歩みを止め、両手で那智治香の肩を軽く抱き寄せる。彼女の顔を至近距離で覗き込むと、目が合った。僕はこのシチュエーションとアルコールの助けを借りて、ゆっくりと自分の唇で那智治香の唇に軽く触れてみる。1秒、2秒、不思議な感覚が身体中を駆け巡る。そしてまた視線が絡み合う。普段はあどけない彼女の瞳が、ちょっぴり大人びたように甘く優しく、静かに僕を見つめ返している。お酒を飲んでも顔色を変えない彼女だが、頬が微かに赤味を帯びているように見える。僕はもう感激で胸が一杯になっていた。そんな余韻に包まれていたいから、もう少し那智治香と一緒にいたくて、彼女の肩を抱きながらできるだけゆっくりと公園を通り抜ける。 「今日、楽しかったよ」 「わたしも」 お互い耳元で囁き合い、その余韻に浸っていると、あっという間に彼女の自宅前に着いてしまった。 「また連絡するね」 「うん」 「じゃ、おやすみー」 「ありがと、おやすみなさい、ーーー」 那智治香の姿が自宅の中へ吸い込まれ、扉が閉まるのを見届けると、僕は宙に浮かんばかりの足取りで静まりかえった住宅街を通り抜け、自分の実家へと帰路についた。 彼女のはにかんだ声や表情を、脳裏に再生しながら夜空を見上げると、普段に比して星の煌めきが半端ない。そして僕は、今夜のデートの流れを回想しては、那智治香と過ごした心トキメク素敵な時空を漂い続ける。 那智治香とおしゃべりする、出来ればデートに誘う、という当初の目標を達成した上に、同窓会に参加する前には全く想像し得なかった夢のような展開を体験できて、思い返す度に、何とも怖いくらいの身震いを禁じ得ない。夢と現実がオーバーラップするそんな奇妙な夢心地を、僕は暫くの間思う存分に堪能した。 そして、みんなのアイドル那智治香の取り巻きのうちの1人に過ぎなかった僕は、これで恐らく彼女のお気に入りの男のコの中の1人に、少なくともベストファイブにランクアップできたに違いないと確信した。 《2ー11》 ーーー4月3日ーーー 春休みで実家に帰省中の僕は、正午前にようやく目が醒めた。那智治香は、ちゃんと朝から出勤しているに違いない。夕べは彼女を真夜中遅い時間まで付き合わせてしまった。僕は彼女の事が心配になってきた。 ーーー夕べは楽しかったけど、彼女にはちょっと悪いことしちゃったかな。職場で那智治香の体調はどうなんだろう。 午後、実家からメロン銀行香林坊支店に電話してみた。電話に出た行員は、すぐに那智治香に繋いでくれた。 「夕べは遅くなっちゃったけど、体調はどう、大丈夫?」 「んー、午前中は気分悪くてー、ずっと休憩室で横になってたの、でももう平気よ」 「もう少し早く帰ればよかったね、ゴメーン」 「でも楽しかったよー」 「オレも楽しかった、で、明日高松に戻るけど、また連絡するよ」 「うん、待ってるー」 「じゃ、お仕事がんばって」 「うん、ありがと」 僕はホッとして、受話器を置いた。 ーーー4月4日ーーー 僕は新学期に備えて大学がある四国高松に戻った。 僕の下宿は兼業農家の納屋の2階の一室で12畳程の広さがある。トイレは納屋の2階、洗濯機は納屋の外の軒下、物干し場、シンク台、コンロは納屋の1階の土間にある。部屋以外は全て大家さんと共用で、風呂は母屋の1階に入りに行かなければならず不便だが、光熱費込みで月2万円だから、学生の僕にとっては十分有難い。 ちょうど2年前、僕は部屋に固定電話を引いた。バイトが多い僕にとってこの電話はとても重宝する。ほぼ必需品だ。当時の市内通話は3分10円だったが、遠距離通話ともなるとそうとはいかず結構高額で、例えば、高松→金沢は、割安な深夜料金(22時〜7時)でも8.5秒10円だった。 | ||
| 投資手法 | 投資成功の三要素 <投資手法> ◇〜△ 裁量逆張りスイング <投資心理> ◎〜〇〜◇〜△〜×〜×× <資金管理> ◎〜〇〜◇〜△〜×〜×× | ||
| 好きな銘柄 | 生煎饅頭(上海、4コ120円)・さぬきうどん(1杯180円)・香箱蟹(こうばこがに、1杯千5百円) 中日ドラゴンズ サガン鳥栖(J2) 中国語・鉄道・地理・気象 若松駿太〜祐誠高校→2012ドラF〜中日ドラゴンズ(13〜18)→栃木ゴールデンブレーブス(19〜)→福島レッドホープス(21〜24) 若松悠平〜祐誠高校→長崎国際大学→香川オリーブガイナーズ(21〜)→福島レッドホープス(22〜) | ||
| フリースペース | 75年4月、私達の初めての出会いは中1の春でした。君は窓際の前から2番目、私はその右隣の席でした。いつもおしゃべり楽しかったです。そして私はいつの日か君を好きになり君の前では緊張してしゃべれなくなってしまいました。そして君は私にとって手を伸ばしても届くことが出来ない雲の上の存在になっていきました。 85年4月2日、同総会の2日後、憧れの君と素敵なデートができて最高に幸せでした。2軒目のお店に向かって夜の片町を歩いていると、君は私の腕をつかんでくっついてくれました。飛び上がる程うれしかったです。今でもその時の左腕の感触は忘れません。帰りに家まで送っていく途中、誰もいない公園での2人、まるで恋愛映画のワンシーンのようでした。さらに数日後届いた君からのラブレターはうれしすぎる想定外で、感激のあまりどうしていいのか戸惑ってしまいました。両想いだなんて、正に夢の世界でしか見ることのできない情景でした。 3年後の25才で君と結婚できるように、早速バイトを増やしました。3年間で300万円貯める予定でした。85年末に君の銀行(香林坊支店)で50万円をスーパー定期にしたのはその一部です。1年後の春には予定通り通過点の100万円貯まっていました。 85年9月、君が高松から金沢に戻った後、私は君宛の手紙に「オレの可愛い妹の治美ちゃんへ」と書きました。それ以降、私達の関係は次第にぎくしゃくし出しました。 85年12月末、私は既に2人の間にかなりの危機が迫っているのを感じつつも、君の家にプレゼントを渡しに行きました。君の部屋には私達2人の写真が飾ってありました。でもその時の君の様子から私は怖くなってしまい、言葉少なく帰宅してしまいました。 86年1月末、電話で君は私に言いました。「大阪に行ったのは約束してたから、、、プレゼント返さないと、、、」私はフラれたと思い、受話器を置きました。 86年3月、金沢片町の君が行きつけのスナックに私の足は向かっていました。ここは初デートの日と8月の2回、君と過ごした想い出の場所です。私がお店に入ると、ママは私を見るやいなや大歓迎してくれて、君を呼ぼうとするんです。「たぶん来ないと思います」って私は止めたのですが、ママはハイテンションで君の家に「彼氏が来てるよー」と速攻で電話。しかし次の瞬間、ママのテンションは急降下、、、その後別人のように私を無視し出しました。結局ママにはフラれたことも言えず、店を後にしました。 86年 スーパー定期 → 中期国債ファンド → 株式(現物) 87年 私は思い切って1年半ぶりに電話してみると、 君は私に言いました。「なんかうれしー」 けれども私は「また会えたらいいね」と言うのが精一杯でした。 89年 再び電話してみるとお母さんは私に言いました。 「あの子結婚したよー」…ヲワタ 89年 商品先物に手を出しわずか1ヶ月であり金(約400万円)全て失う。 91年 中学校の同窓生名簿が送られてきました。 約180名の同級生のうち勤務先が記載されていたのは、 なぜか君と私の2人だけでした。 えっ、何コレ…天文学的な確率なんだけど…神様の悪戯でしょうか。 99年 商品先物再開〜 サヤ取り 片張り 確定損益計 99年 ± 0万円 +125万円 +125万円 00年 + 88万円 −419万円 −331万円 01年 − 69万円 −186万円 −255万円 02年 +127万円 + 55万円 +182万円 03年 −103万円 + 76万円 − 27万円 04年 +202万円 −455万円 −253万円 05年 +283万円 +106万円 +389万円 06年 +336万円 + 17万円 +353万円 07年 − 96万円 −127万円 −223万円 08年 −246万円 − 55万円 −301万円 累計 +522万円 −863万円 (課税対象) (入出金ゼロ換算) 株式先物 くりっく365 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 09年 + 1万円 ± 0万円 + 1万円 7,022千円 10年 +77万円 −84万円 − 7万円 6,525千円 (− 7.1%) 11年 − 8万円 ± 0万円 − 8万円 6,355千円 (− 2.6%) 12年 +19万円 − 6万円 +13万円 7,452千円 (+17.3%) 13年 −32万円 +34万円 + 2万円 8,363千円 (+12.2%) 14年 −71万円 +69万円 − 2万円 9,837千円 (+17.6%) 15年 +53万円 +13万円 +66万円 11,203千円 (+13.9%) 16年 +90万円 −18万円 +72万円 11,755千円 (+ 4.9%) 17年 +12万円 −12万円 + 2百円 5,000千円 (−57.5%) 18年 −14万円 +14万円 + 5百円 9,330千円 (+86.6%) 株式先物 CFD 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 19年 −11万円 +11万円 + 3百円 7,852千円 (−15.8%) 20年 −24万円 +24万円 + 1百円 3,424千円 (−56.4%) 21年 + 112万円 − 112万円 + 3百円 1,914千円 (−44.1%) 22年 − 182万円 + 182万円 +18百円 5,354千円 (+179.7%) 23年 −72万円 +72万円 +28百円 6,241千円 (+16.6%) 24年 − 126万円 + 126万円 +32百円 5,430千円 (−13.0%) 25年 − 199万円 + 155万円 −44万円 8,155千円 (+50.2%) 99年・・・ビビリながら、ピンで分散短期逆張りで、コツコツと。 〜04年・・資金管理ずさんで、ただの博打の連続〜。 05年・・・サヤ取りとデイトレに特化。 06年・・・やっと資金管理が重要と悟る。 07年・・・04年夏〜07年夏の3年間は有効額右肩上がりでルンルン♪ ルール違反により30%のドローダウン! トレード・ルールの見直しと厳格化を試みる。 08年・・・サヤ取りの従来手法が通用しなくなり、 07年夏の有効額ピークから50%弱のドローダウン! 「デイトレ・システム」と「サヤ取り・システム」を模索するも断念。 09年〜・・商品先物を封印し、225ミニなどチョロっと〜 12年〜・・秋山さんの研究データと私のトレード傾向(癖、嗜好)との マッチングから225ミニ中心に〜 20年4月有効額ピークから21年9月一時92%ドローダウン! 21年7月〜投資対象(CFD)拡大し、一時有効額518%アップ 23年12月有効額ピークから24年8月一時68%のドローダウン! | ||
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