先物日記(2003年5月〜8月)

最新の日記へ戻る



2003年8月31日

最近、知り合いとかそのまた知り合いとかで先物屋さんに就職が決まったという人が多い。 一人は小林洋行に決まったらしいし、知り合いも証券に決まったと言ってたが、 良く聞いたら入や萬成証券だった。 当人の人生を考えれば止めた方が良いのかもしれないけど、 先物しか就職が無かったという話を聞くと、どうしたもんかと思ってしまう。 一応、業界の現実というものは説明しておいたが…。



2003年8月27日

ここ何日か、やけに赤々と明るい星があるなと思っていたら、地球に最接近中の火星であった。 これだけ凶々しく光っているのを見ると、昔の人はさぞかし不幸の兆しと恐れおののいた事だろうと思う。



2003年8月26日

消費税の上げは不可避のようだ。国民の多くはそれも仕方が無いと思っているだろうが、 一番の不満は、税率が引き上げられる事ではなくて、 それがどう国家財政に活かされるのかの説明が無いことだと思う。 いい加減に愚民政策は止めてもらいたいものだ。
消費税をいくらに上げれば国債依存の財政体質から脱却し、均衡財政に持って行けるのか?  そのビジョンがちゃんと示されるのなら、税率は30%になったとしても僕は文句は言わない。 ちなみに経団連の試算では、消費税10%程度で20年後の国債依存度をゼロに持って行けるらしいが、 もとよりこれは楽観的な予測だろう。



2003年8月23日

最近ちょっとお腹が出てきたのが気になるので、健康維持のため走る事にした。 とりあえず今日は海まで片道4Kmを往復した。



2003年8月22日

現在使っているLibrettoが少し古くなってきたので、新しいノートパソコンを購入。 色々と検討した結果、レッツノートライトのT2モデルに決定。 B5ノートで1Kg程度の軽さのものをと考えると、選択肢は限られてくる。



2003年8月21日

札幌から新千歳空港までのバスが渋滞に巻き込まれ、飛行機の出発5分前にカウンターに着いた。 本当はもう乗れない所を、何とか席があったので乗せてもらった。

飛行機では後ろの席に座った子供が騒いでいてうんざりした。最近同じような目に良く遭う。 昨日の温泉でも、休憩所で子供が大声を出して喚いているのに両親は何の注意もせず、 連れ出そうともしない。 そういえば先月に関西へ行ったときも、 新幹線の中で子供二人が大きな電子音が鳴るゲームのようなもので遊んでいたのに、 母親は子供をほったらかしにしてデッキでタバコを吸っているという有様である。 公共の場では静かにするという、最低限のマナーくらい躾けて貰いたいものである。



2003年8月20日

気が変わって、定山渓はやめにして、石狩の番屋の湯へ行ってきた。 海を眺めながらの露天風呂はなかなかである。
温泉でゆっくりするのもいいのだが、本音を言えば、そろそろ自宅で休みたい。 今週末は寝て暮らしたいものだ。



2003年8月19日

魚の旨い店に連れて行ってもらった。 今日はおとなしくホテルで資料整理。
明日の夜はフリーになるから定山渓温泉にでも行って来よう。 あー、帰りたくない〜。

相場はやけに順調。しかし旅行や出張であまり相場を見てない時ほど調子が良いというのもどうかと。



2003年8月18日

この涼しさに慣れてしまうと本土へは帰りたくなくなってしまうな。今日は朝から何故か矢鱈と眠たかった。 夜はサッポロビール園でジンギスカンを食ってから、またすすきのへ。



2003年8月17日

昼過ぎに札幌着。今日は移動日なので仕事は無し。 昼間から寿司を食ってビールを飲んだくれて、なかなか退廃的で良い感じである。
踊る大捜査線なんかを観て時間をつぶす。夜は札幌の知り合いとすすきので飲んで終了。



2003年8月16日

久しぶりの休みなので、午前中は溜まっている洗濯物を片付け、午後から天神へ出て買い物。 渡辺通りを歩いてたらオリエント貿易の本社を発見。隣に東京ゼネラルの本社も発見。
売買報告書を整理するファイルが足りなくなってきたので丸善の文房コーナーで購入。 家に帰ってから整理を始めたのだが、とうとうファイルが30冊になってしまった。
夜はCDをかけながらゆっくりと風呂に入って休日を満喫したのだが、 明日から今度は北海道へ出張である。最近、疲れが溜まっている気がする。



2003年8月15日

NYで大規模停電だそうだ。もし破壊工作によるものだとしたら、 ほとんど高村薫の「黄金を抱いて翔べ」の世界だなぁ。



2003年8月14日

出張中であまり相場を見られないが、油の鞘と売りのおかげで、えらく値洗いが増えている。 あとは銀が下げてくれれば言うこと無いのだが。



2003年8月12日

徳島は町中が阿波踊りに浮かれているようだ。 阿波踊りを見ながら徳島の町をウロウロしてるうちに、地元の看護婦さんと知り合いになった。



2003年8月10日

志布志から南下して佐多岬の方面へ。 時間的に少し不安があったので最南端までは行けなかった (後から考えると時間は取れたのだが)。 鹿児島湾をはさんで向かいに見える開聞岳が美しい。 そこから湾岸沿いに北上して、フェリーで垂水から鹿児島市まで移動。 今日は台風が過ぎた後の晴天で、今まで何回か鹿児島へは来ているのだが、 初めて桜島の全容を見る事ができた。
時間がまだあったので今度は薩南半島を南下。 喜入の石油備蓄基地を横目に見つつ、池田湖へ到着。 すぐ傍の開聞岳との対比が何か不思議な雰囲気を醸し出している。 もう一日あれば登りたかったが、今回は土日だけの強行軍だから仕方が無いか。 帰りは鹿児島市まで指宿スカイラインを飛ばした。 この道路は、山の尾根沿いを走るような感じで鹿児島湾への眺望が素晴らしく良い。 スカイラインという名称に相応しく、空中を走っているようだ。

西鹿児島駅で少し時間があったので近くの古本屋を覗いていたら、 津本陽の「最後の相場師」を発見、購入。行きと同じく特急つばめで福岡へ。 なかなか濃い週末であった。明後日からは徳島へ出張である。



2003年8月9日

最近ようやく多忙なのも一段落し、週末も休めるようになったので、ちょっと旅行に行く事にした。 行き先は鹿児島県。
朝、特急つばめに乗って正午に西鹿児島着。そこからレンタカーを借り、 志布志へ(石油の備蓄状況を視察、というわけではない)。 そこから宮崎県に少し入り串間温泉へ。アルカリ性特有のヌルヌルした泉質で、 肌に良さそうな感じ。そこから都井岬へ行ってから寿司を食って、志布志へ戻って一泊。



2003年8月8日

相場技研がアクセス過多で専用サーバーに移行しなければならなくなった。 初期投資に15万円、維持費が年間30万円ほどかかりそうである。 ただ、専用サーバーにすれば容量がほぼ無尽蔵に確保できるので、 商品関係の過去データを全て網羅して閲覧できるようにしたり、 相場関係のドメインでも取ってHPスペースの再販事業なんかも出来るようになる。



2003年8月7日

昨日の夕方から、うちに先物三段さんが遊びに来ている。 色々と建ち玉管理のエクセルファイルを見せてもらった。 あのマメさはちょっと真似できないな。

WTI下落で久しぶりに目覚めが良い。



2003年8月5日

テレビ朝日の「ビンボーバトル」に出演しませんかというメールが来た。 ボロアパートに住んで、 収入のうち最低限の生活費以外を全て先物につぎ込んでいた昔の日記を見て連絡をくれたらしいが、 現在は普通のマンションに住んで普通の暮らしをしているので、お断りした。
あと、某雑誌の、デフレを生き抜く個人がどうのという特集に出る事になるかもしれない。 これで少しは先物の社会的認知度が上がれば良いのだけど。

今月は徳島と北海道への出張が決まった。



2003年8月4日

来年度内定予定者の研修で長崎へ行ってきた。 実際にどういう事をやるのかといった説明もしたが、ほとんど親睦会である。 麻雀できる奴が何人かいたので、当然のように卓が立ったが、 今の若者の世代では麻雀文化は廃れていると思っていたので少し意外。
帰りにグラバー園を見学。グラバー氏もいい所に住んでたもんだ。



2003年7月27日

晩飯の材料を買いに出かけたら筥崎宮でお祭りをやっていたので寄ってみた。 祭りに来ている家族連れとかを見てると、先物の世界とは対極にあると感じる。 自分はもう、相場に魅入られてしまった人間なので、 相場のためなら家庭なんてものは要らないと思う。 最後に野垂れ死ぬのは自分ひとりで十分であると思っているのだが、友人には、 おまえはいつか野垂れ死ぬとか言いながら、 のうのうと90歳くらいまで生き延びて周りに迷惑をかけそうだと言われている。 話は戻るが、成行きで家庭が出来てしまえばそれはそれで仕方が無いけど、 今のペースで仕事と相場にエネルギーを使ったら、後には大して残らないな。



2003年7月24日

週明けから非常に忙しい。やっと一段落した。
雨がちで鬱陶しい。ガソリンの下げ要因と思えば嬉しくもあるのだが、 職場の同僚で、実家がブドウ農園の人がいるのだけど、 梅雨が長引くとブドウが不味くなって困ると言っていた。
ここ数日の相場の順行で、ようやく資金を3月中旬の状態まで戻すことができた。 年初からの利益率は70%を越えているし、今年はもう止めにしてもいいのだが、 もちろん止めにするはずも無い。でもポジションは少し控えめにしようかな。
1月〜3月中旬までは絶好調で、今思うとFT杯は丁度良い時期に開催されたという事になる。



2003年7月21日

心斎橋でぶらぶら。東急ハンズで今話題のテンピュール枕を試してみた。 沈み込む感じが素晴らしいね。 買うかどうか迷うところだが、その前に、 床に座布団を3つ並べただけで寝ている現状を何とかするのが先かもしれない。 ベッドは既に物置状態になっている。
新幹線で福岡へ帰ってきたら、地下街へのエスカレーターの修理をしていた。 水没したんだっけ。



2003年7月20日

近くに太子温泉という温泉があるので行ってみた。 露天風呂があってなかなか良かった。近所の人が日常的に入りに来ているような雰囲気である。 また来よう。



2003年7月19日

大阪に滞在。めちゃくちゃ久しぶりにカラオケへ連れて行かれた。 九州へ来てからほとんどテレビを見なくなったので、最近の歌はあまり良く知らない。
このあたりのガソリンスタンドはレギュラー89円くらいが相場のようだ。 海上市況がバキュームで強含んでも陸上市況がこれでは、 8月の仕切りUPは不発に終わるかもしれないなぁ。
なんだか九州は集中豪雨で大変なことになっているようだ。



2003年7月18日

今日は京都へ出て、昔の職場へ挨拶に行った。 夜は昔はいつもやっていたように麻雀を。 懐かしい面子と卓を囲むことができて楽しかった。



2003年7月17日

大阪へ遊びに行った。
新幹線の前の方の席で子供が二人、座席の上に立ってふざけたり、 奇声を上げて騒いだり、大きな電子音の出るゲームのようなもので遊んでいたりしたのだが、 母親は注意もせず、ほったらかしてデッキで煙草を吸ったり携帯をかけたりしていた。
最低限の公共マナーくらいは躾けてもらいたいものだ。



2003年7月16日

あー、コーンと大豆は駄目だな。いったん投げ投げ。
それにしても、油が調子が良いとゴムでやられ、ゴムが調子が良いと穀物でやられ、全然資金が増えん。 実のところ3月から4月にかけてガソ5限買い灯油6・7限売りで資金を三分の一ほど飛ばしてしまい、 ようやくあと100万円ほどで当時の資金に戻せるところまで来たのだけど、 足踏み状態で最後の一歩が出ない。 先月の中頃にもあと50万円の所まで行ったのだが、ガソリンの売りのせいで後退してしまった。 石油の鞘が少し動いてくれるだけでいいんだけどねぇ。



2003年7月15日

新しいパソコンを組んだのだが、ファンが一つ足りない事が判明。明日買ってこよう。
ノートパソコンも、そろそろ新しいのを買おう。 昔からLibretto一筋なんだけど、次はどうしようかなー。
オーストラリアへ持って行ったトラベラーズチェックが少し余っているので、 日本円に両替しないといけない。 円→AU$にしたのが今月2日くらいでレートは81円くらい。今は77円。 見事なまでの天井買いである。



2003年7月14日

寿司を食いに行った。日本のダシの旨みが外国の食事には無いんだよなぁ、とお吸い物を飲んで思う。

石油関係が一段落してきたので、今日から穀物系に本格参入してみた。 前から1枚とか2枚とか建てながら様子を見ていたのだが、そろそろ良い感じである。 アラビカ、ロブスタ、コーン、大豆、どれかは花が咲いて欲しいものだが。
ただ、自分の過去の売買を集計してみると、穀物系は全利益の約2%にしか貢献していない。 やっぱり相性が良くないね。
ちなみに、ゴム系は約50%、石油関係が約40%、金属・貴金属関係が約10%、 その他がマイナス4%というところである。



2003年7月12日

早朝にシドニー・キングスフォード空港を出発。夕方に成田着。 飛行機を降りた途端に、なんじゃこの蒸し暑さは〜と叫びたくなった。
成田から福岡へも飛行機で、夜の11時ごろにようやく自宅に到着。



2003年7月11日

午前中で仕事は全て終わったので、昼からまず、国立海洋博物館へ。
その後はショッピング。カンガルーのぬいぐるみとか、洋書とか、ジャンバーとか、ガラス製品とか、 オパールとか、オーストラリアワインとかを買い込んだら手持ちの現金が全部無くなってしまった。 物価が高いのも困りもの。
夜はロックスでイタリアンを食って、最後の締めはやはりパブへ行ってカスケード (オーストラリアビール)を飲んでホテルへ帰った。
オーストラリア人の仕事関係の知り合いも出来たし、こちらでの就職を考えてしまうなぁ。



2003年7月10日

今日も朝からミーティングで、午後から少し長めのプレゼンをやった。 英語はでたらめだけど気合でカバー。基本的には専門用語+簡単な英語で何とかなるのだが、 補足説明をアドリブで入れたりとかするには更なる改善が必要だと実感している。 日本に帰ったら英会話学校にでも行こうかな。
オーストラリアの人は、こちらの英語が下手でも好意的に接してくれるので非常に嬉しい。 英語が下手というだけで軽蔑して馬鹿にするような態度を取るアメリカ人とは大違いである。
夜はギリシャ料理を食いに行って、その後、パブでVBとトゥーイーズ(オーストラリアビール)とワインを飲んでおしまい。 明後日には帰るのかと思うと寂しい。
オーストラリアの女の子はあんまり可愛くも美人でもないね。 やはりどうしても野暮ったい感じがする。



2003年7月9日

昨日まで楽をさせてもらったのんで、今日は交代ということで、 朝から晩までミーティングに出たり打ち合わせしたりで、どこへも行かず。
だんだんとオーストラリア人の性格がわかってきた。 何となく大雑把で洗練されていない。良く言えばおおらかな性格。 他人にはとにかく親切で、それでいて押し付けがましくない。 人々はみな気さくで穏やかで、人間の善意を信じて生きているような印象を受ける。
相場の方は、ガソリン売りとゴム買いのおかげでかなり利が増えているようだが、 どこか遠い世界の出来事に感じる。



2003年7月8日

今日も仕事は3時で終了して(というか、一緒に来てる人に押し付けて)、 シドニーの街に散歩に出た。自分の金で来てるわけでもないのに、こんなんでいいのだろうか?と思わなくもない。
ハーバーブリッジを渡ってタロンガ動物園まで歩いてみた。 途中で色々と道に迷ってしまったので、着いた頃には営業が終了していた。 ハーバーブリッジの橋脚のあたりから住宅街を上の方に歩いて行ったのだが、 上に行けば行くほど家は高級になり、車もベンツやBMWになり(ふもとの方はトヨタやスズキやヒュンダイばかり)、 白人しか見掛けなくなった。 怪しい東洋人がウロウロしていると通報されなくて良かったかも。
晩飯はシーフードの店に行ったのだが、なかなか美味くて昨日の痛手が少し癒された。 その後、パブでギネスを一杯飲んで本日はおしまい。 それにしても相変わらず英語力の無さは課題である。



2003年7月7日

オーストラリアは、一言で言うならば、地球規模の田舎である。 存在をアピールし続けなければ世界から忘れ去られてしまうのではないかという強迫観念が社会に底流しているように思う。 常に新しい血を外部に求めることによって新鮮さを保とうとしているのかもしれない。 実際、オーストラリアで働くつもりはないかと尋ねられた。それもいいかも。
今日は3時頃には用事が済んだので、Hyde Park から Royal Botanic Gardens(王立植物園)を散歩して Darling Harbour へ帰ってきた。 植物園の芝生に寝転びながら黄昏時のオペラハウスとハーバーブリッジを眺めていると、 何ともいえず安楽な気分になって、体の緊張がほぐれていくのが実感できる。 日本に帰ればまたストレスだらけの Duty に追われる生活が待っていると思うと、帰りたくなくなってしまう。 せめて最後に1日オフの日を取って、日曜日に帰ることにすれば良かったと思う。 でも出張費の関係で、プライベートの為に滞在を伸ばすのは色々と難しい。
夕飯まで時間があったのでシドニー水族館へ。Long finnel eel という長くてでかい魚(鰻の仲間?) が、やる気が無さそうにボケーっとしていて、たまに欠伸をするのを、こっちもボケーっと眺めていた。 疲れているのを少し自覚。
晩飯はアジアン料理の店に行ったのだが、不味くて失敗。 オーストラリアは料理という点では駄目だね。 その点、中華とイタリアンはどこへ行っても外れはないと思う。
あと、オーストラリアはチップの習慣があるのが少々鬱陶しい。でも、機械的に10%ほど上乗せしておけば良いようだ。



2003年7月6日

早朝、シドニー着。 運良く隣の席が空いていたため、2席使って傍若無人に熟睡した。 目が覚めたら着陸10分前で、地上を見ると湖沼地帯と赤い屋根の住宅地が溶け合っていて不思議な光景である。
空港に着いて外に出ると、雲一つ無い青空。日差しがきつい。 オゾンホールの影響で紫外線が強いので、サングラスは必需品だそうだ。 気温は日本の晩秋といった感じで、思ったほどには寒くない。 ホテルは Darling Harbour の付近に取った。 綺麗過ぎるというのが街の印象。ビルも全て美しくデザインされているように思う。 建設中のビルを見ると、地震が無いせいか、鉄骨が細い。
今回は観光目的じゃないので全然下調べなんかをしてこなかったが、早くも後悔している。 何とか時間を作って街を歩き回りたくなった。 訪問先に下見に行ったら、受付の人に、聞いてないと言われて一悶着。 結局は向こうの手違いであったが…。
その後、出張に一緒に来ている人とチャイナタウンで飯を食い、 パブでVB(Victoria Bitter:オーストラリアの旨いビール、微妙な甘みが結構特徴的)を飲みながら明日以降の打ち合わせ。 飲んだ後、Darling Harbour の夜景を眺めながら一服したかったのだが、 喫煙には非常に厳しいと聞いていたので止めにした。 タバコ自体の値段も、日本とは比較にならないくらい高い。 全体的にも、シドニーはかなり物価が高い(と感じるのは豪ドルが高値を追っているせいだろう)。 それにしても、英語圏は言語の面でストレスを感じなくて済むので非常に楽である。



2003年7月4日

さて、明日からオーストラリアへ出張である。
向こうは冬だから暖かい服装で行かなければ。 ETASも取ったし、トラベラーズチェックも買ったし、 パソコン用の変換コンセントも買ったし、忘れ物は無いだろうなぁ。
建ち玉もいくらか整理して余裕を持たせたので、よもや強制決済という事態は無いと思う。 向こうで夜にでもネットに繋げられればいいんだけど。



2003年6月26日

相場は一進一退だな〜。そろそろ油が下げてくれると嬉しいが。
銀行に積み上がっていたお金をまた商品の口座に入れてしまった。 オーストラリアに行っている間にもし油に臨増しがかかったら、不足になっちゃうからね。



2003年6月23日

ぬぉ〜、今日は車一台分くらいやられたなー。 石油の鞘と売り越し分だけでこんなにマイナスになる筈ないのにと思ってよく確認したら、 白金とニッケルとゴムとゴム指数の逆行分を足して計算が合った。 今月初めの状態に逆戻り。

福岡一家殺害事件って、うちのすごい近くだ。1Kmくらいしか離れてない。 犯人が手錠を買ったという量販店はたぶん3号線沿いのドンキホーテのことだろう。 最近よく気分転換に、名島城から香椎かもめ大橋を渡って箱崎埠頭へ、 というルートを自転車で走っているのだけど、 死体発見現場の貯木場は香椎かもめ大橋の真下だったりする。

シドニー出張の準備がまだ出来上がっていない。早く何とかしないと。 久しぶりの海外だけど、英語でプレゼン&打ち合わせというのが非常に気が重い。



2003年6月20日

順調に資金は増えているが、相変わらず疲れる相場である。
それにしても、石油、下がってくれんかなぁ。NYは暴騰しているが…。 ちょっとガソの12月限を売り過ぎてしまったかもしれん。 一限月に30枚以上も建てちゃうと、鞘が動いただけで月給分は変わるからねぇ。 エクセルの玉帖をプリントアウトして、月曜日の作戦を考え中。
油が一段落したら本格的にコーヒー指数に参入したいと思っている。ゴム指数にも復帰したい。

福岡に来てから給料は上がったのに、生活費は家賃+食費+光熱費+その他で月15万円もかからないから、 銀行に積み上がっていく一方。 しかし相場の方でリスクを多めに取れば、実際には入金しなくても入金したのと変わらない。
今まで相場の儲けを全く実生活に反映させてこなかったから、 これで全部相場で無くしてしまったら、空しさが残るだけだろうなと思う。 せめて、旨いもんでも食うように努めないと。 と思いつつ、今日もスーパーのタイムサービスを漁りに…。

自転車を盗まれてブルーである。自転車がないと、海を見に行けないじゃないか。



2003年6月15日

梅田の地下街のロイスカフェシノアっていう中国風のオープンカフェ (地下街でオープンカフェというのも変だけど)で食べたケーキが美味かった。 甘いものは生活を豊かにすると思う。相場もこれくらい甘ければいいんだけど。



2003年6月13日

相場技研の打ち合わせで大阪へ。 電車の中で女の子たちが「なんでやねん」とか「あんた、アホやな」とか普通に言ってるのを聞くと、 関西に帰ってきたなと思う。住んでた時は関西弁なんかは全く意識しなかったのに。



2003年6月11日

「マトリックス・リローデット」を観た。 うーむ。とりあえず次回作を観ろという事なんだろう。 だんだんと話が風の谷のナウシカっぽくなってきた(漫画の方ね)。 最後にマトリックスをどうするかが問題で、 ナウシカの方は、新時代の人間の卵を破壊して終わったんだが…。 それにしても、仮想現実内の物理法則なんかはOSとして組み込まれるのが普通だと考えると、 空を飛ぶのはやり過ぎのような気がする。 双子の白ずくめのキャラがいい味を出している。
飛行機まで時間があったので、何かと有名なラーメン五丈原へ行ってみた。 繊細な味でなかなか美味しいとは思うけど、九州のこってりトンコツに慣れた舌でいきなり食べると、 少し上品過ぎるような感じである。
福岡空港へ着いた途端に、湿度と暑さで汗が吹き出てきた。もう梅雨入りなんだねぇ。



2003年6月10日

妹に牧場へ連れて行ってもらい、牛とか馬とか羊とかヤギとかを見せてもらった (妹は北海道で酪農関係をやっている)。
札幌近郊の丘陵地帯の景色を眺めると、昔、イギリスに住んでいたのを思い出してしまう。 雰囲気がよく似ているね。
夕方からは、石狩温泉へ行ったら休みであった。仕方がないので、しばらくボケーっと海を眺め、 篠路の温泉へ行って札幌へ戻ってきた。
夜はすすきので妹に飯を奢って散財。



2003年6月9日

子羊の喉肉のパン粉焼きが、舌の上でとろけるように柔らかくて極楽。
飯を食いながら話をしていると、自然と話題は低迷する北海道経済の現状についてという事になってしまうのだが、 最近になってようやく改善の兆しが見えてきたと言っていた。 福岡もそんなに悪い感じはしないし、関西圏の落ち込みだけが目立つ展開になってきたようだ。 実際、大阪の町を歩いていても、何となく陰鬱な感じがするし。



2003年6月8日

やって来ました北海道! 北海道はでっかいどう、なんてCMがそういえばあったね。 いやぁ懐かしい。久し振りである。
昔は上士幌に気球に乗りに来たり、ドライブに来たり、温泉に来たり、 毎年のように遊びに来たものだが、ここ数年は来てなかったからねー。 福岡から北海道へ、飛行機だと日本は狭いぜ。
明日は仕事があるが、明後日の午後から明々後日の夕方まで自由な時間がある。 さぁどこへ行こうかな? 温泉、それにカニだな。
今日はよさこいソーラン祭の最終日ということで、えらい人であった。 ヤンキーの祭というのが僕のイメージなのだけど、中にはかなり練習したと思われるグループもあり、 少し認識を改めた。
それにしても、出張中しかゆっくり休めないというのもどうかと思う。



2003年6月4日

大分に住んでいる方からメールで、磯釣りに誘って頂いた。 しばらく僕の方が忙しいので秋にということになったが、 かなり楽しみ♪ よろしくお願いします。



2003年5月31日

相場をやってなければ、どれだけ心安らかに生活できたかわからない。 自分は何のために相場を張っているのだろうかと思う。 何年かかるかわからないが、とりあえず目標は1億である。 しかし1億取っても、1千万がかつてそうであったように、おそらくそれはただの通過点でしかないだろう。 この、常に金を増やし続けなければならないという脅迫観念のようなもの。 これは何なんだろうか。
普段は特に何とも感じないのだが、仕事のほうも追い詰められてくると、 相場との両立には疲労を感じることがある。 そういう時は海を見に行く。京都に住んでいたときは、それが鴨川であり、 大文字山の山頂であり、植物園であり、真如堂や下鴨神社であったのだが、 海はそれらを全て合わせた以上に疲れを癒してくれる。来月も頑張ろうという気になる。

名古屋の知り合いに、うちへ来ないかと誘いを受けた。ありがたい話なんだけど、 福岡へ来てすぐにまた他へ移るというのも義理にかけるし、断ることにした。 給料も今より下がるし。 ただし、近畿地方に戻るというのは諸処の事情で心を動かされなくも無い。 これが名古屋じゃなくて大阪なら少し悩んだかも。



2003年5月30日

今月は何だか非常に苦しい相場であった。 最終的には300万弱ほどは増えたのでいいといえばいいのだが、 満玉近くまで資金を投入して取れないところを無理やりぶん取ったという感じで、 たとえ鞘取りでも建ち玉余力が無くなって来ると精神的にもまいる。
油関係に引っ掛かってたせいでゴム指数売り−東京ゴム買いに全力投球できなかったのが悔やまれる。
それにしても、相変わらずガソリンの逆鞘が拡大しないと幸せになれないポジションである。 ガソリン暴落前の有効額にはまだいくらか足りない。大きくヤラれると取り返すのが大変だ。



2003年5月27日

ゴム指数売り−東京ゴム買いを今日であらかた利食い。 今回のこの鞘取りは近年まれに見るくらい美味しい鞘であったと思う。 その割には100ちょっとしか取れず、自分の思い切りの悪さが情けない。



2003年5月25日

一日、京都で遊ぶ。夜には福岡へ。



2003年5月24日

旭屋で鍋島高明「相場師異聞」を購入。 次に駅前第一ビルの古本屋で種村季弘「ペテン師列伝」を見つけ、即購入。 この本はもう絶版だと思っていたのだが、後で調べたら最近になって岩波から出てるらしい。 もしかして何気に種村季弘はブームなのだろうか。
夕方からミスドにこもって本を読んだり資料整理。胃がもたれた。



2003年5月23日

大阪で、WヒロchanHPの洋士さんと相場技研について打ち合わせ。 相場技研のコンセプト(目標とするところ、イメージ、理念、など何でもいいが) をもっと明確にした方が良いだろうという話になる。



2003年5月22日

京都で古い友人と焼き鳥を食った。 福岡〜京都は思ったほどには遠くないというのが最近の印象である。 独身生活だからできることではあるが。



2003年5月17日

気分転換に自転車で付近を探索。 しばらく走っていると海岸沿いに神社を発見。 名島神社といって、小早川隆景が築いた名島城の跡地だそうだ。
後に黒田長政が筑前に入り、福岡城を築城の際に石垣を壊して建築資材としたため廃城となったらしい。 名島城の場合は手狭だったということもあるが、全般的に日本の戦国大名は、 新しい土地を支配すると、前の支配者の城をとことん破壊する傾向にあるようだ。 それだけ城というものがアイデンティティーの一つであったということなのだろう。
近くの海岸には、珪化木の化石(神功皇后が三韓出兵の折使った船の帆柱が石になったという伝説がある)や、 神功皇后が腰掛けたという石があった。



2003年5月16日

なんか、車に当てられてから首が痛む。急いでいたので相手の住所も確認してない。
来月上旬に北海道へ出張が決まった。地方へ来たのに逆に全国区になってる気がする。
相場は順調。ジクソーパズルの欠けてるピースがカチッとはまった感じがする。 年初来はまぁまぁのプラスなのだが、3月の油の大天井の時の有効額にはまだまだ届かない。 その後ガラガラと崩壊したから、所詮は絵に描いた餅だったけどね。



2003年5月13日

雨の中、自転車で走っていたら自動車と交通事故に。 幸い、擦過傷と打撲傷だけで済んだ。 事故った瞬間、車に当たるは相場が当たるで、 それはそれで悪くは無いと思ってしまったのが自分でもおかしい。
7月の始めにシドニーへ行かなければならないので航空券を買いに行った。 色々と調べて、JALの早割り悟空というのが安かったのでネットで予約。 座席まで指定できる。 往復でたった8万円。良い時代になったものだ。



2003年5月12日

最近、足踏み状態でなかなか儲からん。 値洗いだけは何十万かは毎日動いてるんだけどねぇ。



2003年5月8日

福岡へ帰ってきた。 帰りの電車のなかで暇だったので、西鹿児島駅近くの古本屋で買った高杉良「懲戒解雇」 と門田泰明「白い野望」を読んだ。
家に着いて、さっそく出掛けにクラッシュしたパソコンに取り組む。 1時間ほど色々といじってようやく原因が発覚。 ビデオカードを取り付ける際に少し歪んで取り付けていたのが原因で、 徐々に接触不良になっていたようだ。 結局、マザーボードとケースがキッチリ合ってなかったということなので、 カードが歪まないようにマザーボードを取り付けなおし、 CMOSをクリアしたら正常に立ち上がった。



2003年5月7日

午後から鹿児島観光ということで仙厳園(島津家旧宅)を案内してもらった。 鹿児島は、何年か前にも旅行で来たことがあるので結構懐かしい。 それにしても、生えてる植物からして別世界である。 夜は焼酎を飲みまくりで、まるで遊びに来たのかと錯覚するほど。

九州に来て感じるのは、九州は福岡を首都とする九州王国なんだということである。 大阪という町は独特の独立精神があるのだが、コンプレックスとまでは言わないが、 やはり東京を意識しているところがある。 それとは対照的に、九州にとっては九州が全てで、福岡が首都であり、 福岡人でさえ九州しか見ていない気がする。
ところが今回、鹿児島に来て思ったのは、 九州の中で鹿児島だけが東京の方を向いているということだ。 これは九州の中での孤立した地理条件、鎌倉時代から幕末までの歴史的な経緯、 中国や南方との交流などが影響しているのだろうけれども、 雄大な桜島を毎日眺めていれば気宇壮大な精神風土が醸成されるのも分かる気がする。
鹿児島のお土産に薩摩切子の品を何か買って行こうと思ったのだが、 余りの高価さに断念した。



2003年5月6日

朝、書類の作成が終わった直後にパソコンがクラッシュした。 BIOS画面すら出ない。こりゃ電源周りかマザーボードが飛んだかも…。
一応、ノートもあるし、相場技研関係は関西へ行く前にポータブルHDDにバックアップしていたし、 相場技研関係のメールは他のスタッフにも転送されるようになっているので管理上の問題はあまり無いが、 相場関係の最近のデータが入っていたのが痛い。何とかHDDは無事でいてほしいものだ。
それにしても大事な書類の作成前か作成中だったらと思うとゾッとする。 時間が無いのでパソコンはとりあえず放置して、職場へ顔を出して書類を提出。 その足で博多から特急つばめで鹿児島出張。 思えば遠くへ来たもんだ。天文館のホテルから現在、更新中。 天文館って、なかなかお洒落な地名だ。



2003年5月5日

今日は一日、書類作成。 夜からまたサーバーエラーに取り組む。 何とかエラーログを発見し、覗くと、can't alocate memoryエラーが出ていた。 しかも僕の作ったCGIだけでなく、他の人のCGIにも平等にエラーが起きている。 psで調べると、案の定、メモリの40%がなんだかよくわからないプロセスの暴走で消費されている。 とりあえずサーバーの管理会社へ問い合わせてみた。
何となくオールCGIで作ってしまったが、 この重さを考えるとphpで出来る部分は作り変えていくべきなのかもしれない。 出張が終わったら手を付けよう。それにしても、いつまで経っても楽にならん。



2003年5月4日

会員ページで原因不明のサーバーエラーが頻発している。 デバッグしようにも何しろ20回に一回くらいしか発生しないし、 どのCGIにもまんべんなく起こるので、いまいちやりようが無い。 エラーログを見ようと思ったが、Apacheでは普通に置いてあるべき所に見当たらず、 困ってしまった。夜までこの調子で時間が潰れた。
夜、最終新幹線で福岡へ。 博多駅の近くのコンビニでちょっと漫画を立ち読みしていたら、 JRも地下鉄も終電が無くなってしまった。 0時過ぎに電車が終わってしまうというのは、いくらなんでも早すぎると思う。 仕方が無いので小雨の中、家まで歩いて帰った。

曲庵さんがサイト更新を停止するらしい。まぁ、気持ちはわかるけど。 ネット上に売買を書いて曲り始めると、何だか書き続ける限り永遠に曲り続けるような気分になるし、 そんな事はないと頭では分かってはいても、狙われているような感じがしてしまうんだよね。



2003年5月3日

最近、空いてる時間は全て相場技研に注ぎ込んでいたので、 久しぶりに遊ぶことにした。 京都へ出かけて友人とバーベキューをやり、 夕方から別の友人と酒を飲み飲み近況を語り合った。 よい一日である。



2003年5月2日

相場技研の打ち合わせで関西へ。 新幹線だとあっという間である。
大阪で、スタッフと執筆者の何人かで集まって、 飯を食いながら操作方法の説明をした。



TopPageへ