先物日記(2007年5月〜8月)

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2007年8月31日

モーニングで連載している「へうげもの」がなかなか面白い。単行本を購入。 主人公の古田織部は飄々としたキャラクターで描かれているが、 最後は切腹させられるわけで、どのように持って行くのか興味が尽きない。

夕方から岸和田のアウトレットモールに出掛けてみた。映画館も飲食店もあるし、 一日時間を潰せるなぁ。今度またゆっくり来よう。 車は何かクラッチの繋がる位置が変化してきたような気がする。 乗り方が悪いのかもしれない。気をつけよう。

8月の収支はマイナス14.5%、マイナス4800万であった。 結局今年は、1月に+1200万、2月に+4500万、3月に+400万、 4月に−800万、5月に+500万、6月に−3200万、7月に+2700万、8月に−4800万で、 累計して500万しか儲かってない。一日で吹っ飛ぶような利益である。 何か根本的に考えなければならないのは明白である。 インフレヘッジとマーケットニュートラルを維持する戦略は間違ってないと思うが、 価格変動をスイングで取るという手法はやはりリスクとリターンのバランスが悪過ぎるな。 年間で資産を倍にしていくような手法には成り得ないような気がしてきた。 かといって、最近のクラックのように相場観を入れると曲がるし、難しい。



2007年8月30日

クラックが逆行でマイナス1000万。ちょっと大手が売っただけでダダ下がりする酷い相場だ。 もはや付いた値段に意味など無い。ただの出鱈目である。

旅の疲れが出たのか、一日中寝ていた。おかげで売買チャンスをいくらか逃してしまった。



2007年8月29日

午後から岡地大阪支店に顔を出した。クラックをいくらか落とし、引けにかけてまた少し仕掛けた。 マイナス1000万。

ビーちゃんと待ち合わせて中村の土地の売り主さんと会った。 売り主さんと会う前にビーちゃんに登記簿や公図を見せてもらったのだが、 後々問題になりそうな点も無いとは言えないが、その可能性も含めて何とかなると判断した。 まず、公図が明治時代のもので、購入予定の土地と公図上の土地の広さや形や位置関係が全然違っているが、 該当の地番の土地を購入しておけば、 隣接地の所有関係などから目的の土地を所有する権原となるであろうこと、更に、 一方の隣接地は持ち主が不明で公図を見てもどの地番と隣接しているのかさっぱり分からないのだが (公図自体が子供の落書きのようなものであった)、どちらにしても、 あと数年で時効取得が成立すると考えられること、等から問題が起きる可能性は少ないと思われる。 万が一、隣接地と問題が発生しても、いくらか出して買い取りで対処できると思う。 売り主さんとの会談も問題なく終了。もともとは色々と疑問点もあったが、 実際に会って話を聞いてみると全て納得が行った。

売り主さんと別れた後、彼女が梅田に出てきていたので合流し、十三でビーちゃんと3人で飯を食った。



2007年8月28日

一日、DVDを見たり昼寝をしたりして過ごした。 朝、昼、夕と船のグリルへ出かけて食事。 相場は気になるが、ネットに繋がらないのではどうしようもない。 能登半島沖を通過したあたりで携帯のアンテナが立ったので、 獣ちゃんに電話して様子を聞いたところ、どうやら大きく順行しているようだ。
20時半に敦賀港に到着。特急で大阪へ。車内でネットに繋いで集計してみたところ、 今日は2500万ほど順行したようである。

愛知県の女性拉致殺害事件、人間とは思えぬ所業だな。 犯行を計画してる時に、3人のうち一人でも躊躇を感じなかったのだろうか。 こんな奴らが人間の姿をしている事には空恐ろしさを感じる。



2007年8月27日

朝はゆっくり休み、昼前から旭山動物園へ。旭川駅でバスを待つ時点からかなり人が多い。 動物園もかなりの混雑状態であった。しかし平日の月曜日でこの人気だったら、 土曜日とか日曜日はどんだけ混むのか想像がつかない。
旭山動物園は、行動展示といって、動物の見せ方が色々と工夫されており、 楽しんで見学できるようになっている。 柵を登るヒグマ、遊ぶクモザル、色々な角度から見られるサル山、 水の柱を上下に行ったり来たりするアザラシ、 水の中を飛ぶように泳ぐペンギン(を水中の通路から眺められる)、などが特に良かった。
あちこちのスタッフの説明書きも生き生きしていて読んでいて楽しい。 ここは昔は経営不振だったらしいが、現在は、創意工夫が人気に繋がり、 それがまたスタッフのやる気に繋がるという好循環を感じた。

夕方に特急で札幌へ。ラーメン共和国の梅光軒で味噌ラーメンを食い、エスタで土産物を買い、 再び特急に乗って苫小牧へ。苫小牧からバスで苫小牧東港へ。 敦賀行きのフェリーに乗船した。 今までフェリーは2等か2等寝台しか乗ったことがないのだが、 たまには良い部屋に泊まっても良いかと思ってスイートに宿泊した。 広い部屋、海を見渡せる大きな窓、広い風呂、横幅の方が縦よりも長いベッド、 内装はベージュを基本に淡いピンクと白が配置され、落ち着きと華やかさの両方を感じさせる部屋である。 4つのスイートはそれぞれ内装が違うらしく、泊まったのは夏をテーマにした部屋。 出航は23時40分。夜も遅いので、風呂に入って寝た。

今日は勝負所と見て、朝からクラックを新甫で大量に追加した。 午後には動物園で時々パソコンを広げてガンガン増し玉。 本当はもっと仕掛けるつもりだったのだが、途中、原油を48枚分、 売りと買いを間違えている事に気がつき、その処理をしているうちに時間切れになってしまった。 明日は一日中、ネットに繋がらないと思うが、 明後日以降、逆行すれば追加する事にしよう。



2007年8月26日

朝食をたっぷり食べ、いざ東雲湖へ出発。 自分一人なら恐らく白雲山と天望山を縦走して行くのだろうけど、 さすがに行きも帰りも湖畔沿いのルートを選んだ。 ホテルから白雲橋を経由して林の中へ。湖畔沿いを2時間ほど歩き、 最後に少し小高い丘を越え、笹の茂みをかき分けて東雲湖の岸に到着した。 東雲湖の近くまでは薄暗い森の中を歩いていたのだが、湖の周りに出た途端に急に明るくなり、 のどかな別世界のような光景が広がっていた。 途中、ナキウサギの生息地を通ったが、しばらく休みながら耳を澄ましてみたものの、 声もしなければ姿も見えなかった。帰り道でエゾリスは見掛けたが。
しばらく東雲湖に滞在後、再び2時間ほどかけてホテルへ戻り、足湯で疲れを癒した後、 バスで帯広へ。以前、気球の関係で上士幌に良く行ったので、帯広にも何度も来た事がある。 街中を歩いていると、商店街の祭りみたいなのに遭遇。 豚丼バーガー、枝豆、チャーハンなどを食べ、十勝ビールを飲んだら、 運動後なので酔いが良く回る。
デパートで六花亭のお菓子などを買い込み、旭川行きの電車に乗り込んだ。 駅の待合室で、子供が、まりもっこりのもっこりが取れちゃった〜、と叫んでたのにウケた。 富良野線経由で22時前に旭川に到着。居酒屋で晩飯を食べてから宿泊。



2007年8月25日

今日から北海道へ旅行に行く。北海道へは学生時代から数え切れないくらいの回数で訪れているので、 行った事のない地方は日高地方〜襟裳岬のあたりだけである。 今回のターゲットは東雲湖と旭山動物園の予定。
朝6時に起きて伊丹空港へ。11時頃に新千歳空港に到着した。 今から思うと帯広空港にしておけば良かったが、 目的地を決める前に飛行機のチケットを取ってしまったので仕方が無い。 それにしても、思ったほどは涼しくない。それでも大阪よりはよほど過ごし易いが。 まずは特急で新得へ。そこからバスに乗り、3時過ぎに然別湖に到着した。 然別湖に来るのは3回目だが、宿泊するのは初めてである。
ホテルにチェックインした後、シュークリームを食ったり貸しボートに乗ったりしてまったりし、 日が暮れてきたのでホテルの温泉へ。 露天風呂から、徐々に夜の帳が下り、月の光が湖面に反映する幻想的な風景を眺めることができた。 風呂の後は、部屋から湖を一望に見渡しながらオショロコマの塩焼き、サクラマスの刺身、 その他の豪華な食事をいただいた。
深夜3時ごろに起こされて外を見ると、既に月も沈み、満天の星空であった。 人工の灯りは一切無く、天望山の黒いシルエットのすぐ上にオリオン座が燦然と輝いていた。 これを見ただけでも、ここに泊まった甲斐があるというものである。



2007年8月24日

クラックが酷い事になっている。 ただ、鞘の形自体はようやく自分のイメージに合ってきたので、自由度は大きくなったように思う。
しかしこのクラックの水準であるが、こんな状態が修正されずにずっと続くようなら、 商品先物には、もはや未練は無い。 現物と関係の無い動きをするならば、それは株式と変わらず、敢えて商品をやる理由も無くなる。 それならそれで、気分良く止められるというものだ。

溜まっていた仕事二件をようやくの事で片付け、 何とか無事に、夏期休暇と有給休暇を合わせて来週一杯休みを取る事ができた。 夕方から関西へ移動。



2007年8月23日

久しぶりに順行した。しかし一日中仕事で、相場は2時位に30分ほど見ただけだが。
それにしても、たぶん、芳名録と見比べれば、 見る人が見れば自分のポジションは丸分かりだろうと思う。 出目のろっぽさんにも、この前20枚ずつポンポン出してたの秋ちゃんか?と言われたし。
もともと曲がり屋に向かったり当たり屋に乗ったりするような売買をするつもりは無いし、 ポジションを分散して隠すような事もするつもりはない。 そもそも兼業なので細かく注文を分割して出すような時間も無い。 向かうなら好きにすれば良いが、自分が商品から撤退したら提灯筋も一緒に消滅するから、 向かう側にとっても長い目で見ればあまり得策ではないと思うのだが。



2007年8月22日

11日連続逆行。なんか確率を超えた負けぶりになって来た。

仕事のため相場はあまり見られず。



2007年8月21日

10日連続逆行。ピーク(4/18)からのドローダウンは8500万。率にすると25%くらい。 まぁ、やるだけやってみて、駄目だったら身の振り方を考えよう。



2007年8月20日

全てのポジションが逆行、マイナス900万。 今年の収支がとうとうマイナスへ突入してしまった。駄目だもう。 資金がゼロになるまで突っ込むつもりは無いので、どこかで撤退ラインを決めねばならない。 勝ち続ける限り相場を止める事はないので、止める時はすなわち損をした時という事になる。 資産が2億を切ったらさすがに潮時だろう。



2007年8月19日

今日も職場へ。朝から晩まで仕事。



2007年8月18日

仕事が溜まっているので朝から職場へ。 夕方から駅前のイオンシネマへ行き「ベクシル2077日本鎖国」を観た。 うーん、なんだこの、マトリックスとスターウォーズのパクリのような映画は…。 あのミミズみたいなのは漂流教室で見かけたのと似てるぞ。 後はナウシカとか覚悟のススメとかを思い出してしまった。 実際に何かの真似なのかどうかはともかく、せっかくアニメなんだから、 見たことの無い新しい世界観を創って欲しかった。 どこかで見たことあるようなのは要らん。



2007年8月17日

歯医者へ行ってきた。この先生は名医かもしれないなぁ。 看板も小さくて目立たず、雑居ビルの二階にあるのに、非常に繁盛している。 歯茎と顎の痛みに関しては、今は何とも言えないとのこと。 今度、症状が出たらその時に診ましょうという事になった。 問題の親知らずは、微妙に下の歯と噛み合わせがあり、抜くとバランスが変わる可能性があるので、 とりあえずは温存しましょうという事になった。 詰め物の型を取るために少し削ったのだが、いつ麻酔したのか全く気が付かなかった。 魔法のようである。

サブプライムショックに端を発する金融市場の急変により、 ほとんどの銘柄がストップ安がらみで引けた。 今日も1000万のマイナスで、いつの間にか今年のプラスが残り800万になってしまった。 今年は、8000万取って9000万やられ、7000万取り返して5000万やられて現在に至る。 大損してないだけ良いが、途方も無い徒労である。
金融市場の今後であるが、米国の没落は確実だと思うものの、 株や商品が暴落するような恐慌に進展するかというと、その点については懐疑的にならざるを得ない。 米国は今後、金利を下げ、ドル安+インフレ路線で軟着陸させるしか手が無く、 加えて、世界的な経済成長による流動性の供給も依然として続くと思われるので、結局は、 莫大な資金が信用のならない投資対象の間を右往左往するという構図が続くと思われる。 そうなると最終的には、人類にとって普遍的な価値を持つ商品相場に資金が流れると思う。

夜は片町へ。為替の話になり、女の子に、実はユーロを買っていて10万円くらいマイナスになってるんだけど、 今後どうなるのか、と聞かれた。 お客さんに勧められて証拠金取引を始め、スワップ狙いで1万ユーロ買ったようである。 買ったのが8月13日で164円くらい。その頃には既にサブプライム問題が表面化しており、 そんな日に買うなんてセンスが悪過ぎるのと、 本人がどの程度のリスクを取っているのか全く把握していないこと、 ホームトレードの注文の仕方も分かってない(お客さんに注文してもらったようだ)こと等を考え合わせ、 もしやるなら十分に勉強してからやれば良いし、今後上がるか下がるかわからないけど、 何も知らない状態で取引しているのは危険極まりないので、 損切りした方が良いとアドバイスし、その場でパソコンを取り出し、 サイトとユーザー名とパスワードを聞いてログインして成り行きで落とした。 既に午前1時を回って土曜日に入っているので、月曜朝一で落ちるものと思っていたら、 即座に約定してちょっとびっくり。NYはまだ金曜日だからかな。 ユーロ、上がったら恨まれそうだが…。後から考えれば、 2円下に逆指しを入れるくらいにしておけば良かったかもしれない。



2007年8月16日

ビーちゃんに登記簿を取ってきてもらったが、腑に落ちない点は相変わらず解消されないままである。 最終的に土地家屋調査士の人に入ってもらって境界を正確に確定すれば問題ないとは思うが、 その土地がどういう来歴で現在のような状態になったのか全く不明なので、釈然としないのである。 とりあえず近いうちに売り主さんと会うことになったので、その時に事情を聞いてみる事にしよう。

全てのポジションが逆行してマイナス1100万。 ここ7日で3700万ほど飛ばしてしまった。



2007年8月15日

中村に別荘を建てる計画が進んでいる。 ビーちゃんに、良い土地があったらチェックしといて、と言っていたのだが、 絶好の土地が見つかったと連絡が入った。 しかし詳しく話を聞いてみると、どうも腑に落ちない点がいくつかある。 ひとまずその土地と隣接地の登記簿を取ってきてもらう事にした。 最終的に購入する事になった場合は、半分に借地権を設定してビーちゃんに貸し、 自分は別荘、ビーちゃんは移住後の自宅を建てる予定である。

相場は6日連続逆行で、気が付けば今月既に2400万ほどやられている。あかんなぁ。



2007年8月14日

6時前に起床。タクシーを捉まえて金沢駅へ。バスに乗り7時半ごろ富山駅着。 室堂行きの直通バスに空席があったので、それに乗って10時半ごろ室堂着。 ネットに繋いでみたら繋がったので、注文しようかと思ったが、 特に食指が動くものが無かったので止めにした。 ここで既に標高2450mである。所々、雪渓も残っていて、下界とは無縁の涼しさである。 ここから標高3003mの立山山頂まで徒歩で約1時間半。丁度お昼ごろ山頂に到着した。
この程度の登り道なら、以前は休みなんか取らずに一気に登れたものだが、 体力の衰えと体重増加のためか、休み休み登らざるを得なかった。 こんなんじゃあかんねぇ。 お盆のためか非常に人が多く、それを避けてか雷鳥も姿を見せず。 登山道に沿って山肌がかなり崩壊しており、しかも傾斜が急で落石が起き易くなってるので、 人が多い時期は避けた方が良いように思う。 山頂には神社があり、お祓いをしてもらった。 携帯が繋がったので獣ちゃんに電話したり、高山植物の写真を撮ったり、昼寝したりしてから、 1時半ごろ下山開始。3時前に室堂着。 相場をチェックしてみたが特に状況に変化は無し。 帰りは、バス→ロープウェー→富山地方電鉄、と乗り継いで富山駅へ。 そして特急で金沢へ。職場にちょっと寄ってから自宅に戻り、着替えを持って近所の温泉へ。 近くの定職屋で晩飯を食ってから帰宅。睡眠。休日らしい休日であった。
室堂で蓋を閉じた空のペットボトルが家では凹んでいたので、洗面所で水を吸わせてみると、 4分の一から5分の一程度、水を吸い込んだ。 つまり室堂の空気は金沢と比べて2割〜2.5割ほど薄いという事になる。
高山植物の中ではイワツメクサが一番気に入った。 いつか室堂から新穂高まで縦走したい。



2007年8月13日

水曜日まで夏休みである。夏休みの時期は比較的自由が利くので、 お盆付近は3日だけにして、月末に有休と合わせて一週間休む事にした。

平日なので相場を見ていたが、あまりの閑散さにうんざり。注文を出しても、

58600 4
58380 1
      3 58300
      1 58290
      1 58270
      20 58260 ← 自分の注文
      1 58100

こんな感じの板で、何ともやりようが無い。ダルくなって午後にはさっさと切り上げてしまった。 せっかくの休日なのに、こんな詰まらん物を見てても時間の無駄である。 明日は相場なんかやらずに立山にでも行ってこよう。

夕方から少し職場にコンピューターの様子を見に行き、 その後はファミレスで宅建の参考書をパラパラと読んだ。



2007年8月12日

午前4時頃に職場から帰宅。昼まで就寝。

母方の先祖の墓が野田山墓地にあるので墓参りに行ってきた。 あらかじめ目印を聞いていたのだが、墓地が広過ぎてとても見つからない。ひたすら墓ばかりである。 結局、諦めて管理事務所で調べてもらった。 詳しい場所を教えてもらい、それらしき墓を発見。すごく古そうな墓である。 母の旧姓を○△とすると、墓石には「安政3年6月19日 ○△屋平右衛門」と彫ってあった。 苗字に屋の字が付いていたので合っているのか不安だったが、 実家に電話して確認したところ、どうやらそれがうちの先祖の墓らしい。 何か商売でもしていたのだろうか。 とりあえず周囲の草をむしって、墓石は軽くこすりながら水をかけて洗った。 暑いので汗がとめどなく流れてくる。 水分を摂っても摂っても汗で出てしまう。何とか自転車で家まで帰ってきて、数時間寝た。

少し寝たら元気になったので、近所の回転寿司へ。食い過ぎ。 相変わらず歯が痛い。



2007年8月11日

香林坊のシネモンドで「街のあかり」を観た。これは芸術作品である。 無駄が削ぎ落とされ、全てのシーンが絵になる。 主人公は、短絡的な思考しかできないダメダメな男なんだが、自暴自棄になる事もなく、 運命に身を任せるように生きている。 人生、捨てたもんじゃない、と思うか、暗い気持ちになるか、 それは観た人によって様々だろう。感じ方を強制されない良い映画である。

今日は休みのはずなんだが、コンピューターのトラブルのため夜から出勤。 出勤後、家に置いてきたノートパソコンに必要なデータが入っている事が判明し、 自宅に取りに帰ってまた職場へ。 自転車で行ったり来たりして、えらく疲れた。 職場には、自分以外、誰もいない。



2007年8月10日

久しぶりにクラックが順行したような気がする。この調子で頼む。

職場の人が知り合いの人達とイタリアンへ行くというので、飛び入りで参加。 ワインを少し飲み過ぎた。

歯医者を探して電話をしたが、お盆のため診察は17日になるとのこと。



2007年8月9日

来年度からJRAの払い戻しにおいて実質的に元返しが廃止になるらしい。 ただし条件があるようで、払戻金の合計が販売額の合計を超えない場合に限り、 最低110円を払い戻すという事らしい。 オッズが正確に確率の逆数に比例すると仮定するなら、 ある馬券の特殊なケースでは期待値が1を超える場合があり得るな。 詳細が分からないと何とも言えない部分もあるが。 時間があれば、これが過去どれくらいの頻度で起きたか調べてみるか。 しかし実際は、有利とわかれば資金が流入するから、 条件に該当するケースは更に少なくなりそうだ。



2007年8月8日

疲れが溜まっているのか、また例によって左奥の歯茎から顎とリンパ腺にかけて痛み出した。 更に左上奥の智歯の詰め物が取れて痛み出した。やはりこいつが諸悪の根源なんじゃないかと思う。 虫歯から細菌が出回っているのかもしれない。 別に噛み合わせに貢献しているわけではないので、抜いてしまっても良いんだけど。
それにしてもネットで歯医者を検索したら、インプラントが大流行だねぇ。 無責任な話である。 ちゃんと歯の管理の出来る人が事故かなんかで歯を無くして、 インプラントにするなら維持率も高いかもしれないが、 管理が悪くてインプラントをする破目になったような人だと、5年もすれば駄目になり、 しかも撤去した後は顎の骨が破壊されて入れ歯を作るのも困難になる事が少なくない (そうなっても最近は骨を移植したりできるようだが)。 もし歯周病になれば歯根膜が無い分、細菌が骨に直接侵入して予後は悲惨である。 人間、そう簡単には習慣は変えられないので、インプラントが効果を発揮するような、 心を入れ替えてずっと頑張れるような人は実際はかなり少数であると思う。 それにも関わらず、これだけ流行しているという事は、医者の説明不足か、患者の浅はかさのどちらかである。 結局は患者の自己責任なんだが、のべつまくなく勧める方も勧める方である。 医者は儲かり患者は自己責任、という構図は何かに似ていなくも無いが。
早く、歯の種を植えたら生えてくる時代になって欲しいものだ。 痛みはラフロイグでうがいしたら少しマシになった。



2007年8月7日

日中、クラックが良い感じに順行したが、引けでは戻ってしまった。 そろそろいい加減にして欲しいものだが。
アメリカのサブプライム問題は、日本ではそれほど問題視されていないけど、 意外と根が深いんじゃないかなぁ。 ただ、金融恐慌のような事が起きたとしても、 中国をはじめ既に世界が高消費体質になってしまっているので、 以前のような生産過剰による商品の暴落というのは考え難いと思う。少し考えたが、 やはり当面の投資方針は商品によるインフレヘッジを基本にするという事で問題は無いと確認した。



2007年8月6日

午前中に金沢へ帰還。午後から出勤。裁量労働制はこういう融通が利くので良い。 そのかわり徹夜で仕事をしても残業代は出ないが。

原油11月限の寄り値を見て、呆れるというより、悲しくなってしまった。 クレディスイスが850枚くらい成りで買ったせいで、10月限が1350円安で寄ったにも関わらず、 520円安で寄り付いた。 結局、どんな値が付いても後から正当化され得るような状況なので、 みんな怖くて容易には合わせられないのだろう。 それにしても、この大量買い、仕切りじゃなくて新規のようである。注文ミスかもしれない。
先日の白金の寄りにしても、今はこういう異常値を取るのが一番効率が良いような気がする。 外電と期近3本の寄り付きを見ながら、先3本の十分に離れた所に売り指値と買い指値を入れておく。 寄り付いたら取り消す。 ほとんどは指値にはかからないが、たまに獲物がかかれば利益になる。
システム売買で取引している人が軒並み不調のようである。 そもそもシステム売買が儲かるという理屈は、 相場には未来永劫に不変な要素が存在するという仮定に基づいている。 なぜ未来永劫に不変な要素があるかというと、それは相場の主体が人間であり、 人間の性質は変わらないからという理屈である。 人間ほど変わり易いものも無いと思うのだが、それはさておき、 もし人間の不変性を基礎に置いているシステムならば、 石油だけではなくゴムや大豆などにも有効でなければ矛盾する事になる。 なぜならば、どの銘柄も人間が主体だからである。 少なくとも、パラメータを変化させれば対応できるというくらいの一般性が必要であろう。 まぁ、大豆は板寄せなので、ザラバを前提にするならばゴムと白金と石油あたりで考えるべきか。 しかし現実問題として、ガソリンと白金の両方に有効なシステムを作るのは非常に難しい。 もしシステムがガソリンと灯油にしか通用しないなら、そのシステムの利益の源泉は、人間の不変性ではなく、 銘柄特有の取引システム、現物の動き、参加者の種類、外電の影響の仕方、需給要因、 などである事が考えられ、それらが変化すればシステムも通用しなくなってしまう。
自分のシステムや指標が何を利益の源泉とし、本質的に何を取ろうとしているのか、 そのあたりの事を何も考えずに、単に複数の指標を組み合わせて過去データに最適化しただけのシステムでは、 あまり役に立たなくても不思議ではない。 パラメータが少なくてそれほどカーブフィッティングされてないように見えても、 数多くの指標の組み合わせから現在のを選んだという時点で、 既にかなりカーブフィッティングされているのである。 それを防ぐためにも、設計の段階からある程度の合理性は必要とされるべきである。



2007年8月5日

昼からドライブ。まずは奈良のどんづるぼう(屯鶴峯)へ。 ここは小さい頃、父親に何度か連れて来てもらった懐かしい場所である。 昔の二上山の火山灰で形成された地形で、日本とは思えない風景が広がっている。 自分達の他には誰もいなかった。

行く途中、車で接触事故を起こしかけた。こちらの後方不注意である。 両方とも徐行だったので幸運にも事無きを得た。 左ハンドル車は、どうしても右後方が見え難いから注意しないといけない。 二度目は無いと決意した。

そこから大和郡山の金魚資料館へ。 楽しい! 金魚の養殖業者が中を公開しているだけなんだけど、直売もやっていて、しかも安い。 小学生から中学生の頃、金魚に凝っていて、庭中に衣装ケースを何個も並べて様々な種類を飼っていたのだが、 その頃ここを知っていたら、小遣いを握り締めて通ったに違いない。 郡山では、逃げ出したり捨てられたりした金魚が普通に川にいるので、良く自転車で採りに出かけたものだが、 今でも川に金魚が泳いでいた。懐かしい。

晩は蔵寿司へ。めちゃくちゃ混んでた。空席待ちの時に隣に座っていた5人家族、 小学生くらいの子供3人はそれぞれDSをし、父親は携帯でテレビを見、母親はボーッとしていた。 全く会話も無い。子供の性格形成の一番重要な時期に、これはいかんだろうと思う。 ゲームがいくら面白くても所詮は他の人間が作った世界であり、 その中で遊んでいる限り、作った人間を越える事はできない。 それに対し、自然との触れ合いや人間同士のコミュニケーションや勝負はその広さや深さが全く違う。 ゼロと無限大くらいの違いがある。 どうせ、友達がみんな持ってるからとか言ってせがまれて、何も考えずに買い与えたのだろう。



2007年8月4日

夕方までファミレスにこもって仕事。その後、軽くドライブ。 3週間ぶりだが、あまり乗らないとバッテリーが自然放電してしまう。 エアコンをつけたら信号待ちでエンジンが止まってしまった。 なので、蒸し暑い中、エアコン無し。 軽く高速を流して充電した。



2007年8月3日

今日の相場は酷かった。出来が無さ過ぎて注文がほとんど入らない。 期近に数十枚の指値を入れただけで、それを見て値段が逃げて行く。 午前中一杯かかってやっとガソリン6枚だけ玉を入れる事ができた。 夏枯れ相場だなぁ。これで外資が愛想を付かして逃げてしまったら、 もう東工取も終わりかもしれんね。
今の相場は本当に難しいと思う。こうなる前に大きく稼いでおいて良かった。

夜は大阪へ。新幹線に比べてサンダーバードはマナーの悪い客が多いような気がする。 携帯のやかましい呼び出し音をひっきりなしに鳴らすは、DSを音を切らずに遊んでるは、 ヘッドフォンから音漏れしまくってるは、毎回、何かしら気になる事が多い。

中村に別荘を買うかもしれない。とは言っても先の話だけど。 ビーちゃんが数年以内に中村に移住するかもしれないので、 そうなったら、その近所に買って時々風を通してもらおう。



2007年8月2日

あまり値段を見られず。しかし順行したようだ。

晩は片町で、まず寿司を食って、それから飲み。 徹夜明けなので酔いの回りが早く、フラフラになって帰ってきた。



2007年8月1日

今月初日はマイナススタート。場中、原油75枚の売りと買いを間違えて注文してしまった。 恐らく過去最大の注文ミス枚数である。 朝から眠かったのだが、ミスに気が付いた瞬間に一瞬で眠気が吹っ飛び、心臓の鼓動が高まり、 虚脱感と恐怖感のない交ぜになった気分を味わったが、何とか1ティックの利食いで仕切る事ができた。 粗糖、外電は高いのに引けは420円安。何だかなぁ。
NY原油は天井打ったかな。

仕事が溜まっているので今晩は職場に泊り込み。



2007年7月31日

昨日当限に乗り換えた白金を再び先限に乗り換え。何もしない場合に比べて30万ほど得をした。
クラックは今日も酷い動きである。ガソリン期近二本の崩壊が著しい。 某社が狙われているようだが、こんな動きになったらもう末期症状だな。 とりあえずクラック200セットほど仕掛けてみたが、 買っても買っても呑まれて行き、ガソリンなど最初の仕掛けから1200円も下がってうんざりした。
今月の利益率は+8.89%、今年の利益は5300万ほど、ピークからのドローダウンは2500万くらいである。

今年も宅建の申し込みをした。昨年は12時間×7日間の勉強で一点差で落ちたのだが、 やはり勉強不足の感は否めなかった。実感としては最低でもあと60時間から80時間は必要に思う。 昨年と職場環境が違うので、どこで勉強時間を確保するかが問題である。

夕方から同伴でイタリアンへ。



2007年7月30日

白金の換算が大幅に安かったが、何とかストップ安で全部落とす事ができた。 同じだけ当限に乗り換え。
クラック、酷いな。何ともコメントし難い。



2007年7月29日

参議院選挙は自民党の惨敗という結果となった。 しかし、この選挙が衆院選ではなくて参院選なのが民主党の運の無いところである。 参議院は昔は良識の府とか言われていたらしいが、今や衆議院の予備機関に成り下がっていて、 単に国会議員の肩書きが欲しい人の溜め池となっている。 金の無駄だから参議院はさっさと廃止して一院制にした方が良い。 話が逸れたが、社会保険庁の実態を見ても、水槽の水を替えないと腐るというのは当然で、 政権交代が起きれば、いくら民主党が駄目でも、風通しの良くなるメリットの方が遥かに大きい。



2007年7月28日

今日はストレス解消のため思い切り自堕落に過ごすと決めた。建設的な事は洗濯したことくらい。 昼間からラフロイグをちびちび飲み、強烈な味と香りで心はアイラ島へ(行った事ないけど)。 陶然とした気分で海外小説を数ページ読んでるうちに心地よい眠気に誘われ、 気が付いたら夜。幸せな一日であった。

今度の参議院選挙に投票できないことが判明した。 現在、引っ越してきて3ヶ月+4日くらいなのだが、 こちらで投票権があるのは告示日前3ヶ月までに住民登録した人だけだという事がわかった。 告示日ではなく投票日の前3ヶ月だと思っていたので、大丈夫だと思い込んでいたのだが。 投票するには、福岡へ行くか郵送で手続きするかしなければならないのだが、どちらも、もう無理である。 葉書が来ないので、おかしいとは思っていたのだが。 一票差で情勢が変わるような事態にならない事を願うのみ(確率はゼロに近いだろうけど)。

浴衣のカップルを何組か見かけた。犀川で花火があったようだ。いいなぁ。



2007年7月27日

原油ゴム鞘と原油粗糖鞘が順行したが、インフレヘッジが大きく逆行してマイナス700万。 インフレヘッジが逆行する分には特に問題は無いだろう。
白金の先だけ異常な高値で寄り付いていた。 資金が少ない人はこういうのを専門に狙うのも効率が良いかもしれない。

朝から晩まで仕事だったので特に書くことも無し。



2007年7月26日

ミニ金が上場されたが、出来高は振るわないようである。 各社の手数料無料キャンペーンが終了したらもう終わりだろう。 しかし何が問題なのかははっきりしていると思う。100gに小口化したのは悪くない。 問題は、商品先物に付き物の限月制であるということ。 発会から納会まで半年あると言っても、先限でなくなった瞬間から板が薄くなるので、 現状では発会で玉を建てても2ヶ月しか安心して取引する事ができない。 自ずから、参入してくるのは短期売買を狙う人だけになる。 しかし、そういう人はそもそもミニ金なんかやらずに東京金を取引するだろう。 これがもし、株や為替のように、 証拠金が不足しないかぎりいつまでもポジションを維持できるような商品設計になっていれば、 ミニ株やメープルリーフ金貨をコツコツ買うような感覚で一般人の長期資金が大量に入って来ると思う。
具体的な商品設計としては、例えば、以下のようなものが考えられる。

取引対象は(限月制のように複数ではなく)一つとする。
1〜2月の期間は東京金4月限、3月〜4月の期間は東京金6月限、…、11月〜12月の期間は東京金2月限、 を基準限月とする。
ミニ金の毎日の帳入値は基準限月の帳入値と等しいものとする。
納会や決済期限は無しとする。
偶数月から奇数月に変わる際に基準限月が変わるが、 奇数月の最初の営業日において、「ミニ金の寄り値 − 旧基準限月の寄り値」をスワップポイントとし、 売り方はスワップポイント分を受け取り、買い方はスワップポイント分を支払う。

もしミニ金の値段が基準限月から乖離した場合は、 裁定を組んで奇数月の寄り付きで両方決済すれば利益になる。 例えば、基準限月を2400円で売り、ミニ金を2300円で買い、次の奇数月の寄り付きで決済すれば、 ミニ金の寄り値がいくらであろうとも、スワップポイントと合わせた儲けは常に100円幅となる。 よって、納会が無く現物の受け渡しも無く、決済期限が無期限でも、基準限月への連動性は担保される。



2007年7月25日

最近、相場の調子が良い。これも、腐れクラックと縁を切ったお陰だろう。 ただ、技研の石油鞘取りコラムでまだクラックが建っているのが気が重い。 個人玉では、原油の売りをそのままにして石油製品の買いをゴムと粗糖にシフトしたのだが、 石油鞘取りコラムは石油だけなのでゴムに移行するわけにも行かず、そのままにしてしまった。 かと言ってクラックを仕切った事にすると、原油は仕切ってないのにコラムでは仕切ることになり、 どうしても相違が生じてしまう。実際の売買と仮想売買のからみで難しいところである。

深夜まで仕事で一日終了。山登りに行きたいな〜。



2007年7月24日

職場のパソコンが一台、修理から戻ってきたのだが、起動しなかった。 メモリーを挿し直したら直った。恐らく、修理した業者が運んでくる最中に緩んだのだろう。 いい加減な仕事するなよなぁ。一般人なら再修理ものである。

鞘について質問のメールが来たので、せっかくだからこちらにも書いておく。 鞘には周期があるように見えるが、そんなものは幻であると思うべきである(ただし日柄はある)。 基本的に、限月間の鞘は人気と需給のせめぎ合いで決まる。 同じ順鞘でも、期近主導の順鞘と期先主導の順鞘は全く異なる。 逆鞘についても同じ(順鞘は期先主導、逆鞘は期近主導が多い、しかし全部ではない)。 逆張りか順張りかという議論があるが、需給には順張り、人気には逆張り、 という原則から考えると、期近主導の動きには順張り、期先主導の動きには逆張り、 が理に適う。そういう点を無視して逆張りか順張りかを議論しても無意味である。 期近主導か期先主導かは鞘形にもある程度は現れるが、 基本的には輸入採算等の需給データで判断すべきである。 鞘の予測は難しいが、期近が買われた場合、売られた場合、期先が買われた場合、売られた場合、 それぞれの仮定の下での予測ならそれほど難しくはない。 それらの予測を加味して、 相場がどう動いても有利な立場を維持できるようにポジションを構築するのが鞘を利用した売買の醍醐味である。 結局のところ、鞘だけ見ていても儲からない。片張り的な視点が重要である。 場帖を手書きするなり印刷するなりして、暇があれば縦横斜めから見て、過去において、 相場の上下と共に鞘がどう変化したかを頭に叩き込むのが重要である。 一銘柄で感覚を掴めば、他の銘柄はざっと見るだけで自然と頭に入る。 場帖には各限月の値段だけで、鞘の値などは書いてはならない。 鞘が自発的に動くのではなく、値段が動いた結果として鞘が変動するのである。 鞘の値を書いてしまうと、その前提が崩れてしまう。 同じ理由で、鞘グラフも常に価格そのものの動きを頭に入れながら見なければならない。 片張りで取れる実力があってはじめて鞘取りでも取れる。
以上は、あくまで個人的な考えであり、もちろん色々な考えがあって良い。

今晩はゆっくりしようと思っていたら、お呼びがかかり片町へ。飲んだ後、寿司を食って帰宅。



2007年7月23日

アホほど建ってた原油11月がようやく全部無くなった。 クラックに続いてコーン粗糖鞘も撤収完了。粗糖もゴムもかなり玉が少なくなった。 累計収支更新はまだ先だが、疲れたのでしばらくは気楽に張る。

ユリウス・カエサル「ガリア戦記」を読んでいるのだが、面白過ぎる。 読み出したら止まらないので、生活に支障が出ないように注意しなければ。



2007年7月22日

何か映画でも観ようかと駅前のイオンシネマへ。 特に先入観無く「ボルベール(帰郷)」を観た。 祖母から母、母から娘へと続く、因縁と愛憎の物語である。 昼ドラ顔負けの衝撃的な展開が続くにも関わらず、女たちは淡々と受け入れ、 前向きに生きて行く。若干、感覚について行けない部分もあったが、印象に残る映画であった。 ほとんど女しか出てこない、男の影の薄い映画である。女性が観れば、たぶん全く感じ方が違うと思う。



2007年7月21日

昨日から職場に泊まりこんで夕方まで仕事。

ある程度の数学的な知識があると、システムの構築にも何となく勘が働いてくる。 システムとは、本質的な優位性のある動きにランダムな雑音が加わった状態から、 元の本質的な動きを復元する、いわゆる逆問題に他ならないのだが、 情報が落ちると当然、復元は困難になってくる。 移動平均やRSIなど、ほとんどの指標は雑音を減らす効果があるが、 本質的な動きの情報もある程度は落としてしまう。 移動平均やEMA等の線形な指標は、重ね合わせの原理により、 雑音部分にも本質的な部分にも独立に作用するが、 RSIやRCIのような非線形な指標は、その非線形性により、 指標そのものによる情報落ちに加えて雑音部分によっても情報が落ちる。 何となくの勘だが、RSIやRCIなどの非線形な指標は、 単独で使うかフィルターとして使うのが限界で、 それを更にシステムの一要素として組み込むと、ほとんど機能しないように思える。
とりとめの無い話だが、線形と非線形については、 回路設計をやった事のある人なら何となく実感できると思う。 AM信号を復調する際には、包絡線検波(非線形変換)よりも同期検波(線形変換) の方が雑音に強い。



2007年7月20日

職場に長期出張で来ている中国人が、 Web迅雷とかいうP2Pソフトで大量の動画をダウンロードしていた事が判明。 職場のネットワークでP2Pソフトの使用は禁止されていること、それ以前に、 ネットワークの私的利用も禁止されていること等を説明し、アンインストールしたのだが、 滔々と言い訳をするのでうんざりしてしまった。 曰く、自分は日本に友人もおらず、心が休まる時が無いので、 ダウンロードした中国語の映画を見てリラックスするのが仕事の為にも必要であるとか、 中国では仕事で割り当てられた物は個人的な用途に使っても良いのだとか、 中国ではみんな好きなものをダウンロードしている、例えば日本ではウィンドウズは有料だが、 中国では無料が当たり前で、みんなネットからダウンロードしている、 これは日本と中国の文化の違いだ、などなど。 それにしても、文化の違いと言うのには恐れ入った。文化の問題じゃぁ無いだろう、 世界標準に合っているか外れているかの問題だろ、と説明したが分かってくれたかどうか。 だいたい、サービスを受けたら相応の対価を払うのが当然で、 払わないとしたらサービスの提供元がどう考えるかとか、 みんなが際限なく公私を混同するとどうなるかとか、 ある程度の想像力があればわかりそうなもんだけど。

相場は、ほぼ全てのポジションが順行。 4月18日から6月18日にかけて食らった9000万のドローダウンのうち、約7000万を取り返した。 クラックを減らしてゴムと粗糖に勝負をかけたのが良い結果につながった。 獣ちゃんには、2年ぶりくらいに勝負に出たのー、言われていたが、確かにそんな感じである。 基準として、ドローダウンはその半分を取り返したら満足する事にしている。 全部取り返すのを目標にしていると、どうしても無理が生じてしまうからである。 現時点で既に8割弱を取り返しているので、結果としては大満足である。



2007年7月19日

寄りからゴムを60枚買い、4円ほど上げた所で仕切り。ゴム買いに合わせた原油売りも若干下げた。 すぐに上げてきたので、一時間半くらいで日計りで利食い。時給にしたら90万くらいか。 たまにはこういう事があってもいいね。 クラックは撤収完了。石油製品の鞘滑りを考えると、当分はやる気は無い。

同伴で鰻を食いに行った。天然の鰻も旨いが、浜松の鰻も脂が乗っていて旨い。



2007年7月18日

雷鳥で金沢へ。午後から出勤。

相場は全てのポジションが順行。プラス1400万。電車の中からせっせと仕切注文を出した。

円安が進んでいる。並行してユーロに対してドル安も進んでいる。 通貨の値段というのは相対的なものなので、もし全通貨が歩調を合わせて下げたならば、 為替相場だけを見ている人にはそれを感知することは出来ない。 絶対的な価値は商品価格にあり、それが自分が商品に拘る理由でもある。 物価高騰は単に通貨の下落かもしれない。 今年に入ってから、特に円ベースではCRB指数の上昇が大きい。 儲かって金額が増えたとしても、本質的な儲けは金額の増加分よりは少ないのである。



2007年7月17日

寄り付き前から、今日は修羅場になる予感がしていた。 NYの石油製品が暴落しており、クラックが大打撃を受ける予感がしていた。 先週までにさっさと仕切っておけば良かったのだが、まだ300セットも残っている (石油製品1枚分を1セット数える)。 しかし始まってみると意外や意外、むしろ拡大して寄り付いた。 この機を逃してはなるまいと、バッサバッサと180セット落とした所でガソ灯油ともに急落開始。 原油が下げたので今度はゴムを80枚売ったらゴムも急落開始。 全体的にコーンや粗糖も逆縮小して、激動の前場を乗り切る事ができた。 クラックはピークの9分の一になった。

午後はまず警察署に行き車庫証明を受け取り、陸運局へ。 住所と使用の本拠の位置を変更し、無事に和泉ナンバーを取得することができた。

地震のため柏崎刈羽原子力発電所で火災が発生し、消火設備も損傷して十分に機能しなかったようである。 ところで、何らかのトラブルで制御棒が抜けたり冷却水が失われた場合に、 メルトダウンを防ぐために、緊急炉心冷却装置(ECCS)というものがある。 これは大量の水を炉心に注入することで最悪の事態を回避しようという装置であるが、 今回の消火設備のように、制御不能な事態に陥った場合に制御可能な装置が生き残っていると期待するのは、 甘いと言わざるを得ないと思う。



2007年7月16日

みなそれぞれ睡眠を堪能し、既に高く昇っている陽の光を浴びて起き出した。 冷たいメロンを食べて目を覚まし、徐々に撤収に向けて行動を開始した。 チェックアウト時間の11時ジャストにレンタルした全ての品物を返却し、ゴミも捨て終わり、撤収。 四万十川の水嵩もかなり減っていて、昨日水没した道路も今日は乾いていた。
腹も減ってきた事であるし、我々は天然鰻を食うべく四万十川中流の岩城食堂へ向かった。 途中で再び昨年の思い出の地点に立ち寄り、思い出話に花を咲かせた。 岩城食堂では、うな丼、川エビ、アマゴ、おでん、を注文し、自然の味を味わった。 料理については特にBeachley氏が絶賛していた。 残念なのは、小ぶりの鰻しかなかった事である。天然なので捕れた分しか無いので仕方が無いが、 予約しておけばよかったかもしれない。 個人的には川エビがヒットである(昨年も食ったけどやはり旨い)。
そうこうするうちに別れの時間がやってきた。 店の前で四万十川を背景に記念撮影。青春の一ページに残りそうな良い写真である。 自然とみな互いに握手し、再会を誓い合った。 正直言って、相場の仲間でこんなに楽しく旅行をする事があるとは、 HPを始めた頃には全く想像もしなかった。人と人とが結び付くきっかけを提供する、 これほど有意義な事は他にはあまり無いように思う。 管理者冥利に尽きるというものである。
昼飯を食べながら、テレビで地震のニュースを見てびっくりした。 地震雲はしばしば地震の起きる地点から遠くに出るものらしい。 偶然なのかもしれないが、とにかく驚いた。
さて、東京組の二人と別れを告げ、我々3人は四万十川上流を経由して宇和島へ向かった。 その後も順調に進行。ただ、ネットで調べたところ、 このままフェリーで広島に渡るルートでは今日中に大阪の目的地に着けないという事がわかったので、 自分だけ松山駅から電車で帰ることにした。 松山市内で若干道に迷い、フェリーの時間も危うくなってきたので、 感慨に浸る間もなく松山駅で別れを告げ、ちょうど特急しおかぜが出発する所だったので慌てて飛び乗った。 岡山で新幹線に乗り換え、無事に大阪に到着した。 広島組も無事にフェリーに乗ることができたようで、ほっと胸を撫で下ろした。
梅田で彼女と待ち合わせ、ヘップでパスタを食った。



2007年7月15日

そうこうするうちに宇和島に入った。 宇和島にはネットカフェが二軒ある筈なので、できれば何時間か休もうと思い、探すが、 それらしきものは発見できない。後から分かった事であるが、 一軒は午後7時で営業終了、もう一軒は午前2時で営業終了であった。 まぁ、このあたりで24時間営業してても人件費の無駄遣いであろう。
もう目的地までそれほど距離も残っていないので、一気に走破してしまおうという事になった。 56号線が途中で水没しているという情報が電光掲示板に流れていてダルい気分になったが、 地図で調べると特に致命的ではない事が判明。 獣王氏の、フリスクを齧りながらの運転により、午前3時頃、我々はようやく中村の町に到着した。
一年ぶりの中村に懐かしさを覚えつつ宿泊施設の「とまろっと」に向けて進んで行くと、 突如、水に行く手を阻まれてしまった。四万十川が氾濫し、道路が水没していたのである。 水の中から伸びた街灯が水面を照らしている。空は満天の星空。不思議な光景であった。 とりあえず記念撮影。
何とか水没していない迂回路を通って目的地に到着。朝6時から温泉に入れる事をチェックし、 見晴らしの良い駐車場に車を止め、3人で地面に寝転がって、寝た。 星空が紺色に変わり、やがて陽が昇って水色に変わる様子を、半分眠りながら感じていた。 びゅうびゅうと吹く風が台風の存在を示しているが、天気は快晴である。
6時になると同時に温泉へ。ゆっくり浸かって疲れを取り、その後は休憩所の和室で、ひたすら寝た。 獣王氏は、マッサージ機に座ったまま、作動が終わったのに気づかずそのまま寝ていた。
11時頃にみんな起きたので宿泊施設に行ったところ、チェックインは1時からと言われた。 ふと見ると、受付に我々宛のやけに大きな箱が…。実はレオンさんがメロンを送ってくれたのであった。 楽しみにしつつ宿を後にする。 Beachley氏がどうしても波の状態を見たいというので、まずは彼女のナビで海へ。 地元の人しか知らんような道を抜けると海岸に出た。 彼女が言うには、この波ではサーフィンは無理とのこと。その後、Beachley氏お薦めの、 地元のおばさんらが手作り弁当やら野菜やらお菓子やらを直売している店を訪れた。 弁当250円とか、じゃがいも一山100円とか、日本国内とは思えない物価である。 ここなら収入が少なくても豊かに暮らせそうな気がする。 ここで買った、たこ焼きがまたモチモチしていて美味かった。 たぶん冷えても美味いに違いない(美味いたこ焼きの条件である)。
次にいよいよ我々は、昨年、泳いだ思い出の地点に向かった。 そこに見たものは、濁流に渦巻く四万十川であった。昨年、川岸まで降りていった道が、 かなり上の方まで川に呑まれていた。 しかも木々を良く見ると上の方まで泥が着いており、 ピーク時の水面は更に何メートルも上だった事が見て取れた。 車が一台、流されてきたのか、茂みの中に突っ込んで成仏していた。ご愁傷様である。
近くの川沿いのキャンプ場に行き、先ほど購入した弁当を食った。 キャンプ場は水に浸かったようで、植わっている木がほとんど倒れており、 地元の人達が復旧作業をしていた。そんな中、我々はのんきに弁当を食べたり、 昼寝をしたりしていたが、さすがに頑張って復旧作業をしている人の目が気になり、 退散する事にした。 川はとても無事に泳げるような状態ではなかったが、獣王氏は1億もらえるなら泳ぐと言っていた。 死ねば金など意味が無いのに、アホである。
町に戻る途中、Beachley氏が大事な指輪を温泉に忘れていた事に気付き、 どうなるかと思ったが無事に見つかり(広島なら速攻で質屋行きであろう)、宿にチェックイン。 宿はBeachley氏が手配してくれた所で、いい感じのログハウスである。グッジョブである。 さっそくベランダに椅子を出して、手すりに足を投げ出してボーッと空を見上げた。 青い空、濃紺の海、木々の緑、白い雲、台風一過で空気が澄んでいるせいか、景色の色彩が鮮やかである。 気付けば3人とも同じ格好をしてリラックスしていた。ひとまず記念撮影。
そうこうする内に、踏み投げ氏、ケンシロウ氏、仙一さん、がま親分さんが到着。 東京組の二人は明らかに太ったようである。自分も太った組に入るだろう。 獣王氏はあまり変わらず。仙一さんとがま親分は、昨年会った時と比べると若返ったように見えた。 四国という土地のなせる業かもしれない。
ひとしきり旧交を温め合った後、バーベキューをやるために買い出し組と準備組に分かれて活動を開始した。 宿泊施設で購入した炭は非常に状態が良く、枯れ木の火で少し加熱するだけで簡単に火がついた。 そうこうするうちに買い出し組が肉や野菜や海産物をたっぷり購入して帰還。 さっそくバーベキューが始まった。 さて、レンタルした品物の中に5号炊きの飯盒があったのだが(茶筒を太く短くしたような感じ)、 そんな大容量の飯盒を見たのは初めてであるし、どうするべきか考えていたら、 獣王氏がおもむろに米と水を入れて火にかけ始めた。 水加減とかちゃんと分かっているの?と尋ねたが、俺に任せておけと言うばかり。 しかも彼は、20分くらいでやっと湯気が出始めたばかりで蓋を取ってしまった。 近くにいた人みんなが、ちょっと待て、と思ったに違いないが、時既に遅しであった。
空を見上げると、ラグビーボールのような見たことも無いような形の雲がいくつも出ており、 話に聞く地震雲のようだとみんなで話をした。 そのうち一番星が出て、星空になるまで、賑やかにバーベキューを楽しんだのであった。 ながれこが美味かったなぁ。 獣王氏の炊いた白米は、そのままでも食えなくは無かったが、踏み投げ氏がチャーハンに仕上げてくれた (僕がなぜか野菜炒めと勘違いしてタマネギを輪切りのまま投入してしまうアクシデントあり)。 本人は味が薄いと言っていたが、関西人にはちょうど良い味付けであった。 踏み投げ氏、主夫に向いているに違いない。 バーベキューなのに塩コショウが無かったのは今後の改善事項である。
肉も焼き終わり、片付けも終え、仙一さん達を見送り、我々5名は温泉へ。 仙一さん達の車が出た直後に、食材のお金を清算してなかった事に気がついた (ケンシロウ氏に13000円預けておいたので、いつか受け取って下さい)。 何とか営業時間ギリギリに温泉に滑り込み、 ケンシロウ氏の長距離運転の苦労話を聞いたりしつつ露天風呂を堪能した。 風呂の後はお決まりのコーヒー牛乳である。
宿に戻って、まずはレオンさんから頂いたメロンを冷蔵庫から取り出し、 8分の一に切って、スイカでも食べるようにかぶりついた。 貧乏性のため、皮から3mmくらいまで食べてしまい笑われてしまったが、 そこまで食べても甘さが残っているのは良いメロンの証拠である。
一息ついた後に大富豪大会が始まった。 ルールは覚えているが、やるのは恐らく中学校以来である。 獣王氏とケンシロウ氏もかなり久しぶりでルールも忘れている様子であった。 いざ始まってみると、踏み投げ氏は順当に強さを発揮し、獣王氏とケンシロウ氏も健闘している。 自分はどうもカードが悪すぎてどうにもならない。 何とかド貧民の連続だけは避け、損失を最小限に留める事に全力を尽くした。 しかし後半になり急に運がつき出し、最後に6連勝か7連勝して損失を一気に取り戻した。 麻雀でも、なぜか最初の1半荘か2半荘の勝率は極端に低く、明け方になると調子が上がる。 種目が違ってもパターンが同じというのは不思議である。 そういえば相場もそんな感じだ。
印象に残ったのはケンシロウ氏の戦い方である。カードがボロボロでも強気の姿勢を崩さず、 知らず知らずの内にみな一歩引いてしまい、悪いカードの組み合わせでもなぜか上がれてしまう事が多かった。 はったりのかまし方が上手く、勝負の本質を掴んでいるように感じた。 一番乗り気だったBeachley氏は出だしを除くと良いとこ無しだったなぁ。 最初の数回はみな様子を見ていたが、その後は完全に舐められていたようだった。 運や戦略も大きな要素だが、こういうゲームでは相手をビビらせるというのも大事で、 その点、歴戦の相場師を相手にすると厳しいものがある。
そうこうするうちに、夜は更けていくのであった。



2007年7月14日

高知でのオフ会参加のため、まずは広島へ移動。 台風が来ているので微妙だが、日曜日あたりから晴れそうなので、 どうにか現地にさえ辿り着けば後は何とかなるか、 と考えつつ雷鳥に乗り、金沢を出た所で、獣王氏からメールが…。 なんでも、東京から来る予定の踏み投げ氏とケンシロウ氏が飛行機で高松空港まで行ったものの、 強風で着陸できずに羽田に引き返し、行く気力が無くなったので中止に決定したとのこと。
実は数日前に、台風が直撃するから延期にした方が良くないか?と自分は提案したにも関わらず、 みんなが揃う日程が今回を逃すと9月まで無いので、 少々の困難があっても決行しようという事に(踏み投げ氏の一声で)まとまったという経緯があり、 そういう経緯があるにもかかわらず、相談も無くいきなり中止にされたので、 少々ムッとしてしまった(しかもこっちは既に電車に乗ってしまっている)。
飛行機が駄目なら新幹線で来るようにと東京組に連絡し、大勢は再び決行の方向に傾いた。 岡山で合流して瀬戸大橋を渡るのが良いのか、福山で合流してしまなみ海道か、 様々な事態を想定し、東京、石川、広島を電波が飛び交う状況はさながら開戦前夜のようであった。
新大阪で新幹線に乗り換え、車内でBeachley氏と合流。ほどなくして広島の獣王事務所に到着した。 その頃、我々に衝撃的なニュースが飛び込んできた。 東京組が、車を家に置きに行くのが面倒なので、そのまま車で高知に向けて出発したとのこと。 しばらく何を言っているのか理解できなかった。アホと言うしかないだろう。 それ以前に、帰りは飛行機で帰ることを考えて、家より空港に置いておくのが普通だと思うのだが。
東京組の事は置いておいて、我々はまずは腹ごしらえのため、 獣王氏いわく幻の坦々麺である汁なし坦々麺「きさく」へと直行した。 ここの坦々麺には中毒性があるらしく、 開店前に行ったのだが、既に中毒患者が多数、虚ろな目をしながら行列していた。 普通、美味しい店に並んでいる人たちは楽しそうにしているものだが、ここは明らかに雰囲気がおかしい。 彼らは、席についても携帯をいじって時間を潰すでもなく、ただ呆然と坦々麺の出てくるのを待っている。 ついに我々にも坦々麺が出てきた。今まで食ったことない味で確かに美味いのだが、 香辛料、特に山椒が大量に入っており、頭がポワーンとなる。 Beachley氏が一番効いていたようで、話しかけても夢うつつのような返事しか返って来なかった。 ナツメグが入ってるんじゃないかなぁ(ナツメグには幻覚作用がある)。 ここでlagoon氏がしばし合流。食べ終わった後、しばらく店先で相場の話などをした。 lagoon氏が、明日は絶対に晴れる、と断言してくれたのに勇気を得て、三人は再び旅路へと戻った。
車の中からネットで情報を収集していると、フェリーが運休し、明石海峡大橋、瀬戸大橋、 高知自動車道が相次いで通行止めになって行った。 何とか、しまなみ海道が開通しているうちに四国に渡ろうと道を急ぐ。 それにしても、風はかなり強いが、空には時おり晴れ間も見え、いったいどこに台風が来ているのかと疑問に思う。 実は豪雨は東京組の方を襲っており、悲惨な状況に陥っていたのだが、我々は知る由もなかった。
午後9時頃、しまなみ海道を無事に渡り終え四国に上陸した。山越えの道を通り、松山に到着。 松山でネカフェにでも泊まろうかと、町中をぐるぐる走っていたが、獣王氏が当然、 こんなごみごみした町中は野生児の俺には我慢できん、と言い出し、 なし崩し的にそのまま宇和島まで行く事になった。 途中、Beachley氏がお腹が空いたというのでファミレスに寄った。 彼女は、皿うどんと生中、と言い捨ててお手洗いに行ってしまったのだが、 獣王氏と二人でいくら探してもメニューに皿うどんなどという物は見つからない。実はサラダうどんであった。 Beachley氏はビール飲んだらすぐに寝てしまった。 このまま捨てていこうかと冗談を言いながら、我々は四国の西海岸を南下して行った。 相変わらず台風は影も形も見えない。



2007年7月13日

コーンを寄りで多めに売ったら、寄り天井で結構嬉しい。 戻り天井の確信は無いので100枚単位では売れなかったが、怪しい匂いがプンプンする。

広島の知り合いが出張で金沢に来たので、夜は片町へ。



2007年7月12日

クラック一回転、原油粗糖鞘順行、原油ゴム鞘順行、プラス700万。 ようやく今月プラスになった。 今日は久しぶりに芸術的な玉操作をした。 麻雀で例えると、敢えて聴牌を取らずに浮かせ打ちで渡りを打って高めに持って行った感じ。 玉操作はアートであると思う。綺麗な売買譜を残したいものだ。

NOVAで同じレッスンになった人に、週末に知り合いと高知に集まるんです、と言ったら、 なんでわざわざ台風めがけて行くの? 危険だから能登にしなさいよ、と言われた。 全くその通りである。



2007年7月11日

今日も引き続きクラックを撤収した。 一時は原油の売り玉が1000枚を越え、どうなることかと思ったが…。 一方でゴムと粗糖は買い増し。ゴム420枚、粗糖536枚まで増やした。 ゴムは今日は安値がある筈と待機していたら急落、待ってましたと大きく買い。 ひとまずこの二銘柄で勝負をかける。 粗糖はともかく、指標を見るかぎり、ゴムは下値余地はあまり無いように見える。

イチローは凄いねぇ。職人であり侍だなぁ。 彼自身は日本を背負っているつもりは無いのかもしれないが、 本人の意思とは関係なく、既に彼は日本人の誇りになっている。 嬉しい事である。



2007年7月10日

鮨屋で呑んだ日本酒のせいで二日酔い。仕事の効率が大きくダウンした。 手取川は美味いんだけど、飲み易いのでつい飲み過ぎてしまう。

9月に出張でハンガリーに行く事になった。ブダペスト空港に着くのが22時で、 そこからバスかタクシーで町中のホテルまで行かなくてはならない。 治安の面で不安だなぁ。

今日もクラックを撤収し、粗糖を買った。ゴムは寄りで仕切って安値で買い直そうと思っていたが、 指値を欲張り過ぎたために買い逃してしまった。
今回のドローダウンがここまで大きくなったのは、 年収1億を確保したいという気持ちがチラついたのも一因である。 最高値で8000万なので、あと一儲けで…と思ってしまったのが運の尽き。 だいたい、あと少しで幾らとか、誰々がどれだけ儲けたらしいから自分もせめて…、 等と思ってしまうと大抵は碌な事にならない。



2007年7月9日

いくら引かされていても、未来の無い仕掛けに固執しても仕方が無いので、 寄りからクラックをどんどん落として行った。そしたら石油製品が面白いように下がる。 で、ゴムと粗糖をごっそり買った。ゴムは良く上がったので一部仕切り。 ポジション維持なら大きくマイナスの所だったが、大手術が功を奏してプラス700万。
もう今年の最高益8000万は忘れる事にして、7月から今年がスタートしたと思ってやり直す。 これでゴムと粗糖が下がったら目も当てられないが、 その場合はそれはそれでクラックからの乗り換えがやり易くなるので悪くは無い。

晩は片町で寿司を食った。回転寿司も好きだが、 鯖やイカのように鮮度で全然味が違うネタは、やはりちゃんとした鮨屋で握ってもらうのがいい。 今日は家から片町まで自転車で出てみた。時間は20分くらい。 6Kmくらいだが意外と高低差が無い事がわかった。 何となく昭和の香りが残る町並みを通る近道も発見。 途中に神社があったので帰りにお参りしていった。



2007年7月8日

疲れてほとんど寝てたような…。 今日やったのは、自転車のペダルが前から壊れていたので、ホームセンターで部品を買って直したのと、 近所の8番ラーメンで野菜ラーメンを食べたことくらい。



2007年7月7日

飲みの誘いも断り、昨日の晩から現状の問題点について色々と考えてみた。
まず前提条件として、現在の自分の建ち玉方針は、相関性のある銘柄を丸代金ベースで鞘モドキに組み合わせて、 スイングで取るという方針である。 専業ならともかく、片手間に相場を張り、数百枚単位の建ち玉を運用するには、 もうこういうやり方しか無いような気がする。 それが駄目なら、相場を止めるか、仕事を止めて相場に専念するしかない(もしくは最大10枚ぐらいで趣味的に張るか)。
まずクラックであるが、こいつに一番問題があるのは明らかである。 1000円の鞘変動をポジションの5分の一のスイングで補うには、5000円幅のスイングが必要になるが、 現在、中期スパンで5000円幅もスイングできるほどクラックが動かない。
結局のところ、スイングに適する組み合わせを選択する基準というのが必要になってくる。 なぜ今までそういう事に気が回らなかったのか不思議なくらいである。 というわけで、銘柄を組み合わせた時の、短期変動の相関係数と長期変動の相関係数を計算してみた。 スイングに最適なのは、長期の相関が強く短期の相関が弱い組み合わせとなる。 逆に、長期的には相関が弱いのに短期的に連動するような組み合わせは最悪である。 これを計算してみると、やはり現在のクラックは投資に値しないとの結果が出た。 データを眺めると、2004年の中頃から2006年の中頃がクラックの黄金期であった事がわかる。
最終的に、相関係数で仕掛けを除外し、鞘の不利を受けるものを除外して、 厳選されたものだけを仕掛ける事にする。 それにしても、ここまでやられるまで放置しておくとは、問題意識を持つのが遅すぎである。

昨日の晩から職場に泊り込み、夕方まで仕事して (というか、夜中は相場について考え込んだりデータを取ったりして仕事にならなかったが)、 久しぶりに映画でも観ようかと思い、金沢駅のイオンへ。 「舞妓haaan!」を観た。うーん、微妙〜。 この映画は、京都と縁の無い人なら楽しめるのかもしれないが、 なまじっか10年くらい京都に住んでしまうと、色々と気になって何となく入り込めない。 業界から苦情とか出ないのかなぁ(最後の夢川をどりのとことか)。 そもそも主役の阿部サダヲの役柄が最低な性格で、全く共感できないのがだめ。 ところで、京都の話なのに、どうも京都で見た覚えの無い光景が多いなーと思っていたら (これも気が散る一因だった)、川沿いのシーン、これ金沢の主計町やん、このあいだ通ったぞと。



2007年7月6日

最近の原油の寄り付きを見ていると、限月によって大きくぶれるので髭取りができそう。 昔、銀やアルミでやったものだが。 資金が少ないうちは、こういう堅い売買ができるが、資金が増えるに従って選択肢は限られて行く。

今日はあらゆるポジションが逆行してマイナス2300万。 再び今年の利益がほとんど消えてしまった。 ちょっと根本的に何か考えなくてはならない。



2007年7月5日

今日も相場は順行、プラス1200万。まぁ、2日と3日の分を取り戻しただけだが。

深夜まで仕事して一日終わり。 雇用形態は裁量労働制なので、一人でやる仕事は別に昼間にやろうが夜中にやろうが問題はない。 どちらかというと深夜の方が効率が上がる。
職場は森の傍なので、よくコクワガタが野外の電灯の近くにいたりする。 森の中に入ればポイントが沢山ありそうだ。



2007年7月4日

相場は順行、プラス1000万。
二日酔いで一日中気分が悪かった。



2007年7月3日

あらゆるポジションが逆行してマイナス900万。 年初来の利益がほとんど無くなった。 どうにも駄目だなぁ。
今のポジションが整理できたら、枚数を大きく落として、 しかも鞘で時間的な不利を受けないような組み合わせしか仕掛けない事にする。 こうすると、ほとんどの期間は何も仕掛けるものが無くなってしまうが、 もう以前のように相場にかけられる時間も少なくなってしまったので丁度良いかもしれない。

夜は片町へ。鮨屋で日本酒を飲み過ぎてしまった。



2007年7月2日

クラック逆行、原油粗糖鞘逆行、マイナス1200万。玉を縮小しても相変わらず曲がる。 どうしようも無いなぁ。 それにしても、比価の鞘取りは、技研の講演会で話をした直後から全く取れなくなったなぁ。 偶然だろうけど。 こんなんやってるんなら片張りで少な目に張った方がよっぽど良いかもわからん、と思ったり。 しかし、ここ3ヶ月の動きというのは、自分が過去に実行してきた、 あらゆる手法を当てはめても取れてないような気がする。

久間防衛相の「原爆投下はしょうがない」という発言が波紋を呼んでいる。 歴史の必然という意味では、確かに原爆投下は必然で、 日本に投下されなかった場合は朝鮮戦争かベトナム戦争で使われただろうから、 使われたのはしょうがないと言えなくも無い。 しかし、しょうがない、という日本語は、諦めて受け入れるというニュアンスがあるので、 国策に関する発言に使用するには、よほど注意しなければならない。 そういう意味で、非常に軽率な発言だと思う。 経緯はともかくとしても、米国が無差別大量殺人兵器を使用した事は事実であり、 その事実だけをもってしても米国に対するカードになり得るのに、 従軍慰安婦決議案が米国で俎上に上っている状況下で自らカードを放棄するような発言をするとは、 この人は国益を何だと思っているのかと。 たぶん何も考えていないのだろう。

金沢へ帰還。



2007年7月1日

午前中に大阪に到着。何とか無事に辿り着くことができた。 燃費を計算すると、リッター6Kmくらいであった。 大家さんにガレージの鍵をもらい、車を納めて一件落着。 後はひたすら寝た。



2007年6月30日

預けていた車を受け取りに行ってきた。 プロペラシャフトのバランスがガタガタだったのだが、 色々と手を尽くしてもらったお陰で良い感じに仕上がっている。 ただ、2500回転あたりで少しゴトゴトするのと、4000回転あたりで別の細かい振動が残っているのが気になるが、 25年前の古い車なんで100%完璧にならないのは仕方が無いだろう。
車を受け取り、一度福岡に戻り、ガレージの中の荷物を積み込み、掃除して、大阪に向けて出発。 これで福岡の拠点を全て撤収という事になると思うと、4月に引っ越した時より感慨が大きかった。
途中で故障してしまうと進退窮まるので、時速110Kmくらいでゆっくりと、 しかもSAで時々休みを取りながら移動した。福山SAあたりで眠気が限界に来たので睡眠。

朝鮮総連本部の仮装売買未遂事件は、朝鮮総連が被害者という形で決着が着けられるようだ。 素直に考えれば、公安と総連が一緒になって通謀虚偽表示を画策したと考えるのが妥当だと思うが、 裏で何か取引が行われたのだろう。何とも後味の悪い結末である。

ミートホープが、肉の解凍に雨水を使っていたとか。 わざわざ雨水を使う方が金がかかるんじゃないか?  ここまで来ると何か偏執狂的なものを感じるな。



2007年6月29日

今日もどんどん玉を落とした。100万のマイナス。 結局、今月の収支はマイナス3400万ほどで損益率は−10.16%。 上半期の収支はプラス2400万ほどで、年初資金に対する損益率は+7.2%。
今月は一度もプラスにならず、気持ちの悪いやられ方をして相場を止めたくなった一ヶ月であった。 ただ、昔からいつかはやってみたいと思っていた、一つの銘柄を1000枚以上建てる、 というのをとうとう実現したので、それはそれで良かったかなと(NONGや中部ガソなら簡単だが)。 まぁ、身銭を切ったネタということで。

今日は英語で少し話をしないといけなかったが、あまり準備してなかったのでボロボロだった。 駄目過ぎる。

友人と天神で少し待ち合わせてお茶して、その後は中州へ。



2007年6月28日

今日もずっと仕事。昨日と同じくトイレの中でこっそり取引。 金銀ストラドルとコーン大豆鞘を全部落とした。 最悪期に比べると4000万ほど回復したが、まだ今月の収支は3300万のマイナスで、 しかも建ち玉も縮小気味なので、今月のプラスはほぼ絶望的だろう。



2007年6月27日

今日から西新で仕事。相場を見る時間はほとんど無いのだが、何とかトイレの中でこっそり取引した。 今日は色々と順行してプラス2100万。昨日のマイナス分と同じかよ。 撤収モードなので落ち玉主体で。

キャナルシティーで「ゾディアック」を観た。 殺人事件の謎解きに取り憑かれ、人生が狂って行く人達を描いた、実話を基にした映画。 好き嫌いが分かれると思うが、僕はこういう映画は結構好きである。



2007年6月26日

クラック逆行、インフレヘッジ逆行、原油粗糖鞘逆行、マイナス2100万。 もうなんだか相場張るのが面倒臭くなって来た。 明日から玉整理してしばらく休もうと思う。 ただ、一気に落とすと値段が動いて大変な事になるので、徐々に落として行くつもり。
今回の苦戦の原因は鞘滑りを甘く見たという事に尽きる。 内外石油製品価格や需給状況からクラックは拡大すると考え、 現在の製品の順鞘はそのうち期近から解消すると見ていたのが、いつまで経っても順鞘は無くならず、 鞘滑りにやられてしまった。 ざっと4000万ほど鞘滑りでやられた計算になる。筋が悪過ぎる。 まさに、鬼より怖い鞘滑りである。



2007年6月25日

以前の勤務先へ顔を出し、夜は焼き鳥を食いながら情報交換など。



2007年6月24日

消えた年金のうち、社会保険庁職員による横領が、発覚しているだけで1億円以上になるらしい。 腐った組織は際限なく腐るという見本みたいな事例。日本の組織とは思えんぞ。 中国かどこかじゃないのか?

今日から出張と私用を兼ねて福岡へ。



2007年6月23日

今週のミナミの帝王、あれはちょっと何だかなぁと思う。 場節が終わった後に20分以内ならバイカイ付け出しができるので、ある場節の後に、 上がった場合には直前の場節で客に売らせ、 下がった場合には直前の場節で客に買わせれば、必ず客に損の玉を回す事ができる、 というのが趣旨なんだが、 コーヒーや粗糖だと次の場節が来ないと上げるか下げるかわからないので、 20分以内にバイカイ付け出しできても客の損益を操作することはできない (例外もあるが)。 東京ゴムや東京ガソリンを見ながらゴム指数や中部ガソリンにバイカイを振るとか、 シカゴやNYの夜間を見ながらコーンや中部ガソリンにバイカイを振るならわかるが、 そこまで考えているとは到底思えないな(そもそも中部はバイカイ付け出しできないし)。
恐らく作者が抱いているのは、刻一刻と商品の値段は変化していて、 それに対して一日に何回か場節があるというイメージなのだろう。 寄りでバイカイを振っておいて後から付け替えたり、自己玉を付け替えたり、 というのと混同している可能性もある。 なんにしても、お粗末な話であるが。
そもそも商品先物の客殺しの本質は、向い玉や両建てにあるのではなく、 レバレッジの高さと回転売買にあるのだが、そのあたりの事は少し取材しただけでは多分わからないのだろう。 通常取引の手数料は高い事は高いが、それでも儲けている人もいるので、致命的に高いわけではない。 しかし小幅な損益で玉を回転させると、損益に比べて手数料の比率が非常に大きくなり、致命的になり得る。 両建ては資金を拘束して取引を継続させるための手段に過ぎないし、 向い玉は場勘の調節と会社側の損益の平準化(客が儲ければ自己玉は損するが手数料で儲かる、 客が損すれば手数料はあまり入らないが自己玉で儲かる)のためであり、客が損をする本質ではない。 そういえば、先物で一般人が勝てないのは現受けできないから、 なんてトンチンカンな事を言ってた弁護士もいた。 現受けするには丸代金が必要だと知ってるのかな?  逆に丸代金くらい資金の余裕を持って取引すれば、現受けできない商品でもそれほど危険ではない。 株は下げても塩漬けにしておけば損をしないと思っている素人と同レベルである。



2007年6月22日

今日はクラックを仕切って、引け前にまた仕掛け直した。 一時期、原油が石油製品に完全に連動してしまってどうしようもなかったのが、 ようやくそれなりに動くようになってきた。良い事である。拡大してくれればもっと良いのだが。

午後、早めに仕事を切り上げて、まずは銀行で数百万の住民税第一期分を払い、 そのまま金沢駅からサンダーバードで大阪へ。 大阪地下鉄の車内でグアム3泊4日39800円という広告を見て、 昨日飲んだ金額と海外旅行の値段が同じという事に何かスッキリしないものを感じた。

大阪では、ミナミで、洋士さん、出目のろっぽさん、エースさん、と晩飯を食った。 自分は最近イマイチだが、エースさんは儲かっているようで何よりである。 金ピカの、外国では手ごと切断されて奪われそうな時計をしていた。
エースさんはいつも売り買いガッツンガッツン取っているイメージがあるが、 意外と損切りコストは多くかかっていると見ている。 だからこそ取る時にゴッソリ取るんだろう。 なかなか真似できるやり方ではない。 相場の張り方というのは個人の性格によって様々で、 万人に共通した正統なやり方は存在しないという事を改めて感じた (逆に、万人に共通する悪いやり方は存在する)。



2007年6月21日

久々にクラックが順行した。石油関係の出来高も多くなり、 玉を入れるのも一時期に比べるとかなり楽になって来た。 良い傾向である。今日はプラス1900万。 しかしまだピークから6000万ほどやられているし、今月の収支もマイナス4000万である。

午前中は、仕事の合間に時間を見つけてデータファイルを修正。 ようやく完全に復旧した。それにしても死んでる銘柄が多いな。 東京野菜指数とか、指数値決済で納会節だけしか値段が動かない。

今日は午後は会議。夜はまた同伴でイタリアンへ。 名前は忘れたが、美味いワインを飲んだ。 最初にグラスに注いだ時は、香りは良いけど高価なわりに苦くていまいちだと思ったのだが、 時間が経つにつれて魔法のように味が変化し、最終的に非常にまろやかなワインになってびっくりした。 この繊細さというか、ワインにハマる人の気持ちも判るような気がする。
その後、お店に行って、開店記念日だとか何とかで同僚の人とシャンパンのボトルを開けたりして 4万円ぐらい使ってしまった。誰かに奢るならまだしも、自分の分だけで何万円も飲むとか、 以前には考えられない事である。



2007年6月20日

コーンの暴落と、日中のクラック順行で少し落としたのとで、プラス800万。 今まで一方的に積み上がるばかりだったポジションが徐々に解れて来たのは良い傾向だ。

昨日、仕事を終わって帰り際にプログラムをメモリースティックにバックアップしたのだが、 眠くて朦朧としていたためか、 メモリースティックの古いファイルをパソコンの新しいファイルに上書きしてしまっていたという、 衝撃の事実が発覚した。ここ二日間の労力が消滅してしまっていた。あまりの衝撃に呆然として、 短い間に、人生が嫌になったり自己嫌悪に陥ったりパソコンを叩き壊したい気持ちになったりしたが、 気を取り直して再び作業を開始。 最初に作る時は考えながらなので時間がかかるが、再現するのはそんなに時間はかからず、 5時間くらいで復旧させた。ほんと、注意しないと。

相場技研のデータファイルは、とりあえずプログラムを修正し、データは東工取と中部商取の分だけ復旧させた。 データを更新し損ねた場合、全部で38銘柄くらいあるが、 一銘柄6限月として200個以上のファイルを値段を調べながら修正しなければならない。 なかなかの手間である。
ちなみに技研のデータファイルは商品相場界では一番正確なデータであると自負している。 手に入る限りのデータと照合し、少しでもおかしい箇所は全て日経新聞の縮刷版で確認済みである。 昔は手入力だったためか、日経新聞も含め、手に入るデータは結構間違いが多い。



2007年6月19日

粗糖が暴騰してくれたおかげでプラス800万。クラックは相変わらずだが、 粗糖の玉が整理できれば大分と楽になる。

データファイルの異常は原因は判明したが、色々と忙しく、 メンテナンスは明日以降になりそうである。 データファイルが壊れています、と何通かメールを頂いたが、 どちらにしても、できる事はできるし、できない事はできないのである。

今日は朝から深夜3時頃まで仕事して、帰って寝た。 ほんとに家は寝るだけの場所になっている。



2007年6月18日

クラック逆行でマイナス800万。 うーん、これはいつぞやのクラックのようにターゲットになっているのかもしれん。 証拠金が少しきつくなってきた。 ピークからのドローダウンは9000万ほど。年初からの収支は1500万のマイナスに。 住民税、払えるかなぁ。

夜は片町へ。

相場技研のデータファイルの更新にトラブルが発生したが、今のところ原因がわからない。



2007年6月17日

午前中は疲れて寝ていた。午後は溜まっているメールの返事を書いた。 明日の相場はどうなるか、心配。



2007年6月16日

今日は面接の仕事があるので、朝のうちに富山から戻ってきた。
今まで大学院の入試や就職や転職などで面接される事しか無かったが、 面接する立場になると色々とポイントが見えてくる。 好印象を与える受け答えや態度が重要だが、 意識して練習すれば何とでもなると思うのに、疎かにしている人が多い。



2007年6月15日

今日は富山へ出張。

相場は粗糖関係が逆行してマイナス1000万。 今年の収支がマイナスに突入してしまった。いったいどこまで曲がるのやら。 もしかしたら狙われているのかもしれないなぁ。 某銘柄など、自分と同方向に、自分の持っている建ち玉数より多く建っている取引員が数社しか無かったりする。 その数社はファンド系なので、個人投資家の中では、その銘柄を一番多く建てている可能性もある。 出目のろっぽさんと電話で話したら、あんたアホかと笑われてしまった。
まぁ、この相場でやられたら、しばらく休むというのも良いかも。 現在の仕事は、ずっと望んでいた仕事であり、やり甲斐もあり、 他の事に気を取られずに全力投球したという気もするし、 相場は昔に比べると難しくなっているし、給料で生活できて、特に金が欲しいわけでも無いし、 実際、相場を張る意味が無くなってきている。 たぶん、破滅するまで意地を張らなければ1億から2億は残るだろう。 これで勝ち逃げするのが正解なんだろうなぁ。
しかしこの相場を取り切ったら、まだ続けるつもり。



2007年6月14日

仕事して一日終わる。夜は片町へ出勤。



2007年6月13日

新幹線、サンダーバードと乗り継いで金沢へ帰還。 疲れのせいか、例によって左の顎の辺りが腫れて痛む。 疲労が溜まると、いつも左の歯茎と顎が腫れ、左耳が聞こえ難くなる。 たぶん親知らずの根元のあたりに何かあるんだろうな。



2007年6月12日

夕方まで仕事。 夜は、廣瀬さん、えいじさん、Hさんと博多駅の近くで飲んだ。 やはり九州の料理は美味い。金沢の食い物も美味いが、 値段との兼ね合いを考えると九州に分がある感じだなぁ。
飯を食った後は、中州のえいじさん行き付けのお店へ。 楽しい夜を過ごさせてもらった。廣瀬さんは終電無くなってしまったが。

ホテルに帰ってから今日の収支を計算したら、クラック逆行でマイナス1400万。 今年のプラスがほとんど吹っ飛んでしまった。 現在のポジションは、外電が上げても原油ばかり強くて製品は叩かれ、 外電が下げても原油は下げずで、上げても下げても逆行する。 最低なポジションである。



2007年6月11日

午後から夕方まで仕事。夜は、飲みの予定が無くなったので、キャナルシティーで映画を観た。 観たのは「プレステージ」。 楽しめたは楽しめたが、最後にかけて、ちょっとそれは無いだろうという展開に唖然としてしまった。 例えて言えば、ミステリードラマで、密室殺人が起こり、普通では絶対に不可能な犯行、 しかも容疑者にはアリバイがあり、いったい真実は???と盛り上げておいて、 最後に実は犯人は超能力者でした、というくらい台無しなオチである。 まぁ、予想外という点ではびっくりさせられたが。
ちなみに、小鳥を使ったマジックで、マジックをするたびに一匹ずつ小鳥を殺してしまう描写があったが、 実際にはそんなもったいない事はしない。ただ、たまに失敗して死なせてしまう事はある。



2007年6月10日

クラッチ交換以降、車の調子が良くないので、診てもらいに行った。 高速を飛ばすとやはり気持ち良い。 車が車だけに、追い越し車線を走っていると前を行く車がどんどん車線を譲ってくれる。
車の状態はあまり良くないようで、少し手間がかかるとのこと。 次回、福岡に来るまで預かりで対処してもらう事になった。



2007年6月9日

月曜から九州出張なのだが、私用のため、今日から福岡へ。 しばらくぶりに福岡に来たが、日差しの濃さが違うな。

久しぶりに車を動かそうとしたら、またしてもエンジンがかからず。 ちゃんとバッテリーの端子は外しておいたのだが。 以前、クラッチが駄目になった時にだいぶバッテリーを酷使したので、 弱くなっているのかもしれない。 仕方が無いのでJAFを呼んだ。これで3回目。 車を細かくチェックしてみると、塗装の浮きを二ヶ所、ガラスのヒビを一ヶ所発見した。
友人が、紹介したい人がいるというので、前原までドライブした。 陶芸家の上原治夫先生を紹介して頂いた。 この方の作る器は、主張が強過ぎず、上に乗せた食べ物を生かす方向に徹しているのが、 自分の好みにも合っている。 工房でチーズやワイン(車なので一口だけ)などをご馳走になった。
帰りに近くの川で蛍を見た。何年ぶりだろうか。



2007年6月8日

今日はほとんど全てのポジションが逆行して、前日比で資金が2500万も減った。 ピークから6000万くらいやられている。今年の利益も2000万まで減ってしまった。 しかし、酷い状況だがクラックに動きが出てきたのは良い傾向かもしれない。

夕方から関西へ。 途中、福井の手前で二本ほど前を走る電車に人身事故が発生し、1時間以上の足止めを食らった。 やっと動き出したと思ったら、今度は車内で急病人が発生。 おそらく動かない電車の中で気分が悪くなったのだろう。 「お客様の中にお医者様か看護士様はおられませんか?」というアナウンスを初めて聞いた。 救急車が到着して患者さんは運ばれて行き、ようやく出発。 大阪に2時間以上遅れて到着した。



2007年6月7日

午前中は会議、午後も忙しくてあまり値段を見られず。 しかしクラックは少し減らした。

夜は同伴で日本酒の美味しいお店へ。能登の初桜という酒が美味かった。
それにしても同伴というシステムには何か不思議を感じる。 普通は、誰かに飯を奢れば奢られた方がより嬉しい、つまり奢られる方にプレミアムが発生するのだが、 同伴だと、男性が女性にお願いして奢られてもらう、という形になる。 つまり、女性に奢ることができる、という事にプレミアムが発生する。 擬似恋愛の提供という事なんだろうけど。



2007年6月6日

ずっと仕事。



2007年6月5日

原油粗糖鞘逆行、コーン粗糖鞘逆行、マイナス1000万。 取れる気がせんな。



2007年6月4日

新甫が発会して原油9月限が4番限に回ってしまうので、 先限に乗り換えようと板を見ていたら、いつもは閑散としているのに、 50330あたりから10枚刻みで20枚ずつくらい板が出ていたので、有難く頂いた。 更に50枚、80枚、と指値を出してもすぐに全部成立。 無事に先に乗り換えることができた。 natsuzohさんも同じタイミングで逆ポジションを先に乗り換えたようなので、 もしかしたら二人で売買していただけかも。 もしそうだったら、予め打ち合わせしておけば楽だったが。



2007年6月3日

サンダーバードで金沢へ帰還。

社会保険庁のずさんな年金管理が大きな問題になっている。 確か数年前には、年金保険料でマッサージ機やゴルフ練習機を購入して問題になっていた。 ここの職員は人間として恥ずかしくないのか?  いい加減な仕事しかせずに権利だけは主張し、以前から数多くの年金が消滅している事を知りながら、 誰も外部に告発しようとしなかった。 国民に寄生する寄生虫と言われても仕方ないだろう。 とりあえず職員は全員、国民年金分は放棄してもらわないと話にならない。 記録の照合など、ここの馬鹿どもに任せておいたら手を抜くに決まっているので、 社会保険庁は即刻解体して全員解雇し、後始末は入札で民間業者に任せるのが一番である。
そういえば、しばらく前に国会議員の年金未納が多発していたが、実態を知っていて、 破綻を見越した上での未納なのかも。そうだとすると結局、 何も知らされていないのは一般庶民ばかりという事である。



2007年6月2日

富田林でガレージの契約をした。契約は7月から。



2007年6月1日

夕方から関西へ移動。

相場は冴えん。



2007年5月31日

さすがに二日連続で泊まりはキツいので、昨日から持ち帰って仕事をしていた。 今日締め切りの英語の書類があったのだが、 朝7時頃に八割がた書けた所でパソコンがフリーズし、そのまま起動しなくなってしまった。 職場で半分くらいまで書き上げていたが、 正直、そこからやり直す気力はもう残っていない。 よりによってこんな時に…、と思い、色々と試すが、 完全に逝ってしまったようである。 何となく、フリーズの仕方から、マザーボードあたり原因でハードディスクは生きている予感がしたので、 余っている部品を集めて即席でパソコンを組み上げ、 問題のハードディスクをセットして電源を入れると…、 いきなり電源ユニットからバチバチと火花が発生し煙が出てきた。 もう出勤に間に合わないのではと思いつつ、 逝ってしまったパソコンから電源を取り出して即席パソコンに付けると、 何とか立ち上がってくれ、データも回収でき、職場の会議にも間に合った。 書類は午後から続きを書いて何とか無事に仕上がり、送信。 そんなわけで、相場を見る暇は一瞬も無かった。まったく。
一仕事片付いたので今日は陽のあるうちに家に帰ってきた。 とりあえずWindowsのデスクトップが無いと話にならないので、 Linux機を一時的に休止することにしてマザーボードを拝借し、 死んだパソコンから使える部品を全部移行して復帰完了。 しかし、こういう事態を考えるとWindows機も二台あった方が良いかもなぁ。 万全を期すなら、一台にHDを3台載せて、一つをOS、もう一つをデータ、 あと一つをスクリプト組んで重要なファイルを自動でバックアップするようにすべきかもしれない。
それにしても、同時に壊れた電源はいったい…。

今月の利益率は+1.58%であった。足踏み状態である。



2007年5月30日

昨日から職場に泊まりこんで仕事をしている。 相場は結構曲がっているようだが、集計する暇も無かった。



2007年5月29日

今日はクラックが少し順行した。 今まで引かされるばかりで全然回転が利いてないので、原油9月限にもまだ結構玉がある。 朝から1時間で80枚くらいしか出来てない所に、指値で50枚とか出しても延々と成立しない。 成立した頃には原油先やガソ灯油が大きく動いた後で、必ず不利な仕掛けや仕切りになってしまう。 今のクラックは往復で150円くらいは不利を受けるのを前提に考えないとどうしようもない。 9月限はもうすぐ4番限にまわるし、気が重い。 あまりの板の薄さに、取引自体を辞めたくなってきた。



2007年5月28日

ZARDの坂井泉水さんが亡くなられた。高校生の頃から好きで良く聴いてたのでショックである。 ちょっと謎な年上の綺麗なお姉さんという感じだったなぁ。

同じ日に報道されたのが、松岡農相の自殺。 なんとか還元水の時もそうだったが、結局この人は、完全に政界の論理でしか思考できない人で、 国民の視点なんて考えた事も無いんだろう。 談合事件がらみで他の人を守るために死んだと言われているが、ふざけた話である。 彼らの村の中では秘密を守って死ぬのが正しい選択なのかもしれないが、 一般的な感覚からは完全に乖離している。 まぁ、こんなくだらん人間を選んだのは有権者なんだが。

粗糖がストップ高でプラス700万。換算上はストップ高でも500円以上足りないのだが、 張り付きでもなけりゃ大きな玉が入らないので、少し仕切った。



2007年5月27日

今日も自宅で朝から晩まで仕事。



2007年5月26日

外出はスーツをクリーニングに出したくらい。 家の事も洗濯したくらい。後は自宅で仕事。

NYで粗糖が暴騰している。遅すぎだなぁ。 月曜日はストップ高張り付きが妥当だが、今の地合いだと、そんなに上がらなかったりして。



2007年5月25日

朝から晩まで仕事。忙しいピークは今月末のようで、来月になれば少しは時間が取れそうだが…。

長丁場であったコーン売り大豆買いの鞘取りは玉無しに。 それにしても一般大豆の期近は凄い事になっている。 誰が狙われているだの、どこが何枚受けるだの、その手の情報は良く入ってくるが、所詮は他人の相場である。 10枚や20枚仕掛けて何百万か取っても仕方が無いし、かと言って、100枚も200枚も玉を入れると、 その相場を作っている人に迷惑がかかったり、逆にこっちが狙われる可能性もある。 自分の戦域は期先なので、近い方は見るだけに限る。



2007年5月24日

クラックと原油粗糖鞘が逆行してマイナス700万。現状は粗糖関係よりもクラックに玉が入っている。 苦戦している諸悪の根源は、国内石油製品の異様な安さと、WTIに比較したドバイの異様な高さにあるのだが、 こんなバカバカしい状態は長くは続かないと見て方針は維持する。 石油製品の鞘滑りが気になるが、実質的には鞘は滑らないと見ているが…。

午前中は仕事、午後は会議、夜は仕事のきりが付かず、職場に泊まり込んでしまった。



2007年5月23日

久しぶりに順行、プラス1200万。

晩は、同伴でイタリアンにお付き合いして片町へ。



2007年5月22日

今日も逆行、マイナス300万。

大阪でシャッター付きガレージを確保した。車を福岡から持って来るのがまた大変だなぁ。 調子悪いので福岡で一度診てもらってから乗ってくることになりそう。
車庫証明を取らないといけないのだが、現住所が金沢なので少し面倒である。 最初は使用者を別に設定しようかと思ったが、保険の関係で難しいという事がわかった。 使用の本拠の位置をガレージの近くに設定して、 その住所宛の郵便物を手に入れれば車庫として登録できるようだ。



2007年5月21日

色々と逆行して、とうとう今月もマイナスに転落してしまった。 どうにも勝てない。ピークからのドローダウンは3000万を越えた。 真綿で首を絞められるように負けていくなぁ。 自分の手法に対して自信が無くなって来るこの頃である。 しかし今の相場つきでは、過去のどのような自分の手法を想像しても取れる感じがしない。 淡々と張り続けるしかないか。

totoBigが人気だそうだが、ちょっと確率を計算してみれば、 すぐにほとんど得ではないという事がわかる。 キャリーオーバーが無い場合の期待値が販売金額300円の50%(1等40%+2等以下10%)で、 今回は1等に約15億円のキャリーオーバーがあるが、1等の上限が6億円のため、 上限金額が出たとしても、6億/3^14+30=155.45円程度の期待値にしかならない (数字はランダムに選ばれるので、勝ち負け引き分けの確率は関係しない)。
ちなみに、キャリーオーバーが100兆円とか、莫大な額が発生しているとしても、 払い戻し総額の期待値は購入総額を越えない。具体的には、 今回のtotoの販売数をnとすると、1等がk本出る確率を p(n,k) とすれば、 p(n,k)=C(n,k)*(1/3^14)^k*(1-1/3^14)^(n-k) となり(C(n,k)はn個からk個取る組み合わせの数)、 2等以下は必ず当たりが出るとしても、一枚当たりの払戻金額の期待値は (300*n*0.1+農(k=1)^n 6億*k*p(n,k))/n。 となる。これは少し計算すると、nに関係なく一定で、30+6億/3^14=155.45円となる。 これは最初に求めた期待値と同じ(当たり前であるが)。



2007年5月20日

駐車場の目星をつけてきた。看板にあった連絡先に電話してみたが繋がらず。休日だからかな。

晩飯は韓国料理を食いに行った。そういや、大学時代に韓国へ旅行したのが懐かしいな。 関釜フェリーで釜山に渡り、慶州、江陵、束草と東海岸をバスでちびちびと北上し、 統一展望台で北朝鮮を眺めてからソウルへ行き、江華島を周り、 高速バスで釜山まで南下してフェリーで日本に戻って来た。全部で2週間。 食事はだいたい町の定食屋のような所に行って、言葉は通じず、メニューのハングルも読めなかったけど、 ガイドブックの料理の写真を見せたりして何とかなるもので、味も外れは無かった。 どこでも、おばさんが早口でまくし立てるので困ったけど(ゆっくり話されても理解できないのは同じだが)。 最後だけ地球の歩き方に載っている焼肉屋に行ったが、日本語が通じても、 値段が高い上に大して美味くも無かった。
また韓国もいいけど、中国に行きたいなぁ。あとベトナムも行ってみたい。 仕事では、たぶん来年に中国に出張することになりそうだけど。



2007年5月19日

英語のビジネスレターを書かねばならず、午前中一杯は掛かり切りであった。 午後から、溜まっているメールの返事を書き、 夕方からサンダーバードで大阪へ。ちなみにサンダーバードと聞けば、JRの電車より国際救助隊だな、やっぱり。 晩はくら寿司へ。



2007年5月18日

原油が高騰したおかげでマイナス400万。今月のプラスが残り僅かに。 どうも最近はスッキリしないなー。

大阪から出張でこちらに来ている人を囲んで、職場の人達で片町で飲んだ。 週3回以上、平均して1万5000円〜2万円ずつ飲みに使っているので、 このペースだと月20万くらいになりそう。 みんな良く金が続くなーと思うのだが、参加する頻度の高いメンバーは、年収も多そうだし、 夫婦で共働きだったり、副業でマンションを経営してたり、余裕のある人ばかりである。 今はまだこちらの職場にも来たばかりなので、誘われたら基本的に応じようと思っているが、 そのうち適切なペースが決まってくるだろう。



2007年5月17日

何だかクラックが順行したのは久しぶりのような気がする。 色々と動いているので、午前中は少し仕事をサボって売買した。 現在1500枚くらい玉が建ってるのに、ほとんど現実感が無い。

日中は仕事と会議、夜は職場の近くで軽く飲んで、一日終了。



2007年5月16日

早朝6時に起きて資料作成の続きをやり、午前中に何とか完成。 午後にプレゼンをやったが、出来はまぁまぁか。 夕方から武蔵ヶ辻で飲み、更に片町で飲み。

相場は、売ってる原油とコーンが急騰し、目一杯買っている粗糖が暴落して、 マイナス500万。インフレヘッジのおかげでマイナスも少な目で済んだが、 それでも二日で1000万以上やられると、空しくなってくる。

労働組合に入るように勧誘された。人間関係も広がりそうで面白そうではあるが…。



2007年5月15日

明日、ちょっとしたプレゼンをする予定になっており、一日中、資料を作成していた。 晩の11時頃にはさすがに疲労が溜まってきたので帰宅。

相場は色々なポジションが逆行してマイナス600万。 調子が悪すぎる。



2007年5月14日

特に記すべき事は無し。朝から晩まで仕事、晩は片町で飲み。



2007年5月13日

少し、相場のデータの整理をしたくらい。 ビール飲んで寝た。



2007年5月12日

洗濯したくらいで、後はずっと寝ていた。 基本的に、家の事は土日にやるしか無いのだが、疲れてやる気が起きないと、 いつまで経っても生活が正常化しない。 部屋中、荷解きしてないダンボールだらけで、引っ越して来た時と状況が何も変わっていない。



2007年5月11日

仕事中、気分がすぐれず、ソファーに倒れこんでしまった。疲労だな。 寒気もするので早め(と言っても午後9時頃)に帰宅。 飯食ってビール飲んで寝た。 土日はダラダラする!

相場は、メインターゲットを粗糖関係からクラックに移しつつある。
コーンの順鞘が縮小してきた。当然の動きなんだろうけど、いつかは縮小すると思っていても、 実際に縮小するまでに何ヶ月もかかるようでは、とてもじゃないけど張ってられない。

アメリカの大学を卒業した人と話したのだが、向こうでは、 大学で殺人事件が起きても(この間のような大量殺人なら別だが)、 数人殺されたくらいではニュースにもならないそうだ。 そのくせ、学長の不倫は連日のニュースになるとか。 銀行強盗なんかもしょっちゅうで、あぁ、また起きたんだ、くらいの感じらしい。 日本に来て、怪我人が出たくらいでもニュースになっているのを見て、ギャップを感じたと言っていた。 治安の良さというものが相応の負担の上に成立しているというのを忘れてはならないが、 素直に、日本に生まれて良かったと思う。



2007年5月10日

特にいつもと変わらぬ日常。 夕方から飲みのお誘い、職場の近くで飲んでから片町へ。 このままでは飲んでばかりで体が持たんな。



2007年5月9日

朝からずっと仕事中。

クラックは玉を入れても入れても報われないなぁ。困ったもんである。
白金が全限月5000円を越えて引けた。1000円台だった頃から考えると隔世の感がある。 白金は今まで200回くらい取引しているが、売りから入ったのは20回だけである。 そのうち15回はデイトレ、3回が一晩のみオーバーナイト、1回が鞘取りの片割れ、 残り1回が買い玉に対する売りヘッジであり、相場を始めた頃からほとんど買いでしか見ていない。 商品には、価格が上がれば荷物が出て来て需給が緩和する銘柄と、 価格が上がってもあまり需給が緩和しない銘柄があり、 白金は後者だと考えているので、どんなに高くなっても売りは厳禁という認識である。



2007年5月8日

朝から翌3時くらいまで仕事。



2007年5月7日

日中はずっと仕事。夜は職場の近くで飲んでから片町へ出て飲み。

相場は、原油売り粗糖買いが順行してプラス1300万。 ようやく累計収支が5億に復帰した。



2007年5月6日

職場に行ってちょっと仕事をした。以上。

今日でGWも終わりである。明日からまた相場が始まるが、 最近は張るのも面倒なので、もうしばらく市場は閉まっていてくれた方が良い。 そんなん思うんやったら休めば?って話だが。



2007年5月5日

映画でも観に行こうかと香林坊に出た。アトリオで昼飯を食ったあと、 ぶらぶらと片町方面や堅町通りなどを散歩した。 このあたりに映画館は無いんだなぁ。ちょっと予想外 (109の中に単館系の映画館があったけど、その時やってたのは微妙だった)。 犀川まで出てみたが、京都の鴨川のような感じを想像していたものの、 河川敷が無く、休憩できるような場所ではなかった。 上流の方に行けばそうでもないらしいけど。
その後は片町から疎水沿いに歩いて金沢駅まで散歩した。 駅前のイオンで3年ぶりくらいにUFOキャッチャーをやり、 じゃがりこ袋詰めセットと40cmくらいの板チョコを取った。 彼女はリラックマのぬいぐるみを取っていた。

イオンの映画館で「バベル」を鑑賞。 まぁまぁ良かったが、色々な要素が浅く広く盛り込まれているために焦点がぼやけた印象である。 世の中には得てして巡り合わせの悪さというものがあり、 何でよりによってこういう時にこういう事が起こり、 こんな行動を取ってしまうんだろう、といういう様な事がある。 そんな、緩やかに悪化していく状況下で、様々な人間関係の類型を描いた作品である。 モロッコ、アメリカ、日本、メキシコで、 同国人と外国人、強者と弱者、家族と友人と他人、 等、ありとあらゆる人間関係のパターンが呈示され、事件によって、 あるものは変わらず、あるものは変化する。 登場する人物は様々だが、ほとんどの人物に共通するのは、 自分の基準でしか他人を判断できないということ。 それゆえに本当の意味で他人を理解することが出来ない。 そのあたりを意識している人にとっては、世の中そういうもんだよなー、と感じるだろうし、 問題意識の無い人にとっては、何となく気持ち悪さだけが残る映画だと思う。 菊池凛子さんの役柄が若くてちょっと驚いた。 しかし、コミュニケーションを題材にした作品に聾者を登場させるというのは、 ちょっと安易すぎないかと思うが。

帰宅後、近くの温泉へ行き、入浴後、休憩所でビールと枝豆と焼きそばを食べてきた。



2007年5月4日

買い物をしたりしてダラダラ過ごす。 近所の回転寿司に行った。たぶんネタは悪くないと思うんだけど、やはり味が変だった。 昨日のビールも何かおかしかったし、たぶん味覚異常かもしれない。 先月からろくなもん食ってないからなぁ。亜鉛が足りないのか。



2007年5月3日

昼間は溜まっているメールの返事を少し書いたり、色々と住所変更の手続きをしたり。 夕方から彼女が遊びに来たので、近所の居酒屋で飲んだ。

ビールの味がなんだか変だった。疲れてるのか。



2007年5月2日

今日も仕事。4月から忙しなかったので、連休はゆっくり休むつもり。 連休前だが特にポジションを縮小する事もしない。 たぶん一ヶ月放置しても問題の無いポジションなので、連休が入ろうがあまり関係ない。



2007年5月1日

一日中仕事。5月中は何かと忙しそうだ。

給料は別に幾らでも良いのだが、予想していた以上に多かった。 個人的には、給料の額よりも個室をもらえたのが嬉しい。ソファーもある。 相場を張ろうと思えばいくらでも張れるが、職場にいる間はあまり時間を取れない。 それに相場を張る意味を失いつつあるのが現状である。 今はどちらかというと本業に全力投球したい。

夜は職場の人と片町で飲んだ。



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