先物日記(2007年9月〜12月)

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2007年12月31日

梅田で出目のろっぽさんと待ち合わせ、ろっぽさん一家と自分と彼女の5人で伏見稲荷神社へお参りに行った。 今年は相場で損した以外は特に悪いことは無かったなぁ。穏やかで良い一年であった。 やはり人生の基本は人間関係である。 既存の人間関係が良好に保たれ、新たな人との出会いが良いものであれば、 他が少々悪くても、良い一年であったと言ってよいと思う。 そんなことを考えながら手を合わせていた。
おみくじは吉だった。参道の食事処では名物の雀を食べた。生まれて初めて食べたが、 骨が多くて内臓も一緒に焼いてるので、焼き鳥とレバーを合わせたような味がする。 不味くはないが、そんなに美味しいものでもないな。
梅田でろっぽさん一家と別れ、阪急百貨店へ。喫茶店で紅茶とケーキをいただいた。 その後、梅田スカイビルで開催中の「人体の不思議展」へ。 人体標本は中国製である。 中国人の死刑囚を使っているとか、そうじゃないとしても、 死体売買のような事態は容易に想像できることなど、 倫理的には問題が多いのだが何となく入ってしまった。次からこういう企画に対しては少し対応を考える。 どこを見ても主催者が誰かも書いてないし、怪しさ満点である。
再び阪急百貨店に戻り、デパ地下でサラダと年越し蕎麦とケーキを買った。 もの凄い人出でびっくり。大阪のおばちゃんのパワーに圧倒された。
ケーキを食べ、おやつを食べ、サラダを食べ、紅白を観、生八ツ橋を焼いて食べ (フライパンで少し焼くと美味い)、この前、千早で買ってきた虹鱒の甘露煮と蒟蒻を食べ、 年越し蕎麦を食べて年を越した。

来年は今年にも増して激動の一年になりそうだ。 世界的なインフレにいよいよ歯止めが効かなくなり、 下手すると急激な世界経済の落ち込みに見舞われる可能性があると思う。
今年苦戦した大豆の鞘については、数ヶ月以内に正常化すると見ている。 もっとも、数ヶ月あればどれだけ逆行するかわからんが。

いつも先物探花を訪問してくださっている皆様、今年一年ありがとうございました。 来年も宜しくお願い致します。



2007年12月30日

今年はマスコミ、特にテレビのレベル低下が目立ったような気がする。 マスコミが勝手に物事の正邪や真偽を決め、間違っていても反省することはない。 金沢に引っ越すときにテレビを捨てたが、新しいのを買う気にもならない。 朝青龍報道とか、馬鹿じゃないのか?
マスコミに対峙するものとしてネットがもてはやされているが、 その内実は、無責任な煽りと伝聞情報が蔓延し、有用な情報はごく少ない。 結局のところ民衆は、一見すると威勢が良く、 耳触りの良い情報だけにしか接することが出来なくなってきている。 溢れる情報を分析して取捨選択し、背景を見抜く能力が重要になってきている。
マスコミもネットも、秋田連続児童殺害事件で畠山鈴香容疑者を犯人扱いして当たり、 調子に乗った挙句がこの前の香川の三人殺害事件の報道。無責任な言動を垂れ流した奴らも、 過ぎ去ればみんな知らん顔をする。
裁判関連のトピックも話題になった。 光市の母子殺害事件や地下鉄サリン事件は酷い事件だが、 酷い事件だからといって、大衆が犯人をリンチして良いわけではない。 全ての刑事被告人には弁護士の弁護を受ける権利があり、 事実認定は裁判を通じてのみなされる、というのは司法制度の基本である。 どんなに被告人の供述や弁護側の主張が非現実的で真実味の無いものでも、 それが事実であるかどうかの判断を下すのは裁判官であり、大衆ではない。 大衆が正常な手続きを踏まずに事実認定に介入し、影響力を行使するようになれば、 日本の司法制度は崩壊するだろう。 そんな簡単な事もわからない人が多すぎる。
大衆愚民化の行き着く先はポピュリズムと相場は決まっている。 例年より危機感を感じた一年だった。

今年はあまり映画を観られなかったなぁ。とりあえず一番良かった邦画は「それでもボクはやってない」、 洋画は「ブラッドダイヤモンド」ということで。
今年読んだ本で良かったのは、日本の作家が高村薫「マークスの山」 (合田刑事のシリーズで今までなぜかこれだけ読んでなかった)、 海外作家がディケンズ「大いなる遺産」。 一番面白かった漫画は山田芳裕「へうげもの」。
音楽では、坂井泉水さんが亡くなったのに衝撃を受けた。

個人的には、金沢に転職したのと、別荘を建てることになったのが、 今年の二大イベントである。 どちらも、なるべくしてなったような、人間の不思議な縁を感じる出来事であった。



2007年12月29日

そういえばラーメンを食ってなかったので、バスに乗り、名島方面へ移動。 三洋軒に行ったら、あららら、休みか〜。仕方ないので、名島亭へ行くことにした。
せっかく名島まで来たので、自分のお気に入りの場所である、名島城跡の近くの海岸へ行った。 帆柱石のあるあたりの岩場が好きで、よく家からここまで散歩して、 海を見ながらボーッとしたものである。
しばらく海を眺めてから名島神社に参拝し、名島亭へ。 名島亭自体は、美味さで言えばそこそこだと思うんだが、 久しぶりに食べると滅茶苦茶美味く感じるなぁ。反則に近い。 体に悪いとわかっていても汁を最後まで飲んでしまう。
ラーメンを食った後は、千早駅まで歩き、博多駅から新幹線で大阪へ。

フィギュアスケート全日本選手権、高橋大輔の滑りを見た。 不安定なところが微塵もない。別格だなぁ。 たとえ日本経済が駄目になっても、スポーツや文化で世界をリードできれば素晴らしいのだが。



2007年12月28日

最後まで狂ったような状態で今年の相場が終わった。今日はマイナス2000万。 今年の相場の幕切れに相応しい大逆行である。 今月の損益率は−13.89%。 今年の損益率は−9.22%となり、2001年以来の年間収支マイナスとなった。 相場を始めてから現在までの収益率は+22498.73%。 今年の収支は以下の通り(今年の仕切り分+現在の値洗い−昨年末の値洗い)。 大まかに言って、クラック、原油売り粗糖買い、大豆鞘の三通りで1億ほどやられ、 インフレヘッジで7000万ほど取っている状態である。 インフレヘッジが無ければ大変なことになっていただろう。

東工金            9,503,860
東工銀           13,756,752
東工白金          16,108,816
東工パラジウム       1,929,506
東工アルミニウム      2,803,932
東工原油        -386,537,088
東工ガソリン       165,104,197
東工灯油         170,976,859
東工ゴム          12,578,008
東穀コーン        -28,090,183
関西コーン          1,759,500
東穀一般大豆       93,364,167
東穀NONGMO大豆  -104,606,300
東穀アラビカ        -2,946,280
東穀ロブスタ         916,425
東穀粗糖          2,584,608

合計            -30,793,221

酷い相場も今年はもうこれ以上は無いし、気分良く年末年始を過ごすことにしよう。 一昨日と昨日と今日の3日間で3300万やられていて、胃が痛んで吐き気がしたが、 終わってしまえば別に何とも思わない。 金というのは無ければ不自由するが、一定以上の金は人間にとって大して価値のあるものでは無いな。 減ろうが増えようが、くだらん話である。
少し脱線するが、金を儲けるという目的で、数百万以下の金額で何年もダラダラ相場を張っている人は、 考え直した方がいいと思う。 数百万の金を儲けるなら、相場ではなく仕事や副業で稼いだ方が遥かに効率がいい。 才能があれば別だが、才能があるならそもそも何年も同じレベルには止まっていないはず。 金を儲けるのが目的ではなくて相場を張るのが目的なら、それも良いのだが。

午後から友人と会い、お茶屋さんでお抹茶を飲み、糸島方面に足を延ばして蕎麦を食べた。 やはり福岡は良いところである。糸島のあたりにもう一軒、別荘を建てるというのも良いかもしれないなぁ。



2007年12月27日

今日も逆行。大豆鞘、いい加減にしてほしい。

午前中は獣ちゃんと情報交換しながら相場を張り、昼頃にはゆいレールで那覇空港へ。 空港でソーキそばを食ってから搭乗。短い滞在だったが良い時間を過ごすことができた。
空港での待ち時間と飛行機に乗ってる時間に年賀状を書いた。 20枚程度なので手書きだがそんなに時間はかからない。 昨日、車で送ってくれた方にもお礼の年賀状を書いた。 あと3枚のところで福岡空港に到着。懐かしいなー。 福岡に住んでいたのは4年くらいだが、ほんとに良い思い出だけしかない。
博多駅周辺で用事を済ませ、岡地福岡支店へ。 廣瀬さんがHPの更新をしている間に年賀状の残り3枚を書き上げた。 それにしても、穀物が賑わったら石油製品が閑散となるような市場って…。 市場のパイは縮小する一方である。
6時ごろから、廣瀬さん、えいじさんと3人でモツ鍋を食いに行った。 良い出汁が出てて美味かったなー。二次会は中州のえいじさんお馴染みのお店へ。 良い雰囲気の店なんだけど、9時くらいまで自分達のグループしか客がいなかった。 いくら木曜日とはいえ中州は大丈夫なんだろうかと心配になる。 今回は廣瀬さんの終電があるうちに解散。 そーいやラーメン食うのを忘れてた。

さて、明日はとうとう大納会である。今年の収支がプラスになる可能性は低いだろう。 マイナスになれば2001年以来の年間マイナスということになる。 一時は9000万くらいのプラスだったんだけどなぁ。1億以上のドローである。



2007年12月26日

今日から移動の日々が始まる。 まずはタクシーで金沢駅へ。そこから高速バスで小松空港へ。 なんか、飲み過ぎと寝不足で吐き気がするんだが…。
何とか飛行機に乗り遅れる事もなく搭乗し、那覇へ向かう。 飛行中はほとんど寝ていた。那覇空港に着いたのだが、なんか…。暑い。 ジャンバーを脱いでも長袖を脱いでも汗がダラダラ出てくる。 Tシャツ1枚でも暑い。金沢と大違いだなー。 ちょっと相場が予断を許さない状況なので、バカンスを満喫したい所だが、 空港と国際通りあたりでトレードに専念した。 大豆鞘の値洗いマイナスが2500万突破。いい加減にしてほしい。 今日はマイナス600万。今年の収支がマイナスに転落。

場が引けてから路線バスに乗って糸満へ。糸満で更に乗り換えて、ひめゆりの塔へ。 もう夕暮れで資料館は終わっていたけど、学徒隊の病院の避難壕の跡を見ていると、 彼女らの恐怖、絶望、そして悲壮な使命感が感じられて思わず涙が流れた。 やはり現場を見ないと実感できないものである。 周辺は観光地化されていて土産物屋なんかがあり、修学旅行生らが能天気にウロウロしていたが、 普通に想像力があれば暗澹としてしまって土産物なんか買う気分にはならないと思うのだが。 せめて壕の前で手ぐらい合わせてほしい。
ベンチに座って今晩の宿の場所をパソコンで確認していたら、土産物屋さんの人に声をかけられ、 那覇市内まで送ってあげるよと言われた。 こういうのは内地ではほぼ考えられないことである。 お言葉に甘えて、車で送ってもらった。 やはり人情っていうのは南に行くほど篤いのかもしれない。
今晩の宿は一泊1500円のドミトリーである。場所がわからず散々迷った末に何とか到着。 部屋は共同で三段ベッドである。タオルも持参が原則。青い照明のシャワールームでシャワーを浴びたが、 タオルが無いのでそのまま服を着た。まぁ、金沢でも寒い中、 洗濯したての服をそのまま着て、体温で乾燥させたりしているので、何の問題も無し。 シャワーの後は国際通りへ行ってお土産等を買う。前回沖縄に来た時に行った 「ゆうなんぎ」という店で、オリオンビールと、イカとイカスミのジューシ(おじや)と、 ラフテー(豚の角煮)と、海ぶどうを堪能した。
買い物の後はドミトリーの屋上にあるバーへ。 バーのマスターとドミトリーのオーナーと3人で楽しく飲んだ。 趣味は何?という話をしていて、自分が、たまに車に乗ることかなぁと言ったところ、 例えばアルフェッタGTクーペとか、マニアックな車に乗ってるんじゃないの? と言われて半端じゃなく驚いてしてしまった。なんで一発でわかるんやー、ありえんだろー、と驚愕である。 マスターは昔アルフェッタに乗っていて、しかも奈良の自分の実家から数キロの所に長く住んでいたらしい。 あまりの偶然にびっくり。何はともあれ、楽しい会話で夜が更けた。



2007年12月25日

夜まで仕事。本年はこれにて仕事納め。夜は片町へ。焼き鳥を食ってからいつものお店へ。 いつも仲良く飲んでいる人達4人でシャンパン3本空けた。うーん、雰囲気って怖い。

薬害C型肝炎の被害者について、一律救済する方向で話がまとまりつつあるようだ。 しかし、既にカルテ等が廃棄されて因果関係が立証できない人が多数に上り、 実際に救済される被害者は一部に留まることになりそうである。 薬害肝炎については、他の報道機関がほとんど報道していない中で、 フジテレビのニュースJAPANが2001年から報道を続けていたのを覚えている。 それから7年余り。あまりに対処が遅すぎる。



2007年12月24日

昨日に引き続いて家の片付け。しかし片付かん。年賀状も書かないと。 しかも仕事が発生。うーむ。

クリスマスイブにすき屋で飯食ってるのもどうかと思う。



2007年12月23日

225オプションの研究と、部屋の大掃除。 いまだに引越してきたままの状態の未開封のダンボールがゴロゴロ転がっている。 カーテンも、どこにあるのか分からないので着けていない。 さすがに年内には、ある程度は形にしなくては。

外電はちょっと逆行っぽい。 現在のポジションは、クラックロングと原油買いとコーン売りと大豆鞘。 順行するのは原油買いだけで、後は全部逆行だろうなぁ。

古本屋で「金持ち父さん貧乏父さん」を見かけたので立ち読み。 こういうくだらん本は読む気にならんなーと思っていたのだが、 読んだこと無いのにくだらんとか言うのも何なので、一応、通して読んでみた。 まぁ、思ったよりはまともだったが、結局のところ内容は、 金が金を産むという世の中の仕組みを理解しろ、という一言で足りるし、 そんなの小学生の頃からわかっていたことで、何を今さらという感じ。 こういう本や自己啓発系の本などは色々あるけど、 お金の仕組みだとか、思考が現実化することだとか、 そういうのを現時点で有難がっている時点で時既に遅し、というか痛いなと。 そもそも資金の運用や思考の現実化なんてのは、まず適性ありきで、 誰もが上手にできるわけではない。 できる人はそんな本を読まなくても既に成功している筈で、 それを、誰でもできるように書いてあるという時点でどうかと思うのだが。



2007年12月22日

一日、ダラダラしながら225オプションの分析。

家ではあまり酒は飲まないのだけど、久しぶりの三連休なのでチビチビと飲む。 棚には、ラフロイグ、ラガヴリン、タリスカー、マッカラン、余市、と並んでいる。 酔うほどは飲まないので、ほとんど減らない。 でも、お店に入っている白州のボトルは、なぜかすぐに空いてしまう。



2007年12月21日

ほとんどのポジションが逆行、マイナス1000万。 とうとう大豆鞘の値洗いがマイナス1500万近くになった。 こいつに手を出さなければ今年は余裕でプラスで終われたんだがなぁ。 今日の時点で今年のプラスは1,309,632円。 今年プラスで終われるかは半々の確率だろう。
しかし粗糖にはむかつく。板の薄さに嫌気が差して撤収したけど、粘ってたら取れてたなぁ。 一時期は700枚くらい買い玉があったのだが。 取れるものから撤収して、駄目なものにばかり資金を投入してしまう。センスが無さ過ぎる。 相場を見られる時間が少なくなって、勘が働き難くなったというのも一因だろう。 やっぱり今の仕事をやりながらでは商品は限界がある。 もっとゆったり仕掛けられて、 全て事前に決めたフローチャート通りに売買できるものを探さねばならない。 225オプションがその候補になると思っているのだが。

久しぶりに片町へ。和食を堪能してからいつもの店へ。香箱、旨いなー。



2007年12月20日

風邪を引いたのか関節と喉が痛い。インフルエンザだったら嫌だなぁ。

ひとまず今日で年内の主要な仕事は終了した。まだ25日まで細々とした雑事があるが、 それが終われば冬休みである。一応、仕事納めは28日で仕事始めは1月4日なんだけど、 26日〜4日まで有休を取得したので、そこそこ休める。

飲みに誘われたが、体調が良くないので失礼させてもらった。

アラビカが上げてきている。鞘滑り取り狙いで売ってみたいものだが、 コーヒーだけは値動きが他の銘柄と全く違うから、リスクを軽減しようが無いんだよなぁ。 過去の値動きから、最大で5万円幅の逆行を想定し、ピンあたり400万の資金を用意し、 鞘滑りの期待値が年間4000円幅で20万。見込み利益率が年5%というところか。 リスクの割りにこれでは、あまり美味しくは無いな。為替のスワップ狙いと変らん。 暴騰したところで逆鞘になったりしたら目も当てられんし。 ゴム売りなんかだと、まだ原油なんかでヘッジが利くので自由度があるが、 アラビカはそうも行かない。



2007年12月19日

出張三日目。夕方にはサンダーバードで金沢へ帰還。

大豆の鞘取りの値洗いマイナスがとうとう1000万を超えてしまった。 いずれは取れると思うんだが、ここまで逆に行くとは予想外である。

仕事がまだ終わらないので、職場へ行って泊まり込み。



2007年12月18日

今日も滋賀へ。晩は飲んで、また奈良の実家へ。



2007年12月17日

今日から滋賀に出張。晩は飲んだあと、奈良の実家へ。

今日会った人は、滋賀は寒いと言っていたが、金沢に比べたらよっぽど暖かい。 天気予報で、全国が晴れか曇りなのに、石川だけ雨で思わず笑った。



2007年12月16日

久しぶりに愛車に乗り、千早赤阪方面へ。 河内長野から310号線を通って山の方面に進み、新千早隧道をくぐって千早城跡へ。 駐車場に車を止めて登り始めたが、結構きつい上り坂である。 楠木正成も、よくまぁ、こんな所に立て篭もって戦ったものである。 これだけ険しい地形だと攻める方も苦労するだろう。 城跡からは山並みの向こうに関西空港がキラキラと輝いて見える。 高地にあるせいか、空気の純度が高いように感じる。 大阪にもこんな場所があるんだねぇ。 城跡は、さすがに600年以上前なので石垣などは残っていない。 本丸跡には神社が建っている。
帰り際には雪が降り出した。近くにログハウスの蕎麦屋があったので休憩。 蕎麦は十割蕎麦で、難しいのはわかるけど、今後の精進に期待というところか。 ストーブの灯に暖まっていると、外は吹雪で真っ白に。 蕎麦茶と、付け合せの虹鱒の甘露煮が美味かったので、買って帰った。 このあたりは水がきれいなので、虹鱒の養殖や豆腐や蒟蒻が名産のようである。
雪も止んだので、今度は富田林方面に山を降りた。 その後はファミレスにこもって晩まで仕事。

今日の情熱大陸は良かった。出演は棋士の佐藤康光氏。



2007年12月15日

夕方まで仕事をしてから大阪へ。特急の中でもノートパソコンを開けて仕事。



2007年12月14日

20日までに終わらせなければならない仕事が何件かあり、少々パニックになっている。 来週月曜から出張で、帰ってくるのが19日なので、今のうちに目処をつけておかねばならない。 結局、職場に泊まり込み。



2007年12月13日

油が順行したので、引かされているコーンごっそり落とした。 コーンは寄りで落としておけば何百円幅か得をしたのだが、仕事のため見られず。 兼業だと、こういう細かい立ち回りができないことで機会損失が大きい。



2007年12月12日

相場は特に動きなし。マイナス100万。ぱっとせん。



2007年12月11日

朝から深夜まで仕事。相場はほとんど見られず。24時間営業のスーパーでみかんを買って帰る。



2007年12月10日

10時開店と同時に近鉄百貨店で例のブルゾンを購入。暖かくてすごく軽い。 やっぱり値段が張るだけのことはあるねぇ。

久しぶりに岡地大阪支店に寄った。相場はまったりである。コーン、大豆、ゴム、が異様に強いな。

午後にはサンダーバードに乗って金沢へ。そういや今日から青春18切符の利用日である。 昔から休み期間のたびにこの切符を買って何かしら利用していたのだが、 今年の夏休みは何年かぶりに(もしかしたら十数年ぶりに)利用しなかった。 冬休みもたぶん使わないだろう。 今の職に変わってから、金より時間の方が遥かに大事になってしまった。 仕方が無いことだが。

金沢に戻り、そのまま片町へ。回り持ちで美味いものをみんなに奢る会で、 今回は自分の番なので、5人でふぐを食いに行ってみんなに奢った。 てっさ→てっちり→雑炊、という流れは起承転結があって非常によく出来ていると思う。 美味かった。次はカニかクエだな。

食事の後はいつもの店へ。時計、プリンタ、ブルゾン、ふぐを奢り、金沢大阪の電車賃、 店でボトルも入れて、なんか昨日と今日で20万円以上使ってるんだが。 日本経済にちょっと貢献したな。まぁ、ボーナスも出たしね。



2007年12月9日

今日は買い物の日。自分にはちょっと良さげなコートを、彼女には誕生日とクリスマスの両方ということで、 腕時計とプリンタを買うのが目的である。 まず阿倍野の近鉄百貨店でいい感じのブルゾンを発見。これを第一候補にして、 阿倍野のMIO、日本橋のジョーシン、ソフマップ、難波パークス、難波の高島屋、丸井と回り、 ビックカメラでプリンタを購入。心斎橋の大丸とそごうを見て、梅田のヨドバシカメラで腕時計を購入。 阪急百貨店と阪神百貨店も見たかったが時間切れ。 最初に見つけたブルゾンは明日の朝に買って帰ることにした。 阿倍野のイタリアンで食事をして終了。歩き疲れた。
何かを買うとなると、とことん見て歩かないと気が済まない性質なんだよねぇ。 今使っているパソコン鞄を買ったときも、気に入るのがなかなか無くて一日中大阪を歩き回った。 時間の無駄かもしれないが、後からこっちの方が良かった!って思うと悔しいからねぇ。
そういや車を買ったときも、2年くらい、あれやこれやと探し回ったし。



2007年12月8日

サブプライム救済策が発表されたが、酷い内容だなぁ。 これだと救済される人と救済されない人の不公平感が著しい。 良くも悪くもアメリカという国は、機会の平等と自由競争を根本思想として発展してきたわけで、 何か困った事が起きても政府が何とかしてくれるという風潮が蔓延すると、 アメリカという国の存在基盤が揺らぐのではないか。 逆に考えれば、そこまでしなければならないほど危機感があるということなのかもしれない。

別荘の風呂、1.5坪にすると200万円くらいになるらしい。1.25坪なら比較的安くできるとのことだが…。 金に糸目をつけずに広い風呂にするか考え中。

今年期限の切れるマイルを消化するために、特に目的もないけど沖縄に行くことにした。 年明けはどうも忙しくなりそうで、悠長に遊んでいる暇は無さそうなので、 日程は年内ということになる。特典航空券が使えるのは12月27日までで、仕事納めは25日なので、 必然的に26日に小松空港を出発して沖縄に一泊だけするということになった。 沖縄からは福岡に帰ってくるようにして、福岡で何日か遊んでから関西に移動することにしたので、 金沢→福岡の片道分が浮く計算になる。

午後は関西へ。



2007年12月7日

ホテルで職場の忘年会があった。ビンゴゲームで電波時計の置時計が当たった。 別荘に置いておくのに丁度いいな。忘年会の後はいつもの店へ。

このところ、粗糖の買い玉を処分しつつ石油を買っていたのが功を奏して、前日比で600万ほど増えた。 良い機会なのでかなり玉を整理した。 粗糖はゼロにするつもりは無かったのだけど、 指値を1000円間違えたせいで残り少ない玉が全部落ちてしまった。 粗糖はもう二度とやることは無いだろう。



2007年12月6日

ちょっと仕事で失敗して凹む。頑張らなくちゃ。

ようやく腐れ粗糖がほとんど無くなった。今年は前半はクラックで調子が良かったが、 後半は粗糖がらみで全部飛ばしたなぁ。



2007年12月5日

今日も朝から晩まで仕事。なんかいつも夜遅くに帰宅している。 独身だからいいけど、妻や子供がいたら家庭が破綻しそうだ。

この日記もそうだが、ブログ、mixiなど、一人の人間がずっと継続して文章を書いていると、 人間性が丸裸になるのでちょっと怖い。ほとんどの人は自分を見せるのを前提で書いているんだろうけど、 場合によっては奥に秘められたコンプレックスや欲や不満なんかも浮かび上がってきて、 書き手の思っている以上に情報が出ていることがある。 文章ほどではないにしても、人間の顔や話し方や話の内容、ふとした仕草などにも、 今までどういう価値観でどういう人生を送ってきたかが現れる。 少しは意識しておかないといけない。



2007年12月4日

朝から晩まで仕事。

別荘の屋根をどうするか検討中。ビー宅との調和を考えないといけないので、少しややこしい。 しかしこっちは平屋なので、どのみち切妻くらいしか候補に残らないんだけど。 寄棟は野暮ったいし、平屋の片流れは倉庫みたいで嫌だしね。



2007年12月3日

ようやく体調が回復。何だったんだろう。
朝から晩まで仕事。



2007年12月2日

体中の関節が痛む。下痢が止まらない。いくら暖めても体温がどんどん下がっていくように感じる。 明日は大事な仕事があって休めないので、何としてでも今日中に治さなくては、 と思ってずっと寝てたら、夜になってかなりマシになった。 チマチマと時計のベルトを交換。みかん食べて寝た。



2007年12月1日

昨日、飲み過ぎたせいか、雨に降られたせいか、体がだるい。 飯を食っても全く味がわからん。 この前の仙台出張の時にORISのベルトが切れてしまったので、 ホームセンターに行って交換工具付きのベルトを買ってきた。 しかし夕方くらいから本格的にしんどくなって、ベルト交換どころではなくなってきたので、 そのまま寝てしまった。



2007年11月30日

今月の収支は約マイナス1700万、マイナス6.01%。年初来のプラスは500万ほど。 一日で動くような金額だから、今年プラスにできるかどうかは12月の成績如何にかかっている。 まぁ、淡々と張るだけだが。

午後は会議。夕方から片町へ。てんちゃんと二人でまこりんさんにご馳走になった。 どうもありがとうございました。 まずは料亭、銭屋へ。てんちゃんは少し太ったなぁ。 まぁ、体重の増加率は自分も同じくらいだと思うが。 まこりんさんは相変わらず若々しい。 最近あまり相場関係者に会って話をする機会が無かったので楽しかった。 話題は、銘柄としては大豆と石油、後は最近おなじみの、相場が難しくなったという話、 他の人の近況などなど。 天底当てるのや目先売買が上手い人で、長く続いた人はほとんどおらんなぁ、なんて話も。 個人的には、ほとんどおらんというより皆無だと思っているが。 相場の極意は当てないこと、だな。
二次会はキャバクラへ。三次会はニューハーフバーへ。 ニューハーフバーってのは初めてだったんだけど、キャバクラよりよっぽど楽しいねぇ。 ママさんが味があって良かった。女性は何も努力をしなくても女性だけど、 ニューハーフの人というのは、常に女性になるべく努力をし続けないと女性でいられないわけで、 そういう意味では女性より女性らしいと思う(外見は別として)。 個人的には、飲んだり遊んだりするんだったら、 好みのタイプなら別に中身が女だろうが男だろうが関係ないなぁ。
まこさんは終電があり、てんちゃんは明日から出張なので、11時前にはお開きに。 タクシーに乗る二人を見送って、いつものお店へ。1時半ごろ帰宅。 なかなか楽しい一日であった。



2007年11月29日

朝からずっと仕事。晩は出張で来ている人達と片町で懇親会。 いつものイタリアンで食事していつものラウンジへ。 なんだか夜の行動パターンが固定化されてきたが、 いつもの店はママさんと女の子一人と顔馴染みのお客さんばかりで、 店の中で女の子を口説くような無粋な人もおらず、BGMもカラオケも無く静かに飲めるので、 非常に居心地が良く、 あまり他に行こうという気にならない。 酒を飲むのにお金を払っているというよりは、 良い店だからずっと続けられるように給料からいくらか応援してあげているという感じやね。 この前は運気が上がるように水晶を持って行ってあげたし。



2007年11月28日

プラス900万。今年プラスに復帰。原油コーン粗糖をごっそり落とした。 粗糖、今日だけで142枚落としたが、今日の出来高は全部合わせても942枚。 こんな市場はさっさとおさらばしなくては。 ザラバになったら、アラ、ロブ、粗糖は終わりだろうな。 コーンだったらゴムみたいに賑わう可能性もあるかもしれないが、 コーンを板寄せで残して閑散な物からザラバにするという考えが理解できない。 コーンに関しては利害関係が色々とあるのだろうけど。
原油の売り玉はゼロになった。どうぞ100ドル行って下さいな。 インフレヘッジで金と白金に再び買い参入。
NON大豆と一般大豆の鞘、試し玉で既に200万以上やられてるんですが?



2007年11月27日

前場、原油の売り仕切りが間に合わず、仕切るべき売り玉が何枚か残ってしまった。 まぁ、この程度の枚数なら後場寄りに成りで落とせば良いかと思い、注文を出しておいた。 午後から仕事で値段を見られず。3時前に時間が出来たので値段を見たら、なんじゃこりゃー!  ランチギャップ1000円かよ。酷すぎる。 見た瞬間、円売り介入するなんて頭がおかしいんじゃないかと思ったが、 介入ではなかったようだ。

別荘の間取りを考えた。うーん、パズルのようだ。 エクセルのセルを正方形にして方眼を作り、罫線を引いたり消したりしながら4時間ほど考えて、 ようやく、リビング17畳、書斎6畳、ホール3.25畳、風呂3畳、洗面所2畳、玄関1.75畳、トイレ1畳、 収納1畳×2、の合計36畳=18坪でプランを組み上げた。 ビーちゃんに言われてキッチンとか見てたら、結構高いんだねぇ。 L字の対面キッチンにしたいのだが、一セット数百万円のレベルである。 キッチンだけでも施主支給にするか考え中。



2007年11月26日

商品相場はもはや徒労以外の何ものでもないな。 自分の注文で値段が動いてしまい、仕掛けた限月だけ飛んだ値段が付き、 買った節がその日の高値、売った節がその日の安値になる事が多い。 仕掛けるたびに何百円幅か損してたら相場にならん。さっさと板の厚い市場に移りたいものだ。
ただ現在、石油の鞘を順張りで仕掛けるシステムを考えていて、 なかなか成績の良さそうなものが作れそうである。しかしもう、 投資対象になり得るのは石油三品と金と白金とゴムとコーンと一般大豆くらいしか残ってないな。
一般大豆とNON大豆の鞘を仕掛けてみた。限りなく怪しい鞘だが、 あちこちで悲鳴が聞こえてくるので、そろそろかなと。

晩は同伴にお付き合いしていつものイタリアンへ。



2007年11月25日

京都駅の駅ビルで軽くコーヒーを飲んでから雷鳥で金沢へ帰還。



2007年11月24日

大学時代のサークルのOB会に出席。同期のやつらもみな元気そうである。 久しぶりに打とうかという話になり、昔たまに行った雀荘へ。 店まで行ったら張り紙が…。 長らくご愛顧いただきありがとうございました、11月23日をもって閉店とさせていただきます、だと。 11月23日って昨日やん。なんてタイミングの悪い…。 仕方が無いので、もっと昔に行ったことのある店へ。 潰れてるかと思ったがこちらは健在であった。懐かしいなぁ。 牌を握るのは2年ぶりくらいか。結果はちょいマイナス。



2007年11月23日

京都へ移動。友人と五条河原町で飲んだ。 その人はなかなか素敵な女性なのだが、今度結婚することになったらしい。 その彼女が言うには、何人もの人と付き合っては別れを繰り返した過程を思い返すと、 自分は今まで、なんて男運が悪かったのだろう、と語っていたので、 数学的にお見合いの戦略を考えた場合、 どんなに良い人が現れても最初の何人かはパスするのが期待値を上げる最適戦略になるので、 理論的にはあなたの行動は正しい、と説明しておいた。



2007年11月22日

職場の決まりでハラスメント講習会なるものを受けた。 以前なら厳しい指導と言われたものが、今ではパワハラと言われかねない状況のようだ。 才能も無いくせに努力もしないんだったら、辞めてしまえ! なんて言うのも駄目なんだろうなぁ。
午前中は仕事、午後は講習会、夜は仕事。



2007年11月21日

相変わらず相場の収支は年初来ゼロ付近をウロウロしている。 前回、年初来でかなりのマイナスに突っ込んだ時は、値段的には今よりむしろマシな状況だったので、 スイングで確実に仕掛けコストは下がっていることがわかる。 しかし如何せん、コストの下げが逆行に追い付かないのが困る。



2007年11月20日

仕事。夜は片町で飲み。



2007年11月19日

今日は凍える寒さである。雪が積もっている。初雪かな。
七尾に出張。



2007年11月18日

金沢へ帰ってきた。特に何もなし。



2007年11月17日

久しぶりに愛車に乗った。一ヶ月半ぶりくらいなのでエンジンがかかるか心配だったが大丈夫だった。 どこへ行こうかと迷ったが、大阪府の観光スポットを探していると、 ワールド牧場なる怪しげな施設を発見したので行ってみることにした。イルカがいるらしい。
なんだか牧場なんてものがありそうにない山裾の道を登っていくと、突如として入り口に到着。 駐車場には車が沢山止まっていて、意外や意外、家族連れやカップルで賑わっているようだ。 牧場は山の斜面にあって徒歩で登るのは大変なので、とりあえず巡回バスに乗って一番上まで移動。 ヤギ、ニワトリ、豚が放し飼いにされてそのあたりを歩いている。 行ってみると意外とまともで、馬を撫でたり犬と遊んだりして楽しめる。 琵琶湖わんわん王国みたいなのを想像していたが、もっと本格的な牧場であった。 イルカは薄暗い建物の中の浅い水槽に飼われていて可哀そうだったなぁ。 太陽が燦々と照りつける広い海に返してあげたい。 イルカは人懐っこく、水槽の前に行くと集まってきた。
犬と遊べるコーナーでは、500円払って柵の中に入ると、 ダックスフント、テリア、マルチーズなどの小型犬が沢山いて、 しばらくするとシナシナと寄ってきて膝の上に座ってくれる。 みんな大人しく静かに撫でられていて、可愛いの〜、と撫で撫でしていたのだが、 営業時間が終了してお客さんがみんな柵から出て、飼育員のお兄さんが入った瞬間、 どの犬も解放感に浸ったかのように吠えまくり、走り回ってはしゃいでいた。 ガーン!あのしおらしい態度は全部営業だったのか〜、ショックじゃ〜。 キャバクラみたいに愛想を振りまいて甘えるように訓練されてたのね。

ガレージまで帰ってきたが、ガレージの鍵が見つからない。どこかで落としたようだ。 いくら鞄や車やポケットの中を探しても見つからないので、 大家さんに電話してスペアを貸してもらい、ホームセンターに行ってコピーした。
晩飯は焼肉を腹一杯食った。良い休日であった。



2007年11月16日

京都で仕事。大学院時代の友人と飯を食って、夜には大阪へ。



2007年11月15日

仕事をしながら相場の注文を出していて、ふと窓を見たらスズメバチが窓の内側を歩いていてびっくりした。 いったいどうやって部屋に入ったのだろう。 それ以前に、自分は子供の頃に一度、スズメバチに派手に刺されまくっているので、 もう一回刺されるのは非常にマズいんだが…、と思いつつ獣ちゃんと電話で話していると、 黒いものは良くないと言われ、スーツの上着を脱ぎ、しかもあと15分で前場が終わってしまうので、 その間だけでも大人しくしておいてくれと願いながらスズメバチと1mの距離にある机で注文を出していた。 何とか無事に前場が終わったので、紙パックの麦茶の口を開き、 窓を歩くスズメバチにカポッと被せて捕獲。外に出て逃がすと同時に自分も一目散に逃げてきた。 一件落着である。

夕方から京都へ出張。



2007年11月14日

二日酔いのため仕事の効率が上がらず。相場もイマイチ。 夜は泊り込み。

職場のソファーで寝ていたら、久しぶりにはっきりした夢を見た。 木造の古い校舎か学生寮のような所にいる。そのロビーか何かの共用スペースに、 ショートカットのちょっと気の強そうな女性が座っていた。 好みのタイプなので、これは是非お近づきにならねばと思って声をかけたところ、 不審に思われた様子もなく、普通に話をすることができた。 実は彼女は相場をやっているらしく、しかも父親は有名な相場師なのだそうだ。 相場を始めたのは高校生の頃と言っていた。 何かの話で、最近、某銘柄で大きな手を振る人の話になり、それは実は誰々でしょ、 と言ったら、ただのネットトレーダーがどうしてそんな事を知ってるのかと驚かれた。 詳しい話をしようかとも思ったが、彼女の父親のからみで色々な利害に関係しそうなので、 適当に誤魔化しておいた。
実は彼女は僕のことを昔から知っていたらしい。 なんでも、高校の時に受けた模試の何かの科目で僕と彼女が同点で一位だったらしい。 こっちはそんな模試を受けたこと自体も覚えていなかったのだが、 とりあえず同い年だということはわかった。
二人で建物の外に出た。空は青空に白く柔らかい霞がかかったような感じで、包まれるような感覚がある。 風は全く無い。歩いて行くと神社があった。一面の白に赤い鳥居が鮮やかである。 地面には白い石が敷き詰められていてキラキラと光っている。 拾ってみると、敷き詰められているのは全て水晶のかけらであった。 祠にお参りして、ふと気付くと彼女がいなくなっている。 神社の裏口から外に出ると、敷き詰めてある石が水晶から普通の白い玉砂利になっていた。 しばらく行くと小さな池のそばのベンチに彼女が座っていた。 気温は暖かいのに池には氷が張っているようである。
そこで突然、自分も彼女のことを知っていたということを思い出した。 彼女が冬山登山で遭難し、救助された時には凍傷で耳たぶがやられ、 切除する事になったという新聞記事を以前に読んだことがあったのだった。 ベンチに座って彼女の耳を見るとちゃんと付いている。 耳はどうしたの?と聞いたら、お尻かなんかの肉を使って耳たぶを作り、形成したのだそうだ。 それにしては自然に出来てるなぁ、最近の技術は凄いものだなぁと感心していたあたりで目が覚めた。
もっと話をしていたかったのに、非常に残念である。



2007年11月13日

職場に来訪者があり、歓迎会も兼ねてみんなで片町のイタリアンへ。 その後、いつものお店へ。食い過ぎ、飲み過ぎ。

マイナス800万。今日の動きはエグいなー。寄りは良かったんだが、売っている銘柄が軒並み大陽線。 天井を打った後にはこういう動きが良くあるが…。



2007年11月12日

職場に泊まり込んで仕事。暖房の調子が悪く、寒さが身に応える。 忙しい。

プラス300万。本年プラスに復帰。もう贅沢言わないので、100万でもいいからプラスで終わりたい。 原油の売り玉はかなり少なくなった。100ドル行ってくれて結構。



2007年11月11日

最近、オプションについて考え過ぎて、やるべき事が溜まっていたので、一日中仕事をしていた。 諸々の事情で実際に運用を開始するのは来年からになるので、 それまでにゆっくりシステムを構築すれば良いだろう。 検証のための過去データは既に入手済みである。



2007年11月10日

引き続きオプションの研究。 色々と仮想ポジションを作りながら実際の値段で確認していると、 コールに比べてプットが高値に買われる傾向があることに気が付く。 だからと言ってそれを利用して儲けることは難しい。 暴騰よりも暴落の方が起こり易いので、それは理に適った値付けなのかもしれないが、 その時点で既にBS式は成り立っていないわけで、BS式の誤差は思っていた以上に大きいようである。
少し検証してみると、オプションのプライシングは相当に合理的で、効率的な市場に近いという感触がある。 オプションの売りが有利なんていうのは恐らく幻想だろう。 デルタヘッジしながらタイムディケイを取るような手法で儲けている人は、 10年に一度の大変動で儲けを全て飛ばし、飛ばすだけではなくレバレッジをかけてる分、 大きくマイナスに食い込むんじゃないかと思う。 そもそも市場が効率的ならデルタヘッジのコストとタイムディケイの利益がバランスするので、 長期で見れば優位性は無く、敢えてタイムディケイを取りに行く意味が無い。 ベガを取るにしても、期中の逆張りに対して期近の順張りを合わせてガンマとデルタを相殺する以外は、 とりあえず選択肢としては考えられんな。期近を逆張りで売っていればいつか死ぬだろう。



2007年11月9日

マイナス300万。また年初来マイナスへ。

オプションは結構奥が深い。エクセルでBS式を計算させて色々と考えているが、タイムディケイを狙うより、 ボラティリティーをスイングで取る方が良さそう。 平均への回帰という点ではボラティリティーの方が商品の鞘よりもよっぽど必然性がある。 期近、期中、期先を組み合わせて、価格変動に対して出来るだけフラットにして、 主にベガを取るような感じにしたい。BS式の微分形式を考えると、 (簡単のため金利をゼロとすると)セータをゼロに調整すれば権利行使価格でデルタの微分(ガンマ) がゼロになるので、デルタそのものもゼロにしておけば、 価格変動の二回微分までゼロになって、かなり変動に強くなる(そのかわりタイムディケイは得られないが)。 実際はチェビシェフフィルタみたいにある一定価格帯で変動が許容変動以内に収まるように設計すれば良いと思う。 後は過去データで実際に検証するだけだな。しかし忙しいのでプログラム組んで検証するのは冬休みになりそう。



2007年11月8日

今日はプラス1000万。年初来プラスに復帰。しかし外電は逆行中。

資金をある程度、225オプションに移動しようと考えてリサーチしているが、 チャンスが色々とある感じがする。 結局のところチャンスは、原市場が大きく変動するか動かなさ過ぎて油断した時の、 オプションのミスプライシングを取るしか優位性は無いように思える。 ボラティリティーが急上昇しても、それが未来永劫続く事は無く、何らかの過程を経て平常状態に収束する。 収束の仕方に関する市場参加者の予測は期近から期先にかけてのIVに反映されるが、 ボラティリティーの収束モデルを作って、 デルタヘッジしながらカレンダースプレッドで歪みを取って行くのが一番良さそうな気がする。 かすりを取るような売買なので利益率は非常に低そうだが、 大数の法則に乗るという点では商品の鞘よりも有利ではないかという感触がある。



2007年11月7日

金が高騰しているので、ヤフオクで掴まされた傷の入ったメープルリーフ金貨を1枚、 心斎橋の田中貴金属で売却してきた。 店は地金や金貨を売却しようとする人で大混雑しており、 4階の待合室で1時間以上待たされた後に3階で30分ほど待たされ、ようやく売却完了。 傷アリなので地金価格での引き取りとなったが、それでも買値より1万円ほど高値で売却できた。 やはり財産保全の手段としては金貨は良いね。買値と売値のスプレッドは大き目だが、 売却する時に鑑定などの面倒なことも無いし、単価が安いので個人間でもやり取りし易い。

相場はマイナス1100万。今年の収支がまたマイナスに突入。 しかしこれだけ順行する気のしないポジションも珍しい。 逆に言えば、強いものを素直に買うのが一番という事か。 NYは100ドルをテストしてからどうなるかだな。



2007年11月6日

午前中は胡里山砲台を見学。なかなか観光客で賑わっていた。 ほとんどが中国人の観光客である。 昼前にはタクシーで空港へ移動し、お土産を見たり昼飯を食ったりし、2時頃飛行機に搭乗。 晩に無事に関西空港に帰ってきた。

いつも海外に行くと、だいたい最後の方はそろそろ日本に帰りたい、寿司が食いたい、 味噌汁が飲みたい、と思うのだが、今回は全くそういうのを感じなかった。 自分の祖先は南方系かもしれない。ここなら住んでもいいなぁ。 廈門の街は、路上にゴミを捨てる人もいないし、歩き煙草も見かけない。 みんな生き生きと生活しているように見える(たまに物乞いの人はいるが)、 真夜中の海岸でも、若者が花火をして遊んでいたり、カップルがデートしていたり、 治安の悪さも感じられない。 しかしここを中国の標準と考えてはいけないのだろう。 一緒に行った人によると、何年か前に張家界に行ったら、治安も悪そうだったし、 子供は裸足で走り回っていたそうである。 結局、衣食足りて礼節を知る、という諺の通り、 公共心なんてのは民族性よりも経済的な余裕の有無の問題なんだろうなぁと実感した。

今回の出張で実感したのは、馬鹿な指導者が滅茶苦茶やってバラバラにならない限り、 数十年後に中国が世界に絶大な影響力を持つようになるのは確実に思えるということである。 北朝鮮の崩壊後には朝鮮半島は中国の影響下に入る可能性が高く、 国民感情から言って日本側に着く可能性は少ないと思われる。 そうなると日本は中国の影響をダイレクトに受けることになる。
明治期から敗戦までの間を除き、日本は古来から、その時々の大国の影響下に入りながら、 不即不離の関係を保って日本人としてのアイデンティティーを保持してきた。 アメリカの覇権が崩壊すると思われる将来、日本の取るべき道は結局のところ、 覇権を確立して朝鮮半島、台湾、東南アジア、インドに影響力を持ち、中国を牽制するか、 中国の影響下に入りつつ上手くやるか、そのどちらかしかない。 前者は恐ろしくコストがかかり、後者はあまりコストがかからず楽ができるため、 国内政治の帰結として後者が選ばれる可能性が極めて高い。 いつの間にかアメリカの核の傘が無くなり、中国との関係を真剣に考えねばならない時期がいずれ来る。 これは日本にとっての不都合な真実だろう。まぁ、金門島すら取れない間は日本も大丈夫だろうけど。
中国の得意技に人的側面から攻略するという手がある。 しかし、日本人の民族性の源泉は人種にあるのではなく風土にあるので、 外国人がいくらやって来ようが日本人として同化してしまう力があり、 それについてはあまり心配はしていない。



2007年11月5日

午前中は仕事。今回の出張で実感したのは、 現在においては技術面や学術面では中国はまだまだ日本には及ばないということ。 長期的なビジョンに基づいて、 すぐには成果に結び付かないような研究を粘り強く成し遂げるような余裕はまだ無いようだ。 しかし、目先の結果に結び付くような研究に対する情熱は凄まじいものがあり、 しかもここ10年のレベルの向上も著しい。 日本も油断して停滞していると数十年以内に追い着かれてしまうかもしれない。 技術大国日本を維持するためには日本も常に前進し続けなければならないだろう。

昨日のツアーが消化不良だったので、再びコロンス島へ。 まずは鄭成功記念館へ。鄭成功は中国においては国民的英雄という位置付けらしく、 この記念館も愛国教育のための重点的教育施設になっているようだ。 展示も充実していて見応えがある。 それにしても、来場してる家族連れを見ていると、 両親や祖父母が質素な格好をしていても子供にはピカピカの服を着せているなぁ。 一人っ子政策のせいで過保護と甘やかしが問題になっているらしい。 そういや街の中で、男の子が生まれるのも女の子が生まれるのも自然なことだ、 というポスターを見掛けた。女の子を中絶したりして男女比が崩れて問題になっているらしい。
鄭成功記念館の後は貨幣博物館へ。 ここもこじんまりとしているが、なかなか面白い。過去に発行された紙幣の展示は迫力がある。 今の中央政府が成立するまでは、各地の地方政府が好き勝手に紙幣を発行し、 刷り過ぎてインフレで紙屑になるというのを繰り返してきたようだ。 日本軍の軍票も展示してあった。
最後に島の端にある鄭成功の立像を見学してから、フェリーで島を後にした。

ホテルに帰って晩飯を食った後、同じく出張に来ている韓国人2名と部屋で飲んだ。 こちらは日本人2名と台湾人1名である。李白の詩などについて話に花を咲かせた。 漢字文化という共通の背景があるのは良いね。 韓国では、ある程度の教養のある人は一般教養として漢字を読み書きできるが、 最近の若い人はあまり漢字を知らなくなってきていると言っていた。 子供の名前に漢字表記を付けないことも多くなってきたそうである。 そういや昨日、植物園で4歳位の子供が、 石碑のケ小平が植樹した樹がどうとかいう文字を読んでいてびっくりしたなぁ。 ビールを何本も飲み、最後は52度の高粱酒を飲んでフラフラになった。

なんか福田総理と小沢党首が大連立で意気投合し、結局民主党内で総スカンを食らって辞任するとかどうとか。 ネットが繋がり難いので詳しくは良く分からんが、 小沢さんって、根回しも何もなく軽はずみな事をするタイプではない筈だがなぁ。 何か裏があるとしか思えんが。 それにしても、健全な民主主義のためには二大政党制の元で政権交代が行われるべきというのが自分の考えだが、 大連立とか言ってるのでは話にならんな。連立なんかしたら、旧社会党のごとく、 自民党に骨抜きにされて絞り粕みたいになるのがオチだろう。



2007年11月4日

現地のガイドさんの案内でコロンス島へツアーに出掛けた。 コロンス島は周囲数キロの小さな島で、廈門の港からはフェリーで10分ほどで着く。 ここはアヘン戦争後に共同租界に定められたことから、 各国の領事館など、20世紀初頭の歴史的な建物が数多く残っている。 他の領事館が綺麗に整備されているのに比べて、日本領事館はほとんど管理されておらず、 しかも住民が普通に住居として使っていた。理由は言わずもがなであるが。
コロンス島の中心にある日光巌からは、島の歴史的な街並みと海を挟んだ廈門の高層ビル群が対照的で、 美しい光景がみられる。 観光ガイドにビーチに連れて行かれたのにはまいった。確かに中国内陸部の人には珍しいのかもしれないが、 日本人にとっては海岸なんか珍しくも何ともないのだが…。 水着のデザインは日本では一昔前という感じだなぁ。あまり露出の多い水着を着ている人は見かけない。 ビーチなんかに連れて行かれるなら鄭成功記念館や鄭成功の像に行きたかったのだが、 ツアーはそのままコロンス島を後に。あとは萬石園林植物園と南普陀寺を見学して終了。
途中で離脱しても良かったのだけど、出張先の中国側の人達も一緒だったので取り合えず最後まで付き合ってみた。 ところで、ビーチでも植物園でも、ウェディングドレスを着た花嫁がポーズを取り、 カメラマンが写真を撮っている光景を何度も見掛けた。 結婚式の後に野外で写真を撮るのが流行っているらしい。

晩飯を食った後、海岸沿いにしばらく歩いてワインバーへ。 こちらに来る前は治安が悪いかと心配していたが、そんな気配はほとんどない。 夜も結構遅いのに海沿いのベンチにはカップルが座って海を眺めているし、 4、5人の若者達が膝まで海に浸かって水をかけ合ったりしている (そんな青春っぽい光景は日本でももう見られないが)。
このあたりは経済特区だからかもしれないが、働けば豊かになれるという感覚が横溢している。 制度から技術からファッションまで、日本に比べると20年くらい遅れている感じだが、 人間の熱意や活気なども数十年前の高度経済成長の日本を髣髴とさせる。



2007年11月3日

プレゼンしてディスカッションした。中国人の英語は酷いなー。自分もあまり他人の事は言えないが。 しかし、発音や文法が滅茶苦茶でも、 とにかくガンガン話して突っ込んで行くという積極的な姿勢は見習うべきかも知れない。

晩は街に出て少し高級そうな所で中華料理。ホテルに帰って更に部屋で飲んだ。

色々と話を聞いていると、中国共産党は民衆にはほとんど信用されていないという印象を受ける。 これで国が治まっているのが不思議であるが、やはり経済的な結果を出しているからということに尽きると思う。 古来から、政権を巡って動乱がある度に、 虐殺やなんやらで人口が半分になったり3分の一になったりするような国だから、 食うに困らないだけでもよしとするということかもしれない。 それを見通したケ小平はやはり偉いというべきか。
しかしこれだけ政府の信用が無いと、投資は確実に金に向かうだろう。 中国人の富裕層は、財産保全のためならいずれは少々高くても構わず買ってくると思う。



2007年11月2日

今日はずっと仕事。晩はホテルの近くのレストランで食事。青梗菜とか空心菜とか、野菜が美味いなぁ。 川魚なんかも出た。汚染や農薬が心配だが、まぁ、数日食ったところで大したことは無いだろう。
レストランの受付のお姉さんが可愛らしい。嫁に来てもらいたいくらいである。 このあたりの地方は、基本的には人種の坩堝で色々な顔立ちの人がいるのだが、 南方系というか、顔に丸みがあり、目がパッチリしか感じの人が多く、 どちらかというと日本人に似ている感じがする。 日本人自体も北方と朝鮮半島と南方からの人種の混合なのだが、やはり南方系の血が濃いのかもしれない。 そのため、ホテルでもタクシーでも、外国人と認識されず、中国語で話しかけられて困った。
街や人の雰囲気には非常に親しみを感じる。ヨーロッパに出張した時は、どんなに楽しくても、 あくまで旅行者であり、よそ者である。 韓国を旅行したときも、国全体に何か張り詰めた緊張感があり落ち着かないものを感じた。 しかしこちらではそんな感じはしない。 反日感情というのは、実際はほとんど共産党のプロパガンダではないか。 貧しい地域では意識されているのかもしれないが、 廈門のような経済発展の著しい地域では、そんな事よりも、みんな各自の金儲けに忙しい印象である。

支払いの関係でドルを持ってきたのだが、当初の約束と違って、元で払えと言われた。 最初の約束はどうなっているのかと聞いたが、そんなのは知らないと言う。 取り付くしまも無い。イライラっときたが、こういういい加減な所は中国ならではで、 いちいち気にしてたら中国ではやっていけないと同行した人に言われた。 銀行なんかの対応にもほんとにイライラさせられる。 社会主義国ってのはこんなもんかと割り切って考えるしかない。
ドルをまた両替するのは手数料がもったいないので、一部はそのまま残しておいて、 来年のアメリカ出張に持って行くことにした。しかし来年までドルを現金で持っていたくはないなぁ。 紙屑にはならんだろうけど。

色々と考えた結果、225先物&オプションにも手を出すことに決めた。 商品のインフレヘッジはどこかで再びポジションを持つとして、それ以外は、 225のボラが異常に上昇したときにデルタニュートラルにして売りで取る、それと、 商品が異常な順鞘で噴き上げた時、もしくは異常な逆鞘で暴落した時に、何かと合わせて鞘を取る、 くらいしかやらないことにする。 恐らく、225と商品、両方合わせても年に数回しか仕掛けるチャンスは無いと思う。 でも毎日売買するより確実な時に取った方がいい。普段は仕事に専念する。 このままでは人生の貴重な時間を浪費してしまう。



2007年11月1日

マイナス1400万。昨日が撤退できる絶好のチャンスだったか。 昨日のうちに大きく撤収しなかったのは、午前中から飛行機に乗らないといけなかったこともあるが、 何より、欲である。人間とは、つくづくどうしようもないものである。 後はもう、あと数千万円以内でつつがなく撤収できる事を願うのみ。

売店でペットボトルの緑茶を購入。必ず砂糖や蜂蜜が入っている。以前、台湾で飲んで以来で懐かしい。 日本だと甘くて不味いだけだが、暑い地方だとこれもアリかなという気もする。 しかし砂糖無しのも置いて欲しいのだが。料理の時に出るお茶にはもちろん砂糖なんか入れないのに、 不思議である。
今日はまず、華僑博物館へ。世界各地の華僑の歴史と現況が展示されている。 建物の前の「故國勿忘」という石碑が印象に残った。 このあたりの感覚は日本人とは顕著に違うと感じる。日本は島国という地勢のため、 人種がコミュニティー形成の理由になるのではなく、一緒に住むことが即ち仲間であるという感覚がある。 よって、日本人になろうとする人はルーツを問わず受け入れるが、 日本から出て行く人は見捨ててしまう傾向がある。移民政策は棄民政策とも言われたし、 日本人移民自体も、郷に入らば郷に従えという諺の通り、 日本人としてのアイデンティティーを失ってしまうケースが多かった。 このあたりの感覚は日本人の変えていかねばならない点だと思う。 実際、ここ10年くらいでかなり変わってきているとは思うが。 野茂選手がメジャーに挑戦した頃のバッシングを思い出す。 あの頃は、メジャーに行くと言えば、日本を蔑ろにするのか、という雰囲気だったからなぁ。
華僑博物館の次は鴻山公園へ。小高い山の上からは街が見渡せる。あちこちでビルやマンションが建設されている。 柱が細く、日本だと明らかに耐震強度が不足しているようなビルが多い。 たぶん地震が無いんだろうな。
次は遊覧船に乗り、金門島へクルーズ。金門島は台湾が実効支配しているので、もちろん上陸はできない。 遊覧船は満員に近く、金門島の近くの小島の近くで、台湾のスローガンである「三民主義統一中国」 の看板を背景に記念撮影。のどかなものである。以前に行った韓国と北朝鮮の国境とはかなり違うな。 ところで、遊覧船の料金は、こちらの物価からすれば安くはないと思うが、 乗客はほとんどが中国人の観光客であった。お茶セットが一グループ100元、望遠鏡借りるのが25元、 これらもこちらでは結構な金額だが、みんな普通に払っている。 やっぱり豊かな層は確実に増えているんだろう。 ちなみに1元1600円くらいだが、購買力で考えると、こちらではその5倍くらいの価値がある。
遊覧船の後は、展望台(海上明珠観光塔)へ。天気が悪くてこちらはいまいちであった。 観光客もほとんどおらずガラガラだったが、展望室の喫茶コーナーに店員が6人も居て、 暇なので彼ら自身がテーブルを囲んでお茶を飲んでいた。 ここも公営なんだろうけど、人の無駄遣いが目立つ。人件費も安いんだろうけど。

晩飯はホテルの近くのレストランへ。回るテーブルにどんどん持って来るので、際限無く食べてしまう。 太りそうでやばい。でも美味い。

ホテルのインターネット回線が非常に遅くてイライラする。 恐らく、アクセス記録をモニターしているのと、あまり海外の情報を見せたくないのだろう。 遅いサイトも読み込めないわけではなく、何度も試すとたまに読み込めたりもする。 ページによっても違う。学術関係のサイトにはスムーズに繋がる。なぜか2chにもスムーズに繋がる。 Yahoo Japanは全く駄目。途中まで読むが、止まってしまう。 読み込みそうで読めないのはイライラするので、 どうせなら読めないサイトは完全に止めてもらった方が諦めがつくのだが、 完全に外部からシャットダウンすると言論統制だとか何とか非難を浴びるから、 たまには読み込みできるようにして、回線が遅いのが原因という事にしているのだろう。 中国共産党の考えそうなことである。 売買の注文を出すのにも非常に苦労する。

中国人には節約という概念が無いようだ。社会にありとあらゆる無駄があり、 それが問題であるということすら認識していない。 エネルギー関係は政府が安く供給しているのだろう。 無駄な電飾が多過ぎる。消費することが善、みたいな雰囲気がある。 安く供給されるエネルギーは政府が高く買ったものであり、その差額は税金でまかなわれている。 都会の人達はそれなりに良い暮らしをしているが、 国全体として考えれば、こういう社会の非効率のしわ寄せは地方に行っているのだろう。 恐ろしいのは、大多数の負担の上で良い生活をしている少数の人達の人口でさえ、 もしかしたら日本の人口より多いかもしれないということである。 かくして世界中の資源は食い尽くされて、数十年後は酷いことになるに違いない。



2007年10月31日

朝6時前に起きて出発、関空特急はるかで関西空港へ。 同行者と合流し、チェックインを済ませた。 外電が大きく動いているので、どこかで取引したいが、飛行機の搭乗時刻が10時頃なので、 難しいかもしれない。支払いの関係でドルが必要なので換金。 相場は、結局、何とか時間を見つけて少し玉を減らした。

4時間ほどで廈門に到着。空から見ていると、都市部に建物が隙間無く密集している。 建築基準法なんて無いんだろうなぁ。空港で3万円を元に両替。 タクシーで廈門の中心部へ。廈門の中心はアモイ島で、空港は島の大陸側にあり、 街の中心は反対側にある。タクシーに乗ったのだが、運転の荒いこと荒いこと。 歩行者信号があまり機能してなく、歩行者は普通に車道を横断している。 途中で歩行者と車の交通事故を目撃。着いて早々、嫌なものを見たと思ったが、 はねられた人は血も出ていず、骨折程度のようで、ほっとした。
今回の出張は、同行者に台湾の人が一人いるので、言葉の問題は無く安心である。 言葉は台湾とほとんど変わらないようだ(位置的にも台湾の向かい)。 入国審査の所で「外国人」と「中国人(台湾・香港を含む)」となっていたので、 彼は中国人の所に並んでいた。なるほど、公式的には台湾は中国扱いなんだねぇ。
中国は熱い。気候じゃなくて、人の熱気が。 景気は非常に良いようだ。街中が異様な興奮に包まれている。 こりゃオリンピックが終わった程度じゃ収まらんかもしれない。 何しろ人が多いから、誰かが破綻しても別の誰かが先へ進む。 あなどれない。想像とはかなり違う感じであった。
ホテルにチェックインして一休みした後、中山路へ晩飯を食いに行った。 四川料理の大衆店のような所に行ったのだが、いや〜、旨いこと。 唐辛子と山椒が良く効いていて、どんなに疲れていても元気になる。 しかし、広島で食った四川風坦々麺、あれは頭がボーっとなったが、 今日食べたのはそうでもない。やっぱりあの坦々麺はおかしいぞ。

相場はプラス2300万。今年の収支がプラスに復帰。やられまくった反動か。 しかし今月は1100万ほどのマイナス。年初からのプラスは2200万ほど。 もう、一日で年収の何倍も動くような張り方は止めないと。



2007年10月30日

仕事が終わったのが午後5時頃。すぐに家に帰って、カバンに着替えを詰め込み、出発。 サンダーバードで大阪へ。明日の朝に関空へ向かう予定。

今日はマイナス800万。今年の収支が再びマイナスに突入。 玉が多過ぎて身動き取れん。見透かされたように逆行する。 3日で4000万ほどやられているが、何とかあと5000万以内の損で手を引きたい。 ほとんどゼロから作ったことを考えると、2億残れば御の字だろう。 明日からは現地のネット事情が不明なので相場を張れるかわからん。 というか仕事が忙しすぎて、こんな状態で相場を張ること自体が間違ってるような気がする。

午前中、博多税務署から携帯に電話あり。書類に一部、記載ミスがあったので訂正して良いかとのこと。 納税額に変更はないらしい。ちょっとびっくりした。



2007年10月29日

マイナス2200万。年初来プラスが風前の灯火に。 油関係を4000万ほど損切りした。残玉もこれ以上逆行するなら損切りして撤収する。 金のあるうちに相場から撤収する方向で考える。 撤収と言っても、この前の4−4のように、チャンスがあればたまに小遣い稼ぎはするつもりだが。 複利で年に2倍3倍にして10億20億を狙うような張り方はもう止める。神経が保たない。

明日から出張なのに準備する時間が無い。 まぁ、着替えとパソコンと仕事の資料とパスポートと航空券さえあれば十分なのだが。 電源のコンセントはどうなってるんだろう。調べなくては。



2007年10月28日

基本的に寝て過ごす。まだ風邪が治らない。



2007年10月27日

帰宅。来週から中国へ出張なので、風邪は治しておかないとマズい。 なので、帰宅してからずっと寝ていた。

NOVAが会社更生手続開始と共に、全教室の運営停止を発表。 うーん、明日、予約を入れていたんだが…。 電話してみたが繋がらず。 たぶん残りのチケット代は戻ってこないだろうなぁ。 50万円払って30万円分くらいは楽しんだし、 どのみち残りのチケットは有効期限内に使い切れそうになかったから、 特に大損をしたという感じではないが。 職が変わってからの忙しさを考えると、通えるのは後せいぜい30回ってとこだろうから、 実質的な損害は7万円程度かな。



2007年10月26日

富山へ出張。出張後、飲み。風邪がまだ治らないので一次会で失礼させてもらった。

マイナス800万。 一時2000万近くやられていたが、引けにかけて改善。

住民税を払った。



2007年10月25日

プラス600万。今月プラス復帰。灯油4−ガソ4のストラドルのお陰である。 やっぱりこういう歪はチャンスなんだねぇ。

風邪でしんどいので早めに帰ってウィスキー飲んで寝た。



2007年10月24日

夜まで仕事。そのまま泊り込み。 最近、寒くて大変である。



2007年10月23日

職場に投資用マンションのセールスマンがきた。 東京に新築のワンルームマンションを購入して云々という話。 少し話を聞いてみたが、話にならんな。 お引取りいただいた。

晩は片町へ。寿司食ってから飲み、のいつものコース。



2007年10月22日

職場の健康診断であった。相変わらず血圧が高い。

今日はプラス1200万。今月わずかにプラスに復帰。 なんだか変動大きいけど儲からん。今日も撤収気味に。それでもまだ1400枚ほど玉は建っている。 やっと原油の1月限が無くなった。しかし来月になると今度は2月限が4番限になってしまう。 玉がしこると、残ったままジワジワ期近に回ってろくな事がない。 インフレヘッジは今日で全て落として、CRB基準から日本円基準に戻った。 元に戻すかどうかはアメリカの景気を見ながら考える。

夜は職場に泊まり。



2007年10月21日

一応、受けてきた。試験後、ビーちゃんと答え合わせをしたら、同じ回答が30問しかなかった。 この時点で両方とも受かるという可能性はかなり低くなってしまった。 自己採点の結果は32点。昨年は33点で一点差で落ちたが、 今年はこれではボーダー付近にも引っ掛からん。職が変わってから勉強する時間が全く取れない。 昨年、あと3日くらい勉強してもう一点取っとくべきだった。 まぁ、言い訳ばかりしても仕方が無い。昔から、資格の試験を申し込んで、 直前まで勉強せずに落ちるというのを良くやっている。簿記1級とか。でも2級は簡単だったが。

風邪でしんどかったが、受験場が野田山墓地の近くだったので、先祖の墓に参ってきた。 墓地の近くに大乗寺という寺があったので寄ってみたのだが、なかなか落ち着いた情緒のある寺で、 非常に気に入った。曹洞宗の由緒のある寺だそうだ。 何か考え事をしたい時に、境内でボーっとしたい。

町に出たついでに、駅前のイオンシネマでマイケル・ムーア監督の「シッコ」を観た。 資本主義の行き着く先はこうなるという見本のようなものか。 入院費の払えない貧乏人が、病院側にタクシーに乗せられてスラムに捨てられるシーンとか、酷すぎる。 病院も保険会社も営利企業だから儲からない患者を相手にしても仕方が無いのだろうけど。 そういえばアメリカに住んでいた知り合いが、交通事故で救急搬送されても、 保険に入っているかクレジットカードが切れなければ、応急処置さえしてくれないと言っていた。 意識不明で運ばれた場合とかどうするんだろう。 旅行保険にはあまり入らないんだけど、アメリカに行くときだけはちゃんと保険に入っておこうと思った。
映画の中では、やたらとカナダやフランスやイギリスやキューバなどの医療制度を褒め称えていたが、 この偏った表現も彼一流の作戦なのだろう。彼としては無視されることが一番怖い。 表現が偏っている、という批判自体が議論の切っ掛けになり得る。



2007年10月20日

明日、試験なので15時間ほど勉強。とりあえず参考書を2回ほど読み直して去年の記憶を呼び覚ました。 しかし過去問や予想問題を解く時間が無い。これじゃ合格はたぶん無理だな。 今年はビーちゃんが受けるって言うから、付き合いで受けるようなものだが、 ビーちゃんが受かって自分が落ちたらちょっと嫌だな。今年は仕方が無いとして、 来年は夏休みにでも少し時間を見つけて勉強しよう。

風邪は酷くなるばかり。



2007年10月19日

今日は大きく逆行。マイナス1000万。もう曲がり過ぎて嫌になる。一旦全部仕切ってマルにしたくなってきた。 インフレヘッジは今日も縮小。総流動資産に対するヘッジ率は0.16倍に。暴落対応にシフトしてきた。
結局、上げ要因としては、米国金利低下による過剰流動性、サブプライムに関連して質への逃避、 下げ要因としては、同じく金融資産の劣化による含み資産の減少。 色々と考えているが、商品市場は買い方がいれば売り方がいるわけで、 株と違って全体としては相場が上げても資産は増加しない。 よって短期的には金融資産の劣化が優って下落圧力がかかると思うのだが…。

今日は早く帰って宅建の勉強したかったのに、結局仕事を終わらせて職場を出たのが晩の7時。 4時間ほど勉強した。

少し本格的に風邪を引いてしまった。



2007年10月18日

マイナス600万。とうとう今月マイナスに転落。儲からん。ポジションは撤収気味に動かした。 インフレヘッジも、油関係の買いを少し落としてヘッジ率を0.3倍まで下げた。 もう、今年はプラスのうちに店仕舞いしたい気分である。 しかし今のままでは、先物単独ではプラスでも、今年払った税金、別荘の資金、 その他もろもろ合わせると結構赤字になってしまう。 もう年収一億とか贅沢は言わないが、年末までにせめてあと5000万ほど取りたいものである (言ってることが矛盾しているが)。

今日も仕事が忙しく、家に帰ったのは夜遅く。 週末に宅建の試験があるが、全く勉強する時間が無い。 せめて参考書を二回ぐらい通して読みたいが、これでは厳しいだろうなぁ。



2007年10月17日

多くの銘柄が急落している。昨日、買いを中心に落としておいて良かった。 相場歴も長いとたまにこういう勘が働くことがある。 まぁ、感覚だけでは継続して儲けられないのが相場ではあるが。

午後から会議であまり相場も見られず。職場の近くで飲み。 仕事が終わらないので飲んだ後また職場に戻り徹夜。



2007年10月16日

一晩色々と考えた末、インフレヘッジをごっそり落とした。 落としたのは、金20枚、銀20枚、白金20枚、ゴム20枚、一般大豆15枚、アラビカ4枚、ロブスタ15枚、粗糖10枚。 アラビカ11枚がストップ安で落ちず。これで総流動資産に対するインフレヘッジ率は1.3倍から0.6倍に低下した。 今の値動きを見ていると、たとえ短期でも、調整は避けられないと思う。



2007年10月15日

一日中仕事。晩は片町へ。

マイナス400万。全然儲からん。 穀物も油も貴金属も暴落するようにしか見えん。自分の指標では、油と貴金属は天井構成。 しかし長期ではインフレと見ているので、インフレヘッジの買いを落として良いものか、考え所である。 短期の調整圧力(売り要因)、景気後退(売り要因)、過剰流動性(買い要因)、中国インド(買い要因)、 これらの強弱をどう判断していくかが問題である。



2007年10月14日

母親と祖母が金沢に来たので一緒に晩飯を食べた。昭和19年に、学徒勤労動員でお国のために働くお嬢さん、 みたいな記事で北國新聞に出た、とかそんな話を聞いた。



2007年10月13日

仕事が終わらず昨晩から職場に泊り込み。 草刈りの後なのでシャワーしたかったが、一度帰るとまた出てくるのが面倒なので泊まってしまった。

午後には帰宅して、久しぶりに相場関係の情報の整理をした。 シンガポール石油製品価格とか、タイのゴム現物価格とか、フレートとか、 もう5年分以上、日次データで集めているけど、最近はあまり利用していない。 今さら収集を止めるのも何だしなぁ。やり方を教えて、誰かにバイトでやってもらおうかなぁ。 ついでに輸入採算も毎日計算してもらいたい。



2007年10月12日

今日は午後に職場の草刈りがあった。 円盤状の回転カッターのついてる、良く見かける例の草刈機で、バリバリと雑草を刈った。 他の人の様子を見ると、それぞれ性格が出ていて面白い。 少しずつ緻密に刈っていく人、とにかく効率優先で刈る人、などなど。 自分は、木の周りとか垣根の周囲とか、やり難い部分を集中して刈っていた。
相場に結び付けて考えると、玉操作にも性格は出るんだろうねぇ。 たぶん売買譜を見れば、その人の性格もわかると思う。



2007年10月11日

昨日から一転して大きくマイナス。原因はコーンの上昇である。 相場ってこんなに儲からんもんだったかなぁ。 数年前までは、落ちている金を拾うがごとし、だったものだが。



2007年10月10日

主にクラックが順行して、前日比+1700万のプラスとなった。 クラックが順行したのは久しぶりじゃないだろうか。



2007年10月9日

昼は仕事、晩は片町へ。いつもの日常。



2007年10月8日

疲れのため、一日中ゴロゴロ寝ていた。 今日が祝日で本当に助かった。今日から仕事だったら、倒れていたかもしれない。



2007年10月7日

サークルのバーベキューにちょっと参加。昨日のOB会の参加者もちらほら。 それにしても、学生達とは干支が一回り以上違うというのを考えるとやはり感慨深いものがある。 一回生には平成生まれもいるんだろうなぁ。時が経つのは早いものである。

夕方には金沢へ向けて帰還。疲れが溜まっていたのか、車内でノートパソコンを開けたまま寝てしまった。

中村に居るときには何も考えてなかったが、土地を見たりビー宅の話を聞いたりしているうちに、 自分の家のイメージも段々とはっきりして来た。 彼女や友人など、何人か女性に意見を聞いてみたところ、作り付けのクローゼットがあった方がいいとか、 キッチンは対面がいいとか、男では出てこない発想がいくつか。 年に3回から5回くらいしか行かない建物に金をかけてもという気もするが、 たまにしか行かない特別な場所だからこそ、いいのを建てたいという気持ちもある。



2007年10月6日

ビーちゃん夫妻に中村駅まで送ってもらい、次は京都へ。 大学時代のサークルのOB会のためである。
このサークルは、大学時代に友人と二人で作ったもので、最初は数人で始めたのが、 今では100人以上の規模になっている。 作った当初、大学内の廃屋を修繕して(屋根を付け替えるくらいの大修繕) 使っていたら数年後に大学当局に発見され、 一年間は頑張って立ち退きを拒否していたものの、とうとう追い出されてしまった。 しかし追い出される直前に、 サークル員不足に悩む某サークルと合併することにより居場所を確保することができた。 今思うと、あの時が存続の危機だったと思う。
サークル員も増えれば当然、恋愛も多く発生するわけで、早いとこ、 誰か結婚しないかと思っている。 子供なんか生まれてしまえば、それこそ、自分と友人がサークルを作ったことにより、 本来は出会わなかった人が出会い、生まれることのなかった子供が生まれることになるわけで、 世の中に対してこんな有意義なことはないと思う。
OB会は二条〜三条のあたりで一次会から三次会まであって解散。 明日はサークルのイベントで鴨川デルタでバーベキューをやるらしい。 ちょっと顔を出してみようかな。



2007年10月5日

ホテルで朝飯を食った後にビーちゃん夫妻と合流。 さっそく例の土地を見に行った。 おーっ、写真で見せてもらったのより広いな。海への眺望も申し分なし。 売り主さんに挨拶してから付近を散策。以前は土地から直接海へ下りる小道があったという事なので、 藪を切り開いて開拓しようと思ったが、数m前進した所で無理と悟って撤退。 擦り傷だらけに。素手では無理だな。逆に海岸から登ってみると、 お隣の売り主さん家の擁壁の下に出たので、ロッククライミングのようによじ登っていたら、 ビーちゃんに写真に撮られた。そのまま獣ちゃんに送信された模様。

一通り周囲を見た後、建築屋さんへ。 結構ここの社長が食えない人で、出来るだけ高く吹っかけようというのが見え見えで、 オイオイという感じ。 とりあえず金銭的にはビー宅の方がシビアになりそうなので、交渉などは彼女に任すつもり。 自分の家は、業者が決まった後にビー宅と同じ基準で建ててもらえば良いだろう。

ファミレスでパソコンを開いてクラックを増し玉。

午後から司法書士さんの所で売買契約を取り交わした。 土地の現況について、ようやく納得の行く説明を聞くことができた。 登記上の土地と買った土地は、近くにあるというだけで重なってもいないんじゃないかと思っていたが、 説明によると一部はちゃんと重なっているらしい。少し安心感が増した。 わけのわからない公図の見方も説明してくれた。 ビー宅を建てるためには分筆して半分買い取ってもらうか借地権を設定することになるが、 登記との関係でやはり分筆は難しいということに。うちは現金で建てるからいいけど、 彼女らはローンで苦労しそうである。
契約後、売り主さんの家に行き現金を受け渡し。 晩は近くのペンションで、自分ら3人、売り主さん、ペンションのオーナー夫妻で飲んだ。
なぜ今、自分がここに居てるのか不思議でならない。相場との出会い、先物探花、相場仲間との出会い、 獣ちゃんと偶然同じテレビの四万十川特集を見たこと、その後の四万十オフ、ビーちゃんとの出会い、 ビーちゃんと売り主さんの出会い、色々な縁が不思議に絡み合って今の状態がある。 偶然か必然か。そのようなことを考えながら、オーナーが釣ってきて奥さんが料理した美味い魚に舌鼓を打ち、 ビール、焼酎、日本酒、ワイン、水割りなどを飲みつつ、楽しい夜は過ぎて行くのであった。



2007年10月4日

午前中で仕事が終わり、中村へ向けて出発。 まずは新幹線で岡山へ。岡山から特急南風で中村へ。半端じゃなく遠い。 博多−岡山が2時間弱、岡山−中村が4時間半で、博多を昼過ぎに出たのに着いたのは8時半位になった。 中村駅でビーちゃん夫妻と合流し、3人で居酒屋で飲んだ。 ビーちゃんの夫とは初対面である。どんな人かと色々と想像していたが、 想像よりも温和な感じである。この人の包容力が、 ビーちゃん夫妻を夫婦として成立させている最大要因なんだろうなぁ。
ビーちゃん家には最近立て続けに突発的な出来事があって、移住に尻込みしている様子。 しかし、どれもそれほど劇的に事情が変わるものでもないので、それってマリッジブルーみたいなもんか? と聞いたら、案の定その通りであった。今日は乗り気のようである。 土地を買うことは既に決まっているので、自分一人で家を建てたりするのは面倒だなぁと思っていたが、 これで一安心だ。建築屋さん巡りまですれば、もう後戻りする気にはならないだろう。
あまり女性はどうとか男性がどうとか言いたくはないが(例外は多いが)、 やはり平均的には、女性は、熱に浮かされたようになって周りが見えなくなり、 あるとき我にかえって醒める、という傾向があるように思う。



2007年10月3日

午前中、仕事を抜け出して銀行へ。別荘用地購入のための1000万円を引き出した。 土地の売り主さんが現金取引を希望しているので、現金で出金。 1000万の束って、100万ずつの束を10個まとめて更に太い帯で十字に括られていて、 大きいレンガのようである。 1000万の現金は何度か扱ったことがあるが、同じ所から一度に引き出した事は初めてなので、初めて見た。 聞くところによると、一億になるとまたまとめて梱包されるらしい。

相場は大きく順行。全てのポジションが順行して、前日比プラス2700万。 改めて結構なリスクを取っていることを認識した。 しかしごっそり玉を落としたので安全性はかなり高まったと思う。



2007年10月2日

朝から夕方まで仕事。晩は、まず仕事関係で立食パーティー。途中で自分だけ抜け出して中州へ。 その後、再び居酒屋で仕事の関係者に合流。 福岡時代の馴染みの人もいて楽しく飲んだ。もう一軒はしごして解散。 それにしても福岡は飲み代が安くてよい。



2007年10月1日

粗糖の事なんだが、どうも玉がターゲットにされているようで気持ちが悪い。 ここ最近、買う節だけ高くなり、その後、狙ったように売り叩かれて、買い玉の厚い限月だけ鞘が凹む。 数百枚単位で玉を入れると、目をつけられて当然ということなんだろうが。 いい加減、あからさまな大衆店を使うのも止めた方がいいのかも。

朝から夕方まで仕事。その後、福岡城で友人と月を見ながら飲む。幻想的な夜であった。



2007年9月30日

今日から福岡へ出張。しかも以前に住んでたあたりである。 新幹線の博多駅で乗り換え、在来線で前の自宅の最寄り駅へ。 空気さえも、全てが懐かしい。良く行った廻る寿司で晩飯。



2007年9月29日

久しぶりに愛車アルフェッタのエンジンをかけた。 一ヶ月ぶりくらいなのでエンジンがかかるか心配だったが、無事にかかった。
近畿道・中国道を経由して神戸三田アウトレットモールへお出かけ。 相変わらずクラッチの繋がる位置が気になる。 早めに見てもらいたいところ。しかし暇が無い。
それにしても、燃料メーター半分の所からハイオク満タンまで入れたら5000円。 行って帰ってきたら再び燃料メーターが半分に。それに高速代が往復5000円。 金のかかる車である。燃費はリッター6Kmくらい。地球環境には完全に逆行している。 まぁ、一ヶ月に一回か二回乗るだけなので勘弁してもらいたいところだが。



2007年9月28日

土日を仕事で潰しても良いならもう少し余裕があったのだが、今日中に関西に行きたいので、 無理やり仕事を全部終わらせた。睡眠不足で倒れそうである。

18時半くらいに家を出て金沢駅から雷鳥に乗ったところ、強風のため湖西線が止まり、 米原経由で行くことになったとの放送が流れた。大阪駅に着いたのが23時20分くらい。 マジですか。ぐったり。

今月の利益率はプラス10.44%。 年初からの利益は3000万、ピークからのドローダウンは4500万。 月間利益が10%を越えたのは久しぶりである。



2007年9月27日

今日も仕事と会議。なんか、やるべき事が山積していて嫌になる。 しかし一つずつ片付けていけば何とかなるものである。

相場は今日も順行。実は既に調子は回復してるのか?  現在、今年の損益は最高値の半分くらいである。



2007年9月26日

仕事と会議で一日終了。

相場は大きく順行。なんか潮時のような気がして多めに玉を落とした。



2007年9月25日

知り合いに美味しい牛タンの店を教えてもらったので、さっそく行ってみた。 商店街を駅の方から入ってすぐの所を左に入り、細い階段を二階に上がった所にある 「真助」というお店である。 これは予め知ってないと、ちょっと敷居が高くて入れない所だ。 カウンターが6席くらいと小さな座敷が一つのこじんまりとした店である。 最初に行ったら11時半からと言われたので、 表通りのベンチで昨日古本屋で買った団鬼六「真剣師小池重明」を読んだりして時間を潰し、 11時半丁度に再びお店へ。牛タン、絶妙の柔らかさと味の沁み込み、 テールスープを飲んだらまた旨くて一瞬、意識が桃源郷をさまよった感じがした。満足。

仙台駅で、ずんだ餅を購入。すぐ食べる用とお土産用。電車で空港へ行き、 ずんだ餅を食いながら本の続きを読む。読み終えた頃にチェックイン時刻になり、搭乗。 小松空港に帰還。



2007年9月24日

朝から案の定、二日酔い。 少し時間があったので博物館の裏から青葉山に登った。 博物館の裏に伊達政宗の胸像がある。これは元々は騎馬像であり、 戦時中の軍による供出命令によって回収されたが、胸から上だけ奇跡的に残ったものらしい。 文化財をいったい何だと思っていたのだろうか。まぁ、人間の命を兵器として使い捨てにするくらいだから、 集団ヒステリーでまともな思考は失われていたのだろう。
青葉山からの眺望は素晴らしい。広瀬川もぼーっとするのに良い感じ。やっぱり仙台はいいなぁ。 住んでもいいくらい。 仙台城は永らく戦火を受ける事が無かったのだが、 明治になって不平士族の反乱を防ぐために廃城令によって取り壊された。 あの青葉山に城が残っていれば、かなりイメージが違っただろうに、まことに残念である。 全く、文化財を何だと思っているのか。 ただ、昭和まで残ってたとしても米軍の空襲で焼けたと思われるが。

夜はまた飲み。結構しんどい。



2007年9月23日

今日は少し大切なプレゼンがあったが、無事に終了。
夜は寿司に連れて行ってもらった。その後は居酒屋に行き、日高見をはじめ、 日本酒を際限無く飲んでしまった。どうやってホテルまで帰ったのか半分くらい記憶が無い。



2007年9月22日

今日も一日中仕事。夜は飲み。急にどしゃぶりの雨が降ってきてびっくりした。



2007年9月21日

一日中仕事。少し街を歩いたが、仙台はかなり印象が良い。杜の都を標榜するだけあって、 街中に木が多いのもいいね。



2007年9月20日

粗糖SHキター! 寄りから、ここぞとばかりに大量に仕切ったら出来ストップになった。 昨日と今日で3200万ほど順行したので、粗糖以外にも全体的に玉を減らした。 製品11月限のクラックは勝機は十分あると思っていたが、 いつまで経っても利益に貢献してくれないので、こいつも、もう見切りをつけて仕切ることにした。

夕方から飛行機で仙台へ。空港から電車に乗ろうとしたら、人身事故とやらで当分復旧しないと言われ、 仕方が無いので切符を払い戻して行列にならんでバスで市内に向かった。 ホテルは駅から少し歩き、カネツ商事の前を通り過ぎて少し行った所である。 途中、行列のできている牛タンの店(名前は忘れた)があったのでそこで晩飯を食った。 なんだか分厚くてジューシーで旨いぞ。 牛タンは焼肉の一品としてしか食ったことが無いので、新鮮に感じる。



2007年9月19日

明日から仙台出張のため、準備にかかりきりである。

ノートパソコンの調子が悪い。傾けると中で何かがカラカラ転がる音がするし、 スタンバイモードにしていても時々勝手に復帰してしまう。 4年半も使っているので、もうそろそろ買い替え時かもしれない。 というか実は既に買ったのだが、まだ移行していないのである。 機種はまたレッツノートで、OSはXPのバージョン。 多分、XPの乗った機種はこれを逃すともう出ないかもしれない。



2007年9月18日

相場は年初来プラマイゼロあたりを上下している。 今日はマイナス600万で、また年初来マイナスに転落。

晩は久しぶりに片町へ。ハンガリーから持ってきたワイン(割れてない赤) を店の人や他のお客さんと飲んだ。



2007年9月17日

日本に帰ってきた。成田に着いて飛行機を降りた瞬間に、むわっとする熱気と湿気。 預けた荷物を受け取ると、赤と白のうち、白ワインのボトルが割れていた。 かなり厳重に梱包した筈だったのだが…。ビニール袋で何重にも包んでおいたので、 液体は外に漏れずに済んでいた。 白も美味かったのに、もったいない。

羽田から小松空港へ。そこからバスで帰宅。荷物を家に置いて一息ついたら、 すぐさま近所の回転寿司へ。寿司と味噌汁と茶碗蒸しを食い、生ビールを飲む。 は〜、幸せ。



2007年9月16日

ホテルで朝食を取った。客室はボロいが食堂は綺麗である。 川を見ているとゆったりとした気分になる。 何の目的もなく、一ヶ月くらいボーッと滞在したいものだ。
タクシーを呼んでもらい、空港へ。 バスを駆使しようかとも思ったが、荷物も多くなっているし、 元気も残り少なくなっていたので安易な道を選んだ。 空港では土産を買ったりカフェで時間を潰したりして、フォリントは7フォリント(約5円) だけ残して使い切った。 ユーロは余ったが、これはまた今度ヨーロッパに来た時に使えるだろう。

行きと同じくブダペストからフランクフルト経由で成田へ。 帰りの飛行機でも映画を観るか寝るかして過ごしていた。 まずは「ウェディングシンガー」。楽しくて思わずニヤけてしまうような、いい映画であった。 単純なラブコメだけれどもテンポが良くてダレない。何よりドリューバリモアが可愛らしい。 次「ゴーストハウス」。普段あまりホラーは観ないので、半端じゃなく怖かったんだが。 最後ハッピーエンドでほっとした。



2007年9月15日

午前中で出張は終了。今晩はブダペストの市内に宿泊する事になっている。 出張先から例のミニバスで出発。自分は一番最後になり、運転手の兄ちゃんも散々迷って、 ようやくホテルに到着した。川の中にある、船を模したホテルである。 部屋は場末の安宿という感じ。こういうのは嫌いじゃない、むしろ好きである。 問題は都心から遠いということ。地図を見ると市内まで8kmはある。 しかしバスも電車も良く分からないので、歩いてみる事に決定。 ホテルの周辺は寂れた工業地帯と住宅地帯の混合地という感じで、所々、 社会主義時代の名残と思われる、日本の公団住宅みたいな味も素っ気も無い集合住宅が連なっている。 ホテルのある町を出て、車以外ほとんど通らない幹線道路をひたすら歩いた(一応、歩道はついていた)。 喉が渇き、腹が減って限界に近付きつつあったが、道路の周囲は片側が林と湿地帯、 もう片側が線路で、店も何も無し。
ようやく市内に近付いた所でOBIというホームセンターに遭遇。パン屋も併設されていたので、 ミネラルウォーターとミートパイを購入。腹が減っていたのでやたら美味い。 しばらく行くとドナウ河に出た。おお、でかいぞ。 観光については何も調べてなかったが、遠くのドナウ河沿いに高い丘を発見。 あれがブダの丘か、と、すぐに登ることに決めた。 ここで手持ちのフォリントが残り少ない事に気がついた。銀行はどこも閉まっていて両替もできない。 しばらく彷徨っていると、銀行の店先にカードでキャッシングできる機械を発見した。 カードを入れて金額を押すとフォリントが出てきた。これは便利だ。
再び丘を目指して進む。結構足が疲れているが、何とか強行軍で上まで登った。 ちなみに登ったのはブダの丘ではなくゲッレールトの丘だったのだが、 それを知ったのは帰国後であった。 眺めは素晴らしい。さすがドナウの真珠と言われるだけある。 この景色を見た瞬間、ブダペストに住んでも良いと思った。
逆算すると日暮れまであまり時間がなく、 あまりホテル周辺の柄が良いとは言えないあたりを暗い中歩きたくないので、 丘をさっさと下り、鎖橋を渡って対岸へ。しばらく行くと土産物屋やレストランの集中している場所に出た。 ハンガリー名産の小さな刺繍のテーブルクロスを購入。値切ったら3000円くらいの品が200円くらい安くなった。 しょぼい。 明日の交通費を考えると少し不安だったので、街角の両替屋で再びユーロをフォリントに両替。 レートを確認したが、それほどボッタクリではなかった。
帰りは別のもっと近そうな道で帰ろうかとも思ったが、一度でも迷うと日暮れが来てしまうので、 安全優先で来た道を戻ることにした。途中、例のホームセンターのOBIに寄って、 ビニールのゴミ袋と粘着テープを購入(出張先でワイン二本を土産に貰ったので梱包用)、 他に何か土産になりそうな物はないかと思いウロウロした挙句に鍋つかみを購入。 別に日本でも売ってそうだが。 幹線道路を歩いていると、若者が4人くらい乗った車が止まって何か言っていたが、 怖いのでそのまま無視して通り過ぎた。 ホテルの近くのスーパーで、土産にパスタとクッキーとワッフル、 今日の晩飯としてパンとりんごジュースとポテチを買い、ホテルに戻った。 ちょうど日が暮れる直前であった。 多分20kmくらいは歩いたと思う。両足に豆が出来ていた。

ところで、こちらの料理には魚がほとんど登場しない。常に牛、豚、鳥、ばかりであった。 しかも量が半端じゃなく多い。味付けはドイツに比べても素朴に感じた。 そろそろ味噌汁を飲んで寿司を食いたい。

テレビでロードオブザリングをやっていた(これもハンガリー語の吹き替え)。 寝転んでポテチを食いながら見てたら寝てしまった。



2007年9月14日

夕食後、田舎の方でワイン祭があるというので、みんなで出掛けた。 日本円で500円ほどの参加費を払えば、地元のワイン農家でどこでもワインテイスティングでき、 しかもワインセラーの中を見学することもできる。 祭の参加者が自然発生的にハンガリーの歌を合唱したりしていて、楽しい雰囲気である。 5件ほど周って赤と白を飲んだらフラフラになってしまった。
ワイン畑の中の小道に寝転がって星を眺めた。驚くくらい星が見える。天の川もくっきり。 流れ星を二つ見た。ポアソン分布なんだよなぁと考えながらボーッと眺めていたが、 それ以上見られなかったので星の観察は終わりにした。

しかしやはり海外に来て思うのは英語力の欠如である。 向こうがゆっくり話してくれれば分かるし、言いたい事も少し考えれば何とか伝えられるが、 今の瞬間に何人かで話のテーマになっている事について、話に割って入り、 その場で思い付いた事を即座にスムーズに話せないと円滑なコミュニケーションは難しい。 「北斗七星の星それぞれは地球から異なる距離にあり、太陽系も移動しているので、 時間が経つと星座の形も変わるんですよ」とか 「日本では30年ほど前には、共産主義の影響で大学には産学協同を良しとしない風潮があったが、 現在はそうでもなく、大学と共同研究を行っている企業も多いです」とかいう内容を、 即座に言えるようにならないと。

安倍さんが辞めたらしい。特に感想は無い。次は福田さんかな。



2007年9月13日

朝から夕方までずっと仕事。夜は晩餐会なるものが催された。 外人のおっちゃん達は女性にダンスを申し込んだりしていたが、 自分は心得も無いし、話も続かないのでさっさと退散。 イランから来ている人が自分と同じように暇そうにしていたので少し話をした。 イスラエルについてどう思うのか聞いたら、国民の多くは特にイスラエルの消滅を願っているわけでもなく、 平和的に共存できればそれでいいと思っていると言っていた。

誰かと会話をしていて思い出したが、ハンガリー人は数学に強く、 数学者や物理学者を多数輩出しているので有名である。 流浪の数学者ポール・エルデシュもハンガリー出身だ。 ちなみに、大学院生の時に先生と共著で書いた論文のおかげで、自分のエルデシュ数は5である。



2007年9月12日

今日は仕事を午前中で終え、出張先の人達とハンガリー第三の町であるエガー(Eger)に観光に出掛けた。 大聖堂や城などを見学。ガイドの人は城の由来について色々と話していたが、 要するに、ハンガリーはオスマントルコに負け続けだったが、 一度だけ篭城して撃退したことから、愛国の象徴となっているということらしい。
晩はエガーのレストランで食事。鳥肉のような料理が出て来た時に、 一緒に来ていた人が何の肉だろう?と言った時に別の人がTurkish meatじゃないか?と言ったのが面白かった (トルコと七面鳥をかけている)。 このあたりはワインの産地らしく、ジャブジャブとワインを飲んだ。 洗練されてないけど素朴で濃厚な味のワインであった。



2007年9月11日

晩まで缶詰で仕事。 しかしコーヒーとかミネラルウォーターとか飲める所にワインの樽が置いてあり、 昼間からみんな普通に飲んでいる。 日本だったら、職場にビールサーバーがあって飲みながら仕事してるようなものだ。いいのか?  と思いつつ自分も飲む。

晩は、チェンバロのプライベートコンサートに出席した。 チェンバロの音は好きなんだよねぇ。ゴルドベルク変奏曲は良く聴いていた。



2007年9月10日

出張先ではネットに繋がるが、ホテルではネットに繋がらないという事が判明した。 日本とハンガリーの時差が7時間なので、ちょっと早めに出勤して8時にネットに繋いでも、 日本では15時で相場は終わりかけである。よって今週は相場は放置する可能性が高くなった。

例の原稿は何とか推敲して送付できた。一仕事完了。

晩飯の後、地元の歴史研究会だか何だかの人が3人やって来て実演をしてくれるというので、 出張に来ている人達で見学した。 ハンガリーはオスマントルコの影響を強く受けていて、衣装にもそれが表れている。 昔を再現した弓や投げ槍の実演があり、その後、矢を射たり槍を投げたり体験させてもらった。 他にも、鉄板を十字に溶接した手裏剣のバッタもんみたいなものがあり、投げてみた。 ガリア戦記に、城壁の上からテラを投げるという記述があるが、これがそうかと納得。 手裏剣のように刺さるという感じではなく、当たったら骨折か頭蓋骨陥没である。

昨日のホテルでも感じたが、なんかベッドが小さい。足が出てしまう。 特にハンガリー人が小柄というわけでも無いし、みんな足を曲げて寝ているのだろうか。



2007年9月9日

起きてシャワーを浴び、朝食へ。朝食はドイツのようなコンチネンタルブレックファストである。 昨日は夜中なのでわからなかったが、ホテルは閑静な住宅街の中にあった。
出張先でミニバスを手配してくれたのだが、10時に着く筈が、来たのは11時頃。 しかし旧社会主義国ならこんなもんだろうと、完全に想定内。フロントで気軽に待っていた。
郊外の出張先に着いたので、宿泊先のホテルに荷物を置いて付近を散歩した。 なんか犬が多いなぁ。治安の問題か。町を歩くと色々な点で作りの粗が目立つ。 壁とか道路とか、ドイツ人なら絶対にやらないような適当な造作が多い。 笑ったのが電信柱である。細いコンクリートの棒を斜めに二本くくっただけ。 地震が無いんだろうなぁ。

人種は、東洋と西洋の中間という地理的状況のためか、様々な肌の色と髪の色のバリエーションがあり、 人種の坩堝という感じ。時々、はっとするほど綺麗な女性を見掛けた。

気候はやや肌寒いくらいで、長袖を二枚着れば非常に快適である。



2007年9月8日

5時に起きて30分で着替えなどを鞄に詰めた。前回ドイツに行ったときに余ったユーロを探したが、 見つからない。400ユーロほどあった筈だが、引っ越しの時にどこかに紛れてしまったようだ。 今回は仕方なし。バスで小松空港へ向かい、小松空港からまずは羽田空港へ。 羽田空港から京急線で成田空港へ。間違えて第一ターミナルに行ってしまい、ウロウロした挙句、 第二ターミナルに辿りついた時には出発時刻の30分前であった。 そのあたりを歩いていたJALのお姉さんに、これってマズいですか?と聞いたら、マズいです、 と言われ、最優先でチェックインして客室乗務員専用の入り口から入れてもらった。 出発15分前に無事に搭乗完了。やれやれである。
成田でユーロを購入したら、8万ユーロ買うのに13万円ほど要った。 購買力では1万ユーロは1万円程度の価値しか無いと思うので、非常に損した気分である。
機内ではずっと寝るか映画を観るかしていた。 実は肘置きの下にパソコン用電源がある事を知らなかったのである。 知っていれば記事の続きを書いていたのだが。 観た映画。「パイレーツオブカリビアン・ワールドエンド」シリーズの中でこれだけ観ても、 いまいちわからん。途中から寝た。 「ファンタスティックフォー・銀河の危機」くだらないけど突っ込みどころ満載なのがいいね。 シルバーサーファーが格好いい。 「天行者」良い話なんだろうが、主人公の動機がはっきりせず共感できないなぁ。 「オーシャンズ13」ダメダメだが、もともと期待してないので、こんなもんか。 特にスリルや驚きがあるわけでもない。ふーん、と思うだけ。あのサイコロは欲しいが。 アルパチーノ、歳取ったなぁ。
12時間ほど乗ってフランクフルトに到着。マレフハンガリー航空に乗り継ぎ、22時ごろにブダペスト到着。 ユーロをいくらかフォリントに両替したら、今度は嵩が増えて得した気分である。 ホテルまでどうやって行こうかと考えたが、ミニバスという乗り合いバスのようなものがあったので、 目的地を言って切符を買った。同じ方面の客が集まったところでバンに乗り込み、出発。 順に客を降ろし、自分も無事にホテルに辿り着くことができた。
テレビをつけたら「イージーライダー」をやっていた。ハンガリー語の吹き替えだったが、 好きな映画なので、観てたらいつの間にか寝てしまった。



2007年9月7日

明日からハンガリーへ出張というのに、準備も全然できてない。 業界誌の解説記事はほぼ出来上がったが、推敲が間に合わず。 ハンガリーからメールで送るしかなくなった。 相場はほぼ放置。出張中の来週一週間も基本的に放置で良い気がする。 不足が出ないようにだけ注意しておこう。



2007年9月6日

午前中は会議、午後は仕事。忙しくて相場はどうでも良い感じ。



2007年9月5日

忙しいのに、ローマ人の物語の文庫の続きが出たので買ってしまい、 しかも3冊のうちさっそく一冊読んでしまった。
ローマ帝国と大日本帝国の比較および現在の日本について良く考えることがある。 兵站に対する考え方から植民地政策まで違いは色々とあるのだが、 印象的なのはローマ帝国における軍隊の地位である。 長らくその地位は低く、兵士の給料も総じて安かった。 しかも当時の国勢ならば何百万人規模の軍隊を編成することも可能だったと思われるが、 実際には必要最低限の人数を鍛え上げて要所に貼り付けるだけに止まっている。 暴力装置の危険性が常識として認識されていたに違いない。 そのローマ帝国においても、軍隊が国政に対して影響力を持ち始め、 皇帝が軍を手駒として使い始めると共に、帝国は崩壊への道を辿り始める。

どっかのIT企業から、先物探花のHPを2万円で売りませんか、というメールが来た。 2万円って…。どうやら、アクセスの多いページを安く買い取り、 アフィリエイトのバナーなんかを張りまくって放置して金を回収するというビジネスモデルのようだ。 色んな事を考える人がいるものである。



2007年9月4日

頼まれて現代ポートフォリオ理論のさわりについてプレゼンを行った。 ファイナンスは本業じゃないんだけど、どうも最近、金融関係にコミットする事が多い。 話を聞いた人の感想は、内容がやけに実際的なので、相場の経験者じゃないかと思ったそうである。

夜は片町へ。



2007年9月3日

仕事が終わらない。仕事というのは業界誌に5ページほどの解説記事を書くことであるが、 基礎知識の無い人に、簡単な導入から始めて、何となくわかった気にさせる文章というのは難しい。

歯医者で、詰め物が取れた所をようやく詰めてもらった。



2007年9月2日

金沢へ帰還。良い夏休みであった。



2007年9月1日

奈良の実家へ。なんか猫が増えていた。 一時期、猫4+犬1だったのが、病気や老衰で死んで、しばらく猫1だったのだが、 妹が北海道から犬を一匹連れ帰り、母親が地域猫活動とかで猫三匹保護したようだ。 そのうち一匹はうちで飼い、二匹は里親募集中らしい。
祖母の認知症は少し改善していたような気がした。 一人暮らしが長かったのが良くなかったような感じだが、 両親と一緒に暮らすようになって良い刺激が増えたのかもしれない。 これも相場で儲けたお金で土地を買えたからだなぁ。



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