先物日記(2008年5月〜8月)

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2008年8月31日

朝から夕方まで仕事である。昼は首里城の近くの丘の上の古民家のお店に沖縄ソバを食べに行った。 それにしても、どうしても町中で石垣が目に入り、そのたびに、しげしげと観察してしまう。 こっちの石は石灰岩質で簡単に形を調整できるので、積むのは簡単そうだ。 ヨコハマ買い出し紀行に街灯を肴に酒を呑む人が出てきたが、今の自分なら石積みを肴に酒を飲めると思う。 すっかり石積みにはまってしまった。早く続きを積みたいものだ。

晩は近くの沖縄料理のお店へ。運転係なので酒が飲めないのが辛い。



2008年8月30日

今日から那覇へ出張である。バスで小松空港へ行き、小松空港から那覇空港へ。 今回は同行者が多いので、相談してレンタカーを借りることにした。 事情があり、自分だけ昼前に到着してまずレンタカーを借りた。 他の人たちとは夕方に合流することになっている。
夕方まで時間があるので、波上宮へ行ってみた。ここはれっきとした神道系の神社なのだが、 本土の神社建築と沖縄建築が調和した良い感じの雰囲気である。 続いて、近くの対馬丸記念館へ。アメリカの潜水艦に撃沈された学童疎開船、対馬丸の記念館である。 生存者の証言が生々しい。それにしても、沖縄戦というのは何だったのかと考えてしまう。 沖縄戦の直前に行われた子供や老人や女性の本土への疎開が、 作戦行動と食料調達の邪魔になる民間人を県外に移動させる意図であったと考えるのは自然である。 沖縄は本土決戦を引き伸ばすための捨て石にされたと言われるが、確かにそういう印象を強く受ける。 そうではない、沖縄だけではなく日本全土が玉砕するつもりだったのだ、という意見もあるかもしれないが、 仮にそうだったとしても、日本全土で軍民もろとも全滅するまで戦って、一体何が残るというのか。 国民の大半が死んだら国体護持もへったくれも無いと思うが。 国民を守ってこそ軍隊の存在価値があるのに、国民を守らず、 戦うこと自体が目的と化した軍隊に存在価値があるのかと思う。 神風特攻隊にしてもそうだが、国民を守るのではなく、 道具として使い捨てにするような政府は既に存在する意味が無い。 今後はそんな馬鹿な政府が現れるような風潮にならねば良いのだが。

昭和天皇は、華々しい戦果を一つ上げてから講和をしようと言っていたらしいが、 これは、買いで引かされ続けている状態で、少し戻ったら損切りしようというのと同じである。 実際は一度も戻ることなく、沖縄玉砕、広島、長崎、とストップ安3連発を食らって、 たまらず総投げしてしまうという結果になった。 それでも投げただけマシで、投げずに強制決済まで行ってたら今の日本は無かったかもしれない。

夕方に同行者と合流して沖縄料理を食べた後、出張先の近くの宿へ。



2008年8月29日

午前中に車を実家に返却し、特急で金沢に帰ってきた。自宅に帰らずにそのまま出勤。 肋骨の痛みがひどくなってきた。

8月の収支はプラス24万ほど。利益率は+5.4%であった。途中かなりドローダウンを食らったが、 最終的にはプラスに持ってくることができた。

書店の造園関係のコーナーに石積みの本が二冊あったので思わず両方とも購入した。 人格以上の石積みはできない、という一文があり衝撃を受ける。 表面は整っているけど中身は脆いとか、見た感じのバランスが悪いとか、落ち着いているとか、 神経質な感じとか、人格が出るということなんだろうなぁ。 しげしげと自分の積んだ石の写真を見てみる。うむむむ。 素人が頑張って積んだという、頑張った感はヒシヒシと感じられるな。ちょっと恥ずかしい。 プロが積んだ切れ味のある感じではないが、不快な感じは受けない。 むしろ、これはこれで味があるように感じられる。たぶん親の欲目だけど。
石積みのやり方についても解説されている。事前にこれを読んでおけば、とも思ったが、 一度経験したからこそ本の内容が良くわかるのであって、 実体験無しに事前に本だけ読んでも、全然ピンと来なかっただろうとも思う。



2008年8月28日

朝6時に起きてコンクリート詰めの続きをした。これもようやくコツがわかった。 スコップでコンクリートを掬い、落ちないようにスコップを下に固定した状態で、 手で押し込んで掌で圧をかけて固定させる。これだと垂直な隙間にも詰めることができる。 詰めた後は空手チョップみたいな感じで叩いて更に圧をかける。 最初は軍手をはめていたのだが、途中から面倒になり、素手でどんどんと押し込んだ。
セメントはアルカリ性のため、素手で扱うと手が荒れるのでゴム手袋を着用すること、 とネットで読んでいたのだが、大したことは無いだろうと素手でバンバン扱っていたら、 かなり酷いことになってしまった。連日の作業で手は傷だらけになっていたのだが、 大き目の傷の所から皮膚が溶けて抉れたようになった。ほとんど自覚症状は無い。 これ、骨まで溶けたとしても気が付かないかもしれない。 酸よりアルカリの方が怖いというが、本当である。
やり残した事も多いが、それは次回に回すとして、昼頃に出発。 途中の道の駅で昼御飯を食べ、帰路についた。

昨晩あたりから、一昨日に石に当てた肋骨がかなり痛むようになってきた。 普通の姿勢だと、息を深く吸おうと思うと激痛が走り、深呼吸が出来ない。 しかし前屈みになれば何とか深呼吸も出来る。 車に乗っている間は、何となく体が丸まる感じなので比較的楽だが、 車から降りようとすると、連日の作業による筋肉痛と肋骨の痛みのため、 スローモーションのようにしか動くことができない。 手首の疲れと、セメントで手の皮膚が溶けて突っ張っているため、握力も出ず、 ハンドルを握る手にもあまり力が入らない。そんな状態で大阪まで運転して帰ってきた。 しかし、毎日規則正しい生活をして、睡眠も十分に取っていたせいか(連日9時就寝6時起床)、 運転による疲れはほとんど感じなかった。 前回の四万十オフの時は、帰りの運転で異様に疲れて、帰り着けるのか心配になったが、今回は快調である。 やはり、体の中で運転で疲れる場所と肉体労働で疲れる場所は少し違うんだろうね。 デスクワークの疲れと睡眠不足は特にいけないようだ。 もう無理も利かない年になってきたし、これからは運転する前の日は、 どんなにみんなが楽しそうに起きていても必ずちゃんと寝ることにしよう。

ペシャワール会の日本人スタッフがアフガニスタンで誘拐されて殺害されたようだ。 タリバンの犯行だと思われる。ペシャワール会は現地の部族社会とは比較的良好な関係を保っていたようだが…。 代表の中村医師に共感して支援していたのだが、残念なことである。 亡くなられたスタッフの方は気の毒だが、紛争地域に行くという時点である程度の覚悟はするべきだし、 もちろん覚悟していただろうと思う。 好き好んでそんな危険な所に行かなくても、という声も聞くが、本人がそれに意義を見出しているのなら、 他人がとやかく言うべきではないだろう。 ペシャワール会の会報を読んでいると、自分の現地に行って何か手伝いをしたくなる。



2008年8月27日

作業の進捗が予定より遅れているので、今日は朝5時から石の積み込みと運搬と積み上げを開始した。 石積みで土地が広くなる感じなので、土地と石積みの間に入れる土が不足して困った。 当初は土地の山手の方を切り崩して土を運んでこようかと思っていたのだが、 時間がいくらあっても足りないので、S社の現場に行って、働いている社員さんに、 土を少しわけて頂けませんか?とお願いした。 すぐに大型トラックで持ってきて山を作り、更にバックホー(油圧ショベル)で流し込んでくれた。 多彩な動きをするバックホーを間近で見ると、生き物のようでかなり面白い。 これはちょっと、いつか運転してみたいものである。
今日もS社の社員さんが通りがかりに色々と教えてくれた。 午後3時頃には、とりあえずキリの良い所まで積むことができたが、 やっと今頃になって石積みのコツがわかってきた。 具体的には、どういう石を選んだら良くて、どういう感じに積めば良いのかわかってきた。 たぶん次回からはもっと上手く積むことが出来るだろう。 結局、今回の石積みは練習台のような感じになってしまい、ビー家に少し申し訳ない気もする。 しかし、こういうコツというのは見ているだけでは絶対にわからないので、 どこかで一度は実際に積んでみないといけないのである。 ただ、道路に垂直な、目立たない部分から積めば良かったかなという気はする。 あと、時間的な制約もあり、急いで積んだ端の方は少々雑になってしまった。 今度、続きを積む時に、少しだけ積み直そうかと思っている。
天端はガタガタだけど、若干低めにしておいたので、 いずれ小さな平たい石を積んで真っ直ぐにして、横から見て出っ張った所も金槌で叩いて落とせば、 それなりに見られる格好にはなるだろう。 また、天端近くで一ヶ所、外側に向けて上端が下がるように積んでしまった石があり、 この上に何も積めなくなる場所が出来てしまった。 これも少し削って滑らないようにしてから、上に別の石を積んだ方が良いだろう。まぁ、次回だね。
今回は石積みはこれくらいにして、隙間をコンクリートで埋める作業に入ることにした。 実はコンクリートを練るのも初めてである。 コンクリートは、標準的な配合比(重量比)で、セメント:砂:砂利=1:3:6だそうだ。 昨日買ったモルタルがセメント:砂=1:3で出来ているなら、 モルタル10Kgと砂利15Kgを混ぜればコンクリートになる筈である。 混ぜてみたが、どうも砂利が多過ぎるような気がする。 隙間に詰め込もうにも、ぽろぽろと落ちてきて、なかなか詰まってくれない。 結局、何が正しいのか良く分からないまま、砂利を少なめにして、 モルタルとコンクリートの中間のようなものを作り、それで詰めていった。 それでも垂直に塗ろうとするとやはりぽろぽろと落ちてしまう。 本当にこんなんで固まるのだろうかと不安になりつつ、今日は終了。
ユニックのレンタルが今日までなので、荷台に自転車を積み込んで出発。 無事に返却を完了して自転車で帰ってきた。
明日には帰るので今日は外食ということにし、前回の四万十オフの時にみんなで行った焼肉屋に行ってきた。 車なのでビールを飲めないのが残念だが、腹一杯食べて帰ってきた。 帰ってきて確かめると、昼間に詰めたコンクリートは固まっているようである。 意外と適当に塗ってもちゃんと固まるようだ。

今日は彼女には、小さな石の持ち運び、シャベルでの土入れ、クレーンのウィンチの巻上げ巻下げ、 コンクリートを詰めたり塗ったりする作業など、相当色々な作業を手伝ってもらった。 特にクレーンの操作は助かった。一人でやろうとすると、 クレーンを操作してフックを石の所まで持ってきて、石の所に行って玉掛けし、クレーンに戻って巻き上げ、 ワイヤがある程度張ったところで石の所に行ってワイヤを直し、またクレーンに戻って巻き上げし、 と、クレーンと対象物の間を何度も行ったり来たりしないといけない。 危険なので、やってもらったのは巻き上げ巻き下げだけだが、 それでも、こっちは玉掛けと石の積み上げに専念できるんのでかなり楽になった。



2008年8月26日

朝6時に起きて、ひたすら工事現場から石を運んできて積み上げるという作業の繰り返し。 太陽の照りつける中、頻繁にお茶を飲むが、すぐに汗で出てしまう。 おしっこも濃い黄色である。体が常に塩分を欲している感じ。
午後にS社の社長さんと社員さん2人が様子を見に来てくれた。 色々とダメ出しをされて、社長さんの言う通りに微調整をしていくと見栄えが劇的に良くなった。 昨日から、石同士をピッタリ組み合わせることを最優先にして積んでいたのだが、 石同士の隙間は少々あっても、横から見てツラが綺麗に揃っていることの方が遥かに重要なのだそうだ。 実際に修正してみると確かにそうである。 一部、下の方の石で少し飛び出て修正できない部分があったが、そんなに硬い石ではないので、 後から金槌で叩いて削れば断然良くなるよ、とも言われた。
社員さんが、本当は20年かけて習得するんだけど、自分でやってみようと思うだけ偉い、と言っていた。 正直、そんなに奥が深いとは思わなかったなぁ。 しかし、20年といってもいつも石積みの仕事があるわけでもないだろうし、 年に2回として40回ほど積めば習得できるのかもしれない。
今回、S社の人達と知り合いになれたのも良かった。 向こうからすると、今までは遠くに住んでいる良く分からん人、くらいの印象しか無かったと思うけど、 今となっては、自分で石積みをやろうとする変わった(無謀な)若者という感じで、 印象が悪かろう筈がない。皆さん、親切で気のいい人たちばかりである。
日が暮れるまで積んで今日は終了。明日はコンクリートを詰めるので、 ホームセンターへ行き、乾燥モルタル80Kgと砂利120Kgを購入した。 セメントを買おうかと思ったが、適当な砂が売ってなかったので、 割高になるがモルタルと砂利を買って混ぜることにした。
スーパーで買い物をして帰宅。今晩は夏野菜のパスタであった。 ここ数日、陽が昇ってから日が暮れるまで10時間以上働き、毎日ヘトヘトになるのだが、 この疲れは本業で感じる疲れとは全く異なっている。 デスクワークの疲れは、体のダルさが何日も抜けないような感じだが、 肉体労働の疲れは、筋肉痛は別にして、体が歩くのも億劫なくらいになっても基本的には寝れば回復する。 そういえばズボンのベルトがかなり緩くなった。 朝から晩まで汗をダラダラかいてダイエット運動しているので、痩せるのも当然かもしれない。

今回、彼女には色々と感謝しないといけない。作業を続けられたのも、 毎日、栄養のある美味しい料理を作ってくれたおかげである。 もし一人でコンビニ弁当なんか食べながらやってたら、一日でダウンしていたと思う。 あと、安全靴を着用して、土を掘ったり小さな石を運んだりクレーンで石を下ろすときに押さえてもらったりと、 作業も色々と手伝ってもらった。普通の女性だったら嫌がるだろうなぁ。

積んだ石を調整しているときに、上から二番目か三番目の肋骨をぶつけてしまった。 そんなに痛くはないが、ヒビが入ったかもしれない。



2008年8月25日

朝6時に起きて土堀り作業を再開。9時頃から地元の土建業者S社の社長と崖側の石積みの打ち合わせをした。 積む量も高さもかなりあるので、工事費は70万円+アルファとのこと。 やっぱりそれなりに金がかかるものである。 それでも、自分で積む道路側と違って、崖側は高さがかなり高いから、 さすがに業者に任せた方が良さそうだ。

午後から自転車で具同まで行き、2tユニック(吊上荷重2.3t)をレンタルして戻ってきた。 最初はトラックの運転に戸惑って半クラッチを使ったりしてしまったが、 以前、引っ越しの時に3tトラックを運転したので、すぐに運転のコツが戻ってきた。 発進はアイドリングミートで一速に繋ぎ、後は回転数を合わせながらパチパチと切り替えていく。 一つの経験がまた次に繋がるわけで、人生、色々と経験してみるものである。 それにしても、トラックの一速はジワジワ速度が遅くて助かるのに、 バックが速めで運転し難い。
帰る途中、ホームセンターで石を運ぶ時に下に敷く木材と正連棒を購入。 正連棒というのは梃子の原理で石を微調整するための鉄製の棒で、 必要ないかなと思ったが意外と役に立った。 一度家に戻って自転車を降ろし、木材を短く切り、 ようやくS社の工事現場にお邪魔して石の積み込みを開始した。 何となく平面の出ている石を選んで積み込む。 目測で重さは一個およそ100kg〜300kgというところだろう。 クレーンの操作は講習で習った通りで特に問題は無い。とりあえず7個積んで家に戻った。
さっそく石積みを始めたが、石をどう組み合わせるかが非常に難しい。 当初は、適当に積んで間をコンクリートで埋めれば何とかなるだろうと安直に考えていたのだが、 適当に積むこと自体が難しいのである。 石の形を観察しながらピッタリ合うパターンを考えるが、 いざ積んでみると上手く行かないというのの繰り返しである。 そうこうするうちに時間だけが過ぎていく。 合わない石を無理に積むのは止め、脇に置いておいて、再び工事現場に石を取りに行く。 戻ってきて積んだところで日が暮れてきた。 途中、S社の社員さんが通りかかって石の吊り上げ方のコツを教えてくれた。
晩御飯は夏野菜と挽肉の炒め物であった。肉体労働の後にこれは美味すぎる。 風呂に入ってビール飲んで9時には就寝。



2008年8月24日

今日からさっそく作業開始。まず、石積みをする場所の土を除けるため、朝からひたすら土を掘った。 土の中には数十センチの石がたくさん埋まっており、 そのたびにシャベルの先がつかえて、えらく大変であった。 草の根にも苦労させられた。しかし夕方くらいまでに、ようやくある程度は掘ることができた。 汗がダラダラ出てきて、常に水分が欲しい状態である。彼女がひたすらお茶を作ってくれた。
夕方から買い出しに。食料、小さなテーブル、台所の照明、自転車などを購入。 カーテンを買おうと何件か探したが、既製品のサイズでは難しいようなので、今回は断念。 金沢か大阪で作って、今度来るときに持ってくることにした。
晩御飯はカレーを作ってちょうだいと彼女のリクエストしていた。 肉体労働でエネルギーを使って塩分が汗で出てしまったのも少しはあるかもしれないが、 やたら美味い。申しぶんない。
風呂に入ってビールを一本飲んだら、まだ9時くらいなのに、 酔いが回ってもう寝るしかないような状況になってしまった。 特に起きている理由も無いので就寝。

今回、作業服なんか要らないんじゃないか、普通の服で十分じゃないかと思ったのだが、 結局、上下揃いの作業服を買ってきた。これはかなり当たりであった。 汗を良く吸収して素早く蒸発させるし、何より丈夫である。 これで上下で1500円くらいだから非常に値打ちがあった。



2008年8月23日

大阪から彼女と一緒に高知に向けて出発。まずはホームセンターで石積みの材料を調達。 ワイヤーロープがどこに売っているのか良く分からず、前夜から色々と調べていた。 講習では、ホームセンターなどに売っているワイヤーロープは作りがいい加減で規格に達していないものが多い、 と聞いていたが、ちゃんとした製造元の製品が置いてあった。やるじゃん。 その他、軍手、麦藁帽子、安全靴、作業服、シャベル、塩ビパイプ(暗渠排水用)、コテ、 草刈り挟み、ホースなどを購入。ちなみにヘルメットは家から持参した。
阪神高速湾岸線を通り、明石海峡大橋を横断。 道すがらクレーンが目に入るたびにテンションが上がる。 今までは街でクレーンが目に入っても意識することは無かったが、 意識すると、日本のありとあらゆる所でクレーンが稼動していることに気付く。 大きいのも操作してみたいものだ。
淡路島に入って少し休憩。四国に入り、三好のあたりで休憩を取り、ほぼノンストップで中村に到着した。 ひとまず別荘に行って荷物を降ろし、町中のスーパーへ買い出しに。お惣菜や食材を購入して帰宅。 ご飯を炊いて(というか炊いたのは彼女だが)、晩飯を食い、広い風呂にゆっくりと浸かってから寝た。
星座がわからないくらい星が見える。波の音と虫の音だけが聞こえてくる。静かである。



2008年8月22日

今日も朝から仕事である。しかし来週の木曜まで再び休みである。

夕方から関西へ移動。まずは実家へ行って車を借り、大阪へ。

相場は、石油はストップ高で何もできず。中部も入らず。金は一部仕切り。 今月の収支がようやくプラスになった。



2008年8月21日

朝から仕事である。

建設機械のレンタル屋さんで2t車のユニッククレーン(吊上荷重2.3t)を手配した。 作業は二日で終わるかもしれないが、手間取ることも考えて3日間借りることにした。 石についても手配完了。
今回やろうと思っている石積みは、規模から考えると、 業者に頼んだ場合は20万円程度はかかると思われる。 それに対して自分でやる場合、資格を取るのに要した費用は6.5万円ほどだが、 これは一生モノなので費用には入れない。 ユニックのレンタルが3日で3.5万円くらい、石はタダ、後はワイヤーロープやその他の道具、 セメントの代金などを入れても8万円程度では納まると思う。 彼女にも手伝ってもらうので、仮に人件費として一日2万×二人×3日間=12万円と考えれば、 業者に頼むのと差が無くなってくるが、とりあえずは人件費は考慮には入れないことにする。 ワイヤーロープ等は次の工事(U字溝の設置など)にも使えるわけで、やはり安くは上がるはず。
ただ、金額よりも、何でも自分でやってみたいというのが大きいけどね。 値段が同じだったとしても自分でやれば経験が手に入り、経験は失われることはない。 時間があれば、家だって自分で建てたいところであった。

クラックを少し仕切り。ようやくポジションにも動きが出てきた。



2008年8月20日

今日はクレーンの実技である。受講者が5人と比較的少なかったので、かなり練習することができた。 未経験者は自分だけで、たぶん一番下手だったなぁ。荷物が揺れ始めると止めるのが大変である。 横揺れは簡単に止められるのだが、縦揺れを止めるのが非常に難しい。 荷物が円を描いて揺れ始めると最悪である(そうなったら横成分と縦成分を別々に止める)。 あと、深視力が非常に重要であるが、奥行き方向の距離感が掴みにくくて苦労した。
最後に実技試験があり、荷物を決められた運行経路で動かさねばならないのだが、 危うくバーに当たりそうになりながらも何とかクリアした(経路にバーが立っていて、触れると減点される)。 資格は無事に取れたが、それよりもクレーンの練習ができたことが良かった。 もともと個人的にクレーンを使うだけなら資格は必要ないしね。

夜は職場の人と片町へ。最初は普通の居酒屋へ行ったのだが、 生ビール一杯飲むと一枚もらえるスクラッチカードを二人で6枚ゲットしたのに、 どこを削るかの確率2分の一で全部ハズレを引くという快挙をやってしまった。64分の一の確率である。 よほど、どこかに運が溜まっているのだろう。 次は職場の人の行きつけのお店へ。最後はいつものお店へ行った。



2008年8月19日

今日は学科と筆記試験である。あまり集中力が続かず、 適当に聞いていたので覚えていない問題もあったが、何とか合格。 まぁ、技能講習だから落ちる人はほとんどいないのだが。講習は今日は午前中で終了。

白金貨を田中貴金属の取次店で2枚買おうと思ったのだが、 一般人の買いが殺到しているようでコイン現物が無く、1枚だけにして下さいと言われた。 さすが逆張り大好き日本人である。 ここは買いだと思うが、定期のロットで買うほど余裕が無い。 逆鞘の白金の現物を買って順鞘の金の定期を買うなんて、本末転倒な気もするが。

休暇中なのだが、急な事態が発生して職場へ。しかし到着した時には事態は解決されていた。 休暇中なので、しばらくだべって帰ってきた。



2008年8月18日

今日から小型移動式クレーンの技能講習である。 初日は学科のみ。クレーン関係で年間700人くらいの死傷者が出ているそうだ。 事故原因は、クレーン自体の転倒、玉掛けの不備でワイヤが切れたり外れたりして荷物が直撃、 電線に接触して感電、あたりが多いらしい。特にクレーンの転倒であるが、 よくある吊上荷重2.93トンのクレーンでも、 ジブを最大に伸ばして角度を下げると、定格荷重は0.5トン程度になってしまい、 重い荷物を吊り上げると簡単に転倒してしまう。 このあたりは実際にきちんとチェックしておかねばならない。

クラックを一部仕切り。ようやく玉を減らすことができた。



2008年8月17日

今日も休養。風の谷のナウシカをパラパラと読んでいたら、はまり込んで、 結局、全巻を読み通してしまった。
物語の最後の墓所の主との対決で、ナウシカは世界の秘密と人類の運命を突きつけられる (それまでの過程で徐々に気がついてはいたのだが)。 人間を含め世界は管理されるべきものという墓所の主の考え方と、 たとえ血を吐いて死ぬ運命だとしても自主的に生きて行きていきたいというナウシカの考え方は、 根本的に相容れないものである。 最終的にナウシカは、独断で、人類の未来を左右する決断を下す。 もともと人類やその他の生物は、 墓所の主によって管理されるべく造り換えられていたということが明らかになるのだが、 ナウシカは種としての生命の存続よりも人間の尊厳を優先し、墓所を破壊する。 結局この物語は、生命としてごく自然に生きる自由を求める、 悲痛な反抗の物語と考えることもできるのである。 人間の卵を大量に潰すあたりは、読んでいて慄然とした。 決断の後のナウシカの、世界の秘密を背負わねばならない苦悩は察するに余りある。 戦争が終わったからといって、風の谷に帰ってめでたしというわけには行かないだろう。 恐らく彼女の心は、もはや秘密を共有する森の人セルムの元でしか安らぐことはないと思われる。
宮崎駿は偉大だなー、やっぱり。



2008年8月16日

ずっと休養。ふくらはぎと太ももの筋肉の痛みはまだあるが、これも明日にはひくだろう。

昨日見つけた、葉の上に二つくっついた赤い実のなっている植物、さんざん調べた結果、 オオヒョウタンボクだとわかった。インターネットさんは物知りである。 二つの実がくっついて、瓢箪に見えることからヒョウタンボクと名付けられたらしい。 実には毒があり、嘔吐、下痢、痙攣、昏睡などの症状が現れるそうだ。 食べてたら登山開始直後にリタイヤだったなぁ。まぁ、知らない植物の実なんか食べないけどね。 ヒョウタンボクと名のつく植物はオオヒョウタンボクの他にもいくつかあり、いずれも有毒である。 ヒョウタンボクにはヨメゴロシという別名があるそうだ。嫁殺しか。怖いね。



2008年8月15日

朝4時に目が覚める。まだ明るくないのでもう一眠り。5時頃に活動を開始。雨は上がっている。 服は全く乾いておらず、荷物がどっと重くなった。こんなことなら昨晩、着替えるんじゃなかった。 昨日コンビニで買った朝飯を食い、ロッジの敷地にこっそり入って、 ジュースを冷やすために出しっ放しにしてある水をペットボトルに詰めた。 もしかして沢の水とかだったら嫌だなと思ったが、見た感じも綺麗だし、飲んだ感じも湧き水っぽいし、 他には公衆トイレの手洗いの水くらいしか見当たらないので、これで良しとすることにした。
実は今回、水を入れる容器が1リットルのペットボトル一つしかないのである。 出発前に、寝るときに飲もうと思って500mlのペットボトルに日本酒を詰めたのだが、 それをリュックに入れたものとずっと思い込んでいた。しかし実際には入れるのを忘れていた。 自分の場合は、山頂付近で飲料を調達できる場合は1.5リットル、 そうでない場合は3リットル程度の水分が必要である (遭難した場合を考えると本当はもうちょっと多い方がいいが)。 1リットルでは若干少ないのである。しかしまぁ、何とかこれで乗り切ることにした。 というか、ノートパソコン持ってくるくらいなら、その分、水を入れとけという気もするが。
登山道は6.9Kmで、高低差は1400mほど。そこそこ急峻である。 登り始めてすぐに、昨日の疲労が完全には抜けていないことに気付いた。股関節も少し痛む。 しばらく森の中を歩くが、森林限界に近づくとともに徐々に見晴らしが良くなってくる。 時々立ち止まり、景色や高山植物を撮影。眼下にはエメラルドグリーンの白水湖が見える。 葉っぱの上に二つくっついた赤い実をつけている不思議な植物があった。 花柄が葉脈から伸びていて、葉に実がなっているようだ。興味深い。 空気が薄いためか、深呼吸しないと空気が入ってこない感じ。
大倉山の避難小屋でしばらく休憩。このあたりから再び雨が降り出した。 一つ山を登っても背後にはまた山がある。植生は徐々に笹からハイマツへと変わる。 ところどころに雪渓が残り、様々な高山植物が咲いている。 高山植物というのは、なぜにかくも慎ましやかなのだろうか?  あまり大輪の花とかは見たことがない。
相変わらず雨は降っていて、足の疲れも精神的な疲れもピークである。 室堂まであと1.2Kmという標識から後が長かった。 賽の河原なる平地をトボトボと歩いていくと、霧雨のなか、突如として室堂の山小屋が目に飛び込んできた。 残った水を飲み干し、室堂ビジターセンターで休憩を取った。 ここで食べたカップラーメンの美味いこと。 かなり汗をかいたので、体が塩分を欲していたのだろう。 お湯とセットで400円だが、それ以上の価値があった。室堂到着は9時頃。
水分を補給して1時間ほど休憩し、雨も止んだので、いよいよ白山(御前峰)山頂に向けて出発。 しかし休憩をとったものの、もう体が言うことをきかない。 少し登っては休み、を繰り返し、1時間ほどかけてようやく山頂へ。 ガスっていて景色は良くないが、感激はひとしおである。 それにしても、白山の登山道は普通の山では考えられないくらい良く整備されている。 室堂から山頂にかけて石畳で階段が作ってあるのにはびっくりした。 山頂からは、お池めぐりルートで室堂へ。途中、携帯電話のアンテナが一瞬だけ立ったので、 獣ちゃんに暑中見舞いとして、翠ヶ池の雪渓の大きな雪の塊の写真を送信。 山頂から1時間弱で室堂に戻ってきた。
あまり長居しても仕方が無いので、12時前に下山を開始。天気はようやく晴れに。 今ごろ晴れんでもいいのに。砂防新道で下りるか観光新道で下りるか迷ったが、観光新道を選択。 このルート、名前は楽そうだが、傾斜の急な箇所が多く、足を踏み外したら大変なことになる。 登りで使ったら体力を消耗すること間違いないし、 下りで使うにしても、雨が降っているときは特に滑落に注意しなければならない。 そのかわり高山植物のお花畑や、山々の尾根を遠望する景色は最高である。 砂防新道は楽だけど観光新道に比べると眺望はいまいちのようだ。
14時半頃に別当出合のバス停に到着。 捻挫はしないように気をつけて歩いたが、親指の爪は割れるし股関節は痛むし、 太ももとふくらはぎはパンパン、土踏まずも痛む。もう一歩も動きたくない。 これだけ消耗した山登りも久しぶりである。やはり昨日の林道13kmがこたえた。あと雨に体力を奪われた。 売店で、欲望の赴くままに、なめこそうめんとアイスを食べる。
15時半に金沢駅行きのバスに乗る。途中からネットに繋がったので、 標高2702mまで持って上がったノートパソコンで相場をチェック。 案の定、クラックは大して動いていない。これはまぁ、しばらく寝かせておくつもりなので問題は無い。 それよりも金銀白金パラジウムが軒並みストップ安。なんじゃこりゃー。 一応、昨日のうちに指値は入れておいたが、ここまでの事態は想定外だ。 とりあえず少し売買した。
バスを乗り換え、バス停から家までヨタヨタと歩いて、やっとのことで帰宅。 濡れた服、レインコート、寝袋を洗い、風呂に入ってやっと人心地がついた。 来年こそは、立山から新穂高まで縦走したいね。昨年のお盆にも同じ事を書いてるけど。 ただ、今回この程度でバテているようでは無理だな。いくらかトレーニングしないといけない。



2008年8月14日

朝から昼まで相場を見ていたが、せっかくの休みにこんなくだらん相場を見ていても時間の無駄と思い、 山に行くことにした。 リュックに、寝袋、防寒具、レインコート、歯ブラシ、タオル、着替え一式、 それとなぜかノートパソコンを詰め、白山に向けて出発。どのルートで登るか少し迷ったが、 岐阜県の白川郷の側から平瀬道を登り、観光新道を経由して石川県に下りることにした。 金沢駅から高速バスに乗り、1時間ほどで白川郷に到着。バスの中で金を一部売り落ち。
生憎、雨がざんざん降り出した。まいったなーと思いつつ、 五平餅などを食べながら世界遺産を観光して周った。 合掌造りの民家ばかりが並んでるものと思っていたので、少しイメージが違ったなぁ。 どうせだから、この地区の建物は新旧問わず、 普通の民家も商店も民宿も全部、合掌造り風にしたらいいのに。 メインの道路から少し中に入れば良い光景は多いんだけどね。

コンビニでおにぎりやパン、お茶、カロリーメイトなどを購入し、 17時10分発のバスで平瀬温泉へ。そこからしばらく国道156号線を歩くと登山口へ向う林道がある。 これが登山口まで13Kmほどあり、しかも高低差が700mほどあって、結構大変な道なのである。 平地の13kmなら大したことないんだけどね。マイカーじゃない人は普通はタクシーを使うらしい。 バスの切符売り場の人もバスの運転手さんも、 大変だから止めた方がいいよー、明かりも無いし、熊も出るし、と言っていた。
17時30分、気合を入れて歩き始める。途中にトンネルがあり、しかもカーブしていて向こう側が見えず、 中は完全に真っ暗である。全く光が無いので、歩いていると、 自分の存在が定まらないような変な気分になる。 前から車が来たので、轢かれないように携帯電話のスポットライトを点けて存在をアピールしておいた。
しばらく天気は良かったのだが、日が暮れるとともに霧雨になった。 林道の谷側は絶壁になっていてガードレールも無い。落ちたら終わりである。 自分はかなり夜目が利くので、空は雲で覆われていたものの、月のおかげで雲がわずかに光っていたので、 問題なく歩くことができた。たまに森の中に入って完全に真っ暗になる場合のみ携帯電話の光を使用。 そのうち、頻繁に雷が光るようになったので、明かりについてはそんなに問題ではなくなった。 熊が出るといけないので、森のくまさんなんかを歌いつつ歩く。 最後の1kmのあたりから雨がいよいよ本降りになってきた。 もう限界じゃ〜、と思った頃にようやく登山口に到着。 着いたのは20時頃なので、結構いいペースで歩いたことになる。
登山口の付近にはロッジがあり、天然温泉の露天風呂に入ることができるというので楽しみにしていたのだが、 なんと午後5時で終了だった。ロッジ自体も灯りが消えていて、敷地にも入れないようになっている。 仕方が無いので駐車場の公衆トイレのひさしの下に陣取り、トイレの手洗いでタオルを濡らして体を拭き、 乾いた服に着替えた。さて寝るかと思って寝袋に入ってしばらくすると、豪雨になり、 斜めに雨が降ってきてずぶ濡れになってしまった。 再び荷物をまとめ、どこか雨露の凌げる場所は無いものかと付近を歩き回ったが、 適切な場所が見当たらない。 登山口から少し入った所に避難小屋があるというのは調べて知っていたのだが、 土砂降りで真っ暗な中、登山道を歩きたくはなかったのである。 しかし他に仕方がないので、意を決して突入。何のことはない、5mほど入った所に避難小屋があった。
濡れた服をそのあたりに掛け、雨音を聴きながら寝袋に入った。 後から聞いた話では、0時くらいには空が晴れてペルセウス座流星群が見えたそうだが、 その頃にはとっくに寝てしまっていた。



2008年8月13日

原油の5番限の残りを先限にロールオーバーした。 寄りのブレを利用して270円幅で乗り換えることができたので、悪くはない。
しかし灯油にしても原油にしても、これだけ板が薄くなると、 5番限に回った瞬間に売買が困難になるから、スイングしながら徐々に先限に乗り換えて行く手法が使えない。 ほんとにやり難い市場になってしまったものだ。 もういい加減、嫌になってきた。商品に見切りをつけて株に移行したい気持ちが大きくなってくる。



2008年8月12日

午前中は職場へ。午後からようやく夏休みに突入。 夏期休暇と有給休暇を組み合わせて、明日から20日まで休み、 二日ほど出勤してから、更に27日くらいまで休む予定。

今日の収支はマイナス48万。駄目だこりゃ。 一瞬のチャンスはそこそこあるのだが、板が薄すぎて玉が入らない。 もう駄目かもしらんね、この市場も。



2008年8月11日

朝から夕方まで仕事。 これでようやく、暫く暇になる。



2008年8月10日

玉掛け技能講習の三日目。朝から夕方までずっと実技であった。 主に基本動作を何度もやったが、人数も少なくてみんな結構練習できたので、 途中でカリキュラム外の内容として、荷物の引っくり返し方とか、 ワイヤーロープの長さが違ったときに上手く調整する方法とか、便利なやり方を色々と教わった。 ユニック借りて敷地の石積みをやるんですよ、と言ったら、 石の吊り方なんかも色々と説明してくれた。
今回の実技の講師の人は、普段は別の会社に勤めていて週末だけ教えに来るんだと言っていた。 現場では玉掛けやクレーンの資格保持者が圧倒的に足りなくて、クレーン免許を持っているということで、 退職した人にまで頼んで出てきてもらっているらしい。 今までは資格なんか無い人にもばんばん作業させていたのが、 最近、法律の縛りがきつくなって来て、資格保持者が必要なんだそうだ。
最後に技能試験があった。いくつかミスもあったが結果は合格。 さて、一週間後は今度は小型移動式クレーンの講習である。

夜には金沢へ移動。明日はまた仕事である。相場も始まる。

北京オリンピックには全く興味は湧かないなぁ。 そんなことよりグルジアとロシアの戦争が気になる。 石油が絡むから、これは大変なことになる可能性があると思う。



2008年8月9日

朝から、玉掛け技能講習の二日目。力学の授業は暇で仕方が無かった。 最後に筆記試験。試験時間1時間のところを15分で終わらせて提出してきた。普通に合格。 覚えてないものはどのみち覚えてないから考えても仕方が無いしね。

奈良で、母親と彼女と待ち合わせて、天麩羅料理を食べ、その後に燈花会を見学。 奈良公園一帯にろうそくが並べられ、美しい光景が展開されている。 イベントとしてはかなり成功しているようだ。
獣ちゃんに、奈良遷都1300年の微妙マスコット「せんとくん」 のストラップを買ってきてくれと言われていたので探したが、土産物屋には無かった。



2008年8月8日

昨日に引き続き説明会業務。昨日と今日で同じ事を9回もしゃべり、さすがに疲れた。 でも広報活動は大事だからね。

中部ガソリンと東京ガソリンの鞘取りを開始した。 東京石油製品の叩かれ具合は凄まじいな。ほんま、ええかげんにしてほしいわ。 資金の余裕を確保するため、商品の口座に200万追加。 結局、昔と同じように、銀行に預けている金をほとんど相場資金に投入してしまった。

今日はとうとう、ストップ張り付きでもないのに東京ガソリンの出来高が1万枚に達しなかった。 このペースだと実質的に上場廃止になるのもそう遠くない未来だったりして。

人に金を借りて返済不能に陥った場合、唯一の誠意と信頼回復手段は金を返すことだが、 同じ誠意でも、返すタイミングで効果はかなり違ってくる。 何億も持っている時に返してもらうより、今みたいに金が無いときに返してもらえる方が、 こちらとしては遥かに有り難い。たとえ月数万円ずつの返済でも、 何億も持っていた時の数十万円以上のありがたみがある(だからといって総額はまけないけど)。 今後また何億も儲けた後に返してもらっても、はいはい、ありがとさん、となるだろう。 最近いくらか返済してくれた人がいて、こちらとしては非常に助かったので、 やっぱりこういう機微は、分かってる人は分かってるなと思ったのである。

夕方から関西へ移動。



2008年8月7日

今日は職場の説明会で、あっち行ったりこっち行ったり、話をしたり、なんかえらい疲れた。

いつも行くお店のママさんと女の子と、職場の人とで、ダブルデートならぬダブル同伴で、 豚しゃぶを食べに行ってきた。暑気払いというやつかな。 結構いい豚みたいで、しゃぶしゃぶの後に雑味の無い旨い出汁が出ていた。 鶏しゃぶをした後のスープも少し混ぜてラーメンにし、最後に雑炊にした。 やたらと美味い雑炊であった。

クラックを更に増し玉。マイナス29万。 話にならんのー。NYガソリンとNY暖房油の通りに動くんやったら、東京石油製品の存在意義はゼロだな。 板が薄くなって誰も相場を作る気が無くなってしまい、基準となるものが何も無いので、 とりあえずNYに合わせとこか、てな感じか。



2008年8月6日

相場は少し順行。

ANGELさんという方のブログにお邪魔した。実はこの方とはかなり昔(2001年)にお会いしたことがある。 きーさんとANGELさん(同時は別の名前だった)とで、名古屋の居酒屋で手羽先を食べたのが懐かしい。 diabloさんのチャットに来ていた方で、上げ材料や下げ材料など、 材料ばかり気にしては両建てを作って身動き取れなくなる、というのの繰り返しで、 損ばかりしていた。 もう相場は止めたのかと思っていたら、FXをやっていたらしい。 少しブログを読ませてもらったが、当時と比べると文章に重みが出ていて、 あれから色々な相場経験をされたんだなぁと感じさせられた。 何年経っても進歩しない人もいるけど、やっぱり人間は進歩せなあかんね。

昨日に引き続きバイトの思い出を。派遣会社経由で日雇いバイトに行ったときの話。 デパートの催事の設営作業だったのだが、時間内に終わらず、 残業代つけとくから残業してくれない?と頼まれた。 いいですよー、と2時間ほど余分に働いた。 後日、振り込まれた金額を確かめると、残業の分が加算されていない。 派遣会社に電話すると、派遣先からは残業したという連絡は入ってないとのこと。 派遣先に確かめたところで、そんな事実は無いと言われて終わりになりそうだし、 そもそも派遣先の連絡先も派遣会社に聞かないとわからない。 1600円程度の話に何時間も費やすのも馬鹿らしいので諦めた。 金額の問題より、騙されてタダ働きさせられたという、持って行き場のない怒りを感じたのを覚えている。 今思い出しても腹が立つ。 今だったら、労働基準監督署に相談するぞ、とか言えるのだが、当時はそんな知識も無かった。



2008年8月5日

寄り付きをからガソリン先と灯油先を買い、上げたところで5番限の買い玉を仕切った。 ここ最近マイナスばっかりだったが、今日はわずかな金額とはいえプラスになった。 逆行もようやく止まったかも。
この頃は前場寄付や後場寄付で値が飛び易いので、そこを狙うと美味しく取れることが多い。 しかし、こういう売買が美味しく取れるようになってくると、銘柄の先行きはあまり良くないように思う。 銀やアルミなんかも、一時期、髭取りで美味しく取れていたが、その時期を過ぎると廃れてしまった。

今日は、配布資料を何百部も印刷したりホッチキスで止めたりして時間を費やした。 頭脳労働者の仕事じゃないよなー、なんて言ってみたりするが、 実は単純作業は嫌いではない。むしろ好きな部類に入る。作業に没入できるところとか、 徐々に作業を最適化していって効率が上がる様子を楽しむとか、楽しい要素は多い。
単純作業とはいっても、昔、大日本印刷にバイトに行って、 ベルトコンベアの部品のようになって晩の8時から朝の8時まで働いたのは辛かった。 一度やると二度とやるものかと思うのだが、夜勤でそこそこ時給は良いので、家賃が払えないとか、 緊急に金が要るときには仕方なく入れてしまった。
バイトは色々やったが、交通調査が一番楽だったなぁ。 anを発売日の早朝にコンビニで買い、受付開始直後に電話をかけても繋がらず、 繋がった時には満員で締め切られていることも多かった。 運良く当れば、パイプ椅子に座ってカチカチやるだけでバイト料がもらえる。
そういえば、交通調査のバイトで一緒の組になった人がニュースキンでMLMをやっていて、 色々と話を聞くことができたな。 配下には20人くらいいて、交通調査の最中にも、ひっきりなしに相談の電話がかかってくる。 晩には見込み客をプッシュをするのに加勢に行ったり、とにかく忙しそうであった。 それでも収入は月50万ほどだそうだ。少ないようだけど、 配下の人達が潰れないように、長続きするようにと考えると、それくらいになってしまうとか。 それでも、人に会えばご馳走しないといけないし、 勧誘の際には良い物を身に付けて良い車に乗ってないと説得力が出ないしと、どんどん金がかかる。 だから昼間は出来るだけ交通調査のバイトを入れて足しにしてるんだ、 このバイトは仕事しながら携帯に出られるからいいんだよ、と言っていた。 楽して金の儲かるような世界じゃないな、と思ったのを覚えている。 面倒見が良くないとやってられないだろうね。
兵庫県のどこかの田舎の、ほとんど車の通らない踏切の交通調査で、 二人で道路脇に寝転んで空を眺めながらそんな話をしていたのが懐かしい。 たまに車が通った時だけカチっとカウントすればよい。 あのおっちゃんも今はどうしているのやら。案外、相場を張ってたりするかもしれないが。



2008年8月4日

なんか舌の先が痺れるなぁ。何だろう?

原油12月限の売り玉の一部を1月限に乗り換えた。 平均180円幅で乗り換えることができたので、上出来といえるだろう。 10枚以下だから乗り換えも楽だが、昔のように1000枚とか建ててたら、 今の板の薄さでは進退きわまるな。というか、よくあれだけの枚数を振り回していたものである。 当時は100円程度の不利は承知で50枚ずつ乗り換えていた。 今そういう人が他にいれば、小口の人は有利に立ち回れるから自分にとっては有り難いのだが、 もはやそんなプレーヤーは居なくなってしまった。
クラックは逆行が止まらないが、鞘滑りの不利さえ受けなければ、 良いスイングのネタができたと考えることができる。上手く行けば当分は売買に困らないだろう。 縮小したまま動かなくなってしまったら困るが。

何だかんだと忙しい。8月の後半には少し休めそうだが。 やるべき事とやりたい事は山のようにあるけど手が回らないのが現状。 時間の使い方が悪すぎる。

世界景気は今後、どん底に向けて落ちていくものと思われる。 日米の財政再建は目途が立たなくなり、紙幣の増刷で対処せざるを得ないことになる。 通貨価値の下落によるインフレと景気後退による需要減の綱引きで、 今後の相場は何の理論も通用しない理解不能の動きが多くなると思う。 鞘にはチャンスがありそうだが、片張りがまともに動いてこその鞘なので、 鞘もグチャグチャな動きが多くなるかも。既にその予兆はあるが。
これからの相場はもっと難しくなると思うので、今まで苦戦してきた人は、もう止めた方がいいと思う。



2008年8月3日

玉掛け技能講習の一日目であった。今日は学科のみ。 教習で扱う荷物は、地面に置いている段階で下からワイヤロープを通せるようになっていたり、 移動した荷物を置く際にも、ワイヤが簡単に抜けるように台木の上に置いたりするなど、 簡単な例ばかりなので、 土に埋まっている石にどう玉掛けして、石積みの上に置いた後にどうワイヤを抜くのかなど、 実際に別荘の石積みにどう応用すべきかまでは直接はわからない。 多分そこまで詳しくはやらないだろうけど。 でも習ったことを応用すれば何とかなりそう。
実際、ネットで庭石を動かしている画像なんかを色々と見ていると、 土を掘ってワイヤを掛けたり、上部だけ摩擦力で保持されるようにワイヤを掛けている例なんかがある。 摩擦力で保持しているだけでは下にスッポ抜ける可能性があるのでは?  ワイヤはほとんど目通しの深絞り一本吊りで掛けている。これは重心の見極めが大事で、 素人が真似をすると上手くいかないような気がするが、 石を狙った角度に回転させたりするには融通が利くのだろう。 目通しは強度が落ちるのであまりやらないようにと習ったが…。 石積みに積む際には、とりあえずワイヤを付けたまま台木を片側だけに置いた上に降ろして、 端の方に改めてワイヤを掛けて少し持ち上げて、台木を引き抜くような感じになるのだろうか。
結局、講習で習うのは理想的なやり方であって、現場ではどちらかというと作業効率優先で、 ある程度は経験に基づいた臨機応変で職人芸的なやり方が採用されているのだろう。 自分の場合は経験も無く、一本吊りでスイスイ積むなんて怖くてとても出来ないので、 時間がかかっても習ったやり方をベースに普通に二本吊りでやってみる予定。 石の下部にワイヤをぐるりと巻いて、4ヶ所で引っ掛けて4本吊りすれば安定は良さそうだが、 安全荷重の減少に注意が必要と。講習の残りは来週末である。
石積み自体も奥が深いようだ。隙間をコンクリートで塞げばいくらでも誤魔化せるが、 美しく積んで行くにはパズル的な空間認識能力と美的感覚が必要になる。

晩には金沢へ。



2008年8月2日

愛車で千早赤阪の蕎麦屋へ。大阪でもここまで山間部に来れば涼しい風が吹いている。

「うさぎドロップ」という漫画が面白い。



2008年8月1日

ウッドデッキについて調べているが、どうも一長一短ある感じだなぁ。 ウエスタンレッドシダー、レッドウッド、桧、などの柔らかい木にすると、 感触は良くてササクレは少ないけど、数年で表面が灰色でボロボロになってしまうようだ。 少しでも寿命を延ばすためには、毎年防腐剤を塗り、塗装をしている場合は塗り直さないといけない。 結構な手間がかかる上に、見た目はどんどんボロボロになって行く。
ウリン、イペ、ジャラ、セランガンバツ、などの堅めの木にすれば、耐久性は20年くらいはあるけど、 ひび割れたときにササクレが出やすく、素足で歩くと刺さったりするかもしれない。 子供が素足で遊んだりすることを考えると、極力ササクレはできないようにするのが望ましい。
潮風も木材を速く駄目にする。潮風に耐久力のあるのはウリン材だけのようだ。 そう考えるとウリン材が最適のようだが、ササクレの問題に加えて、 ウリン材でも数年経てば灰色に変色してしまうという問題がある。 灰色が建物の色にマッチしていれば良いけど、微妙かも。 塗装するという手もあるが、それならいっそのこと、アルミを木粉入り樹脂で覆ったデッキ材があるので、 これを使うという手もある。新日軽、三協アルミ、TOEX、立山アルミなど、 金属メーカーが何社か製品化している。見た目は木に似ているが、 腐食の心配がなく耐久性は抜群で変色もなく、ササクレもヒビ割れもなく、 反ったり不揃いもなく、並べて設置するのも簡単で階段や手すりなどもパーツ化されている。 汚れても水洗いですぐに綺麗になる。 値段は少しするけど、メンテナンスの手間と費用がかからなくて、いつまでも綺麗な分、 こちらの方がいいかもしれない。

午後から大阪へ。富田林でPL花火を10分くらいだけ観ることができた。 この花火大会では、花火の数が多く、煙が晴れないうちに次々と打ち上げていくので、 風下からは煙に霞んで綺麗に見えない。風向きチェックが重要である。 というか1時間であんなにバカスカ打ち上げなくても、 3時間くらいかけてやった方が美的にも良いんじゃないだろうか? まぁ、3時間は観てる人がダレるから、2時間くらいで。

クラックの逆行が止まらない。それに加えて証拠金も増額になり、 資金が若干心もとなくなってきたので150万ほど追加投入した。 それにしても、今みたいにレンジ成分よりトレンド成分の方が多いと単純スイングは全然儲からん。 鞘が美味しい状況になるには銘柄自体が内部要因で上下する必要があるけど、 今みたいなNYの写真相場ではどうにもならんな。 東京ガソリンと東京灯油がNYガソリンとNY暖房油の換算通りに動くようでは、どうしようもない。 昔のような美味しい時代はもう二度と来ないかもね。



2008年7月31日

今月は後半クラックで削られて、利益は31万ほど。利益率は+7.76%であった。

TOCOMの取引システムと取引時間の変更が正式にアナウンスされた。 来年5月から、9時から15時半までと17時から23時までの連続立会いになるのね。 昼休みも無くなるのか。 原則的に全量約定される成行注文を廃止して、全量約定が保証されないマーケット・オーダーを採用すると。 このあたりが少し気になって、ちょっと国際標準の取引について調べてみた。 これ、もしかすると新システムに移行してから一週間くらいは美味しい小遣い稼ぎができるかもしれない。 東穀のザラバも同じシステムに相乗りするとなると、 ちょっと面白い(というか酷い)ことになるかもしれない。
あらかじめ知られてしまうと通用しなくなると思うし、 こんな感じに日記に書いた時点で勘の良い人はわかってしまうかもしれないけどね。

久しぶりに片町に飲み行こうっと。



2008年7月30日

クラックを増し玉。少し仕掛けのペースが速過ぎるので、注意しないといけない。 ただ、5月6月と調子が良く、口座残高も少し増え、それとは別口で100万ほど工面できたので、 数ヶ月前の想定より少しはポジションを増やすことができる。
しかしまぁ、できればここらで少し順行してもらいたいところ。 NY原油の値段と中東産原油の値段に差が無くなっていることが背景にあるのだが、 それがいつ元に戻るのかが問題である。

別荘の土木作業をどんな感じにするか考え中。 現在は、道路と敷地の間に側溝があり、その側溝の上を幅4mほど土で埋めて通路が作られている。 家の前の道路には勾配があって、隣家はうちより高い位置にあり、通路の上手は隣家の壁に接している。 隣家の前の側溝は、なぜかうちの前の側溝より2mくらい高い位置にあり、 もともとは水が滝のようにうちの側溝に落ちるようになっていた。 現在は、隣家の壁に接する位置に垂直に穴が掘られていて、隣家の側溝の水は穴を通って、 通路の地下のうちの側溝に落ちるようになっている。 穴は一応、金属板で覆ってあり、土が流れ込まないようになっている。
問題は、側溝とは別に、道路の上方から通路上を通って敷地内に大量に水が流れ込んでくることである。 どんどん土が削られていくので、何か対策を立てる必要がある。 とりあえず通路の両脇を石積みして土の流出を防止し、 上手側の石積みのすぐ内側にU字溝を設置して水を誘導する。 土木屋さんは、例の縦穴の金属板に穴を開けて流せばいいと言っていたが、 そうすると、長い目で見ると土砂が流入していつか必ず暗渠が詰まると思う。 詰まってしまうと、直角になっているため回復させるのはほぼ不可能だろう。 金属板自体もブリキかトタンか確認してなかったが、いずれは錆びて駄目になると思われる。
色々と考えたが、いっそのこと、隣家の側溝の水を縦穴を使って暗渠に落とすのは止めにして、 穴の所に集水マスを設置して、通路に沿ったU字溝の水と隣家から落ちてくる水を合流させ、 大き目のU字溝で通路を垂直に横切らせて下手に流し込むという感じにすればどうかと考えている。 ただ、通路を横切るU字溝は一番低い位置に設置しなければならず、 道路から敷地にかけての勾配が少し大きめになるので、 車で敷地に入る場合には前輪に加重がかかり、 比較的大きな圧力がU字溝の蓋もしくはグレーチングにかかることが予想される。 工事でトラック等が出入りすることを考えると、U字溝やグレーチングの耐圧には注意を払わねばならない。 また、盛り土した場所なので、よほど念入りに転圧しとかないと沈んだり割れたりしそうである。
道路側からの水の流入はこれで良いのだが、敷地内にも直接、 隣家のコンクリート壁の排水穴や上手の空き地から水が流入してくる。 現在は敷地内を通って崖方向に流れができているが、今後、崖側は業者に石積みをしてもらって固めるので、 そうなると行き場が無くなって敷地内に水溜りができることになる。 これは、暗渠排水材のヘチマロンを使って道路側の側溝と崖方向の二方向に導水するつもりである。 それにしても、土地を買うときには、水の流れ一つにこれだけ神経質にならないといけないとは、 夢にも思わなかった。
側溝と道路の間にはスペースがあるので、コンクリートを打って駐車スペースを作る予定。 これも、盛り土の上部に打設する形になるので、念入りに転圧しないとヒビ割れたりしそう。 全部終わるのはいつになることやら。ウッドデッキも作らないといけないし。 とりあえず8月下旬に石積みだけはやろう。これである程度は土の流出が止まると思うので、 U字溝やヘチマロンなどはまた別の日にゆっくりやるつもり。
さて、土木関係については全く素人の自分に、どこまでできるかどうか。



2008年7月29日

いくつか仕事のケリがついた。この調子で気持ち良く8月を迎えたいものだ。

クラックは案の定、逆行。ここからの対処が難しいところ。 一応、逆行は増し玉で対処の予定だが、資金が限られているので、熟慮しながら玉を入れていく。

9月27日に岡地東京で講演することになった。タイトルと内容を考え中だが、 「相場の要点と勘所」みたいな感じで、USSひまわりでの講演の第3部の、 鞘についてのトピックやシステム売買とレバレッジのあたりを解説してみるか。 そんなにネタが豊富なわけではないんで、 USSひまわりの講演を聴いた人にとっては目新しいものは無いと思う。

三角形は英語で「triangle」だが、これは「tri-angle」、つまり三つの角という意味だと今さら気がついた。 日本語でも三角形は三つの角の形と書くので、同じ成り立ちなわけだけど、これは偶然なのか…。 四角形の場合は、英語では「quadrilateral」もしくは「quadrangle」となり、 それぞれ四辺形と四角形という意味になる。英語では両方使うようだが、 日本語では、四辺形よりは四角形と言う方が多い (平行四辺形の場合には並行四角形と言わずに四辺形を使うが)。 しかし、三角形の場合には日本語でも英語でも三辺形とは言わない。 三角形くらい尖ってくると、人間の注目は自然と辺より角に向くのかもしれない。



2008年7月28日

クラックを追加した。 しばらくは縮小傾向だろうなー、と思いつつ手の弾みで増やしてしまった。 いくら需要減退といっても、この値位置でこの精製マージンは長期的には維持できないんじゃないだろうか。 と言っても、短期的にはジャブジャブに余った在庫のせいで、 あと5000円くらい突っ込んでもおかしくないかもしれないが。

職場の後輩を連れて寿司へ行った。廻る寿司だけど。 奢ったるから皿の色を気にせず好きなもん好きなだけ食え〜、て言ったら、 自分合わせて3人で16000円くらいかかった。まぁ、どれだけ食っても知れてるけど、 廻らない寿司だったら大変だったな。



2008年7月27日

いや〜、今日は一日ダラけて過ごせた。 寝て起きてネットして、寝て起きて本を読んで、寝て起きて飯食って、そんで寝て、という感じ。 たまにはこんな日がないとやってられん。



2008年7月26日

土曜日だけど関係なく朝から夕方まで仕事である。明日はちゃんと休む。



2008年7月25日

彼女と、もんじゃ焼きを食べに行った。実は初もんじゃである。 うーん、水分が多くて、なんか食べた感じがしないぞー。 元々は駄菓子だったらしいからなぁ。やっぱり、お好み焼きの方がボリュームあるし、 焼き上がりのメリハリがあっていいと思うなぁ(個人的には)。

アポロ14号の宇宙飛行士エドガー・ミッチェル氏が、 NASAは宇宙人と接触している事実を60年間隠蔽してきた、と発言して物議を醸している。 ほんまかいな。この人は超能力研究所を設立したりと、とかく話題のある人ではあるが。



2008年7月24日

深夜まで仕事。 なんか色々と仕事が溜まっている。リストアップして一つずつ解消していくしかない。

金の売り玉は仕切った。やっぱりこのあたりは下げるわな。



2008年7月23日

夜まで仕事。

別荘の石積みについて考えている。崖側は素人の手には負えないので業者に頼むつもりだが、 問題は道路側である。こちらは自力でやるつもりだが、 小さい石を沢山積み上げてセメントで固めるのでは、 いつまで経っても埒があかないし、既に石積みされている部分との統一性も崩れてしまう。 しかし手作業で何百Kg、下手すると1tくらいある石を運んできて積むのはさすがに無理である。 結局、重機が使えなくては話にならないということで、色々と調べた結果、 次に8月下旬に中村に行くときまでに、 玉掛けの技能講習と小型移動式クレーンの技能講習を受けることにした。
石は近くの工事現場でタダで持って行っていいと言われているので、 積載型トラッククレーンとランマーをレンタルし、 まずは土を掘り、ランマーで固めて、工事現場から持ってきた石をクレーンを使って積み上げ、 セメントで固めて(水抜きのため要所々々には隙間を確保して)出来上がりの予定。 けど、どれくらいの作業量になるのか今の段階では想像がつかないなぁ。 クレーンで吊り上げた石を目的位置に降ろした時に、どうやって石に掛けたワイヤーを外すのかなど、謎も多い。 講習を楽しみにしておこう。



2008年7月22日

午前中は休ませてもらい、午後から出勤。寄りからクラックを仕掛けてみた。 寄りで石油製品の買いから入ったが、原油の売りを入れるまでに結構上げて利になったので、 全部をクラックにするのは止めて、半分日計りで利食いして残りをクラックにしておいた。 更に金も売った。金自体も売りで良いと思うが、クラック拡大狙いと金売りでバランスが取れる筈である。



2008年7月21日

奈良まで運転して帰った。帰りはさすがに高速道路を利用。 睡眠は取った筈なんだが、運転中に意識が飛びそうになり、 これはアカンと思ってSAで数時間寝た。 あまり休み過ぎると今日中に金沢に帰ることが出来なくなってしまい、明日の仕事に差し支えるのだが、 事故を起こすと全てが(場合によっては人生が)台無しになるので、休みはちゃんと取ることにした。
本州に入ると、案の定、須磨料金所あたりから渋滞が。金沢への帰還が微妙になってきた。 ところで、高速道路で例えば25Kmの長さの渋滞が発生していて、その中を時速5Kmでしか動けない場合、 渋滞を抜けるのに5時間ほどかかりそうなものだが、実際にはそれより早く抜け出すことができる。 実は、渋滞の帯自体が平均すると時速20Kmで車の流れと逆方向に移動することが知られているので、 上の例では渋滞の帯に対する相対速度は時速25Kmとなり、約1時間で渋滞を抜け出すことができる。
晩の8時半頃に、ようやく奈良の実家に到着。ネットで調べてみると、 何とか金沢行き最終に間に合いそうである。 急いで駅に向かい、近鉄電車に乗り、金沢方面行き最終のサンダーバードの出発6分前に京都駅に着いた。 金沢に着いたら既にバスは終了している。いつもなら金沢駅から歩くのだが、 そんな気力はもちろん残っていない。タクシーで自宅へ帰り、とにかく寝た。



2008年7月20日

寝不足で朦朧としながら釣りに参加した。朝6時に仙一さんとがま親分さんと漁港で合流。 荷物を船に積み込み、海上の筏へ。 普段はあまり船酔いはしないのだが、数時間しか寝ていない寝不足のため、 てきめんに酔ってしまった。あまりにも辛いので、日陰で休んでは釣って休んでは釣っての繰り返し。 結局、ニザダイ(三の字)を2匹ほど釣っただけであった。 釣果は今回は踏みちゃんが断トツである。ウスバハギ、ウミヒゴイ、青べラなど、 美味しい魚を連発で釣り上げていた。11時頃に撤収。みんなで我が家へ。

午後になって胡々哉さんが到着。しばらくゴロゴロしてからバーベキューの準備を開始。 風が強くて炭に火をおこすのが大変だったが、 一度火が着いてしまえば今度は風が有利に働く。 魚は、刺身と煮付けとバーベキューで焼き物に。料理では主に踏みちゃんと仙一さんが活躍。 麻婆豆腐をルーから作ったり、旨い煮付けを作ったり、踏みちゃん、やっぱあんたは凄ぇわ。 前回と同様、今回もレオンさんからメロンを頂いた。レオンさん曰く、 今年の出来はあまり良くないとのことだったが、十分甘くて美味しかった。 いつか実際に参加もしてもらいたいところ。
みんな結構疲れているのか、意外と食が進まず、食材がかなり残ってしまった。 こちらにいてれば痩せるかもしれんなぁ。 バーベキューの後は海岸で花火をした。これが100円ショップで買った花火で、 ロウソクが入っていない上に湿気ていて、なかなか点火しない。もしかして去年のやつじゃないか?  焚き火を作ったりしながら何とか全部やったが、テンションの下がる花火であった。 蚊が多かったようだが、自分は全く咬まれなかった。 獣ちゃんがやたらと咬まれていて、腕が真っ赤になっていたが…。 蚊も美味い血に集中するのかもしれない。

昼間、踏みちゃんに、クラッチの繋ぎ方が荒過ぎると指摘された。 これ、言われて初めて気が付いた。昔は速度がスムースに推移するようにクラッチは綺麗に繋いで、 すぐ車酔いする友人を長時間乗せても酔わせない運転をしていたのだが、 例のアルフェッタに乗るようになってからクセがついちゃったんだよねぇ。 最初に着いていたのがメタルクラッチで、半クラ自体が無い上に、 ゆっくり繋ぐと張り付いてしまうので、わざとパチンと粗く繋ぐのがクセになってしまっていた。 ノーマルクラッチに換えてからも、クラッチ板が減ると交換がやたらと高くつくから、 半クラを出来るだけ使わないようにパッチンパッチン繋いでいた。 しかし、車によって乗り方を変えることが出来て初めて一人前であり、 変なクセがついていて自分で気付かないようでは駄目だね。 これ、人間関係でも相場でも同じだと思う。段々と性格が悪くなっていくが本人は気が付いていない、 張り方が段々と雑になっていくが、本人は昔と同じと思っている。 こういう事は自分の経験から言っても良くある。

夜になると、月光に照らされる海面が窓から眺められ、とても幻想的である。 窓枠をもう少し広くして座れるようにしておいたら良かったかもなぁ。 夜の日光の射さない状態で見れば、キッチンの色もそんなには気にならない。 とりあえずこのままにしとくか。

野茂選手が引退するそうだ。本当にお疲れ様でした。



2008年7月19日

とまろっとの癒しの湯に行ったら駐車場に獣ちゃんの車が止まっていたので、 起こして二人で温泉に入り、温泉の後はエアコンの効いた畳の部屋で爆睡する獣ちゃんを残して別荘へ。

建築屋さんが来て、いよいよ別荘の引き渡しである。まずは中を見せてもらった。 風呂も書斎も収納も天井も窓も極めて良い感じである。全面木張りが心地良い。感動的である。 キッチンだけ少しイメージが違った。色は濃いピンクなのだが、 ショールームで白い床や壁を背景に蛍光灯の光の下で見ると良さげだったのだが、 木張りの床や壁を背景に太陽光が当たると、ピンクの反射光が木張りに落ちてイマイチである。 下地を生かしながら少し白っぽくしたい所だが、どうしたものか。 しかしそれほど違和感があるわけでもなく、 そのうち経年変化で色褪せてくればちょうど良くなる気もするので、当面はこのままにしておくか。 キッチン自体は素晴らしい。対面で天板も広いので、 キッチン側とリビング側のやり取りが非常にスムースに行える。
その後、水道屋さんと電気屋さんとガス屋さんが来て、開栓手続きをしてもらった。 昼頃には土木屋さんが来たので、谷側の石積みについて打ち合わせをした。 道路側の石積みなどは自分でやりたいと言ったら、近くの工事現場で出る石を、 自由に持って行っていいよ、と言ってくれた。まぁ、これは今度来た時だな。 一通り手続きも終わったので少し睡眠を取った。気温は高いが、風通しが良くて心地良い。 海が近いので波の音がBGMのように聞こえてくる。幸せな一時であった。

午後になり、踏みちゃんケンちゃんのコンビが到着。獣ちゃんも到着。 獣ちゃんはプロジェクタとスクリーンのセットを寄贈してくれた。 某氏が加藤鷹の褌を締めているのを眺めたりしつつ、しばし休憩。 風呂の横長の鏡がエロいと評判であった。 とりあえず色々と買うものがあるので、みんなで買い出しに出掛けた。 まずはホームセンターへ。鍋、薬缶、バーベキューセット(踏みちゃんケンちゃん獣ちゃんからの寄贈)、 その他もろもろを買い、次は100円ショップへ。細々した物を買い、次はリサイクルショップへ。 冷蔵庫と洗濯機を探したが、状態が悪い上に高い。却下。 次はベスト電器へ。値段を見てから再びホームセンターへ。そこで扇風機を購入(胡々哉さんからの寄贈)。 どうにも決めかねて、少し遠いヤマダ電機へ。冷蔵庫と洗濯機はここが最安値。 買いたいと言ったら、在庫はありませんと言われた。展示品も持ち帰れないという。 仕方が無いので再びベスト電器へ。ケンちゃんが、 ヤマダ電機ではいくらだったでー、と値切ってくれて結局ヤマダ電機より安くなった。 一発でかなり安くなるもんやねぇ。自分も関西人なので家電なんかは値切るけど、 端数を落としてもらったら満足してしまうからねぇ。下げる方も客を見て下げ幅を変えるんだろうなぁ。 ベスト電器も在庫は無かったのだが、こちらは展示品を持って行ってもOKだった。

冷蔵庫と洗濯機を設置し、少し休んでからみんなで夕食へ。なぜか焼肉を食べに行った。 生ビールを一杯飲んだら、次回使える生ビール一杯タダ券を一枚もらえる。結局18枚もらった。 これって、次回にキムチだけとか枝豆だけとか頼んで、このタダ券でビール飲み続けてもいいのか? と聞いたら、構わないとのこと。大阪では考えられんな。

別荘に帰った後は、順に風呂に入りつつ飲み会に。 最後は自分とビーちゃんと踏みちゃんで3時過ぎまで飲んだ。 最近、相場界の人間関係で一悶着あり、話題もそちらへ。 自分の今回の人生に何か課題があるとするならば、その一つが人間関係であるということは、 相当昔から認識していたのだが、それをまた再確認したという形。 認識していても何もしないなら意味が無いかもしれないし、 例えば数学が苦手だからといって克服する必要があるのか、という疑問もある。 正直、解決は次回の人生にまわして、という気持ちもある。まぁ、これは逃げだな。
良い悪いは別にして考えると、自分の場合、もし相場と関わりを持たなかったら、 子供時代から今の職業に就くまで、かなり同質性の高い人達の間で過ごしてきたことだろうと思う。 相場で知り合う人間の幅は非常に広いから、 相場関係の人同士が会ったりすると、たまに普通なら起こらないような事が起きたりする (めったに無いけど初対面で喧嘩になったりとか)。 これはこれで面白い事なのかもしれない。 大学時代にサークルを作ったのも、先物探花のHPを作って維持しているのも、 様々な人間を集めて、そこから生まれる反応結果を楽しみたい、という理由が大きい。 しかし良く考えると、そもそもこの世の中自体が、 色々な人間を一緒くたに存在させているという意味で、 サークルやこのHPのような面白い環境なのだと思う。 となるとやはり、人間関係は外せない課題の一つという事になる。



2008年7月18日

実家の軽自動車を借りて京都へ。朝から夕方まで仕事。これで京都出張は終了。

これから高知の別荘へ向う。 何となく下道を通って中村まで行ってみたくなった。 どうせこれからは毎回高速を使うだろうし、一度ぐらいは地元の道を通ってみるのも良いと思ったのである。 京都から国道171号線で神戸方面へ。そこから国道2号線で明石へ。 これがえらい混雑していて時間がかかった。日本は車が多過ぎやな。 途中、イオンやコーナンに寄って、別荘で使う日用品などを購入。
明石から、たこフェリーで淡路島へ。1700円。 ライトアップされた明石海峡大橋を眺めながら海を渡る。 淡路島ではひたすら国道28号線を南下。南淡路のあたりで道を間違え、 山の上の休暇村・南淡路なる所に迷い込んだりしながらも、 何とか淡路島南ICで神戸淡路鳴門自動車道に乗って大鳴門橋を渡り (この橋は高速道路しか通ってないので、ここだけは止むを得ず高速に乗らないといけない)、 鳴門北ICで下りた。900円。
そのまま南下して徳島市内へ入り、国道192号線で吉野川に沿って西へ移動。 三好のあたりで気力が尽きてコンビニの駐車場で30分ほど睡眠を取った。 三好から国道32号線で高知へ。これがまた、大歩危、小歩危を通るクネクネとした道が続き、 いつまで経っても山と山の間の暗い道を抜け出せない。 いい加減に辛くなってきた頃にようやく高知市内に入った。
高知は山で隔絶されているから、下道で行くなら、どのみち山道を通らないといけない。 32号線が一番楽な選択だとは思うのだが…。 深夜なので、高知市内といえども車はほとんど走っていない。やっぱり本州に比べて空いている。 前を走っていたトラックが信号で止まったのに、少し反応が遅れて急ブレーキをかけてしまった。 眠気が限界に来ているようなので、またコンビニの駐車場で1時間ほど仮眠を取った。
高知からは国道56号線を南下し、数時間の後、四万十市中村に到着した。 結局、途中の休憩も入れて13時間で到着。 ガソリン代は4000円くらいだったので、6600円くらいで京都から中村まで来ることができた。



2008年7月17日

朝から夕方まで京都で仕事。

夕方から高知の別荘に取り付けるための照明を見て周った。 京都をあちこち歩き回って、ようやく良いのを発見した。

京都に住んでいる友人から、今さっき子供を生んだというメールが来た。 二人目である。子供は二人とも京都にちなんだ名前で、雅な感じである。 うちもいつか子供が欲しいものだと返信したら、子供を生むのはもの凄く大変なので、 その分、奥さんを大切にしてあげて下さい、と返事が来た。

夜は奈良の実家へ。



2008年7月16日

修理に出していた車を引き取りに行った。 バランスが崩れてあちこちガタが来ていたのを、 シフトリンケージからクラッチ、プロペラシャフトまで完全にバランスを取ってもらった。 所々、干渉している部分もあったそうだ。 エンジン周りも色々と手を入れてもらった。
修理費と車検代を入れて合計80万円。軽の新車が買える金額である。 しかしまぁ、25年前のカーグラを見ると当時の価格で660万円していた車であるし、 エンジンも換装され、ボディーも極めて良い状態で、200万円で手に入れた車だから、 今後少々お金がかかっても安いものである。 当時の660万円だから今の価値だと800万円くらいか。
さっそく高速を走らせると、以前の不快な振動も無く、 アクセルを踏み込むとゾクゾクするエグゾースト音と心地良い加速で、 テンションが一気に上昇してパッキーーーン!と脳天を突き抜ける感じがした。 いや〜、買った時はこんな感じだったなぁー。 これなら、いくらかかっても満足やなーと思う。いやもう、テンションが上がる上がる。
世の中には色々な快感がある。快感の中でも、 人間の三大欲求である食欲、惰眠欲、性欲に関連した快感は多くの人が普通に経験するだろうけど、 車の運転に関する快感は、自分の場合は相場で儲けてなかったら縁が無かったと思う。 他にも世の中には自分の経験したことの無い快感が沢山あるのだろう。 バイクには車とは違った快感があるだろうし、クラブで踊るとか、ライブハウスで陶酔するとか、 極限まで走ってランナーズハイになるとかも、それぞれにそれぞれの気持ち良さがあるのだと思う。 ビーちゃんの文章なんか読んでいるとサーフィンも非常に気持ち良いらしいし。
しかし、世の中に色々な快感があるにしても、 それを全て経験することに人生を費やすのが有意義であるとは思わない。 縁があったものを体験する、ということで良いと思う。 例えば覚醒剤は非常に気持ちが良いらしいけど、恐らく死ぬまで体験することは無いだろう。 実は、億の単位の相場を張って一日で数千万儲かったりする経験も、 これは他では体験できない快感である。体の胃のあたりから体中に暖かいものが噴出する感じがする。 逆に相場で大きくやられると必ず胃が痛んで吐き気がする。相場は胃に関係しているのかもしれない。 ところで、世の中には、思考に関する快感、家庭に関する快感、収集に関する快感、 他人の役に立つ快感、自尊心に関する快感など、もっと高尚な快感が色々あるだろうけど、 ここでは直接感覚に訴えかけるプリミティブな快感についてのみ考えてみた。

午後から出張のため京都へ移動した。

晩は大学時代の友人と、学生時代に良く行った銭湯に行ってから飲んだ。 彼と飲むと昔に戻ったような気分になる。良い友人である。結婚式にも来てもらう予定だ。



2008年7月15日

夕方まで仕事をしてから、関西へ。

海外市況速報、2億アクセス超えてるんだよねぇ。あまり桁を良く見てなかったから、 2000万アクセスくらいかと思ってた。 バナーでも貼っていればもしかしたらそこそこの収入になったかもしれない。 でもまぁ、バナーなんか貼ると品位が下がるからなぁ。



2008年7月14日

やっと体調が回復してきた。朝もスッキリ起きられる。

寄り付きで金と原油を売った。売っていいもんか迷うけど、文字通りショートスタンスで。 普通は下がるとは思うんだが。 こんな裁量売買じゃなくて早いとこシステム売買を稼動させんといかんと思うんだけど、 何となく株も商品も今はシステムがあまり機能しないような気がするんだよねぇ。

車の修理に結局80万円かかることになった。悪い所は全て直してもらったので金額的にはそんなものかと思うが、 80万円あれば軽の新車を買える。それにしても、丁度、夏のボーナスが出たとこで助かった。



2008年7月13日

母親が野田山に墓参りに来たので合流し、母親の父方の墓と母方の墓の両方にお参りした。 その後フレンチレストランで食事をして解散。

本所次郎「閨閥 − マスコミを支配しようとした男」を読んだ。 この本は2004年に徳間書店から出版され、またたくまに廃刊になったといういわくつきの本である。 フヨウグループ=フジサンケイグループ、鹿野家=鹿内家、など、一応仮名にはなっているが、 読めば誰が誰を指しているか一目瞭然である。 内容は、フジサンケイグループを私物化しようとする鹿内家の三代にわたる策謀を描いている。 終わりの方には、フヨウ放送(ニッポン放送)とフヨウテレビ(フジテレビ)のねじれ構造に注目して、 フヨウ放送株の買い占めを画策する村田ファンドの村田彰二氏(村上世彰氏)とオレックスの宮口義夫氏 (オリックスの宮内義彦氏)が登場。本書の出版後にホリエモンと日本テレビ株の騒動があったわけだが、 事前に本にしてしまうあたり、目の付け所が良すぎる。ホリエモンも読んでいたらしい。
絶版の理由は、他の媒体からの無断引用があったからというものだが、 買い占めが有ったとか無かったとか言われている。 Amazonにも以前は載っていたが、今は抹消されている。



2008年7月12日

土曜日だけど仕事があり、朝から夕方まで出勤。家に帰って本棚に置いてある「アキラ」 などをパラパラと読んでいる間に夜になり、就寝。



2008年7月11日

出張で金沢に来た人と、いつもの割烹に行き、その後にはいつものお店へ。 片町に出てきたのも久しぶりである。美味いものを色々食べて元気を回復しよう。

統計を取ると、高速道路における渋滞では走行車線の方が追越車線より進みが早いんだそうだ。 これ、みんなが知ると優位性が無くなるかもしれないが、統計なんか信じずに、 追越車線の方が早いと思い込む人が多ければ、優位性はいつまでも無くならない。
相場でも、システムや鞘取りの優位性がどれだけ喧伝されたとしても、 そんなの関係無しに、裁量で適当に売買したり鞘を気にせずに売買する人がいる限りは、 システムや鞘取りの優位性は消滅しないことになる。



2008年7月10日

朝、あまりにも身体がダルくて、頭は起きているのにしばらく起き上がれなかった。 気合いで無理やり起きたら吐き気がした。這うようにして職場へ。 やばいなぁ。最近ろくなものを食ってないからなぁ。 結婚したら彼女が料理を作ってくれるようなので、栄養面は改善されると思うけど。

人生は河を下る船旅のようなものだ。しかしこの河は普通の河と違って、 水ではなく時間が流れている。また、普通の河が徐々に合流して大きくなるのに対して、 この河は、大小様々な流れが常に合流と分離を繰り返している。
一度ある流れに乗ってしまうと、他の流れに移るのは通常は困難である。 それは俗に運命と言われている。しかし、無理やり別の流れに移るのは不可能でも、 流れの合流したタイミングを掴めば少ない労力で別の流れに移ることができる。 ただ漫然と流されていく人や、流れのタイミングを読めない人にとっては、運命は決定的であるが、 流れを読める人にとっては、運命というのはそれほど決定論的なものではない。
人生の流れ自体は時間の流れによって引き起こされるが、 個々の流れの違いというのは、その上を流れている人間集団の違いに他ならない。 そういう意味では、人生の流れを読むというのは人間関係の潮目を見極めるということでもある (河なのに潮というのは気にしないで)。 流れの合流するタイミングというのは人生の長さからするとほんの一瞬なので、 乗りたい流れがあった時には素早く正しい選択をしなければならない。 流れの相互作用はいわゆる縁の一形態であるが、 そこから何かを生起できるかどうかはその人次第ということになる。
相場で間違ったやり方をしている人がいるとする。 周りの人間関係を観察すると、良い流れに移れるチャンスがあるのに本人だけが気付いてないケースがある。 みんな親切にアドバイスをしているが、 今回を逃すと永久に良い流れには乗れないとみなわかっている。 本人だけが、その重大な局面に自分がいるという自覚がなく、逃してしまう。 正しいタイミングで正しい選択をしなかった場合、本人が以後どのように頑張っても、 行きつく先は悲惨である(本人が流れを自覚すれば逃れられるかもしれないが、 そんな性格だったらそもそもそんな状況に陥ってない)。
ちなみに、以下は私見だが、個々の流れは全体としても大きな流れを形成しているように感じている。 日本人の流れ、アメリカ人の流れなど、国としての流れ、 神道の流れ、仏教の流れ、キリスト教の流れなど、宗教の流れ、 最終的に、地球上の全ての人間による人類の流れ、などなど。 共同体としてのアイデンティティーが存在する所には流れがあり、 ユングの言う集合的無意識に影響を及ぼしていると考えている。



2008年7月9日

「クライマーズハイ」を観た。洋士さんに小説を勧められていたのだが、先に映画を観てしまった。 なかなか良かった。クセのある俳優が沢山出演しているにも関わらず、まとまりが崩れていない。 社長(山崎努)がいい。堺雅人もいいね。堤真一も演技が安定していて安心して見ていられる。 是非、原作も読まなくては。 それにしても映画の中で「大久保連赤」とか言われても何のこっちゃわからん。ネットで調べてしまった。

コンビニで焼きそばとジュースとアイスを購入。焼きそばは温めて貰った。 で、レジの兄ちゃん、「袋はご一緒で宜しかったですか?」ときた。 あのなぁ、熱い焼きそばとアイスを同じ袋に入れたらどうなるか、考えてわからんかな〜。 単純作業でも少しは頭を使いながら働いてくれ。どっと疲れた。



2008年7月8日

なんだか明け方にもの凄く雨が降っていた。朝には止んでいたが、あちこち道路が泥だらけになっていた。 局地的に一時間80ミリほど降ったらしい。有り得んな。

ドイツ語の文書を読む必要があったのだが、全くわからん。大学時代には第二外国語だったのだが。 大意が解かればよかったので、辞書を引き引きポイントを解読した。



2008年7月7日

今日も晩まで仕事であった。実績を出そうと気は焦るけど結果がなかなかついて来ない。 困ったものである。

博多税務署から、昨年8月31日納期限の住民税の支払いが遅れた分の延滞金を払えという通知が来た。 調べてみると、確かに3日遅れで支払っている。計算してみると、確かに、 支払いが数百万円だと3日の延滞でも延滞金は数千円という額になる。 意外と馬鹿にできん金額だ。 ところで、延滞金を滞納したらどうなるのかな。確か延滞金には延滞金はつかなかった筈だが。



2008年7月6日

三日月さんとホテルのレストランで朝食をいただいた。お粥の膳、旨かったなぁ。 外を見ると東京ドームに長蛇の列が。関ジャニの何からしい。

東京見物でもして行きたかったのだが、いくつか用事が発生したので早めに帰ることにした。 三日月さんに東京駅まで見送ってもらい、新幹線に乗り越後湯沢へ、はくたかで金沢へ。 帰りはスムーズに帰ることができた。

明日からまた仕事だが、疲れが全く取れん。



2008年7月5日

午前中はUSSひまわりの本社で打ち合わせ、その後、パスタの美味しいお店に連れて行って頂き、 いよいよ東京穀物商品取引所へ。 到着したのは1時間くらい前だが、既にお客さんが何人か来ている。 結局、時間までに二階の広いホールの席がほとんど埋まってしまった。 落選した人も多かったようだ。
講演はいつものごとく詰まりながらタドタドしく始め、30分くらい過ぎたあたりから徐々に調子が出てきた。 プレゼンは本業でもやる機会は多いけど実はあまり上手ではない。そこは内容で勝負ということで。 後から聞いたところでは、なかなか好評だったようだ。

講演の後は、東京ドームホテルの中華レストラン・ララチャイナでオフ会が開催された。 幹事は三日月さんにお願いしたが、 中華バイキングは種類も豊富で値打ちがあったなぁ。さすがである。 参加者は、秋山、みかづきさん、ハウリング・ウルフさん、バカボンさん、弱虫熊さん、 麒麟さん、一匹羊さん、川崎侍さん、MLLYNさん、じゅんじーさん、メタ横さん、 ユウさん、季節さん、真行さん、日向さん、源五郎丸さん、natsuzohさん、 バウアーさん、、SantoDomingoさん、S・Jさん、BANGさん、冬木実さん、 まるくすさん、furinkazanさん、フィボさん、四苦八苦さん、シャンクさん、 なおちゃんさん、浅田 恵さん、と多士済々であった。 芳名録でお馴染みだったけど実は会ったことなかった人が何人かいて、 あー、あなたが○○さんですか〜、という感じで楽しかった。 人間関係はネットとリアルの両輪があってこそだなぁ、と思う。 リアルだけでもいいんだけど、ネットはネットで情報伝達のスピードと手軽さは捨て難い。
二次会は景色の良いバーへ。 ここでウニさんが合流。実はこの人は2000年の先物探花の第一回オフ会に参加されていた方で、 会ったのも8年ぶり。えらく懐かしい。第一回オフ会の後にホテルの部屋で、 diabloさんのゴム指数鞘取り講座を自分とウニさんで聴いたなーと思い出した。 あの第一回オフ会の参加者で今も消息を知っていてしかも商品をやってるのは、 diabloさん、ひややっこさん、遠山のQさん、くらい。 ウニさんはFXって言ってたし。うめぼしさんからはこの前メール頂いたけど、 他の人はどうしてるんだろうかねぇ。おうみさんとか不良中年さんとか。
話を戻して、3次会はまた別のバーへ。残ったのは8人くらいだったかな。 個室でゆっくりと話をすることができた。 やはり人伝てでも儲かっている人の話を聞くとモチベーションが上がるなぁ。 再び億の金を掴みたいものである。たぶん二度目はそんなに難しくない、と思う。
バカボンさんのバカボン節が楽しくて、もっと話をしていたかったんだけど、 夜も遅くなってきたので解散。今晩は三日月さんとサウナにでも泊まろうと相談していたのだが、 S・Jさんがホテルを取って下さり、有り難く三日月さんと二人で泊まらせていただいた。 ほんとにお世話になりっぱなしである。



2008年7月4日

3時ごろに仕事を終わらせて帰宅し、金沢駅へ。 特急はくたかで越後湯沢まで行き、新幹線に乗り換えて東京へ。 特急が遅れて新幹線の接続が途切れ、金沢から東京まで4時間半以上かかった。 さすがに電車でも4時間を越えるといい加減、ぐったりするなぁ。 飛行機がもっと安くて、しかも空港に行ってその場で好きな便に乗れるならいいんだけどねぇ。

新橋駅で、USSひまわりのHNさん、YNさん、KYさん、KDさんと合流し、 HNさんお勧めのお店に連れて行ってもらった。 一軒目はビールが美味しくて有名だというお店。確かに泡が絶妙でスイスイ喉に通る。 料理も丁度ビールに合う塩加減で、こりゃ流行るのも無理はないなという感じ。 ここでジョッキ5杯くらい飲み、二軒目へ。 二軒目はラーメン居酒屋なる所へ。九州では飲んだ後にラーメンを食べるのが普通だが、 それが一度にできてしまうというナイスなお店である。 焼酎の品揃えが良く、なんだか福岡時代を思い出すような飲み方になった。
京都に住んでいた頃は、ビール→ブランデーorウォッカ、 福岡に住んでいたときは、ビール→焼酎、 今は、ビール→日本酒orワイン→ウィスキー、という感じ。 節操無いので、たぶん沖縄に住んでいたら、泡盛を飲んでいることだろう。
講演料は宿泊費と交通費込みで頂いており、 明日のオフ会の事も考えて秋葉原あたりで二泊しようと思っていたのだが、 翌日の打ち合わせのためにとYNさんがUSSひまわりの隣のホテルを取って下さったので、 ご好意に甘えることにした。

サミットのため、コインロッカーが使用禁止になったりゴミ箱が撤去されたり警察官が巡回していたりと、 警戒が厳しい。サミットって北海道でしょ。東京はあまり関係無いと思うんだが。



2008年7月3日

お客さんに職場の案内をしたり、その他色々と仕事をしたが、今日は比較的早めに帰宅。 省エネのため7月○日はみんなで早めに帰宅しましょう、という案内が来た。 こんな企画に人を割いてポスター作ったりする方がよっぽどエネルギーの無駄のような気がするが。

スーパーに寄ったらセルフレジがあったので使ってみた。 普通のレジだと店員さんが会計を終えた後、改めて自分で袋に詰めないといけないけど、 セルフレジだと、自分で順番を決めてバーコードを読み取らせながら袋に詰められる。 こりゃいいなぁ。人にやってもらうより自分でやる方が好きな性格にも合っている。 どういう仕組みで万引きを防止しているのか興味があったが、 商品の重さを計ることで、未会計の商品を持ち出せないようになっている。なるほどね〜。



2008年7月2日

今朝の午前2時頃にようやく仕事が終わり帰宅。しばらく寝てからまた出勤。 午後から19時くらいまで打ち合わせ。現在20時、そろそろ帰ろう。 そういや明日の10時までにパワーポイント3枚ほど作らないといけないんだった。 もう、疲れたし家でやろう。



2008年7月1日

昨日から引き続き職場にいる。帰りたいけど帰れない。 午前零時を回った。



2008年6月30日

あまりに疲れが溜まっていたのか、朝、起き上がることが出来なかった。 起きなきゃいかんと思うのだが、身体がダルすぎる。 しかし何とか気合いを入れて起きて出勤。 水曜日までに仕上げなければならない仕事があり、そのまま職場に泊まり込んだ。

今月の利益は42万ほど、利益率はプラス9.2%ほどであった。この調子で行きたいものだが。



2008年6月29日

昼過ぎまでBOOK OFFでしばらく立ち読みしてから、福岡時代の友人と待ち合わせてランチを食べた。
昼ご飯の後、新幹線と雷鳥で金沢に帰還。N700系に乗ったのは、たぶん今日が初めてかな。 乗り心地はより良くなったような気がする。 寝たり本を読んだり、あるパズルの問題を考えているうちに金沢に到着。明日からまた仕事か。

城祐一郎「マネー・ロンダリング罪の理論と捜査」を読んだ。 薄い本だが、一通り必要なことは網羅してあるようだ。



2008年6月28日

ホテルのフロントで偶然ロダンさんに会ったので、二人で赤坂へ向かった。 途中、地下鉄の切符を落としてしまうなどのアクシデントがありつつ、雨の中「長浜将軍 長浜本店」に到着。 基本的な長浜ラーメンである。結構美味いな。ロダンさんにご馳走になった。
その後、USSひまわりグループ福岡支店へ。 講演は3時間マイクを使わずに地声でやったので少し声が嗄れた。 さすがに三回目になると内容も固まってきたか。講演のたびに質疑応答に対応する内容を付け加えているので、 最初の名古屋講演に比べると少し内容が増えてきた。
講演の後は福岡オフ会である。参加者は、 秋山、幹事の文宣さん、ロダンさん、ぴょーたんさん、しまうまさん、らーめんさん、 フィボナッチさん、新参者さん、炭坑節さん、USSひまわりのSIさんとIGさん、kizukiさん、 ベルリーナーさん、木鶏さん、moonさん、飛び入りさんの総勢16名であった。 今回、講演会でもオフ会でも、商品先物は未経験だけど興味があって…、 という人の割合がいつもより多かったように思う。 そういう人にとっては、講演内容は少し難しかったかもしれない。 そういえば、しまうまさんの鞘ソフトが、前回見せてもらった時より進化していた。
二次会は炭坑節さんのお知り合いの店で安く飲まさせていただいた。 今回、印象に残ったのはベルリーナーさんである。良く掲示板に書いて下さり、 どんな方かと楽しみにしていたが、想像通りの紳士であった。
三次会は一風堂へ。昔に比べると味が変わっていて美味しくなっていたが、 いくら美味くてもラーメン一杯800円というのはさすがに有り得ないんじゃないかと。 でも結構繁盛していたなぁ。
その後、ロダンさんと二人で天神から博多駅近くのホテルまで歩いて帰った。



2008年6月27日

朝起きたら強烈な二日酔い。昨日は、ビール、焼酎、ワイン、ウィスキーと飲んだが、 量的にはそれほどでもなかった筈なのだが。疲れが溜まってるんかなぁ。
家を見て回りたいのだが、二日酔いが酷くてしばらく外に出られなかった。 ようやく起き上がり、建築屋さんに案内してもらった。 玄関、天井、床、壁、書斎、リビング、風呂、全てイメージ通りである。極めて良い感じだ。 外見は窓が大きいせいか予想より少しいかつい感じだったが、 見た目より住み心地優先なので良しとしよう。 ビー家と我が家は少し評判になっているらしく、移住希望者が見学に来たりするらしい。 ちょっと嬉しい。これが切っ掛けで、この建築屋さんの仕事が増えればいいんだけど。
公証人役場へ行き、ビー家との定期借地権設定契約を公正証書にした。 定期借地権とはいっても期間が期間だから、契約が終了する頃には自分は死んでる可能性が高い。 終了後に契約をどうするかは、お互いの次の世代同士が決めることになるだろう。
ところで、後で調べてみたところ、公証人というのは公務員だが収入は独立採算だそうだ。 事務所の家賃も事務員の人件費も持ち出しである。人事ながら、やっていけるのか心配になるなぁ。
その後、不動産取得税の関係で県税事務所に寄ってから帰ってきた。 再び家のまわりを見て回る。崖側の石積みはやはり自力では無理だな。これは業者に頼もう。 山側も擁壁か何かで土を止めないといけないが、これは自力でやる。 道路側も土を止めて駐車スペースなどを作らないといけない。これは少し考えたが、 コンクリートで固めてしまうことにしよう。 道路側については7月に詳細な計画を立てて、8月に一週間くらい滞在して全部やってしまいたい。
ようやく二日酔いから回復したので、砂浜の端から海に突き出している岩場を探索した。 岩伝いに移動していくと、途中にほぼ垂直になっていて上から水が流れている場所があり、 行く手を阻まれた。 仕方が無いので一度撤退し、山側から攻略しようとしたが、今度は藪に阻まれて断念。 結局、靴を脱いでズボンをたくし上げ、海をジャブジャブを歩いて垂直な岩場の向こう側に取り付いた。 三点支持を心掛けながら岩場をぐるりと移動し、別の入り江に到着。 道があったのでそこから山に入ると、途中に「村中安全 明治41年」と彫られたお地蔵さんがあった。 そのまま歩くと道に出て、ぐるりと歩いて家に戻ってくることができた。
足の砂を落とし、しばらくビー家で波の音を聞きながらボーッとした。 55歳くらいで早期退職してこちらに住むのも良いなぁ。 塾か家庭教師かネット関係で何かやればそこそこは食えそうだし。 ここにいてると、相場がどうでも良くなってくる。 何か地に足の着いたことで生活したい気分になる。
建前上は、投資家は経済の潤滑油として役立っていると主張できるし、 相場が虚業であると言うつもりはないけど、 何かを提供してダイレクトに感謝される生き方よりは実業的な割合が少ないように思う。

ビー夫妻に駅まで送ってもらい特急で高知駅へ。電車に揺られている間に再び二日酔いがぶり返し、 高知駅のベンチでしばらく倒れていた。1時間くらい横になってからバスで高知空港へ。 45分のフライトで福岡空港へ到着。途中、佐多岬が地図と同じように見えて面白かった。 前回同じ便で福岡に到着した時は空から夜景を眺めることができたが、今回はまだ夕方だった。 そういえば今は一年で一番、日の長い時期である。

中州のいつも飲みに行くお店の女の子と連絡が取れず。 わざわざ店に電話して確かめるほどでもないので、 今日は飲むのは止めた。さっさとホテルにチェックインし、 食堂で枝豆をツマミにビールを飲みながら漫画を読んでから寝た(結局飲んでるな)。



2008年6月26日

近鉄電車で名古屋に移動。駅近くで櫃まぶしを食べた。 鰻を食べると幸せな気分になるねぇ。 駅前からバスで小牧空港へ。そこから高知龍馬空港へ。 バスで高知駅へ移動中。スリーエフを見ると高知に来たという気分になるなぁ。 高知からは特急南風で中村へ。駅にはビーちゃんと旦那さんが迎えに来てくれた。 期待に胸を弾ませながら件の土地へ。ビー家の向こう側に、おおおお、出来てる〜。意外とでかいなー。 旦那さんに懐中電灯を借りて周囲を見て回った。
ビー家のリビングも家具が入って良い感じだ。色のバランスがいい。 ビーちゃんの手料理をご馳走になり、酒を飲んだ。アスパラの天麩羅が良かった。 波の音が聞こえてきて心地良い。良い生活だなぁ。とにかく良い。

「紙の迷宮」を読んだ。これはデイヴィッド・リスのデビュー作である。 完成度や洗練度の点では二作目の「珈琲相場師」の方が良い出来だと思うが、 こちらもかなり面白い。様々な人物がそれぞれ何か思惑を隠しつつ主人公ベンジャミンに近付いてくる。 ベンジャミンは物語が進展するごとに推理を重ねるが、常に腑に落ちないモヤモヤしたものを感じ、 それを読者も共有する。最後の方までそのモヤモヤ感は残るが、 最後には霧が晴れるように一気に解決に向かう。 事実関係は、知ってしまえば単純なものだが、わからない間は迷いの元である。 荒削りだが、デビュー作でこれだけ書けるというのは素晴らしい。



2008年6月25日

明け方になりようやく書類が完成。家に帰り、数時間寝てまた職場へ。

晩には関西へ移動。

岐阜の短大生がフィレンツェの大聖堂壁に落書き。バカとしか言いようが無い。 犯人を現地に行かせて修復を手伝わせるべきだな。もちろん費用は全部彼女ら持ちで。 文化に対する敬意が無いのなら海外に出ないでくれ。意味無いだろ。 それ以前に外を出歩かないでくれ。

マルハ子会社が中国産ウナギを国内産に偽装。 これは量の点でも計画性の点でも他の偽装とは桁違いに悪質である。 偽装合計が256トン、国産と中国産の違いがキロ当たり2000円としても5億円以上か。 1000万円で口止めし、1億円で責任転嫁しようとしていたらしい。 談合事件についても言えることだが、一部の業者のモラルが崩壊している以上、 こういう食品偽装などには巨額の懲罰的な課徴金を課して、 犯罪が割に合わないという認識を確立するしかない。

「世紀の相場師ジェシーリバモア」という本が、ネット上で、3万円以上で取引されていることを知った。 うちの本棚にもあるが、確かBOOK OFFで1000円くらいで買ったような記憶がある。

例の件では依然として、時々呼ばれては事情を聴取されている。 何となく、商品先物取引のイメージの悪さも問題になっている感じで、 はっきりとそうとは言えないが、これが株式だったら、 もう少し反応が穏やかだったかも知れないと思われる節もある。 株式より商品の方がよほど理論的な価格形成がなされているとか、 株の信用取引と大してリスクは違わないとか、 言いたい気持ちもあるが、世間一般から見たイメージが問題になっているようなので、 こういう事を言っても的外れだと思って言ってない。



2008年6月24日

税務署から、財産および債務の明細書を提出せよとの通知が来た。 予定納税と同じく、これも福岡に住んでいた時には何も言われなかったんだがなぁ。 こっちの税務署はきっちりしているようだ。

締め切りの迫っている書類があり、昨日から職場に泊まりきりである。 家に帰りたいが、明日には完成させないといけないので終わるまで帰れない。



2008年6月23日

早朝から晩まで仕事。疲れた。月曜日は色々と疲れる。

先週仕掛けたクラックを利食い。12万ほど儲かった。 ここんとこ仕掛けて即順行する事が多く、難平することが無いが、 いつまでもそんな相場は続かないだろう。調子に乗って張りを増やさないようにしなくては。

掲示板で地球温暖化について議論になっている。基本的には自分の立場は、 人間活動による二酸化炭素が温暖化要因として働くのは間違いない、という立場であるが、 この機会に色々と調べてみて、改めてその確信を強くした。 最近のシミュレーション技術の進歩には目を見張るものがあり、 地球温暖化の原因は二酸化炭素だ、いや違う太陽活動だ、 などと単独の要因に帰着させようとする段階は既に過ぎ、 現在考えられるありとあらゆる要因を加味しながらシミュレーションを実行し、 各要因の重みを議論する段階に入っているようだ。
気候の問題は、通常の物理実験のように再現実験が出来ない以上 (再現実験するためにはもう一つ地球と何千年もの時間が必要)、 コンピュータシミュレーションが現状解明の手段として用いられるのは自然である。 地球温暖化に懐疑的な人達もいるようだが(そのほとんどが専門家ではない)、 彼らは個別の要因だけを取り出して文句を付けたり、シミュレーションは偏っていると非難したりしても、 決して自分達でシミュレーションを行おうとしない。今回、色々な意見を調べてみたが、 地球温暖化を主張している人は概ねシミュレーションで得られた生のデータで真っ当に勝負しているのに対し、 懐疑派は、検証されていない結果を用いて重箱の隅をつついたり(宇宙線の影響で雲が出来るとか)、 数字を変形してイメージ操作をしたり(別シナリオの予測幅のデータの最大値と最小値を平均したり)、 過去の精度の悪い仮説を持ち出してきて現在の理論の信頼性に疑問を投げかけたり (南極の氷が溶けると海面が6m上がる説とかアイスホッケースティック理論とか)、 偽論文を研究者に送りつけて署名を集めたり(オレゴン嘆願書)、とにかく行動が胡散臭い。 普通に判断すれば、まともな議論では勝負にならないから奇手を使っているように見える。 まぁ、最終的には何を信じるかは個人の自由であるが。 自分もIPCCの報告書をメインの部分だけざっと読んだだけであり、 コンピュータシミュレーションの原論文はまだ見ていないので、時間ができれば読んでみようと思う。
どちらにしても、既に専門家の間での主な議論は、地球が人間活動により温暖化することを前提として、 温暖化対策の費用対効果の問題に移っているようである。 実際、こちらの判断は非常に難しい。現在の調子で二酸化炭素の排出が増えても、 本当に人類にとって危機的な状況になるのは500年後とかの話であるし、 今の世界人口が長期に維持されると考えるのも非現実的で、 いずれ戦争か環境悪化か伝染病か何かで人口が激減するならば、 温暖化対策をしてもしなくても同じということになりかねない。 温暖化対策は、現在の100億近い人口がみなそこそこ豊かな暮らしを送り、 しかも環境負荷をプラスマイナスゼロに保ちながら、数百年から数千年の間、 国際協調体制が崩れることなく平穏に過ごすことができて初めて意味がある。 つまり人類にとっては非常に野心的な取り組みであると言える。 個人的には、たとえ成功する可能性が極めて低くても、 人類の未来を信じてやってみる価値はあると思うが。
ところで、天気予報も満足に当たらないのに100年後の地球がシミュレートできるわけがない、 という意見を良く聞くが、実はそんなことは無いのである。 例えば、コップの中の水が熱対流によって動く様子をシミュレートする場合を考えてみる。 水の流れは刻一刻と変化し、時刻が先になるほど予測は困難になる。 しかし、入ったエネルギー量と出て行くエネルギー量がわかれば、 いくら先の時刻でも平均温度を求めることはできる。 もちろん水の動きも熱の移動に影響するが、その際には、たとえ動きを正確に再現できなくても、 平均的にどれくらいの動きがあるかさえわかれば良いのである。 実際のシミュレーションはこれほど単純でもないし、平均だけではなくある程度は地域ごとの偏りも計算でき、 現実とも合致しているようではあるが。



2008年6月22日

朝日新聞夕刊のコラム素粒子が、累計13人の死刑を執行した鳩山法相を死神と表現し、 法相が激怒しているそうだ。さすがにこの表現はアウトだろう。 死神というのは人間の命を奪う存在なので、結局、法相を人殺し呼ばわりしているのと変わらない。 侮辱罪で告訴しても勝てるのではないか。 朝日新聞というのは左側の重鎮みたいなものだから、世の中のバランスのためには存在した方が良いと思うが、 腐っても新聞は公器なんだから、言って良い事と悪い事の区別くらいついてもらわないと困る。 法相は法に基づいて執行したわけで、追求するとすればその対象は死刑制度であり法相個人ではない。 そこをごちゃまぜにすると、法治国家を否定することにもなりかねない。そんな常識も無いのか。
たまに朝日新聞を見ても、素粒子というコラムは読むたびに嫌な気分になる。 出来るだけ目に入らないようにしているのだが、目立つ位置にあるので思わず読んでしまうことがある。 自分達に正義があると思い込んでいる様子が見え見えだが、 世の中の一般常識から乖離している事に全く気が付いていない。 この駄目さは、右とか左とかいうレベルを遥かに超えてるのではないか。ユーモアも無い。 書いている本人は風刺のつもりだろうけど、単なる自己満足にしか読めない。
朝日新聞は、芸術記事や科学の紹介記事は質が高くていいんだけどねぇ。



2008年6月21日

昨日は午前2時半くらいに帰宅したのだが、絶対に6時15分に起きると自分に言い聞かせて寝たら、 6時15分ぴったりに目が覚めた。自分の場合、どんなに遅く寝ても何時に起きると心に決めると、 目覚まし時計をかけなくても何故か1分の誤差も無くその時間に目が覚める。 ただし酒が入っているとそれが機能しないことがあり、心配だったがちゃんと起きることができた。 なぜぴったりの時間に目が覚めるのか不思議だが、たぶん、 数時間おきに無意識に時間を確認しているのだろう。

始発のバスに乗り金沢駅へ。金沢から特急に乗り、京都で近鉄に乗り換えて奈良へ。 今日は、彼女の親御さんが奈良に来るので、顔合わせの会食をするのである。 待ち合わせには5分の遅刻で何とか到着。 みんなで会席料理を頂いたが、親同士は初対面なので、そうそう会話が弾むわけもなく、 時々、沈黙が流れる瞬間もありつつ終了。 まぁ、結婚式で親同士が初めて会うというのもマズいので、一度はこういう機会を作らないとね。
食事の後は、彼女の親御さんを奈良へ案内した。 途中、スコールのような雨に見舞われてみんなずぶ濡れになりながらも、東大寺へ。 奈良に来るのは初めてだそうで、鹿を見るのも楽しそうであった。 春日大社にも行こうと思ったが、時間も遅くなり、雨も降っているので、またの機会という事にした。 奈良に来たついでに奈良ホテルに寄り、正式に式場の申し込みをして内金を入れた。



2008年6月20日

地球環境のシミュレーションをやっている人と話す機会があった。 地球温暖化に関する研究に、政治的な圧力がかかったりすることがあるのか、 と聞いてみたが、現場の研究者は概ね中立的な立場で研究をしているという話であった。 そりゃそうだわな。学者というのは概して、真実の探求が好きだが、 政治的なことにはあまり関心が無いものである。 まぁ、中にはタバコ会社から資金を貰ってタバコが健康に害は無いと主張する学者もいるようだが。

晩は片町で飯を食ってその後はいつものお店へ。赤イカ、旨いねぇ。 イカは休漁で大変らしいが、漁業資源の保全にとっては良い話かもしれない。 そのうち刺身は贅沢品になってしまうのかも。 いつものお店では、開店記念日だとかでシャンパンのボトルを入れたりして大変だった。 ドンペリもそんなに美味いとは思わんな。モエの普通のロゼの方が美味いと思うくらい。 味がわかってないのかもしらんが。



2008年6月19日

ジェネパックスという会社が、 水からエネルギーを取り出すというウォーターエネルギーシステムなるものを発表して物議を醸している。 大阪府議会議員が関係しているようで、報道陣まで多数詰め掛けたようだけど、いい恥晒しである。 学校の理科の時間に、無から有が生じる事はないと習わなかったんだろうか。 仮に、議員や取材をした記者自身に知識が無かったとしても、 周りの理系の人に聞けばすぐに眉唾とわかるわけで、 そんな最低限の下調べもせずに飛びつく軽率さは救い難いものがある。
日経BPの続報には、案の定、社長のコメントとして、 水と酸化反応する金属または金属化合物を使って水素を発生させるという情報が出ている。 例えば、高校の理科で、金属ナトリウムを水に投入すると水素が発生するってのをやるが、 それと同じような反応を長時間安定して維持できるようにしたというだけ。 その金属や金属化合物を作るには、発生するエネルギー以上のエネルギーが必要なわけで、 決して水からエネルギーができるわけではない。 それを、HPでは、コップ1杯の水が地球を支えるエネルギーに、とか、 水が生活エネルギーに変わる、とか、発電時のCO2排出はゼロ、 などと、誤解を招くような書き方をしてある。まぁ、発電時にCO2を排出しないのは本当だが、 あくまで発電時にというだけ。お粗末なものである。

最近は、石油高騰の影響で将来的なエネルギーの見通しに不安が生じているせいか、 常温核融合なんかにマスコミが飛びつく例が多い。 常温核融合については、まともな研究者が参加してる分だけまだマシだが、 客観的な検証に耐えられるほどの実験結果を出した例がまだないのが現実で、 過剰熱とかガンマ線とか言っても、観測限界ギリギリの、誤差と区別の付かないレベルの話がほとんどである。 常温核融合を研究している研究者が世界で何百人かいるが、 追試実験が成功したという報告も常温核融合の研究者からしか出てこないし、 研究発表も仲間内の常温核融合に関する学会でしかなされていない。 精度の点で研究者がみな納得する結果を出せないかぎりは、 現状では極めて疑わしいと言わざるを得ないと思う。



2008年6月18日

今日マチ子さんの「センネン画報」を購入。 人により好みがあるかもしれないけど、個人的には、絵を見た瞬間これはイイ!と、ツボにはまった。 同名ブログもあるのでどうぞ。



2008年6月17日

例の件はまだ尾を引いている。 職場の規程などを読んだり説明を聞いたりしたところ、結局、兼業は承認されればOKだが、 家業、不動産賃貸、医者や弁護士や公認会計士などの資格商売、自分の特許を管理する会社、 などの決められた職種のみ認められるようで、 投資に関する助言業務なんてのは完全にアウトで許可される見込みは無いとのことである。 また、勤務実態が無くても会社の役員になるのは原則禁止である。 これらは違反すれば懲罰の対象になるようだ。 まぁ、既に技研の運営には関わっていないし、コラムも休止状態なので現実的には問題は無いのだが。
ちなみに、勤務時間外に行う無報酬の兼業、もしくは、 報酬があっても一日限りもしくは数日間で合計10時間以内の単発の兼業は許可が要らないとのことなので、 講演などは大丈夫だと思う。継続的にやるというのは駄目だが、依頼されてそのつど引き受けるなら、 単発が何回か続いたものと解釈できると思う(このあたりは微妙だが)。
要するに、現状においては別に問題になることは無いのである。 ただ、今度やろうと思っている株の顧問をどういう形にするかが悩ましい。 結婚した後に妻を代表取締役にして、自分は投資システムのノウハウだけを提供して運営には関わらない、 という形しかない。名義が別でも実質的な経営者と看做されると駄目という規定もあるので、 必要ならば誰か親しい人を役員に加えてその人に運営を任すという形にする (妻だけで運営している言うと少し説得力に欠けるので)。 自分は役員にも従業員にもならず、無報酬ということなら許可を得る必要も無いが、 その場合、役員報酬で節税するという手が使えないのが痛い。 それに、会社が儲けた金を自分の個人資産に転換する手段が無い。 株主配当を実施すればいいが、法人税と分離課税の二重取りされるのもアホらしいし。 まぁ、妻の資産と会社の内部留保から金を借りて自分の相場を張ることは出来るし、 車関係の費用や家賃や飲み代もいくらかは会社の方から出せるとは思うが。

今回の件については、くだらん事をしてくれたという思いもあるが、 将来的にはいずれはバレる話なわけで、 問題の起きない形にしていく切っ掛けになったという点では良かったと、 前向きに考える事にしよう。



2008年6月16日

仕事で高速フーリエ変換についてレクチャーした。 工学分野ではパッケージや専用チップを使っている人は多いだろうけど、 案外、ブラックボックスとして利用しているだけで、 アルゴリズムの仕組みまでわかっている人は少ないのではないかと思う。 まぁ、仕組みを知ったからといってすぐに何かに役に立つとは限らないのだが、 仕組みを知ることでクセもわかり、応用に対する勘が働くということもある。
これは相場のテクニカル指標についても同じで、 理論を知らずに単に計算式を入れて計算するだけでは、指標のクセもわからないし、 改造したり組み合わせたりしてもトンチンカンな事をしてしまう可能性が高い。



2008年6月15日

なんか税務署から予定納税をしろという書類が来た。 良くもまぁ、こんなに支払いが続くものである。 しかし福岡のときはもっと納税していたのに、予定納税なんて無かったけどなぁ。 地方によって違うのか。

明日、仕事で使う資料を作るのに一日費やした。夜になって完成。



2008年6月14日

まこりんさんが地元に招いてくれたので、てんおうさんと二人で遊びに行き、 美味い寿司をご馳走になった。氷見で取れたばかりのマグロがもちもちしていて絶品だったなぁ。
その後は金沢に移動してキャバクラとニューハーフバーを梯子した。 キャバクラでは偶然、女の子の現実を垣間見てしまう出来事があり、 人それぞれ固有の人生があり、それぞれに大変なんだという当然のことを改めて感じた。
最後に、てんおうさんと蕎麦を食ってタクシーで帰宅。楽しい一日だった。 まこりんさんにはいつもお世話になる一方である。氷見うどんも、ありがとうございました。

今日も感じたことだが、生きているからには美味いものを食べないといかんなと思うこの頃である。 このあたりの感覚は歳とともに変わっていくのだろう。 若い頃はずっと、相場の種銭を捻出するために節約ばかりしていて、 パンの耳を一袋20円で買ってきて油で揚げたりハチミツを塗って焼いたり、 スーパーの半額タイムサービスを狙ったり(これは今でも狙っている)、 納豆キムチ卵ご飯で何日も暮らしたり、住居は風呂無し共同トイレの六畳一間、 旅行は良く行ったが、移動の基本は実家の車か鈍行乗り継ぎか夜行バスで宿泊は車中泊か野宿、 という感じであった。 これがまず、時間が貴重になってきたことから移動が新幹線や特急になり、 夜はちゃんと寝たいので夜行バスは止めになり、旅行はホテルや旅館に泊まるようになり、 自宅も広い住まいの開放感を知ったことで最低でも二部屋ないと満足できなくなってしまった。
昔は、女性のいる店に酒を飲みに行って高い金を払う人の気が知れなかったのだが、 今はそれなりに面白さがわかるようになってきた。 思い返すと、更に昔の学生時代には、友人と家飲みが基本で、 外で飲むこと自体がもったいないという感じだった。 外と言っても、鴨川デルタや大文字山の頂上などの野外ではよく飲んだものだが。
今のところはまだ、良いホテルに泊まったり新幹線でグリーン車に乗ったりする価値はわからない (生まれてからグリーン車なるものには乗ったことがない)が、それも歳とともに変わってくるのだろう。



2008年6月13日

別荘のウッドデッキを自作するかどうか考え中。 当初は建築屋さんに頼む予定だったのだが、急ぎの仕事が入ったので10月以降になりそうだという。 それなら、台風のシーズンも過ぎているし、ビーちゃんの旦那さんと何回かに分けて自作した方が良いかなと。 強風で飛ばないように、基礎はコンクリートでしっかり固めないといけないだろう。 色々とやらねばならない事が多いな〜。でも楽しみだ〜。



2008年6月12日

秋葉原の無差別殺傷事件に関して死刑制度の是非が議論されている。 個人的な意見では、現状の死刑制度については問題が多いと考えている。 一つは冤罪の問題である。どんなに完璧な捜査をしても、 冤罪というものはある一定の確率で発生するものであり、それは死刑においても同様である。 冤罪の場合でも生きていれば再審請求などで無罪となり、名誉が回復する可能性があるが、 死んでしまえば本人にとって意味がないし、取り返しがつかない。 無実の人間を殺してしまうというのは有ってはならないことであるから、 死刑を適用するのは、今回の事件や附属池田小学校の事件のように、 事実認定に100%疑いの無い場合に限るべきである。 事実認定にわずかでも疑いのある場合には、仮釈放の無い終身刑を導入するのが妥当だと思う。
死刑の抑止効果についても議論があるようだが、個人的には、 死刑よりも、仮釈放の無い終身刑で一生重労働させる方が抑止効果が高いと思う。 今回の事件でも、一生重労働させられるなら犯行には及ばなかったのではないか。



2008年6月11日

車の修理に目処が立ったと連絡があった。バランスがガタガタに崩れていたのを、 プロペラシャフト、シフトリンケージ、クラッチと、完全にバランスを取り、 ホースなどの傷んでいる所は全部取り替え、他にも色々と手を入れてもらい、 車検も通してもらうことになり、合計65万ほどかかる事になった。 高いけど、まぁー、しゃーない。26年前の車だしね。

車のためにシャッター付きのガレージを探しているのだが、 自宅を中心として半径5kmくらいの範囲まで自転車でくまなく探しても見つからない。 300万くらいの小さな売地を見つけたので、そこを買ってガレージを建て、 残りのスペースにプレハブでも建てて今度設立する会社の事務所にするという手もある。 しかしその300万が捻出できん。金貨と白金貨を売れば良いのだが、 金沢はずっと住むかどうかわからないので、土地を買ってしまうのは抵抗がある。
職場へ行く途中に、廃屋が建っていて雑草が茂りまくっている土地があるのだが、 土地の持ち主に頼んだら貸してくれないだろうかなぁ。 そのまま放置しておくくらいなら月5000円でも1万円でも入った方がいいと思ってくれるかもしれない。 そのうち問い合わせてみよう。



2008年6月10日

クラックを落とした。 ここ数日、ストップ幅の違いで発生した仮想的な利益を現実利益に転換することができた。 それにしても、売買のやり易さという点では、大玉を振り回すのに比べて小資金の売買は天国のようだ。



2008年6月9日

職場でネットワーク障害が発生し、対応に大わらわらわら。 ネットワークがどこまで生きていてどこから死んでいるか、あちこちチェックして回り、 夜遅くにようやく復旧させることができた。結局、HUBの故障だったのだが、 色々と事態が分かり難くなる要因があって時間がかかってしまった。

申告分離の分の住民税の請求書が到着。憂鬱だ。 昨年、損益はマイナスなのに4000万ほど帳尻益を出してしまったのが悔やまれてならない。 正直、住民税のこの金額はキツい。



2008年6月8日

またネット上を見てみると、相場の大事な話をバラし過ぎという意見がちらほらあった。 実はオフ会の時にもそういう意見を聞いた。 まず、自分でも自覚している、明らかに口を滑らせた箇所が一ヶ所ある。 それとは別に、セミナーで話した現物の繋ぎと鞘の話は、 以前ならどれだけ金を積まれても話さなかったことである。 これは、知っている人は相場の常識として知っているが、なぜかみな、他人には教えない話なのである。 林先生の本でも羽根さんの本でもぼかしてある。 自分自身、相場を始めてから3年間ほどずっと疑問に思っていて、 現物を扱う人と話をした時に、その会話がヒントになって気が付いたのである。 つまり理解するのに3年かかっている。
でもまぁ、自分自身がもう期近を触るつもりが無く、 システム売買と期先中心の鞘だけで取っていくつもりなので、 このあたりの話は全部、明かしてしまっても構わないと思っている。 自分にとって、現在、秘密にすべきものはシステム売買のノウハウの中核のみである。 後はどうでも良い。今さら職人の世界でもないしね。

数社からセミナーの話が来ている。正直、今回のUSSひまわりでの話は過去の自分を振り返るという内容で、 言ってみれば一回限りで、何度も出来るような話ではない。何度も過去を振り返っても仕方が無いわけで。 そうなると今後、出来る内容といえば、エクセルでのシステムの作り方講座みたいな感じしか思いつかない。 そもそもそういう内容なら、別に自分じゃなくて他の人でも出来そうであるが。 しかも自分のシステムの仕組みは絶対に明かせないので、 適当に考えた(成績の悪い)システムを実例として取り上げることになる。 あまり気が進まないな。

相場師なら相場で取るのが本道で、セミナー屋さんにはなりたくないものである。 セミナーも顧問も、自分の相場でちゃんと取ってこそ。 そういう意味では、現在の自分の状態には少なからず忸怩たる思いを禁じえない。



2008年6月7日

今日はUSSひまわりの大阪講演である。最初にUSSひまわりの宣伝をしたが、 あまり何を言うか煮詰めてなかったので少し言葉に詰まってしまった。 正直、かなり難しい。自分自身、取引環境はネットトレードで、手数料が安くてシステムが安定していて、 会社にそれなりの財務的信用があればそれで十分なので、対面の宣伝をするとなると…。
ざっと要約すると、USSひまわりさんは、ひまわり証券の時代から、 鞘取りに力を入れたりホームページに色々と相場関係の資料を載せたりなど、 委託者のニーズを探りながら良いものを提供しようという姿勢が感じられるし、 昨今、USSひまわりの方針として、テレコールを全廃してセミナー営業に切り替えたのも、 お客を大事にしようという考え方が根底にあるのだと思う、みたいな感じの話をした。 しかしまぁ、手数料を振らないと会社が立ち行かないのも事実だし、外務員の能力にも依るから、 いくらお客を大事にしてもそのお客さんが儲かるかどうかは別問題だけどね。

セミナーの内容は、相場に対する影響度のあたりがちょっと詰めが甘かったような気がするので、 次には改善するとしよう。後は比較的、全体として筋は通っていたと思う。 自分は逆張りで取ってきたという話から順張りシステムの話に入り、 そのレバレッジとドローダウンの話から、最終的に、逆張りでも順張りでも、 自分が狙ってきたような年間100%以上の利益率を叩き出すには、 ある程度の破綻リスクが発生するのは止むを得なかったのではないか、 という結論に持って行く流れである。 まぁ、世の中には安定して倍々ゲームで資金を増やしている人もいるようなので、 そういう人たちに比べたら、自分の限界はこのあたりですと言っているようなものだが。 今までの経験から考えると、自分にとって安全に稼げる限界は、小資金の場合は年間50%、 億の単位になると25%という所だろう。

講演会の後はオフ会が開催された。幹事のさやえんどうさん、ありがとうございました。
参加者は、さやえんどうさん、じゅんさん、京蘭菊さん、パスハンターさん、すみれさん、 ぽんすけさん、聖子さん、さかなやさん、勉強中さん、アラさん、 カルロさん、プットさん、TGさん、ニワトリさん、802020さん、 USSひまわりのMOさんとMWさんとミチルさん、それに自分の19人であった。
今回、特筆すべきことは参加者19人の中に女性が3人もいたことである。 通常、オフ会をやっても女性が参加を希望してくることは稀だし、 それ以前に、たぶん平均すると商品相場界の男女比は30:1くらいだと思う。 学校の一クラスに一人か二人という感じか。それだけに、今回の現象は珍しい。
すみれさんが、商品は定期預金のようなつもりで始めたというのを聞いて、 時代は流れるものなのだなと実感した。ある年齢層以上の人はみな焼畑農業的な客殺し営業を知っていて、 あまりにもその悪評が酷いために預かりも伸びない。 しかし着実に、商品業界のそういう過去を知らない世代が増えてきているということである。 こういう人達を大事にしないと、この業界に未来は無いだろうなぁ。 一度出た悪評を払拭するには何十年もかかる。FXがあれだけ爆発的に伸びたのは、 新しい投資対象であるために過去の悪評が無かったことに尽きる。

オフ会の後、出目のろっぽさん達と飲む予定だったのだが、 予定外に一次会が長くなったので(同じ店で5時間くらい飲んでた)、途中で合流。 その後、解散した後に別の店で1時くらいまで飲んだ。



2008年6月6日

セミナー資料にいくつか項目を追加した。 名古屋のセミナーで、順張りと逆張りについての質問が出たので、 それに対して自分の考えをまとめたスライドも追加した。

仕事を早めに終わらせて関西へ移動。 梅田で洋士さんとエースさんと飲んだ。



2008年6月5日

貸付金が少し返ってきそうである。全体の金額からするとわずかだが、 現在の少ない資金にとっては、100万でも200万でも非常に助かる。

ところで、相場に関係して金を貸してくれと言われるケースだが、これにはいくつかパターンがある。 まずは追証を何とかするために金を貸してくれというもの。 これは論外で、絶対に貸さないし貸しても100%返ってこないと思う。
次が、相場で資金を飛ばしてしまって建ち玉は全て清算したが、 どうしてももう一度チャレンジしたいので金を貸してくれというもの。 この場合は、その人の相場の能力、兼業か専業か、付き合いの程度などを勘案して、 貸したり貸さなかったりした。 このパターンの場合、相場とは別に本業がある人は、 相場で取れなくても本業の収入からちゃんと返してくれることが多いが、 専業相場師の場合はやはり滞りがちになる。 どちらにしても、いずれはきっちり返してもらうつもりだが。
一番困るのが、職場の金を使い込んだり既に (電信柱にビラが張ってあるような)やばい所から借りたりして相場に注ぎ込み、 最後に破綻して足を出したりして、どうしようもなくなって貸してくれと言ってくるパターンである。 これはほぼ確実に返ってこないのだが、貸してくれないと一家心中するしかないとか、 貸してくれないなら今から事務所で首を吊って保険金で何とかするとか、 そういう事を言うので本当に困ってしまう。結局、貸してしまう。 これはもう、脅迫されているようなものである。 自分が金を貸さなかったとしても、本当に一家心中したり自殺したりする可能性は低いと思うし、 口だけだとは思うのだが、万が一、本当に死なれたりすると一生寝覚めの悪い思いをすることになる。 そんな事が起きたら相場も嫌になって止めてしまうかもしれない。 実際、自分の直接の知り合いではないが、 相場が原因で首を吊った人の話は何回か聞いたことがある。
だいたい、金を借りる人はすぐ死を口にするので嫌になってしまう。 相場に再チャレンジするために貸してくれという場合でも、 返せなくなったら保険金で清算するから安心してくれ、などと言う。 そんなんで返してもらったって何も嬉しくないのだが。 自己破産したり夜逃げしたりして周りに迷惑をかけるよりは潔く死んで清算するという、 美学みたいなものがあるのかもしれないが、 金銭面以上に精神面で迷惑をかけることになるというのが分かっていない。 個人的には、人の生き死には神の領分であり、 それを勝手に換金するような行為は冒涜に他ならないと思っている。
何億も持っていた時にはそういう話が多くていい加減うんざりしていた。 現在は資金も無くなって誰もそういう話を持ってこないので心安らかにいられるが、 今後また何億と稼げば再び同じような事態になるのは目に見えている。 そこで、万が一、今後、相場関係で金を貸す場合には、 相手の名前、貸付金額、返済状況などを全てホームページで公開させてもらう事にしたいと思う。



2008年6月4日

別荘は順調に建設が進んでいるようだ。 ただ、いくつか考えねばならないことがある。水はけの問題と、土留めの問題である。 現在、別荘用地の端の方で谷側にかけて土地の勾配が出来ている状態である。 恐らく豪雨が来たりすると土が流出してしまうので、 擁壁なり石積みなりをして対処しなければならない。
最初はコンクリートブロックを鉄筋で繋いでコンクリートを流し込もうと思っていたのだが、 調べてみると強度が著しく悪いのと、十分な基礎が確保できないので難しいようである。 色々と調べてみたが、ちょっと素人の手には余るので業者に頼むしかないように思う。
次に水はけの問題であるが、現状だと雨が降ると玄関周りが池になりそうなので何とかしなければならない。 ヘチマロンを埋めようかと思っているが、水をどこに流すかによって、 土留めの問題や道路側の整地の問題とも関係してくる。 とりあえず今月下旬に一度現地に行って、現場を見ながら考えることにする。



2008年6月3日

早いとこシステムを実際に稼動させないといかんなぁ。 為替は成績が悪いけどティックで分析すれば行ける筈なのでその分析もしないと。 株の分析もやらないとなぁ。
セミナー資料を作るときに、 止めてしまったゴム指数システムを当時のままのアルゴリズムとパラメータで運用を続けていたら、 現在まで綺麗な右肩上がりの損益線になっていることがわかってショックを受けた。 これだけやってりゃ大儲けだったが。

そういやセミナーで、常にパラメータを変化させて最適なものを選ぶやり方について質問があった。 カーブフィッティングの問題点は、 人間の恣意的な選択で過去データの成績が良くなるパラメータを選んでしまい、 その成績が未来にも継続すると思ってしまうところにある。 つまり、カーブフィッティング自体が悪いのではなく、 未来の収益を過大に評価してしまう点が問題なのである。 しかし、例えば常に直近3ヶ月のデータにカーブフィッティングするというルールを作り、 そのルールの下で過去何年にもわたって検証すれば、収益の過大評価は避けられることになる。 こうして求めた成績は、当然、パラメータを固定したものに比べて悪くなる (過去を基準に考えると、パラメータ固定が結果的に未来にかけて成績の良いものを選んでいるのに対して、 フィッティングしながら運用する方法は未来の情報を使っていないため)。 元々本来の目的が、成績の正確な把握と、 本質的に儲からない銘柄や相場付きの変化で最適パラメータが変化した銘柄に対して、 損失をダラダラ流し続けることを無くすためなので、 見かけの過去検証成績が上がるということは無いのである。



2008年6月2日

晩まで仕事。

ネット上を見るかぎり、講演会に対する反応は様々なようだ。 先物探花と芳名録を見ていれば既に知っていることばかりでした、 と言われてしまうと困ってしまうのだが。 有料無料問わず、儲けに直結するような情報はセミナーなんかで提供されることは無いし、 ヒントになるような情報で公開しても良いと思っているようなものは、 セミナー以前に既にサイトで書いているので、何か隠し玉を期待されても困ってしまう。
まぁ、隅々までサイトを読んでいる人ばかりでもないし、 秋山という人間の実物を見るのが目的の人もいるだろうから、あまり気にしても仕方が無いのだが。 でも、もう少し相場の勘所みたいな話を考えて追加してみようと思う。



2008年6月1日

せっかくなので名古屋でどこか見て行こうと思い、名古屋駅からテクテク歩いて産業技術記念館へ。 ここはトヨタグループが運営する博物館で、トヨタ発祥の地であるトヨタ紡織本社工場跡地に建っている。 内容は大きく分けて、繊維や織り機の歴史、豊田自動織機、 それに現在の最新技術などについて展示する繊維機械館と、 トヨタ自動車を中心に自動車について展示する自動車館に分かれている。 どちらも非常に見応えがあった。 昔から現在に至るまでの技術者の技術に対する執念の凄まじさをひしひしと感じた。 織物の途中で糸が終わったときに、自動で端をほぐして別の糸と撚り合わせて繋げる仕組みとか、 アクチュエータが自動車のボディーに細長い楕円形の穴を開ける様子とか、 その機構の精度と素晴らしさに背筋がゾクゾクした。技術には夢があるね。
自分の人生はどちらかというと、ハードは回路設計くらいで後はソフトウェア中心なのだが、 こういう機械系の技術にもワクワクする。 もちろん、今の技術は機械系の技術に電気回路にソフトウェアに制御理論まで、 ありとあらゆるレベルの知識の結晶なわけだから、 プリミティブな技術単独では意味がないのは言うまでも無いが。

金券ショップで名古屋から金沢までのチケットを買い、金沢に帰ってきた。 この切符、米原まで新幹線に乗ることもできると書いてあったので、それならと新幹線を使ったが、 米原に止まる新幹線自体の本数が少なく、条件に合う列車が来るまで1時間近く待たされた。 米原でしらさぎに乗り換えると今度は満席で座れず。 こんな事なら名古屋からしらさぎに乗っておけば良かった。
それにしても、名古屋は景気が良いみたいだったなぁ。



2008年5月31日

しらさぎに乗って名古屋へ。名古屋駅から徒歩でUSSひまわり名古屋支店へ。 USSひまわりのYさんと昼ご飯をご一緒してから会場へ。かなり人が入っている。 最前列になおちゃんが座っていた。
講演は滞りなく終了。特にリハーサルもせず、作った資料を見ながら思いつくままに話したので、 かなりたどたどしい部分があったと思う。本業のプレゼンでもたまにやってしまうのだが、 一人称を僕と言ってしまったのが何回かあり、気をつけねばと思う。

講演後は世界の山ちゃん納屋橋店で名古屋オフ会。参加者は、そねっちさん、夢追い人さん、 文宣さん、なおちゃん、ユウさん、薪人さん、採鉱技師さん、コウさん、Spreadさん、ダブリューさん、 デカさん、春花さん、USSひまわりのYNさんとKMさん、それと自分の総勢15人。 相場のオフ会は、自然と盛り上がるから幹事をしていても非常に楽である。 気がつくと時間が過ぎている。みんな普段から相場について色々と考えていて、 しかしリアルではあまり相場の話をする機会が無く、それがどっと溢れ出てくる感じだ。 自分にとって今回のオフ会のトピックの一つは、そねっちさんとお会いしたことである。 そねっちさんとは実は相場を始めたとき以来の知り合いなのだが、 チャットで話をしたり掲示板でやりとりしたりするばかりで、リアルで会ったことは無かったのである。 会ってみると想像通りの人であった。 そねっちさんには婚約祝いにペアのマグカップを頂きました。ありがとうございます。
二次会は近くの居酒屋へ。なんか、あり得ないくらい安い店だった。 焼酎一升瓶のボトルキープが680円とか。
あっという間に11時になり、駅前で解散。気分良く酔っ払ってふらふらしながら、 少し迷ってホテルに到着。風呂に入って寝た。 楽しい一日であった。



2008年5月30日

引き続き講演会の準備をする。パワーポイントで54ページになった。 本業でプレゼンする場合は、ある程度はスライドの枚数で時間が読めるのだが、 今回に関しては、時間に対して内容が多いのか少ないのかいまいちわからない。 そのあたりは実際に講演しながら判断するしかないだろう。



2008年5月29日

講演のスライドを準備中。自分の過去の売買を手法ごとに切り分けているが、 手法ごとのポジションの管理は机上で行っていて、実際には差っ引き分しか建てていないので、 切り分けに非常に苦労している。 例えば、ゴム指数の鞘縮小狙いのポジションを先と2番限で仕掛けて、5番限と当限に回っている状態で、 システムの買いサインにより5番限の売り玉を仕切り、システムの仕切りサインで先限を新規に売る、 なんて売買をしている。この場合、鞘取りとシステムを切り分けるには、 実際は売り玉は仕切ってしまって無いけど、両建てになっている仮想的なポジションを考えて分けるしかない。 しかし同時に鞘取りの5番限が先限に乗り変わっているので、その処理も考えないといけない。 最後の方になると、例えば原油なんかは、インフレヘッジ、クラック、原油粗糖鞘、原油ゴム鞘、 など、色々な売買の差っ引きなので更に面倒になる。

\enSPAの記事は、6月号は紙面の都合で掲載できず、次号になるらしい。



2008年5月28日

東京税関成田税関支署が、 麻薬探知犬の訓練のために一般旅客のスーツケースに大麻124グラムを隠し、 どの客に隠したかチェックし忘れて紛失したという信じがたいニュースを読んだ。 大麻はその後、無事に回収されたらしいが、 そういう訓練を行うことは大麻を隠された当人には全く知らされていなかったらしい。 その客が、そのまま別の国にトランジットしたらどうするつもりだったんだろうか?  麻薬を所持しているだけで死刑になる国もあるというのに。 それに、鞄に大麻の匂いが着いたら、今後あちこちの税関で止められる可能性もある。 アルバイトを雇ったり他の税関の職員に頼んで客の振りをしてもらえば良い話なのに、 わざわざ一般客を勝手に危険な実験台に使う理由は何なのか?  単に面倒だからという理由しか考えられない。 あまりにも安易というか思考停止というか、やって良いことと悪いことの区別もつかないのかと。 モラルの低下もここまで来ると悲惨だな。



2008年5月27日

アクセス解析で、職場からの調査と思われるアクセスを発見した。 一番最初にプロフィールのページに直接アクセスしているところから、 これは恐らくメールからのリンクだと思われる。 プロフィールおよび写真館と、なぜかオフ会情報のページだけが調査されている。 技研の方は外から読めるページは一通り読まれている。 一時間ほどの調査だが、日記や掲示板や芳名録は読まれた形跡が無い。 調査時間の短さ、日記の内容で本人確認をしようとしていないこと、などから、 おそらく例のメールは、本名を名指しで相当断定的に書いてあったものと推定される。

誰だかわからない(恐らく悪意を持った)人間が自分の個人情報を持っていると考えると、 ちょっと気持ちが悪い。住所まで知られているなら相当嫌である。

2chで、自分がやったと公言している人がいたので、 本当にその人の仕業かどうか証拠を掴むために別人の振りをして賞賛するメールを送ってみたが、 反応を見るかぎり、どうやら違ったようである。 しかしこれが違っているとなると、いよいよ犯人がわからない。 何億も儲けている時ではなく、なぜ資金を飛ばした今になってそれをやるのかも良くわからん。 講演で小銭を稼いだって知れてるわけだし。もしかしたらNON大豆で飛ばした人かなぁ。 自分は提灯をつけて借金が残って苦しんでいるのに、 秋山はのうのうと講演なんかやって偉そうにしやがって、という感じだったりして。

結局のところ動機は、嫌がらせをして楽しむか、妬みくらいしか思い付かないのだが、 それでダメージを受けたかというと、精神的なダメージはそこそこ食らったが、 物質的にはそれほど大きなダメージにはなりそうも無い。 実際、会社の経営に関与するとか役員になるとかすると問題になる場合があるようだが (ただし実家の家業の役員になるとか、事情がある場合は事前に許可を得ればOK)、 単に相場を張ったり、講演してその都度、謝金をもらうのは問題にはならないようである。 だから件のメールのせいで減給になったりする事もないし、元々、雇用形態は裁量労働制で、 毎日8時間以上働きさえすれば休憩時間などは自分の判断で取れるので、 日中に仕事以外のことをしていたとしても休憩時間であると主張すれば問題にはならないし、 最近は本業でもファイナンス関係にコミットしていて、 資料収集のため仕事の一環として株のサイトにアクセスしたりしているので、 仮に職場のネットワークから商品のサイトにアクセスしたとしても、 それも資料収集のためと言えば問題になることは無い。
以上のようなわけで、別に実質的なダメージは無いと思われるのだが、 ずっとハンドルネームを使っているのは、職場で結果が出ないときに、 副業が忙しいから手を抜いているんだろうと思われるのが嫌なだけなのである。

いずれにしても、久々に気の悪い話である。 運気の法則から考えると、犯人は簡単には回復できないくらい運気が落ちたと思われるが、 実際どうだろうなぁ。



2008年5月26日

職場で上の人の部屋に呼ばれた。呼ばれた時には何の用事か全くわからなかったのだが、 「あなた、秋山昇というハンドルネームで相場技研というのをやっているというのは本当ですか?」 と言われてびっくりしてしまった。 どうやら職場にメールが送られてきたらしい。 このサイトの事や相場技研の事やUSSひまわりでの講演の事を聞かれた。 相場技研については、友人の個人事業のサイト運営を時々手伝い、その度に謝礼を貰ったことがある、 と言っておいた。 一緒にいた事務の人に、また詳しく事情を聞くかもしれませんので、と言われて退出した。

最近、露出が多くなってきたので、いつかこういう事になるという気はしていたが、 いきなり職場にメールを送りつけられるというのは想定してなかったので動揺してしまった。 相場関係者でも信頼できると思った人には職場の話はしているので、 そういう人から又聞きして漏れた可能性もあるし、サイトに公開している情報だけからでも、 素性を探り出せる糸口は、自分が気付いているものだけで3つはある。 一般の人には難しいかもしれないが、興信所にでも頼めば一発で調べてくれるだろう。 それか、元から自分のことを知っている本業の同業者が、何かのきっかけで気付いたのかもしれない。

とりあえずサイトの内容を少し縮小した。ほとぼりが覚めたらまた復活する予定。



2008年5月25日

午前中に出発し、昼過ぎには長崎空港に到着。伊丹空港へ。 鳴門大橋が見えた。渦までは見えなかったが、海面が波立っている様子は観察できた。 関西空港、仁徳天皇陵、大阪城、梅田のビル群、淀川を視界に入れ、着陸体勢へ。 それにしても、空から見ると大阪の街の混み具合はやはり異常だな。
空港で解散し、新大阪へ。雷鳥に乗り金沢へ帰ってきた。なんかえらく移動した気がする。



2008年5月24日

彼女に連れられ、色々な人に挨拶に行った。 商店街をぶらついていたら、お店のレジのおばさんが彼女の知り合いだったり、 道端で苗を売っているおばあさんが彼女のことを知っていたり、 さすが田舎は人間関係が濃いと思った。知り合いの知り合いまで含めたら全ての人が繋がるのでは?  自分の育った関西の新興住宅地では考えられんな。 彼女が地域のみんなに可愛がられて育ってきたというのもあるのだろう。
晩はお寿司をご馳走になった。海が近いだけあってネタが新鮮で美味しい。

USSひまわりの講演、目次および説明部分の概略は出来上がった。 後は、自分の過去の売買履歴から売買譜を取り出したりグラフにしたりという作業が残っている。 実はこれがかなり面倒である。仕事も相変わらず忙しいし、来週は週末まで修羅場かも。 何とか名古屋講演が終われば、大阪、福岡、東京と同内容なので楽にはなるのだが。



2008年5月23日

彼女と伊丹空港から飛行機に乗り、長崎空港へ飛んだ。 バスなどを乗り継ぎ、彼女の実家の港町へ。彼女の祖父母や親御さんに挨拶し、晩御飯をご一緒した。 特に何があったわけではないが、やはり結構かなり気疲れした。



2008年5月22日

午後から関西へ移動。 USSひまわりグループのYさん、Hさん、Kさんと打ち合わせ。その後、美味しい串揚げをご馳走になった。 最近、酒を控えていた所だが、焼酎がついつい進み、結構酔いが回ってしまった。 Yさんには講演後の名古屋オフに参加して頂くことに、 Kさんには東京講演の際に新橋のディープな世界を案内して頂く約束になった (忘れないうちに書いておく)。
USSひまわりさんはセミナー営業で生き残りを図っているようで、 ホームトレードも近いうちに始めるようだが、 全体の委託者数が増えない間は、どうやっても採算は取れないだろうと思う。 採算の取れない状態で5年間耐えられるならば、その後に花開くかもしれないけど、 5年後にパッと出た外資に全部さらわれる可能性もある。 厳しい状態なのは間違いないだろう。
実際、商品業界はもう、株式の資金が入ってこないとどうにもならないと思う。 証券の口座を開いたら商品も取引できるようになれば良いが、 そのためには商品取引所も金融庁の傘下に入らねばならない。 しかし経産省や農水省が利権を手放すとも思えず、現実味は無いか。 究極的には総合取引所構想ということになるのだが…。

今月14日の日記について、少年犯罪は増加していないのではないか、という指摘のメールを頂いた。 この問題については色々な見解があることは承知している。 統計的な数字だけを述べれば、少年による凶悪犯罪(殺人・強姦・強盗・放火の合計)は、 戦後ほぼ一貫して減少し、1970年代後半に一旦反発し(1978年2005件)、1980年代前半に山を作り(1981年2393件)、 1990年頃にかけて減少して戦後最低を記録(1990年1194件)、その後は急激に上昇し(1997年2430件)、 2003年まで年間2000件超のあたりで安定している。2003年は2424件で、 それ以降は2004年1803件、2005年1643件、2006年1395件と激減しているが、 傾向が変わったのかどうかは良くわからない。
さて、これをどう解釈するのかが問題であるが、少年人口は一貫して減少しているので、 少年10万人あたりの犯罪件数を考えると現在に近いほど上方向に補正されることになる。 更に、検挙率も大きく低下してきているので、 それを考慮すると実際の件数は検挙された件数よりもハイペースで増加していると考えることもできる。
ただ、この検挙率の低下についても色々な意見があるようで、 昔は門前払いしていた被害届けを受理するようになったからだ、とか、 不況になって小さな被害でも被害届けを出すようになったからだ、など、実際の犯罪件数には関係ない、 としている人たちも多い。個人的には、そういう側面もあるかもしれないが、 ある程度は統計を素直に考えても良いと思っている。 ちなみに警察自身は、隣人関係の希薄化で捜査情報が得難くなったため、などと言っている (つまり検挙件数あたりの実質的な件数は増えているという立場)。
さて、検挙率が信用できないならば、別の参考になる数値として、 全年齢の凶悪犯の検挙件数に占める少年凶悪犯の検挙件数、いわゆる少年比がある。 この比率を見るとこれはここ20年ほど増加傾向にある。 つまり、全体の凶悪犯罪の数が一定ならば少年による凶悪犯罪は増加していることになる。 この結果に対しても、これは成年凶悪犯が減少したためであり(確かに検挙件数は減少している)、 必ずしも少年凶悪犯が増えたことを意味しない、と言っている人もいる。
要するに、統計数字をどう解釈するかによって、どのような結論でも導き出せるということである。 ざっと見たところ、政府や警察関係者には増加していると考えている人が多く、 ネット上や一部の知識人と呼ばれている人達には増加していないと考えている人が多いようである。 自分は、やや増加しているのではないか、という感触を持っているが、 多分これは現在発表されている統計情報では結論が出せないと思われる。



2008年5月20日

朝から晩まで仕事。疲れが溜まっている。

液体窒素に素手で手を突っ込んでも一瞬なら大丈夫というのを初めて知った。 手を入れると、手の熱で窒素が気化し、皮膚の表面が窒素の気泡で覆われて不思議な感覚である。 ただし、危険なので専門家が居ない所ではやらないように。

相場の税金と競馬の控除率の違いについて。 相場の税金は一年のトータルにかかってくる。それに対して競馬の控除は毎回の勝負にかかってくる。 これは非常に大きな違いであり、パーセントは同じ(馬券は単複の20%を想定)でも、 競馬の控除の方が相場の税金よりも圧倒的に厳しい。 昔は競馬の研究もしたが、この控除システムのせいで、商品に比べると競馬は尋常ではなく難しい。
さて、毎回スプレッドや手数料を合わせて5ティック程度の不利を被りながら20ティック程度の利幅を取ろうとしているFXトレーダーや、 1枚300円〜500円程度の手数料でガソリンの50円幅程度を取っているデイトレーダーは、 競馬の控除と同じようなレベルで不利を被っていることになる。つまり尋常ではないくらい不利である。 よほど有利な手法を持っているなら別だが、そうでないなら、ジリジリ負けていくか、 もしくは玉操作で何とか凌いでいても、いずれは破綻が訪れる。
有利な手法を持っているなら別だと書いたが、相場の世界では、短期間の動きほどサンプルが蓄積しやすく、 対策も立てられやすく、織り込まれやすい。 その結果、短期売買になるほど大抵の手法は既に陳腐化して使いものにならないのである。
そんなわけなので、移動平均かなんかの一般的な指標を見ながらの感覚売買でデイトレの小幅狙いなんかしてる人は、 ほぼ確実に儲からないというのがすぐにわかるのだが、 そういう当たり前の事をわかっていない人が案外多いのである。 まぁ、競馬でも継続して儲けている人はいるみたいなので、ほぼ確実に儲からない、とは言っても、 絶対に儲からない、とは言わないが。



2008年5月19日

仕事で疲労困憊。午後から、まず100人弱を相手に話をし、 その後に別の仕事で3人で4時間ほどぶっ続けでディスカッション。 帰って倒れるように寝た。人間相手の仕事は精神力のせめぎ合いである。 ある程度の内圧で常に風船を膨らました状態にしておかないと潰れてしまう。

個別株において自分のシステムの成績が良いのは、結局、売買金額が多くて活況な銘柄であり、 売買の低調な銘柄は総じて成績が良くない。 というわけで、売買代金を市場の合計時価総額で割った比率の中期平均を求め、 これを元にスクリーニングして銘柄を選択すれば良いかもしれない。 あと、現在上場している株式は上場廃止にならなかったものだけが残っており、 いわゆる良い銘柄だけが残っているわけで、 正確な検証のためには、既に上場が廃止された銘柄についても調べなければならない。 極めて面倒な話である。今月中は忙しいので無理だな。



2008年5月18日

作成したシステムについて、日経平均先物は駄目だったが、個別株ではどうだろうかと調べてみた。 東証一部上場銘柄から適当に、まずソニーを選んだら結構成績が良かった。 味をしめて、トヨタ自動車、松下電器、明治製菓、NTTドコモなど、 適当に試してみても良くない。なぜにソニーだけ、と思いつつ他にも試していると、 ソフトバンクでヒット。 これはちょっと本格的に調べてみないといけないと思い、 東証一部の貸借銘柄全て(1000以上ある)について、 Yahooファイナンスから値段データを自動でダウンロードして検証にかけてみた。 ほとんどの銘柄は成績が悪く、徐々に売買サインが出なくなって小幅のマイナスになっているが、 10個に一つくらい大きくプラスになる銘柄があり、トータルでは利益が出るようである。 このシステムは株式市場全体の大きなトレンドにはあまり左右されないので、 銘柄が多い分だけ分散効果が高く、これは投資のもう一つの柱として検討してみるべきかもしれない。 ただ、現状では多銘柄に分散投資できるような資金が無いというのがネックだが。
ところで、ストップ高やストップ安では売買は不成立として検証しているが、 その判定の際に、今年の2月4日にソフトバンクが前日比301円高のストップ高になっていることに気がついた。 1500円以上2000円未満だと制限値幅は300円じゃないのか? なんで301円なんだろう。 株式は全くの素人なので、色々とわからないことが多い。



2008年5月17日

売買システムをほぼ完成させた(11日にも同じようなことを書いているが)。 恐らく未来永劫に通用する銘柄が存在するであろうと思われる、 ワンパラメータのトレンドフォローシステムを3種類 (独自指標を元にしたもの二つ+一般的な指標を一つ)用意し、 最適パラメータを自動で選び続けるようにした。 不適な銘柄や時期には自動的にサインが出なくなる。 内部要因による投げ踏みを取るのが本質なので、金や原油などはほとんどサインが出ない。 成績が良いのが、灯油、ガソリン、ゴム、白金、あとなぜか、銀も良い。 金や穀物や為替全般や日経平均先物は駄目である。 これらは内部要因の比率が低いのだろう。 小豆は1990年代後半までは成績が良いが、その後はいまいち。理由は明らかである。 逆に白金は昔はあまりサインが出てないが、ここ数年は成績が良い。
成績の悪い銘柄で運用していても、徐々にサインが出なくなって損失が抑えられるので、 (小豆のように)儲かる銘柄の性質が変化して儲からない銘柄になっても、 延々とマイナスを垂れ流すこともない。 たまに入れ替えたりして人気化している銘柄で運用すれば、 永久に年間30%程度の利益を計上してくれそうな感じである。 ごちゃごちゃとテクニカル指標を組み合わせてカーブフィッティングしたのではなくて、 システム作成の全ての段階に合理性があるのが良いところ。 後は、売買指示を出すアプリケーションを作らないといけない。 簡単なシステムならエクセルで作れるが、そういうわけにもいかない。

扶桑社さんから取材を受けた。¥enSPA!の6月号に載るそうだ。 なんか、取材の時、一か八かの勝負を連発して5億儲けた人、という感じで話してしまった。 いや、それで間違ってはいないんだけどね。



2008年5月16日

夕方まで仕事。今日は久しぶりに片町へ出た。 割烹で山菜の天麩羅やホウボウの焼き物などを頂き、その後はいつものお店へ。 丁度ボトルが無くなって一本入れたりしたので、結局、 今晩全部合わせると3万5000円ほどかかってしまった。高くつくなぁ。 しかし、良く一緒に飲みに行く人が、健康上の理由から飲酒にドクターストップがかかったので、 今後は飲みの頻度は少なくなる予定である。



2008年5月15日

久しぶりに街に出て、デパ地下で買い物したり、21世紀美術館に寄ったりした。 21世紀美術館ではロン・ミュエック展を見学。 極めて精巧な人物模型がいくつか展示されている。 本物の人間と見分けがつかないくらいなのだが、大きさは10mくらいから数十cmの人まで様々である。 あまりにリアルなため、ベッドに寝ている巨大な女の人の横に立つと、 自分が小人になったような不思議な気分になった。



2008年5月14日

六田登「ICHIGO 二都物語」全10巻を購入、一気読み。 この人の作品、どれもいまいち平板でぱっとしない印象だったんだが、これは傑作と言っても良いと思う。 内容は、少年の頃に人を殺してしまい、その強烈な経験のため、 人を殺すことでしか生きている実感を得られなくなってしまった連続殺人犯の生涯を描く、 極めて陰惨な物語である。 かなりダークなため、心の弱っている人は読まない方が良いと思う。
連載していたのは90年代初めなのだが、現在の少年犯罪の多発を予感させるような内容である。 そういえば数年前に、母親を殺害して少年院に入った男が、 母親を殺したときの感覚が忘れられずに再び殺人を犯すという事件があった。



2008年5月13日

午前中、何となく嫌な予感がしたのでポジションを仕切った。 午後、仕事の合間に少し値段を見てみると、案の定、大きく動いている。 そこで仕切った分を建て直した。おかげで7万ほど得をした。
伊達に毎日毎日8年間以上も相場を見ていたわけではない。 何となくという感覚は結構あなどれない。しかしそれに頼ってはいけないが。



2008年5月12日

航空券は在庫があり、伊丹〜長崎間を一人26250円で往復できることになった。

中国の四川省で大地震が発生。 ミャンマーのサイクロンといい、自然災害が頻発してるな。 そういえば神戸に住んでいた知り合いが、阪神大震災の数日前に、 ぞろぞろと移動するカメの集団を見たと言っていた。 こういう生物の異常行動は多いらしいので、何とか予知に結び付けられないものだろうかと思う。 生物が感じるんだから、何か測定可能な現象が起きている筈だと思うのだが。

朝から晩まで仕事。週の前半に仕事が集中しているので、週明けは少し憂鬱である。



2008年5月11日

システムはほぼ完成した。 自動でパラメータサーチをして成績の良いパラメータを選ぶ仕組みだが、 これって、元のシステムが何であっても適用できるな。 ただしワンパラメータのシステムに限られるが。 使えなくなったら自然とサインが出なくなるので、他にもアルゴリズムを作って同時に走らせようかな。 もう少し色々と検証してみよう。 まだ、複数銘柄で同時に運用した場合のドローダウンや最適投資率の計算ができてないので、 実戦投入はまだ先になりそう。 あと、現状ではサインを出すまでに結構時間がかかるので、 値段データの更新およびポジション計算も自動化しないと。



2008年5月10日

中村の土地の不動産取得税と固定資産税を納付せよというお知らせが来た。 自動車税の請求書も来た。細々と金がかかるなぁ。 不動産取得税については別荘の床面積が50平方メートル以上なので軽減処置が適用できるようだ。 今度、ビー宅の新築祝いに行ったときに手続きをするか。

長崎行きは、一社だけ格安航空券があるかどうか月曜日にわかる所があるので、 そこで手に入ればそれで、手に入らなければ小牧経由で行くことにした。



2008年5月9日

今月下旬に彼女の実家に挨拶に行くことになり、色々と経路を検討中。 大阪に寄らねばならないので、大阪から長崎へ行くことになる。 日程の都合で往復とも昼間の移動になるので、JRか飛行機という選択。 おともdeマイルを使えれば一人往復25000円で済む(1マイル=1.5円換算)のだが、 油断していたら、あっという間に残席が無くなってしまった。 小牧←→長崎なら残っているが、名古屋に出るのはやや面倒である。 格安航空券を何社かあたったが、売り切れの所ばかり。 JRで行くなら、金沢〜博多を正規料金で買い、大阪へは途中下車で対処し、 博多〜長崎は4枚切符を金券ショップで2500円くらいでバラ売りしているので、 それを使えば一番安く行けると思う。

資金を100万追加して430万ほどに増強した。



2008年5月8日

仕事で一日終わる。やらねばならない事は多いのに遅々として捗らない。



2008年5月7日

今日は朝一から仕事である。5時に起きて資料を作って何とか間に合わせた。 今月はプライベートでも色々予定が入りそうで、仕事と合わせて忙しくなりそうである。 USSひまわりグループの講演資料、早めに作らないと大変な事になりそう。



2008年5月6日

彼女がゼクシィを購入。この雑誌を買うのは幸せボケした女みたいで嫌だと言っていたが、 ウェディングドレスがどんな感じか調べるために買ってみたらしい。 しかしなんだ、この分厚さと重さは。しかもドレスの情報はほんの何ページかだけ。 まぁ、ドレスなんて数万円から数十万円の単位だけど式場は桁が一つ違うから、 経済原則からいって内容が式場中心になるのはわからんでもないが。 この雑誌、定期購読もあるらしい。誰がそんなん申し込むんやろ。 式場も新婚旅行も指輪のブランドも新居も既に決まっているから、 決めるべきことはそれほど残ってない。でもまず日取りを決めないといけないけど。

彼女のパソコンのWindows updateをしていたら夕方になってしまった。 理由はわからないが、時々ウンともスンとも言わなくなる更新にぶち当たり、 その度に別個にダウンロードしてセーフモードでインストールしなければならない。 eoネットの64kbpsだし、ひたすら面倒だ。

明日、朝から絶対に外せない用事があるので、何としてでも金沢に帰らなくてはならない。 もし終電を逃したら、実家で車を借りて金沢まで運転しなければならない。 結局、21時くらいのサンダーバードに乗り、金沢に着いたのは23時半くらいであった。 二人以上の時や荷物が多い時や急ぎの時はタクシーを使うが、 単にバスが無いだけの時に一人でタクシーに乗るのは抵抗がある。 タクシーは自分にとっては贅沢品なのである。 というわけで、途中でコンビニで立ち読みしたりしながら駅から2時間かけて歩いて帰った。

ホームで電車を待っている時、ネットをチェックしたら、 掲示板の書き込みで外電速報がリセットされていることを知った。 調べてみると、振替休日を入力し忘れている。こりゃえらいことだと、 2日引けの時点の外電を調べて電車の中から更新した。 一応2009年末までの休日は振替休日も含めてちゃんと設定したつもり。



2008年5月5日

彼女と奈良へ。東向き商店街を抜けた所にある団子屋でヨモギ餅を食べ、 もちいどの商店街をブラブラした後、奈良ホテルへ。 式場や披露宴の部屋を見学し、予約の取れる日を確認してきた。 興福寺のあたりで鹿を見て、奈良駅の近くの喫茶店「可否茶座 アカダマ」 でコーヒーと洋ナシのタルトを頂いた(彼女はジャスミンティーと洋ナシのタルト)。 この店に入ったのは偶然だったのだが、後で調べてみると奈良で最も古い喫茶店で、 司馬遼太郎も常連だったとか。確かに室内は年季が入っている。
帰りに上本町の近鉄百貨店の北海道物産展に寄り、色々と試食をして、 海鮮弁当とカニクリームコロッケを買って帰った。



2008年5月4日

朝10時頃に清々しい目覚め。9時間ほども寝たのは久しぶりである。 8番ラーメンで昼飯。前回と同じく、よもぎざるラーメンを頼んだ。 厨房を眺めていると波動砲みたいなのが回転している。実はチャーハン作り機であった。
川べりを歩いていると少年がゴカイで魚を釣っていた。 思わず獣ちゃんと二人で突っ込みを入れたくなったが、ちゃんと一匹釣れている。 実績を出しているからには文句は付けられない。相場と同じである。 オカルトだろうが何だろうが、儲かっている人には何も言えない。
家に戻り、本を読んだり昼寝をしたり。春眠暁を覚えずである(ちょっと違うか)。 獣ちゃんには「へうげもの」を勧めた。 自分はハインライン「月は無慈悲な夜の女王」を読んだ。以前に読んだが再読である。 良い話なんだけど日本語訳が酷すぎる。もう少し何とかならんものか。 それでも最後のクライマックスのあたりではジーンと来る。 現実には作中のような状況で地球連邦が月の独立を認めるとは思えないが。 この小説や例えば「異星の客」なんかも良いが、やはりハインラインで一番好きなのは「夏への扉」である。 こちらは翻訳も申し分ない。

夕方になり、サンダーバードで関西へ移動。獣ちゃんとは京都で別れた。 なかなか楽しい数日間であった。 世の中には人脈作りに汲々としている人が多いが、豊かな人生のためには、 多くの人脈よりも、気心の知れた少数の友人の方が遥かに重要だと思う。 人脈は利用するものというニュアンスだが、友人は、何を求めるでもなく求められるでもなく、 ただ一緒にいて居心地が良い人である。 言い換えると、お互い70歳を越えた時に一緒に縁側に座ってお茶を飲んでいる所を想像できる人である。 もちろん人脈から友人ができることもあるかもしれないけどね。

ビー家は完成して引渡しを受けたそうである。次は我が家の建築が始まる。楽しみだ。 秘密基地という感じである。 光熱費や固定資産税などの維持費はビー家からの地代で多分やりくりできるだろうし、 風を通したり鍵を保管したりなどの管理もやってくれる。たまに遊びに行けば一緒に飲めるし、 言う事なしである。ビー家と同じ時期に子供を作って、子供同士、幼馴染にしたいところ。

茨城県で黒鳥・白鳥を撲殺した中学生ども、ゲーム感覚で殺したと言ってるらしい。 こいつらには生き物と玩具の区別もつかんのか? そのうちゲーム感覚で人を殺したりしかねん。 生身の生き物と触れ合った経験も無いんだろう。親もろくな親ではないな。



2008年5月3日

7時半に起きてバスで金沢駅へ。特急はくたかで直江津へ向かう。 満席のため、仕方なく獣ちゃんと二人でデッキにかがんでダベって過ごした。 越後湯沢経由で東京に出る人たちが多いのだろう。
直江津で普通列車に乗り換え、春日山駅に到着。 ポカポカ陽気に、のどかな田舎町が広がっている。 ここに城下町があったというのは想像し辛い。 春日山城に向かって歩いていると、 上越市埋蔵文化センターという所で上杉戦国物語展をやっていた。 結構力の入った展示である。これでまず上杉家の歴史を復習した。
入り口付近の上杉家の家訓にまずびっくり。

心に物なき時は心広く体泰なり
心に我儘なき時は愛敬失わず
心に欲なき時は義理を行う
心に私なき時は疑うことなし
心に驕りなき時は人を教う
心に誤りなき時は人を畏れず
心に邪見なき時は人を育つる
心に貪りなき時は人に諂うことなし
心に怒りなき時は言葉和らかなり
心に堪忍ある時は事を調う
心に曇りなき時は心静かなり
心に勇みある時は悔やむことなし
心賤しからざる時は願い好まず
心に孝行ある時は忠節厚し
心に自慢なき時は人の善を知り
心に迷いなき時は人を咎めず

性善説に基づいた素晴らしい家訓であり、 上杉謙信という人がいかに聖人君子であったかがわかる。 しかしこれでは天下は取れないだろうなぁ。まず部下が付いていけないし、 本人もドロドロした人間関係に嫌になるに違いない。 それにしても謙信は、19歳で家督を相続、23歳で第一次川中島の合戦、 31歳で小田原遠征かつ関東管領就任など、今の基準からするとかなり若い時期から活躍している。 しかし織田信長も26歳で桶狭間の戦いに勝ったわけで、もともとそういう時代だったのかもしれない。 人生50年と言われていたわけだし。
ほどなく春日山城跡に到着。実は春日山城についてはあまり良く知らず、 日常的に本拠として使われていたところから、小高い丘を想像していた。 実際は本格的な山城であった。 大手道から柿崎和泉守屋敷跡、景勝屋敷跡、井戸を通り、本丸跡へ。 景色を見ながらしばし休憩。遠くには日本アルプスが見える。 休憩後は、毘沙門堂、直江屋敷跡、景虎屋敷跡、と巡った。 景勝屋敷跡と本丸と景虎屋敷跡はそれぞれ100mも離れておらず、 御館の乱でどのようなドラマが展開されたのか思いは尽きない。 戦国時代に思いを馳せながら、春日山神社に参拝し、林泉寺の前を通り、春日山城を後にした。 春日山神社では、直江兼続のキティーちゃんと毘のストラップを購入した。 獣ちゃんは、毘沙門堂が本丸のすぐ裏にあったことや、 林泉寺が春日山のすぐ隣にあったことにショックを受けていたようだ。 所詮は歴史は脚色されるものなのである。
ほうとうラーメン春日山本店というのを見つけたので塩ラーメンを食べた。 最近はすっかりトンコツ党になってしまったが、たまに鶏ガラベースのラーメンを食べると新鮮である。 海まで歩き、海岸で潮風に吹かれながら休憩。 その後、直江津駅から特急に乗って金沢に帰ってきた。帰りは座れた。

一度、家に戻ってから近所の温泉へ。温泉に浸かった後はビールとコーヒー牛乳を飲み、 足裏マッサージ機でツボを圧迫されてきた。すき屋で晩飯を食って家へ。 風呂上りのビールが良い感じに回って、すぐに心地良い眠気に誘われた。



2008年5月2日

晩まで仕事をし、帰宅。今日は再び鞘取りを仕掛けた。 それにしても、約定可能範囲に指値を出しているのに約定するのに15分くらいかかった。 その間、出来高自体も全く増えず。今は1枚単位だから良いけど、 10枚単位で注文を入れるのはもう無理だな。 資金が増えるまでに市場の厚みも増えてくれれば良いのだが。

深夜になってラオウとケンシロウのフィギアを土産に獣ちゃんが到着。 軽くビールを飲みながら四方山話をしていたら3時を過ぎてしまった。



2008年5月1日

夜まで仕事である。 有望な新人を確保するため、学生向けの冊子を製作中。 専門分野の話を初心者に分かり易く説明するのは、なかなか難しい。 外注するにしても、中身はこちらで作らないとどうにもならん。 画像や図を多用して、とっつき易い感じにしてみた。 晩11時過ぎまでかかって半分ほど完成。続きは明日だな。



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