先物日記(2009年1月〜4月)

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2009年4月30日

今日はプラス48万。ガソ灯油が上げても原油がそれ以上に上げるので、全然恩恵がない。 クラックがどうにかならんとどうにもならん。 今月の利益率はマイナス23.7%。

現状のポジションは、逆張りで考えるなら、上げた場合に買い越しと鞘の両方を減らさねばならなくなる。 これは建玉技法からすると理に反する状況となる。いつの間にか陥穽に落ち込んでしまったということだ。 建玉技法に適ったポジションというのは、上げても下げてもポジションの乗り換えで鞘と片を自在に変化させ、 終わりを作らないで済むポジションのことである。 上げ相場で買い越しを解消した場合、後は鞘で追いかけられるようにしておかないと、 自分にとっての相場が終わってしまう。まだまだ達観した売買はできないものだ。

トップページのカウントが450万6人目だった。 キャッシュを読むとカウントされないので、比較的少ない。 外電速報は3億2000万カウント越えてる。 更新ボタンを押して5秒数えてからもう一度更新すると40カウントくらい増えるのを見て、 妻がちょっとびっくりしていた。

水曜どうでしょうヨーロッパ編で、ディレクターが挫いた足でイタリアのレンタカーを運転し、 クラッチが固くて大変だと言ってるシーンがあった。うちの車と同じである。 というか、運転、替わってあげようよ。



2009年4月29日

妻と近場の温泉へ。ここ最近、車の調子も良好。 温泉の後は、近くのお好み焼き屋へ。まったりとした休日である。

ヤンジャンのライアーゲームが何気に時事ネタになっていて笑える。偶然だろうけど。



2009年4月28日

マイナス128万。 今年の利益がほとんど無くなり、相場再開後の利益も400万を切ってしまった。 まぁ、このままやられたら引退だな。 今の資金で1億取ることを想定して過大なポジションを組んだのがそもそもの間違い。 言ってみれば欲に負けたということ。 ただ、年間数千万程度の利益だったら、 相場なんかに時間を使うより人生もっと有意義な時間の使い方があるしね。 負けて退場というのは悔しいが…。
ただ、ポジション自体は今日も増し玉。考え方を変えれば、 このクラックの水準でこれだけのポジションを組むのに700万払ったと思えばそんなに悪くは無いか。 それも取れればの話だが。

豚インフルエンザは世界に拡大するだろうけど、毒性自体は普通のインフルエンザ並みのようだ。 微妙なところだが、経済への影響は限定的であると考えて良いと思う。タミフルも効くようだし。 いずれは、A香港型やAソ連型のように、Aメキシコ型とかいって、 毎年流行する定番のインフルエンザになるのかもしれない。



2009年4月27日

朝からまずガソ灯油の先2本に成り行きで売りを入れ、更に原油の先へも新規売りの注文を出しておいた。 予想外に前日比プラスの時間があったので、 ガンガン売りを入れて、 何とか、原油売り、ガソ先売り、灯油先売り、ガソ5番買い、灯油5番買い、のフラット状態に持って行った。 しかし、株が思ったほど下げていないこと、ウィルスが弱毒性のH1N1型で症状が比較的軽そうなこと、 などから、経済に対する影響は限定的で、大きく売られた後に状況がはっきりしてくれば戻してくると考え、 再び買いで対処することにした。安値でガソ先と灯油先の売り玉を仕切って途転買いし、 結局、買い越し幅は先週末の3分の一になった。
朝の段階で買い越しを解消したにも関わらず、鞘が逆行して、結局今日はマイナス167万。 これで相場再開後の利益が500万ほどになってしまった。今年の利益も200万を切った。 再び買い拾って行きたいが、鞘でもやられているので体力が続かない可能性もある。 せめて鞘が現状レベルで止まってくれたら楽なのだが。もう駄目かもなぁ。

同僚とその彼女、うちの妻の4人で食事をした。今度、結婚するそうだ。 結婚式の段取りなどで参考になりそうなことを話してあげた。



2009年4月26日

メキシコで豚インフルエンザが発生したとのこと。あっちゃ〜。 原油価格は下がりようがないと思っていたが、 唯一の懸念材料が世界的な新型インフルエンザの流行だと考えていた。 世界的な大流行が起きて何千万人か死に、みんな家に閉じ篭って経済活動が停滞したら、 いくら他の強材料があっても原油は暴落するしかない。 ガソリン需要もジェット燃料需要もナフサの需要も激減するだろう。 どうしてまた、よりによって買いを増やしている今の時期にこんな材料が出てくるかなぁ。 泣きたくなる。
メキシコでは既に1000人以上が感染し、60人以上の死者が出ているらしい。 更にメキシコへ旅行したアメリカ人も感染が広がっているとのこと。 メキシコでの感染者は1000人と言われているが、メキシコの人口1億人のうち、 たった1000人の感染者のせいで旅行者にまで感染が広がる筈が無い。 まだ報道されていないが、恐らく既に、少なくとも数十万人、 もしかしたら数百万人に感染が拡大していると考えるべきである。 となると、世界的な大流行はもはや避けられない。
明日、何とか買いを仕切ってしまいたいが、感染拡大のニュースが出る前に間に合うかどうか。 とんでもないことになった。



2009年4月25日

ノートパソコンとACアダプターの接続部分からまた煙が出てきた。 前回はコードが劣化してショートしたのが原因だが、今回はアダプターに問題は無いようだ。 しかしアダプターのコネクターは焦げて使い物にならなくなってしまった。 とりあえずノートを分解してみた。
電気製品のよくあるトラブルとして、ACアダプターの差込口が基板に直付けされている場合、 そこがグラグラになって接触不良を起こすケースが多いのだが、 さすがに基板からは浮かせた構造になっていた。 他の箇所もチェックしたが、特に焦げているような部分も無い。 色々と考えた結果、バッテリーがもう駄目になっていて、電気が流れ込んでも充電されず、 ほとんどショート状態になって大量の電流が流れ、コネクターのプラスチックが溶けたのだと結論付けた。 何はともあれ、ACアダプターを直さないと仕事にも支障があるので、部品箱を漁ってみるも、 合うアダプターのプラグが無い。多分、他の電化製品のアダプターを指したりしないように径が違うのだろう。 部品を手に入れなければならないが、ネットで調べてみると、 金沢にも電子部品の店があるということがわかった。

午後から妻と外出。金沢駅まで一緒に行き、そこから別行動で電子部品の店へ。 小さい店だけど基本的な部品は揃っているようだ。これで今後、何かあった時にも安心だ。 しかしあまり儲かってなさそう。今回はACアダプターのプラグだけ購入した。
金沢駅で妻と待ち合わせ、母の日の贈り物を探しながらエムザまで歩いた。 結局、帽子と夏用ストールを購入。お菓子と牡蠣フライなどを買って帰宅。

さっそくアダプターを修理した。ノートからバッテリーを取り外しておいたらコネクターも熱くならず、 良い感じ。そのかわり、一瞬でもコネクターが抜けると電源が落ちるので、紐で固定した。 もう8年も使ってるパソコンだが、ハードディスクには何も問題は起きていない。 ちなみに、最近、職場のDELLのパソコンを修理したら、 数年しか経ってないのにCPUのシリコングリスが劣化してパサパサになり、放熱できなくなっていたが、 このノートパソコンのシリコングリスは8年経ってるのに何も劣化していなかった。 それが当たり前でDELLがおかしいのだが。



2009年4月24日

今日も製品のみ下がって片と鞘の両やられ。マイナス116万。 将来に向けての買い玉は当初予定していた枚数を仕込み終えたが、 仕込みの道中で450万もやられるとは思わなかった。 予定枚数に達したのでこれ以上は買いは増やさないが、 ここから下値があっても鞘で有利に持って行けると思う。
短くは無い相場経験で学んだことが一つある。それは、小賢しい売買は長続きしないということ。 鞘取りに関してはそこそこ取れる自信はあるが、片張りに関しては、 自分は売ったり買ったり細かく立ち回れるほど上手くもないので、 長期的に買いだと思ったら小細工せず、買いだけで攻めるつもり。



2009年4月23日

原油は下がらず、製品ばっかり下がって鞘と片のダブルパンチ。 マイナス117万。3日で300万無くなった。どんだけやねん。

スマップの草なぎ君が公然わいせつで逮捕された。好感を持っていただけに驚いた。 最初、わいせつという文字を見て、強制わいせつかと思ってびっくりしたが、 公園で全裸になっていたとのことで、ホッとした。 この程度なら普通は警察署で一晩保護すれば済む話だと思うけど、 暴れて公務執行妨害がついちゃったのかもしれないね。 まぁ、彼も色々とストレスがあるのだろう。せめてパンツ一枚だけでも脱がずに履いていれば良かったのに。



2009年4月22日

和歌山毒入りカレー事件の最高裁判決が出た。この判決は極めて問題が大きいと思う。 日本の司法が、近代法の根本理念である「疑わしきは被告人の利益に」 という大原則を放棄したことを意味するからである。 人間の記憶なんていうのは極めて曖昧なものであるから、適当に誘導してやれば、 関係者の証言などにより状況証拠なんてのはいくらでも作ることができる。 司法の世界では前例というものが重視されるので、今後は、検察が有罪にしたいと思ったら、 証拠など無くても状況証拠を次々と作ることで有罪に持って行くことができてしまう。 恐ろしい時代になったものだ。
アメリカでも状況証拠だけで有罪判決が出されることがあるが、 アメリカの場合は、検察側は持っている証拠を全て開示しなければならず、 もし都合の悪い証拠を隠していることがバレた場合には、 大きなペナルティーが科せられることになっている。 それに対して日本の場合は、最良証拠主義といって、 検察には、都合の良い証拠だけを開示し、都合の悪い証拠を握り潰すことが認められている。 せめてこの最良証拠主義を廃止しないと、日本の未来は暗いと言わざるを得ない。

午前中の高いところで灯油を少し落として後場の安い所でガソリンを少し買った。 マイナス24万。とうとう今月マイナスに転落してしまった。 いずれ破滅的なインフレが来るという考えは変わらず。



2009年4月21日

歯医者に行って外れた詰め物を詰めてもらった。 虫歯が拡大して外れたのかと思ったが、そういう訳でもなかったようだ。 中を掃除して外れたやつを再度詰めて終了した。

今日も積極的に買って行ったが、午前中には150万以上逆行して鼻血が出そうだった。結局マイナス88万。 今月は一昨日まで調子が良かったので、まだわずかにプラス。 仕込みは上々だが、今後も買い玉を増やすとしても今の1.5倍くらいで打ち止めにすべきだろう。



2009年4月20日

ごっそり買いを投入。といっても、1ロット50枚ずつ売買していた時に比べると非常にささやかではあるが。 売買も一枚ずつだし。 午前中は110万以上逆行していたが、引けではマイナス78万。 ここは果敢に攻める。



2009年4月19日

近くのインドカレーのお店に行ってきた。腹一杯になって満足。 後はダラダラと過ごした。

宮部みゆき「魔術はささやく」を読んだ。ハズレだったなぁ。 自殺に見せかけた謎の連続死。状況からは自殺にしか見えないが、 他殺だとするとどうやって殺したのか見当がつかない。 これって、もしかしたら○○○を使って殺したなんてオチじゃないだろうなぁ、 と思いながら最後まで読んだらそのまんまだった。台無しである。

福岡に住んでいたときに詰めてもらった親知らずの詰め物が取れた。 その福岡の歯医者さんは、ネットで評判などを調べて探して行ったとこなんだが、 処置してもらった歯は具合が悪くなることが多かった。詰めて一週間で取れたのもあった。 今から考えると、あんまり上手くなかったのかもしれないなぁ。 人柄は良かったんだけど、医者は人柄よりもとにかく腕が大事だからなぁ。



2009年4月18日

仕事で初心者向けにフーリエ級数展開のちょっとした解説文を書いたのだが、 関連して色々と調べているうちに個人的に歴史的な話に興味が湧いてきた。 実際の工学的な応用では問題になることはまず無いのだが、厳密に言えば、 連続関数に対してはフーリエ級数の収束は必ずしも成り立たない。 しかし、全ての点で右側微分と左側微分が存在すれば不連続でも大丈夫なので、 矩形波みたいなのはフーリエ級数展開できる。 問題は、連続だけども微分不可能な関数、 例えばブラウン運動みたいなのがフーリエ級数展開できるのかということである。
結論から言うとブラウン運動はフーリエ級数展開できるし、 標準偏差が周波数に逆比例するような確率変数を係数とするフーリエ級数で、 ブラウン運動を構成することもできる。 相場の変動はブラウン運動ではないが、それに比較的近い動きをするので、 相場の解析にフーリエ級数を用いるのはそれほど間違っているとは言えない (ただし、フーリエ級数展開もしくはフーリエ解析は現在も過去も同じ重みで積分するので、 そのままでは相場の現実に合わないが)。
フーリエ級数の収束しないような連続関数が存在するというのは、 数学的にはバナッハ・シュタインハウスの定理を用いて証明することができるが、 実際にそういう関数がどういう形をしているかは、その定理からはわからない。 歴史的には、1807年にジョゼフ・フーリエ(Joseph Fourier) が全ての周期関数はフーリエ級数展開できると主張し、 その後、色々と研究が進んで、1873年にデュ・ボア・レーモン(du Bois Reymond) がフーリエ級数の収束しないような連続関数を構成して、 フーリエの主張が成り立たない例が存在することを明らかにしたという経緯がある。 ネット上を探していたら、デュ・ボア・レーモンの1873年の論文は見つからなかったが、 1876年の著書がアップされていて、その関数が載っていた。 それを参考にして、自分でもフーリエ級数の収束しない連続関数を作ってみた。

d_n=2^(n^2)+1/2(n=1,2,3,…) と置き、 π/d_n≦|x|≦π×2^n/d_n について、f(x)=sgn(x)/√n×sin(d_n x)、 その他の x については 0 として f(x) を定義すると、この f(x) は -π≦x≦π で連続になるが、 そのフーリエ級数は x=0 で発散する。発散することの証明は少し面倒なので省略。



2009年4月17日

朝から仕事である。夕方には片町で職場の親睦会があった。 退職された方も参加されていて、話をお聞きしたのだが、 定年後は趣味の天体観測を楽しんでいるとのこと。今度の皆既日食を上海まで観に行くそうだ。 その方は以前にも皆既日食を観たことがあるそうで、その荘厳さに感動したと語っていた。 そういうの聞くと自分もいつか観てみたいと思うなぁ。
一次会の後はいつものお店へ。久しぶりである。 ママさんに、結婚祝いで、写真が100枚入って、 そのうちから好きなものを4枚セットできる写真ケースを頂いた。



2009年4月16日

北野誠の不適切発言は、どうやら某芸能プロダクションと裏社会の関係についての話だったようだ。 実際、芸能界が裏社会と密接な関係があることは昔から知られているし、 どこまで本当かわからないけど、最近でも小向美奈子が芸能界売春組織を告発して話題になったりもした。 さもありなんという感じだが。

ここんとこ、かなり買いを仕切ってしまったが、再び買いを投入。 世界的な景気の悪化で下げる所まで下げた相場である。それを織り込んで底から上げてきている以上、 景気の悪化はもはや下げ材料としては機能しない。しかも経済の悪化と今の原油価格を考えると、 油田や生産設備への新規投資も進まない。 また、景気対策という名目で世界各国が供給する膨大な流動性は、いずれ必ず株や商品へ向かうだろう。 更に、日米の財政はもはや債務の膨張を止められる臨界点を越えたと思われるので、 いずれは通貨価値の急速な下落が起きると思う。最終的なクラッシュは10年後くらいかもしれないが、 その前からジワジワと予兆はあると思う。 原油はもちろんだが、今後は当分は商品は買いでしか見ていない。



2009年4月15日

晩まで仕事である。最近忙しいので(というか最近にかぎらずいつも何か仕事があるが) 夜11時頃に帰宅するのが普通になっている。 しかし、以前は頻繁に職場に泊まっていたが、結婚してからは出来るだけ毎晩帰るようにはしてる。 実際、泊り込んで仕事をしても意外と効率は上がらない。 種類によっては家に仕事を持ち帰ることもできるが、家でやるより職場でやった方が効率が上がる。 しかし子供ができたら、持ち帰れる仕事は出来るだけ家に持ち帰ることになると思う。



2009年4月14日

北野誠が、不適切発言をしたという理由で無期限謹慎処分を受け、全芸能活動を停止するという。 北野氏については探偵ナイトスクープで良く見かけたが、個人的には特に好きでも嫌いでもない。 しかし、その報道のされ方が極めて異常なので、見過ごせなくなってしまった。 どこを探しても、その不適切発言の内容が出ていない。某宗教団体がらみという話も出ているが、噂の域を出ない。 芸能界の一部の人たちは発言の内容を知っている筈である。 そこから伝え聞いて、マスコミ関係者もおそらく知っている。しかし記事には一切出てこない。 触れてはいけないタブーに触れてしまい、どこからか圧力がかかっていると考えるしかない。
現在、どんどんと言論封鎖が進んでいるのを肌で感じる。 そもそもマスコミというのは、あらゆる権力から独立して、 正義のみに従って報道を行うのが使命ではないのか? この前の政府高官報道にしても今回の件にしても、 記者クラブ制度とリーク情報を餌に政府に飼い慣らされ、今回また何かの圧力で事実関係を報道せず、 それでまともな言論を担っていると胸を張って言えるのか。 今はまだ、政府高官が発言したこと自体や、不適切発言がなされたということ自体は報道されているが、 この調子では、そのうち都合の悪い事件は、報道すらされなくなるだろう。 行き着く先は大本営発表を垂れ流した戦前戦中である。同時に個人に対する圧迫も増してくるだろう (例えば不適切な個人ブログは運営会社が自主的に閉鎖する、など)。
こういう現状に対して、マスコミの内部にいる人間が何も危機感を抱いていないとしたら、 もうマスコミには未来が無い。 今年は、マスコミが自殺しつつあるということが誰の目にも明らかになった年として、記憶されるだろう。



2009年4月13日

仕事で一日終わった。

近いうちに、以前から蓄積してきた大事なデータを公開中することにした。 具体的には、WTI原油、IPE原油、ドバイ原油、オマーン原油、シンガポール石油製品、NY石油製品、 シンガポールゴム、上海ゴム、タイゴム現物、タイゴム先物、マレーシアゴム、シカゴコーンの約定値と、 ゴム在庫、石油製品在庫(日本)、それにガルフ−日本のフレートとパナマックスインデックスなどである。 結構、苦労して集めたものもあるが、この際、大サービスで公開することにした。 特に、シンガポール製油製品価格やタイゴム現物価格、フレートなどは、 過去データの入手が非常に困難なので貴重だと思う。ただ、結構抜けや間違いがあるので、 補完してくれる人がいれば大歓迎である。



2009年4月12日

妻と能登島水族館に行ってきた。 能登道路は日本海沿いで景色も良く、なかなか良い道路であった。 車の調子も良好である。バッテリーを交換してアイドリングも安定するようになった。 以前は、エアコンをつけたまま交差点で止まるとエンジンが止まったりしたので、 やはり相当消耗していたのだろう。 もうこの車も乗り始めて3年くらいになるが、 ようやく最近になって手の内に入ってきたような気がする。 お金はかかるけど、これからも末永く付き合っていきたい。 あれが欲しいけどこれで我慢、とかではなく、 自分が一番格好良いと思う車に乗れるというのは幸せなことだ。

能登島水族館はローカル色の漂う水族館であったが、見せ方にも工夫がみられるし、 珍しい魚も多かったので、技術レベルも高いのだろう。 イルカ&アシカショーを見たが、いつもながら、よく覚えさせたなと感心する。 しかし、一つ芸をするごとに餌を与えるというのがやはり気になる。 犬は人間に誉められたくて芸をするし、主人のために働くことに喜びを感じる(ように見える)。 反面、イルカやアシカは餌のために芸をする。この差は埋められないものがある。 犬が本来、リーダーに絶対服従することを要求される群れの生き物であり、 一方で、イルカやアシカは群れるとはいっても比較的緩い関係(勝手な推測だが) だというのが理由かもしれない。ショーを見ていて、競馬の競走馬の7割は胃潰瘍だというのを思い出した。 餌目的でも何でも、ここのイルカやアシカがストレスなく幸せに暮らしているなら、 何も言うことはないが。
イルカはクジラは元々は陸の動物であった。ずっと辿ると、 人間と共通の祖先であるネズミのような哺乳類に行き着くのだろう。 しかしイルカの体の構造は魚に良く似ている。 そう考えると、魚類の、胸びれ、背びれ、尾びれのあるあの形は、 海で活動する上での一つの必然的な形なのかもしれない。



2009年4月11日

休日だが、仕事で少し問題が発生したので、一日中その対処に費やした。



2009年4月10日

今日も深夜まで仕事。

最近、2回連続で一円玉を拾った。個人的には、一円といえども立派なお金なので、 落ちてるのを見つけたら必ず拾うが、人によっては拾うのに一円以上のエネルギーが要ると言う人もいる。 そのあたりどうなんだろうね。世の中には、わざわざスポーツジムに行って、 カロリーを消費するのにお金を払う人もいるから、 エネルギー換算で考えるのは妥当ではないような気がするが。
時間で考えると、勤務中に一円を拾った場合は、自分の仕事の価値は一秒一円以上はあるので、 拾うのに一秒以上費やすと損失になるが、今回は通勤途中の話である。 一円を拾うのに費やした時間の分だけ急いで通勤しなくてはならなくなるが、 それがどれくらいの損失かということである。 自宅から職場までタクシーで行けば通勤時間は30分ほど少なくて済む。 しかしタクシー代に900円かかるとしたら、どうしても遅れてはならない場合以外は乗らない。 ここから、通勤途中の1秒の価値は明らかに0.5円より低いということがわかる。 よって、時間換算で考えると、2秒ほど使って一円玉を拾う行為は損にはなっていない。
次に、一円玉を拾うという行為を労働と考えてみる。 いま、硬貨が一枚ずつ1m間隔で地面に落ちていて、それを拾う仕事があったとする。 ただし一枚ずつ腰をかがめて拾わなくてはならない。 拾った分は自分のものになるとして、どの硬貨ならこの仕事をやるだろうか?  食うに困っている人なら一円玉でもやると思うが、自分はやらない。 自分の場合、100円玉ならやるだろう。10円玉だと、やるかどうか微妙というところである。 ということは、一円玉を拾うという行為に0.1円程度の価値しか見出してないということになり、 損得から考えれば不合理なことをしていることになる。



2009年4月9日

仕事で一日終わる。

相場はプラス90万。ここんとこ調子が良過ぎるくらいである。



2009年4月8日

今の地合いなら、浮き足立った所は釘を刺されて当然。 徐々に地固めされて行くだろう。 安値は買いでいい。



2009年4月7日

先日のNHKスペシャルの内容について、ネット上で偏向報道だとの意見がかなり出ているようである。 しかし、あの番組の主題は、日本がどのような思想と方針で植民地政策を進めて行ったかという点にあるから、 その植民地経営の結果として台湾の人々の生活が向上したとかいう話は本題からは外れる。 番組を批判する人たちは、台湾が反日であるというイメージを植えつける印象操作だと言っているようだが、 自分にはあまりそうは見えなかった。本当に反日だったら、日本統治時代に青年時代を過ごした人たちが、 日本名を懐かしく書いたり、嬉しそうに教育勅語を暗誦したり、カラオケで軍歌を歌ったりするだろうか?  日本に対する怒りの言葉もあったが、それは植民地時代における台湾人への差別に対する怒りと、 戦時中、日本人になろうとして必死に頑張りながら、戦後あっさりと見捨てられ、 日本が中共にばかり目を向ける一方で台湾を徹底的に無視してきたことへの怒りだというのは、 普通に番組を見ていればわかるし、その思いも理解できる。
中学生くらいで、親の経済的な事情で他の家に養子に出され、その後、実の親に無視されたらどう思うか?  仕方が無い事情だったというのは理解していても、やはり親を恨んでしまうだろう。 しかし楽しかった思い出もある。せめて一言、ごめんなさいと言って、時々、 自分のことを気にかけてくれたら納得できるのに。 そういう、愛憎半ばする感情というのが実際で、番組でも良く表現されていたと思う。 しかし、親日か反日という二者択一の単純思考しかできない人が見れば、 反日報道に見えてしまうのかもしれない。



2009年4月6日

6時半に起きて実家を出て金沢へ。11時前には帰宅。午後から出勤、帰宅は深夜。

相場再開後の利益が、やっと1000万を越えた。 何億あっても無くなるときは一瞬、しかし増やすのは多大な時間が必要。 この非対称性が相場を形作っている。



2009年4月5日

6時に起きて、次回に回そうと思っていたヘチマロン一本分を掘って設置した。 その後、何だかんだと後片付けをしているうちに昼前になってしまった。 すぐに帰路についたのだが、途中で劇的に眠たくなり、フリスクを噛んでも全く眠気が解消しないので、 これはマズいと思って馬立SAに駐車して寝た。20分ほど寝ただけなのに、素晴らしく熟睡し、 すっきり眠気が無くなった。

ラジオで、北朝鮮の飛翔体が先ほど無事に日本上空を通過しました、なんてやっていた。 無事に通過って、マラソンじゃあるまいしと妻と二人で突っ込んでしまった。なんか違う。 無事とは何も無い事を言う。何も無いどころか、威嚇、脅迫、恫喝されたというのが事実だろうに。 小惑星が地球を逸れたというなら無事にという表現もいい。小惑星には意思が無いからね。 しかしその場合でも、もしその小惑星が、 宇宙人か何かが悪意を持って脅しのために地球に向けて飛行させたものだとしたら、 無事に通過という表現にはならないだろう。

淡路SAで、ちょうど夕暮れの良い時間だったので観覧車に乗った。

このあたりまでは快調に流れていたのだが、山陽道に入ったあたりから酷い渋滞に入ってしまった。 恐らく高速1000円乗り放題のためだろう。ナンバーを見ていると札幌ナンバーなんてのも。 ETCが間に合わなくて、今回、自分は10000円ほど払って高速に乗っている。 それは納得した上での話だからいいとしても、1000円の奴らのせいで何時間も渋滞に掴まるのは、 ほんとにいい迷惑である。SAに入ろうとしても駐車場が完全に一杯で入れず、そのまま出るしかなかった。 こんなの初めてだ。混むのは1000円車だけでやってくれ、こっちは関係無いだろ、と言いたくなるが…。
これ、GWなんかは悲惨なことになりそうだなぁ。 渋滞する可能性が高い区間は追加でもう1000円取るとかしないと、 高速道路としての機能が意味を為さなくなるのではないか。
晩の10時頃になってようやく実家に到着。渋滞はほんとに気力を吸い取るな。

実家で偶然、NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー 第一回 アジアの“一等国”」を見た。 なかなか興味深い。しかし、民族自決の原則にしたがって自治権を拡大し、 台湾議会の設置を認めていたら歴史は変わっていたかもしれない、 という意見については、そんなことはないような気がするが。
関連して思い出したのが、沢木耕太郎のルポ「視えない共和国」である。 与那国島の人々は、かつて沖縄本島とも違った独自の文化を持ち、台湾や沖縄と交易し、 自由に行き来していたが、戦後、 与那国と台湾の間に国境が引かれると同時に東京を中心とした秩序における最果ての辺境と位置付けられ、 それが与那国の人々の自意識にまで影響を与えている、という話だった気がする。
台湾の人々は、日本の支配化に入り、東京を円の中心として意識することで、 南の果ての辺境として日本の秩序に組み込まれ、 日本人>琉球人>台湾人という序列の最下層で社会に加わることになった。 経済的には豊かになったであろう。しかしそれが幸せであったかどうかはわからない。



2009年4月4日

引き続き溝を掘る。今日は一日中雨模様であったが、 中途半端に穴を掘ったまま放っておくわけにも行かないので、ずぶ濡れになりながら、 ひたすら続きをやった。 夜になって暗くなるまで作業を続け、何とか決めた箇所は全部掘り、 ヘチマロンを埋めることができた。妻も砕石運びを手伝ってくれた。 妻には、かなりバイト代を出さないといけないなぁ。
次回は、ヘチマロン関係はあと10mほど掘れば終了。その後、U字溝かL字溝を30mほど設置する作業がある。 また、後ろの敷地から水が流入してくるので、その敷地に斜めに溝を掘って水が来ないようにする作業、 更に、その敷地から土が崩れてこないように石積みで土留めする作業などがある。 まだまだ土との格闘が続くが、とりあえず次回、ヘチマロンを埋めたら、 ビー家の敷地および共用部分の作業は終了するので、 残りは秋山家の敷地だけの問題になり、ゆっくりマイペースで進めることができるだろう (実はまだ一度も四万十の海で泳いだことが無いのである)。

最終日ということで、骨休めのため、四万十癒しの湯へ。連日の作業で腰痛がひどい。 しかし意識して出来るだけ負担がかからないように注意していたので、前回ほどはひどくない (前回はかなり悲惨だった)。 温泉にじっくり浸って腰を養生し、休憩室の畳の上で寝転がってアイスを食べて帰ってきた。

イチローが胃潰瘍で故障者リスト入りだそうで。イチローでも胃潰瘍になったりするんだね。 日本中で好感度がアップしたに違いない。

北朝鮮ミサイルの誤報、日本の危機管理はどうなっているのか。 これが冷戦期のソ連対アメリカだったら、核戦争でも起こしかねないレベルの話である。



2009年4月3日

今日も引き続き土木作業。明日で作業は終わりなんだが、どうしても全部の完成は無理と考え、 作業の一部を次回に持ち越すことにした。とりあえず水を流す根元の部分を集中的に掘り、 雨樋からの水を流す箇所には塩ビパイプを埋めて上からU字溝を被せて保護し、 掘った溝にはヘチマロンを設置して砕石で埋めた。
砕石の上は砂利で覆うつもりだったのだが、土建屋さんから砂利のかわりに砕石が届いてしまった。 どうも砂利はゼロ(粒の大きさで土のこと)の入っているものしか扱っておらず、 注文のときにゼロは入ってない方がいいといったら、向こうには砕石だと解釈されてしまったようである。 思い返すと、他にも意思疎通に齟齬をきたす要因があった。 昨年、家を建てた後に注文した砂利と同じものをお願いしますと言ったのだが、 年末には砕石も頼んでいたので、それと間違われた可能性もある。 まぁ、来てしまったものは仕方が無いので、砕石を5トン、敷地の中と敷地から道路にかけて敷いた。 砕石なので色がいまいちだけど、そのうち落ち着いてくるだろう。

風呂に入ると腰の痛いのも楽になる。 やはり風呂が広いのは良い。洗い場が広いので、妻がシャワーで頭を洗っている横で、 バスタオルで体を拭いていてもしぶきがかからない。 土地付き一戸建て、ローン無し、しかも別荘。ほんとに贅沢な話である。



2009年4月2日

引き続き土木作業。日焼け対策を何もしていなかったら、昨日と今日で顔がかなり焼けてしまった。 職場に戻ったら何をやってたのかと聞かれそう。
途中、びくともしない石にぶち当たってしまい、2時間以上の時間を消費してしまった。 周囲を深く掘っても、どこまで埋まっているのか見当がつかない。 まさに氷山の一角である。仕方無しに、正連棒と玄翁で少しずつ粉砕して取り除いた。
途中、水道管にぶち当たった。シャベルで掘っていたから無事だったが、 もし機械で掘っていたら割ってしまったかもしれない。

獣ちゃんが新商売でアンティーク家具の仲介販売を始めたので、 応援も兼ねてロッキングチェアを購入したのだが、それが今日届いた。 良い感じなんだけど、思ったより小さくて大人の男には座りにくい。 妻には丁度良いようだし、子供が出来たら遊ぶだろうから、それはそれで良いか。 ただ、布地に長期間ガムテープか何かが貼ってあったのを剥がした跡があるのがいただけないなぁ。 やっぱり骨董品は現物を見て買うものである。



2009年4月1日

今日から穴掘り開始。まず、石積みの時に埋めたパイプまで土を掘った。 出来るだけ穴を大きくしないように、狭く深く掘っていく。 根気良く掘っていったら、3時間ほどでパイプまで掘ることができた。 最後はシャベルが持ち手まで全部穴に入ってしまうし、スコップで底をさらうには、 地面に寝転んで頭を30cmくらいの深さまで突っ込まないと手が底に届かないようになってしまった。 パイプ周りを綺麗にし、L字を取り付けて上に伸ばし、下の方を埋めてとりあえず午前中の作業は終了した。
午後は、ヘチマロンを埋めるために、ひたすら深さ30cmくらいの溝を掘る作業に没頭した。 前回はビー夫妻にも手伝ってもらって20mほど掘ったが、今回はビー家も仕事で忙しく、 自分たちだけで24mほど掘らねばならない。掘り切れるか若干不安である。しかも前回は、 掘る場所自体に勾配があったので深さも一定で良かったが、今回は勾配をつけるために、 深い所では40cmほど掘らねばならない。 まずは堅い地面を点々と抉り、それを徐々に拡張していく。 とりあえず今日は全部をごく浅く掘って終了。妻の手助けも助かった。

晩はビー家で持ち寄りの食事会をした。ビー家の自家製のカツオのタタキが美味しい。 子供が出来たときの教育方針、高知県の教育レベルなどの話題で盛り上がった。 地方の一番の弱点は教育だと思う。同じ能力の子供でも、都会の進学校に入ればそれなりに伸びるけど、 地方の学校でトップになってしまうと、そこで伸びが止まる。 人間の環境適応能力はなかなか素晴らしく、周りが出来る子ばかりだとそれなりに出来てしまうのである。 逆に、トップになってしまうと現状に甘んじてしまう。 しかし実際は、地方の学校のトップの生徒よりも、 都会の進学校の下位の生徒の方が遥かに出来るというのが現実なのである。



2009年3月31日

今日から4日間、有休を取り、高知の別荘へ。 前回に引き続きヘチマロンの埋設作業をする予定。 石積みをした時にパイプを埋めておいたので、そこまで掘って排水するようにしたい。 パイプは地下1mくらいの所に埋まっているのだが、今から考えれば、 上に伸ばしておけば良かったと思う。大穴を掘らないといけないんじゃないかなぁ。 雨樋の水も排水路に誘導するつもり。
朝早くに起きて実家の軽を借り、阪奈道路→近畿自動車道→中国自動車道→山陽自動車道→神戸淡路鳴門自動車道、 ここで一旦下道に降りて、徳島自動車道→高知自動車道を通って四万十へ。 なんだか吉野川SAで休憩するのが定番パターンとなりつつある。 あのあたりで丁度、疲れが溜まるんだよねぇ。
須崎を過ぎたあたりでガソリンが空に近くなり、行けども行けどもガソリンスタンドは無くて焦った。 途中、SAで止まって東京ガソリンを買ったりしていたけど、乗ってる車には入れてなかった。
行きは平日だけど帰りは休日にかかるので、ETCを付けたいところであったが、 出張などでバタバタしていたので付ける暇が無かった。というか付けたくても、 どこも売り切れで在庫が無いようだ。 いつも実家で借りるのは母親の車なのだが、母親は高速なんか乗らないから必要無いと言っている。 今度行くときに勝手に取り付けて、シガープラグで簡易的に取り外しできるようにして、 普段はダッシュボードにでも仕舞っておくことにしよう。
夕方に別荘に到着。明日からの作業に備えて敷地内をチェック。 その後、ホームセンターに塩ビパイプなどを買いに行った。

ビーちゃんが、今晩はバーベキューにしようと提案したので、その案に乗った。 ビー家の車に便乗させてもらい買い出しに。 ウッドデッキの上にバーベキューコンロを設置し、ビー家と秋山家で囲んで堪能した。 少し寒かったが、コンロに近付けば暖まる。空を見上げると、やっぱりこっちは星が多い。 波音のBGMが心地良い。

今月の利益率は17.55%であった。月間利益額も300万オーバーで、 今の資金量から考えると出来過ぎとも言える。 今年の利益率も40%を越えたので、もう今年は流す程度でも良いかもしれない。 かなり買いを落としてしまったので、また安値を期待したいところだ。 長期的には原油は200ドルを超えると思っているが、一本調子には行かないだろうし、 もし買いが無いまま上がってしまったとしても、そんなに上がれば鞘で必ずチャンスがあるだろうから、 必ずしも買い持ちである必要も無い。そう考えると、 現段階では噴いたところはとりあえず利食いしておこう、となるのである。



2009年3月30日

朝から出勤し、出張中に溜まっていた仕事を片付ける。

晩には妻とサンダーバードで奈良へ移動。実家に到着。



2009年3月29日

午前中は仕事、昼前にホテルをチェックアウトし、宮古空港へ。 東京や東京経由で海外に帰る人は先に出発したが、 自分の飛行機は2時くらいなので、 ベンチに座って「積木の箱」の続きを読んで時間をつぶした。 どうも最近、涙もろくて、最後に一郎が叫びながら駆け出したあたりで涙があふれてしまった。 時期的に、空港内では、新年度に向けて島を出ていく人たちを見送る光景があちこちで見られたのも、 感傷的になってしまった原因かもしれない。 飛行機の中で読んだ新聞で、佐渡で放鳥されたトキのうち、雌が全部、佐渡海峡を越えて行ってしまい、 佐渡は雄だけになってしまったというニュースを読んで、またなぜか涙が…。 宮古島の一週間は楽しかった。

那覇で乗り継いで、ほどなく小松空港に到着。そして帰宅。我が家に帰ってきた。



2009年3月28日

朝、ホテルの大浴場で、ここのホテルに住んでいるという人と話をした。 このホテルは分譲もやっているそうだ。 そういえば宮古島はリゾートマンションの建設ラッシュで、あちこちでクレーンが動いている。 金融危機もどこ吹く風である。 その人が言うには、物価が安いので妻と二人で年金で十分に暮らしていける、 それにホテルの大浴場が使えるし、街中のスーパーまで送迎もしてくれる、 ゴルフ場へも送迎があって、良い生活だと言っていた。 定年後の生活として、こういう選択肢もあるということを心に留めておいたら良いですよ、 と言われた。しかし自分が年金を貰う頃には、 物価の安い離島とはいっても遊んで暮らしていけるほどは貰えなさそうだなぁ。

昼過ぎまで仕事で、午後からは観光で伊良部島へ。 タクシーをチャーターし、サバ沖井戸、フナウザギバナタ、佐和田の浜、パイロット訓練飛行場、 通り池、渡口の浜、と見て周った。通り池では、スコールに降られて散々であった。 パイロット訓練飛行場が印象的だったなぁ。日本で唯一のジェット機の訓練飛行場である。 行ったときに丁度、ANAのジャンボが動いていたが、訓練が終わって格納庫に戻る所だったようで、 飛ぶ姿は見られなかった。

晩は二日目に行った、当たりだったお店へ。 ホテルでは昨日と同じく軽めに飲んで解散。



2009年3月27日

ここんとこ、昼飯は近所の定食屋さんに行ってソーキ蕎麦ばかり食べている。 結構あちこちでソーキ蕎麦は食べたけど、ここのは非常に美味しい。

3時間ほど時間があったので、近くのゴルフ場へ行った。 4人で周ったのだが、経験者は一人だけ。もちろん自分も初めて(打ちっ放しには一度だけ行ったことがあるが)。 初心者ばかりなので、空振りはノーカウント、 池に落ちたりしてロストした場合もペナルティ無しで次はロストしたあたりから打つ、 なんて感じのお遊びルールで。 結局、時間が無くてショートホールを4ホールまわっただけで切り上げ。35打。 なかなか上手く飛ばないもんだね。 他の人も似たようなものだったけど、経験者の人は、 子供を肩車しながら片手で打ったりしながら一番成績が良かった。
コースを周っているときには全然歩いた感じがしなかったが、切り上げて帰る時にはやけに遠く感じた。 ゲーム中は夢中になっていて、しんどくないんだろうね。

晩は、一昨日行った店の二軒隣の店に行った。普通の居酒屋という感じで、味も普通。 その後、ホテルで軽めに飲んで解散。

昨日の放射性廃棄物の話について、人類の未来にどの程度の影響があるかホテルに帰ってから計算してみた。 1年間に発生する高レベル放射性廃棄物が100万Kwあたり40トンほど。 放射能を1トン当たり1000億ベクレルとすると、世界の原子力発電所の出力は3億8500万Kw程度なので、 今後、仮に300年にわたって世界の原子力発電所が稼動したとすると46京ベクレルほどの放射能が発生することになる。 仮にこれを全地球上に均等に散布したとすると、1平方メートルあたり900ベクレルほどになる。 これは直ちに命に関わるレベルではない(しかし統計学的には健康被害が懸念されるレベルである)。 逆に言うと、どこかに集中投棄すれば、管理が甘くて周辺が死の地帯になったとしても、 そこから離れて暮らせば比較的安全に暮らしていける程度の量であるということである。 結局、全人類の存亡という問題にはなり得ないから、とりあえず現状維持で、となる。 日本でいえば、六ヶ所村で管理に失敗して青森が放射能まみれになっても、 日本全土が汚染されるわけでもないので、日本の経済のためには仕方が無い、 という感覚なのかもしれない。



2009年3月26日

今日は仕事は午前中のみ。午後は参加者で観光ツアーに出かけた。 バスガイドのおばちゃんが、マシンガンのように話すのでびっくりした。 ずっとしゃべり続けで、参加者のうち外国の人はかなり面食らったように思う。 東平安名崎→池間島→砂山ビーチと移動し、池間島ではグラスボートに乗船。 想像していたより面白かったなぁ。珊瑚の隙間で昼寝をする海ガメを見かけた。 珊瑚のカラフルで神秘的な色合いは、いつまで見ていても飽きない。

晩はフレンチレストランで食事会。隣に座った人から原子力関係の内部の話を少し聞いた。 高レベル放射性廃棄物の処理技術(ガラス固化)が全く確立されていないという話。 まぁ、ガラス固化体が無事に出来たとしても、放射線と発熱でガンガン劣化していくから、 1000年は必要とされる耐久性能が実現できるとは思えないのだが。 地層処分をしても、いずれ地下水に滲み出すし、 地下水はかなりの深度から地表まで移動するということがわかっている。 今から1000年前といえば平安時代。今後1000年先なんて想像も出来ない未来。 そんな未来に至るまで子孫に管理を強要するとは、自分勝手も甚だしいわな。 しかし原子力が無いと日本の必要とする電力が賄えないのも事実である。 廃棄物処理などのコストを別にすれば、原子力のコストが格安であるというのも事実。 1000年後に人類が悲惨な目に遭おうとも、会計学的には、 その被害額を利率数%で現在価値に割り引けば、大したことの無い損害となるのも事実。 経済なんてのは未来より現在に重きを置くので当然といえば当然であるが。

ホテルで飲みながら宮古テレビを見ていたら、おばちゃんが宮古方言で話し、 外人さんが日本語で応えるという、摩訶不思議な番組をやっていた。 方言の字幕は全く無いので、内容は外人さんの受け答えで推測するしかない。 しばらく見ていて、一緒に飲んでいた人が、この人、昼間のガイドさんじゃないですか? と言ったので良く見てみると確かにあのおばちゃんだった。なんか非常に愉快になった。 ネットで調べてみると、このおばちゃん、冴子おばぁといって、宮古島では超有名人らしい。 日本語がペラペラの上に方言もペラペラ、おそるべしだなぁ。 宮古テレビがまた、なかなかローカル色に溢れていて素敵である。 保育園で今日はみんなで折り紙を折りました、という島内ニュース、 視聴者へのクイズ番組で、答えはこちらへお電話下さいと出て、 番組の終わりに応募者は16人でした、正解者の中から誰々さんが抽選で選ばれましたので、 賞品をテレビ局まで取りに来て下さい、とか。のどか過ぎる。



2009年3月25日

今日は午後に日暮れまで3時間ほど時間が取れたので、ホテルのレンタサイクルを借りて、 島内の探索に出かけた。 特に目的地も決めず、適当に走っていると、上比屋山遺跡なる場所に遭遇。 昔の儀式用の小屋などが残っていた。そこから海岸線に出て、 エメラルドグリーンの海を眺めながら1時間ほど昼寝したり本を読んだりして、 日暮れ前にホテルに帰ってきた。

晩は、近くの屋台村みたいな所へ。味は普通。

今日も部屋飲みである。途中から、一緒に飲んでいた人のうち二人が、 互いに心にわだかまっていたことを言い合うような感じになり、 この場でけりをつけてしまわないと今後に禍根を残しそうで、 とてもお開きにできないような状況になり、 話を聞いたり自分の考えを言ったりしているうちに朝4時になってしまった。
ここんとこ、毎日のように店でもホテルでも飲んでいて、泡盛のビンがどんどん空いていくが、 二日酔いも無くスッキリである。人によるのかもしれないが、自分の場合、 翌日に残らないものから二日酔いになりやすいものまで順に並べると、 泡盛>焼酎>ウォッカ>ウィスキー>ブランデー>日本酒>ワイン>ビール、という順になる。 ビールは、ちょっとやそっとでは二日酔いにはならないけど、 二日酔いになるほど大量に飲むと、翌日、辛くて死にたくなるくらい。



2009年3月24日

自分のプレゼンの番が回ってきたので、英語で40分ほど話した。いつも通り、詰まりながらたどたどしく話す。 基本的な語彙が足りないのが問題だなぁ。

WBC勝利の瞬間は仕事のため見られず。昼飯の時に見たときには同点に追いつかれたところだった。 それにしても、韓国と何度も当たったり、無駄に試合数を増やしてわけわからなくしているような仕組みだなぁ。 放映料を稼ぐためなんだろうけど。

夕方、仕事が終わり、まだ明るいので(宮古島は西にあるので日が暮れるのが遅い)、 海沿いを散歩して、海岸のベンチに寝転んで本を読んだ。 家を出る直前に、本棚にあった三浦綾子「積木の箱」をパラパラと見たら、 何となくまだ読んでないような気がしたので持ってきたのである。 かなり読み進んでから、読んだことあるやん、と気が付いた。 でも、内容はかなり忘れているので丁度良い。
かなり忘れっぽい性格なので、多分、いま家にある大量の本を何回転か読んでいけば、 死ぬまで楽しめそうな気がする。でもやっぱり、新しい本を買っちゃうんだよねぇ。

夜は、昨日行った店の隣の店に行った。 ここはかなり当たりである。豆腐ようが絶品であった。他の料理も美味い、泡盛も美味い。 こちらの料理については、刺身系はマグロ以外はいまいちで、北陸には太刀打ちできない感じだが、 ラフテーとかの豚関係、あとは揚げもの関係には美味いものが多い。 脂っこいのにさっぱりしているという、ある意味、不思議な食感を体験できる。

その後はホテルに帰って部屋飲み。3時くらいに急激に眠気が襲ってきて、リタイアした。



2009年3月23日

今日から29日までこちらで仕事である。仕事といっても、勉強会および打ち合わせおよび情報交換である。 南国に来ているのに、一日中ホテルに篭っているのもどうかと思うが仕方ない。

晩は、平良の宮古料理の店に行った。なかなか美味しくて良かったのだが、 かなり本土向けの観光客を意識した味付けになっていて、そこが少し気になった。

あまり値段を見る暇が無いのだが、相場は大きく順行している。今日のプラス131万。 やっぱり一日のプラスが3桁を超えるとテンションが上がるなぁ。

麻生首相が、経済危機克服のための有識者会合で「株屋は信用されていない」と発言して話題になっている。 実際の映像を見てみると、松井証券の社長が、 株式のイメージを改善し個人の投資を促進するために優遇税制などを考えて欲しいと言ったのに対して、 個人の投資を促進するのは賛成だけど、 株屋ってのは信用されてないんだから{何をやってもイメージは変わらんよ}、と投げた格好に。 それに対して、長期投資とかもありますから、そういう方向に持って行きたい、と松井社長が言うと、 配当が低すぎる{から駄目でしょ}、と更に切って捨てている({ }内はこちらで付け加えた)。
要するに、個人のギャンブラー投資家を増やすことは必要だと思うが、 所詮は株式投資なんてのは真っ当な人間がやるものではない、という認識に立った発言に思える。 それを考えると、証券会社や株式投資そのものを見下した発言をしたという報道も、 あながち間違いとはいえないような気がする。 そもそも株屋という言葉自体、ざっくばらんに何となく使ったのかもしれないが、 証券側からするとかなり不快だったのではないか。 株屋という蔑称を払拭するために、何十年も努力してきたわけであるし。
まぁでも、麻生首相の「株屋は信用されていない」という発言は確かに正しい。 正しいのだが、日本の首相が株式に対して、 その程度の認識しか持っていないということを曝け出してしまったところに問題がある。 日本の首相は日本を代表しているわけなので、懇談会といえども、 個人の立場からの発言というのは存在し得ないと考えるべきである。
それにしても、株屋よりも豆屋はもっと信用されていないわけであり、国のトップがこんな調子では、 商品市場から個人投資家を締め出してプロだけの市場にしてしまえ、 という思考になるのも当然のような気がしてくる。



2009年3月22日

自宅からタクシーで金沢駅へ行き、金沢駅からバスで小松空港へ。 那覇空港で乗り継いで宮古空港に到着。小松から那覇への便の機長さんが親切な人なのか、 前線の影響で左手前方に大きな雲がありますが、これを避けるように飛行していきます、 でも、迂回してもどうしても雲の中は通りますので、その間は揺れに注意して下さい、 等と、普通より多めに解説しながら飛んでくれた。 確かに左に見えたのは、中にラピュタがありそうな雲だった。 こういう解説つけたりするのはパイロット次第なんだろうなぁ。
そういえば電車の話だが、サンダーバードで湖西線を通るときに、車掌さんが、 右手に琵琶湖が眺められますが、この時期の琵琶湖はうんたらかんたらと、 観光ガイドみたいな案内をしてくれたことが一度だけあった。
宮古空港のビルディングは、南国情緒のある赤瓦の建物で、非常に良い雰囲気である。 暑くて上着は要らない。半袖くらいが丁度良い感じ。しばらく待って、送迎バスでホテルに移動した。

夕方は、ドイツ文化村なるところで夕食会に出席。なんでも、明治の初めにドイツ商船が座礁したのを、 このあたりの人が救助したことで、交流が続いているらしい。 沖縄サミットの時、シュレーダー首相も来たらしい。

ホテルに戻り、久しぶりに会った人たちと部屋飲みで3時くらいまで飲んだ。



2009年3月21日

休日だが、出勤して出張準備の続き。誰もいない職場に私服で出勤するのはちょっと楽しい。



2009年3月20日

引き続き出張の準備。

今月上旬、二日連続で逆行して160万ほどやられたとき、 トイレットペーパーをトイレの床に置いていたのが悪かったのかも、と思って、 棚の上に上げたら翌日から順行したのでよかったと、妻が言っていた。 そんな気にしてくれなくてもいいのに。 芳名録はこまめに読んでいるようだ。他には江戸酔小唄さんの日記がお気に入りらしい。 ロンドアーンさんの、ベニコンゴウインコの話の続きも書いてほしいと言っていた。



2009年3月19日

一日中、家で出張の準備。終わらん。



2009年3月18日

会議があり、その後に職場全体で退職者送別会があった。 ビールをかなり飲んで、もう仕事をする雰囲気でもなかったのだが、 頭をクラクラさせながら部屋に戻って仕事をした。

掲示板で、分数で割る意味についてちょっと書き込みがあったので、こちらにも書いておく。
A÷B を例えば「AグラムのケーキをB個に分ける」と考えたとき、Bが分数の場合にどう解釈すればよいか、 という問題を考える。分数でも小数でも同じなので、例えば、 0.1個に分けるというのをどう解釈するかという話になる。
まず、簡単なケースから考える。 ケーキを2.5個に分けるといえば、同じ大きさの塊2つとその半分の大きさの塊1つに分けることを意味し、 それほど不自然ではない。つまり、
「120gのケーキを2.5個に分けると、一個48g」これは自然。
「120gのケーキを1.2個に分けると、一個100g」これも自然。
問題は、「120gのケーキを0.1個に分けると、一個1200g」、この場合である。
よくよく考えてみると、分けたものの重さが元の重さより重くなるのが違和感の出所なので、 それは「分ける」という日本語の語感に由来する問題である。従って、 「分ける」という言葉を使っている限り違和感が無くなることはない。 しかし、「120gのケーキを3つに分けると、一個40g」というのは、つまり、「3つ分で120gになるなら、一個40g」 ということなので、この言い換えを適用すると「0.1個分で1200gになるなら、一個1200g」となって、 一応、解釈は通る。 結局、ワンステップ言い換えを入れれば、B個に分けるというのでBが分数である場合も、 何とか説明できることになる。
実は、既存の定義を同じ意味になるように別の定義に言い換えて、 それをより広い範囲に適用できるようにすることは「拡張」とか「一般化」と言われ、 数学の世界では非常に基本的な概念なのである。 例えば、三角関数は元々、直角三角形の辺の比から定義されたものであり、 そのままの定義では角度が90度以上の三角関数は定義できないが、 これを単位円の軸への射影と考えることにより、 0から90度の場合には直角三角形の辺の比で定まる値と同じでありながら、 90度以上でも負の場合でも任意の角度に三角関数を拡張することができる。 更に、そのままでは三角関数は実数に対してしか定義されていないが、 冪級数を用いて定義することにより、実数に対しては単位円を用いた定義と同じ値を返しながら、 複素数にも三角関数を拡張することができる。
そもそも数自体も、自然数→0を加えた自然数→整数→有理数→実数→複素数、と拡張されてきた。 この拡張という概念を理解していないと数学でつまづく原因になる。 三角関数は直角三角形の辺の比だった筈なのに、後から単位円を用いる別の定義が出てくる、 判別式が負の場合は二次方程式は解が無かった筈なのに、 いつの間にか今度は複素数解があることになっている。 拡張という概念を知らなければ、数学というのは一貫性の無い教科だと勘違いしてしまってもおかしくない。
そういや少し違う話だが、知り合いの子供が小学校で「正方形は長方形ではない」と習ってきたので、 学校に苦情を言いに行ったそうだ。



2009年3月17日

来週から宮古島に出張なのだが、準備がまだ出来ていない。 世界の同業者とリゾート地で情報交換および勉強会、英語でプレゼン40分である。 この前の仙台では英語がボロボロだったので、もっと入念に準備をせねばと思っていたのに、 結局今回もぶっつけになりそうな感じ。

上司の方が定年退職を迎えるので、お昼に送別の食事会があった。 その後に会議、その後に別の所で短い講演を行い、その後にまた会議であった。

現在、先物探花のページは相場技研のサーバーを借りて設置しているのだが、 来年からこのサーバーを相場技研の管轄から自分個人の所有に移管することになった。 当然、費用もこちらで負担することになる。 年間で35万円程度かかるのだが、これをどう捻出するか悩み所である。
一つのサーバをシェアするようなサービスだと年間でも数万円で収まるのだが、 外電速報とブログリンク集の自動更新と相場技研データファイルの更新に相当の負荷が発生しており、 それに加えて個人的なデータ収集もサーバー上で自動化しているので、 単独サーバーじゃないと、どこもレンタルしてくれないと思う。 株系の個人サイトで、世界のリアルタイム株価を配信している所があったが、 そこも、処理が重いためホスティング会社にサービスを止められたりして苦労しているようだ。
容量は余りまくっているので、teacupやjbbsのようなレンタル掲示板群を運営して、 広告バナーを載せて運営費を捻出できないかと考えている。net-trader.jpのドメインを利用し、 投資関係だけに限定しようと思っている。 丈夫で軽いスクリプトを書かねばならないし、 ある程度、ユーザー側でカスタマイズできるようにしなければならないし、 考えねばならない事が多い。



2009年3月16日

OPECの減産見送りで下げた。しかし明日以降、上げてくるならば、これは相当強いと見なければならない。 初心者は、弱材料が出れば売り、強材料が出れば買い、と考えがちであるが、 実際は、強い相場は弱材料を消化して上げるし、弱い相場は強材料があっても下げる。 よって材料に対する反応を見る方が的確であるといえる。 OPECがどうしたとか在庫がどうなったとかは、実際には相場に大した影響を与えないので、 相場の反応を見るには丁度良い材料なのである。

今日は職場の同じグループの人が4月から京都へ移るので、送別会を開催した。 人は多い方が楽しいので、妻も呼んで、みんなで串揚げバイキングの店に行った。 料理はまあまあだったが、店員の勤務態度が悪すぎる。 飲み物を頼んでも、なかなか持って来ない。 厨房でぺちゃくちゃ喋っている。 串揚げが無くなっても言われるまで追加を持って来ない。 ソースが無くなっているのに言われるまで追加しない。 チェーン店なんだけど、本部から覆面で視察とか来るべきじゃないか。 そのかわり、バイキングの時間制限を大幅にオーバーしていたにも関わらず、 追加料金も取られなかった。要するに、全てにおいてやる気が無いのである。



2009年3月15日

車の調子がプラグかぶりでまた良くない。前回と同じく、スパークプラグを外して磨いたら復活した。 原因はだいたいわかっている。 バッテリーがもうダメになっていて、アイドリングが安定せずにプラグがかぶってしまうのである。 腐れバッテリーは交換したので今後は大丈夫のはずだ。

妻といつもの温泉へ。帰りにいつも気になっていたカフェに寄った。 妻は、おにぎりと味噌汁とゆず茶を、自分は、アップルパイとココアを注文。 なかなか美味しい。良い夕暮れである。

家で書類を整理していたら、ペシャワール会の会報の、開封し忘れて読んでないのが出てきた。 開封して読んでみると、伊藤和也さんが亡くなる直前の会報であった。 最近、治安の悪化が甚だしく、日本人スタッフを撤退させねばならない事態が近いうちに来ると思われるので、 早急に現地スタッフだけで運営できる体勢に切り替えていかねばならないだろう、と書いてあった。 まさにその危惧は現実化してしまったのである。



2009年3月14日

ようやく確定申告書類の作成に取りかかった。領収書やレシートを日付の順に並べ、 整理するだけでまず多大な時間を費やした。 昨年は、相場の講演をはじめ雑所得が色々とあったので、その処理にも時間がかかった。 雑所得が書類に書き切れないので、別紙にまとめて添付することに。 雑所得の経費の詳細は書かなくても良いようだけど、これも一応、別紙にまとめて提出。 結局、分離課税の相場の方は、交通費・書籍費・消耗品費・通信費で20万円ほど経費を計上、 雑所得の方も、交通費・宿泊費・通信費で20万円ほど計上しておいた。 相場の方は損失繰越である。昔は、まさか損失繰越の申告をすることがあるとは、思いもしなかったが。
作成コーナーで入力して印刷して出来上がり。予定納税していたので、 3万円ほど還付されるようである。 妻の分の書類も作成した。結婚直前に国民年金を追納で山ほど払っていたので、 課税所得がゼロになっていた。 結婚後に払ってくれていれば自分の分から控除して、もう少し税金を節約できたのだが…。 当時は思いつきもしなかったので、今さら言っても仕方が無いが。 妻の方も還付金が発生する予定。



2009年3月13日

昨日と一転変わって大幅順行。

北海道からお客さんが来たので、晩はいつもの加賀料理のお店へ。その後はいつものお店へ。 バレンタインのお返しにママさんと女の子にチョコレートケーキとギモーヴを買って行った。 ギモーヴってのは知らなかったのだが、エムザの地下で偶然見つけ、なんじゃこりゃ、 と思って試食したら美味しかったので買ってしまった。マシュマロのようだが、 マシュマロよりはあっさりしていて食べ易い。というか、後で調べたら、 フランス語でマシュマロのことらしい。
丁度、女の子の誕生日で、鉢植えやら花束やらで、店中、花だらけであった。凄い世界である。 帰り際、妻にお祝いのおすそ分けでと、霞草とバラの大きな花束を貰った。 雨がザザ降りだったので、花束を抱えてタクシーで帰宅。



2009年3月12日

今日の相場はマイナス82万。一進一退で増えんもんだなぁ。 ガソリンを買い増ししようと、朝から先限を前日比1600円安に指しておいて、 昼休みに見たら前場の安値が1590円安で不成立。どうかと思うなぁ。 値段自体の100円単位は避けるようにしているのだが、前日比の100円単位も避けた方がいいのか?  偶然かもしれないけど。ちなみに指値は後場で成立。

しばらく前に職場で、mのn乗=nのm乗となるのは、 m と n が自然数の場合は m と n が等しいか (m,n)=(2,4),(4,2) の場合しかないが、 m と n が正の有理数の場合はどうなんだろう? という話題になった。 それからしばらく考えていたが、何とか解けた。以下に解答を書いておく。

m=n の時は明らかに成り立つので、まずは 0<m<n の場合を考える。
n=a*m と置くと、m*a*log(m)=m*(log(m)+log(a)) より、 m=a^(1/(a-1))、n=a^(a/(a-1)) と書ける。
さて、a=n/m より、a は有理数でなければならない。 そこで、p と q を互いに素な自然数として、a=q/p とする。
次に、ユークリッドの互除法を適用すれば、p*t-q*u=1 となる整数 t と u が求まる。
このとき、 m^t*m^(-u)=a^((t-a*u)/(a-1))=a^((t-q/p*u)/(q/p-1))=a^((p*t-q*u)/(q-p))=(q/p)^(1/(q-p)) となる。
ここで、m^t*m^(-u) は有理数なので、m^t*m^(-u)=s/r(ただし r と s は互いに素な自然数とする)と置くと、 q/p=(s/r)^(q-p)、つまり、q*r^(q-p)=p*s^(q-p) が成り立つ。
さて、 p と q が互いに素、r と s も互いに素なので、p=r^(q-p) と q=s^(q-p) が成り立ち、 q-p=s^(q-p)-r^(q-p) が言える。q-p=k と置くと、k=s^k-r^k となる。
さて、a>1 から k≧1 が言えるので、s>r が言え、更に k=s^k-r^k≧k(s-r) より s-r=1 でなければならないこともわかる。
改めて書くと、k=(r+1)^k-r^k となる。 これは k=1 の場合は任意の自然数 r で成り立つが、k≧2 では成り立たない。 よって、q=p+1 の時が求める解になる。
mとnに直し、m>nの場合も考慮すると、最終的に、m^n=n^m の正の有理数解で m と n が等しくないようなものは、 pを任意の自然数として、
(m,n)=( (1+1/p)^p, (1+1/p)^(p+1)) もしくは (m,n)=( (1+1/p)^(p+1), (1+1/p)^p)
で尽くされる。



2009年3月11日

知り合いの息子さんが来年、大学受験ということで相談を受けたので、 参考書をいくつか推薦した。現在は地方の進学校に在学中で、志望はとりあえずは国公立の医学部とのこと。 少々レベルは高めで考え、自分が受験のときに使ったり、 塾講師や家庭教師をしていたときに使ったりして良かったものの中から、 数学は「解法のテクニック」、物理は「難問題の系統と対策」、化学は「有機化学演習」を勧めた。 無機化学も良いのがあった気がするけど、記憶が定かではないので、とりあえず有機だけ。
受験において、頭の良い人が有利なのは間違いないが、 東大や京大でなければ情報処理能力で何とでもなるのが現実である。 具体的に言うと、一番効率の良い勉強法は解法パターンを覚えることである。 そのためには、質の良い例題が収録されていて、その解説が詳しく書いてある参考書で勉強するのが良い。 出来れば、見開きの左側に問題が一題、右側にその解説が詳しく書いてある形式が良い。 巻末に解答が申しわけ程度に載っている問題集などがあるが、そんな問題集は捨てた方がマシである。 また、解説で全てが理解できるようなのが理想なので、その意味でも解説の短い参考書はダメである。 そういう点から言うと「解法のテクニック」は良かった。 自分が使ったのは矢野健太郎さんが書いたもので、数学者の香りがして好きだったのだが、 今は著者が替わっているようだ。
参考書には章末問題のようなのが付いていることもあるが、章末問題は解説が少ないので最初は無視し、 例題のみ、解法を覚えるまで繰り返しやる。 この際、詰まったらすぐに答を見るのが効率的に勉強するコツである。 自分が受験生の時には、参考書や問題集を次々と買っては放り出し、の繰り返しで、 ほんとに金の浪費と思われるほど色々なものを買った。そんな試行錯誤の上での感想である。 英語については結局、試行錯誤のまま、どう勉強したら良いかよく分からないうちに受験になってしまった。
さて、一通り解法パターンを覚えたら、早い時期に志望校の過去問をやって応用力をつけるのが良い。 過去問は参考書の場合と違って、すぐに答を見ずにじっくり考える。 やる過去問が無くなったら、傾向の似ている他の大学のをやる。 自分の場合、わざわざ志望校の15年くらい前の過去問まで探してきて解いた (これは単なるこだわりで、実際はあまり過去のをやっても意味が無い)。
よく、実力があまりないので基礎からやろうと、簡単な問題ばかり解き続ける受験生がいる。 実はこれは一番効率の悪い勉強法である。 問題は難しくて解けないけど、解説を読めばなるほどと理解できる、 という程度の問題を解くのが一番能力が伸びるのである。 もちろん、難し目の問題はすぐには解けないので、最初は解説を見ることになるが。



2009年3月10日

今月下旬までに仕上げなければならない仕事にようやく目処がついてきた。 最近ずっと掛かりっきりだったからなぁ。亡くなった上司のおかげかな。 もう声は聞こえてこないけど、まだ四十九日にはなってないから、近くにいると思う。

井上靖「天平の甍」を読んだ。高校生の頃にはあまりピンと来なかったが、 今読み返すと、かなり感じるものがある。登場人物の内面には深く立ち入らず、 出来事のみを淡々と書き連ねていて、それが逆に凄みを生じさせている。 これはある意味、文章の一つの理想だなぁ。
あらすじ。仏教伝来から200年弱、いまだ仏教の基盤は固まらない。 そんな中、鑑真招聘という一大事業に命がけで取り組んだ若き僧侶たちの物語である。 濁流のような歴史の流れの中で木の葉のように流される人間たち、 そんな中、ちっぽけな個人が持つ使命とは何か、 何を為すべきか悩みつつ成長する主人公達が描かれている。 実際には、使命感に燃えて迷いもなく大和国のために邁進したのかもしれない。 本当はどうだったかは分からないけれども、この小説で描かれているのは、 人と人との間の絶望的とも思える距離感であり、 多様な価値観の中で、いかに生きるべきか苦悩する若者たちである。
本を読んだ時の感じ方は年とともに変化してくる。 中学生の頃にはヘッセの「車輪の下」に衝撃を受けたものだが、最近、読み返してみたら、 それほどの衝撃は無かった。「天平の甍」は逆のパターンである。 昔、読んで良かった本をまた読み返してみるのも良いかもしれない。 例えば太宰治とか、今読んだらどう感じるだろうか。



2009年3月9日

若干筋肉痛が残るが、大したことも無し。

相場はプラス89万。ようやく今月プラスになった。

片町で、まこりんさんにご馳走になった。 一次会は割烹、二次会は高級そうなクラブ、三次会はニューハーフバーに連れて行ってもらった。 ありがとうございます。 北陸の相場師も少なくなってきた。 まこりんさんとの付き合いは9年になる。お互い、これからも長く生き残って行きたいものである。



2009年3月8日

能登和倉万葉の里マラソン大会に参加した(参加は10Kmコース)。妻も一緒に応援に来てくれた。
朝5時に起床。起きてみると、昨日の晩は何ともなかったのに、少々体がだるく鼻水が止まらない。 どうやら軽く風邪を引いてしまったようである。まぁ、それほど酷くはないし、 既に参加登録もして参加費も払っているので、予定通り参加することにした。まずはタクシーで金沢駅へ。 金沢駅からは、普通電車と、のと鉄道を乗り継いで和倉温泉へ。 車内で妻の作ってくれたおにぎりとゆで卵を食べ、後は体力温存のため睡眠。 和倉温泉駅からはシャトルバスで、8時半過ぎには大会本部である和倉温泉会館に到着した。
受付を済ませゼッケン等を受け取ったが、10Kmコースのスタートは10時50分からなので時間が余っている。 このマラソン大会では牡蠣祭りも同時に開催されていて、 牡蠣を買って、炭火で自由に焼いて食べることができる。 さっそく妻と、出店でおはぎを買って食べたり、岩牡蠣を買って焼いて食べたりして時間を潰した。 10分前にストレッチを開始。10Kmコースにはゲストとしてダンディ坂野さんが参加されるそうで、 インタビューを受けていた。
自分は、歩くのだったら一日40Kmを3日連続でも全く平気なのだが、 走りに関しては生まれてから今まで、まともに10Km続けて走ったことはない。 3月に入ってから2回ほど練習で走ってみたが、いずれも5Kmくらいで歩いてしまった。 最後まで走り続けられるか不安であったが、少なくとも5Kmまでは何とかなるし、 後は気合いで行けるだろうとの読みはあった。 一応、前半を1Km5分のペースで、後半を1Km6〜7分のペースで走って、 1時間くらいで何とかなるのではないかとプランを立ててスタートした。
七尾湾を眺められる気持ちの良いコースである。事前の練習と同じく、 5Km走って折り返し地点まで来たところで体力の限界が来た。 しかし沿道の人たちが応援してくれているので、歩くわけにもいかない。 気合いで走っていると、6Kmくらいから再び体力が湧いてきた。 そのかわり今度は、ふくらはぎの筋肉が痛くなってきた。 最後の2Kmは、痛くて吊りそうになるふくらはぎをなだめながら走り続けた。
ほどなくしてゴール。タイムは55分であった。まぁ、初めてにしては悪くないと思う。 心臓、呼吸、体力に関しては比較的余裕が残っているが、 ふくらはぎが猛烈に痛くてこれ以上走れない状態。 これって、普段からストレッチをやり、足の筋肉を増やしてほぐしておけば、 体力的には問題ないので、まだまだ距離は伸ばせるってことだなぁ。
本格的に走っているっぽい人が何人も、後半になってから自分を追い抜かして行った。 恐らく、フルマラソンを念頭に、前半をスローペースで走り、 後半に追い上げるような走り方の練習をしているのだろう。
ゴールの後は、参加賞の海鮮鍋と岩牡蠣をもらい、再度、妻と炭火で焼いて食べた。 殻からはみ出そうになるほど丸々と肥え太った牡蠣を次々と焼いては食べる。 楽しい時間である。毎年この大会に牡蠣を食べに来るのもいいかもしれない。 食べるだけでは何なので、ついでにマラソンも。
一通り食べ終わり、シャトルバスで和倉温泉駅へ。 電車で金沢駅へ。金沢駅からはバスで自宅に帰ってきた。 ふくらはぎの筋肉痛のせいで歩き難い。

まだ日が暮れるまでしばらく時間があったので、車のチェックを行った。 テールランプの共通アースを見てみると、案の定、接触が悪くなっている。 磨いて付け直すと症状は綺麗に治まった。めでたしめでたしである。 こういうのは、車に慣れている人にはすぐわかるのかもしれないが、 自分の場合はヘッドライトにばかり意識が行っていたので、 まさか後ろの配線を経由して電気が回って来ているとは思いもしなかった。 とは言っても、要所要所を地道に計測していけば、いずれは同じ答に辿り着くだろうけど。
それにしても、色々と計測して気がついたのは、ボディ自体にそれなりの電気抵抗があるということ。 古いイタリア車だし、あまり良い鉄が使われてないんだろうなぁ。 現在は、バッテリーの負極はボディに接続されていて、全ての電気はボディを経由して流れているのだが、 電気がボディを流れる際に無駄にジュール熱になっているような気がするので、 今度、バッテリーと全てのアースポイントを接続する、 いわゆるアーシングを試してみることにしよう。

晩は宅配ピザにすることに。チラシの値段を見ると、S(直径20cm)、M(直径25cm)、L(直径35cm)があり、 MはSの約2倍の値段、LはSの約3倍の値段であった。面積比で考えると明らかにMの値段がおかしい。 よってMは避けてSを3枚頼んで妻と二人で食べた。マラソンの健康効果はこれで帳消しだな。

疲れたので、確定申告書類の作成は明日以降に持ち越し。



2009年3月7日

ヘッドライトを点けるとウィンカーが消える現象に取り組む。 お世話になっている車屋さんに電話でアドバイスをもらい、 ヒューズの接触とウィンカーレバーの接触を確かめるものの、異常は無いようだ。
ここから独自調査に入る。ウィンカーフラッシャー周りの電圧を測ってみると、 ヘッドライトを点けることでフラッシャーの出力側に3〜5Vの電圧が発生し、 こいつのせいでフラッシャーに十分な電圧がかからず、作動が阻害されることがわかった。 このことから、ヘッドライトとウィンカーの共通アースの接触不良だと思ったのだが、 ウィンカー電球の陰極側の電位を測ると、これはほとんどアース電位と同じで、予想は外れ。 とそのとき、ヘッドライトを点けるとウィンカーは消えるものの、 完全に消えているのではなく、ほんの薄くウィンカー電球が光っていることを発見した (カバーを着けているとわからないが、電圧を測るためにカバーを外していたのでわかった)。 つまり、3〜5Vの電圧はアース不良によってウィンカー電球の陰極側に発生しているのではなく、 電球の陽極側に発生していたのである。つまり、 ヘッドランプの電気が何かの原因でフラッシャーとウィンカー電球の間の配線に流れて来ていることになる。
ヘッドライトとウィンカーの配線がショートしているなら、3〜5Vという電圧に説明がつかない。 さっぱりわからなくなってしまったが、以前、 神田の古本屋街で見つけたアルフェッタGTV6/2.5のマニュアルを見ていたら、 回路図が載っていることに気がついたので、これで調べてみることにした。 細かくて非常に見辛いので、コンビニで拡大コピーし、ヘッドライトとウィンカー、 ハザード周りの配線だけを抜き出して回路図を描いてみた。 そこに計測した電圧を書き込んでいき、何が起きているのかを考えてみると…。 ようやく、99%正しいと思われる原因がわかった。 ヘッドライトもウィンカーも、フロントのライト周りは恐らく正常なのである。 しかしテールランプの共通アースがたぶん接触不良で、ヘッドライトを点けると、 ヘッドライトに連動するテールランプに電流が流れ、それがアースに流れずに、 テールランプのウィンカー電球を逆流してフロントウィンカー電球の陽極側に電圧を発生させるのだと思われる。 これで、今起きている全ての現象と電圧を説明できる。 今日はもう暗くなってしまったので、明日にでも確かめてみるつもり。

ようやく確定申告書類の作成に取りかかった。 昨年は、講演、技研、相場(損失繰越)、予定納税、妻の退職、結婚、などなど、 考慮しなければならない点が多いので大変である。 とりあえず相場関係の書類を作った。続きは明日に。



2009年3月6日

深夜12時過ぎまで仕事であった。仕事が少しだけ一段落した。

政府高官が「西松建設事件は自民党には波及しない」と語っていたという報道がなされている。 オフレコなので実名は出せないということらしいが、 政府高官というのは基本的には官房副長官を指すらしいので、 正解は漆間巌官房副長官。検察とも関係が深いと言われている人物である。 ちなみに政府首脳は官房長官を指すらしい。
マスコミも、政府のリーク情報に群がって情報操作の片棒を担ぐようなことは、 いい加減に止めたらどうか。このままではマスコミは自らの首を絞めるだけである。

幸田真音「タックス・シェルター」を読んだ。この人の小説、初期作品の「日本国債」は良かったけど、 その後は深みが無くなっていく一方だなぁ。もうネタ切れでは?



2009年3月5日

今日はプラス60万。午前中には100万以上順行していたのだが、削られてしまった。 しかし鞘がかなり様変わりしてきた。今後が楽しみである。 はっきり言って、罫線の動きよりも鞘の動きの方が相場を見る上では遥かに参考になる。 商品にはせっかく鞘という有力情報があるのに、罫線しか見ない人がいるが、 本当にもったいないと思う。しかし、罫線だけ見ている人ならば、 商品が廃れればFXでも株でも移動できるが、 自分の場合は鞘が無い他分野にはなかなか移る気が起きない。

先物タロウさんのデイトレ術のHPを読ませていただいた。 非常に勉強になる。というか、そういう取引にいくらかの優位性があるということはわかっていたが、 今どき、まさかそれを実行している人がいるとは思わなかったという驚きの方が大きかった。
相場というのは、月足からティック足に至るまで、様々なレベルの投げ踏みの集合体であって、 砂浜に寄せては返す波のように、買い方と売り方のせめぎ合いで成り立っているのだが、 戦いは一ヶ所で行われているのではなく、ガソ灯油合わせて12本の限月で行われている。 どこの限月が全体的な戦況に影響を与えているかは時によって異なるのだが、 全体的に引き波になったときに、ある限月だけ撤退が数秒遅れて玉が取り残されていることがあり、 そういうのをサクッと捕獲してやれば有利に玉を建てることができる。 また、全体的に引き波から寄せ波に転換しつつあるのに、 ある限月だけ引き波継続で行き過ぎることもあり、こういう場合もチャンスになる。 勢いに乗って突撃していたら、いつの間にか戦況が変わり、 深追いし過ぎたことに気づいて殲滅されてしまうという定番パターンである。
こういうやり方は、昔、珈琲相場師さんがやっていた手法に近い。 彼の場合は、先限以外で仕掛け、有利な玉を建てたらすぐに先限に成行でヘッジしていた。 その頃は板も厚く、先なら成りで出してもほとんど滑らなかったのである。 常にヘッジ状態なので、ドローダウンは極めて小さかったように記憶している。 他人よりも機動性のある執行環境が優位性の源泉なんだと言っていたのも共通している。 彼が撤退してから、こういうのをやる人は居なくなったと思っていたのだが…。
中学生の頃、友人と対戦型テトリスにはまり、毎日二人で対戦しているうちにどんどん上達し、 今では考えられないようなスピードでも平気で続けられるようになってしまった。 これと同じで、先物タロウさんも、徐々に難易度が上がっていくなか、 それに対応し続けることで自然と驚くべきレベルにまで達してしまったのだろう。 好きじゃなきゃ出来ないことだね。
しかし今の板状況だと、この手法で市場に落ちている優位性は市場全体で月500万というところだろうなぁ。 同じことを10人がやれば一人あたり月50万、20人がやれば一人あたり月25万程度しか儲からないような気がする。 厳しい世界である。個人的には複利運用が利かない手法はやるつもりは無いが、 先物タロウさんのような人には、 市場の流動性を担う日本版ローカルズとして頑張ってもらいたいものだと思う。

週末のマラソンに備えて新しい靴を買ったので、慣らしのために少し走ってきた。



2009年3月4日

経済効果はほとんど無いと思われる定額給付金の給付が明日にも始まるようだ。 どうせバラ撒くなら、もうちょっと効果のある使い方をすりゃいいのに。 地域振興券でさえ実質的な消費効果はほとんど無かったと言われている (経済企画庁の超水増し調査でも32%)。 つまり、日常で買うものを振興券で買い、その分、浮いた金は貯金に回されたというわけである。 そういえば、その頃に働いていた店で、バイトの人がこっそり振興券をレジの中の現金と交換していた。 全く意味が無い。
どうせやるなら、政府が業者を500社ほど募集して全品12000円均一のカタログギフトを製作させ、 ネット等で公開し、どれか品物を一つを選べばそれが届くようにすれば良いと思う。 選ぶ楽しみもあるし、どの品物が良さそうとかの話題づくりにもなる。 地方の名産を宣伝する良い機会にもなる。 その際、使えば無くなる日用品のセットとか、金貨とか、商品券など、 消費拡大に繋がらない品物は除外しておけば良い。

民主党の小沢代表が、不当捜査という言葉を使って検察を批判している。 実質的には国策捜査なのかもしれないが、そうだとしても、 検察側は立件できると踏んで捜査をしているわけなので、小沢氏側が何を言っても立件するだろう。 小沢氏は、寄付を行った団体が西松建設のダミー団体だとは知らなかったと言っているが、 そんな言い訳を信じる人はいない。迂回献金であるのは明々白々である。 となると、このまま民主党全体で検察批判を続けてしまうと、民主党自体が小沢氏と共に沈みかねない。 被害を民主党全体に及ぼさないためには、小沢氏が代表を辞任するしかないのではないか。



2009年3月3日

一日中仕事。家に帰ったら、妻がちらし寿司と蛤のお吸い物を作ってくれていた。 今日はひな祭りか。

マイナス89万。正確にはマイナス89万3000円、ヤクザな市場だ。 油の買い越しは徐々に増えてきたが、まだレバは1倍を越えていない。 気長に買っていくつもり。



2009年3月2日

午後から出勤。夕方まで仕事。しかしここでトラブル発生。 例の事務のパソコンが、自動更新でXPのSP3をインストールしようとしてブルースクリーンが出る。 二度ほど試したが、症状は同じである。まったく、このクソOSが…。 レジストリをいじるとSP3への更新をブロックできるらしいので、とりあえずそれで対処しておいた。 しかしまだトラブルが…。Windows UpdateのKB946648がどうしても失敗する。 セーフモードでやっても駄目。 「KB946648 セットアップエラー 必要なインストールブランチがINFファイルにみつかりませんでした」だと。 インストールブランチってなんやねん。ネットで英語サイトまで調べたけれどもわからず。 どうしてもこいつが入らないので、(これはWindows Messengerに関する更新なので) Windows Messengerを削除したら、インストールしろとは出なくなった。 ほんまに、このクソOSは…。 無駄に使われた時間を時給換算したら、えらい損失である。

相場はマイナス70万。大打撃である。



2009年3月1日

今日も朝から休日出勤である。

午後には帰ってきて、車を少し調べてみた。 この前ウィンカーが点かなくなったのだが、今日、作動させてみるとちゃんと作動した。 しかしヘッドライトを点灯させるとウィンカーが消える。 ハザードを出している時にヘッドライトを点灯すると、ハザードの点滅間隔が長くなる。 これらの症状から、アース不良が原因であるということはほぼ確定した。 しかしリレーボックスなどの配線が奥にあっていじれない。 ダッシュボードを外さないといけないかな、そこまでしなくても、 アースポイントだけ磨けば直るかも、等と考えているうちに暗くなってしまった。 続きはまた今度。
車を調べるのにテスターを使おうと思ったら動かず、とうとう壊れてしまったようだ。 中学生の頃から使っているデジタルテスターである。今まで良く働いてくれた。 とりあえず近くのホームセンターで新しいのを買ってきた。
バッテリーがどうも寿命っぽいので、交換することにした。 オートバックスに行ったら、買おうと思ったやつが32000円くらいしている。 えらい高いなーと思ってネットで調べたら、18000円くらいで出している店があった。 なんでこんなに値段が違うんだろ。

職場の人に誘われて、今度の土曜日にマラソンに出ることになっているのだが (マラソンといっても自分が出るのは10Kmコース)、 忙しいため何の準備もしていない。 さすがに何もしていないと少し心配になるので、10kmのコースを設定して走ってみた。 10kmを1時間のペースで走ってみたが、特に脇腹が痛くなることもなく、何とかなりそうな感じ。 実際は5kmのあたりでバテて休んでしまったが、本番では気合いで何とかなるだろう。



2009年2月28日

今日は午後から休日出勤である。夜になって帰宅。



2009年2月27日

今月の利益率はプラス7.7%であった。 午前中はかなり利が乗っていたのだが、鬼のように削られた。まぁ、油の買いは長い目で見ているので。

職場の事務の人が使っているパソコンのHDがクラッシュした。DELLのパソコンである。 中を開けてびっくり。至るところ作りがチャチだし、CPUのシリコングリスは劣化してパサパサになってるし、 こりゃ、安いわけだわ。グリスは銀入りの高いやつで塗りなおした。
HDを交換したけど、BIOSと相性が悪くて苦労した。 電源を入れるとビープ音が続けて鳴って止まる。 良くわからんが、マザーボードのリチウム電池を外してメモリを初期化したら認識するようになった。
クラッシュしたHDは別のパソコンに繋いでデータの救出を試みたが、 昔の5インチFDでDISK I/O ERRORが出た時のような不吉な音がしており、 CRCエラーに構わず強制的に読み出しても8割くらいのファイルは壊れていて、 しかも全部読み出すのに200時間くらいかかりそうなので諦めることにした。 DELLが悪いって訳ではなく、 安いデスクトップはどこのやつも3年くらいでHDの寿命が来ると考えた方がいいのかもしれない。 省スペース型はどうしてもHDの放熱に問題が出るからね。 実際に、この故障したパソコンでも、電源の廃熱が直接HDに当たるようになっていた。 これはHDの寿命を縮める原因になる。 自分のは自作機ばかりなのでメーカーの評判は良く知らんけど、 電源と放熱経路さえしっかり押さえておけば、そうそう簡単には壊れないと思うんだが。
電源については、安い電解コンデンサを使っているものは熱で電解液が蒸発して数年でダメになる。 また、以前、プリント基板の裏面とケースが接触するような粗雑な造りの電源を見たことがある。 絶縁のためにフィルムのようなものがはさまれてあったが、穴が開いたら即ショートして壊れるだろう。



2009年2月26日

昨日と同じ。朝から晩まで仕事。

相場はプラス102万で、久々に大幅順行である。油はまだまだこんな所では利食わない。 押しがあれば更に買って行く。



2009年2月25日

朝から晩まで仕事であった。しばらく忙しい。

中国が、今回の世界的な金融危機をチャンスとばかりに、 世界中の土地や会社や資源の採掘権などを安値で買いまくっている。 これは後々、大きな結果に繋がるのではないか。
非常事態には、ある程度の強制力を持って経済をコントロールできる独裁政治というのは強い。 訪米諸国や日本などは、お買い得とわかっていても、目先の金が無いために動けないのが悲しい。



2009年2月24日

久しぶりに、それほど忙しくない一日であった。 書くこともあまり無し。



2009年2月23日

午前中は会議。午後は早退して、急逝した上司の霊前に線香を上げさせてもらいに行ってきた。 上司のお母上様と少し話をさせていただいたのだが、 自分にとっては偉大な上司で、色々と良くしてもらい、いわば父親のようにも感じていたのだが、 当たり前の話であるが、親からすれば60歳を越えても子供は子供ということである。 何歳になったとしても、親より先に死んではいかんなぁと思ったのであった。



2009年2月22日

やけに早く目が覚めてしまったので、8時頃にはホテルを出た。 神田の古本屋街をウロウロしたが、特に目ぼしい物も無し。 そのまま東京駅へ。 東京駅では妻へのお土産に苺のお菓子を買い、長野新幹線に乗った。 ところが、新幹線の中で寝込んでしまい、気がついたら新潟の一つ手前の駅であった。 久々にやってしまった。
新潟で折り返しの電車に乗り、越後湯沢で下車。しかし金沢への接続列車が来るまで40分くらいかかる。 東京から金沢方面への接続は良いんだが、新潟から金沢方面への接続は恐ろしく悪いな。 まぁ、新潟から金沢に来る人は新幹線なんか使わずに最初から最後まで特急を使うのかな。
何はともあれ、晩になってようやく家に着いた。

政府紙幣を発行してはどうかという話が出ている。 これは極めて危険な話であると思う。一回限りの例外的な処置なら問題はないだろう。 しかし日本という国は、前例を作ってしまうと、何度でも易きに流れてしまう傾向が強い。 赤字国債も、元はといえば一時的な例外措置だった筈である。
通貨の信用というのは国有財産および政府の徴税権によって担保されているので、 財政赤字と通貨発行残高(政府紙幣も含む) の合計が国有財産および徴税可能な国民財産の実質的価値の合計を越えると信用崩壊が起きる。 徴税可能な国民財産というのがはっきりわからないので正確な限界は不明だが、 個人的にはあと500兆円程度が限界ではないかと思う。 信用崩壊が起きても、インフレにより通貨が減価して財政赤字と通貨発行残高(政府紙幣も含む) の合計が国有財産および徴税可能な国民財産の実質的価値の合計を下回った所で安定すれば良いが、 こういう動きは得てして不安定なものなので、いったん崩壊すると勢いがついて、 制御できないインフレに陥る可能性が高いと思う。 しかも、通貨の減価により通貨発行残高は(実質的価値を基準として)圧縮されるが、 財政赤字については、金利上昇により借り換え費用が増大するので、実質的価値を基準にすると、 ほとんど圧縮は期待できない。
さて、日本にはデフレギャップがあるので、 100兆円ほど政府紙幣を発行してもインフレにはならないし、害は無いという主張がある。 これは概ね正しいだろう。しかしそれは、100兆円で済めばという話である。 政府紙幣の発行は通貨の制御権を日銀だけでなく政府にも認めることに他ならない。 政府にとっては政府紙幣は打ち出の小槌のようなものである。 現在のように、税収に比べて支出が大幅に多い状態を改善しないまま政府紙幣を発行してしまうと、 今後、政府は継続的に政府紙幣を発行し続ける誘惑に抗し切れないのではないだろうか。
毎年20兆円ずつ政府紙幣を発行し、5年後には財政を均衡させ、その後は一切、 政府紙幣は発行しないという方針を厳守して実行するなら良いだろうけど、 残念ながら今の日本政府にそこまでの信用は無い。 5年を過ぎても赤字国債のようにダラダラと継続させてしまう可能性が高い。 榊原英資氏も一回限りに限定するならば政府紙幣は有効であると言っている。 この、一回限りというのがどれほど難しいことか。
政府紙幣というのは、政府が無利子永久国債を発行して日銀が引き受けるのと実質的に同じ効果を持つ。 信頼の置けない政府に通貨の制御権を渡すくらいならば、 無利子永久国債による方法を取る方が遥かにマシである。 日銀が二度目以降の引き受けを拒否すれば、一度限りというのが明確に守られるからである。 ところで、貨幣や国債が負債になるとかならないとかいう会計上の話は、日銀と政府を一体として考えれば、 瑣末な議論に過ぎない。

そもそも、政府紙幣を発行して国民にバラ撒いたところで、効果は一時的であると思われる。 20兆円バラ撒いたとしても、ほとんどが貯金に回れば、単に財政破綻に20兆円近付いただけで終わってしまう。 バラ撒いた額の何倍もの効果が出るような対策、 いわゆる乗数効果によって内需が大きく拡大するような対策を考えなくてはならない。
結局のところ日本の内需が振るわないのは、少子化が遠因になっているわけであるし、 日本の様々な歪みも少子化が原因になっているわけなので、 掲示板にも書いたことだが、0歳児に一人年間100万円、1歳児には年間90万円、2歳児には年間80万円、 …、9歳児に年間10万円、という感じに育児支援金を出すことを提案したい。 0〜9歳児の人口は1100万人強なので、平均一人頭50万円として、年間6兆円程度の予算で足りる。
子供というのは一度生まれてしまうと、その後ずっとお金がかかるので、 少々過剰に利益を与えて、とりあえず子供を生む方向に人々を誘導することさえできれば、 その後は永きにわたって内需が喚起されることになる。経済効果は年間6兆円どころではないだろう。 ただ、出産後に100万円あげて後は何も無しでは、金目的で子供を生んで捨てるような人が続出しそうなので、 徐々に減らしていくという感じにしている。 子供が増えれば日本の未来が明るく感じられる。それが何より重要である。



2009年2月21日

今日は東京出張。雪で電車が遅れると大変な事になるので、朝早くに出発。越後湯沢経由で東京へ。 特に遅れもなく無事に到着できた。
今回は、記念行事で招待講演をさせて頂くという大事な仕事であった。その後は立食パーティー。 二次会は渋谷の飲み屋街で適当に飲んだ。



2009年2月20日

午前中は打ち合わせ。午後から出張の準備に時間を取られた。



2009年2月19日

朝から仕事。主に週末の東京出張の準備だが、疲労が蓄積しているのか、体がダルくてたまらない。

麻生首相がサハリンを訪問し、メドベージェフ大統領との会談で、 北方領土問題について独創的な新手法に言及したそうだ。 これはもう、万死に値するといっても過言ではないだろう。
まず前提として、日露関係を進展させるべきだという点については疑問の余地は無い。 ロシアは既に広大な国土と多様な民族を持て余しており、アジアについては影響力を維持するにとどめ、 どちらかというとヨーロッパ志向を強めつつある。温暖化で北極海も通航可能になるなど、 不凍港を求めて南下する動機も無くなった。 日本に対してはロシア帝国時代のような野心は持っていないので、良い関係を築くことは可能だと思うし、 それは中国を牽制する上でも極めて重要である。
北方領土問題に関しては、古今東西の様々な事例から考えると二島返還でも仕方の無い面もあるし、 実際、サンフランシスコ講和条約では国後・択捉を放棄したというのが政府の見解だったのが、 日露接近を危惧したアメリカに煽られて方針を変更したという経緯もある。 三島返還なら御の字だし、麻生首相の言うように面積で等分というのもいい。 択捉島に日本で唯一の陸上国境ができれば、密入国などのデメリットも大きいが、 日本人の意識を変えるきっかけにもなるだろうし、上手く国境を運営すれば様々な交流も深まり、 メリットも大きいと思う。
しかしそれら全てを考慮したとしても、今回の麻生首相の行動は論外である。 自分のような民間人はどんな意見を出そうが問題は無いのだが、 一国のトップの立場では言ってはいけない事がある。 虚々実々のかけひきで、こちらの譲歩できる範囲を暗に匂わせておいて、 首脳会談で相手の方から例えば三島返還でどうだろう等と切り出させ、 一発で決めるというなら良いだろう。しかし交渉する前からいきなり譲歩してどうするんだ?  しかも場所がサハリンである。日本政府の公式見解では南樺太は所属未定地という扱いであるが、 そこに日本のトップが行けば、ロシアの主権を認めたと解釈されてしまう。 日本は南樺太を放棄したので日本の領土になる可能性は無いが、 少なくとも交渉の一つのカードにはなり得た。 しかし麻生首相はそのカードを、何の役にも立てずにただ捨ててしまったのである。 頭は大丈夫かと心配になる。それを何とも思っていない、 もしくは思っていても首相を止められなかった外務官僚たちは、 はっきり言って無能であると言うしかない。
今回の話に関連して思い出したのが、沖縄サミットである。 沖縄返還により沖縄の施政権は日本に返還されたが、返還されたのはあくまで施政権のみであり、 沖縄が日本の領土であるかどうかという点については、公式にはアメリカは何も言っていない。 しかし沖縄サミットを開催したおかげで、参加した各国は沖縄を日本の領土だと認めたことになった。 ちなみに日本は中国を沖縄サミットに招待したが、もちろん中国は出席していない。 中国が現時点で沖縄の領有を主張するのはさすがに無理があるが、無理を承知で、 切れるカードは温存しておこうと考えたのが中国政府、 何も考えずにノコノコとサハリンまで出掛けて行ったのが我が国の首相である。



2009年2月18日

午前中は打ち合わせ。昼過ぎには仕事も終わり、仙台駅で妻と合流。 土産物でも買おうかと、さくら野百貨店の地下に行ったら、 美味しそうな石焼ビビンパのお店があったのでそこで昼飯にした。
仙台空港では、ずんだ餅を食べたり、じゃがりこずんだ味を買って食べたりしつつ時間を潰し、 夕方の飛行機で小松空港に戻ってきた。 小松空港からのバスで金沢に戻る途中、妻が竜巻を見つけた。 日本海の遥か沖の方で、暗雲から、雲が棒のように海面まで伸びていた。 珍しいものを見たなぁ。たぶん一生に一度あるかないかだろう。
晩には自宅に帰還。



2009年2月17日

朝から仕事。晩には妻と合流し、前回にも行った牛タンのお店へ。 味の沁みた分厚い牛タン、白菜の漬物、青唐辛子の味噌漬けで、麦飯がいくらでも食べられる。 更にテールスープで至福のひとときであった。
妻は今日は、亀井美術館と仙台文学館の宮藤官九郎展に行ってきたそうだ。 今回は仕事が忙しいので、昼間は完全に別行動である。



2009年2月16日

朝から仕事。夜は仕事関係の食事会であった。
妻は万華鏡美術館と磊々峡に行ってきたとのこと。

中川財務相、なんだありゃ。二日酔いか?  メディアでは、記者会見での醜態で世界に恥を晒したということばかり非難されているが、 G7の会合で居眠りしていたことの方がもっと非難されるべきではないのか。 イメージ的に分かり易いものばかり取り上げて報道するのもどうかと思う。



2009年2月15日

今日から仙台へ出張である。今回は妻も一緒について来ることになった。 金沢駅のハートインで手作りおにぎりを買い、屋台で海鮮巻きを買って空港バスに乗り小松空港へ向かった。 金沢駅ハートインの手作りおにぎりは結構美味しいので、電車に乗る時などに必ず買うようになってしまった。 おにぎりと海鮮巻きはバスの車内でモグモグ。
小松空港からは約一時間で仙台空港へ到着。一年半ぶりくらいだなぁ。 空港からは電車で仙台駅へ。駅から5分くらいのアーケードの近くのホテルにチェックインした。 妻はスーパードルフィーとやらのお店に出かけていき、自分はホテルにこもって仕事。
晩に妻と待ち合わせて、近くの居酒屋で晩飯を食べた。そいの活け造り、生牡蠣、お刺身などを堪能。 しかし活け造りは、既に意識は無くて反射で動いているだけだと思うけど、ちょっと可哀想だね。 まぁ、これを可哀想と言ったら、漁で獲られた魚も同じで、 漁師の船で死ぬかテーブルの上で死ぬかの違いしかないわけだが。 ところで、白身の魚は鮮度が良すぎると、かえってあっさりした味になるから、 活け造りも好みが分かれるだろうね。歯応えは断然、鮮度が良い方が良いが。



2009年2月14日

二日酔いでフラフラしながら朝から出勤。晩まで仕事であった。

気のせいかもしれないが、亡くなった上司の声が話しかけてきて、無意識のうちに会話をしている。 仕事についてのアドバイスなどをもらった。

妻にチョコをもらったが、二日酔いで食欲が無いので、少し食べて残りは明日以降に取っておく。



2009年2月13日

昨日から引き続き朝から夕方まで仕事。晩はいつものイタリアンで再び懇親会。 ワインを飲み過ぎて、その後のいつもの片町のお店に着いた頃には呂律が回らない状態になっていた。 で、フラフラになりながら歩いて家まで帰ってきた。

ママさんとお店のお姉さんにチョコレートを貰った。



2009年2月12日

上司が亡くなったという話を聞いて衝撃を受け、昨日の晩からほとんど一睡もできなかった。 自分には色々とよくしてくれたし、そもそもこの人のお陰で今の職に就くことができたという経緯もある。 時々飲みにも連れて行ってもらった。思い出が浮かんでは消える。
早朝に出勤し、同じ部署の人達と今後について相談した。 亡くなった上司の関与するプロジェクトが今日から動くことになっていて、 日本の各地から人が集まることになっている。この不測の事態により、 色々と対応しないといけない事があり、あちこち走り回った。
午後からはそのプロジェクト関係の仕事であった。夕方には終了。ただし明後日まで続く。 上司の死因は心筋梗塞だそうである。過労もあったのではないかと思うし、 タバコを山のように吸う人だったので、それも悪かったのかもしれない。 通夜と葬儀の日取りがわかったが、出張の予定が入っているので出席することができない。 後日、お線香を上げに伺わせてもらうことにする。
晩はいつもの加賀料理のお店で懇親会を開催した。 今さら中止にはできないし、故人も辛気臭いのは嫌な人だったので、偲びつつ献杯し、料理を頂いた。 その後はいつものお店へ。この店で故人の60歳の誕生日をお祝いしたのが思い出された。



2009年2月11日

昼間は相場データの整理などをして過ごした。 フレートのデータを整理しつつ良く見ると、何となく底打ちしたように見えるね。

晩飯は妻と近所の居酒屋へ。焼き牡蠣が美味かった。

深夜1時頃に電話があり、直属の上司が急死したという連絡が入った。 数日前に会ったときには普通の様子だったのに、信じられない話である。



2009年2月10日

獣ちゃんが新商売に乗り出し、アンティーク家具の販売を始めている。 写真を見て、妻がロッキングチェアを気に入ったので、購入して別荘に置くことにした。 ただ、骨董品というのは現物を見ないと何とも言えないので、写真だけで選ぶというのは、 ある意味、賭けのようでもある。 いくら物が良くても、自分の感性にグッと来るかどうかというのは別問題なので。
椅子といえば、以前にも書いたが、レイ・イームズのアルミナムシリーズの布張りのやつを二脚買って、 ウッドデッキに置いてくつろいだら最高だと思う。素晴らしく座り心地が良い。 オークションで時々チェックしているが、中古でも、やはり一脚3万円〜10万円くらいはする。 値段は大きな問題ではないが、一脚5万円以内で良い出物があれば買ってしまおうかな。
別荘の6畳間に2畳だけ畳を敷いて文机を置き、冬は炬燵なんかを置こうと思っていたのだが、 諸々の事情により、この計画は中止した方が良いということになった。 どちらにしても、床に座るか、椅子に座るか、 目線の高さについてイメージが錯綜しているのが問題といえば問題か。 リビングのキッチンの近くにイームズの椅子を二脚と必要ならば小さなテーブルを置き、 そこから海側にかけて目線を下げて行って、海側ではソファーや床に座る形にするのが良いかもしれない。



2009年2月9日

朝から仕事。

妻が以前の職場の健康保険を任意継続していたのだが、それが先月で終了し、 自分の健康保険の扶養に入るのと同時に国民年金の第3号被保険者の手続きをしようとしたのだが、 色々と調べてみると、健康保険の扶養認定と第3号被保険者加入は必ずしも同時でなくてよく、 扶養の事実が生じた時点から第3号被保険者の資格は有効になるということがわかった。 それを事務に説明すると、聞いたことのない話ですが、 遡って第3号被保険者に認定してもらう方向で進めてみますと言われた。 そもそも国民年金と健康保険は管轄が違うので、本来は別々に手続きできる筈である。
一応、後日、社会保険事務所に行って、ちゃんと手続きされているか調べてみることにしよう。



2009年2月8日

妻といつもの温泉へ。出発前に車を点検していたら、通りがかりのおじさんに、 これは何という車ですか?と聞かれ、少し説明したら、去り際に、 いいものを見せてくれてありがとうと言われた。ちょっと照れくさい。 何とか子供が出来て大きくなるまで維持したいものだが…。
温泉にゆったり浸かり、車も好調で気分良く帰ってきたが、 途中でウィンカーが作動しなくなった。次から次へと不具合が出て飽きさせない。 時間のあるときに配線をチェックしなければ。



2009年2月7日

若干二日酔いである。岐阜駅でヨモギの外郎を試食したら美味かったので、 妻へのお土産に買って帰った。 夕方には金沢へ帰還。その後は久しぶりにダラダラして過ごした。



2009年2月6日

今日から岐阜へ出張。特急しらさぎで岐阜まで直行。 仕事の後は岐阜駅の近くで飲んだ。なんか美味いものを色々と食べたような気がするが、 日本酒を結構飲んだのであまり記憶が無い。



2009年2月5日

L&G円天市場に強制捜査が入り、会長ら幹部が逮捕されたようである。 この団体は昔から世間を賑わせていたように記憶しているが、今頃になってようやく警察が動いたのか。 なかなか腰が重いもんだね。 それにしても、通貨制度の基本がわかっていれば、こんなの信じる奴はいないし、 あの会長の顔に滲み出ている雰囲気を見れば怪しいと思うはずだが、 騙された人は、よほど欲に目がくらんでいたのだろう。
約200人から15億円を集めた、通称、関西一の女相場師が行方不明になっているそうだ。 225オプションの売りで儲けていたという話も聞いたが…。 円天と同じような文脈で報道されているが、 こっちの場合は、最後は別にすれば、真面目に売買して利益を出していたのだろう。 運用も、最初は頼まれてお金を預かったのではないかと思う。 月数%の配当を10年前から出していたというのだから大したものである。
しかし一般的には、なかなか他人のお金を運用するというのは難しいものである。 商品の世界でも、他人の資金と自分の資金を同時に運用して上手く行った話は聞いたことが無い。 そういう事をやっていた人は、大抵は悲惨な末路に行き着いている。 自分の場合は、昨年初めに退場した際に資金を運用してくれないかと数人に言われたが、もちろん断った。 どうしてもやるなら、自分のお金では相場を張らずに、他人の資金運用だけに限定しなければならない。



2009年2月4日

1万円の評価額で売却された、かんぽの宿が、6000万円で転売されていたそうだ。 一括売却されたうちの一つなので、5999万円丸儲けというわけでもなく、 売却価格の合計を見ないと何とも言えないが、少なくとも、いい加減極まりないということは間違いない。 物件をまともに評価することもできずに適正価格で売却なんか出来るのだろうか?



2009年2月3日

午前中は歯医者へ。歯石取りと歯周病の検査してもらった。 まだ歯周病ではないが、下の奥歯に少し炎症が見られるので、よくブラッシングするようにと言われた。

午後から出勤。

スペリオールでやってる「医龍」が面白い。 主役だけでなく脇役にまできっちりとスポットライトを当て、丁寧に話を作っているのが好印象である。
漫画と言えば、柳沢きみおの「大市民日記」を読んでいて、 生まれて初めてモツ鍋を食ったという記述を見て驚いた。 北海道に行きたいと思いながら行ったことが無いというのを読んで、更に驚いた。 こういう、楽しみを楽しみのまま、楽しむ時期が来るまで楽しみにし続けるというのは、 ある意味、幸せな生き方かもしれない。自分にはとても無理だが。
ところで、この人の作品、「翔んだカップル」はなかなか良かったなぁ。ドロドロぶりが。



2009年2月2日

昨日のトラブルでエンジンに相当の負荷をかけてしまったので、 朝からエンジンオイルなどをチェックしてみたが、とりあえずは大丈夫のようである。 今度から気をつけなければ。

最近、燃料電池や代替エネルギーなどの展望について専門家の意見を聞く機会があったのだが、 少なくとも2050年までには到底実用化は無理で、当分は石油依存の時代が続くだろうとのことであった。 石油の使い易さはやはり群を抜いていて、本当に石油の枯渇が現実味を帯びて切羽詰らないかぎり、 新エネルギーへのシフトは有り得ないようだ。 1バレル1000ドルとかになれば別かもしれないが、 1バレル数百ドル程度なら石油を使い続けるのが経済的に一番合理的な選択肢ということになる。
今の世界的な金融危機はいずれ終息するだろう。その後は際限の無い石油価格の上昇が起きると見た。 金も上がるだろうけど、金は掘った分だけ地上在庫は増える。 一方で石油は安価に掘れる分はどんどん少なくなる上に、使えば無くなる。 そういう違いを考えると、最終的には金より原油の方が高い上昇率が見込めると思う。
そんなわけで、長期的な視点で石油を買い上がって行くことにした。 とりあえず鞘取りとは別に1枚投入した。目先的には、数年以内に200ドルを超えると見ている。

2月に入った。今月は相当忙しい。手帳を見ても予定がぎっしり入っている。 今日も晩まで仕事であった。



2009年2月1日

妻と金沢郊外の温泉へ。 3週間ぶりに愛車を動かしたのだが、どうも調子が良くない。 エンジンが何かゴトゴトする感じで、回転数の割りにパワーが出ない。 これは明らかに何かおかしいと思いつつ走らせていると、どんどんパワーが落ちていき、 目的地付近まで来たところで煙が出だした。 何とか温泉の駐車場に止めたところで、車内にも煙が充満、 後部を見るとマフラーに接している部分の樹脂が溶けている、 ボンネットを開けるとエンジンからも、もくもくと煙が出ている、マフラーからも煙が…。 これは大変なことになってしまったと思ったが、とりあえず車を冷やさないといけないと思い、 ボンネットと窓を少し開けた状態で駐車して温泉に入った。
パニックになっていたので、温泉に入って頭を冷やしながら対処を考えた。 とても乗って帰れる状態ではないのはわかる。JAFを呼ぶかどうしたものかと考えつつ、 まずはお世話になっている車屋さんに電話を入れてみることにした。
電話して症状を言うと、プラグがかぶってるんじゃないですか?と言われた。 そういえばバッテリーが消耗気味で、エンジンを始動する時にかなり手間取ったのを思い出した。 それに、今日は特に冷え込んでいる、しかも動かすのは久しぶりである。 そんな単純な原因か?と思いつつ、もう日も暮れて暗くなっていたので、 ペンライトを口にくわえながらスパークプラグを外していった。 一ヶ所、クラッチマスターが邪魔でプラグレンチが入らなかったが、 何とか試行錯誤で外すことができた。 ペンライトで照らしながらチェックすると、確かに6本中3本がかぶっている。 これじゃ確かにまともに走らんなと思ったが、洗浄液も何も無い。 仕方が無いので、温泉に持ってきたタオルに石鹸を少し着けて、それで接点の油を拭き取り、 その後に濡らしたタオルでよく拭き、ティッシュで水分を拭き取って乾かした。 再びエンジンにプラグを装着して始動してみると、アイドリングも安定していて非常に良い感じである。 少し走らせてみると、さっきまでの瀕死のような状態が信じられないようにエンジンも快調な音を立てる。 そのまま無事に家まで帰ってきた。
妻は、車から煙が出るなんて、漫画みたいと言っていた。 確かに、マーチとかに乗ってたら一生遭遇しないような話だろうなぁ。



2009年1月31日

富山駅でブリ寿司を土産に買い、電車の中で海鮮丼を食べながら金沢に帰ってきた。 駅で妻と待ち合わせ、午後から仕事の関係のイベントに出席し、 回転寿司で夕飯を食べて帰宅した。



2009年1月30日

富山へ出張。早朝に家を出て特急で富山へ。夕方まで仕事で、晩は桜木町のあたりで飲んだ。 一度ホテルにチェックインした後、一次会のお店に行こうとして道に迷ってしまった。 後から地図を見ると、富山の町の道は結構カーブしていて、真っ直ぐ歩いているつもりでも、 知らないうちに方向が変わってしまうようだ。初めてブリしゃぶを食べた。
二次会はショットバーへ。金沢から一緒に出張に来ている人が、 片町のショットバーのマスターに、富山でどこか良い店ない?と聞いて紹介してもらったお店である。 ボウモアのレアなボトラーズがいくつもあり、色々と飲ませてもらった。 最近のサントリー経由のとは全く違う濃厚な味わいである。
後はラーメンを食って解散した。



2009年1月29日

弁護士事務所から郵便が来ていて、何事かと思ったら、以前、金を貸した知り合いについて、 民事再生の手続きをするから債権調査票に記入して返送するようにとのことであった。 2年前に1000万を貸し、1年に200万ずつ返済するという約束だったのが、 返済は一度しか行われず、昨年分の返済から滞っていて、 そろそろ動かねばならんなと考えていたところだった。
約束通りの返済が無理になっても、いつかは返すからと時々近況を知らせてくれたり、 返済計画を変更して毎月数万円ずつでも返してくれたり、 いつ頃には返せると思う等の見通しを話してくれたりなど、 何らかの誠意のある対応をしてくれるなら、こちらもそれなりの対応をするし、 実際に、今まで貸した相手はそういう人がほとんどなのだが、 今回の相手は、返済が滞ったにも関わらず連絡一つ寄越さず、 電話をかけても出ず(電話は鳴る)、メールを出しても返事が来ない。 金を貸した際に、もし貸してくれなかったら保険金で清算するところだったと言っていたので、 押し付けがましいかもしれないが自分は命の恩人のようなものである。 その恩人に対して無視するような態度を取るというのは、あんまりではないだろうか。
そういう誠意の感じられない態度ならば、こちらも厳しく対処するしかないと考え (具体的には、財産を調べて差し押さえるか、回収よりも筋を通してもらうことを優先し、 第三者破産申立をするか、もしくは回収を専門にしている人に頼むか)、 とりあえずは、まずは奥さんや親戚の人に会って話を聞かなければと思っていたところであった。
弁護士が間に入ってしまった以上、もはや独自には動けず、後はこのスキームに乗るしかないのだが、 それでも事前に連絡一つ入れてくれてもいいのではないか。 小規模個人再生でやるのか給与所得者再生でやるのか知らないが、 小規模個人再生なら債権者の同意が必要で、同意が取れないと破産手続きに移行してしまうので、 普通の人の思考なら、色々と根回ししておいた方がいいと考えると思うのだが。



2009年1月28日

夕方まで会議であった。最近どうも職場の風通しが良くない。
トップが替わってから、 どこでどう決まったのかはっきりわからない指令が上の方から降りてくることが多くなった。 単なる思いつきだとしか思えないような職場改善策とか、到底無理な数値目標とか。 実際に現場で動く人が意見を出しても、もう既に決定したことなので、で片付けられる。 意思決定に現場の意見が反映されていない、しかも意義の感じられない仕事にモチベーションが上がる筈もなく、 仕事が増えるばかりで効率が上がらない。こんなことで大丈夫かねぇ。

深夜になっても仕事が終わらず、家に持ち帰ることになってしまった。 結局、午前2時くらいまでかかった。
クリエイティブな仕事は時々家に持ち帰るけど、事務仕事を家に持ち帰ると際限が無いので、 出来るだけ持ち帰りたくはないんだけどねぇ。



2009年1月27日

晩まで仕事であった。

相場は、ようやく再開後の利益が500万を超えた。 資金が少し増えて徐々に玉操作が楽になってきた。5年前に最初に1500万を超えた時にも感じたのだが、 運用資金が1500万を超えると急に玉操作がやり易くなる。 当時に比べると証拠金も上がっているのに、金額が同じというのも何だか不思議。



2009年1月26日

東京駅で妻へお土産にお菓子を買い(迷った末、イチゴの創作和菓子を買った)、 長野新幹線と北陸線を乗り継いで雪の世界に帰ってきた。 そのまま直接出勤し、6時ごろ帰宅。久しぶりに早めに帰宅できた。

お土産は好評のようだった。



2009年1月25日

今日は東京ドームホテルにて、三日月さん主催の新年会が開催された。 参加者は、幹事の三日月さん、スプレッドジェイさん、一匹羊さん、乱調さん、ゆうさん、 麒麟さん、バカボンさん、なおちゃん、弱虫熊さん、そして自分である。 一次会は11時半から中華料理のバイキングで、ビールと紹興酒を飲みながら料理を腹一杯食べ、 二次会はスイーツ食べ放題で甘い物を沢山食べ、三次会は普通のバイキングの筈だったのだが、 さすがにみんなお腹が一杯になっていたので、喫茶店に変更し、コーヒーをおかわりしながら粘り、 午後8時頃に解散した。 最初に酒が入って、二次会三次会と進むにつれてシラフになっていく集まりというのは初めてである。
今回思ったのは、最近あまり20代くらいの生きの良い新人を見ないな〜ということ。 業界全体が縮小傾向にあり、上手な人ばかり残って、ますます競争が激化し、 若者が新規参入してもすぐに敗退するような現状では、 オフ会がいつもの馴染みのメンバーになるのも自然な話かもしれないが。

解散後、何となくすぐにホテルに戻るのも物足りない気がしたので、 マクドでしばらく時間を潰した。こちらのマクドはパソコン用電源が付いている店が多くて助かる。



2009年1月24日

午前中は少し車のエンジンを動かした。最近、雪ばかりで全く車に乗れない。

午後からオフ会出席のため東京へ移動。 雪の白い景色に慣れてしまったせいか、東京の景色が鮮やかに見える。 オフ会は明日で、今日は大学時代の友人と池袋で飲んだ。 インド料理と飲茶とモツ鍋のどれにしようか聞かれたので、 何となく飲茶な気分だったこともあり飲茶のお店へ。 良く考えたら明日のオフ会も中華料理だった。でも中華は好きなので問題ない。 互いに近況などを報告し合っているうちに時間が過ぎていった。 料理も青島ビールもお茶も美味しくて幸せな気分になる。今度、妻を連れて来たいものである。



2009年1月23日

今日も長い会議があり、その後は仕事。

相場は最近やや曲がり気味である。



2009年1月22日

午後は会議であった。

夜は久しぶりに片町へ出動。いつものお店のママさんの誕生日が近いのでプレゼントを持っていった。 ちょうどボトルが空になったので新しいのを入れ、誕生日のお祝いにドンペリを開けたら結構かかった。 一日の飲み代が学生時代の一ヶ月の生活費より多いというのもどうかと思うが、 まぁ、付き合いだから仕方がなし。



2009年1月21日

早退して歯医者さんへ。奥歯の詰め物(正確にはアンレーだから詰め物ではない)を付けてもらった。 歯と金属の境目が滑らかで、腕は悪くないように思う。技工士さんが上手いのかもしれないが。

ちょっとムキになってクラックを仕掛けてしまった。 勝ち目はあると思うけど、ちょっと仕掛け過ぎたかもしれない。



2009年1月20日

今日も仕事。それほど特筆すべきことはない。



2009年1月19日

一日中、仕事。



2009年1月18日

佐藤優「国家の罠」を読んだ。これは実にインパクトのある本である。事実を詳細に記述し、 一つ一つ分析を加えていくことにより真実を浮き彫りにするという手法で文章が綴られているが、 これはそのまま著者自身の思考法と同じであるということがわかる。
書かれている内容については概ね事実に近いという印象を受ける。 もちろん内容をそのまま鵜呑みにはできないが、著者の価値観を考え合わせると、 ほぼ確実に事実であると考えられる部分とそうでない部分がある程度は判別できる。 つまり、著者自身の名誉のためにつく嘘は、 もし嘘であることが明らかになった場合に著者の全ての言動の信用性に影響が及ぶため、 著者の価値観からすると有り得ないが、関係者の名誉を守るための嘘は、 業界の仁義として筋が通るので有り得るということである。 例えば、三井物産に便宜を図ったかどうかという点については、 著者は否定しているが、そういう事実はあったのではないかと感じる。
検事とのやり取りも鬼気迫るものがある。 著者は、表に出せない金と人脈を使って相当ダークな活動をしていた節があり、 その活動の実態については検察側もある程度は把握していたようだが、 それが公開されることで日本の外交政策へどれだけの悪影響があるかという点については、 検察側の知識は極めて不足していたと著者は語っている (何が普通の情報で何が特殊情報であるかもわかっていなかったとのこと)。 かくして著者は、敵である検事に日本の外交の深層について解説し、特殊情報が表に出ないように説得し、 そのかわり検察側の顔も立つように取引しながら落とし所を探るという、 虚々実々の極めて困難な課題に取り組むことになる。
外務省内の権力闘争の内実や、田中真紀子騒動の詳細、ムネオハウスの話など、 当時話題になった話も色々と出てくる。 これを読むと、日本のマスコミってのは本当にどうしようもないと思う。 著者が鈴木宗男氏寄りであることを勘案しても、 当時のマスコミがほとんど現実を報道していなかったということが良くわかる。 その他、三井物産の情報収集の手法が満鉄調査部の伝統を継承しているとか、ロシアの政権運営の実際とか、 トリビア的な話もあって興味深い。

しかし本書で一番印象に残ったのは、情報を扱う人間の間のルールに関する話である。 本書から一部を抜き出して要約して書くと、 「人間は内側から崩れる」、 「情報の世界に長期従事すると独特の性格の歪みがでてくる」、 「金銭に執着のない者は概して自己顕示欲を抑えることができる」、 「情報の世界では、第一印象をとても大切にする」、 「原理原則を大切にしない人間は信用されない」、「酒の席で人間を見る」、 「情報のプロはお互いに言ってはいけないことが何か良くわかっている」、 「情報の行き違いが起きた場合、 それが事実であるか誤解であるかは当事者の前で目に見える形で確認しなくてはならない」、 「協力して動いてくれた人間を、利用価値が無くなったからといって見捨てたりすると、 今後協力してくれる人物はいなくなる」、 「盟友であった者を陥れようとする輩から、人心は離れていく」、 「存在しないということになってる話はあくまで存在しない、会ってないことになっているなら、 あくまで会っていない」、「ルールに反した場合には、時効はない」、などなど。 本著に書かれている情報のプロのルールについて、ほとんどの人はピンと来ないかもしれないが、 自分の場合、あまりに相場界で見聞きしたり体験したりした話と同じなので、妙に納得するものがあった。 実は相場の世界にも特殊情報にあたるものが存在するのである。
最初から何らかの意図があって流される情報は、そのまま貰っておけば良いのだが、 核心に近い情報を対価無しに受け取ると、それは何らかの借りを作るということになる。 それに、そういう情報を聞き続けると自分の本来の相場が張れなくなってしまう。 そんなわけで、特殊情報については今までずっと、距離を置きながらやってきたのである (情報を頼っていれば昨年のNON大豆で破綻することもなかったかもしれないが、 その場合には、それ以前に億の単位で儲けることも出来なかったと思う)。 自分の場合、情報に関わる立場としては大体は第三者的な立場に限られるのだが、 ずっと以前に一度だけ、ひょんな所から人脈が繋がり、 二つの対立する勢力の双方から核心に近い情報が入った時期があった。 その時は、情報を扱うものの仁義として、どういう行動を取れば筋が通るのか頭を悩ませたことを覚えている。 筋の通らないこと(例えば情報を横流しして100万や200万の小銭稼ぎをするとか、くだらないこと) をすれば、最悪の場合、大袈裟な話ではなく、どこかの海に死体になって浮かぶ可能性もあったと思う。 まぁ、馬鹿ではないのでそんな事にはならずに済んでいるが (この世界、案外そういう意味では馬鹿な人も多いのである)。

そんなわけで、なかなか読み応えの有る本であった。 本書の主題である国策捜査に関しては、 日本の社会がケインズ型公平分配社会からハイエク型傾斜配分社会に転換するための生贄にされた、 という分析がなされているが、そういう面もあるかもしれないが、一方で、 そこまではっきりした意思というものは存在していないんじゃないかという気もする。 どちらかというと裁判員制度の導入と同じで、 社会の中に何となく漂う空気のようなものに影響されて司法が動き、 ちょうど都合良く外務省の権力闘争に敗れた著者が槍玉に挙げられただけかもしれない。 それにしても、マスコミが国民を煽り、その社会の不満を司法が先回りしてガス抜きを図るというのが実態なら、 衆愚政治も来る所まで来たという感じではある。



2009年1月17日

土曜日だが、朝から仕事のため出勤。



2009年1月16日

自転車で出勤し、仕事をして帰宅。雪が積もると自転車が進まないが、 その後に一度融けて凍ると何とか通行できる。タイヤがツルツル滑るので、バランス感覚が必要だが。



2009年1月15日

今日も夜10時頃まで仕事。雪も止んだし、そろそろ帰るか。バスも無いから雪をかき分けて歩いて帰らねば。



2009年1月14日

午前中は仕事。午後は早めに仕事を終わらせて歯医者さんへ。 年末に仮詰めしたところの型を取った。 それにしてもやけに腰の低い先生であった。歯科衛生士の人にも敬語である。 一つ一つ処置をするたびに説明してくれるが、今のところはまだ腕が良いかどうかはわからない。

堤未果「貧困大国アメリカ」を読んだ。以前からネット上では話題になっていた本である。 内容については概ね既知であったが、改めて読むとやはり酷いね。 失業中などで保険の切れている人が高額の医療費のため一回の病気で貧困層に転落してしまう。 一方でメディケイド(低所得者用公的保険)の使える病院は一年待ちとかで、ほとんど機能不全に陥っている。 今回、一緒に南アに出張した人が、以前、アメリカで大腸癌の検査を受け、 検査だけで300万円ほどかかったと言っていた(保険があるので大丈夫だったそうだけど)。
しかし、医療費が高額だからといって医者が儲けているわけでもなく、 医者は医者で、巨額医療裁判を起こされた場合に備える保険の保険料が極めて高額で、 稼いでも稼いでも追いつかない。どうしてこの国はこんな状態になってしまったのか?  一個人が企業を相手に起こした民事訴訟で数百億円の賠償を命じる判決が出たりしたころから、 何かが狂っているような気はしていたが。
ただ、この本はアメリカのネガティブな面のみを切り取って書いてあるので、 一般的なアメリカ人像が見えてこないのが気になった。作中に出てくる実例も極端なものが多いような気がする。 そのあたりは割り引いて読むべきか。 アメリカに住んでいた知り合いの人が言うには、 普通の人はだいたい民間の保険会社に入っているので病気になっても困らないし、 金さえ出せば心臓移植でもなんでも世界最高の医療を受けることができる。 金のある人は良い治療を受けられ、金のあまりない人はそれなりの治療を受ける、 資本主義なんだからそれが当たり前。高度な治療には高額の報酬が払われるから、 世界から優秀な人材が集まるし技術も進歩する。技術が進歩すれば将来的には単価も安くなってくる。 悪いことばかりじゃないんだ、と言っていたが。



2009年1月13日

職場まで自転車で行こうとしたら、途中からタイヤが雪に埋まって進むのに苦労するようになった。 結局ほとんど押して行った。
出張中に仕事が溜まっていたので、片付けているうちに晩の11時頃になってしまった。 再び雪と格闘しながら帰宅した。



2009年1月12日

映画を観たり寝たりしているうちに香港に到着。香港では烏龍茶やフカヒレスープなどを購入。 香港で乗り継いで、4時間ほどで関空に到着。 晩には金沢に帰ってきた。

雪が降って積もっている。南アフリカとは30度くらい気温の差があるなぁ。 家では、妻が寿司と刺身を用意して待っていてくれた。 やっぱり日本の食事が一番美味いね。



2009年1月11日

朝食を食べてからバスに乗って出発。来るときには寝ていて気がつかなかったが、 あちこちに大規模な露天掘りの鉱山が見える。 平地を掘り返しているわけなので、鉱山というのは変な気もするが。 金や白金が採れるのかもしれない。
昼頃に空港に到着。空港でも土産物を探したが、目ぼしいものは無かった。 動物のお医者さんの漆原教授が喜びそうなものは色々あったけどね。呪術師の道具とか。 南アフリカも、政府が主導して何かもっと一般受けするような土産物を開発した方がいいんじゃないかなぁ。 個人的には、金鉱石の標本とかあったら是非買いたいが。 それでも、ルイボスティーなんかを買ってランドは3.9ランドを残して使い切った。

飛行機の中では「センター・オブ・ジ・アース」、「City of Ember」、 あと題名は忘れたけど西部劇を観た。 「センター・オブ・ジ・アース」はチープなCGがなかなか良い味を出している。 子供のときに見たら面白かったかも。「City of Ember」これはなかなか良かった。 ただ、地下水路の怪物はいただけない。 キャセイは香港の航空会社なので字幕も中国語。「City of Ember」は「微光城市」、 やっぱり中国語はオシャレだな。



2009年1月10日

国立公園のツアーに参加した。トラックのような車に乗り、陽が昇る前に町を出発。 国立公園に到着した頃に夜が明けた。 広大な自然を前にして、ようやくアフリカに来たという実感が湧いた。 順に、ジャッカル、カバ、キリン、ヤギみたいなの、シマウマ、水牛、白サイ、ライオン(雄)、 黒サイに遭遇した。ただし、ジャッカルとカバは遠くて良く見えなかった。 ガイドさんによると、黒サイを見かけることは非常に稀で、とてもラッキーとのこと。
ライオンは最初かなり遠くにいたが、沢山の観光トラックが並んで見ているなか、 悠々と近付いてきて道路を横切って行った。 人間だろうが何だろうが、怖いもの無しという感じ、さすが百獣の王である。 咆哮が迫力満点である。数キロ四方に響き渡るようだ。

3時間ほど自然公園を巡って町に戻ってきた。朝食を食べ、その後は仕事。

それにしても、こちらには碌な土産物が無い。 キリンのネクタイを買ったが、着ける機会があるのか謎である。 他にはダチョウの卵を使った工芸品くらいしかない。 金鉱石の標本とかあれば買いたいと思っていたが、見かけ無いなぁ。

晩はイタリアンレストランへ。南アフリカワインも美味しかったし、悪くない。 こちらでは魚以外はだいたい外れはないね。でも魚はダメ。日本に帰ったらまずは寿司を食いたいものだ。



2009年1月9日

早朝からセグウェイのツアーに参加した。なかなか面白い。スキーやバイクと似た感じで、 機械と一緒に体を傾けるとカーブするし、前傾すれば加速、 重心を後ろに移動すれば止まったりバックもできる。 町の裏側のゲートを出てサバンナの土の道を疾走した。 南アフリカは、空から見ても実際に歩いても、どこも特徴的な赤土である。鉄分が豊富なのだろう。 途中でマングースの群れを見た。休憩中には、カワセミが水に飛び込んで魚を取る様子が観察できた。 ツアーは二時間ほどで終了。職場に一台欲しいところだなぁ。日本の公道では乗れないが。

昼食を食べ、仕事をし、晩飯を食べて今日は終了。

ホテルへ帰るときに、間違って、従業員がこの町に通ってくる通勤バスに乗ってしまい、 危うく町の外に運び出されるところであった。 気が付くと黒人しか乗っていなかった(でもあまり違和感が無かった)。 かなり焦ったが、ゲートを出る前に降りることができた。
夜中にいきなり町の外に放り出されて、 道路沿いの黒人のバラックが立ち並ぶ中で宿を見つけて泊まり(宿があるかも不明だが)、 明日、また通勤バスで戻ってくるのも一興だと思ったが、明日も予定があるし、 いきなり連絡も無しに居なくなると同行者が心配するので、さすがにそれはやり過ぎだろうと思った。 こういう冒険は嫌いではないし、昼間なら何とでもなると思うけど、 夜中にいきなりというのはさすがに自分のキャパを超える。

見慣れてくると、段々と黒人の女性も魅力的に見えてくるのが不思議だ。 健康的なエロティシズムというべきか。男女とも愛想が良く、常に楽しそうである (ここで働いている人だけかもしれないが)。 黒人にも色々な顔付きの人がいる。色は黒いが、顔付きはほとんど白人に近いような人も。 南アフリカは、オランダ東インド会社の関係で最初に主にオランダ人が入植し、ボーア人と呼ばれ、 その後にやってきたイギリス人に征服されたという経緯がある(ボーア戦争)。 入植当初は女性が非常に少なく、ボーア人と現地人が混血したので、 白人っぽい顔付きの黒人にはボーア人の血が入っているのかもしれない。 大英帝国のインド支配の関係でインド人も大量に流入しているようだ。 ボーア戦争は金とダイヤモンドを巡って争われた戦争で、最終的にはイギリスの勝利で終わるが、 この戦争で疲弊したイギリスは満州において単独でロシアに対抗できる力を失い、 日米同盟のきっかけになったとか。意外な所で繋がっているものだ。



2009年1月8日

レストランのテラスで朝食を食べていたら、黒人の従業員が現地語で歌を歌いだし、 それを聞きつけてホテルの従業員がどんどんやってきて人数が増え、大合唱になった。 実に楽しそうである。しかも非常に上手である。黒人のコミュニティーの中では、 みんなで歌を歌うということが基本的な素養であり、娯楽になっているのかもしれない。
ここで働いている黒人の人達は比較的、恵まれているように見えるので (携帯電話を使っている従業員も見かけた)、貧困層とは言えないのかもしれないが、 一般論として少し考えさせられた。 つまり、貧困は一つの大きな問題ではあるが、孤独はそれよりも大きな問題になり得るのではないか、 ということである。 たとえ貧困にあえいでいたとしても、みんなで一緒に歌を歌って元気になれる人間関係があれば、 その不幸は相当に軽減されるのではないかと感じる。 今、日本で話題の格差社会も、収入格差と並行して人間関係格差が問題を深刻にしているような気がする。

朝から夕方まで仕事であった。 明日の午前中と明後日の午前中に少し自由時間が取れそうなので、 明日はセグウェイに乗って町の中を走るツアー、 明後日は明け方から国立公園へ行って動物を見るツアーに参加することにした。 やっとこさ、この町から出られると思うと嬉しい。 目に入るもの全てが作り物のようで、はっきり言って、私達はヨハネスブルク空港に着いたのではなく、 実はアメリカのハリウッドかどこかのセットの中にいるのだと言われても全然おかしくない気がするのである。 遠くに見える山だって、後ろから見れば張りぼてかもしれない。 このままではほんとに、南アフリカに来た意味が無い。 物価も日本に比べたらここは少し安いが、たぶんヨハネスブルクなんかに行けば、 何もかもがもっと安いに違いない。



2009年1月7日

朝から夕方まで仕事であった。外はうだるような暑さなのに、屋内は冷房で風邪を引きそうな寒さ。 何とかならんかなぁ。

朝食はボリュームたっぷり。バイキング形式の、俗に言うコンチネンタルブレックファストであるが、 晩飯でもおかしくないくらい山のようにメニューがあり、あれもこれもと食べていると、 ついつい食べ過ぎてしまう。
一緒に出張に来ている人が、早朝、ホテルの前の芝生をゴリラが歩いているのを見たと言っていた。 町の中の森に住んでいるのか、それとも柵を乗り越えて外から入ってきたのか。 昼食はインド料理を食べた。味は悪くない。晩は晩餐会に参加した。

ヨーロッパでは、公共の場には何かしら緊張感を感じるのだが、 こちらでは何となく、退廃したというか、弛緩した雰囲気を感じる。 例えば、ヨーロッパでは子供は厳しく躾けられているのが普通で、 あまり子供がレストランで騒いだりしている光景を見ることは無いが、 こちらでは子供が騒いだり、全体的に何となくだらしない感じを受ける。 テーブルマナーなどにもあまり煩くない感じである。気のせいかもしれないが。

自然のままの自然を見たり、普通の人が住んでいる町並みを歩いたり、 一般庶民が買い物をするスーパーマーケットを覗いたりしたいのだが、 この町の中にはそんなものは一切無い。 ジャングルも湖も川も滝も全て人工で、写真を撮る気も失せる。 ホテルがあるだけで住宅は無いし、おしゃれなお店はあってもスーパーマーケットは無い。 到着二日目にして、もう息苦しくなってきた。 かと言って、ゲートを通って町の外へ出るわけにもいかないし…。



2009年1月6日

マダガスカル上空のあたりで夜が明けた。 まだほの暗いなか、雲の中に真っ赤に輝く帯状の光が見えたので、 地上で大規模な火山噴火や山火事でも起きているのかと思った。 実は、雲の下で朝焼けが光っていて、それが雲の切れ目から見えていたのである。 上空から雲の合間に太陽の光を覗き見るという、不思議で荘厳な光景であった。

香港から13時間のフライトでヨハネスブルクに到着。 上空から地上を見ていると、ヨーロッパなどと異なる異様さを感じた。 広大な平原がどこまでも広がっていて、道路も機能的に敷設されているのに、 住宅が、一ヶ所ずつ、極めて密集して建てられているのである。その理由は着陸後に明らかになる。
ヨハネスブルクからバスで目的地であるリゾート地へ移動。 途中、高速道路から住宅の様子を見ていると、どの住宅も密集して建てられ、 塀で一つの住宅地全体が囲まれているのである。 高級そうな住宅地ほど厳重に守られてる。普通の住宅地はレンガ塀と有刺鉄線という程度。 バスガイドさんによれば、山裾の高級住宅地は、高圧電流の流れる塀で囲まれ、 中では塀に沿って犬を連れた警備員が巡回しているのだそうだ。 一方、バラック小屋のような家が立ち並ぶ一帯は、もちろんと言うべきか、塀では囲まれていない。 ヨハネスブルクやプレトリアなどの都市から相当離れた場所にも、 高速沿いにこのようなバラック小屋の住宅地が点在していたが、 ここの住人はどうやって生計を立てているのか謎である。高速から離れると、後はサバンナが広がるばかり。 車を持ってなければ移動は不可能だと思うのだが。
昼過ぎに目的地に到着した。ここは町全体が塀で囲まれて、中は治安が確保されている。 町の中には人工の湖や滝があり、ゴルフコースがあり、ホテルやレストランが点在し、 無料のバスが巡回している。こちらは夏なので結構暑い。日差しも強烈である。 熱帯の花が咲き乱れ、動物園でしか見たことないような鳥が木々を乗り移り、 尾長猿の群れが移動している。人々は、芝生で日光浴をしたりプールで泳いだり、 湖でジェットスキーをしたりゴルフをしたりして楽しんでいる。なんだか、現実感の無い世界である。 どうせアパルトヘイトが永久に続くと思って、タダみたいな労働力を使いまくって町ごと作ったんだろうよ。 来る途中の高速沿いで、放心したように座る黒人や倒れている黒人を見かけた。 絶望と享楽の同居する世界、という印象である。

リゾート地で楽しんでいる人は白人ばかりかと思いきや、半分くらいは黒人の家族連れやカップルである。 アパルトヘイトが廃止されてから現在にかけて、白人の貧困層が増加し、 それと入れ代わるようにごく一部の黒人が豊かになりつつあると聞いていたが、それを実感させられた。 リゾート地で楽しんでいる白人と黒人の比率が半々でも、南アフリカの人種比は圧倒的に黒人が多いので、 黒人の中の豊かな黒人の割合は、白人の中の豊かな白人の割合よりもずっと低いのだろう。 実際、従業員はほとんどが黒人である。 一口に黒人といっても、良く観察すると様々な人種がいる。肌の色の濃さや顔付きも様々で、 混血も進んでいるような印象を受けた。

物価は日本に比べると安いと思が、めちゃくちゃ安いというわけではない。 リゾート地だが、ペットボトルの水が一本100円、缶ビールが一本170円というところ。 食事は2000円も出せば、美味しいディナーが腹一杯食べられる。 レストランでグリルドチキンを頼んだら、一人分としてグリルされた鶏の丸焼きが出てきてびっくりした。 サラダなんかも、大皿に山のように盛られて出てくる。とにかく多い。しかし味は悪くない。
ホテルでは、最初、茶色いお湯が出た。それ以外は特に問題は無い。まぁ、何が起きても、 T.I.A.と言ってしまえばそれまでであるが(T.I.A.=This Is Africa)。



2009年1月5日

今日から南アフリカへ出張である。 相場の注文をだしながら金沢から関西空港へ移動。 相場は46万のプラスで、今年は幸先の良いスタートを切れた。

関空からはキャセイパシフィックで香港へ。 香港到着時は夜だったが、上空から見ると、 改めて中国人のエネルギーの使い方のどうしようもなさを感じる。 廈門でもそうだったが、例えば山全体を照明で照らすとかの、無駄な光が多過ぎる。 派手なことは良いこと、消費は豊かさの表れ、という考え方なのかもしれないが、 こんなことではエネルギーがいくらあっても足りないだろう。
香港国際空港で四川風坦々麺を食ったら、これが激マズ。 自分はあまり食べ物ではハズレには当たらないのだが、これは無いやろ、という味やった。 今年はまた香港に来る予定があるので、美味い中華料理はその時に食べることにしよう。

トランジットで香港に二時間ほど滞在した後、ヨハネスブルクに向けて出発。 機内はほぼ満席である。スーツ姿の中国人の団体が非常に多い。 一体この人達は何をしに南アフリカくんだりまで行くのかと思うが、 最近、中国はアフリカビジネスに力を入れているので、 南アフリカを中継してアフリカ諸国へビジネスに行くのかもしれない。

機内では「トウキョウソナタ」と「イーグルアイ」を観た。 どちらも、どこかで見たことのあるような映画だったなぁ。

夜中には飛行機から南十字星と思われる4つ星を見た。 ただ、南十字星には偽物もあるらしいので、見たのが本物の南十字星かどうかは良くわからない。



2009年1月4日

今日も用事があり、職場へ。

しばらく車を動かしていなかったので、エンジンだけかけてみた。 やはり2週間ほど乗らなかったらバッテリーが減っている感じだなぁ。 バッテリーが寿命かもしれない。今度、テスターできっちり測ってみよう。



2009年1月3日

明後日から海外出張なので、準備のため午後から職場へ。晩には帰宅。

妻の年金の納付記録に不備が見つかった。ねんきん特別便に書いてある納付月数が、 実際に納付した月数より1ヶ月分だけ少ないのである。 納付記録を見て、納付されてないことになっている月がわかったが、 その月の分を納付した銀行の収受印の押された領収書も残っている。 ほんと、しっかり仕事してもらいたいもんだよ。

オークションにセミナーのテキストが出品された件について掲示板で話題になっている。 著作権のあるものが特定少数に譲渡された場合、譲渡権は消尽しないと考えていたが、 momokoさんに指摘されて著作権法を良く読むと、この場合にも譲渡権は消尽するようである。 よって、12月3日の譲渡権に関する記述は撤回ということで。 その代わり、少し苦しいかもしれないが、テキストに書かれたURLとパスワードによってダウンロード可能な、 エクセルファイルを問題にすることにしておく。 ファイルのダウンロードはセミナー参加者にしかを許可していないし、 セミナーでシステム売買等の説明をし、興味のある方は実際にファイルをダウンロードして試して下さい、 という感じで説明したので、ダウンロード可能なファイルがテキストの付録であるという認識は無い。 テキストにパスを載せたのは便宜上の都合に過ぎないので、 件の出品者がテキストを販売する際に、 エクセルファイルがダウンロード可能であると謳っていたのは問題がある、という論法である。
実際はもう結構どうでも良いのだが、12月3日に書いた理由の他にも、 セミナーというのは講演とテキストが一体となっているものなのに、 (それ単体では不完全な)テキストだけが転売されるというのに違和感を感じたというのもある。 「エンジュクもしくは秋山本人に問い合わせることのできる権利」もセットで売られるなら良いのだが。



2009年1月2日

妻と白山比盗_社へ初詣に行った。 北陸鉄道石川線に乗ろうと野町のバス停で下りたが、駅らしきものが見当たらないし、 周りは普通の住宅地で、駅があるような雰囲気もない。 しかし、コンビニで地図を見て、野町駅を発見した。住宅地の中に突如、駅があるという感じである。 ちなみに、母方の祖母が若い頃、野町に住んでいたそうだ。 30分ほど電車に揺られて加賀一の宮駅に到着。そこから少し歩くと参道がある。 寒いので、思わず屋台でイワナの塩焼きを買ってしまった。旨いなぁ。
社殿に参拝し、お御籤を引いた(中吉)。 妻が、巫女さんのレベルが高いと言っていたが、それは別に選んでいるわけではなくて、 単に北陸の美人度が高いだけだと思う。
オムソバやぜんざいを食べ、かき餅や蒟蒻をお土産に買って、再び北陸鉄道で帰ってきた。 香林坊で本屋に寄り、パスタを食べ、大和の地下で晩御飯のチキン南蛮とズワイ蟹サラダを買って帰宅。 正月なので少し贅沢気味である。



2009年1月1日

新年、明けましておめでとうございます。 商品業界も出来高低迷などで厳しさを増していますが、せめこのサイトに集う方々には、 実りの多い相場生活が訪れることを願っております。

新年は実家で、母親の作ったおせち料理やお雑煮を頂く。 妻の実家から大きなブリが送られてきたので、 4分の一は大皿一杯の刺身にし、残りは母親が照り焼きにした。
夕方には実家を出て、祖母の家に挨拶に寄ってから金沢へ。 雷鳥に乗って外を見ていると、滋賀のあたりから雪が深くなってきた。 昨日まで高知の晴天の下にいたのが夢を見ていたかのようである。
晩には自宅に帰ってきた。

外電は急騰で入電している。海水が大きく引いてから津波が押し寄せるように、 米国債に過剰に流れ込んだ流動性が津波のように押し寄せる動きが始まったのではないか。 今年の商品価格は年足でも大陽線を描くと見ているが、どんなもんだか。



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