先物日記(2009年5月〜8月)

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2009年8月31日

選挙の結果は民主党の圧勝となった。 小泉さんの郵政選挙では自民党に初めて投票したが、 既存の自民党を破壊してくれれば新たな動きが色々と出てくると考えてのことで、 結果的にはその通りになったようだ。 細川内閣のようにギリギリの数だと簡単に切り崩されてしまうので、 今回はこれくらいの圧勝で丁度良いと思う。 それにしても今回の選挙では、小沢さんの剛腕が目立ったなぁ。 1994年以来、ようやく与党に返り咲いて感慨深いものがあるに違いない。 新政権には、既存の利権構造の打破による無駄の排除をお願いしたい。



2009年8月30日

今日は北縦走路を白川郷に降りる。標準コースタイムは10時間となっていて、休憩を1時間足すと11時間。 白川郷から金沢へのバスが16:50発なので、今日も結構微妙である。 バスも予約していないので席が無いかもしれない。場合によっては白川郷に泊まって明日の朝、 金沢に戻ることになる。

05:00 ゴマ平避難小屋を出発。避難小屋付近の水場への道が北縦走路への分岐になっているのだが、 間違えて室堂方面に戻ってしまった。室堂から避難小屋まで来る途中に分岐があったと勘違いしていたのである。 途中でタイミング良くご来光が見えた。素晴らしい。しばらくして、先に出発した団体さんに追いついたが、 道を間違えていることを指摘された。このままだと白山に戻ってしまうのである。 地図を見ると確かにその通り。なんで勘違いしたのか自分でもわからない。 すぐにUターンして避難小屋まで戻った。
06:40 ゴマ平避難小屋を再出発。時間ロスは痛いが仕方無い。 この北縦走路は変化に富んでいて非常に楽しかった。基本的に尾根道を進むのだが、森あり、岩場あり、 川を渡ったり、所々のピークで景色を楽しんだり。稜線に沿いながら、数え切れないほどの山を降り、また登る。 一つのピークからもう一つのピークを望むと、あそこまで降りてまたあれを登るのか、勘弁してくれよ、 と思うが、実際に降りて登ると、意外とスイスイ楽に登れてしまう。 四国で肉体労働したお陰で体力が付いたのかな。
09:50 妙法山登頂。遠くからでも目立つ山である。これはキツそうだと思ったが、意外とすんなり登れた。 ただ、ガレ場で滑ると命に関わるので神経を使った。 山頂は羽アリが大量発生していて服の中まで入ってくるので、休憩もせずに早々と退散した。 妙法山を降りるあたりから、左足の昨日捻った所が痛み出してきた。それまで何の自覚症状も無かったのだが。 その後もひたすら登ったり降りたりの繰り返しだが、段々と痛みが酷くなってくる。 庇うように歩くと、今度は左膝が痛くなってきた。更にその後は、左の股関節にも痛みが発生。 もう、戻るよりコースを走破する方が所要時間は短い。このまま疲労骨折とかしてしまうと大事になるので、 適当な木の棒を拾って杖にして、出来るだけ左足に負担をかけないように一歩ずつゆっくり進むことにした。 このあたりから進行スピードが一気に落ちた。
11:20 もうせん平到着。沼なんだけど、食虫植物のモウセンゴケが沢山生えている。 杖を利用しながらヨロヨロと一歩ずつ歩く。ただ、左足に負担はかかってないので、 骨折とかの事態は避けられるだろう。
12:00 野谷荘司山登頂。当初の予定では11:00に到着するはずだったのだが、 最初のタイムロスと左足の不具合があったので仕方が無いか。 野谷荘司山を少し過ぎると、分岐があり、一気に白川郷方面に降りる道を選択する。 これがまた、左右どちらに転んでも滑落して致命傷になるような急な岩場が続いていて非常に神経を使った。 一歩ずつ慎重に降りる。途中、携帯のアンテナが立ったので、 妻にタクシー会社の電話番号を調べて送ってもらった。両側崖の地帯から森の中に入るとホッとしたが、 ここからもひたすら長い。降りても降りても出口に着かない。 もう足も限界で、今度は右足の昨日捻った所が痛くなってきた。
14:20 馬狩の登山口に到着。もう一歩たりとも動きたくない、と思った頃にようやく登山道が終わった。 野谷荘司山から登山口までの標準コースタイムは2時間なので、かなりスピードが落ちていたことになる。 しばらく地面にべったり座って休んだ。ここから白山スーパー林道を4kmほど歩けばバス乗り場になるが、 この足の状態ではバスの時間までに戻るのは難しいかもしれないので、タクシーを呼ぶことにした。 携帯は圏外なので、近くで電話を借りてタクシー会社に電話するも、空いてる車が無くて夕方になるとのこと。 もう仕方が無いので、白川郷まで歩くことにした。間に合わなければ一泊する。 アスファルトは足首や膝を使わないせいか、痛みも無く普通に歩ける。 これなら何とかなるかなと思ったが、通りがかった親切な方が白川郷まで乗せてくれた。 汗びっしょりでシートを汚してしまい、大変申し訳なかった。
14:40 白川郷到着。帰りのバスの切符も買うことが出来た。汗と泥で体が異臭を放っているので、 身障者用トイレに入り、体を拭いて着替えた。ズボンは替えを持って来てないので、 水洗いして絞って履いたが、やっぱりまだ臭う。でもバスに乗って迷惑にならないくらいにはなった。 抹茶ソフトを食べ、コーラを飲む。美味過ぎる。
18:50 帰宅。すぐに風呂に入る。極楽だ。風呂場で服を洗うと泥水が大量に出る。 ある程度ゆすいでから洗濯した。

今回の反省点は何といっても靴である。 だいたい軽登山は普通の運動靴で行ってるのだが、 今回は少しハードなので久しぶりに登山靴で行こうと思っていた。しかし、当日の朝に履いてみると、 しばらく履かないうちにサイズが合わなくなっていたことが発覚したのである。 それで、何とか大丈夫かなと思って運動靴で行ってしまったのが悪かった。 登山靴なら、足首まで保護されているので捻ることは無かった筈である。 近日中に新しいの買いに行くことにしよう。



2009年8月29日

05:00 起床。
05:30 準備をして出発。タクシーで金沢駅へ。
06:00 登山路が長いので、怪我などで一泊余分に泊まらざるを得ない事態に備えて、 おにぎりを8個、助六寿司を一本、レーズンロールを一袋、チョコチップスティックを一袋、 カロリーメイトを8本、と、食料は大目に。白山は水場は豊富なので、お茶は2リットルのみ購入。
06:40 白山登山バスに乗車。
09:00 別当出合を出発。金沢駅から出ている白山登山バスだと到着がこの時間になってしまう。 山登りをするには致命的に遅い。なに考えてるんだろう?  室堂に泊まって翌日また降りてくる人しか想定されていない。 ここからゴマ平避難小屋まで、途中の休憩時間合計を1時間と考えると、 最短コースの砂防新道を通っても標準コースタイムで12時間ほどかかる。 その時間通りだと、午後9時で、とっくに日が暮れている。 陽のあるうち、午後6時までに到着するのは絶対条件なので、 それが無理そうなら臨機応変にプラン変更を行う予定。 少なくとも、まず室堂に12時半に着くことが第一条件となる。 雨がパラついているが、午後から晴れの予報である。
09:30 中飯場。登山客が非常に多い。追い越すのに苦労する。
10:30 甚之助避難小屋。
11:40 室堂到着。ここまでほとんど休憩は無し。売店でカップラーメン(山価格400円)を食べる。
12:00 室堂出発。御前峰は昨年も行ったし、時間的なものもあるので今回はパス。 その代わりに大汝峰に登ることにした。御前峰を過ぎると登山客が一気に少なくなる。
12:50 大汝峰登頂。少し休憩。
13:00 大汝峰出発。ゴマ平避難小屋へ向けて進路を取る。まず一気に降りてお花松原を通過。 疲労で幾分ボーッとしながら霧の中の高山植物のお花畑を通ると、なんだか臨死体験の気分である。 目的地までの距離と現在時刻から、推定到着時刻を計算しながら歩く。 推定到着時刻は概ね17:00で変化無し。これなら引き返さなくて済みそうである。 さすがに疲労が蓄積して集中力が切れてくる。更に、登山道の整備で刈られた草が、 道の端の凸凹を覆い隠していて危険である。穴に嵌って、右足と左足を一回ずつ捻ってしまった。 幸い、捻挫というほどではなく、歩行に支障は無い。 更に一回、道を踏み外して笹薮に下半身を突っ込んでしまった。 これは場所が悪いと滑落して致命傷になる可能性もある (さすがにそういう場所では頑張って集中して歩くけど)。
17:00 予定通りの時間にゴマ平避難小屋に到着。水場に行ってタオルで顔と上半身を拭く。 気持ちが良い。避難小屋には団体の登山客が先に着いていて、宴会に混ぜてもらった。 一人じゃなく、仲間と集団で登るのもいいもんだと思う。
19:30 寝袋をかぶって就寝。



2009年8月28日

明日は登山なので早めに帰宅。 北縦走路で白川郷に下りるルートに決定。



2009年8月27日

晩まで仕事。

白山をどのルートで登るべきか色々と検討した。 せっかくなので登りと下りは別の道を歩きたい。 昨年、平瀬道で登って観光新道で下りたので、これと同じルートも出来れば避けたい。 しかし交通手段が限られているのが問題である。バスを使うとなると、 実際、登り口は市ノ瀬か別当出合に限定されてしまう。
検討した結果、市ノ瀬から釈迦新道を登って奥長倉避難小屋に泊まり、 加賀禅定道を一里野に下りるというルートと、別当出合から砂防新道を上がってゴマ平避難小屋に泊まり、 北縦走路で白川郷に降りるルートのどちらかにすることにした。 どちらにしても、初日の宿泊場所まで標準コースタイムで11時間ほどかかり、時間的には相当きつい。



2009年8月26日

来月上旬に友人と日本アルプスに登ることになった。 ルートは奥穂高岳から西穂高岳に縦走するというコースである。 一般登山道の中では屈指の難コースと言われており、現在の実力ではやや不安が残る。 日本アルプスは10年以上行ってないので、 問題点を洗い出すためにとりあえず週末に白山に登ることにした。

仕事を早めに終わらせ、町に出て用事を3つ片付けた。 まず、パスポートセンターに行ってパスポートを受け取った。 写真を見ると無精髭が目立つ。もっとちゃんと剃っておけばよかった。

その後、期日前投票へ。今回は民主党に投票した。 長期政権は必ず腐敗し、予算執行のあらゆる段階に利権が根を張り、 柔軟な資金配分が出来なくなって莫大な無駄が発生していく。 そういう状態を一新するには政権交代は絶対に必要だと考える。 少々国政が混乱したとしても、メリットの方が遥かに大きいと思う。 今回は民主党の圧勝ムードだが、中途半端な勝ち方だと自民党にどんどん切り崩されてしまうので、 自民党を壊滅させるくらいで丁度良い。
最高裁判所裁判官国民審査については、 昨日色々と調べた結果、竹内氏、涌井氏、那須氏、近藤氏に×をつけた。 調べる過程でわかったのだが、田原氏は判決を見るかぎり、多数意見に同調しないことも多く、 筋の通った信念を持ってる人のようだ。弁護士出身と知って納得。 というか、司法試験も通らずに最高裁判所の裁判官になれる人もいるんだね。おかしいだろ。
ところで、個人が支持政党や投票行動をネットに書くことが公職選挙法に触れると言っている人がいるが、 公職選挙法の立法趣旨に鑑みると、何ら問題は無いと考えるべきである。

次いで、ソフトバンクショップへ行って携帯電話の機種変更。 詳しいことはよくわからんが、今の携帯電話は来年の3月には使えなくなるので機種変更が必要だそうだ。 携帯電話自体は10年以上使っているが、これでやっと3台目である。 ポイントが1万7000円分ほど溜まっていたので、全部投入して残りは現金で一括購入した。 今までの料金プランがJ-Phoneのプランのままで、プランの変更も必要。 説明を聞いていると、最初の数ヶ月は無料だけど、その後、 解約しなければ料金がかかるオプションが付いてくることがわかった。 面倒だから最初から付けないでくれと言ったが、それは出来ないそうだ。 機械に疎い人だと、解約の仕方がわからず料金がかかり続けるケースが多いかもしれない。 それを狙っているとしたら、なんつう、みみっちいビジネスプランなんだ。

その後は、北陸相場師の飲み会に参加した。明日も平日なのであまり遅くならないうちに解散。



2009年8月25日

今日も朝から晩まで仕事。



2009年8月24日

朝から仕事。



2009年8月23日

自分も妻も、何となく定食っぽいものが食べたかったので、 岡山駅のやよい軒で昼ご飯を食べた。やよい軒はビジネスモデルとして成功しているように思う。 特に悪い点は見当たらない。

岡山からは、相生、姫路、大阪、敦賀、福井で乗り換え、晩になってようやく金沢に到着。 自分は結構平気だけど、妻には電車の長旅は応えたようだ。 帰宅して、すぐ近所のファミレスへ晩飯を食べに出た。 その後、シャワーする前にちょっと休もうとソファに横になっていたら、そのまま寝てしまった。

夏休みも終了である。明日から出勤だ。



2009年8月22日

早朝から砕石敷きの続き。やっと終わった。
これで敷地の道路側半分の排水関係は終了。ヘチマロン47本埋めたのと、塩ビパイプ20mほど埋めたので、 今まで全部で110mほどスコップ一本で掘ったことになる。一部は手伝ってもらったが、 100mほどは自分一人で掘ったと思う。 次回からは敷地のもう半分に取り掛かる。こちらはヘチマロンは一本だけで、 残りの排水は、山側の斜面を切り崩して石積みで固定し、U字溝を20mほど設置する。 あと、コンクリートで洗い場も作る予定。それが終わったら、道路側に駐車場を作成予定。 全部完成するのはいつになることやら。
実は別荘を建ててから、まだ一度も海でも川でも泳いだことがない。

ビー夫妻に駅まで送ってもらった。美味しいと評判のうどん屋さんに行った。 分かり難い場所にあるのに、お客が多く、とても流行っている。 冷やしうどんを食べたが、打ちたてのコシのある麺で非常に美味しかった。

午後1時頃に普通列車で出発。窪川、高知、阿波池田、琴平、坂出で乗り換え、 晩9時頃に岡山に到着した。坂出では電車の到着の音楽に瀬戸の花嫁が使われていて、旅愁をそそる。 今日は岡山で宿泊。

邦光史郎「巨人商社」を読んだ。大手商社、極東商事の社員であった主人公は、 自社の陰謀に近付き過ぎたために会社を追われた。 主人公は、陰謀の全容を明らかにして経営陣を一掃し、復権を果たそうと、個人商社の立場で奮戦する。
読み始めは、感傷的で時代がかった言い回しに辟易していたが、読んで行くと面白いので、 段々と気にならなくなってきた。小説自体も1960年代の作品なので、 現在と社会情勢がかなり違っていて面白い。 しかも結構知っている場所が沢山出てきて親しみ深い。 近鉄大阪線、生駒トンネル、寧楽ホテル(奈良ホテルのこと)など。 新幹線もまだ無く、関東と関西は東海道本線の特急こだまで移動、四国へはフェリーでの移動である。 近鉄特急で上本町から賢島まで600円。 現在は4000円弱なので、物価は6分の一くらいと考えれば良いかな。 ほとんどの登場人物が「いこい」を吸っている。



2009年8月21日

昨日作った金具を設置。イメージ通りで良い感じ。

車に自転車を積み込んでレンタカーを返却に行き、自転車を漕いで戻ってきた。 途中、久しぶりにコンビニでゆっくり立ち読みした。

帰宅後は、残りの雨樋の水の誘導のため地面を掘る。 疲労が蓄積していて腰も痛く、たった20cm掘るだけなのに、初日に70cm掘ったのよりしんどい。 砕石の山にもたれて休みながら少しずつ掘った。 塩ビパイプ設置後は、ひたすら砕石を敷地に敷いていく。 泥が詰まってきている箇所に、更に海岸から砂を運び上げて埋めた。



2009年8月20日

朝から時々雨がパラついている。 6号砕石が5トン届いたので、少しばかり敷き均した。 以前にヘチマロンを埋めた所の砕石を掘り返してみると、砕石の隙間に土が結構詰まっている。 今まで砕石は20-40を使っていたのだが、泥水の流入する場所の表層部分はやはり細かいのを使うべきだな。 雨水しか来ない所は粗くてもいいんだが。 とりあえず泥の流れてくる所は6号砕石を詰め、更に上から砂でカバーすることにしよう。 敷地の中も20-40だと荒すぎて靴底やタイヤにも当たりがよくないので、 全体的にも6号砕石でカバーすることにする。泥が流入する箇所には海砂を取ってきて投入した。
次に、雨樋の水を誘導するために塩ビパイプの設置を開始。 雨も上がったので、色を合わせるために塩ビパイプの地上に出ている部分をスプレーで白くペンキ塗りしたら、 乾かしている間に雨がパラついて台無しに。塗り直し。 L字やT字を組み合わせながら地面の下に塩ビパイプを敷設していたら、水道管に遭遇。 迂回するため、せっかく掘ったのに別ルートを掘り直した。 パイプに枯葉などのゴミが流れると詰まる可能性があるので、雨樋と塩ビパイプの間は2cmほど空け、 雨樋より直径の大きな塩ビパイプで受けるようにし、 塩ビパイプには100円ショップで買った茶漉しをセットした。 ゴミ取りについては、ホームセンターで金属製のフィルターを見ると結構高いし、 プラスチックの植木鉢の下皿に細かい穴を沢山開けてセットするなど、色々と考えたのだが、 結局100円ショップの茶漉しを採用したのである。 5mm単位で様々な大きさの茶漉しが売っていたので、ぴったりのサイズを用意することができた。
衝撃が加わると、雨樋と塩ビパイプの中心がズレてしまう可能性があるので、 雨樋と塩ビパイプを固定し、なおかつ茶漉しの交換に差し支えないような金具を自作した。 ホームセンターで30分ほど悩んだ結果、3つの金具を合体させて作成。 明日設置予定。



2009年8月19日

壁沿いに9mほど掘った。勾配を正確に取るために、基準となる水平線を取り、 基準線からの深さを測りながら掘っていく。20cmの最浅部から掘っていったので、 最初は楽だが加速度的に辛くなる。ようやく掘り終えてヘチマロンを設置。 モルタルを練って要所に詰め、固まるまでしばらく放置。その後は砕石を投入。 膨大な作業量だったが、早朝から夕暮れまで無心になって取り組んでいたら何とか終えることができた。 明日は6号砕石が届くので、全体的に上からカバーする予定。 あと、雨樋関係にも取り掛かるつもり。

汗がとめどなく流れてくる。妻にお茶を量産してもらい、ひたすら飲む。 頭がボーっとしてきて、忘我の境地になってくる。 相場は全然見ていない。波の音を聞きながら、朝から晩まで汗だくになって身体を動かしていると、 相場が遠い世界のことに思えてくる。
寝る前にビールを飲んだら、一瞬で寝てしまえる。



2009年8月18日

早起きして作業開始。まずは前回中断した2mほど掘る。もう固い地面を掘るコツもわかっているので、 数時間で掘れた。ヘチマロンを設置し、砕石で埋めた。
次に壁沿いの方に取り掛かる。地面に寝転び、穴を覗き込むようにして一番下に直径7cmの穴を開けた。 円周上にドリルで小さな穴を沢山開けて繋げる方針だが、 地面に寝転んで上半身を穴の中に入れるという無理な体勢で力が入らないのと、 ドリルの刃がすぐに駄目になるのとで苦労した。 すぐに刃が駄目になって埒があかないので、ホームセンターで鉄鋼用ドリル刃4本セットを買ってきて、 一日がかりで4本全部使ってようやく穴が開いた。ガスバーナーでもあれば速いのかもしれないが。

陽射しが強い。妻は部屋の中で手芸とYouTubeで過ごしている。



2009年8月17日

早朝に高知駅に到着した。まずは普通列車で須崎まで移動。そこから特急で中村へ。 JR線は窪川までだが、窪川まで普通列車で行こうとすると須崎で2時間半くらい待ち時間があるので、 さすがにここは特急を利用した。 高知−須崎間は、一人分のみ18切符を使用。 普通に買うと830円なので結構もったいないが、使い切りの関係でここで一回分消費するのである。

10時くらいに中村駅に到着。レンタカーを借り、スーパーで買い物してから別荘へ向かった。 5ヶ月ぶりで懐かしい。

今回の滞在では、敷地の道路側半分の排水関係を全て終わらせるのと、 雨樋の水がそのまま敷地に流されているのを塩ビパイプで敷地の外に流すようにする。 まず、前回、途中で中断していた所を少し掘った。ここは2mほどなので、明日には終わるだろう。 更に、上手の家のコンクリート壁の排水穴から出る水がそのまま敷地に流れ込んでいるので、 壁沿いに9mほど掘ってヘチマロンを埋めることにする。 敷地の端で、側溝の水が鉄板の筒で垂直に落とされているので、 この鉄板に穴を空けて流し込むことにした。 問題は、この鉄板のある位置から敷地内にかけて緩やかな傾斜があり、 敷地の中に入るほど低くなっていることである(このせいで、水が流れ込んできて散々苦労している)。 傾斜と逆に水を流さないといけないので、相当深く掘らねばならない。 最浅部を深さ20cmとし、そのからメートル当たり3.5cmの傾斜をつけると、9mで深さは50cmほどになる。 それに敷地自体の傾斜が20cmほどあるので、最深部は70cmほど掘らねばならない。 しかも70cmまで掘って、その一番下の部分の鉄板に穴を開けなければならない。 かなり苦労しそうである。
ひとまず最深部の周辺のみ掘ってみた。かなり深い。



2009年8月16日

早朝に出発。3日間の滞在なので自分は楽しかったが、ずっと住むとなると、 この、町中の人が知り合いのような人間関係の濃さはちょっと大変かもしれない。 しかし住むコストは非常に安い。不動産屋さんに貼ってある物件を見ると、 一戸建てが月4万円くらいで借りられる。

再び普通列車を乗り継いで、午後には博多に到着。 ここは特急に乗ってもそれほど値段が変わらないのだが、 10回分を使い切る関係で青春18切符を利用。長崎本線の車内デザインはなかなか良いね。 博多では、まずは天神に出て秀ちゃんラーメンでとんこつラーメンを食い、 キャナルシティでクレープを食べたりして時間を潰した。

博多駅で夜行バスに乗り、高知へ。



2009年8月15日

午前中は、妻の同級生のご両親がやっている軽食屋さんへ。 食事の後は、近くの小高い山に登ろうと妻と出かけた。 その山はハイキングコースになっているのだが、登り口までは普通は車で行かないといけない。 しかしここは、敢えて歩いて行くことにした。 汗をかきかき歩いて、ようやく山の登り口まで来たところで雨が降り出した。 駐車場の隅でカキ氷を売っている屋台があったので、思わず食べる。 そしたら、カキ氷を売ってるおっちゃんが妻の知ってる人だった。 この雨だと、もう山に登るのは無理だろうと言われて、 カキ氷を売っていた別のおっちゃんに町まで車で送ってもらった。
町に着くと雨は上がったので、そのまま町をブラブラと散歩。 その後、妻の親御さんと待ち合わせてお墓参りに行き、花火をし、 それから親類の初盆の精霊流しに参加させてもらった。
精霊流しの後は妻と居酒屋に行って食事をし、ホテルに戻った。



2009年8月14日

少し遠出して、地元の半日バスツアーに参加した。そしたらバスガイドが妻の同級生だった。 バスツアーの後は妻の実家へ。実家でしばらくのんびりしていたら雨が降り出した。 さすがに雨だと、今日のお墓参りは中止である。 妻と、美味しいと評判のステーキのお店へ行ってみると、ここでも店員さんが妻の同級生だった。 狭い世界だなぁ。



2009年8月13日

早朝にホテルを出て、午後早めの時間に妻の実家のある港町に到着。 妻と合流してホテルへチェックインし、お寺で妻の親御さんと合流してお墓参りへ。 何だか町中の人が墓地に集まってきたかのような賑わいである。 あちこちで挨拶回りなどがなされ、妻は同級生と会ったりして、さながら同窓会のようである。 また、あちこちで花火が行われている。自分も妻と花火をした。 お墓で花火をするという風習が関西には無いものだから、かなり不思議な感じである。 これが3日間続くらしい。妻の親類の方々ともお会いしたが、 ふたいとこくらいの関係を次々と説明されてもなかなか覚えられない。 田舎ならではの濃い親戚関係である。 自分の親戚の場合、ふたいとこくらいになると名前も知らなければ会ったこともないなぁ。
お墓参りの後は妻の親御さんに晩御飯をご馳走してもらい(水イカが美味かった)、 ホテルに戻った。

金沢を出るとき、三浦綾子の「嵐吹く時も・上下」と「泥流地帯」をパラパラと見たら、 まだ読んでなかった気がして持って来たのだが、電車の中で読んでいたら、やっぱり既に読んでいた。 というか、三浦綾子の作品は結構好きなので、 普通に考えれば、買っただけで読んでない作品は家には無いんだが。 でもまぁ、9割がた忘れていたので、また新鮮な気持ちで読むことができた。 金沢を出てから読み始めて、今日で3冊読み終わった。
「嵐吹く時も」は人間の善性の話なんだと思う。悪人に思えるような人でも、 その人に合った環境に身を移せば、その人の良さを生かすことができるということがデーマかな。 夫婦の相性の話でもあるかもしれない。
「泥流地帯」は悲惨である。日本版「怒りの葡萄」とも言えると思う。 ただ、「怒りの葡萄」が追い込まれていく一方なのに対して、 「泥流地帯」では、日本全体の経済発展により、 最底辺の小作農の生活水準もわずかながらに向上していく様子が窺える。 それだけに、全てが泥流で流されてしまった喪失感は限りなく大きい。 続編は家に無かったのでまだ読んでないと思う。早めに続きを読みたい。



2009年8月12日

「げんしけん」の続きを読む。いい話だった。斑目先輩になんか共感してしまう。 アフタヌーンは何気に良い作品が多いな。

昼前にシャワーを浴びて出発。ネットカフェは、椅子も180度までリクライニングできて安眠できるし、 シャワーもあるし、これで一泊2000円以下というのは破格だなぁ。 遅くまで飲んで寝るだけなら十分である。

近くの駅まで歩き、徳山、下関、門司で乗り換え、博多着。 以前、廣瀬君と行ったことのある陳麻家に行ったら店が無かった。ネットで調べたら移転したようだ。 移転先に行ったら営業開始まで時間があったので、ブックオフで立ち読みして時間を潰した。 陳麻飯と餃子を食べ、ビールを飲んでから出発。 鳥栖、肥前山口で乗り換え、夜遅くなって長崎の某所に到着。今日はホテル泊である。

今日はクラックを全落ちし、前日比マイナス151万であった。残玉は金の買いのみ。 特に今日何か理由があるわけではないのだが、もう嫌気がさしたのでクラックは撤退した。 流動性が復活するまでもうやらない。 日中の動きから想像するに、原油の出来高のほとんどはクラックがらみだと思われる。 片張りが出来高の大部分の時に、そのおこぼれを頂戴するのがクラックの利益の源泉なのに、 原油売買のほとんどがクラックがらみでは利益が出る筈も無い。 乗り換え作業も時間ばかりかかって、もう普通に我慢できる範囲を超えた。 8月も半ばなのに、まだ5番限に玉が残っていて、そのうちすぐに4番限に回ってしまう。 原油を1枚乗り換えるのにも何十分もかかるが、今月はもう、そんな時間は取れない。 灯油も酷い。もう明日までポジションを持っているのも嫌になって、 値が滑るのも構わず仕切って行ったので、たぶん15万くらい余計にマイナスになったと思う。 でももう最後だからいい。
別にクラックの水準がおかしいとかそういうんじゃない。採算は割れているから、 中期的に見ればいずれは拡大すると思うが、流動性が乏しすぎるのとクラック玉が多過ぎるのとで、 売買が困難になり我慢の限界を超えたということである。
結局、現時点で今年の利益は500万ほど。相場を再開してからの利益は800万ほど。 昨日と今日で180万ほどマイナスだが、 どのみち最後はマイナスにならないと撤退する踏ん切りがつかないので、これで良かったと思う。

これから3ヶ月間を目処に、今までのあらゆる知識と経験の集大成となるシステムを構築する。 このシステムが完成するまでは、金の買いの維持以外の売買は休み、その後はシステム売買一本で運用する。 満足の出来るシステムが完成しなければ相場も休み続けることになる。 システムは、あらゆる市場に対応させる予定で、その結果、商品市場との関わりは、 数ある市場の一つという扱いになるだろう。システムの相性にも拠るけど、株式と為替にも口座を開設する予定。 商品には色々と良い思いをさせてもらったし、一度退場してからも800万ほど儲けさせてもらったので、 寂しくはあるけどね。でももう鞘取りは限界だろう。 片張りのシステム売買ならまだチャンスはあると思うが。 もともと商品には鞘取りとシステム売買の二本柱で参入したので、原点に立ち返るだけである。
一昨日、先物タロウさんと話をしていて、利益が出る明確な根拠に基づいた売買をすべきだよなぁ、 と再確認したのが直接のきっかけかもしれない。 昔に比べてクラックの利益の根拠がかなり薄弱になってきていることに、 薄々気がついていながら直視していなかった。 相場が変われば、自分も変わっていかなければならない。
ここまで商品相場一本で来たのは性格的なものもあるのだろう。 自分は、靴でも鞄でも財布でも、ボロボロになるまで使ってしまう。 まだ使えるのに新しいのを買う気にはならない (最近は、妻が見かねて新しいのをプレゼントしてくれたりするが)。 車も時計も一つ決めたらそればっかり使っている。同じような感じで商品にもずっと執着してきたが、 さすがにそろそろ限界を感じる。



2009年8月11日

昼前までネカフェでダラダラして、昨晩と今朝で新世紀エヴァンゲリオンのコミック版を読んだ。 よく分からない所などをネットで調べたりして、ようやく話の筋がわかってきた (ただ、コミック版の展開はアニメ版とは少し違うらしい)。 作品中の世界は、一見、現実の世界の延長線上にあるように見えながら、 実はダーウィンの進化論に基づくような世界とは異質な、 もっとファンタジックな基本設定の世界だということがわかった。 ここまで現実離れした設定を考えて世界を作り上げた庵野秀明氏の構想力が凄いな。

新倉敷駅から普通電車で広島へ移動。広島駅から市電に乗り、汁なし坦坦麺の「きさく」へ。 店に着いたら、夕方の開店は6時からとのことだったので、近くのスーパー銭湯へ移動。 地図では500mくらいの筈だったのだが、縮尺を間違えていたようで、えらく遠く、 天満川のコンクリートの護岸を30分くらい汗だくになりながら歩いてようやく到着した。 しかし第二火曜日は定休ということで閉まっていた。 なんでまた、こんなピンポイントに休みにぶち当たるかなぁ。 ネットで調べると、坦坦麺屋さんのすぐ近くに銭湯があるということがわかったので、 再び30分くらいジリジリと陽の照りつける中を歩いて銭湯に到着。 最初からそこに行きゃよかったよ。
開店5分前にお店に行ったら既に行列ができている。 開店と同時に早足で店内に移動し、後ろの人をイライラさせないように素早く券売機で食券を買い、 カウンターに提出して後は待つ。近くの人を見ると、 腕組みをして中空の一点を見つめたまま微動だにせずに待っている人がいる。かなりの中毒者と見た。 しばらく待つと汁なし坦坦麺が運ばれてくるので、さっそく混ぜ混ぜし、おもむろに食する。 美味いけど、前回より山椒のスーッとするのが減ってその分辛くなったような気がする。 頭の中で勝手に記憶が変化してしまっただけかもしれないが。また来なくては。

再度、市電に乗って広島駅へ。JR五日市駅で獣ちゃんと合流。 腹の空き具合がまちまちなので回転寿司へ。 獣ちゃんとは、今までかなりの回数、回転寿司へ行ったことがある気がするなぁ。 その後は、コンビニでビールとビーフジャーキーを買い(獣ちゃんは車なのでノンアルコールビール)、 宮島港の堤防に座って話をした。 獣ちゃんは最近、肉体労働系の仕事に手を伸ばしているようで毎日大変そうである。 しかし新分野に参入しても、単なる雇われ労働者になるのではなく、 人を雇って何かをする方向で進めていくというのは、さすがだと思う。
それにしても、相場を張っていた知り合いもどんどん相場から離れていく現状では、 過去の思い出話が話題の中心になるというのも仕方がないというべきか。 ケンちゃんと3人で四万十川で泳いだことなどが懐かしく思い出された。 廣瀬君の思い出話も出た。今回、日程を調整して彼の墓参りに行こうかと思っていたのだが、 獣ちゃんも一緒に行きたいとのことで、いつか別の機会に一緒に行こうということになったのである。
獣ちゃんは明日も仕事ということで早めにお開きに。近くのネットカフェに送ってもらった。 別れ際に、三郎さんに頂いたカブトガニ煎餅を5つほどお裾分けした。

坦坦麺を食べに行くのに市電に乗ったが、広島の市電に乗ったのは多分、初めてである。 はだしのゲンで車両が黒焦げの死体で一杯になっていた場面が印象に残っている。 今日、市電の中から原爆ドームを見て、平和記念資料館に寄りたいと思ったが、時間が無くて断念した。
近年、核武装論がかなりオープンに語られるようになってきているが、 口に出すのも憚られるような状況よりは議論のできる状況の方がいいとは思うが、 個人的には核武装には反対である。核武装の主な論拠は抑止力だと思うが、 抑止力のためにはどんな兵器でも所持すべきというのは極論だと思う。
もし仮に、致命傷は与えないが、後遺症で何百万人の人に何十年も激痛を与え続ける化学兵器とか、 子孫代々にわたって奇形児しか生まれなくさせる生物兵器とか、 日本列島や朝鮮半島くらいの地域を丸ごと水没させてしまう地震兵器とか、 人間の性格を残虐に改変して殺し合いをさせるような精神兵器など、 悪魔のような兵器を仮想敵国が開発したら、抑止力のために自国も開発すべきなのか?  もっと極端に、地球上の文明が全て滅ぶような兵器を敵が開発したら対抗して開発すべきか?  個人的にはそうは思わない。人道的な見地から考えて、 人間としてこれ以上は手を出すべきではないというラインがどこかに存在すると思う。 核兵器は、その悲惨さから考えると、そのラインを超えていると思う。
まぁ、現実的見地から考えても、少なくとも今後20年くらいは核武装が可能とは思えないが…。 単独で核兵器を開発するには核実験が必要だが、日本国内にそれが可能な土地は皆無である。 核実験無しで済ませるにはイスラエルのように米国からの情報提供が不可欠だが、 そもそも米国の核の傘が信用できないから自前の核兵器を持つべきという理屈なのに、 米国に頼らなければ核武装できないというのは論理が破綻している。 逆に言えば、米国の同意があれば比較的簡単に実現はするのだが、 今のところ米国の同意が得られる可能性は限りなく低い。
核兵器の製造や維持には莫大な費用が必要なので、 各国とも保持は少ないに越したことはないのが本音である。 戦略兵器削減条約(START)で米露が削減に合意できたのも経済的な理由が大きいと思う。 問題は、現在の中国が、そういう経済的な要因が政治判断に影響するような状況にないということである。 民主化されれば、そういうまともな判断が働いてくるのだろうけど…。
北朝鮮に関しては、今まで散々パチンコ業界等を通じて核開発資金を供給しておきながら、 今になって騒ぐのはマッチポンプもいいとこではないか。 資金を絞れば核兵器のメンテナンスの資金すら捻出できないだろう。 さっさとパチンコやパチスロを禁止しろよな。どう考えても賭博罪に触れている。



2009年8月10日

今日から青春18切符の旅である。 福岡に住んでいた頃も、大阪まで遠距離恋愛だったので、休み期間にはよく利用したものだ (博多−大阪で14時間くらいかかる)。 自分は電車に長時間乗るのは全く苦にならない。ゆっくり本も読めるし、パソコンがあれば仕事もできる。 ただ、パソコンの電池が6時間くらいしかもたないのが問題ではあるが。

早朝に金沢を出て、福井、敦賀、姫路、上郡、岡山、と乗り換え、夕方に目的地に到着。 今日は先物タロウさんのトレーディングルームにお邪魔することになっているのである。 タロウさんのブログは以前からちょくちょく拝見させてもらっていたのだが、 デイトレ中心に驚くべき実績を上げていて、俄かには信じ難いという思いもあった。 その一方で、タロウさんの書いている文章からは嘘の臭いは全く感じられなかった。 自分も相場の世界にはそこそこ長くいるので、相場での実績に関しては、 書かれた文章を読めば、本当のことを書いているか嘘を書いているか、だいたいはわかる。 それに、実績を別にしても、昔から相場界にいる人なので、 単純に相場仲間として一度お会いして話をしてみたいと思っていた。
駅で、先物タロウさん、先物三郎さんと合流。先物三郎さんに親子カブトガニ煎餅を頂いた。 タロウさんは、見た目は少し事前のイメージと違ったが、 性格はネット上と同じく、すごく気さくな人であった。 三郎さんは、いつものノリノリトークで攻めてくるのかなと思っていたら、そうでもなかった。 初対面で少し遠慮があったのかもしれないけど。
3人でタロウさんのトレーディングルームに移動。パソコンが3台稼動していて、 画面が沢山並んでいる。眠くなればベッドもあり、なかなか居心地の良い空間である。 TOCOMの夜間はほとんど動きも無く、主に相場談義で終始した。
相場も特に動きが無いので、タロウさんに晩飯を食いに連れて行ってもらった。 三郎さんは用事があるということで、ここでお別れ。 途中でタロウさんの自宅に寄って、新しく買ったバイクを見せてもらった。 すげぇ格好いい。そしてすげぇ速そう。マフラーが良い感じだ。 こいつに乗って是非、金沢まで遊びに来てもらいたいものだ。
岡山市内のタロウさん行きつけのお店へ。相場の話を中心に色々と話をしたが、 1時間くらいしか経ってない感じだったのに、すぐに数時間が経って閉店時間になってしまった。 その後は、特に宿も取ってなかったので、新倉敷駅の近くのネットカフェまで送っていただいた。 タロウさんとは、以前からいつか会うだろうなぁと思っていたので、 今まで会ってなかったのが不思議なくらいである。また機会があればご一緒したいものだ。



2009年8月9日

仕事でトラブルが発生。せっかくなので愛車で出勤した。 二日連続で休日出勤になってしまったが、自分のミスが原因なので不満のぶつける先が無い。 何とか午後には片付いたので、そのまま職場から能登有料道路へドライブに行き、 高松SAで海鮮丼を食べて帰ってきた。

有給休暇と夏期休暇を合わせて、明日から23日まで休みにした。 上記のトラブルも後はメールのやり取りで何とかなりそう。いよいよ夏休みである。 仕事する時は集中して取り組む、休む時はとことん休む、これが理想だね。



2009年8月8日

酒井法子に覚醒剤取締法違反で逮捕状が出た。ファンというほどではないが、 子供の頃からテレビで見かけたりしていたアイドルなので、残念なことである。

やらなけりゃならん仕事が残っているので、休日出勤。



2009年8月7日

午前中は広報関係の仕事で、午後から富山へ出張。 仕事の後は、西町の良い感じのお店で和食を頂き、さらに荒町のあたりで飲んだ。
そのときの話題で印象に残ったのが、 現在の経済は全て経済成長することを前提としているが、 経済成長を前提としない定常的な経済というのは成立しないのだろうか、ということ。 結局、みんながより良い暮らしをしようと頑張って働く社会では、 経済成長を前提にしないとお金が回らない。 成長しなくてもお金が回るようにするためには、身分制度を導入するしかないのではないか?  という意見が出た。確かに一理あると思うが、現実化するのは難しい。



2009年8月6日

朝から仕事。広報関係の仕事で、同じことを4回喋った。明日もある。 その後、普段の仕事もあり、深夜に帰宅。



2009年8月5日

久しぶりの独身生活を謳歌しているが、着替えなどの物がどこにあるかわからん(ありがちな話だが)。 午前3時にコンビニで立ち読みしたり、身体に悪そうな弁当を買ってきて食べたりした。

親の所得と子供の学力に正の相関があるという研究結果がニュースで流れている。 何を今さら当たり前のことを、と思ったが、そういうニュースが今の時期に流されること自体、 何らかの意図が背景にある可能性が高いのだと思う。恐らく選挙がらみだろう。



2009年8月4日

妻は実家へ帰っていった。とはいっても家庭不和というわけではない。 後日、妻の実家で合流予定。

朝から夕方までずっと立ち仕事で、しかも喋りっぱなし。 足はガクガク、喉はガラガラである。 しかしこれで、ここしばらく懸案だった仕事が一つ片付いた。

東京理科大の辻孝教授らと大塚ホールディングスの研究グループが、 マウスを対象として、上皮細胞から歯を再生することに成功したらしい。 再生した歯には神経もあるという。早いとこ実用化してほしい。 ほんと、歯と目には昔から苦労させられているのでね。



2009年8月3日

朝から晩まで仕事で終わった。

相場再開後の利益が1000万まで戻った。6月末の状態に戻っただけ。全然金が増えん。 一度、大きくやられる経験をすると、逆行した時にどうも腰が引けてしまう。
相場再開後は、金を買い下がるも2400円で半分ほど投げて結局トータル儲からず、 油を買い下がって豚インフルエンザで7割方投げて儲からず、 クラックは最縮小から少し戻したところでかなり落としてしまい、 マイナス分を取り戻しただけになってしまった。
これ全部、退場した経験がなければ損切りせずに全部取り切っていると思う。 まぁ、腰が引けるのは生き残る確率が増えたと考えれば良いかなぁ。



2009年8月2日

掲示板で、あーんさんが相対速度に関する現象について話題を出していて、 それに江戸酔小唄さんが興味深いアイデアを色々と出していた。 電車を輪っかのように繋げて高速で走らせ、その電車の中に更に電車を走らせる、 というのを繰り返すと、光速を超えられるのではと書いていた。
しかし実際には光速を超えることはできない。 光速度をどの慣性系でも普遍にするように物理系を構築すると、 運動する物体の内部で同時に起きた現象は、 物体の外の時間で観測すると必ずしも同時には起きないことになる(同時刻の相対性)。 この同時刻の相対性に起因する時間の遅れにより、 速度Uで運動する物体の中で相対速度Vで物体を運動させても、その物体の速度はU+Vよりは小さくなってしまう。 詳しい計算はローレンツ変換によるが、 例えば光速の0.8倍で運動している列車Aの内部で更に光速の0.8倍の相対速度で列車Bを走らせた場合、 静止系で測った速度は光速の1.6倍にはならずに、(0.8+0.8)/(1+0.8^2)=0.9756…より、 光速の約0.956倍となる。
また、同時刻の相対性によって、運動する物体の長さを静止系から見ると進行方向に縮小して観察される (ローレンツ収縮)。江戸酔小唄さんの列車の例を見て、 このローレンツ収縮のからみでしばらく考えてしまった。 外側の列車よりも内側の列車の方がローレンツ収縮の度合いが大きいので、素直に考えると、 内側の列車の長さは外側の列車の長さよりも短くなって観察される筈である。 となると、内側の列車が作る輪っかの半径は外側の列車が作る輪っかの半径より小さくなってしまい、 外側の列車の内側に内側の列車があるという前提が崩れてしまう。
もっと単純な例を考えてもよい。円板を高速回転させると、中心の近くは低速だが、 縁に近付くほど速度は大きくなる。このとき、縁が光速に近くなるまで回転速度を上げるとどうなるか。 ローレンツ収縮により円周は縮小するが、半径方向の長さは変化しないので、 円として成立するのか定かではない。 色々と考察した結果、結局、円板上で円周が長くなるわけなので、 円板がゴムのような伸び縮みする材質で出来ているならば、見た目は変わらずに実際は円周の近くが伸び、 もし伸び縮みしない材質ならば、伏せた椎茸の笠を押し潰したように、 あちこちに亀裂が入って、バラバラになった円周の破片ごとにローレンツ収縮が起きると考えられる。 もし円板が、伸び縮みもせず壊れもしない物体だったらどうなるか?  そんな物体は存在しないと片付けることもできるし、思考実験として考えても、 伸びもせず切れもしない紐を2倍に伸ばすとどうなるか、と聞いているのと同じで、 矛盾の故事と大して変わらない話になる。 まぁ、それでも無理に実現すれば、空間の方が曲がるだろう。
ところで、時速300Kmで走行する全長300mの新幹線は、 ローレンツ収縮の影響で長さが0.0000000000116mほど短くなる。原子0.1個分くらいなので観測は不可能だが。



2009年8月1日

大学時代のサークルの後輩が二人、金沢に遊びに来たので町を案内した。 まずは兼六園へ。兼六園って金沢市民は無料だったのね(日祝のみ)。 これならもっと気軽に寄っていけるなぁ。ベンチに座って本を読んだりするのに丁度いい。 兼六園の後は21世紀美術館に行き、尾山神社を案内し、 その後は良く利用する片町の割烹で加賀料理をご馳走した。
もっと時間があれば郊外のお薦めスポットにも案内できたんだが。 とにかく満足してくれたようで良かった。



2009年7月31日

今月の相場はかなり浮き沈みがあったが、結局は今月の利益率はマイナス0.5%であった。

片町で、まこりんさんにご馳走になった。美味しいと噂の中華料理のお店へ。 生まれて初めてフカヒレの姿煮を食べた。すんごい美味い。 東京の美味いと言われる店と同じくらい美味しいと、まこりんさんも言っていた。 今度、妻を連れてきて食べさせてあげよう。 ところで店の人が言うには、フカヒレの姿煮が一番利幅が薄くて、麻婆豆腐が一番利幅が取れるそうだ。
その後はキャバクラへ。お陰さまで、楽しいひとときを過ごさせて頂いた。 まこりんさん、ありがとうございました。



2009年7月30日

会議。後は夜まで仕事。最近、仕事が捗って良い感じである。



2009年7月29日

歯医者で、取れた詰め物を詰めてもらった。 歯軋りがキツいようなので、それが原因かもしれないと言われた。 歯軋りは、あんまり自覚症状は無いんだけどなぁ。

もうすぐパスポートの有効期限が切れているので、妻と待ち合わせてパスポートセンターに申請に行った。 妻は初パスポートである。

午後から出勤して夜まで仕事をした。他には特筆すべきことは無し。



2009年7月28日

細野祐二「公認会計士vs特捜検察」を読んだ。これは実話である。 シロアリ駆除の大手企業キャッツの担当会計士であった著者が、粉飾決算 (証券取引法違反、虚偽記載)の疑いで逮捕された。 経緯をざっと書くと、シロアリ駆除で急成長したキャッツが株の買い占めに遭い、 防戦買いをした方が良いと仕手筋にアドバイスされ、依頼してしまうが、 結局キャッツ側が、その仕手筋が買い集めた株を高値で引き取らねばならないことになってしまった。 結果として60億円の損失を何とか処理しなければならないという状況に陥った。
一方でキャッツは新規事業展開のためのM&A資金として銀行から60億円の融資を受け、 会社から大友社長個人に60億円を仮払金として出し、大友社長はそれを長期小切手で返済、 大友社長は受け取った60億円に個人資産の10億円を足して70億円を経営コンサルタント開發氏に預け、 開發氏はリヒテンシュタインだの香港だのの匿名投資組合を使って仕手筋から株を買い取った。
一方でキャッツは大友社長から受け取った小切手を開發氏に渡してM&Aファンドを立ち上げる。 次に開發氏は、自身が所有しているファーストマイルという会社を、 まずは大友社長の知人の会社に5億円で売却、 それをM&Aファンドが60億円で買収したというのが大まかな流れである。
この一連の流れで、キャッツが株で被った60億円の損が見かけ上は綺麗に無くなっているように見える。 検察側は、この一連の流れを、最初から株がらみの損失を隠蔽するために著者が仕組んだものと断定、 6億円程度の値打ちしかないファーストマイルを60億円として評価したのが粉飾決算にあたるとして、 著者を逮捕した。 確かに本書で著者が主張するように、会計処理は全て適正で、 法律に触れるような問題は無いのかもしれない。 しかし全体として見た場合には、株の損失を隠蔽しようとした意図が見え隠れするので、 心証は最悪である。つまり、検察の立場から見ると、抜け道を使って合法的に旨い汁を吸っている輩を、 無理やり理由をこじつけて有罪にしたような印象を受ける。 本来ならば経営陣の特別背任で処理すべき案件のように思えるが、 逮捕された関係者のうちで著者だけが罪を認めずに頑張っていたので、 ターゲットにされたのかもしれない。
また、この本を読んでいると、どのようにして検察が虚偽の自白を引き出すのかが良くわかる。 著者も何度か、罪状を認めて楽になってしまいたいと思ったそうだ。 著者以外の被疑者は全て罪を認め、公判でも検察のシナリオに沿って虚偽の証言をしたため、 著者は非常に厳しい立場に立たされた。しかし第二審では、 証人達は検察に強要されて虚偽の自白や証言をしたことを認めている。 それでも判決は覆らなかった。司法の原則からすれば、 いくら道徳的に悪いことをしても罰する法律が無い場合には罰してはならない。 適当に罪状をでっち上げて有罪にすることがまかり通るなら、司法制度は崩壊してしまう。 法律運用においてはやはり大事なのは原則である(この場合は罪刑法定主義)。 原則を蔑ろにすると司法に未来は無い。これが普通になってしまうと、 どんな人間でもいくらでも罪をでっち上げて有罪にしてしまえることになる。 これでは人治主義の中国と大差無い。空恐ろしいことである。
この本については著者が自分に都合よく書いた部分もあるだろうけど、それを割り引いても、 個人的には、(微妙な気もするが)この件について著者は無罪が相当であると思う。 現実の不備は法律を改正することで対処すべきであり、法律に違反する事実が無いのに、 はじめから有罪ありきでシナリオを作るというのは、あってはならないことである。 現実にも、今は法律が改正されて、上記のようなスキームは粉飾決算と見なされてしまう。 それで十分ではないかと思うのだが。 恐らく検察は、舐めたことをする輩は少々法律を捻じ曲げても摘発するということをアピールし、 一罰百戒的な効果を狙ったものと思われる。 鈴木宗男事件と同じく、国策捜査という側面もあるのかもしれない。
それにしても、このキャッツの件は性質が悪過ぎる。株を巡るゴタゴタに乗じて、 ありとあらゆる経済ゴロが食い付き、億単位の金を抜いていった。 巨額融資詐欺で有名な、ぱちモルガンも登場している。 また、社長は社長で、周りに集まってくる怪しい連中が新規事業の話を持って来るたびに飛び付き、 何億もドブに捨てている。 大友社長の性格の良さといい加減さに付け込まれ、よってたかって食い物にされた感がある。 それに、社長や役員たちも会社から何億も金を借りて返さない。 著者も、よくもまぁ、こんないい加減な会社にのめり込んだものである。 少々深入りし過ぎたのではないか。 それだけ大友社長の人間的魅力が強烈で、放っておけなかったのかもしれないが。



2009年7月27日

プラス151万。ちょっとオーバートレード気味なので玉を減らした。

麻生首相の「高齢者は働くしか能がない、80歳になってから遊んでも遅い」発言、これは酷いね (正確には、「働くしか才能が無い」)。 発言を全部読めば、元気で働く意欲のある高齢者が支障なく働ける環境が必要だ、 という趣旨だというのはわかるんだが、この人が言うとどうしてこんなに下劣な言い回しになるんだろうか。 そもそも、○○するしか能が無いってのは、良い意味で使う言葉ではない。 例えば、子どもの頃から趣味も持たずにマラソン一筋に打ち込んできた陸上選手がいるとする、 その人に対して、あなたは走るしか能が無んだから、これからも頑張って下さい、 って励ましたらどう感じるか。めちゃくちゃ失礼な言い方だろう。 それに、高齢者の中には年金だけでは生活できずに仕方なく働いている人もいるし、 仕事を引退して、これから趣味でも見つけて楽しもうという人もいる、 そういう人達がこの発言を聞いたらどう思うのか。 本人には高齢者を蔑む気持ちは無いのだろうけど、 世の中には様々な事情を持った人がいるということもわからない、 相手の身になって考えることもできないなど、根本的に想像力が欠如しているとしか思えない。 もしくは単に日本語能力が欠如しているだけか? どちらにしても、どうしようもない。



2009年7月26日

暑気払いということで、職場の親しい同僚と若い人達を連れて飲みに出掛けた。 うちの妻と同僚の奥さんも参加して総勢11人である。 こういう飲み会は人数が多い方が楽しいので、職場内に関わらず、 みんなが家族とか彼氏彼女とか友人なんかを自由に誘って人数が増えるのが理想だねぇ。
本業の世界でも相場の世界でも、今まで色々な人のご馳走してもらったので、 自分より若い人には出来るだけ奢るようにしている。 同僚には少し多めに出してもらったが、若い人達の分は大部分を奢った。 上から受けた恩は下に返せばいいと思う。
それにしても、三日連続で飲みだなぁ。

また歯の詰め物が取れた。どうも5年くらい前に福岡で詰めたやつが順に取れていくようだ。 また歯医者に行かなければ。



2009年7月25日

妻と犀川河畔の大豆田で行われる北國花火大会に出掛けた。 ひとまず犀川大橋のあたりに行ったが、始まってみると少し遠いので、 大豆田大橋に向けてテクテク歩いた。歩いているうちに打ち上げ会場付近に到着。 色々な種類の花火が打ち上がって、なかなか楽しめた。 人魂みたいなのが沢山出るやつが面白い。 屋台に有り得ないくらい行列していてびっくりしたが、30分ほど並んで唐揚げをゲット。

花火を眺めた後は、終了時間直前の、混む前にタクシーを捉まえて片町へ。 妻と一緒にいつものお店へ。妻を連れてくるのは二回目なので、ママさんや女の子とも顔馴染みである。 時々、お店の近くの鮨屋さんへ出前で太巻きを頼むのだが、その話を聞いた妻が、 いつか自分も食べてみたいと言っていたので注文した。 気に入ったようで、今度から食べた時には家にもお土産で持って帰ってくるようにと言われた。



2009年7月24日

システムトレーダーKKさんに、北陸の株式相場師の集まりに誘っていただいた。 そのうち株には手を伸ばさねばならないと思っていつつ、全くイメージが湧かなかったのが、 実際に経験者と話をすることで何となく感じがわかってきた。 ただ、参加者の方で商品から株式に移行した人が言っていたのだが、 商品の調子が良い時じゃないと他の市場にも手を出すのは厳しい。これは本当にそうだと思う。 モノになるかどうかわからない世界に資金と労力を割くわけなので、 余裕資金じゃないと厳しい。 そう思うと、3億ほどあった時期が株に資金を割く好機だったのかもしれない。 しかしあの時は、商品の世界で天下を取ることしか考えてなかったからなぁ。
株の集まりに出たのは初めてなので間違っているかもしれないが、 商品をやってる人と株式をやっている人は、何となく雰囲気が違うような気がする。 商品をやっている人には、真面目な人でもどこか磊落というか、 わずかに崩れた雰囲気が感じられる人が多いような気がする。また、商品のオフ会に出ると、 同じ戦場で戦っている戦友同士が、つかの間の休戦期間に集合したかのような連帯感が漂うような気もする。 それに比べると株の集まりは、人も雰囲気も普通度が高いように思う。
オフ会の前になって他の参加者の調子が良さそうだと、 自分も良い成績を出そうとして無理をしてしまうこともある、 なんて話も聞いたけど、商品の世界でそういうことを意識する人は少ないと思う。 商品の場合、他人の調子を気にする以前に、各自が相場と対峙するので精一杯なのだろう。

二次会でも相場の話や相場以外の話で盛り上がり、最後まで飲みたかったのだが、 職場関係で飲む約束があったので途中で失礼して、タクシーで片町のいつもの店へ移動した。

株式やFXは今のところ、システム売買以外に売買手法が思い付かないので、 この際、商品、株式、FXなど、全てのデータをまとめて扱えるアプリケーションを作ることにする。 商品には限月があり、株式には株式分割があるので、データのフォーマットをどうするか考え中。 後々の使い勝手に関わってくるので、データ形式などは慎重に考えねばならない。 今回は、株式方面にモチベーションが上がったのがとても良かった。 KKさんはじめ、皆さん、また誘って下さい。



2009年7月23日

亡くなられた方のパソコンのログインパスワードが分からなくて困っているのだが、 どうにかならないかと相談を受けた。 ちょいちょいと解析ツールを使ってパスワードの割り出しに成功。 Windowsも、いい加減なもんだなぁ。 まぁ、パスワードがわからなくても、ハードディスクを取り出して直接読めば読めてしまうのだが。



2009年7月22日

再逆行に備えて玉をそれなりに落とした。 新システムになって初めてSO注文を使ってみた。 板が十分にあれば、なかなか使えるね。 それに板が薄い場合でも、買い気配が48000以上になれば48000の指値で売る、 なんて感じに注文しておくと、48010以上で約定する可能性も出てくる。 単なる48000指値売りだと48000でしか売れないが。

今日は皆既日食ということなので出勤は昼からに。 朝方は雨が降っており、日食の時間が近付いても曇ったままだったが、 直前になって時々、晴れ間が出てきた。これは見られる可能性もあるかもしれないと思い、 急いで妻と外出し、近所の見通しの良い場所に移動した。
しばらく曇っていたが、10時45分から11時くらいの間、奇跡的に太陽の周りだけ晴れ間になり、 三日月のように欠けた太陽を見ることができた。日食中は急に冷たい風が吹いてきた。 11時以降はもう晴れ間が出ることは無かったので、非常にラッキーだったと思う。 なんか良いことが起きそうな気がする。相場も順行しそうだ。



2009年7月21日

衆議院が解散された。民主党には頑張ってもらいたいところ。 基本的に日本には優秀な官僚組織があるので、 どこが政権を取ってもすぐに国政運営に支障が出ることは無いだろう。 民主党のバラマキ公約が批判されているが、 今まで散々同じことをやってきて国家財政を危機に陥れた自民党には批判する資格は無いと思う。 自民党のままでも民主党でも、どのみち国家財政の破綻は避けられない。 その責任の大半は自民党にある。 それに、長期政権は必ず腐敗し、やがて上から下まで利権構造で固められて、 税金のかなりの割合が甘い汁として吸われてしまうようになるから、 まともな民主主義のためには政権交代は絶対に必要である。 どんなにダメな政党が政権を取るとしても、国民の政権選択権が保証されているならば、 一党独裁よりは遥かにマシと考えている。

最近、クラックは放置状態であまり値段も見ていなかったが、今日は180万ほど順行したようだ。 この調子で良化してもらいたいものだが、もうあまり利益も望めそうも無いので、 適当なところで玉を減らした方が良いかもしれない。

個人民事再生を申し立てられた件で、裁判所から960万円の貸付債権が170万円に減額されたとの通知が来た。 当人からは未だに一言も連絡は無い。ネット上では見かけるけどね。 まぁ、170万円でもちゃんと返してくれるのなら毎月の飲み代の足しにはなるが。



2009年7月20日

フレデリック・フォーサイス「戦争の犬たち」を読んだ。 この小説は半端ではない。とりあえず今年読んだ中で一番にランクインしておく (今年はあまり本を読む時間がなかったので、絶対数が少ないけど)。 アフリカの小国に豊富な鉱物資源が眠っていることを知ったイギリスの巨大鉱物資源会社は、 傭兵を送り込んでクーデターを起こし、傀儡政権を作り上げて採掘権を独占しようと画策する。 派手な戦闘シーンは最後の方だけで、ほとんどの期間は、現地調査、仲間集め、ペーパーカンパニーの設立、 武器の入手などの、綿密な準備に費やされる。それがまた、詳細にわたっていてやけにリアリティーがある。
かつて著者はナイジェリア内戦(ビアフラ戦争)にBBCの特派員として派遣されたことがあり、 ナイジェリアから独立を宣言し、最終的に敗北したビアフラ人に同情的であった。 その後、彼は私財を投じて傭兵を雇い、赤道ギニアにクーデターを起こして独裁者エンリコ・マシアスを打倒し、 ビアフラ難民のための国家を建設しようと計画したのである。 しかし計画自体はスペインで武器を積み出す際に摘発されて失敗に終わった。 この小説はこの事件の後に執筆されている。どうりで現実感があり過ぎるわけである。
というか、一個人が小国の政権転覆を狙うって、ちょっとやり過ぎでは?



2009年7月19日

早くに目が覚めてしまった。シジミの味噌汁が美味すぎる。何度もおかわりしながら漫画を読んだ。 まずは「クピドの悪戯」、まぁ、北崎拓らしいというか、展開は予想の範囲内というか。
まだ時間があったので、木尾士目「げんしけん」を途中まで読んだ。 ん〜、これはかなりのヒット作だなぁ。ブックオフで見つけたら買おう。 ぱっと見は「究極超人あ〜る」っぽい舞台設定だが、 「あ〜る」がどちらかというとお祭り的な側面にスポットが当てられているのに対して、 「げんしけん」の方は日常をベースにしてイベントが描かれているという点に違いがあるように思える。 扱われている題材はいわゆるオタク文化であり、特殊な世界の話のように思えるが、実は、 作中で描かれている、ある種のまったりとした雰囲気は、文化系サークルにはとても一般的なものなのである。 どこにもこういう人いるな〜、とか、 別に何かあるわけでもないのに授業サボってサークルのボックスに行ってダラダラしてしまう感じとか、 ユルユルの先輩後輩関係とか、 学園祭とかのイベントになると気合いが入ってくる感じとか、 ボックスに女性がいるときといないときの微妙な空気の違いとか、あーあるある、ってつい思ってしまう。 このあたりの描写がとにかくリアルで上手い。 高校・大学とも文化系の部活・サークルだったもんで、 夏休みに登校して文化祭の展示のために模造紙書きをしたり、 学校に泊まって合宿したりなんていう「あ〜る」的なノリも、 サークルのボックスで漫画を読んだりゲームをしたり、まったり居心地の良い「げんしけん」的なノリも、 両方ともが、とても懐かしく感じられる。

11時頃にネカフェを出て昼飯を食い、ブックオフへ。 見つけたら買おうと思っていた花沢健吾「ルサンチマン」全4巻があったので購入。 その後は、江川達也「家畜人ヤプー」の以前途中まで読んでいたのの続きを読んだ。 これ、原作読んでみたいけど未読。

帰るまで時間があったので「劔岳 点の記」を観た。全体的には非常に良かった。 とにかく山の映像が迫力があって素晴らしい。感動のあまりエンドロールで少し涙が出てきた。 ただ、この感動は、映像の素晴らしさや山の厳しさ、それに測量隊の成功という歴史的事実、 それと最後に明らかになるある事実に対してであって、 映画の作りとしては相当に難があるように感じられる。香川照之の演技は文句なしに良い。 しかし浅野忠信はもう少し存在感を示さないと印象に残らない。 その他のキャストは脇役になればなるほど下手くそで台詞も棒読みで、どうかと思う。 どうせなら演出は控えめにして、 プロジェクトX風の構成でドキュメンタリー映画にした方が良かったんじゃないかなぁ。

深夜に帰宅。車内で「ルサンチマン」を読んだ。いい話だなぁ。今日は漫画と映画で終わった一日であった。



2009年7月18日

高校の同窓会に出席した。久しぶりだが、あんまり変わってない人が半分、 すぐに名前と顔の一致しなかった人が半分という感じである。 卒業から何年も経っているのに、会場では高校時代から変わらない空気が再現されていて、 非常に懐かしい気分に浸ることができた。 ただ今回は、よくつるんで遊んでいたグループの友人が少ししか参加していなかったのが残念である。 お世話になった先生もまだお元気で、なによりであった。

特に宿も取ってなかったので、ネカフェに宿泊。 「こまねずみ常次朗」「こまねずみ出世道」を読んで寝た。 「極悪がんぼ」も面白いが、こっちも青木雄二系統の漫画の中では一二を争う面白さだなぁ。



2009年7月17日

朝から夕方まで仕事であった。

クラックは更に逆行して、相場再開後の利益が現時点で550万ほどになってしまった。 こいつが溶けるくらいまでには何とかなってもらいたいもんだが。 比較的レンジに近い動きがクラックの良いところだったのだが、あと500万も溶けるようでは、 想定レンジとして4000円〜20000円くらいは見ておかねばならないことになり、 妙味はほとんど無いということになる。
そもそも、国内商品であるガソ灯油と中東の価格である原油が分単位で連動するということ自体が、 市場にクラッカーが多数存在していることを示している。 本来ならば短時間の乖離は多くあるはずだが、 それが無くなってしまってジワジワ一方方向にしか動かない現状では、 本来のクラックの優位性が9割以上失われているのと同じである。 参加者が10倍になればパイが10分の一になるというのは、当たり前過ぎる話ではあるが。
結局、昔は良かったという話になる。昔は少々逆行しても日中に大きく動いたので、 回転でいくらでもカバーできた。クラックでは累計2億は稼いだと思うが、今はもう無理だろうなぁ。 しかしクラックを止めるとなると、本当に商品市場とはおさらばになってしまう。



2009年7月16日

発熱して煙が出てメーカーに引き取られていったパソコンが戻ってきた。 フロントパネル、バックパネル、液晶パネル、キーボード、中の配線、基板、 ACアダプター、などを全部取り換えたとのこと。ハードディスク以外、ほとんど全取っ替えである。 至れり尽くせりだが、今の時代、クレーム処理を間違えるとえらいことになるからねぇ。

新しく組んだパソコンにIE8を入れたら、メニューバー(「ファイル」「編集」などの並んでいるやつ) がアドレスバーの下に表示されていて非常に違和感がある。 そこでレジストリをいじってメニューバーを一番上に移動させた。



2009年7月15日

とうとう相場再開後の利益が600万を切ってしまった。 クラックでまだ稼げると思っていたけど、こんな動きが続くようなら、 やっぱりシステム開発を進めるしかないか。 時間が取れないのが一番の問題だなぁ。 自分がもう一人欲しいところ。



2009年7月14日

ホテルを出てそのまま千歳空港へ。 妻は土産物を買いに出掛け、自分はベンチでせっせとクラックの注文を出す。 クラックは、とうとう事前に想定していた最大枚数になってしまった。 まさかここまで来るとは思わなかったが…。 これ以上は増し玉はせず、売買は乗り換えのみする予定。 今後ずっとクラックがこのレベルというのは考えられないので、 このまま寝かせておけばいいと思う。

せめてラーメンでも食っていこうと、あじさいの塩ラーメンを食べた。 美味いんだけど、上品であっさりし過ぎて食べた気がせん。

飛行機に乗った後は、ほどなく小松空港に到着。そのまま帰宅。



2009年7月13日

自分は仕事へ、妻は水曜どうでしょうの最後に出てくる公園へ出かけて行った。

夕方、妻と待ち合わせ、出張先の人と円山公園近くのワインの美味しいお店で会食した。

改正臓器移植法が成立した。 不要物をリサイクルするように臓器が移植される時代が来るのかもしれない。 それが当たり前になってしまうと、脳死かどうか微妙なケースについては、 十分な救命措置がなされずに脳死と判定されて臓器を摘出されてしまう懸念もある。
脳死については、人間の自意識が、脳細胞によって存在していると考えるか、 脳細胞から独立して存在すると考えるかで、考え方が少し異なってくるが、 どちらの立場で考えても脳死は人の死ではないと考えるのが自然だと思う。 自意識が脳細胞の働きによるものではなく、魂かなにかによるものと考えれば、 脳死は人の死ではない(つまり魂はまだ残っている)可能性が高いし、 自意識が脳細胞の働きによると考えた場合でも、脳細胞が完全に全部死なない限りは、 意識がわずかに残っている可能性がある(いわゆる寝ているのと同じ状態)。 あと、脳死判定後の回復例も報告されているようだ。
そんなわけで、個人的には脳死になっても臓器を提供するつもりはない。 しかし家族にだったら提供してもいいかな。

お花畑牧場が街中で増殖し過ぎである。「お」は付かなかったか。



2009年7月12日

今日から札幌へ出張である。といっても、今日は移動日で、仕事は明日のみ。 今回は妻もついて来ることになった。特に何の問題も無く、昼過ぎに千歳空港に到着。 中国人(台湾人かもしれないが)の団体客がやたら多い。 空港で腹を満たしてからバスで市内へ。

モエレ沼公園に行った。ここはいいね。こんな公園が近所にあったら、 暇なときに自転車でフラリと訪れて草地に寝転んで本でも読みたい。
この公園は全体がイサム・ノグチ氏の設計によるもので、 大地の直線と緩やかな曲線の造形が目に心地よい。事前に想像していたより良かった。 特に「海の噴水」が素晴らしい。40分にわたって水による表現が繰り広げられる。 38億年前、マグマで被われた地球に突如、とてつもない豪雨が降り始め、 わずか1000年ほどで原始の海ができたという。 この噴水からは、この原始の海の誕生から生命の繁栄、 そしてエントロピー増大による地球の緩慢な死までの、長い歴史を感じさせられた。 噴水に綺麗な虹が架かっていた。虹を7色だと言ったのはニュートンが最初だそうだが、 青と紫の間に藍を入れるというのは、かなり繊細な捉え方だと思う。

時計台近くのホテルに戻り、一休みしてから街へ繰り出した。 スープカレーを食べようと、二軒ほどネットで調べていったのだが、 閉店していたり営業時間が終わっていたりで食べられず。 どうやら夜に食べるものではないらしい。



2009年7月11日

久しぶりに妻といつもの温泉に行った。 車の調子も良い。車屋さんに診てもらう前と後で、ほとんど何も変わっていないのだが、 やっぱり安心感が違う。

ウォルフガング・ロッツ「スパイのためのハンドブック」を読んだ。 佐藤優氏の「国家の罠」で言及されていたのが読んだきっかけである。 諜報機関で働きたいと思う人に向けた実用書という趣き。 敵地に送り込まれた諜報員は平均すると数ヶ月で無力化される、要するに逮捕されるか殺害される。 それでもスパイになりたかったらどうぞ、という感じ。夢も希望もあったものじゃない。 この本に書いてあるようなことは、何かの権力闘争に絡んで逮捕されたりとか、 相場の仕手戦でガチャガチャやったときなんかには、ほんの少しは役に立つかもしれないけど、 そういう事態はやっぱりご免こうむりたいものである。



2009年7月10日

来週までにやらねばならない仕事があり、資料作成に追われている。 というわけで深夜に帰宅。

「地球の歩き方」を見ていたら、ダンチィヒの物価が日本の半分程度で、 コペンハーゲンの物価が日本の倍くらい。それぞれ3泊と4泊なんで、金銭感覚が狂いそうだ。 買い物は出来るだけダンチィヒで済ませた方が良さそうである。



2009年7月9日

朝から会議で相場もあまり見られず。それにしてもクラックが好転しない。 あまり石油製品のコスト計算は表に出てこないが、 キロリットルあたり、タンカー運賃・保険料が500円〜1000円、 石油石炭税が2040円、精製コストが4000円〜6000円くらいはかかると思われる。 この時点で現状のクラックでは精製しても全く利益が出ないことになる。

夜間で値段を見ていたら、灯油11月の値が飛んで700円くらい上げたと思ったら元に戻った。 昨日は白金の先が換算よりも100円以上下げてすぐに戻ったし、 しばらくこういう値が飛ぶのを狙うのが効率的かもしれないなぁ。 石油3品、白金、ゴムの先3本に遠く離して売りと買いを入れておく。 1枚ずつ仕掛けると30枚必要だから必要資金は500万くらいか。 2日に一回くらい3〜4万円程度の美味しい値段を拾えるとして、 月50万くらいの利益は出せるかもしれない。 問題は、常に場に張り付いていなければならないことと、 枚数が限られること、それに、マーケットメイカーが導入されるまでしか有効ではないということである。



2009年7月8日

相場はマイナス86万。クラックが逆行を続けている。 ひたすら仕込みを増やしているが、そろそろどうにかならんものか。

個人的な興味で、アルキメデスが円周率を計算した過程について調べてみた。 「円の測定について」という彼の著書が残っていて、そこから彼の行った計算を再現することができる。 アルキメデスは、 円に外接する正96角形および円に内接する正96角形の周の長さから円周率の上限と下限を求めた。 これを求めるには、1.875度の角を持つ直角三角形の三辺の比が求まれば良い(360÷96÷2=1.875)。
さて、△AOBを直角三角形、∠AOBを直角、∠BAOをx度とする。このとき、 ∠BAOの二等分線と直線BOとの交点をCとすると、二等分線の定理より AB:AO=BC:CO が成り立つ。 ここで、三平方の定理より AB=√(AO^2+BO^2) となるので、 √(AO^2+BO^2):AO=BO−CO:CO が成り立つ。整理すると、AO/CO=AO/BO+√((AO/BO)^2+1) となる。 つまり、x度の角を持つ直角三角形の辺の比が求まれば、 x/2度の角を持つ直角三角形の辺の比が求まるのである (三角関数の半角の公式を使えばすぐに求まるが、紀元前3世紀には三角関数さえ無かった)。
アルキメデスは、30度の角を持つ直角三角形から始めて1.875度の角を持つ直角三角形の辺の比を求めた。 実際には、平方根が出てくるたびに、その大きさを分数で評価している。 具体的には、∠AOBを直角、∠BAOを30度とする。 ∠BAOの二等分線と直線BOとの交点をC、∠CAOの二等分線と直線BOとの交点をD、 ∠DAOの二等分線と直線BOとの交点をE、∠EAOの二等分線と直線BOとの交点をF、とすると ∠FAOが1.875度となる。
AO/BO=√3なので、
AO/CO=AO/BO+√((AO/BO)^2+1)=√3+2>571/153 (√3>265/153を用いた)
AO/DO=AO/CO+√((AO/CO)^2+1)=√((571/153)^2+1)+571/153=(√349450+571)/153>1033/136 (√349450>4729/8 を用いた)
AO/EO=AO/DO+√((AO/DO)^2+1)=√((1033/136)^2+1)+1033/136=(√1085585+1033)/136>9337/612 (√1085585>9377/9 を用いた)
AO/FO=AO/EO+√((AO/EO)^2+1)=√((9337/612)^2+1)+9337/612=(√87554113+9337)/612>9347/306 (√87554113>9357 を用いた)
これにより、 円周率<直径1の円に外接する96角形の周の長さ=96×FO/AO<29376/9347<22/7 が得られる。
内接多角形の方は、平方根を常に大きくなるように分数を取って評価する。すなわち、
AO/CO=AO/BO+√((AO/BO)^2+1)=√3+2<2911/780 (√3<1351/780を用いた)
AO/DO=AO/CO+√((AO/CO)^2+1)=√((2911/780)^2+1)+2911/780<(√9082321+2911)/780<1823/240 (√9082321<12055/4 を用いた)
AO/EO=AO/DO+√((AO/DO)^2+1)=√((1823/240)^2+1)+1823/240=(√3380929+1823)/240<1007/66 (√3380929<20227/11 を用いた)
AO/FO=AO/EO+√((AO/EO)^2+1)=√((1007/66)^2+1)+1007/66=(√1018405+1007)/66<12097/396 (√1018405<6055/6 を用いた)
が得られ、この値により、 円周率>直径1の円に内接する96角形の周の長さ=96×FO/AF=96/√((AO/FO)^2+1))>38016/√146494225 となる。
ここで、√146494225<24207/2 を用いると、円周率>38016/√146494225>25344/8069>223/71 が得られる。
紀元前3世紀にアルキメデスがこうやって求めた 223/71=3.140845…<円周率<3.142857… という値は、 その後、何世紀にもわたって最も精度の良い値であり続けた。 10進法による位取り記数法、y=x^2等の変数を用いた式の表記、三角関数など、 現在では当たり前に使える便利なものが何も無い時代に、 これだけの考察と計算が行われたというのは驚愕に値すると思う。 例えば √146494225<24207/2 などという不等式にしても、 2乗して146494225よりわずかに大きくなる分数を、何度も試行錯誤することで見つけ出したのだろう。



2009年7月7日

中谷宇吉郎「科学の方法」、ロバート・P・クリース「世界で最も美しい10の科学実験」を読んだ。
まず「科学の方法」であるが、本書で提起されている問題点は現在においても同様に課題となっており、 1958年発行の本とはとても思えないほどである。 1958年といえば、世界では原子力発電が実用化されて日本でも導入が検討され、 テレビ・洗濯機・冷蔵庫などの家電製品が急速に普及し始め、 スバル360が発売されて日本のモータリゼーションの端緒となり、更に東京タワーが竣工され、 日本中がまさにこれから科学の恩恵を享受しようとしている時期であった。 そんな時代に、冷静に科学の限界について論じた著者の慧眼には驚く他ない。 科学は必ずしも客観的ではなく、人間の都合が科学の理論に影響する、 人間の意識の問題には科学は立ち入れない、精度を上げようとしても意外とすぐに限界に達する、 火星へ行ける日がきても、テレビ塔の天辺から落ちる紙の行方を知ることはできない、 などなど。現在では複雑系とかカオスとかの理論が出てはきているが、結局のところ、 わからないという結論は当時からそれほど変化していない。 科学を真理の探究だと捉えると、とかく人間は傲慢になりがちだが、 著者は科学の限界を踏まえて、科学というのは埋もれている真理を掘り起こすものではなく、 自然と人間との協同作品であると主張し、傲慢を戒めている。 そのあたりの考え方は自分の考えとは少し違うけれども、一つの考え方としては傾聴に値すると思う。 名著といって良いと思う。
次に「世界で最も美しい10の科学実験」について。 これは科学雑誌の読者投票で選ばれた美しいと思う10の科学実験について、 その時代背景や人物の来歴、実験の苦労などについて解説した本である。 大変面白かったが、所々に挿入されている科学実験の美しさに関する哲学的な薀蓄は要らんな。 あと、もっとふんだんに図を入れた方が分かり易いと思うのだが。 本書にある10の実験のうち、個人的に好きなのは、 地球の重さを測ったキャヴェンディッシュの実験と、電子一個の電気量を求めたミリカンの油滴実験である。 地球と電子、それはある意味で地球上で一番大きなものと一番小さなものと言えるが、その両方ともが、 精密機械やコンピュータによる計測機器が発達する以前に、 職人芸的な努力と工夫によりギリギリ測定することができたという点が興味深い。



2009年7月6日

ノートパソコンが焦げて煙が出た件についてネットで調べてみるが、同様の症状は見当たらない。 6年くらい使っているノートだが、経年変化による故障とはいっても、 これは場合によっては人命に関わる不具合なので、もしかしたらタダで修理してくれるか、 新しいのに取り換えてくれるかと思って、相談窓口に電話をしたら、すぐに取りに来るという。 夕方にはさっそくメーカーの人がやってきて回収していった。 全部、きっちり修理させていただきますとのこと。 修理中の間、自由に使ってくださいと、同じブランドのパソコンを一台置いていった。

週明けの相場はクラックの逆行で有効額が底を抜けた。現時点で、相場再開後の利益は800万を切った。 一時は1100万くらいまで行ってたのになぁ。



2009年7月5日

朝、そうめんを頂き、お土産に鰻を頂き、お店を後にした。 本当に色々とお世話になりました。 東京で、とあるブツを買って鉄砲さんに送ろうと思ったのだが、あまり時間が無く、 電車の中からネットで注文した。
新幹線で関西へ移動。車屋さんで車を受け取り、金沢へ。 途中、名神でヒストリックアルファを見かけた。テンションが上がる。 ところで以前、妻が、アルファロメオのマークとWHOのマークが似ていると言っていたので、 調べてみたら確かにその通りだった。日が暮れた頃に自宅に到着した。

お土産の鰻は妻に大好評であった。

ドラマ「官僚たちの夏」の第一回を見た。原作は読んだけど、あまり覚えてない。 熱いドラマだな。佐藤浩市も渋くてよい。 ただ、官僚が、渋る民間企業の尻を叩いて大衆車生産に踏み切らせたかのような描写は、 やや事実と異なるような気がする。お上の意向も影響はしただろうけど、民間は民間で、 情熱を持って自動車開発に参入したというのが実情に近いと思う。

いつも持ち歩いているやつではなく、家に置いてある方のノートパソコンの、 ACアダプターの差込口のあたりが焦げて煙が出た。 寝る直前に使ってからスタンバイモードにして寝ていたら、 何かプラスチックの焼ける臭いが寝室まで漂ってきた。何の臭いだ?と思って寝室を調べても何とも無い。 居間に行ってみるとパソコンから煙が上がっていた。急いでACアダプターを抜き、バッテリーを外した。 本体部分だけではなく液晶ディスプレーも焦げている。 パソコンを置いていたテーブルも熱で少しだけ変色している。 居間と廊下の間のドア、廊下と寝室の間の襖を開けていたのですぐに気がついたが、 もし閉めていたら、気付かずに寝ている間に火事になっていたかもしれない。ぞっとする話である。



2009年7月4日

朝6時半に起き、地引き網漁に誘ってくれた知り合いの人と待ち合わせて日本海へ移動。 着いたらさっそく網を引いた。あまり大物は獲れなかったが、 白ギス、カレイ、アジ、サバその他色々な魚が網にかかっていた。後は大量のクラゲ。
漁の後はバーベキューである。子供たちは元気に海で泳いでいる。 大人達の一部はビールを飲んで良い気分に。 陽射しの降り注ぐなか、朝9時からビールを飲んでいい気分になるというのも非日常的でいい。

午後からは、そのまま関東に向けて出発。 三日月さんと鉄砲一本張りさんに鰻を食いに来ないかと誘われていたのだ。 4時間ほどで関東某所に到着。三日月さんが、まずは温泉に案内してくれた。 地引き網漁や電車移動の汗を洗い流し、リフレッシュすることができた。
温泉の後は待ちに待った鰻である。鉄砲一本張りさんが鯉や鰻をご馳走してくれた。 鯉の刺身と漬けが美味い。鰻も美味い。白焼き、肝吸い、うな重と堪能させてもらった。 三日月さん、鉄砲さんと食べて飲んでいるうちに、 Angry Chairさん、松本さん、鴨さん、店長さんが、三々五々登場。 ここは相場師の溜まり場になっているようだ。とにかく居心地が良い。 明日、車を運転しないといけないので、酒は控えめにしつつ、それでも何だかんだと遅くまで楽しく飲んだ。 朝早かったので、さすがに3時半頃に先に失礼し、そのまま二階で休ませてもらった。



2009年7月3日

クラックがまた縮小して、有効額が一番やられていた時期くらいまで減ってしまった。 なかなか金が増えん。
夜間で原油の気配値を見ていると、買い気配がずっと下まで無かったので、 一番上の買い気配の一文上に買い指値を出していたら、しばらくして大きく値が飛んで夜間の安値で成立した。 どなたか知らないけどありがとう。

知り合から地引き網漁に誘われた。その人の職場のレクリエーション活動らしいのだが、 友人や家族なら部外者も参加OKらしい。さっそく、妻と、サンダルとクーラーボックスを買いに行った。
帰りに近くのラーメン屋に初めて行ってみたが、何となくイマイチであった。



2009年7月2日

仕事に手間取り、深夜4時ごろに帰宅。



2009年7月1日

余っている部品を適当にかき集めて新しいパソコンを一台作成。 今までの経験を踏まえてトラブルに対して頑強なものを作成することにした。 RAIDにすると色々とややこしくなるので、単にHDを2つ積んで、 重要なデータだけ自動でバックアップを取ることに。 160GBのHDを120GBと40GBにパーティションを切って、 120GBの方にWindowsシステムおよび各種アプリケーションをインストールし、 40GBの方はバックアップ専用領域とし、重要なデータをバックアップする。 もう一つの250GBのHDは半分ずつにパーティションを切り、 一方にはアプリケーションの一時ファイルや各種作業データなどの重要度の低いデータを、 もう一方には相場のデータやメールなどの重要度の高いデータを置くことにした。 そして、その重要なデータのうち、指定したものを先に述べた40GBの領域に自動でバックアップする。 電源容量にも余裕を持たせ、空気の循環にも気を配る。
サウンドカードを認識してくれなくてかなり手間取ったが、何とか完成させることができた。 トリプルディスプレイにも対応させたが、あんまり必要性を感じないので当分は一枚だけにしとく。



2009年6月30日

実家から家庭菜園の梅の木になった梅の実が大量に送られてきたので、妻が梅酒を漬けている。 酒は自分が選び、焼酎、ウォッカ、ブランデー、ジンに漬けた。 それでも余ったので、残りでジャムを作るようだ。

相場については、今月は変動が激しかったが、最終的には利益率は+1.34%であった。



2009年6月29日

9年くらい使っているパソコンのHDがとうとうご臨終になってしまった。 最近、色々と予兆はあり、データのバックアップは取っておいたので大きな問題は無いのだが、 ここ2週間分くらいのメールのデータが消えてしまった。 しかし別のパソコンに接続してデータは無事に救出できた。 さっさと新しいパソコンに乗り換えたら良かったんだが、 面倒なので伸ばし伸ばしにしているうちに今のような事態になってしまったのである。 近日中に新しいのを作ることにしよう。
最近は何でもノートでやっているのだが、家にもデスクトップが一台はないと不便なので、 近日中に一台新しく作ることにしよう。



2009年6月28日

昼過ぎまで仕事、その後、岡地大阪支店に遊びに行った。 晩は奈良の実家へ。

母親のやっている家庭菜園がどんどん本格的になっている。三ヶ所の土地で、 キュウリやジャガイモやトマトのような基本野菜から、 ズッキーニやトウモロコシのような、家庭で作るにはちょっと珍しいものまで、 ありとあらゆる野菜を栽培しており、食卓に上る野菜はほぼ自給されている。 金沢にも送ってくれているので助かっている。 梅の木もあって、今の時期、実が沢山なっているそうだ。これも金沢にも送ってくれるらしい。

相場は昨日と今日あわせてプラス150万。とりあえず山は越えたかな。



2009年6月27日

昼過ぎまで仕事、その後、岡地大阪支店に遊びに行った。 晩は奈良の実家へ。



2009年6月26日

夕方まで仕事。その後、大学院時代の友人と飲んだ。 まず居酒屋で飲み、その後、木屋町にある、その友人にとっての隠れ家的なバーに連れて行ってもらった。 確かに、誰にも教えずにこっそり行きたい感じの店である。 京都に一人で行ったときにはまた行ってみることにしよう。



2009年6月25日

夕方まで仕事。その後、大学院時代の友人と飲んだ。 まず居酒屋で飲み、その後、木屋町にある、その友人にとっての隠れ家的なバーに連れて行ってもらった。 確かに、誰にも教えずにこっそり行きたい感じの店である。 京都に一人で行ったときにはまた行ってみることにしよう。



2009年6月24日

午前3時に起床し、出発準備を整え、まずは車をアイドリングさせた。 深夜に大きなエンジン音を響かせて、かなり近所迷惑である。 向かいのマンションの住人が何事かと顔を出した。申し訳ない。 最近の風潮はアイドリングに厳しいが、 うちの車は10分か15分はアイドリングさせないと調子が出ないのである。
北陸自動車道を南下、ETCは正常に作動している。というか、作動して当たり前なんだけど。 滋賀県に入る山越えのあたりで雨が激しくなり、SAで休憩した。 足回りが固いので雨の日は滑り易く危険だから乗らない方がいいよ、 と以前言われていたし、そもそも錆びるのが嫌なので普段は雨の日には乗らないのだが、 今日は仕方が無い(足回りや車高に手を入れたのは前オーナで、 自分はそのまま乗っているだけで、あまり詳しいことはわからない)。 その後、徐々に雨も上がり、関西に着く頃には完全に晴れになった。
車屋さんとの約束の時間よりかなり早く着きすぎてしまったので、 ファミレスでクラックを増し玉したりして時間を潰した。 車屋さんにまずひと乗りしてもらったのだが、多分クラッチは何ともないですよ、 と言われた。ストロークが結構長いので、上の方に調整してあるとのこと。 うーん、勘違いだったか〜。でもまぁ、定期点検をお願いしておいた。
今日から京都へ出張である。車は後日取りに来るということで、電車で京都へ移動。 夕方まで仕事。眠くて仕方が無い。晩は昨年まで金沢にいた知り合いと飲んだ。 その後はマクドで仕事したり、掲示板で話題に出たジャンケンの件について計算したりした。

あらゆる経済活動は貧富の格差を拡大させる。掲示板でも例を出したのだが、 初期状態として多数の人に同じだけ資金を持たせ、ランダムにジャンケンさせてお金を取り合うだけで、 しばらくすると一部の勝者と大部分の敗者に分かれてしまう。 例えば、1000人に同じだけ資金を持たせ、1000人からランダムに二人取り出して、 少ない方の資金の10%を賭けてジャンケンで取り合う、という試行を繰り返した場合、 平均して217万5022回で勝ち組の割合が1割以下になった。 一人当たりだと4000回くらいジャンケンをしたことになる。 賭け率や勝負の形態を変えても、平等な初期状態が、 時間が経つにつれて一部の勝ち組と多数の負け組に変化するという現象は変わらないのである。 ジャンケンは公平なゲームだが、現実には人による能力の違いもあるので、 格差拡大のスピードは更に速くなるだろう。
相場をやろうとする人はこの事実を深く考えておく必要がある。 全員が同じ能力だとしても大部分の人は負けるのである。 一部の勝者に入るには、他の人と同じ能力では駄目で、他の人の平均を上回る能力が必要になる。 しかも、他の人の平均というのは、単純平均ではなく、運用資金額による加重平均で考えねばならない。 つまり、能力があって資金を大きく増やしたような人達の平均を上回ってはじめて、 相場で勝ち続けることができるのである。
ちなみに、1000人に同じ初期資金を持たせ、500人にはリスク許容度を5%、 残り500人にはリスク許容度を10%と設定し、ランダムに二人を選んで、 それぞれリスク許容度から計算した賭け金のうち、小さい方の金額を賭けてジャンケンさせる、 という試行を行うと、また示唆的な結果が得られる。 勝ち組と負け組が1:9の比率になった時点で、最大5%のリスクを取る人と最大10%のリスクを取る人は、 どのように分布しているか。
他にも、最初の計算例において、勝ち組と負け組が1:9の比率になった時点で、 初期資金を持つ人を100人新規に参加させた場合、その100人のその後はどういう運命になるか、 などの計算結果も興味深い。

相場は9日連続で逆行で、300万ほどやられている。勝算はあるんだけどなぁ。



2009年6月23日

早起きしてETCを取り付けた。電源コードが無駄に長いので、短く切り、 カーステの電源ラインを分岐させて取り付けた。ちゃんとETCカードは認識するようだ。 センサーはダッシュボードの中に埋め込みたいところだが、 時間も無いので今回は標準的な取り付け方法で。

仕事の関係で中国の人と面談したんだが、中国では、とりあえずMBAを取るってのが流行ってるのか?  あんまり一般的なことは言えないけれども、経営学を学びたいという目的があるわけではなく、 単にキャリアに箔をつけたいだけのように見える。



2009年6月22日

晩まで仕事。ETC付けようと思ったけど時間が無かった。明日の朝、早起きして付けよう。

ここんとこ、相場の調子が良くない。今日はマイナス96万で、とうとう7日連続のマイナスである。 なんか、ジワジワやられる時は、だいたいその後にガッコリとやられる。

新婚旅行の航空券を確保した。ダンツィヒ3泊+コペンハーゲン4泊、楽しみである。 9月の半ばまではハイシーズンで航空券が高いので9月下旬にした。 疲れないように、あまり積極的に観光はせず市内でダラダラ過ごす予定。 とは言っていても、結局あちこち見て周ってしまうかもしれない。 ダンツィヒは古くから貿易港として栄え、歴史的にも非常に興味深い都市である。 ハンザ同盟にも名を連ねている。KOEIの大航海時代にも出てきた。 バルト海の海底に沈んでいる琥珀が浜に打ち上げられるそうなので、拾う予定。



2009年6月21日

急遽、24日に車で関西に行くことになったので、ETC車載器を探すが、 依然として品切れのようでどこにも置いてない。まったくもって酷い政策だ。 公平性の観点からすれば、車載器が出回るまでの何ヶ月間かは、 車載器が無くともETCカードを提示すれば割引になるようにすべきではないか。
しかし文句ばかり言っていても仕方が無いので、ネットで金沢市内のカーショップを調べ、 片っ端から車載器の在庫が無いか電話していった。どこにかけても無いと言われ、 諦めかけていたところ、9件目でようやく在庫のある店に当たった。 車はあまり動かしたくないので、バスを2本乗り継ぎ、1時間くらいかけて買いに行った。 無事に購入できたので、後は設置するだけである。



2009年6月20日

昨日は4人でワインを5本空け、その後、自分のウィスキーのボトルを3分の一ほど飲んだが、 二日酔いもなくスッキリ目が覚めた。 それに比べるとこの前の二日酔いはいったい何だったんだろうか。

妻と中谷宇吉郎・雪の科学館へ行ってきた。片山津温泉の近くである。 建物は雪の結晶をモチーフにしており、湖に面して静かなたたずまいをみせている。 中谷宇吉郎は石川県加賀市出身の物理学者で、主に氷や雪を研究し、 世界で初めて人工的に雪の結晶を作ることに成功したことで知られている。 その研究により、気温や湿度などの気象条件と結晶の形状との関係が明らかになり、 結晶を観察することで上空の気象状況を推測することができるようになった。 また、中谷氏は随筆家としても知られ、著書も多い。館内の展示の説明文も、 ほとんどが中谷氏の著作からの引用になっている。 この人の文章は自分の理想とする文章に極めて近いと感じた。 淡々と事実を述べていながら、所々に優しさや楽しさが感じられて、実に味がある。 清冽で柔らかな、雪のような文章である。
実演実験をやっていて、生まれて初めてダイヤモンドダストを見た。 キラキラと七色に輝いてとても綺麗である。 そのダイヤモンドダストを石鹸膜の上で結晶成長させる様子も見せてもらった。 六角形の結晶がみるみるうちに1cmくらいまで成長していく。幾何学と自然の美しさである。
建物にはカフェが併設されていて、静かな湖を眺めながらコーヒーとアップルパイをいただいた。

行きは国道8号、帰りは北陸自動車道を利用したのだが、 なんかクラッチの踏み代が無くなってきたような気がする。 アクセルを踏んでから加速するまでワンテンポ遅れるような気もするし (昔はもっとダイレクトだったような気がする)、 もしかしたらクラッチがシフトチェンジの際に一時的に滑ってるんじゃないかと感じた。 ただ、変な臭いとかはしてないので、滑っているとしても一時的だと思う。 それに、以前、エンジンから煙が出たこともあるし、気になるので一度、診てもらうことにした。 24日に京都へ出張するので、その時に関西まで乗って行くことに。 高速道路ならシフトチェンジもほとんど無いので、何とかなるだろう。



2009年6月19日

出張に来た人と片町で飲んだ。 美味いイタリアンを堪能し、美味いワインを飲み、その後はいつもの店へ。 ボトル入れたりして、なんやかんやと4万円くらいかかってしまった。 まぁでも、生きているうちに、美味い飯を食い、美味い酒を飲まないとね。 それに日本経済に金を循環させていると考えれば悪くもない。



2009年6月18日

クラックを増し玉。それにしても縮小する一方だなぁ。 クラック縮小は世界的な傾向のようである。 石油製品の末端需要が壊滅しているにも関わらず、 原油は景気回復期待や金融商品としての性質から資金が流入している。 また、今後の世界経済の牽引役として中国が期待されているので、 反映してWTIやICEに比較して中東産原油がほぼ変わらない水準まで買われている。 実際に備蓄目的の中国の買い付けも活発に行われているのかもしれない。 しかしそれでも、この精製マージンではほとんど元売の利益が出ないので、 いずれは反転するとは思うのだが。



2009年6月17日

なんだかダルくて、職場で仕事の効率が上がらなくなってしまったのと、 今やらないといけない仕事がパソコンや大型コンピュータを使わない仕事なので、 持ち帰ることにした。 家に帰ると、妻がTouTubeで水曜どうでしょうの四国八十八ヶ所編を見ていた。長閑な午後である。
書類を抱えて近くのミスドへ。晩まで仕事をして帰宅。



2009年6月16日

晩まで仕事。主に仕事の分野で良い波が来ている。 正直、これから数年は本業に集中したい気もするんだが。

最近、新型インフルエンザについて全然報道されなくなったな。 感染は確実に拡大中で、特に冬である南半球で感染者が急増中のようだが。



2009年6月15日

まだ二日酔いの影響でしんどくて、仕事は残っているものの、夕方には帰宅した。

2chにはあまり書き込むことはないんだけど、気になったコメントに釣られてレスを付けていたら、 ついレス回数が増えてしまった。ある意味、中毒性がある。 もう最近は、目先の上げ下げや短期の当たり外れには興味が無いので、 それほど頻繁に書くような内容もないのだが。 2chで外電速報の23時比をつけてくれと頼まれ、ちょうどやる気があった時だったので、 2時間くらいかけて完成させた。



2009年6月14日

妻と街に買い物に出掛けた。二日酔いからはまだ回復しきっていない。 父の日の贈り物などを購入。

大学時代の友人が金沢に来ているので木倉町で飲んだ。 二日酔いでテンションが上がらない。今日は大人しく晩の9時頃に帰宅。



2009年6月13日

酷い二日酔いである。身体に力が入らない。 歩いて帰る途中に寝てしまったときに風邪をひいてしまったのかもしれない。 結局、一日中寝ていた。

約13兆円分の米国債を不正に国外に持ちだそうとしたとして、 日本人らしき二人組がイタリアとスイス国境近くで逮捕されたそうだ。 詐欺のネタだろうけど、スケールがでかいな。



2009年6月12日

システムトレーダーのKKさんと飲んだ。資金は主に株式市場で運用しているそうだ。 接点は、昨年行ったセミナーについて土屋さんがブログでコメントして下さったのが、 KKさんの目に留まったとのこと。そういう出会いの切っ掛けにもなるから、 セミナーをやるのも悪くない。 商品と株式で主戦場は違うが、年齢、運用資金の規模、住んでいる場所など、 色々と近い部分があるので、話もはずんで非常に楽しかった。 特に、個人的にいずれ株式市場に参入しようと考えているので勉強にもなった。 また誘って下さい。
ビールを7杯くらい飲み、焼酎の小さめのボトルを二人で2本空けたら、かなりフラフラに。 普通なら多分平気な量なのだが、飲んだ焼酎の質があまり良くなかったようで、かなりの悪酔いしてしまった。 酔うと家まで歩いて帰りたくなるのだが、途中の神社の階段で一休みしたらそのまま寝てしまい、 起きたら明るくなっていた。



2009年6月11日

足利事件で無期懲役が確定した菅家さんが、 弁護側および検察側の双方のDNA再鑑定で、真犯人ではないという結果が出たため釈放された。 この事件、少し経緯を調べてみたが、かなり酷い話である。 菅家さんは他の2件の幼女殺害事件についても自白しているが、 自白の内容と現実に食い違いがあり、またアリバイもあったために不起訴となっている。 また、菅家さんが逮捕された後にも酷似した幼女行方不明事件が起きているが、犯人は捕まっていない。 菅家さんの逮捕後、弁護側は独自にDNA鑑定を行い不一致となる結果が出たが、裁判所には却下された。 また、今回、当時と同様の方法で鑑定したところ、当時と違う結果が出たという話もある。 警察は菅家さんに有利となる近隣住民の目撃証言を握り潰したりもしたようだ。
そこにどういう力学が働いたのか知らないが、途中から、 関係者は菅家さんが無実だと気付いていたのではないか。しかし後には引けなくなり、 検体をすり替えるなどして証拠を捏造し、警察に不利な証拠は闇に葬り、無実の人を17年間も拘束し、 真犯人を野放しにして新たな犯罪を起こさせてしまった。 誰か告発しようとする人はいなかったのか?  組織の論理には誰も異議を唱えることができなかったのかもしれない。恐ろしい話である。
基本的に、推定無罪の原則や刑事被告人の権利、三権分立などの法の精神は、 司法が腐敗したり権力の道具になったりすると国民に危害が加えられる恐れがあるので、 それを防止するために出来るだけのことをすべきだという考えが背景にある。 だから、どんな凶悪犯罪者にも弁護士を雇う権利があるし、弁護士は依頼者を無罪にするように、 もしくは刑罰が出来るだけ少なくなるように全力を尽くすのである。 また弁護士は、弁護をする過程で依頼人が有罪である証拠を見つけてしまっても、 それを開示せずに依頼人の無罪を主張することさえ認められている。 足利事件みたいな例を見てしまうと、やはり法の精神の通り、 被告人の権利は過剰と思えるくらいに保護するべきだと感じるね。
ところで、無実の人間なら自白する筈がないというのは、現実を知らない意見である。 警察の取調べの一つの典型例は、容疑者の人格を徹底的に否定した上で、容疑者の言説を完全否定し、 絶望に追い込み、長時間にわたってお前がやったんだろうと責め立てる。 人間は、ある期限までに終わると分かっていることには耐えることができるが、 孤立し、一切誰も助けてくれない状態で、否定し続ける限り永久に逃れられないと錯覚してしまうと、 一時的にでも認めて楽になろうという気になったり、もうどうでもいいと思ってしまうことがある。 それに、人間は極限状態で精神的に責め続けられると、ある種の乖離状態に陥り、 精神崩壊から自己防衛するために自分がやったに違いないと思い込んでしまうこともある。 いわゆる洗脳と同じメカニズムである。
人間は微妙なバランスの上で正常な状態を保っており、少しバランスが崩れると正気ではいられなくなる。 こういうのを実感したことの無い人はある意味幸せかもしれない (そういう人が、自白した菅家さんにも責任があるなどと言ったりする)。人間の心は意外と脆い。 また世の中には、凄まれるとつい迎合的な態度を取り、後のことよりも今、 無難に場を収めることを優先してしまう性格の人もいる。 アメリカでは、DNA鑑定が導入されてから、 真犯人ではないのに自白をする例が多いということが明らかになり、人々に衝撃を与えた。 それ以降、なぜ人間は虚偽の自白をするのか、という研究も盛んに行われている。
そもそも自白自体、現実は、容疑者が犯行についてぺらぺらと述べる、というようなものではなく、 多くは、取調官が作文した調書に容疑者が署名する、という形を取る。 これは容疑者が自分が考えて話すよりも遥かにハードルが低い。
自分が無実の罪で容疑者になってしまった場合、自白はしないのが一番だが、 どうしても精神的に追い込まれて自白せざるを得なくなってしまった場合には、 自白するにしても、理性の残っている間に、 後からアリバイなどで覆せる内容になるように考えておかねばならないだろう。



2009年6月10日

家に帰ったとき、仕事のことを考えていて上の空で、 妻が髪を切ったことに言われるまで気がつかなかった。失点だ。



2009年6月9日

売買履歴を整理しているが、夜間の取引をどう扱うか、ここんとこ少し考えた。 最初は取引した日の日付にしていたのだが、 将来の24時間化を考えると夜間は翌営業日扱いにした方が良い気もする。 しかし、大納会の日の夜間は営業日としては翌年になるけど、 課税対象としては年内扱いだろうから、整合性が取れず困ったなぁとTOCOMのページを見たら、 大納会には夜間が無いということがわかり、翌営業日の日付で管理することにした。



2009年6月8日

仕事、仕事、仕事。他に書くことなし。



2009年6月7日

一日、休養。 最近、車を動かしていないので、エンジンだけかけておいた。

ちょっと仕事した。



2009年6月6日

百万石まつりなので妻と町へ出かけた。尾山神社から金沢城址へ歩き、 オムソバとかシューマイとかを食べながら大名行列をみた。 なんかこの、きっちりしてないところが、ほんわかしてていい。
うつのみや書店とダイワに寄り、その後は外食する予定だったけど、 妻も自分もなんか疲れたので、何も食べずに帰ってきた。



2009年6月5日

仕事で一日終わる。



2009年6月4日

忙しくて相場の新システムの開発が停滞中。9月下旬くらいまで全く時間が取れそうにない。 一定期間の過去データに自動で最適化していくシステムを考案し、 個別株で結構良い検証結果が得られているのだが、それを更に発展させることを考えている。 自動最適化システムは、カーブフィッティングそのものをシステムに取り込むので、 結果としてのカーブフィッティングが起きる可能性は少ないと考えられる。
何を言っているのか意味がわかり難いかもしれない (講演したときの質疑応答でも同内容の質問が出たが、言いたいことがいまいち伝わらなかった)。 要するに、カーブフィッティングにより見かけ上の利益が増大するのは、 未来の情報を用いてシステムを構築するからである。 例えば、過去10年のデータにフィッティングしてシステムを構築した場合、 10年前の時点を基準に考えると、10年先までの未来の結果を用いてシステムを作ったことになる。 だからその10年間で計算上の利益が出るのは当たり前ということになる。 しかし、例えば、常に過去1年にカーブフィッティングするようにシステムを作り、 それに基づいてポジションを取った結果を過去10年で検証して利益が出ているならば、 売買判断に未来の情報を使っていないので、結果としてカーブフィッティングにはならないということになる。 実際には、どのようにフィッティングさせるかとか、どんなシステムをベースシステムとして採用するか、 などの選択の時点でいくらかのフィッティング効果は発生してしまうが。
しかしベースシステムには最も基本的なシステムを採用しているので、そこにはあまり恣意は入らないし、 パラメータは自動フィッティングさせるのでこれにも恣意は入らない。 というわけで、フィッティング効果はかなり少ないと期待している。
しかしながら、現在、並行して構想中のシステムは更にその上を行くものである。 いくら自動的に最適化しても、調子の良さがその時点から先も続くとは限らない。 そのように相場の表面を追いかけるシステムではなく、 もっと核心を突くものができないものかと考えた結果が、構想中のシステムである。 人間に超音波をあて、身体の表面でデータを観測して内部の様子を計算するということが行われている。 他にも、地震の伝わり方から地下の様子を計算するなどということも可能である。 いわゆる逆問題と言われる分野の話なのだが、これを応用し、相場を様々な手法を用いる投資家の集合体と考え、 過去の値動きから、その値動きを一番良く再現するような投資家の構成を計算するのである。 それが上手く計算できれば、投資家全体の建値の平均値を求めたり、 どのあたりまで下げれば投げが出易くなるかを計算したりできるようになる。 もっとも、どれだけ精度良く計算できるかは未知数だが、そんなに正確ではなくても、 少しでも優位性があれば十分に実用的である。 もっとも、今のところは構想だけに止まっており、具体化の目処は立っていない。 一ヶ月くらい専念できる時間が欲しいものだが。



2009年6月3日

昼ごろ、灯油が5分で700円くらいワープした。 一瞬、値段が間違っているのでは?と思った。こういうのを上手く利用して取引しないといけないねぇ。 なかなか始終相場を見ることはできないので、難しいが。



2009年6月2日

相場再開後の利益が再び1000万を上回った。しかしなかなか増えん。 それなりに玉を減らした。夜間は動きが少ないので鞘の仕切りには都合が良い。 ただし成立するまでは我慢が必要だが。 例えば原油10月、40290でずっと待っていたが、なかなか約定しない。 売り気配は40370くらいだが、それは気に入らん。40350が出たので、妥協してそいつに当てて成立させた。 数十円の違いと思うかもしれないが、累積すると意外と大きい。



2009年6月1日

晩まで仕事。

やっぱり日本は良い。廈門や台北に行った時には、ここなら住んでもいいかなと思ったのだが、 香港では全くそういう気にならなかった。人が多過ぎるのはうんざりである。



2009年5月31日

一日ゆっくり休んだ。香港で買ってきたカップラーメンを妻と食べた。

結局、香港では一度も注文を出さなかった。値段はちょくちょく見てはいたのだが。 今月の利益率はプラス33%。 先月やられまくって取り返しただけ。



2009年5月30日

ちゃんと目を覚ますことが出来た。しかもかなり早く起きたので時間の余裕がある。 シャワーを浴びて宿をチェックアウト。来た時と同じ順に乗り換え、青衣まで行き、少し周囲を散歩した。 新しい高層ビルが立ち並ぶ綺麗な島である。定食屋みたいな所で朝飯を食いたいと思ったが、 そんな雰囲気の土地ではなかった。
機場快線で空港へ。空港のコンビニで、お土産に香港のカップラーメンを二つ購入。 あと、サンドイッチと100%キウイジュースを購入。キウイジュースは超不味かった。 手荷物検査と出国審査と通って空港内へ。中の土産物屋で杏仁餅、刺繍の入った布の小箱などを購入した。 結局、500香港ドルほど余ってしまった。まぁ、そのうちまた香港に来ることもあるだろう。 キャセイパシフィックのラウンジの近くのベンチで無線LANに接続。 実はラウンジ用の無線LANにパスワード無しで繋がるのである。
飛行機は予定通り出発。無事に成田空港に帰ってきた。 香港は、あまり良い印象は無かったなぁ。治安は良く街も綺麗なんだけど、 どこに行っても密集し過ぎで息が詰まる。 日本で流行ったものが数年遅れで流行っているというイメージを受ける。 オリジナルなものが無い感じ。住人はみんな忙しそうで、ゆったりしたイメージが無い。 あんまり人の多い都市は好きじゃないので、かなり個人的な感想だが。
帰りの機内では「20世紀少年」の第二部を観た。第三部が8月に公開されるらしいけど、 映画館に観に行くか微妙なところ。続きは気になるが、そこまでの映画ではない気もする。 その後、「愛を読むひと」を観た。これは良い映画だった。少年と年上女性との切ない愛、 しかしその愛は唐突に終わりを告げる。その後、月日が流れ、 大人になった少年は思わぬ形で彼女に再会するのだが…、という丁度良いところで着陸態勢に入ってしまい、 中断してしまった。続きが気になる。日本では6月下旬に公開だそうだ。
入国の際、新型インフルエンザに関するチェックシートを記入した。 海外渡航中に新型インフルエンザ発生国の人と接触したことがあるか? という問いがあったが、どう応えて良いかわからん。 出張先にアメリカ人も来ていて、同じ部屋にいたこともあったが、それは接触というのだろうか?  そもそも日本が結構な発生国なので、日本人と話をしたらチェックしないといけないのか。 なんか面倒なことになるのも嫌なので、全部いいえにしておいた。
飛行機を降りたとき、アホそうな姉ちゃんが、「席にぃ〜、パスポート〜忘れたくさいんすけどぉ〜」 とかCAの人に言ってた。女性がくさいとか言うなよ。 もしかしたら東京の若い女性の間ではこんな言葉遣いが当たり前なのか? ちょっと衝撃。
電車で羽田空港に移動。千葉の田園風景を眺め、やはり日本は良いと思う。心が落ち着く。 今日は東京でオフ会が開催されているらしい。出席したいけど出張途中なので難しいなぁ。 羽田空港からは小松空港まではすぐ。小松空港からはバスで自宅へ。 なんだか疲れた。



2009年5月29日

朝、宿の近くの公園でフラフープをやってる女性がいた。結構上手い。 というか、フラフープを実際にやってるのって何十年かぶりに見た。
地下鉄で出勤。仕事は午前中で終了。夜は出張先の人たちと一緒に食事をすることになっているが、 それまで自由時間である。油麻地に香港の特産品ばかりを集めたビルがあり、 お土産を買うには丁度良いと聞いたので、行ってみたが、それらしいビルは見つからず。
適当に歩いていたら玉器市場(Jade Market)と書いた看板があったので行ってみた。 露天の沢山入った建物の周りを警備員が警備している。 中国翡翠を中心としたアクセサリーなどを売っている店が多い。 特に良さそうなものもなかったので、ざっと見て出たが、晩に旺角の夜店で同じようなものを買ったので、 今思うとこちらで買っておいた方が良かった。 ちなみに、中国翡翠というのはいわゆる軟玉で、一般的に翡翠と言われる硬玉とは別のものである。 価値的にはせいぜい瑪瑙と同じ程度の扱い(場合によるが)。
油麻地駅に戻り、地下鉄で香港本島へ。上環駅で降りる。小雨がぱらついている。 腹が減っていて、辛い坦々麺が食べたくて、歩きながら探したけど、 町中の定食屋みたいなところで四川料理を出すような店はあんまり無さそうだ。 昨日、船の中で見せてもらった骨董街の位置を思い出しながら、何となく合ってそうな方向に歩く。 だんだんと急な坂道になるが、一向にそれらしい所に着かない。 かなり登ると、下町風だったのがホテルや高級マンションが立ち並ぶ感じに変化してきた。 どう考えても違うので、ぐるっと大回りして戻ってきた。 街中には所々、清潔な公衆トイレがあるので助かる。
駅付近に戻り、今度は坂を登らずに海沿いに移動してみた。 しかしやはり、行けども行けどもそれらしいものはない。 乾物屋さんが密集している一帯があった。通り沿いの定食屋さんに四川坦々麺というメニューがあったので、 入って注文した。しかしこれは外した。 全く辛くない上にピーナツソースみたいなのが入っている。水餃子も注文。 こっちは美味しかった。再び歩き始めるが、段々と寂れた感じになってきたので、 また同じ道を引き返した。
途中に広場があり、観光案内板があった。 見ると、骨董街は最初に歩いたコースでほとんど合っていたことがわかった。 もう一筋向こうの坂道を登れば正解であった。 案内板で孫中山記念館があることもわかったので、そちらも行ってみることにする。
ほどなく骨董街に到着。その端の方にガラクタ市みたいなのがあり、雑貨を売っているが、 ろくなものがない。とりあえず30cmくらいの中国翡翠の円板(真ん中に穴が開いている)を購入。 値切ったけどあんまり安くならんかった。390香港ドル。 ガラスの香水ビンで良いのがあれば買おうかと思っていたが、気に入ったものが無く、買わず。 近くのお茶のお店で、試飲させてもらいながら烏龍茶を購入。安いのから超高級のまで各種あり、 高いのは高いだけあってやはり美味しい。結局、一箱75gで200香港ドルの高めのを購入。
ガラクタ市の近くにお寺があったので参拝した。お参りする人で賑わっている。 そこから、案内に沿って孫中山記念館へ。坂道をひたすら登り、疲れた頃に到着。 中学生の社会見学か何かの集団が来ていた。 展示内容からも、孫文が敬愛されているというのが良く分かる。 妻である宋慶齢の特別展が開催されていた。
記念館を見た後、再び坂を下って駅方面へ歩いた。 それにしても、建設現場の足場が竹で組まれているのが凄い。 ビル建設の現場でも、結構高いところまで足場が竹で組まれている。 地震が無いんだろうね。 建物自体も、やたらと高層のビルが密集して建設されている。 もし地震があったら香港は壊滅するだろうなぁ。
海沿いの道を歩いて戻っていると、廃材屋さんが集まっている一帯を抜け、香港駅のあたりに出た。 國際金融中心なるビルがあったので入ってみたが、金融機関が集まっているわけではないようだ。 大型ショッピングモールという感じか。後で調べたところ、世界で5番目に高いビルだそうだ。 上まで登ってみたらよかった。
香港駅は中環駅と繋がっているようなので、香港駅の改札を入って中環駅で地下鉄に乗り、 一旦、宿に戻って荷物を置き、再び地下鉄で出張先近くのレストランへ。 出張先の人たちと食事会である。なかなか美味しい中華料理を食べることができた。 ドイツ人が中国人に、酒は飲まないのか?と聞いて、中国人が (はい、飲みません、という意味で)Yesと返していた。 否定的な質問に対するYes/Noの使い方がJapanese Styleと同じだね〜と盛り上がった。
結構ベロンベロンに酔っ払ってしまい、宿まで歩いて帰ろうかとも思ったが、 わずかに残っている理性により、地下鉄で帰ることにした。 歩いて帰ってたら何か取り返しのつかないことになっていたかもしれない。 旺角の夜店通りに寄り、酔っ払ってフラフラしながら直径5cmくらいの中国翡翠の円板の首飾りを購入。 昼間、自分用に30cmのを買ったので、妻にも買っていかないといかんなと考えたのである。 素面だったら、他の店で買うとか何とか言ってもっと値切れたんだけど、 そこまで頭が回らず、大して安くならなかった。250香港ドルである。
宿に戻ってベッドに倒れこんだ。かなり性質の悪い酔い方で、 明日の朝起きれなかったら飛行機に乗り遅れて大変なことになるなーと思いながら寝た。 自分の場合、目覚ましをかけなくても、何時に起きると心に決めたら必ずその時間に起きられるが、 酒を飲み過ぎると、その仕組みが働かないのである。



2009年5月28日

朝起きてシャワーを浴び、地下鉄で出勤。夕方まで仕事。 晩飯の後はナイトクルーズに連れて行ってもらった。 海から見る香港の夜景は綺麗だけど、別に対岸から見ても一緒じゃないかと思う。 日本人の人が観光ガイドを持っていたので見せてもらった。 昨日見つけた旺角の夜店通りは女人街というらしい。近くに男人街というのもあるようだ。 明日の午後は自由時間がある取れそうなので、観光ガイドを見せてもらいながらどこに行くかを検討。 香港島に渡って上環のあたりをウロウロすることにした。
遊覧船乗り場のあたりには、中国共産党を批判する立て看板、法輪講弾圧を批判する立て看板などがあった。 言論の取り締まりはまだそれほどきつくはないのかもしれない。 ちょっと疲れも溜まっているので、今日は素直に、尖東駅から地下鉄に乗り、 セブンイレブンで青島ビールとツマミを買って宿に戻った。 シャワーを浴びてから、テレビを見つつビールを飲む。 中国の人権状況に関して報道されていた。先の立て看板の例もそうだが、 今のところはまだある程度の表現や報道の自由はあると思われる。 天気予報では、大気汚染指数なんてのも発表されていた。

米国債の長期金利が3.55%まで上昇する一方で、2年債の利回りは0.92%に止まり、 2年と10年の利回り格差が5年ぶりの高水準になっている。 イールドカーブの傾きが急になってきたということは、 やはり国債消化が困難になってきたことを意味するのではないか。 現に、FBRによる国債買い入れの増額を検討すべきとの声も出ているようである。 予想通りの経過を歩んでいるが、思っていたよりも展開が速い。



2009年5月27日

早起きして出張先まで歩いて行った。出張先は九龍半島の下の方で、 宿から地下鉄で一駅から二駅分くらいの所にある。 自分は、新しい土地に来たら、ひたすら歩くことを心掛けている。 実際に歩くことでその土地を肌で感じることができる。
宿の近くの公園を通ると、太極拳か気孔か何かをやっている人達がいた。 日本で言ったらラジオ体操みたいな習慣だろうか。 パン屋さんで朝の焼きたてのパンを買い、ムシャムシャ食べながら歩く。 食べながら歩いている人を全く見かけないので、罰金でもあるのかと思ったが気にしないことにした。 途中、丘の上の高級住宅街に迷い込んでしまう。住宅街といっても一戸建ては無く、 門の所に警備員が常駐しているような高級マンションが立ち並んでいる。 ちょうど登校時間のようで、スクールバスが各マンションに止まりながら生徒を乗せていた。 香港の交通事情では、少しでも子供が徒歩で外を歩くとなると親も心配になるのだろう。 しかし、マンション前と学校をバスで行き来していたら、 学校からの帰りに買い食いしたりザリガニを取ったりすることも出来ないだろう。
とにかく、車が多い、人が多い、建物が密集し過ぎでしかも高層で圧迫感がある。 空気は綺麗ではないし、水もまずいので、あまり住みたい所ではないな。 特に子供を育てる環境としては良くないように思える。 一方、商売をする上では、この密集度は魅力的なのかもしれない。 治安はかなり良いように思う。
1時間ほどで出張先に到着。その後、晩まで仕事。 昼飯と晩飯は最終日まで、出張先の食堂で全て用意してくれているようだ。 飯に金を使わなくて良いなら、かなり香港ドルが余りそうな気がする。 味は、日本でも良い目の中華を食べに行ったら普通にありそうなレベルで、 そんなに美味い中華料理を食べたという感じはしない。 まぁ、飯を食いに来た訳ではないので。 鳥の焼き物に鶏の頭が添えられていた。日本だと魚のお頭付きみたいな感覚だろうか。
仕事の後は一人で出張先から尖沙咀のあたりまでをウロウロ。観光に関しては何も調べてこなかったので、 どこに何があるか全くわからないが、とにかく歩いた。 大きな雑居ビルが何軒もあり、中には怪しげな店が山ほど入っている。 両替屋も山ほどある。こんなに店が多くて儲かるんだろうか。人民元と香港ドルの交換レートが結構いいようだ。 歩き疲れたので、尖東駅から地下鉄で旺角東駅に帰ってきた。 そのまま宿に帰って寝るつもりだったが、この付近も歩いてみたくなり、 何となく賑やかな方に行ってみると夜店がたくさん並んでいる通りに出た。 夜店をざっと見たが、特に買いたい物も見つからなかったので、 セブンイレブンで青島ビールとツマミを買って、宿に戻った。 コンビニに並んでいるお菓子などを見ていると、日本のをそのまま輸入したものが多い。 あと、出前一丁の種類がやたらと多い。日本にこんなに種類があったっけ?
ビールを飲んだら、シャワーを浴びる間もなく寝てしまった。



2009年5月26日

空港バスで小松空港に向かい、まずは小松空港から羽田空港へ。羽田空港から成田空港へは電車で移動。 羽田と成田の行き来はリムジンバスもあるが、高いのでいつも電車を使っている。 しかし接続が悪いとやたらと時間がかかるので注意が必要である。 以前、ハンガリーに行ったときに危うく飛行機に乗り遅れそうになった。 今回は乗り継ぎに比較的余裕があるので大丈夫である。 成田空港で香港ドルのレートを見ると、ぼったくりのようなレートだったが、 香港に着くのが結構遅いので、とりあえず1万5000円だけ両替した。
飛行機では「20世紀少年」を観ながら(聞きながら)仕事をした。 ながら仕事は得意なのである。 スピリッツの連載では、途中から読んでも何が何やら全くわからないので、 読んでなかったのだが、ようやく話の筋がわかった。 第一章を観て第二章の始めの方を観たところで着陸態勢に入り、中断。 なんか創価学会を意識しているように見える。 それにしても、あの「ともだち」って宗教が現実として民衆の共感を集められるとは思わないのだが、 それはまぁ作り話だからということでいいか。そのあたりの設定を変に現実的に作ってしまうと、 別の意味でも問題が出てきそうだし。まぁ、面白かったけど、最後まで観ないと何とも言えんな。 今度、漫画喫茶で原作も読んでみよう。
30分ほど遅れて22時40分頃に香港國際機場に到着。 新型インフルエンザ発生国からの入国者には、マスクをすることを強く求める、という案内があった。 マスク持ってないけど。空港では、検疫関係者がサーモグラフィーで体温を見たり、 咳をしている人がいないか監視していた。
特に問題も無く、検疫、入国審査、税関を通ったが、その時点で既に23時である。 とりあえず電車は午前1時頃まで動いているようなので、電車で行くことにした。 まずは機場快線で一駅先の青衣駅へ。60香港ドルもする。結構高い。 駅名を見て、頭の中でナウシカのテーマが流れる。 青衣駅でローカル線に乗り換え、目的地までの切符を買った。これが8.5香港ドル。 それにしても、中国や韓国だと外国へ来たという感じがせず、全く緊張感が無い。
地下鉄は案内などが非常に親切で、外国人旅行者も安心して利用することができる。 しかも漢字表記の意味がわかるので楽である。請小心月台空隙と書いてあっても意味がわかる。 小心は注意、月台はプラットホームである。 プラットホームと書くより漢字で月台と書く方が情緒があるね。 日本人はかつて、人民、共和、市場、経済、銀行、共産、民主、自由、主義、法律、科学、文化、 など無数の日本語を作り、それらの言葉は現在、中国でも使われている(他にも山ほどある)。 しかし、今の日本では何でも安易にカタカナに直しすぎのような気がする。
青衣駅でローカル線に乗り換えた後は、茘景駅、太子駅、九龍塘駅、と更に3回乗り換え、 ようやく目的地の旺角東駅に到着。 車内で乗客を観察するが、(日本人の目から見た)美人や可愛い女性が極めて少ないな。 アジアは他には、韓国、台北、廈門しか行ったことが無いが、それらと比べても群を抜いて少ない。 男はオタクっぽい感じの人が多い。また、全体的に眼鏡の率が高い。 廈門や台湾には日本人から見ても可愛い子が多かったけどなぁ。 廈門、台湾は福建系、香港は広東系で民族が違うのかも。 とすると、日本人には福建系の血が多く入っているのかもしれない。
駅を出て、地図を注意深く見ながら歩く。既に深夜だが特に危険な感じはしない。 小さな通りまで、ほとんど全ての通りに通りの名前が掲示されているので、 地図さえ持っていれば迷うことは無い。 夜でも車が多いが、どうやら歩行者優先という規則は無く、 信号の無い交差点では左折車が突っ込んでくるので、日本の感覚で歩いていると極めて危険である。 日本なら、車が左折する際に歩行者がいると止まってくれるが、 こちらでは止まってくれないので、車が来ないことを十分に確認してから渡らないといけない。
それにしてもセブンイレブンが多い。サークルKもたまにある。 とりあえず腹がすいたので菓子パンとお茶を購入。お茶は砂糖の入っているやつ。 日本で飲むと美味しくないけど、暑い地方だとお茶も少し甘い方が元気が出る。
0時過ぎに宿に到着し、チェックイン。正確にはホテルではなくてYMCAのゲストハウスで、 安いんだけど想像以上にボロかった。共同トイレ、共同シャワーで、学生時代の下宿を思い出す。 洗濯コーナーなんかもあり、長期滞在してそうな人も多い。 夜も遅いので、シャワー室に行ってシャワーを浴び、部屋に戻って歯を磨いて寝た。 歯を磨くときに水道水で磨いたのだが、水が恐ろしく不味いな。 今まで海外で飲んだ水のなかで一二を争う不味さである。

北朝鮮が再度、核実験をしたようだ。前回は失敗だったようだが、今回は成功した模様。 早く金政権は崩壊してほしい。



2009年5月25日

深夜まで仕事。明日から香港出張だが、空港に着くのが晩の10時過ぎなので、 どうやって宿まで行ったらよいかしばらく考えた。 当初はタクシーに乗るつもりだったが、ホテルまで結構遠いし、地下鉄もあるようだ。 とりあえず地下鉄の路線図とホテルの周辺地図を印刷した。 家に帰り、着替えなどを詰める。電源の変換プラグを買い忘れたことに気がついた。 しかし、香港はイギリス式だが、 確かアースの所を爪楊枝か何かで押せばドイツと同じCタイプがささったような気がするので、 Cタイプを持っていくことにした。ダメなら向こうで買えばいいだろう。

FXについて、レバレッジを規制しようという話が進んでいる。 基本的にこれは正しい方向だと考えている。 5日前に貸付金に関係して取引員の足の話を書いたが、同じことはFXにも当てはまる。 例えば100倍のレバレッジだと1%の変動で証拠金が飛ぶ。 通常は証拠金が飛ぶ前に強制ロスカットが入るにしても、 たまに真空地帯に入って値段が一瞬で飛ぶことがあり、 その際には足が出ることになる。会社にとっては客に足を出されると莫大な損失になるので、 対処法としては、満玉を張っている顧客の注文はカバーせず呑んでしまうしかない。 呑もうがカバーしようが、業者が適切なレートで注文を受けてくれるなら関係無いという意見もあるだろうが、 それは近視眼的な考えである。商品の場合と同じで、客の注文を呑むと客の損失が会社の利益になるので、 出金を遅延したり、回転売買を薦めたり、急変時に悪いレートでしか取引できないようにしたりと、 モラルが低下する方向に力が働く。 レバレッジを規制すれば、客が足を出す可能性が少なくなるので、良からぬことを考える業者も減るだろう。



2009年5月24日

妻と近くの小料理屋さんへ行った。初めてのお店である。 近所には、まだ行ったことのない店が結構多い。 妻が料理してくれているので、外食も週に一回くらいである。
そのお店は、メニューは少ないけれど厳選されている感じで、頼んだものはみな美味であった。 また行くことにしよう。

明日の午前中までにやらねばならない仕事が終わらん。今日は徹夜かも。 休日はちゃんと休むつもりだったのに。



2009年5月23日

愛車に乗って妻と近くの温泉へ。って、書いた瞬間にこの文はマズいと思って書き直した。 でもやっぱり面白いので元に戻した。 車に乗って愛妻と、と書かないと色々と問題が発生しそう。 ちなみに、前オーナーは、妻に言われてこの車を手放したそうだ。 最近は車の調子が良くて、余計な出費がかからず助かる。 しかし、買った当初は踏んだら即加速する、打てば響く感じだったのが、 いつの間にか、わずかにレスポンスが悪くなったような気がするなぁ。気のせいかもしれないが。



2009年5月22日

朝から深夜まで仕事。ここんとこ金曜日は特に忙しい。 来週は香港に出張する予定だが、準備が全く出来ていない。



2009年5月21日

大阪証券取引所が原油ETFを上場するらしい。先物市場で運用するとのことだが、 どこをベースにするのだろうか。WTI原油なのか東京原油なのか。 どちらにしても東京原油と鞘取りのチャンスがありそう。 金ETFと東京金は同質性が高過ぎて、いまいちチャンスに乏しいので。 たまに少しばかり乖離はしているようだが。

毎日、深夜の帰宅で忙しすぎる。しかし休日だけはちゃんと休むと心に決めている。



2009年5月20日

以前、金を貸した貸付先の代理人から民事再生手続きをするという通知が来たのだが、 今度は債権者一覧表が送られてきた。自分の貸付金が最大だが、他は、カードローン、サラ金、 それに取引員への足である。経緯が目に浮かぶようだ。 それにしても、手数料1枚1000円で100万も200万も足を出されちゃ取引員は商売上がったりである。 取引員にとってホームトレードは構造的に儲からないことがよく分かる。 客が足を出すのを回避するには証拠金を上げるしかない。
個人民事再生だが、今回の件に関連して色々と調べたところ、 債務者にとってはなかなか良い制度だということがわかった(逆に債権者にとっては美味しくない)。 自己破産のように車や家などの財産を取られることもなく、債務が5分の一に圧縮される。 住宅ローンがあっても家を手放さなくて良い。 金を貸してくださいとか、相場で借金が膨らんでどうしようもないのだがどうしたらよいでしょうか? みたいな相談はたまに来るのだが、最近は、そういうケースには個人民事再生を勧めている。



2009年5月19日

大きく上げたので、昨日買った分は仕切ってフラットに。 鞘中心なのに売りも買いも全ての玉に利が乗っている状態になった。 こういうことはたまにあるし、その後も悪くないことが多い。



2009年5月18日

石油系はまたボチボチ買っていく。

エコポイントっていったい何なのだろうか。ポイントが溜まっても何に使えるかもわからないのに、 エコポイントの付く家電に買いが殺到しているらしい。 エコポイント事務局なんていう天下り先もできるそうだ。 財源も確保していないのに、金を使う話がどんどん進んでいる。 今さらエコポイントを止めますとは言えないから、国債発行でも何でもやって、 金は作るしかなくなってしまった。かくして天下り先は安泰となる。
今年度予算では国債発行額が税収を上回るらしい。 もはや誰も財政を再建するなどと言わなくなってしまった。 どうせ最後には破綻するんだから、今のうちにばらまけるだけばらまき、 美味い汁を吸えるだけ吸ってしまおうという意識が垣間見える。 財政破綻まであと10年くらいは大丈夫かと思っていたが、こんな感じにモラルの劣化が加速するなら、 意外と速い展開も予想される。 具体的には、まずは国債の市中消化が困難になり、日銀の国債購入が増加する。 金利上昇に伴う利払い費の急増で国債発行が増加し、 それがまた金利上昇を誘発するという悪循環に陥る。 基本的に、諸条件が一定なら、この正のフィードバックの微分方程式の解は指数関数となる。 実際に長期債務残高のグラフを見ると指数関数が良く当てはまるように見え、 それを延長すると、日本国民の個人金融資産額を超えるのは時間の問題と思える。
以前にも書いたが、貨幣や国債は公有財産と徴税権を担保に発行されている。 公有財産が時価に換算してどれくらいあるかは良くわからない(簿価では100兆円ほど)が、 国と地方を合わせると時価で1500兆円ほどだろうか。 個人金融資産の合計が1500兆円、法人も含めた金融資産が8000兆円。全部合わせて1京円。 いくら重税を課したとしてもその全部を回収することは不可能なので、 実質的に担保となり得るのは20%として2000兆円分くらいと思う。 感覚的な話だが、1500兆円か2000兆円かわからないが、どこかに財政破綻のPONR (Point of No Return=回復不可能な臨界点)があるのは間違いない。 ただし、臨界点を過ぎると突然破綻するわけではなく、近付くにつれて加速度的に悪化する感じになるので、 何となくだが国と地方の債務残高が1500兆円を過ぎたあたりから高率のインフレなど色々なことが起きてくると思う。 現在1000兆円くらいなので、そう遠くはない話である。
問題は、円でもドルでもユーロでも同様のことが進行中であるということ。 もし、通貨価値の下落がどの通貨でも一定ならば、見かけ上、通貨は下落していないように見え、 物価が上昇しているように見える。



2009年5月17日

バスの時間まで結構あるので、まずは三条のブックオフへ。 新ナニワ金融道の1巻から3巻まで読んだ。ナニワ金融道に比べて絵が更に下手になっている上に、 魂も抜けた感じで、ダメダメな感じ。

三条のMOVIX京都で「スラムドッグ$ミリオネア」を観た。 インド人のパワーと躍動感が感じられて良かったなぁ。 クイズ番組を題材にするってのも斬新。いつかインド旅行に行きたいものだ。 自分の周りには、インドに行って良かったと言ってる人が多い。 昨日結婚した友人は、インド滞在中にインドスタイルでお尻を手で拭いたら悟りがひらけたとか言ってた。 マジシャンの友人は、街中で手品を見せていたら人がどっと押し寄せてきて大ウケし、 日本のババと呼ばれたらしい(ババは験者のこと)。 彼によるとサイババの奇蹟も手品だそうだ。手付きを見ればわかると言っていた。

京都駅へ向かい、高速バスに乗って帰宅。



2009年5月16日

友人の結婚披露宴に出席するため京都へ。 高速バスを使ったのだが、渋滞で遅れて、間に合うかどうかハラハラした。 工事の内容は高速道路の中央分離帯の植栽工事であった。 こんな、いつでもできる工事を、 なんで週末1000円乗り放題で車が多いと分かり切っている週末にやるかなぁ。 ちっとは考えろよな〜。

披露宴は滞りなく終了。新郎は結構緊張していたようだ。 それにしても、こうやって他の人のに出席してみると、自分達の結婚式が、 いかに気楽な感じだったか実感する。

披露宴の後は友人仲間と新郎で飲んだ。新婦は親戚と食事会だそうで、 新郎を連れ出してしまって良かったのだろうかと少し心配に。 結婚した当人も飲んだ友人もサークルの同期(新婦は後輩)なのだが、 同期はみんな晩婚でなかなか結婚しないなぁと思っていたのに、 いつの間にか既婚者が多数派になっている。

解散した後は、一緒に出席した友人の部屋に泊めてもらった。 百万遍の東山湯に行き、部屋にあった覚悟のススメを読んで寝た。 やっぱ覚悟のススメは名作だねぇ。好き嫌いあると思うけど。 そういやシグルイの連載がいつまでたっても終わらんのー。



2009年5月15日

ここ最近、板の薄いところを狙って指値で待ち構える売買をやっている。 例えば、45250に買い板があり、45280に売り板があるとする。 一見、スプレッドは狭いように見えるが、45280の売り板が1枚、その上は45330に1枚、 45450に5枚、なんて感じだとチャンスがある。45440に売りを入れておけば、 時々、買い注文が飛んできて成立し、一瞬で利が乗るのである。 しかしこの手法は、常に板を見ながら、 かなり頻繁に指値変更したり新規発注や取り消しをしたりしなければならない。 45430に売り板が3枚出れば指値を45420に移動し、45350に売り板が3枚出れば、 もはや美味しくないので取り消す、などなどである。 この手法では注文ミスをすると致命的である。 実は、もう既に銘柄間違いと指値の1000の桁の数字を間違えるミスをやってしまった。 どちらも、ボタンを押した直後にアッと思ったが、酷い値段で一瞬で成立。 幸い、どちらもどの後、相場がポジションに有利に動いたので事なきを得たが、 それは単に運が良かっただけで、こんな注文ミスをしているようでは期待値はプラスにならないだろう。 疲れていて注意力が散漫になってい時にはやらない方がよいかもしれない。



2009年5月14日

新システムになってから技研の相場データベースの更新がガタガタになっていたのを修正した。 午後7時に4箇所のデータソースから価格データを採取して、間違いが無いか照合の上、 更新するようにしていたのだが、夜間に入ると翌営業日の日付になるので、 午後7時だと東工取と他の取引所の間に、まず日付の不整合が起きる。 それに、5時を過ぎると東工取以外の銘柄の相場表もリセットされてしまう取引員もある。
関西商取のデータまでカバーしているデータソースは、とうとう2箇所だけになってしまった。 また、データをシステムの検証などに用いることを考えると、 東工取の日中取引と夜間取引は別々にデータを取りたいのだが、 日中と夜間それぞれの四本値は、東工取のHPでしか手に入らなくなってしまった。 しかもそのデータの保存期間は5日間しかない。
データベースのデータは、数ヶ月ごとに正しさを検証して最終的に確定させているのだが (現在は4月末の分までチェック済み)、情報ソースが一箇所しかない上に、 そこの保存期間が5日だと、後から比較照合することができなくなってしまう。 とりあえず、その5日で消えるファイルは自動でダウンロードするように設定しておいた。 しかしこれも、形式が変わってダウンロードが出来なくなって5日以上気が付かないと、 照合は不可能になってしまう。
フレートのデータなんかも自動ダウンロードするようにしているのだが、 ページ構成が変わったのにしばらく気付かず、欠落したデータを埋めるのに苦労したことがある。 しかし、ロビンソンさんが掲示板で、 IDO証券で日中夜間別の四本値が提供されていると教えて下さったので、 万が一の時も安心にはなった。
データの正当性チェックをしていたら、5月14日アルミ8月限、 日中出来高1枚が151.9で約定しているだけなのに帳入値が151.4になっているのが引っ掛かった。 東工取の公式データでもそうなっている。 他にも、銀やパラジウムなどの板の薄い銘柄で同様の現象が起きているのを発見した。 帳入値は終了間際2分間の出来高加重平均で計算する筈だから、必ず4本値の高値と安値の間になるはず。 このまま帳入値を終値としてしまうと、安値より終値の方が低くなってしまう。 東工取の業務規定を読むと、帳入値算出基準時間帯に出来高の無い限月は、 他の限月の帳入値段もしくは市況を考慮して本所が指定した値段を帳入値段とする、と書いてある。 他の限月の帳入値段とも一致していないので、市況を考慮して東工取が指定した値段、 ということになるのだろうけど、具体的なことは何もわからない。 たぶん気配値なんかも影響しているのだろう。 とりあえず、帳入値が高値を上回っている場合は高値を帳入値と同じ値に、 帳入値が安値を上回っている場合は安値を帳入値と同じ値に修正することにした。



2009年5月13日

知り合いの人に頼まれて推薦書を書いた。知り合いといっても、そんなに良く知っている人ではないので、 文章を考えるのに結構時間がかかった。 説得力を高めるためには、八割くらいで長所を色々と誉めて、残り二割で、 あえて短所と言えば短所と言えなくもないような点に触れ、 しかしそれは実質的には大きな問題ではない、とか、見方を変えれば長所とも考えられる、とか、 本人も認識して改善しようと努力している、なんて感じで最後に再び上げて終わる感じにする。
それにしても、文章を作っていると、ほんの少しだけど魂が削られる気がして、えらく疲れる。 作家さんとかはすごいと思うねぇ。



2009年5月12日

午前中、取引していたら、今までちゃんと動いていた取引員の相場表も止まってしまった。 どうなってんだ?と思ったら、東工取自体が止まっていたようだ。 せっかく高性能なシステムを入れたのに運用がお粗末過ぎる。 新システム導入を急ぐあまり、見切り発車するような形になったんじゃないかなぁ。 証券市場だとシステムトラブルは責任問題になるし処分も下されるが、 そんなレベルを商品に求めるのは酷なんだろうか。
障害の原因はルータが過負荷状態になったためとのこと。 単純な接続ミスとかじゃないだろうなぁ。 だいたい、普通はシステムを設置したら、通常状態とは桁違いの大量のアクセスを加えて耐久性を検証する、 いわゆる過負荷試験を行うのが当たり前なのだが、たぶんやってなかったんだろう。 模擬売買は54回やったらしいが…。 いずれにしろ、ちゃんと原因を究明して再発しないようにしてもらわないと、 おっかなくて仕方が無い。
夜間取引が再び死亡。自分の注文が板に出ていない。 価格配信が遅れているのか、取引員から注文が行ってないのか、取引所がトラブってるのか、 そもそも場は動いているのか止まっているのか、それさえもわからない。 酷すぎる。注文中なので、最低でも自分の注文がどうなっているのかだけでも知りたい。 その後、相場表は止まったままだけど、自分の注文は何とか執行されて約定が返ってきた。 目隠しして歩くようなもので危険極まりない。はやく安定してほしいものだ。
今回の一連のトラブルで、潜在的な顧客がかなり減ったと考えられる。 将来的なトータルで考えると損失は計り知れない。 普通はトップの責任問題に直結する話だが、そのあたりもうやむやにするようなら、もう将来性は無いのでは。 取引システム自体は非常に良いと思うのに、運用が悪くて衰退していくのは見るに忍びない。



2009年5月11日

相変わらずメインで使っている口座の価格配信が遅れている。他社の価格を見ながら発注した。

企画書書きの続き。論理構成を考えながら文章を配置し、足りない部分を補い、 まずはパソコン上で不自然な箇所や繋がりの悪い箇所をチェック、画面上でのチェックが終わったら、 次は印刷して赤ペンでチェックし、修正したのを再び印刷し、チェックして完成。 朝から書き始めて深夜2時までかかった。
文章というのは、画面上では問題ないように見えても、印刷したものを読むと問題点が見つかることが多い。 パソコンの画面で見ると何か情報が落ちるのかもしれない。これは、場帖やグラフを手書きすべき、 というのと通じるものがある。



2009年5月10日

一日中、仕事。 新規プロジェクトの企画書を書き始めた。A4で10枚程度の説得力のある文章を書かねばならない。 全体構成を考えるのは後にして、とりあえず、まずは思いつくままに書いてみた。



2009年5月9日

妻が株を買いたいというので、少し調べた結果、SBI証券がいいんじゃない?ということに。 正直あまり違いがわからん。優待目的の長期保有なので、どこでも同じと言えば同じなんだが。 それにしても、株式のネット手数料は安いねぇ。これで利益が出るんだから、 スケールメリットってのは大きい。商品なんて、 今のネット手数料では利益が出ている取引員は皆無だからなぁ。



2009年5月8日

プラス139万。今回やられたドローからはまだ回復していないが、相場再開後の利益は1000万を回復した。 新システムにも慣れてきた。板が薄くて氷の割れそうな限月の下の方で4枚指してたら、 誰かがズボっと腰まではまって4枚全部成立し、次の瞬間に利が乗った。 落とし穴を仕掛けて隠れて見てるような快感だ。

今までは、特別気配が出ると反対側の板が逃げるので、 特別気配を演出することで大手が楽に場の雰囲気をコントロールすることができた。 また、基準値や警告点の位置を把握していれば、成立することを心配せずに見せ板を出すこともできた。 このように、今まで大手は特別気配を利用することで身銭を切らずに相場を動かすことができたのだが、 今後は相場を動かそうと思ったら実際に身銭を切って板を食っていかねばならない、 そういう面では大手と個人投資家の有利不利の差が無くなったと思う。 玉を入れる際も、特別気配がどういう風に発生していて、基準値と約定可能範囲がいくらとか、 いちいち気にしないと不利を被る状況だったのが、単純化されてスッキリしたと思う。
そういう点で考えると、取引制度のなかでも板寄せなんかは大手有利の最たるものである。 場節ごとに約定値が一つに決まるので大手も個人投資家も同じ条件で売買できます、 なんて宣伝文句に騙されているようでは世話は無い。 競りでは、大衆店の売り注文が多ければ安値に誘導し、大衆店の買い注文が多ければ高値に誘導する。 誘導するのに資金は要らない。こうやって大衆は一回にちょっとずつ割りを食っているのである。 通常手数料を差っ引いても手張りで稼いでいる外務員さんがいる。 最初、こんな高い手数料で儲かるわけがないと思ったのだが、 事情がわかってくると、板寄せの競りを見ながら注文を出せるというのは、 通常手数料分以上の優位性があるということが理解できた。 その分は、競りも見ずに注文を出す一般大衆が被っているのである。

今日も夜間に参加。何枚か売買した。 全体的に新システムは悪くないのだが、一つ希望があるとすれば、 納会日の最終値段だけは板寄せで値決めしてもらいたい。 現状では、納会日に決済できるとは限らないので、一般投資家が期近を売買する際の危険が大きい。 欧米のような期近中心の価格形成を目指すには、 現物関係者以外でも安心して期近を売買できる環境整備が大事だと思う。 システム変更も、そんなに手間はかからないと思うのだが。

晩はお客さんが来たので片町の加賀料理のお店へ。その後、いつもの店に行って、午前3時ごろ帰宅。



2009年5月7日

今日から東工取の新システムが開始。午前中は相場に専念できるように準備して、いざ参戦。 この新システムでは、成り行き注文が入ると大きく値段が飛ぶことが考えられるので、 それを指値で拾う戦略がしばらく有効になるだろう。 外電からは各銘柄とも大幅高が予想されるので、ガソ灯油原油の先二本について、 1000円高に買い指値、4800円高に売り指値を入れて待機した。そして、いよいよ場が始まった。 石油関係の買い指値はかすりもせず、案の定、サーキットブレーカー発動。 ふと白金を見ると先限が200円高で寄り付いている。しまった〜、白金はノーマークであった。 その後、サーキットブレーカーの解除時刻になっても解除されない、ようやく解除された後も、 指値を入れたのに板に反映されない、指値を越えたのに約定が返ってこない、 などなど、トラブルが発生。どうやら価格配信が遅れている上に、注文系統もトラブっているようだ。 こんな稼ぎ時になんてことだ。
一時、口座のある取引員のうちでまともに動いているところが一つもないという状態であったが、 そのうち一社が正常化したので何とかなった。しかし灯油5番限などに既に美味しい値段が何度か出た後だった。 買い越し分とクラックが順行したので、主に買い玉を遠い指値で仕切る方針で、その後、 何度か吹っ飛んできた美味しい値段を取った。
これからしばらく通用すると思われる必勝法は、原油ガソ灯油の先3本くらいに、 寄り前に換算値の上下2000円あたりに指値を入れる。 寄り付いたら、現在値の上下500円くらいに常に指値を入れ、現在値が移動すれば指値も移動させる。 これでたまに値が飛んでくるのをキャッチできるだろう。 この件に関しては、自分の利害よりも商品市場の未来を優先して、積極的に宣伝することにする。 こういう売買をする人が増えれば、値段の飛びも少なくなって、値動きも安定していくだろう。
ネット上の意見を見ていると、値段の飛びが大きくて怖くて売買できない、こんな市場からは撤退する、 なんて声も聞こえてくるが、値段が歪むということは収益機会があるわけだから、 なぜ撤退するという結論に至るのか理解ができない。いくら流動性があっても、 為替みたいに完全市場に近い相場の方が利益を上げるのは難しいと思う。 市場が変化すれば手法も変化させていかねばならないのは当然のことである。 そもそも、特別気配で売買が成立せずに気配が動いても値段が飛ぶことに変わりは無いし、 外電が5000円高なのにストップ高で売買を止めるのは非合理的である。率直に言うと、現実を直視せずに、 見かけ上だけマイルドな値動きに見せかけようという欺瞞に他ならない。
それにしても、ほとんど全ての取引員の売買システムでトラブルが発生したという貧弱さには、呆れる他ない。 連休もあった、模擬売買もやっただろうに、いったい何を準備していたのだろうか。 そのへんの大学生(学生ベンチャー)にプログラムさせたって、もっとマシな売買システムを作るだろう。 いくら東工取のシステムが素晴らしくても、取引員の側がこれでは先が思いやられる。
新システム自体はなかなか使いやすくて良いと思う。 今まで特別気配で値動きが抑制されていたのが自由になったように感じる。 個人的には、以前より今のシステムの方が好みだ。 今日は各社のシステムトラブルで出来高が少なかったが、 そのうち回復してくるのではないかと思う。 夜間取引にも参入してみた。売買頻度が少なくて成立まで時間がかかるが、 NYが始まるまでは値動きも落ち着いているので、乗換注文なんかがやり易い。 事前に想像したよりはスプレッドも詰まっている。これはこれで使いでがある感じ。

今日は買い越し分と鞘が順行してプラス389万。 やっと一息つけたが、やられている時に買い玉をかなり落としてしまったのが悔やまれる。



2009年5月6日

昨日のアーシング作業の続き。アース線はフロアカーペットの下を這わせ、 後部座席を外してトランクルームまで貫通させた。 エンジンルーム内のエンジンとアースポイント間は既にアーシングされているので、 今回はエンジンルームのアースポイントとリアのバッテリーの間の配線を増設したことになる。
さっそくエンジンをかけてみると、まずアイドリングが安定したことに気がついた。 今までいまいち安定しないので、少しアイドリングのレベルを高めに調整してもらっていたのだが、 元に戻しても良いような感じ。 ウィンカーの点滅が少し速くなったので電気抵抗も少し減ったと思う。 乗ってみた感想は、アクセルを踏んだときのフィーリングが変化したことは確かだが、 巷で言われるようなトルクアップなどは良くわからない。まぁ、こんなもんだろう。

「票田のトラクター」面白すぎる。週刊ポストでたまに見かけたことはあったが、 ちゃんと読んだのは初めて。しかし、政治家達のこういった距離感は相場師のそれに通じるものがあるなぁ。 例えば、受ける受けないの納会勝負になったら、大抵は事前にアンコを付けて手打ちにする、 仁義に反することをやった人間は徹底的に叩くが、そうじゃない相手は致命傷を与えるまではやらない、 情報に金を惜しまない、特に、誰が誰に会ったという情報や、相手の資金繰りに関する情報は極めて重要、 本音を小出しにした駆け引きと、相手の雰囲気から違和感を感じて真実を見抜くことの重要性、 昨日の敵は今日の友、コーンで敵対しても次のゴムの相場では連合する、などなど。 しかし、相場の世界には基本的に金というベクトルしかないのに比べると、 政治の世界には、金、権力、ポスト、名誉、利権、義理、それに思想や理念など、 様々なベクトルが存在するので、その複雑怪奇さは比較にはならないが。



2009年5月5日

NHK教育で「もう一度見たい教育テレビ」なる番組をやっていた。 自分が子どもの頃に見ていたのもあるし、弟や妹が見ていたのを何となく横から見ていたのもあり、懐かしい。 徹底的に手足、って言葉は日本語として変だと子供のときからずっと思っていた、と妻に言ったら、 実は妻も同じことをずっと思っていたらしい。

午後から妻と町へ出かけた。海鮮丼でも食べようと近江町市場に行ったら、 観光客で溢れかえり、しかも店の接客態度が最悪だった。 金沢では余所者に対してはサービスという概念が存在しないので、今さら腹も立たないが…。 地元民なのに連休の真っ只中に近江町市場に来るなんて、二重に間違ったことをしてしまった。 尾山神社を通り、21世紀美術館へ。更に、古本屋、デパチカなどを見て回ってから帰宅した。

帰宅してから車のアーシング加工に取り掛かった。 バッテリーはリアにあるので、そこからエンジンルームまでアース線を引かねばならない。 まずは、ボンネットオープナーのグロメットを通してエンジンルームから運転席に線を引き込んだ。 最初はグロメットを付けたまま貫通させようと思ったが、 どうやってもきつくて通せないので、一旦グロメットを外し、線を通してから再び装着。 日が暮れたので、とりあえず今日はこれで終了。



2009年5月4日

妻は観たい映画があるということで、梅田の映画館へ。自分は日本橋へ。 日本橋では、車のアーシングをするための、 無酸素銅の耐熱ケーブルと圧着端子、圧着する工具などを購入。 帰りがけにBOOK OFFに寄ったら、100円コーナーに「新・票田のトラクター」が1巻から11巻まであったので、 思わず購入。
梅田に戻り、帰りのバスに乗車した。今度は隣は中国人の集団であった。 彼らは、前半は静かに乗っていたので、中国人旅行者でもマナーは悪くないなと思っていたら、 後半から音楽を大きな音で聴き始めた (ヘッドフォンからの音漏れではなく、携帯で普通に音楽を鳴らしていた)。ああもう。 電車だったら迷惑な客がいても移動すれば何とかなるが、高速バスだとそうは行かない。 今回は行きも帰りも客層が悪かったなぁ。しかもなぜか自分の隣だけ。



2009年5月3日

大学のサークルの後輩が、結婚祝いのパーティーを開いてくれるとのことで、京都へ移動。 妻は関西で友人と会うので、昨日のうちに出発している。
特急ばっかり使うのももったいないので、今回は高速バスにしてみた。 帰りは大阪からなのと、金沢京都路線が満席で取れなかったので、 金沢大阪路線にした。バスだと往復割引で買うと特急の半額で済む。 バスでは、隣の席の女がヘッドフォンから音漏れさせまくりで、非常に不愉快であった。 彼氏連れだったが、その彼氏も特に気にしている様子もなかった。彼氏なんやったら注意せぇよなぁ。 シャネルの高そうなバッグを持っていたが、 自分の人間価値が暴落しているのにブランド物なんか持っても意味無いだろ、と思う。 注意しようと思ったがタイミングを逃して注意し損ねた。
昼過ぎに梅田に到着。淀屋橋まで歩いて、京阪で京都へ。 京阪大江橋駅なんてのができていて、淀屋橋駅の名前が変わったのかと思ったが、新しい駅だった。 京都では鴨川デルタでブルーシートを敷いて飲み会である。こんな感じで飲んだのは何年ぶりだろうか。 野外でとても気持ちがいい。デルタでの飲みと大文字山頂での飲みは、ある意味基本だったからねぇ。 サークルも人が増えて、今は合宿もバスをチャーターして行くらしい。もう、創立10年くらいになるなぁ。
みんなかなり出来上がったあと、大阪へ移動。 サークルの後輩たちが出資して新地にバーを出したので、そのプレオープンに招待してくれたのである。 最近の不況のおかげで、しばらく前には考えられなかった条件で借りることができたと言っていた。 軌道に乗ったら京都にも支店を出してもらいたいものだ。 ケーキで祝ってもらい、色紙とデジタルフォトフレームを頂いた。 こんな感じに祝ってくれる人がいるというのは有り難い話だ。 秋にもまた、このサークルから結婚する人が出るようだ。目出度いことである。



2009年5月2日

相場技研の約定値データのチェックをした。 数ヶ月に一度、データに間違いが無いかチェックするのである。前回のチェックは2008年分までであった。 中部大阪取引所が1月19日から値付け売買を中止したため、 気配値を約定値に採用すべきか除外するべきか迷ったが、 結局、気配値も約定値に加えることにした。
今後、東工取のデータもどう扱うべきか迷う所である。 夜間取引は翌営業日の取引という位置付けである。しかし夜間取引のデータを翌日の取引に入れてしまうと、 窓の空き方が以前と違ってしまうし、 夜間終了後から日中取引の開始までのギャップがデータに入ってしまうことになる。 そう考えると、やはり夜間取引のデータは別にしておいた方がいい気もする。



2009年5月1日

相場はとりあえず様子見。プラス99万。ひとまず最悪期は脱したか。

SBIフューチャーズから出金した。太陽ゼネラル→トリフォ→SBI、と長くお世話になった。 太陽ゼネラルが一枚2100円の定額制を始めたとき、 これでようやくゴム指数の鞘取りで優位性のあるポジションを取れると思った。 しかし最低預け入れ額の100万円がすぐに用意できなくて、 臨時でバイトをしたりして何とか工面したのが懐かしい。 その頃は競り中に注文を出せる所がほとんど無かったので、太陽ゼネラルの、 期近に指値を入れて、それが成立するかどうかで期先に注文を入れるかどうか判断できるというのは、 なかなか衝撃的であった。

夜は妻と近所の回転寿司へ。



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