生き残りのディーリング

2001/2/2

矢口新 著「生き残りのディーリング」という本がある。
個人的にこの本は名著の一つだと思っているのだが、 日本の先物市場の手数料の高さを考えると、 取引手法などを単純に内容をフォローするわけにはいかないと感じていた。
ただ、手数料も最近はどんどんと安くなり、日計りなどもやり易くなっていて、 昔とは状況が一変しており、今読み返すとまた新たな発見がある。
というわけで、いくつか印象に残った部分を引用してみた。

『ある一つの出会いがあって、一人がロングポジション、 他の一人がショートポジションを同値で持っているとする。ここに、 たった一つだけ条件を与えて相場を動かしてもらいたい。一般的に考えつくのは、 公定歩合などの変動、政治上の激変、税制等の変化、等々。 いずれもさらに別の条件を加味することなしには、どちらに動くか予測し難い。 テクニカル分析上の売り買いサインも、テクニカル分析を信じない人には無力である。
クイズの答えは、「売り手のポジションの保有期間は、買い手のより短い。」 これで相場は上がる。』


これは一見すると何でもない事のように見えるが、 実は大変なことを言っているのだ。 相場がなぜ動くかという問いに明確な答えを与えている。 日計りをやる人にとっては意味深であろう。

『日計りディーラー的な資質とは何か? 一言で言えば、値段に対する反応である。 値段の動きに対する盲目的な信仰である。たとえば、 ニュースらしいニュースが出たとも思えないのに値段が妙な動きを始めた。 その時すぐに反応する。訳もわからずに、とりあえずポジションを手仕舞う。 また、ニュースが出ても値段に何らかの兆候が出るまでは反応しない。 このニュースは買い材料、このニュースは売り材料と決め打ちしない。 仮に決め打ちしてしまっても、値段が逆に動けばそれに従う。 ひたすら値段の動きのみを信じる。それが日計りディーラーの資質である。』

外電が大幅高でもストップ安まで売られる事がある。

『「損切りは難しい」と言ってるうちはまだ駆け出しである。「難しいのは利食い」である。
損は切るもの。アゲインストのポジションは持ってはならないものである。 アゲインストのポジションは、そこからは何も生み出さない。 必要以上のエネルギーを消耗させ、相場観を狂わせ、機会収益を減少させ、 ひいては取り返せないほどの損を抱えることになる。
評価損は実現損より性格が悪い。実現損は過去の損だが、評価損は生きている。 どこまでも成長する可能性を秘めている。こわいのである。評価損を抱えていると、 常に相場観がバイアスされる。損を切れないことを正当化するための相場観が用意される。 冷や汗だけが流れ、建設的なエネルギーが湧いてこない。
評価損が悪いのはただ損があるからだけではない。機会収益の芽をつむのである。 損を持ちつづけてやっと水面下を脱出したらどうなるか。 安心してコストそこそこで利食いがちである。また持とうと思っていても、 もう一度水面下に突入する動きが見えたなら、過去の苦しかった記憶が一度に甦ってきて、 こわくて手放してしまう。人はあまりに苦労をしすぎると、夢を見るのを忘れてしまう。 皮肉なことに、相場とは通常そういう動きをした後で上放れるのである。』


この部分は非常に身につまされる。損切りはコストだとわかってはいても、 いざとなるとなかなか切る気にならない。僕もまだ駆け出しである。

『逆に行けば損切る。これは鉄則である。しかし、 いかに損切りを大きく儲けるためのコストと割り切ってはいても、連続して負けが込み、 コストが積み重なってしまったらなら、なかなか大勝ちしても取り返せないことがある。 人間、あせりが出ると歯車が狂い出す。かけたコストを一度で取り返そうと思いだすと危い。 金額を増やす。ナンピンも金額を増やす点では似たようなところがあるが、たとえ、 評価損をきれいに切って、新しく相場に入り直す場合でも、負けが続いている時に金額を増やすのは、 “あせり”である。プロは一攫千金を狙いにいってはいけない。 負けが込むというのは相場に乗り切れていない証しである。にもかかわらず、 金額を増やした時から状況が好転しだすと考えるのは論理的ではない。 相場に限らず、ある状況が一定期間続いている時は、 その状況がもうしばらく続くという前提のもとに物事を進める方が理に叶う。 状況の変化に対してはアンテナを高くして注意を払うことを怠ってはならないが、 まだ状況の変化の兆しも見えないのに、思い込みによってその方向に走り出すのは賢明とは言い難い。 たとえ、先見の明があっても、時期尚早ということがある。
相場でも乗り切れてないと判断したら、つまり、負けが込んできたら、 順風が吹いて来るまで殻を固くしてじっと待つのである。
負けてコストがかさみだしたら、そのコストを下げる方法は二つしかない。 損切り点を早める。もしくは金額を減らすである。もう一つ、 相場に入る回数を減らすという手もあるが、私にはある一定のペースを守った方がよいように思える。 相場に入らないと機会収益は当然放棄せねばならないし、 肝腎の順風の機を肌で感じることができない。また、相場に入れる回数というのは、 自分の意志で決めるよりも、相場の方が決めてくれるように思えるからだ。 一日のうちに何度も往復してくれる相場であれば、何度でも入れるが、 じりじりと一方向に動いてゆくだけの相場だと、相場には入れるチャンスはたった一回だけだった、 というようなことが珍しくない。こんな時入り方を間違えると、損切って終わりということになる。
いずれにせよ、コストを下げるということに注力すべきである。 一気に取り返せるほどに、機はまだ熟してはいない。コストが半分になれば、 相場に入る機会が倍に増える。三分の一になれば三倍になる。こうして逆風の時を食いつなぎ、 気の熟すのを待つのである。』


ちょっと引用が長くなったが、逆風の時のしのぎ方についてである。 曲がったら休むという人もいるが、職業としてディーリングをやっている場合は、 相場から離れるわけにはいかないのだろう。
どっちにしろ、逆風のときはリスクを減らすべきであるということか。

『ディーリングの前では、誰しもまっ裸の赤子同然である。恐怖と欲と、夢と現実との間で常に闘いながら、 自分の持つすべての資質を露にして、全力で取り組んでいる。ディーリングの前では、 狡い人がいる、臆病な人がいる、見栄を張る人がいる、意地を張る人がいる、我慢強い人がいる、 気の強い人がいる、夢見勝ちな人がいる、冷静沈着な人がいる、世故い人がいる、本物の紳士もいる、 疑心暗鬼にはすぐに至る、喜怒哀楽のすべてがある。
ディーラーは裸である。恥ずかしいくらい裸である。そしてどんなに困った時でも、 頼れるのは自分一人なのである。』


色んな人の相場手法を見てると、ほんとに性格が表れて面白いと思う。

『ディーラーの仕事は孤独である。自分一人の判断にもとづいて相場観を組み立て、 相場に入り、損益を計上する。儲かるか損するか、勝つか負けるかのだけの世界だから、単純である。 結果だけが物を言う。その責任は自分以外の誰のものでもない。徹頭徹尾、自己完結の世界である。 野球選手にたとえるならば、ディーラーはピッチャーである。』

自己資金で相場を張っている僕なんかは気楽なものだが、 それでもやはり、自己完結の世界というのは意識せざるを得ない。

なかなか良い本なので、全部通して読んでみられたらいいと思う。

「生き残りのディーリング」 矢口新 著
東洋経済新報社 ISDN4-492-65139-X

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