週末ドライバー さんの日記

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飛鳥寺  2011/09/12(月) 07:06:37
 平成23年9月9日(金)深夜から翌々朝

売太神社
(めたじんじゃ)奈良県大和郡山市。早朝、時間調整で国道24号線に看板のあるこの神社に参拝。24号線沿いにはいくつかお寺や神社の看板がある。この先もドライブを続けるなら一つ一つ訪れるつもり。稗田という環濠集落の中にある旧県社。2〜3人の定年を過ぎたころの老人が神社の掃除をしていた。話しかけることもなく、我々は参拝に集中した。祭壇は朱で塗られていて美しい。脇に池があるが鯉などはいない。

飛鳥寺
9時からの拝観受付だったので少し待った。駐車料金は拝観目的なら無料。看板には500円とあった。拝観350円。本尊は飛鳥大仏として知られる釈迦如来坐像。止利仏師(とりぶっし)により作られた日本最古の仏像。青銅製でお顔は教科書かなんかで見たような気がするので初めて実物を拝見してもなんか親しみが湧く。この仏様は一度火災にあっておられ、また屋外に放置されたこともありで、傷んでいる部分もある。特にほほの傷は補修を受けていると思われるが、当時しっかりと治す技術はなかったようだ。また気になるのは本堂に対して少し右向きに座っていらっしゃるのか、腰から上が右向きなのか判らないが、真正面から拝もうとするとお堂の中央より数十センチ左に移動する必要がある。

奈良県立万葉文化館
ここも開館の10時前に到着。飛鳥寺から遠く離れてない。近年できたばかりの資料館らしく、私のカーナビには出てこない。またこの付近は調べていたが旅行サイトにはなかったので登録していない。本当はその近くの明日香民族資料館に寄ろうと思ったがさらに大きな資料館が目の前にあるので、そっちに行くことにしたのだ。観覧券600円。この資料館は「飛鳥池工房遺跡」の上に作られていて中庭にその全体像が復元されたものがあり、実際の遺跡はその地下4メートル下に埋め戻されている。エントランスルームから展示室に通じる空中通路から望むことができる。ここは富本銭やガラス製品が作られていた工房跡。その通路の天井には万葉集にちなんだ花の形をデザインしたガラス細工。蓮や椿などがあったが全部は覚えてない。この期間は現代画家の伊藤髟耳(いとうほうじ)氏の展覧会が1階で開催されていて、パステルカラーで仏画や人物画、風景画が展示されていた。人それぞれ好みはあろうが、パステルカラーの十二神将像は漫画チックであまりいただけない。かなり暈(ぼか)した仏様の茶褐色はどこか荘厳な気もしないではないが、私としては写実的なものの方が好み。風神・雷神画は躍動感にあふれていて、暈けたところが何か遠い記憶が蘇っているようで心が引かれる。ただしこれはこの画家が意図したこととは違うだろうが。風景画に目をやると阿蘇の風景が描かれたものがあり、そう言えば私は阿蘇には行ったことがないが、この画家と私の感性が違うことを望む。山焼きをし、初夏に草が萌え出ている風景を描いた作品があるが、なぜか細い木が何本も書かれている。山焼きとはこのような木が生えないよう枯れ草を焼くことだが、この画家は事実よりも想像と調和が大事なようで私とは正反対の性格かもしれないと感じる。展覧会の出口にこの画家とは違う人が書いた絵が何枚かあり、それで私の精神状態は本に戻る。それらは万葉時代の人物画で同じく現代画に属するもの。写実的な絵で助かる。特に気に入った絵には万葉集の1歌が添えられていた。

吾妹子(わぎもこ)が 形見の含歓木(ねむのき)は 花のみに咲きてけだしく 実にならじかも  大伴家持

資料館は地下1階にありエレベータまたは自動運行のエスカレータで下りる。入り口は黒を基調としてモニター画面が何台もあり、また壁は鏡の反射を利用した斬新なデザインで垂直なものはなく、四方体を組み合わせた感じ。うまく表わせないが、それは他のものと比べることができないことによるもの。強いて言うなればブロック崩し。実物大の人形を何十体も使って万葉の頃の辻の様子を再現している。出雲の博物館に訪れたときも同じようなディスプレーがあったが、ここでは柵はない。注意して歩かないと人形とぶつかってしまうのだ。劇場があり、額田の王について映像と音声と実物大の人形が演じていた。出雲の博物館にも劇場があったが映像と音声だけ。ディスプレー手法の進化とも言えなくないが、展示物に触ったり壊したりしないという社会規範が追随しないと長くは続けられない。飛鳥池工房遺跡でガラス球の作成に使われていた原料は方鉛鉱、長石、石英。展示室の北側ホールからは耳成山、香具山、畝傍山といった大和三山が遠望できる。

気が早いかもしれないが冬場になるとアウトドア関連の施設は休止となるので、その前にこの付近にある2つの鍾乳洞の1つにでも行こうと思い細い山道を車で走るが、今回の台風で通行止め。回り道を行くとかなり遠いので引き返して壷坂寺に行くことにする。拝観終了までに行ける観光地はこのお寺とその近くにある高取城跡くらいになった。高取城跡は今冬場に行ったことがあるので壷坂寺に参る。

壷坂寺
西国観音霊場第六番札所。駐車料500円、拝観600円。ご本尊十一面千手観世音菩薩。本殿八角堂の中の八角形の厨子の中に座っていらっしゃる。脇侍は増長天と多聞天。

岐阜県博物館  2011/09/05(月) 18:40:54
 平成23年9月4日(日)
台風の速度は遅く今日も大雨と強風。冬場の強風と違ってよほど強くなければハンドルを取られることもない。冬場の強風はなぜあんなにもハンドルを取られるのか、その原理はわからないまま。大雨の日は駐車場から入り口まで遠くない大きな博物館か美術館へ行くことにする。そうなると行き先は限られてきて、滋賀県立近代美術館、守山市の佐川美術館、岐阜県博物館。いずれも一度は訪れて駐車条件を確認してあるところ。両美術館の今の展覧会はあまり興味がないものなのでやめた。

今年4月22日に訪れたばかりの岐阜県博物館に行く。今回は早朝から出発。前回は昼過ぎに着いたので全部の展示を回ることが出来ないまま閉館を迎えた。9時半ごろ到着。前回と変わったところは人の大きさほどの恐竜のラプトル系の骨格体が2体がなくなっていることと、仏像展示の数が減って博物館所蔵のレプリカの仏様が何体かあるだけ。前回の特別展は金生山の化石だったが今回は「昆虫の世界〜色と形の不思議〜」展。一番見たかったのはその仏様だったがレプリカのほうも虫食いの跡まで忠実に再現されていて十分。覚えているところは聖観音立像、不動明王立像、大日如来坐像、薬師如来立像。不動様は炎の光背はなく、肌は水ぶくれしたような感じだが太っているわけでもない。大日如来様は冠と前たれのようなものが金銅製で、もし象に乗っておられるのなら普賢菩薩と変わらないお姿。薬師様は僧形で左手には薬壷。聖観音様は左手に蓮の花のつぼみを持っていて右手人差し指で弾こうとしているお姿。

恐竜関係
館の入り口には恐竜テチスハドロスのボーンベッドがあり鳥盤目鳥脚亜目でイグアノドンと同じ種類。タルボサウルスの頭部骨格があり竜盤目獣脚亜目ティラノサウルス科。ティラノサウルス・レックスは北米で発掘されるがタルボサウルスはモンゴル出身。3階展示室ではイクチオサウルスのボーンベッド。これはイルカに似た魚竜。他にもあるがこれ以上のことは一度に覚えられない。

新生代哺乳類
デスモスチルス(河馬ににた生物)。パレオパラドキシア(デスモスチルスと同じ仲間)。ナウマンゾウ。オオツノジカ(角の付き方が普通のオオツノジカと違っている)。

岩石標本
この博物館の展示は他の博物館より大きい。他の博物館が握りこぶしくらいの大きさしかないのが多いのと比べて、一つ一つは一人の力では持てないほどの大きさがある。片麻岩。火道角礫岩。花崗斑岩。結晶凝灰岩。巨晶花崗岩(ペグマタイト)。流紋岩。実物を見せられてもどの種類の岩石か見分けは難しいが、このような岩石があると名前を覚えておけば、そのうち名前と実物が一致することもあろう。

樹木標本
トウヒ、ツガ、シラビソ、コウヤマキ、サクラ、ホオノキ、シラカンバ、ケヤキ、カラマツ、ヒノキ。山に自生する代表的樹木だが実際山に入ると良く似た樹木も多く、また変種も多いのでなかなか特定するのは難しい。植物園に何度も足を運んで位置関係から覚えたほうがやさしい。

火成岩の標本
流紋岩、安山岩、玄武岩、花崗岩、閃緑岩、斑レイ岩、橄欖岩。
堆積岩の標本
凝灰岩、チャート、石灰岩、礫岩、砂岩、頁岩(ケツガン)。
変成岩の標本
ホルンフェルス、結晶質石灰岩、結晶片岩、片麻岩。

工業用鉱石
黒鉛(グラファイト)、蛍石(フローライト)、珪灰石、ドロマイト、珪石、陶石、木節粘土、褐炭(亜炭)。それぞれの用途も書かれていたがそれは次回に。今回は名前を覚えるだけ。ただしドロマイトは金生山化石館で一度お目にかかっているので覚えている。これはガラスの材料なのだ。

三葉虫(立松コレクション)
ナラオイア目、アグノスタス目、レドリキア目、プティコパリティア目、アサファス目、ファコプス目、コリネクソカス目、ハルペス目、リカス目、プロエトゥス目。知識を深めることは専門用語を意味とともに覚えることに等しい。今回は三葉虫の種類についてメモしてきた。次回に行ったときはそれぞれの目がどの時代に繁栄していたか頭に入れられればいいなと思う。それぞれの形状というか特徴のような図形に関することは不得意なので、一番最後になるであろう。

追加  2011/09/03(土) 15:25:35
 今日は台風接近で安全を考えてどこにも出かけず、追加を記す。

中山寺
文章が長くなると書くのも大変、読み返すのも大変なので書いておきたいことも一部割愛たが、追加を記載する。中山寺のご本尊以外の仏様について覚えていることを書く。本尊、馬頭観音の脇侍として毘沙門天と不動明王があると書いた。不動様は普通によく見かけるお姿で大きな炎の光背を背負っている。毘沙門天は唐代の武将の甲冑姿が普通であるが、この毘沙門天はそのようなお姿ではない。鎌倉時代から厨子には入っていらっしゃらなかったので色落ちが激しく、お顔も不鮮明になっている。中国の文官のようなお姿だったような気がするが、このような毘沙門様を見るのは初めてなので記憶に留めることは難しい。また脇陣には松尾寺で紹介したような前仏様が座っていて、ご開帳のない期間はご本尊の厨子の前に座っていらっしゃるとか。この前仏様は住職の話によると江戸時代中期に(現)小浜市の仏師が造ったとか。この前仏様も馬頭観音で、ただご本尊様に似せて造られたわけではなく、似てはいるが細部は違っている。持仏堂の阿弥陀様はごく普通に見かける坐像だが、特徴的なものは思い出せない。仏像について詳しい知識もないのにわずか数十分間、見ただけでお姿を鮮明に覚えることなど不可能なことだ。境内には「ぼけ除け」の観音様、高さ4メートルくらいが立っていらっしゃる。確かにそのようらしく、足元に老人の像が2体。

帰りはきのこものしり館から南下して国道27号線に出る道を通る。その道は初めて通る。かなり細い道もある。27号線に出たところは綾部市。綾部市はガソリンの安いところなので軽油を119円/ℓで入れた。綾部市の中心部ではなかったので少し高いかもしれない。再び南下して亀岡市に着くと113円の看板あり。しまった、惜しいことをしたと思いながら、カーナビにそのガソリンスタンドを登録した。思えば北陸方面の安売りガソリンスタンドは能登半島の付け根まで行かないとなかったが(知らないだけかも)恐竜博物館の帰り道、福井市の国道8号線沿いに113円の店があり。普通の店で120円を超えたあたりから北陸に行く気がしなくなっていたが、その地方でようやく安売り店も現れ始めて、北陸にも行く気が少し戻ってきた。そのほか、私の知るかぎりでは鳥取市とその周辺は安い。プリカを使えばもっと安くなるだろうが、何枚もプリカを作り、落としたり車上荒らしに遭ったりすれば数十万円の損害となるので現金払いにしている。

松尾寺  2011/08/28(日) 01:53:24
 福井県高浜町にある馬居寺(まごじ)に参ろうと思ったが途中の道路が工事中で通行止め。脇道を探したが見つからず。探しようが足りないのだろう。諦めて松尾寺(まつのおでら)に行く。京都府舞鶴市。西国三十三箇所観音霊場29番札所。青葉山の中腹にあるお寺。このお寺に行く道も崖崩れで通行止め。馬居寺と違って誘導の看板があったので、だいぶ遠回りになったが辿り着けた。2回も行き止まりで足止めを食らい、なんか今日は日が悪いみたいだった。本殿の前に蝋燭と線香が置かれていて1セット50円。油が燃えている台があり、それで火をつける。その台はどのようなものだったか、詳細は思い出せない。本尊、馬頭観世音菩薩坐像。秘仏で何年か前にご開帳があったようだ。77年に一度のご開帳なのでもうお姿を見ることは叶わぬ。その代わりと言ってはなんだが前仏(まえほとけ)として、ご本尊とは細部はだいぶ違うが同じ馬頭観音がご本尊のいらっしゃる厨子の前に座っていらっしゃる。この前仏様は髪の毛を逆立てた憤怒の形相。三面八臂(さんめんはっぴ:顔が3つで腕が8つ)。実はそのあと、同じ馬頭観世音菩薩坐像をご本尊とする中山寺に行ったのでこの仏様の記憶がおぼろげになってしまっているので詳細は思い出せない。拝観無料なのでまた訪れることにする。なぜ松尾寺の馬頭さんより中山寺の馬頭さんのほうが記憶に残っているのか理由は解らない。ご本尊の右脇には仏様がお座りになる台だけがあり、仏様はいない。理由を聞こうと思ったが忘れた。本殿と付随する建物はすべて銅版で覆われている。本殿の左前に馬の像があり、神社でよく見かける馬の像と同じ像だ。材質は青銅みたいな感じだが、はっきり調べなかった。山門には一対の仁王像があるはずだが、今は写真だけがあった。修理に出しているのか、これもはっきり知らない。石段を降りて下の道に出ると大きな器のようなものから水が滴り出ている。手を洗うと冷かったが飲まなかった。飲まなかったのは単純に忘れただけ。そこから坂を上り、車を停めてある駐車場に向かう。

中山寺
(なかやまでら)福井県大飯郡高浜町。「次は中山寺に行くぞ」と行ったら家族の者が「宝塚まで行くのか?」と返したので「この近くだ」と答えた。宝塚の中山寺のほうが全国的にも有名なのだろう。松尾寺が青葉山の南にあるとすれば中山寺は西にある。山号はどちらも「青葉山(あおばさん)」だ。今は閉まっているが春と秋に期間限定で公開する松尾寺の宝物殿のところに中山寺の馬頭観音が33年ぶりにご開帳とポスターがあった。平成22年5月から24年5月まで。実は中山寺には一度行ったことがあり、家族の者はお寺の名前を忘れていただけで、着いたら「ああ、ここかここか」と直ぐに思い出していた。行ったのはご開帳の前の年だから平成21年。他に行くところが多くてなかなか行けずじまいで、私もご開帳はとっくに終わっていると思っていたのだ。まだご開帳の期間中だと知ってれば馬居寺や松尾寺には行かないでここだけにしていたら、松尾寺の前仏様の記憶がおぼろになることもなかった。やはりお寺参りは1ドライブに1箇所だけがよい。平成22年5月にご開帳だと知ったのは、前回この中山寺に来たときで、山門の横にあるご開帳のポスターを見たときだ。今でもそのポスターは山門の横にあり、松尾寺の宝物館に貼ってあったのと同じもの。そのときはご開帳の時にまた来ようと思い、拝観料を払って本殿内部は拝観しなかった。というより、そのときは檀家の法事か何かでお寺の中が忙しそうだったので、部外者である我が家族はお邪魔をしないようにしたのだ。その山門には一対の仁王さんが居り、松尾寺の仁王さんのようにお留守ではない。以前来たときは大きな草鞋(わらじ)があったような気がしたが、今はない。石段を登ると桧皮葺の屋根が真新しい本殿がある。以前来たときも真新しい桧皮葺だった。本殿は国宝で、それゆえ松尾寺のように銅版で覆うことは許されない。その費用の多くも国からの補助のはずだ。石段を上がって境内に入ると気のよさそうな若い住職が「こんにちは」と声を掛ける。本殿内部の拝観は500円。ポスターの通りご本尊の馬頭観音様が厨子の扉を開けてお待ちくださっている。三面三目八臂で髪を逆立てた憤怒の形相。体の色は暗い赤。宝剣、斧、天法輪、水差しのようなものをそれぞれの手に持っている。二本の手で馬の形に印を組まれ、残りの二本の手は両方に広げていらっしゃる。馬頭観音はサンスクリット語でハヤグリーヴァ。元々インドの神様でそれが中国に伝わり、観音様と一体になり、やがて日本に渡来したと考えられている。京都府北部と福井県嶺南地方には馬頭観音を祭るお寺が多く、馬居寺もその一つで他にも数多くある。他に馬頭観音を祭るお寺が多いところは福岡県にあると聞く。福岡県は朝鮮半島を通じて大陸との交易が盛んだったところで、渡来人の文化が盛んだったところ。同じように鎌倉時代の京都府北部、福井県嶺南地方も何らかの形で渡来人が住み、そこで彼らの信仰する馬頭観音の仏像などとともに多くの寺院が建てられたというのが定説だとその若い住職は説明していた。他にめぼしい産業もないこの地方では渡来人の財力なしに都(京都)から多くの宮大工を集めたり、一人の仏師が数年かけて1体の仏像を造るその費用を捻出できないであろうということだ。松尾寺の馬頭観音には他に脇侍(わきざむらい)らしき仏像はなかったが、この中山寺では不動明王と毘沙門天がご本尊の厨子の横に立っていらっしゃる。持仏堂(檀家の位牌を収めているお堂)には阿弥陀如来坐像がある。

きのこものしり館
福井県大飯町。ここも数年前に訪れている。この地方はほぼ散策しつくしていて残すは拝観料のいるお寺と高浜町郷土資料館くらいだが到着した10時前では入り口に「閉館中」の立て札。何時に開館なのか今日はどうなのか、何も書かれていないので待つのをやめて松尾寺に行くことにしたのだ。松尾寺と中山寺を回って時間は3時を回っている。何回も訪れているが「エルガイアおおい」という立体映画を見せてくれる関西電力関連の施設では上映時間がどうなっているのか調べてこなかったので行くのをやめた。毎回新しい立体ビジョンを無料で見せてくれるところだが、最近行ってない。無料なら何回行ってもいい、ということできのこの森にあるこの自然科学館に行く。展示は1階から2階へ上がる階段、あるいはスロープに螺旋状にキノコに関するジオラマが4つ儲けられていて、2階にはかなり学術的なキノコの展示説明もある。ジオラマは1階からシイの木ばやしのキノコ、雑木ばやしのキノコ、赤松バヤシのキノコ、ブナばやしのキノコというように、それぞれの林に生えるキノコを展示している。そのキノコはプラスティックやゴムで出来ていて彩色されていて、本物との見分けは難しいくらい精巧にできている。落ち葉や倒木、木の葉、木の幹など、どこからが本物でどこからが作り物か、なかなか判断に難しい。たぶん落ち葉は本物だと思うが、緑色をした葉っぱは作り物だ。木の幹は本物だと思うが自信なし。倒木は作り物のようだ。昨年まで夏場は山歩きをしていたが、キノコに出くわすことはほとんどなく、実際の林とこのジオラマの開きは大きい。学術的にはキノコはカビなどとともに菌類に属し、菌界・植物界・動物界と生物の3界の一つに挙げられる。私の子供時代には菌類は植物界に属し、植物界と動物界の二つについて学校で習ったが1970年に菌界というものが分けられるようになったということだ。また最近の研究では生物の5界説も出てきて、それについても若干触れていた。キノコというのは胞子を作り発散させる実子体と呼ばれる部分だけを指し、その構造により子嚢菌と担子菌に分けられる。われわれが普通に食する傘のような形のキノコは担子菌類だ。森の生態系でキノコ(菌類)の果たす役割は植物の繊維質、つまりセルロースやリグニンという物質を分解して二酸化炭素やその他の栄養物を再利用可能なものにするということだ。

福井県立恐竜博物館  2011/08/22(月) 23:57:06
 平成23年8月21日(日)恐竜博物館へ行く。家族の者が全員集合するのが8時になったので8時半に出発。到着は11時過ぎ。本日は「家庭の日」ということで福井県内の公設博物館、資料館、美術館の常設展は無料。恐竜なら行く、絶対行くとあって家族全員そろってのお出かけは珍しいことだ。この博物館は以前にも訪れているし、家族個別でも行っている。我が家の恐竜人気は不滅のようだ。無料とあって駐車場は満杯状態。入り口から駐車枠に停車するまで何人も誘導員がいて、くねくねと曲がって15分は掛かった。博物館入り口から一番遠いところに停車だが、さいわい博物館に一番近い駐車場で、私より一つでも遅い車は一つ下の駐車場に誘導されていた。実はその駐車枠も白線が引かれているものではなく、はみ出しの駐車スペースを確保してのことだ。車のナンバーを見ると名古屋地区、大阪地区、岐阜など近隣府県も半分くらいは占めている。特別展として「新説・恐竜の成長」をやっていて見るには1000円必要。それもあるが常設展は無料で特別展にお金を払って見に行く人は全体の4分の1から3分の1と推測すると博物館の収入はレストランを除いてそれほど変わらないのではないか? 普段はいない駐車場の誘導員と博物館入り口の案内員、あわせて数十人のお手当てはやはり県からの補助だろうと思う。福井県はそのようなことができる、他府県からみれば豊かな県だと推察するが本当はどうかわからない。

館内は駐車場と同じ高さの3階が入り口。健康な人ならそこからエスカレータで一気に地下1階まで降りるが、老親を連れている我が家族は3階奥にあるエレベータを使う。なかなか上がってこない。ようやく上がってきたら満杯。降りる乗客を待つ。乗るのにも先客あり。ベビーカーを押しているとエスカレータは危険なので若いお父さんが利用しているのだ。お母さんはエスカレータの下で待っているはずだ。いらいらせずに待つ。待っているあいだトリケラトプスの骨格標本を見る。このトリケラトプスの前肢(ぜんし)は最新の学説を反映して指が斜め横方向に付いている。前腕の尺骨と橈骨はねじれていない。1階にもトリケラトプスの骨格標本があるが、これはねじれていて前肢の指が前を向いている。両骨格とも3本の角のうち鼻に近い角は生きているうちよく使っていたのか磨り減っているようで丸くなっている。エスカレータのあるところは1階から3階まで吹き抜けとなっていてテレビで見たことのある豪華客船のメインホールのようだ。このように空間を豪奢に使う構造の建築の費用は当時の日本の国力(借金力)を繁栄しているようにも思うが、リーマンショック以降、このようなものはなかなか建てられなくなってきていると思うがどうか? 3階から見えるどのフロアーだか忘れたが学芸員が一生懸命化石を研磨している。部屋には20人くらいいて空いた机はない。それほど忙しいのか、またこの日は全員出勤して他の仕事をしないよう言われているのかわからない。宝石の研磨作業なら1〜2年もやれば目が疲れてそれ以上続けていられなくなると聞くが、化石研磨も同じように大変な仕事だ。

今日は恐竜の名前をいくつか覚えて帰ろうと思ったが、数が多すぎ、一つ一つにかける時間は短く、覚えられない。それにどれも記憶メカニズムのチャンクを超える7文字以上だ。短期記憶が長期記憶へと移行する15分という時間が割り当てられない。なんとか覚えても次の恐竜に焦点が移ると15分以内に忘れてしまうの繰り返し。結局新しい名前を覚えるのにことごとく失敗した。陳列はそれぞれ恐竜の種類ごとに分けられていて、竜盤目・獣脚亜目というように一応のセクションに分けられている。したがってというか当然というか、この時代、この地方にこの恐竜とこの恐竜が一緒に住んでいた、といった見分けは難しい。以上は1階でのこと。エスカレータで降りてくるのは地下1階で、地上1階に行くにはエスカレータを降りて階段を登る。階段を登る途中には首長竜のボーンベッドのレプリカがある。

2階に上がると、主竜類の展示があり、これは恐竜より上位の分類学上の名称だ。この中にはワニも含まれる。主竜類は本日唯一、覚えた考古学上の用語だ。2階に上がるには緩やかで長いスロープがあり、1階の展示物を徐々に上から眺めることになる。以前来たときにはフクイサウルスの動く実物大模型があったが今はない。ダイナミックに動くやつではなかったが、故障してしまったのだろうか? 1階にはダイナミックに動くフクイラプトルとティラノサウルスの実物大模型がある。これは以前来たときにはなかったものだ。フクイサウルスは福井県で発掘されたイグアノドン科の仲間。フクイラプトルはアロサウルス科の仲間。

己高閣・世代閣  2011/08/06(土) 00:16:33
 (ここうかく・よしろかく)滋賀県長浜市木ノ本町古橋地区の住民がお守りしている仏様を収めた二つのお堂。拝観料500円。湖北の地に仏教文化が盛んなりし奈良・平安時代から受け継がれてきた山上の二つの寺院(己高山・鶏足寺、世代山・戸岩寺)がやがて荒廃し、管理が行き届かなくなったので麓の興志漏神社(よしろじんじゃ) 境内に移された仏像群。

己高閣
本尊十一面観世音菩薩。伝説であろうと思うが、奈良時代の行基という僧侶がお造りになり、一度荒廃したが、平安時代に最澄により発見されたその仏様の頭部を元に復元されたと謂われる仏様。この仏様は「言われてみれば」だが長い腕をしておられる。これは「救い」の能力の高さを表すということだ。両脇には日光菩薩・月光菩薩が居られ、不動明王・毘沙門天も居られるという配置。脇陣には七仏薬師如来、これは7体の薬師如来立像で、それぞれお顔も手の位置も少しずつ違う。7体の薬師様を拝めば7倍の効果があるということだろう。全国的にも珍しいということだ。反対の脇陣には破損した兜跋毘沙門天が地天女の両手に支えられて立つ。仏像が破損しているということは、それだけお寺が荒廃していたり、破棄されて土に埋もれていたこともあるということだ。また行基の像もあり、行基菩薩と銘されていた。

世代閣
本尊薬師如来立像。上の七仏薬師様以外で立像の薬師様を拝むのは初めてかもしれない。薬師様は全部座っているお姿だと思っていた。薬師様が居られるということは十二神将も居られるということだが、今まで見たどの十二神将よりも大きい立像だ。それに一体一体にお名前が添えられている。その中に私が聞いたことがある名前は伐折羅大将(ばさらだいしょう)で十二方位または十二支の丑を表わし頭には牛の頭部が載せられていた。そのほか宮毘羅大将(くびらだいしょう)は金毘羅大権現で知られる。因達羅大将(いんだらだいしょう)は帝釈天のことで、またインドの雷神インドラのこと。ここにおわす十二神将の表わす十二支は有名な新薬師寺のそれとは違う。ここにもいくつもの破損仏が居られ、ほとんど原型を留めないお姿もあり。ここにも両脇には日光菩薩と月光菩薩が居られる。両仏様は引き立て役で決して本尊にはなれないのかもしれない。またここにも高さ50cmくらいの不動明王が居られ、制多迦童子(せいたかどうじ)と矜羯羅童子(こんがらどうじ)を従えていらっしゃる。

谷汲昆虫館
岐阜県揖斐川町。天然記念物のヒメハルゼミと町天然記念物のギフチョウについて展示している。そのほか蝶や甲虫の標本などがあるがいかにも付け足し的。鉄道模型のジオラマが設置されていて小さい子供連れが目立つ。入館料200円。日差しが暑いので谷汲山華厳寺には参らなかった。

金生山化石館
岐阜県大垣市。入館料100円。ここは以前、岐阜県博物館のところで紹介した金生山の本家本元。とはいえ岐阜県博物館で展示されていたほど多くの化石・鉱物はない。ここで産出する化石の代表的なものはウミユリ(棘皮動物)。現代のウミユリのホルマリン漬けが展示されている。フズリナ(原生動物)。これは古生代の大量絶滅で死滅したので現存種はない。石灰岩の大部分はこのフズリナの死骸の堆積物だ。形状は1cmにも満たない紡錘形の骨格をもつ生き物。三葉虫(節足動物)古生代ペルム期には絶滅寸前で小型のものばかりが出土する。ボール状の巻貝の一種ベレロフォン。サザエのような巻貝のプレウロトマリア。カラス貝のような二枚貝のソレノモルファ。出土数は多いか少ないか知らないが大きなドリルのような巻貝マーチソニア。ちなみにベレロフォンとは ギリシア神話でペガサスを駆って空を飛び怪物キマイラを退治した英雄。発見されたペガサス座の太陽系外惑星の名前もベレロフォンだがこの貝に付いた名前の由来はわからない。産出する主な鉱物。ヘマタイト(赤鉄鉱)、ドロマイト(苦石灰)、カルサイト(方解石)。カルサイトは水に溶けた石灰岩が石灰岩の隙間などで再結晶化したものだということだ。大理石もカルサイトの一種だということだ。今の時点で覚えられるのはこのくらい。なんらメモを録らずに見学しただけでこれだけの知識を吸収できたのは、やはり岐阜県博物館での予備知識があったからだと思う。

近江神宮  2011/07/31(日) 22:19:55
 今日は三重県津市まで足を延ばすつもりだったが、やはり日中に走ると信号待ちが多く通行量も多いので、渋滞とまではいかないが、深夜早朝のようにスムーズに行かないので、午前10時前でまだ滋賀県湖南市のあたり。この辺を散策することにする。

高野神社
(たかのじんじゃ)滋賀県栗東市。に立ち寄る。

常楽寺
道路案内板に常楽寺と長寿寺があったのでそちらの方にハンドルを切ることにした。この道路案内板は道路上の信号の高さにあるもので国土交通省または県が施設したものと思われるので、この二つの寺院は比較的有名なものだと思ったのだ。寺の駐車場に着いて車を停めると早朝の涼しさは何処へやら。山門のようなものはなかったが入り口に近づいてみたら入山には予約が必要と書いてあった。受付に行ってみると「予約ない人もOK」のように書かれていた。どことなく無愛想な住職が座っていて入山料500円を払って入山した。帰ってから調べたところその住職は他の寺も掛け持ちしているようだ。そうしないと食ってけないのだろう。パンフレットによると湖南三山の一つだそうな。本殿は人が入ると感知するセンサーがあり、照明と何台かの扇風機が回りだす。セキュリティーは確りしていて監視カメラが何台もある。ご本尊がいらっしゃるところが内陣、その後方の部屋が後陣とかいうらしい。内陣の前にも部屋というか空間があり、これは何というのかしらないが、そこで線香をお供えできるように線香とローソクとライターが置かれていた。そこで線香を手向け、用心のためにローソクの火を消した。内陣に入るとご本尊の千手観音は厨子にお隠れになっているが両脇に二十八部衆立像が居られる。一体は欠けて足の部分だけがあり、また一体は盗難に遭ってここにはいらっしゃらないとか、盗難に遭っても無事にお戻りになった仏様もあり。調べたところ二十八部衆は千手観音と親しい関係にあり、私の知ってるところでは毘沙門天、梵天、帝釈天、阿修羅王、金毘羅王くらいだ。また仁王様に似た仏像もあった。後陣に回ると釈迦如来坐像が中心にあり、右脇には十二神将立像が居られるが薬師如来は薬師堂から盗難に遭ってまだお戻りでないとか。十二神将は明通寺でもお馴染みの薬師様と関係が深い。十二という数字は子丑寅卯・・・のそれぞれの守護を表すがそれが時刻なのか方角なのか、まだ勉強不足だ。左脇には象に乗ったお姿の普賢菩薩が居られる。やはりこの寺にも三重塔があり、やはり本殿より高いところにある。そこから本殿を含めた境内を半周する道が付いていて西国三十三番札所を表す石仏群がある。その道の中ほどに小さな池が4つあり、その二つには蓮の花が咲いている。その中の一つが紅色をしていて、蓮の花とはこんなに可憐なものなのかと改めて認識する。この寺にはご喜捨が足りないのか庭園と呼べるものはない。これまで金剛輪寺、西福寺、明通寺と有名なお寺を巡っていると、予備的な知識も増え、仏像配置などの記憶も鮮明になってきている。

栗東歴史民俗博物館
ここは数年前訪れたときには月曜日で祝日にもかかわらず閉まっていて入れなかったところだ。今回は博物館付属の旧中山家住宅にボランティアのおじさんがいて、いろいろ説明してくれた。本館に入ると無料で、ロビーの展示はあるが第1展示室、第2展示室とも扉は閉まったまま。ロビーの展示は何処から移設したのか忘れたが大きな花崗岩の磨崖仏が屋外に置かれガラス越しに見ることができる。阿弥陀様なのか弥勒様なのか定かではないと書かれていた。中央の仏様が最初に彫られ、その脇や上部の彫像は時代を追うごとに加えられたもののようだ。屋内のロビーにも屋外のものより小さいが、不動様やお釈迦様か阿弥陀様か忘れたが磨崖仏がある。金勝寺か金勝山か忘れたがその道にある石仏などが盗難に遭っているので保護のためにこの博物館に切り出して持ってきたようだ。そのほか、お寺の梵鐘もいくつか展示されていた。もしかしてこれも盗難防止の苦肉の策なのかもしれない。人々の神仏を敬う気持ちはこれからも希薄になっていくであろう。ここは程よく空調も効いていて居眠りにはもってこいの場所。1時間ほど仮眠する。大東亜戦争中、戦地から内地の家族に宛てた、また内地から戦地に宛てた手紙や慰問袋、千人針などが終戦記念日の迫るこの時期に展示されていたが、読みづらく、あまり興味は湧かなかった。

近江神宮
早朝の涼しさからして、午後からこれほど暑くなるとは思っても見なかったので何処にも寄らず、ただ車を走らせる。夕方になり陽も少し傾いたころ大津市の近江神宮の近くに来た。数年ぶりに訪れる。駐車料金は無料のはず。楼門の朱色はまばゆいばかりに美しい。時計博物館・宝物館を観覧する。料金300円。以前来たときは時計博物館だけだったが新しい建物ができて両方一緒に展示している。以前の古びた館は今は閉まっていて誰もいないようだ。その時計だが以前より数は減っている。下手をすれば10分の1くらいになっているのではないだろうか。また宝物だがこれも数は少なく、最近流行の電子コピーした屏風絵もある。皇室との関係も深く、大正天皇の御影やその天皇の皇后様が使っておられた置時計や机なども展示されていた。皇室の方々の和歌も色紙にあったが、興味が湧かなかったので素通り。別室には風景写真に万葉集和歌が書かれた個人の展覧会もあり。この部屋は貸し展示室になっている。文学音痴の私には初めて聞くような和歌ばかり。私一人なら時間をかけて一つ一つメモって、いくばくかの勉強の糧にするつもりだが家族同伴ではなかなか思うようにならず。

明通寺  2011/07/24(日) 19:30:55
 三番の滝(たどり着けず)
家族そろって出かけられるのは午後になるので程よく夕方には戻れる三番の滝に行くことにした。福井県小浜市池ノ河内。この滝は自動車の通れる道から遠くないところにあり、老親を連れて行くのにそれほど心配はない。細い山道を進むので私の4WDワゴン車は大きいので家族所有の小型で行くことにした。一度行ったことがあるので対向車を避ける退避帯は十分でないことは分かっている。行く途中の山道で山側の土手が崩れたところがあり、道路の全幅に堆積している。4WDでないその車は乗り越えられるか不安なので直ぐ引き返してきた。これなら私の4WDで行くのであったと後悔する。ここ数年、夏場は老親を連れて高さ1000メートルくらいの山を6時間かけて登り、6時間かけて降りてくることをしていたが、今年早々老親が体調を崩して入院、手術を受けてからもうそれほどの体力はなくなっている。滝はたいてい山の中腹にあるが近くまで車道が通ってないともう行くのは無理となった。

明通寺
福井県小浜市。三番の滝がだめになったのでその帰り道、行き先2番候補の明通寺に参詣する。小浜市は北陸の小京都と呼ばれるほど有名な寺院は多いが、ほとんど拝観料を取られるので、今までどのお寺にも参ったことがなかったのであるが、やはり行く観光地が近場で少なくなったのでようやくその機会が回ってきた。拝観料400円。国宝の三重塔は工事が終わって桧皮葺きの屋根が真新しい。同じく国宝の本殿は工事中で全体が足場と落下防止の網で覆われ外観はまったく見えない。内部には入ることができ、早口の住職の説明を聞ける。ここは秘仏になっているものはなく、仏様はお姿を見せておられる。本殿や三重塔は鎌倉時代に建てられたものであり、仏様も鎌倉時代からのもの。本尊の薬師如来坐像は温和な感じだが脇に居られる降三世明王(ごうざんぜみょうおう)立像と深沙大将(じんじゃだいしょう)立像は荒々しい憤怒のお姿。その前座に小さい十二神将が居られる。鎌倉時代独特の荒々しく躍動感のある仏像配置だ。三重塔も1階部分の内部は公開されていて前に釈迦如来、後ろに阿弥陀如来の坐像(前後が反対かもしれないが)ある。本殿には小さいお地蔵さんも数多く供えられていて、願い事のある人は買って名前を書く。本殿内部は工事中の網が掛かっていることもあり、薄暗い。また別の棟には不動明王立像も居られる。色のきれいな錦鯉が20匹ほど池に飼われている。金剛輪寺でもそうだったが三重塔は境内の一番上にあり、続いて本殿の順番だ。山門には1対の仁王像。金剛輪寺と比べて仏様について詳しく書いているが、それぞれ独特の強く印象に残る仏様ばかりで、このように書いておけばたとえ10年後でも大体のお姿は思い出すことができるだろう。金剛輪寺の仏様は1週間も経つとお姿を思い出すのも困難なほど忘れてしまっている。内容を文章化できるのとできないのでは記憶の持続に大きな開きができてしまうものだ。中には画像をそのまま頭の中に焼き付けることができる人もいるようだが、そのような人はまれである。

氣比神宮  2011/07/23(土) 22:30:10
 今日の天気は晴れたり曇ったりで、また風があるので涼しく出かけることにした。車を木陰に停めて窓を開けるだけで涼しい風が吹き込む。

氣比神宮(けひじんぐう)
福井県敦賀市。ここもよく訪れる神社であるが境内をくまなく回るのは今回が初めて。お賽銭を投じたあとお札をいただく。摂社・末社の数も多い。

西福寺(さいふくじ)
江戸中期に造営された庭園があり書院への入場は300円。自然の扇状地形を利用した庭園で下の地層は花崗岩。置石も石灯籠も池に掛かる橋も花崗岩でできている。この庭園は扇状地の上の方まで散策できるので立ち入り禁止の看板も柵も見ることなく、一時的だが、まるで自分がこの庭の持ち主になったような気分になる。可能ならこのように広い庭付きの一戸建て平屋に住みたいものだ。スリッパを取りに許可を得て書院の奥に行って、少し覗いてみたら普段の生活の匂いがある。ここに住める住職は羨ましい。

延命地蔵尊
福井県南条郡南越前町。ここは以前調べておいた地図上の地点が不確かで、カーナビに登録しておいても大体の位置しかわからなかったところだ。高さ5メートルくらいの延命地蔵尊と書かれた石碑はあるが、西から進入する方向からは少し分かりづらく(道はカーブになっていて、障害物をいち早く発見するために左側に注意が行くが石碑は右側にある)今回も見落として広野ダムまで行ってしまい、ダム湖を一周してきた。この道は夜叉が池や桝谷ダムにも行く道でよく通るのであるが。行ってみたら今日の夜から明日にかけて祭りであるとのこと。その準備で大きな幟(のぼり)が建てられていた。また本尊の地蔵菩薩は秘仏で今年も御開帳されないようだが脇の不動明王と毘沙門天の厨子は開かれていた。普段はこれも拝むことができないであろうから、何も調べずに行ったわりには幸運だったようだ。まだ真新しいような彩色豊かな二体の仏様だった。お堂の内部には大きな提灯が二つ。額に飾ってある地蔵賛歌のようなものを読むと明治と平成の代に御開帳されたよう。つまりは私の生きている時代にはもう御開帳はないかもしれないってことだ。脇に稲荷神社と薬師堂がある。お祭りではあるが、残念ながら薬師堂の扉は閉まったまま。この地区は過疎化が進行していて随所に廃屋が見られる。もう10年は住んでいないと思われる家は風雪の影響で屋根は傷んでいいて窓から内部を覗くと物置と化していて生活の匂いはない。危険となったので取り壊されたと思われる家屋の残骸もそのまま放置されている状態。この先、少子高齢化がさらに進むと日本各地でこのような風景が常態となると思うとやるせない。またこの寺の縁起を記した看板を読むと同じ木から3体の地蔵が造られ、その一体がこの地蔵様で他の一体は滋賀県の木之本地蔵尊のお地蔵様。もう一体は岐阜県のお寺で名前は忘れた。帰ってから木之本地蔵尊について調べたが、そのような縁起はなく、単なる言い伝え、伝承と思われる。

多賀大社  2011/07/18(月) 23:36:19
 平成23年7月18日(月)朝〜夕
本日は台風接近で涼しく雨が降ったり止んだり。汗だくにならずにその辺を散策する。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町。多賀大社に詣でる。万灯祭(8月3〜5日)の準備のためか電柱が建てられ電線が張られている。恒例により糸切り餅を買う。

多賀町立博物館
数年ぶりに訪れる。あけぼの象の化石を展示。いろんな博物館に訪れていると記憶がダブってしまい、あけぼの象の化石があったのはここかと思い出す。

金剛輪寺
滋賀県愛知郡愛荘町。湖東三山の一つ。入山料500円。参道には千体地蔵があり、上から順番に番号と奉献者の大体の住所と名前が彫られている。それぞれ赤色系の風車(かざぐるま)が供えられている。番号が書かれているのは奉献者が自分の立てた地蔵がどこにあるか直ぐにわかるようにしてあるためだと思う。番号を見るときっちり千体あり、他にも参道脇の平らな土地に同じような地蔵さんが整列している。こちらには番号はない。本堂は内側にも入ることができ重要文化財の仏像が数多く安置されている。本尊の聖観音や数点の仏像は秘仏として厨子の中にお隠れになっている。境内の一番奥には三重塔があり、内部は見ることができないが土足でないかぎり1階部分を歩くことができる。

佐和山遊園
ここは石田三成の居城を復元した建物があり、美術館も併設されているが幽霊屋敷同然で近年、まったく整備されていない。展示品も外から見るかぎり絵屏風がある程度。無人なので建物の中には入れないが無料で散策することはできる。経営を放棄したわけではないらしく、石田三成の住居などは工事中だ。調べたところ正式にオープンしたことはなく、ある個人が道楽でやっているとのこと。ミロのビーナス像など三成とは縁もゆかりもない彫刻の模造品も屋外に展示されていて、人は道楽が嵩じるとこうなるのかと思われる不思議な景観が広がる。

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