理想と現実、そして現在と過去 2012/04/22(日) 07:30:48 |
| 茂木健一郎『脳が変わる生き方』を二周目に突入して読んでいます。彼は多様性を称賛します。金子みすずの言葉が出てきます。「みんなちがって、みんないい」です。私は思いました。金子みすずという理想にどんどんぶつかって、そして現実を見る。また理想にぶつかり、現実を見るという繰り返しを続けていけばいい。E・H・カーは、『歴史とは何か』の中で、「歴史とは現在と過去との対話である」と言った。彼には進歩史観があるようなので、つまりは、現在と過去との対話を繰り返すことでよりよい未来が開けてくる、との思いがあるのだろうと推測しますが、この考えを拝借すれば、理想と現実との対話を繰り返すことで、よりよい、より理想に近づいた現実が訪れるのだろうと、今考えています。学んで思い、思って学ぶ。インプットし思考し、アウトプットし、またインプットするの繰り返し。私はスタートラインに立てていることを確信しています。私は四季の中で秋のもの悲しさが一番大好きですが、春の雰囲気も抜群にいいですね。気持ちをドライヴさせてくれます。 |
歴史哲学 2012/04/18(水) 00:29:24 |
| 『歴史を哲学する』を読み始めると、「歴史哲学」とは史学科ではなく哲学科でやるもののようだ、というニュアンスが伝わります。そして私は今、哲学科の学部生ほどの知識すらないことが判ります。 |
歴史哲学 2012/04/18(水) 00:14:12 |
| 野家啓一『歴史を哲学する』を今、読み始めました。自分の勉強不足を恥じ入る内容ですが、その分、歴史哲学におけるスタートをこの本によって始めることが出来るのだと、確信しました。 |
春ドラマ 2012/04/17(火) 20:23:19 |
| 今の所、「梅ちゃん先生」の堀北真希さんは良いです!今日の「リーガルハイ」は、めちゃくちゃ楽しみです。読者の皆様、「陽だまりの樹」は見ていますか?もし気に入られたら、原作の漫画を読んでみてください。最高にオススメです! |
既得権益とは何か? 2012/04/11(水) 08:09:40 |
| どうも、「既得権益」に対する理解が不十分でした。出直してきます。 |
全然ネタバレではありません。 2012/04/11(水) 04:14:38 |
| ちょっと書くことが途中で変わってしまったので、全然「陽だまりの樹」のネタバレではありません。 |
現象Aと現象B 2012/04/11(水) 04:00:10 |
| 現象Aと現象Bが相似の関係であるかどうかを判別するとき、現象Aと現象Bを帰納的に分析して、双方の規則性、法則性を見比べるのだろう。
AとBが相似な場合、Aの後に来る現象AダッシュとBの後に来る現象Bダッシュのそれぞれも相似でなければならない。
現象Aを現象Aたらしめるもの、それは、帰納的に導き出された規則性によるものであり、現象Aの後に来る現象Aダッシュは、その帰納的に導き出された規則性から演繹されるものである。つまり、現象Aダッシュは現象Aから予測可能であるはずだ。本来、現象Aと現象Bが相似の関係であると証明されたなら、現象Aダッシュと現象Bダッシュの相似関係を証明する必要はない。
しかし、現象Aから時間の経過とともに現象Aダッシュが表れるとき、現象Aの傾向から演繹されて予測されていた現象Aダッシュとは違うものが現れる可能性がある。つまり、現象Aから現象Aダッシュが予測不可能な場合がある。だから、現実的には、現象Aと現象Bが相似関係にあるからと言って、現象Aダッシュと現象Bダッシュも相似関係にあるとは言えない可能性がある。
その場合とは、現象Aと現象Aダッシュが不連続な場合に起こる。先ほどの例で言えば、幕府が起こり維新が起こる。幕府が起こり維新が起こる。この繰り返しは、「日本人とは、既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という規則性が現象Aと現象Aダッシュの境目で不連続な場合である。これを言い換えれば、現象Aを現象Aたらしめる「概念」が現象Aダッシュに持ち越されないことである。
ここでふと疑問に思う。「既得権益」の「既得」とはなにか?もっと言えば、「得」とは何か?すなわち、「価値」や「価値観」である。もし、現象Aと現象Aダッシュで「価値観」が転換していた場合、どうなるのだろうか?現象Aでは●●な既得権益にしがみついていた。しかし現象Aダッシュでは、●●な既得権益には価値がないという価値観に転換しているので、その既得権益にはしがみつくはずがない。しかし、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握が常に成り立つのであれば(連続)、●●な既得権益とは別の価値ある既得権益にしがみついているので、現象Aでは既得権益とみなされていた●●にしがみつかないからと言って、現象Aダッシュでは既得権益××にしがみついているのだろう。
現象Aでは「金(ゴールド)」に価値が置かれていたが、現象Aダッシュではゴールドは全く価値がなくなってしまっているが、「銀(シルバー)」に価値が転換していたとする。しかし、この程度の価値転換であるならば、単に、「金属から金属への価値転換が起こっただけだ」と把握されてしまいそうである。劇的な価値転換として、ゴールドから石ころへの変化はどうだろうか?これでもまだ、「液体や気体ではない個体間の価値転換にすぎない」という概念把握がされてしまいそうである。つまり、ゴールドから石ころへ価値転換が起こったとしても、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握に変化は起こらない。もっと言えば、いくら価値観が変わろうとも、価値の対象がゴールドから石ころに変わろうとも、人間が「価値観」という概念を持っている以上、何かに価値を見出してしまう性格である以上、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握は変わらない。
現象Aを現象Aたらしめる「概念」が現象Aダッシュに持ち越されない、不連続なケースとは、余程のことがない限り、起こりえない。
私の本来の主張はこうである。「現象Aと現象Bが相似であるからと言って、現象Aから現象Aダッシュへの移行を見て、現象Bの後には現象Bダッシュが来るはずである、としたり顔で言うのは間違いだ」ということである。しかし、ゴールドという既得権益を守る現象Aと、石ころという既得権益を守る現象Bは相似ではないかもしれない。しかし、「既得権益を守る」という概念把握が出来る以上、AとBは相似である、と言わざるを得ない。「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握という連続する鎖を断ち切ることは、容易ではない。いくら価値転換が起ころうとも、「価値観」という概念が成立する以上、「既得権益を守ろうと〜」は確実に連続する。
利害関係の外にある人間が、いざ利害関係の中に入り込んだとしても、利害関係の外にいた時と同じ価値観?感情?気持ち?を維持出来るのであれば、何も問題はない。「俺だけは特別な人間である」のならば、是非とも、負の連鎖をあなたが断ち切ればいいだけの話である。 |
手塚治虫原作「陽だまりの樹」ネタバレ注意! 2012/04/11(水) 03:02:10 |
| NHK・BSプレミアム「陽だまりの樹」を先ほど観終りました。おせき殿と山岡鉄太郎、手塚良仙の配役はかなりがっかりでしたが、伊武谷万二郎と手塚良庵の配役はぴったりに感じました。今後がかなり期待できます。おせき殿はがかりですが・・・。まあ、それだけ手塚治虫の描く女性がチャーミングなのでしょうか。 それはそうと、既得権益を守ろうとする勢力と、それを打破しようとする勢力との対立は、今も昔も変わらないのでしょう。幕府が起こり、維新が起こる。幕府が起こり、維新が起こる。日本人の利己的な精神が一定である以上、変わりようのない現象だと思います。既得権益にしがみつく勢力を打破した勢力が再び既得権益にしがみつく構図。利害関係の外にいる間は欲のない人間を演じているが、自分がいざ利害関係の中に入るや、中々どうして、立派に既得権益にしがみつく日本人。他人の既得権益にしがみつく姿は気に入らないが、自分の既得権益にしがみつく態度には一向に頓着しない。
歴史には一回性がある。つまり、同じ現象は二度と起こらない。しかし、「同じような現象」は何度も何度も再現される。人間には、概念把握という認識力がある。本当に同じ現象は二度と起こらないことは理解しているが、二つ以上の同じような現象とは、概念として把握された現象が繰り返していると認識している。「日本人とは、既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握をしていて、その概念に変化が起こらない以上、同じような現象は何度も繰り返されるし、今後も同様だろうと予測できる。 |
奥が深い・・・ 2012/04/02(月) 11:07:55 |
| 最近、世界の人口ランキングが気になっています。これは、まあ単純にマツダがどこの国で商売すればいいのかなぁ?という問題意識なのですが、世界の人口ランキングを気にすることと同時に、世界の一人当たり名目GDPを気にする必要があるみたいですね。
でまた、「世の中を良くしたい」と本気で願っている人、例えば竹中平蔵さんでしょうか(本当かどうか知りませんが)を思うに、彼は自由主義者であると思いますが、想像するに、「彼は社会主義では人間が怠けてしまうので、世界発展のための思想としては中途半端であり、自由主義的自由競争が必ず必要となるはずだ。その根拠は、ソビエト連邦をメインとする東欧共産圏が崩壊した現象から、共産主義国家=経済発展は望めない、という因果関係を前提条件として認めていると思う」のです。
竹中さんを持ち出しておいて私自身のことを語るのは恐縮だとも思いますが、少し失礼します。私は、マルクス≠マルクス主義者だと思っています。つまり、マルクスのマルクス主義は至高だけども、マルクス主義者はマルクス主義を全く体現できていない、と思っているのです。思想レベルでは世界最高峰なのに、実現レベルでは、崩壊した東欧諸国を引き合いに出して、自由主義には遥かに劣るのだろうことは理解できます。別の言い方をすれば、東欧諸国は崩壊したし、社会主義は経済発展レベルにおいて自由主義に劣るのだけども、だからといって、社会主義という思想が自由主義という思想にに劣るのだという考え方はデタラメである、というものです。もっと言えば、思想的には自由主義と同様に優れている社会主義を、上手く実現すれば、社会主義国家は十分に成功する政治経済体制だ、と思っています。
少なくとも日本における誤解は、「日本は社会主義思想を一切取り入れていない」というものです。勉強すれば感覚的にわかることなのですが、どう考えても日本は、自由主義+社会主義のハイブリッド型と私は思うのです。「日本とは、世界で唯一成功した社会主義国家だ」という皮肉は、実によくできた現状分析だと思っています。また、東欧圏を除く欧州圏と言いましょうか、ざっくり言えばば、ヨーロッパ国家では、社会民主主義がメインプレーヤーです。社会民主主義とは、私の認識では、社会主義と自由主義の中間に位置するものです。言ってみれば、私の現状認識では、ヨーロッパと日本の政治体制は似ているともう、というものです。詳しくは知りませんが。
多くの日本人が知らないのだろうと思いますが、現在の自由主義国家は、無視できない、結構な分量の、社会主義的思想を現実の政治経済体制に取り込んでいます。「保護貿易」なんて、どこからどう見ても、「計画経済」だと思います。あろうことか、アメリカだって保護貿易を採用しています。
自分たちの都合のいい部分だけを自由主義だとのたまい、自分たちの都合の悪い部分では社会主義を厚顔無恥に採用するその悪臭のする腐った根性にはびっくりします。
まあ、今の所言いたいことは、「経済学をいくら一生懸命勉強しようとも、ハイエク型の自由主義的国家を目指す小さな政府と、ケインズ型の社会民主主義的な大きな政府に分かれるのではないか?」という、駄文をこうせいする、まあ、「理論にも多分に性格やら価値観などの主観が色濃く紛れ込んでいる」というものです。 |
思いついた! 2012/04/02(月) 08:19:58 |
| ある外国人(私にとっては日本人でない人)がいたとする。その人に対して、「私はあなたに対して理解したいと思っている、あなたを大事で重要な外国人であると思っている」という気持ちをどうしても理解してもらいたい場合、どうすればいいのか?
私は思いついた。その外国人の母国語を習得した態度、結果を見てもらえばいいのだ。例えば、中国人のことを大事だと思っている気持ちを中国人に理解してもらいたいのであれば、中国語を日常会話レベルくらいは話せるようになっていなければならない。
外国語をマスターすることが必要十分条件であるわけではないけども、かなりの効果が期待出来るのではないかと思っている。何故ならば、人間、外国語を習得するためにはかなりの努力が必要であることを皆知っているからである。
正直に言えば、中国人と理解しあうことは容易ではないかもしれない。しかしながら、中国人と理解しあいたいと言っておきながら、中国語すら出来ないなんて、滑稽としか言いようがないのだ、と思いついたのである。 |
|