EVIS さんの日記

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12月10日 水曜日  2008/12/11(木) 00:03:40
  日計りはプラス、ガソリンの押し目買い。後場のGAPをとって利食い。
押したところで明日以降戻りが入ると思いゴムと金を持ち越し。
 戻り売りの戻りもまた相場、そこで大衆店から売りが重なってくれば思わぬ高値も出てくる。もうほとんどの方は戻り売りを狙っているはず。
 今までは、逆張りの値頃買いがありすぎてたいした戻りもないまま下げ続けたがそろそろ嫌気がさしているように思える。
 アジア市場は2〜5%ほど上昇、ユーロ市場もちょい上げスタート。
NYも上げ。。

12月9日 火曜日  2008/12/10(水) 00:00:26
  日計りはマイナス、押し目買いでいくもまだまだ戻り売りのようで。。。
アジア市場はまちまち、ユーロ市場はちょい上げ、北米は反落してスタート。金のリースレートは最近1.5%前後で安定しているが来週米国が利下げを実施すると・・・
 というか、疲れたので今日は早く寝よう。

オバマの経済チーム まとめ  2008/12/08(月) 22:10:40
  引用はすべてWikipedia

ポールグルーグマン教授はノーベル賞授賞式出席のためにストックホルムを訪問していますが、ビッグスリーに代表される米自動車産業は「消滅する可能性がある」と語ったそうです。
グルーグマンも30人委員会のメンバーです。
経済チームを率いるボルガ−はWikiにもあるようにレーガン政権時にレーガノミクスを主導し20世紀最高の議長と評価されてます。

ガイトナーは妖怪キッシンジャーの子分。

財務長官 ティモシー・F・ガイトナー(元NY連銀総裁)

生い立ちと私生活
1961年8月18日、ティモシー・フランツ・ガイトナーはニューヨーク州ニューヨークのブルックリン区において誕生した。父親はフォード財団主任研究員のピーター・フランツ・ガイトナー (Peter Franz Gaithner) であった。ガイトナーは父親の仕事の関係により、少年期を世界各地で過ごした。ガイトナーは東アフリカ、インド、タイ、中国、日本で暮らした経験を持つ。日本在住時代は駐日米大使館勤務。

ガイトナーはタイ王国のバンコク・インターナショナル・スクールを卒業し[1]、1983年にダートマス大学でアジア研究学の学士号を取得した。ガイトナーはジョンズ・ホプキンス大学高等国際関係論大学院に進学し、1985年に国際経済学の修士号を取得した。ガイトナーはアジア研究を専攻し、特に日本語と中国語に関する研究を行った。

ガイトナーは1985年に、ダートマス時代の学友キャロル・マリー・ソネンフェルド (Carole Marie Sonnenfeld) と結婚した[1]。ガイトナーはキャロルとの間に、子供を2人もうけた(長女エリス、長男ベンジャミン)[2]。


[編集] 職歴
1985年、ガイトナーはワシントンD.C.のコンサルタント会社キッシンジャー・アソシエイツに就職し、およそ3年を過ごした。1988年、ガイトナーは連邦財務省に入省し、国際担当財務次官特別補佐官となった。ガイトナーは1995年から国際通貨金融政策担当の財務副次官補、1996年から国際担当の財務上級副次官補を務め、1997年からは国際担当財務次官補を務めた[3]。

ガイトナーは1999年に国際担当財務次官に昇任した。ガイトナーはロバート・ルービン長官およびローレンス・サマーズ長官の下で、2001年まで国際担当財務次官を務めた。

財務省内においてガイトナーは、1997年のアジア通貨危機に際し、市場安定化のための方針策定に関与した。そして特に韓国に対しては、国際通貨基金による緊急的な救済措置がなされなければならないと指摘した[4]。また1998年には日本に対して、金融市場の安定化のためには、可及的速やかな不良債権処理が重要であるとも強調した[5]。

2001年にジョージ・W・ブッシュ政権が誕生するとガイトナーは財務省を離れ、外交問題評議会に国際経済担当の上級研究員として加わった。同年、ガイトナーは国際通貨基金へ移り、2003年まで政策企画審査局で局長を務めた[6]。2003年からは、ニューヨーク連邦準備銀行総裁の職に就いた。2009年1月発足のオバマ次期政権ではアメリカ合衆国財務長官に任命予定。

国家経済会議委員長 ローレンス・H・サマーズ(元財務長官)

ローレンス・ヘンリー・サマーズ(Lawrence Henry Summers, 1954年11月30日 - )はアメリカの経済学者、政治家。クリントン政権後半期に第71代アメリカ合衆国財務長官(在任、1999年 - 2001年)を務めた。2001年財務長官退任後は、ハーバード大学学長を務めていたが、女性蔑視発言により、退任した。

サマーズは、女性が科学で優秀な成績をあげられないのは素質の差だという発言をしたと受け止められ、大学の内外から激しい批判を浴びた。2006年2月21日サマーズは、2006年6月30日をもってハーバード大学学長を辞任する趣旨を発表した。後任には、前学長のデレク・ボク(Derek Bok)が暫定的に就くと発表された。ハーバード大学はボク暫定学長によって事態の収拾に務め、2007年6月からはドルー・ギルピン・ファウストが女性初の学長に就任し、現在にいたる。

一方でサマーズは、2008年春学期より教職に復帰し、ハーバード・カレッジおよびハーバード・ケネディ・スクールの学生を対象に、グローバリゼーションについての講座を受け持っている。

生い立ち
1954年11月30日コネチカット州ニューヘイブンに経済学者を両親(両親ともペンシルバニア大学教授)として生まれる。

ノーベル経済学賞受賞者のポール・サミュエルソンは父ロバート・サマーズの兄弟(サミュエルソンから、サマーズに改姓)、ケネス・アローは母方の兄弟に当たる。幼年期の多くをペンシルバニア州ペン・バリー(Penn Valley)で過ごす。 その後フィラデルフィア郊外のハリトン高等学校(Harriton High School)に学んだ。

1970年16歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)に入学する。当初は物理学を専攻するが、1975年に経済学部に移る。また、MITディベートチームの会員として活動した。MIT卒業後、ハーバード大学大学院に進み、マーチン・フェルドスタイン(Martin Feldstein)の下で学び、1982年博士号を取得する。かくして、MIT、ハーバード双方で教壇に立つ資格を得たサマーズは、1983年に、28歳の若さでハーバード大学史上最年少の教授となった。


[編集] 経済学者として
研究者としてのサマーズは、経済学の多くの分野でめざましい業績を上げた。その分野とは、財政学、労働経済学、金融経済学そして、マクロ経済学である。以上の分野と比較すれば貢献度は低いものの、国際経済学、経済における人口統計学、経済史、開発経済の分野についても論文を発表している。サマーズの研究手法は、経験的な経済データの分析を重視したものである。例としては、貯蓄が税控除後の利率を制御するか、などの命題がある。

サマーズの業績に対しては、1987年に、社会科学系の学者としては最初に、アメリカ国立科学財団からアラン・T・ウォーターマン賞を、1993年に、アメリカ経済学会からジョン・ベイツ・クラーク賞をそれぞれ授与された。サマーズは全米科学アカデミーの会員でもある。


[編集] 世銀、財務省、ハーバード大学学長
1991年に、ハーバード大学教授を辞し、世界銀行上級副総裁(世界銀行チーフエコノミスト)に就任する。1993年に、クリントン政権が成立するとアメリカ合衆国財務省に移り、財務次官。1995年に、財務副長官に。日本でも榊原英資との円高是正の協調介入で知られている。1999年7月に、ロバート・ルービンの辞任に伴い、後任の財務長官に就任する。財務長官として国内の経済・財政政策や日本などの対外経済関係、通貨危機などの国際経済を担当した。2001年に、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権成立に伴い、ハーバード大学に学長として復帰した。


[編集] 人物、言動、評価

[編集] サマーズ・メモ
1991年12月に、世界銀行チーフエコノミストの時期に、あくまで内部文書という意識で「グローバル経済展望」というタイトルでサマーズ・メモ(Summers memo)と呼ばれる長文のメモランダムを書いた。そのメモの大意を要約すると「世界銀行は、公害産業を開発途上国にもっと移転することを推奨すべきである。」というものである。

サマーズ・メモは大別して以下の3つの論点からなる。

環境汚染によるコストは、健康被害による死亡や傷害のおかげで受けとる機会を失う稼得額に依存するが、最貧国においては低コストで済む。
環境汚染によるコストは、環境汚染が増大することによって当然、上昇する。したがって汚染を既に汚染が進んでいる国からまだ汚染されていない国に移すことは、コストの低減を意味する。
所得水準が上昇すると、環境に対する意識が高まるので、汚染物質の処分にコストが一層かかる。故に環境汚染が経済先進地域から貧困地域へ移るならば、コストは低下する。
サマーズは経済学の論理からすれば、有毒廃棄物を最低賃金国に投棄(dump)することは反論の余地のない提案であって、われわれはこの真理に直面しなければならないとメモに記した。当然、このメモの内容は内外で大きな反響を招いた。サマーズ・メモに対する第一の批判は環境保護論の立場からでグリーンピースなどはサマーズの辞任を求めた他、ブラジルのホセ・ルッツェンベルガー環境相は「経済学者の横柄な無知」と批判した。第二の批判は、サマーズのみならず世界銀行のエコノミストが新自由主義に基づく経済政策を世界レベルで押しつけているのであって、サマーズ・メモをアメリカを頂点とする世界経済システムの一表象として、世銀副総裁であるサマーズに発言を続行させて新自由主義が持つ問題点をあぶり出すことを求める見解であった。

世界銀行とサマーズは、メモについては、あくまでもサマーズ個人の立場からの発言であり、世界銀行の立場を公式的に現したものではない。サマーズ・メモは皮肉な対位法の意味で示されたと弁明したが、いずれにしても、世銀及びサマーズにとっては著しい不名誉ではあった。


[編集] 財務長官時代
財務長官時代のエピソードとして、「サマーズに謙そんを求めるのは、マドンナに貞操を期待するようなもの」と評されたように傲岸さを批判されている。財務次官、副長官時代であるが、1994年のメキシコ通貨危機、1997年に、タイから始まった金融危機に際しては、国際通貨基金と密接な連携をとり事態を収拾したが、この際、アメリカ合衆国議会で事態収拾に向けて、答弁にたった際は、多くの議員から「議会に対する敬意が無い」と不評を買っている。

中国重視の姿勢をとったクリントン政権の中で、対外経済関係を担当したため、日本政府に対しては、減税や銀行への公的資金投入の必要性について、内政干渉に近い形で要求してきた。


[編集] ハーバード大学学長就任当初
自由貿易とグローバリゼーションを熱心に支持し、アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーによると自らの立場を中道左派と称している思想的傾向に加え、尊大な性格もあって、ハーバード大学学長に就任直後から、大学経営をめぐり特に人文科学、社会科学系の教授・学生などとの対立に直面した。

2001年秋、サマーズとハーバード大学芸術科学部アフリカン・アメリカン講座のコーネル・ウェストen:Cornel West教授の対立が顕在化した。サマーズは私的な会合の中でウェストに対して批判した。その結果、ウェストは激怒し、「私は自由で自尊心を持つ黒人だ。あのような態度は我慢ならない」との言葉を残してハーバード大学を辞め、プリンストン大学へ移った。ウェストが2004年に著した「民主主義の本質」(Democracy Matters)では、サマーズを「無節操なパワープレーヤー」と呼んで批判している。


[編集] 男女間の能力に関する発言
2005年1月サマーズは、経済研究所の会合で「理数系の分野で活躍する女性が少ないのは、男女に生まれつきの違いがあるからだろう」などとと発言した。この会合の直後に発言が報道されたことによって、ハーバード学内はもちろん全米で大きな論争を巻き起こした。サマーズは、猛反発を受けて発言を陳謝した。

マスメディアのセンセーショナルな報道などから、「男の方が女よりも生まれつき頭がよい」と発言したかのように思われている場合があるが、サマーズの発言の大意は、次のようなものである。「(実際の研究結果によれば、)中学生の科学および数学の成績は、平均点では男女に差はないが、成績の上位5%では男の占める割合が高く、男女の比は2:1に達している場合もある。そして、成績が正規分布しているとすると、男の方が標準偏差が20%ほど大きいと計算できる。トップクラスの科学者が、平均よりも標準偏差の4倍程度優れた人々だと考えると、その集団の男女比は5:1程度になる。」この計算は、方法論としてはおかしくないが、他に考慮すべきことが多くあり、結論は確定的ではない。ただし、その点はサマーズ自身が承知しており、この発言の前置きとして、「大雑把で乱暴な計算の結果であり、間違っているだろうが」と断っている[1]。


[編集] 学長不信任案の可決
2005年1月の女性差別発言を受け、J・ローランド・マトリー教授によりサマーズ学長に対する不信任議案が提出された。2005年3月15日ハーバード大学人文学部(Harvard Faculty of Arts and Sciences、FAS)教授会、ハーバード人文学大学院(Harvard Graduate School of Arts and Sciences、GSAS)、ハーバード・カレッジ(Harvard College)は、サマーズ学長に対する不信任決議を賛成218、反対185、棄権18で可決した。より穏やかな形でサマーズを批判する投票についても実施され、賛成253、反対137、棄権18でこれも可決した。 約370年の歴史を持つハーバード大学で、教授会が学長の不信任案を可決したのは、初めてであった。また、政治的に対立していた学長を、してもいない差別発言にかこつけて不信任決議するという、ハーバード大学にとっても不名誉な結末になった。

経済回復諮問会議議長 ポール・ボルガ−(元FRB議長)


来歴
1927年、ニュージャージー州に生まれる。地元の高校を卒業後、プリンストン大学政治経済学部、大学院で政治経済学修士号を取得。ハーバード大学、ロンドン大学スクール・オブ・エコノミクスフェロー。

1952年、ニューヨーク連邦準備銀行入行。1957年、チェース・マンハッタン銀行に出向、同行副社長(1965年 - 1968年)をつとめる。1969年、財務省通貨担当事務次官、1975年、ニューヨーク連銀総裁。1979年8月より連邦準備制度理事会議長に就任。ボルカー・ショックと呼ばれる金融引き締め政策を断行した。

1987年8月、後任のアラン・グリーンスパンにFRB議長職を継承。

退任後も財務省ポスト、大企業の社外取締役などを歴任し、精力的に活動を続ける。2004年には、国連「石油・食糧交換プログラム」におけるイラクの不正需給を調査する独立調査委員会委員長に就任している。新生銀行のシニア・アドバイザーでもある。

2008年11月、オバマ次期政権における大統領経済回復諮問委員会委員長に就任することが決定した。


[編集] ボルカー・ショック
カーター政権の経済政策の失敗は、イラン革命に端を発した第二次オイルショックによって極まっていた。79年からFRB議長職にあったボルカーは、深刻な財政赤字とインフレ、高失業率にあえぎ、スタグフレーションにあった米国経済の局面打開を図るべく、レーガン政権下においてレーガノミックスを主導する。

ケインズ嫌いで知られていたボルカーは、カーター政権までの経済政策を批判し、インフレ抑制を最優先課題とした貨幣供給量を引き締める高金利政策を実施した。今日のいわゆるマネーサプライ政策は、それまで5%台だった短期金利を20%まで跳ね上げ、米国民の銀行預金は一気に高利回りの投資信託などへとなだれ込むこととなった。金融界にもたらされた高金利のショックは、中小金融機関の多くを倒産に追い込んだが、高いインフレ率は見事に収まりを見せ、結果的に米国経済の景気拡大を継続させる基盤を整えた。

このことにより、ボルカーは「20世紀最高のFRB議長」とも評価されている。

12月8日 月曜日  2008/12/08(月) 18:03:48
  日計りはプラス、原油戻り売りのゴム押し目買い(但し逃げるのが早かったため大した利益はでていない。)
 まさかこんなに戻すとは・・・。
日経平均は急反発(終値8329.05円)、アジア市場も概ね反発、特に香港、韓国が8%超の反発と強い。ユーロ市場も急反発してスタート。NYも高いだろう。
 原油夜間の上昇はOPEC議長の発言を受けてのものらしいがどうなんでしょう17日の総会では250〜300万Bの大幅減産もある?

(無題)  2008/12/06(土) 11:16:37
 振り返ると今週は全ての通貨に対して円は平均4〜6%ほど高かった。
金に関して、12月13日が重要変化日となっているので前後2,3日考えその時に10月の安値を抜いてこなかったら来年に期待が持てると思うが、下抜いた場合もう少しもたつくのかなあと漠然と妄想。
 日本は為替もあるのでNYさえ下抜けなければ良しとしよう。

12月5日 金曜日  2008/12/05(金) 23:49:22
  日計りはプラス、金の売り、ゴムの押し目買い。
アジア市場はまちまち、中国、韓国、台湾は続伸、AUD、NZは弱い。
ユーロ市場は急落、欧米はマイナススタート。
為替は円高にぶれている。月曜日にストップ安に近ければ現物をまた少し購入予定。

<世界各国の7〜9月期前年同期比の金地金、金貨の需要>

インド +35.8%
日本  +27%
中国  +270%
中東  +23.2%
米国  +680%
欧州  +2220%

誰もかれもがアメリカ国民でさえも自国の通貨を信用していない。
欧州の伸び率をみているといつか仕掛けてくるんじゃと思う。
楽しみ楽しみ。。。

続き  2008/12/04(木) 22:42:17
  貴金属だけは急落したときに現物を買い増していきたい。
むしろ下がってくれたほうがありがたいくらい。

12月4日 木曜日  2008/12/04(木) 22:40:09
  日計りはわずかにプラス、結局利益になったのは引け前のゴムのみ。
アジア市場はまちまち、中国とインドは反発、特にインドは5%ほど。
 日経平均はわりと踏ん張ったが、国際優良株が軒並み年初来安値を更新していてほんまに大丈夫なんかいなと思う。

 トヨタ 2700円
 ソニー 1724円
 パナソニック 1032円

 シャープ 年初来高値2150円から72%下落の587円。。

ユーロ市場はまちまちだが、利下げは市場は織り込んだよう。
このままNYの市場がオープンすれば今日は反発の可能性が高い。
 ゴムにしてもオイルにしてもやりすぎの感はあるが、ついた値段が相場なので仕方がない。日中さんざんやられて回復させるのに手間取った。
 明日は押し目買いの予感。もちろん日計りのみで値ごろでポジションはもたない。
 次の日柄は13日の新月くらい?

12月3日 水曜日  2008/12/03(水) 23:38:29
  日計りはプラス、ゴムと白金の押し目買い少々。
アジア市場はまちまち、日経平均は公的資金の買い上げが続く。中国が4%ほど反発、ユーロ市場は反落してスタートしている。
 様々な情報を掛け合わせてみるとひょっとしたら北米の新通貨アメロは来年早々あるかもしれないような気がしてきた。
 なかったとしてもドルの暴落は避けられないだろう。そこんとこだけは常に頭の片隅に入れておいて日々取り組んでいきたい。
 いずれにしても日本の外貨準備が半減することは避けられないだろう。
永田町には希望の星はいない。
 取りあえずオバマ大統領就任直後に注目。

12月2日 火曜日  2008/12/02(火) 15:01:21
  日経平均は440円安付近で推移、NYの暴落を受けアジア市場は反落。
ユーロも弱いでしょう。
 商品も全面安、オイルを買いで見ていくと昨日考えたが暫く放棄。
金の現物は数gだけ買い増し。
 まだまだでしょうかね。こうなってくると大衆委託店が総売りにならないと決着はつかないんでしょうか?まあ、買いたい気持ちも高値買いの損切りができない気持ちも痛いほどよく分かります。
 僕もそうですから。
 ポジションは貴金属だけに集中してこれから取り組んでいこうと思います。日計りはルールに従って。

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