さらに逆説 2011/12/30(金) 08:41:45 |
| 自分のことを大事にしようと思うことは、同時に他人のことを大事に思うということだろう。自分のことを愛せない人間に、他人のことを愛せるわけがない、というのと同じだろうか。 |
ちょっとおかしかった 2011/12/30(金) 08:39:05 |
| 真に物理学の発展を願ったであろう湯川博士に思いをはせて、自分のことを考えているだけではダメだ、と書いておいて、主観主義を大事にしよう、というのは、なんか変でしたね。 |
湯川秀樹のウィキによると 2011/12/30(金) 07:36:30 |
| どうやら、阪大時代、上司から朝永振一郎氏との競争を煽られていたようです。湯川博士は、その時、どんなことを思ったのでしょうか? |
つまり 2011/12/30(金) 07:20:18 |
| 「無知の知」つまり、無知が転じて知となる、という発想は、真理かもしれない。私は、主観主義を信じて、突き進む。競争をしないことが競争に勝つことだという逆説は、相対化や比較や客観からは生まれない、絶対的な、主観的なものだと思っている。 |
オープンソサエティー? 2011/12/30(金) 07:01:53 |
| NHKの番組で、湯川秀樹は学内に、共同会館のようなものを作ったらしい。それは恐らくは、真に物理学の発展を願ったのだろうと思う。自分のことを考えているだけではダメだということだろう。 |
逆説 2011/12/30(金) 06:56:15 |
| つまり、競争に真に強い人は、競争しようとはしていないのかもしれない。 |
勝利という価値観 2011/12/30(金) 06:51:54 |
| 勝利するという価値観を人間が知ってしまった以上、人間が競争から逃げ去ることは出来ないのだけども、しかし、超一流の人間は、競争の弊害から脱出していることに注目しないといけないと思う。つまり、大部分の人間は、競争の弊害にどっぷりと漬かっていると私は思っている。そんなことを思っていると、競争は悪だ、平等がいいんだ、なんて転じてしまう。イチローや松井秀樹は、運動の苦手な人間を馬鹿にしたりするのだろうか?同様に湯川秀樹は勉強の苦手な人に馬鹿だとか頭が悪いだとか、言ったことがあるのだろうか?真に競争に強い人は、一般ピープルとは明らかに違う。真に競争に強い人は、「競争」ということに対して、一般人とは違う捉え方をしているに違いない。もしかしたら、勝利という価値観を持っていないか、もしくは隠し通すのがよほど上手いか、どちらかではないだろうか。もし、人に勝利するということに価値を見出していないとしたら、もうお手上げです。そんな価値観を私が持っている以上、私は超一流には一生、なれない。しかし、理想と言う看板は掲げていたい訳です。競争の弊害から脱出したい。競争の本質が相対化だとか比較だとかと言うのであれば、一生涯、その弊害から逃れることは出来そうにない。やはり、競争の本質とは、主観主義ではないかと思っている。 |
構造とは何か? 2011/12/29(木) 08:39:27 |
| ビルディングなどの建築物のような構造には、当然実体がある。あえて言うなら、物質的である。 しかし、「社会」のような概念という構造には、実体がない。精神的な存在である。絶対的な存在ではない。絶対神から見た存在ではない。観察者の主観(主体)による認識がすべてである。認識される、されないで、存在する、存在しないが決まってしまう。 しかし、人間には客観性がある。主体による認識がされていなくても、客観性のあると思える認識を、主観として認識することが出来る。厳密主義的には、人間には主観しか存在しないと言うべきかもしれないが、一応、主観と客観にも重複する部分がある。 主観と客観の関係を言いたいのだが、うまく言えない。 |
つまり 2011/12/29(木) 07:57:54 |
| 論理と倫理は、不完全領域という主観が介在する領域で重複している。 |
論理と倫理 2011/12/29(木) 07:55:37 |
| 論理は、絶対論理と不完全論理に区別される。倫理は絶対論理で表現できないが、倫理は不完全論理を使って表現することはできる。不完全論理と倫理は置換可能である。 |
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