文学 2011/09/24(土) 11:22:20 |
| 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の登場人物で、売れない物書き、あだ名が「文学」という青年がいます。吉岡秀隆さんが演じているのですが、堤真一さん演じる、鈴木オート社長が特に「文学」をイジリます。ていうか、記憶では彼しか「文学」って呼ばないのでは?と思うくらいです。 「インテリ(ブルジョア)とプロレタリアの対比」を連想させる訳ですが、プロレタリア革命にルサンチマンが読み解ける場合、つまり、プロレタリアはインテリに対する「嫉妬、羨望」を持っていた、ということです。劇中ではもちろん、嫉妬とか羨望のような、ネガティブイメージは表現されていませんが、しかし、味付けとして、「一目置く」という演出がされているような気がします。鈴木オート社長は、「文学」をことあるごとに馬鹿にするのですが、しかし内実は、尊敬とか友情とか上手く表現できないのですが、所帯をもてない商売(売れない物書き)を辞めろとは言わないあたたかさを持っているような気がします。世渡り的には、もう実業に就いて所帯を持てとアドバイスをするのが筋なのかもしれませんが、そうはならない。物を書いて将来売れるんだという希望に水は差さない。 物凄く、とりとめもなくなりましたが、私に言わせれば、この「文学」、連載先ももっているし、ファンも付いている。ハッキリ言って、プロとして成立しています。私とすれば、ここまでの地位さえ得られるのであれば、とりあえずはもう十分かなと思います。 |
『冷静と情熱のあいだ』 2011/09/23(金) 07:00:01 |
| 郵便職員時代の同期2人と今日3人で会うのですが、内一人は本をまったく読まない人間なのですが、職場の研修で『もしドラ』を薦められて読んでからというもの、なんか本というものに興味が少しですが出てきたようなんですね。で、今日、前々からの約束の「朝活」の本を見てみたいのと、他に何か面白いオススメ本があったら持って来て欲しいとのことなので、私の本棚を物色していました。昔から集めていた本のほとんどが倉庫に行っていて、今の本棚として使っているカラーボックスにあるものは必然とも偶然ともつかない状態で生き残っている本です。最初は『塩狩峠』がなかったかなぁ、と思って探したのですがなくて、少し視線をずらすと、『冷静と情熱のあいだ』が生き残っていましてね、これは面白いかもしれない、と思って今手に取っている所です。彼の言う「本」ていうのがイマイチ把握できておらず、今の所わかっているのは、「自己啓発」ではなく「ストーリー」を読みたい、ようなのです。ただ、小説が読みたいわけではない、と訳のわからないことを言っていた記憶があるのですが、ちょっと反応を見てみたいのでぶつけてみることにします。 |
社長 2011/09/22(木) 06:50:05 |
| 先月、関西の友人宅に遊びに行って、高取城址の近くで何かのきっかけで「社長」に関して私が言いました。 「社長とは、それまでの過程ですべての部門を経験することは物理的に不可能だと思う。それでも、社長として、すべての部門を統括しないといけない。つまり、経験していない部門にも言及しないといけない運命にある。」
これは理解してもらえました。「経験していないことに関しても言及しなければならない立場の人が存在する」ということを言いたかったのです。 |
学問万能主義 2011/09/22(木) 06:34:21 |
| 下の大事な言葉は、学問万能主義に対する警告なのかもしれませんが、今の私は、学問に対して突きすすむこと、基礎を身に付けることが大事なので、頭の片隅に留めておくだけにします。 |
大事な言葉 2011/09/22(木) 06:20:19 |
| 先ほど机の引き出しを整理していたら、恐らくは17年くらい前に西洋紙(わら半紙)に鉛筆で清書した、誰だかは思い出せないけども、ある学者の言葉が出てきました。
「また、従来の自分というものを深く反省(かえり)みてみると、学問に没しすぎてきたため、学問的にばかり物を解得しようとし、どんな教養も、自分の学問の小智に得心がゆかなければうけ取ることができない固執をもっていた。理論に偏しすぎて、実は、理論を遊戯していることになったり、真理を目がけて突きすすんでいると思っていたのが、実は、真理の外を駆けているのであったりしてきたように思われていたのであった。」
絶対に自分にとって必要な言葉になる自信があったので、清書して残していたのだと思います。成功してなお、その境地であるのならば、学問とは一生、充足できない、歯ごたえのあるものなのだと思います。 |
いけな、いけない 2011/09/21(水) 22:48:10 |
| ちょっと気になって、アマゾンの『神様のカルテ』に対するレビューを見てみたのですが、「自分の倫理観の低さを正当化しようとする根性」が垣間見れたりして、もっと素直に実直に生きるべきだと思いました。右に振れたり左に振れたりしながら中庸を目指すべきなのでしょう、「アルベキ論」が成立するケースだと思いました。 |
三浦綾子さん 2011/09/21(水) 22:21:38 |
| 三浦綾子さんの本のどれかでも、確かに「やまない雨はない。明けない夜はない。」という文言はあったと思います。でも、彼女の病歴から言って、「この人が言うのだったら」という説得力があります。「明けない夜はない」という理性的文言に説得力があるのではなく、つまり、論理に説得力があるのではなく、経験が説得力を生んでいるのです。 ここで問題があります。経験した人間にしか理解できないのか?ということであり、倫理を開発した人間にしか倫理的文言を実践できないのか?ということです。この前書いた、「倫理は伝承できない」は正しく、倫理とはフローであり、始まっては終わり、始まっては終わり、永遠に間違いを繰り返すのだろうことです。倫理を開発できる素地のある人間にしか倫理的文言は実践できないのなら、人類に未来はないでしょう。 この前の、岩井克人『お金では買えぬもの』で、「追体験」も経験としてカウントするというような意見があって、追体験とはまさに教育のことだろうと思います。フローである倫理をストックさせる役割を教育は担っていると思います。「教育」とは教え育てると書くのかぁ。大事ですね。でも子供にはわからない。大人でさえわからない。ビスマルクの言う、「賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う」であり、言い換えれば、「賢者は追体験という疑似体験に学び、愚者は体験して初めて、痛い目を見て初めて理解する」ということなのでしょう。 |
理性と感情 2011/09/21(水) 20:44:44 |
| 3・11の東日本大震災後、朝ズバ!の中の被災者応援コメントで、「やまない雨はないのです」とわけしり顔のコメントを書いて投書していた馬鹿がいたが、感情で対応している被災者に対して、「やまない雨はない」という理性で介入しようとしてくるアホは死ね。 |
やまない雨はない 2011/09/21(水) 20:16:34 |
| 『神様のカルテ』を半分以上読んだところなのですが、文中に、「やまない雨はない」だとか、「明けない夜はない」だとか出てくるんですね。これほど、絶望の淵にいる人間に対してトドメを刺す言葉はありません。人間は、一秒の出来事を十秒に引き伸ばし、一日の記憶を一生のことのように感じる能力があります。やまない雨はあるし、明けない夜もあるわけです。他人事、部外者、恐ろしい話です。人間は、自身の経験を拡大縮小して他人に当てはめる才能があります。これが思いやりですが、仇になるケースが存在することも知っておいて欲しいものです。自身の経験と、他人の経験の相似関係だと思われる出来事が、実は不連続で、想像不可能であることも存在するのだということを。 |
主観と客観 2011/09/21(水) 18:48:35 |
| 主観と客観は不可分の関係にある、と思うのであれば、それはもう客観に侵食されている証左ではないだろうかと、今気づきました。人間は本来、客観性を身に付けています。その人間の主観には、ある程度の客観性があってしかるべきです。だからこそ、私は、主観と客観は不可分の関係にあると気付けているのです。真の主観とは何か?と思い、電子辞書で広辞苑を調べると、どうやら、「subjectの西周(にしあまね)による訳語」とあります。これだけでもう十分です。得体の知れない言葉であるという事がわかります。「技術革新」という意味のわからない言葉が、「イノベーション」の訳語であるということと同じです。
哲学は、たまにつまみ食いするだけなら美味しいのですが、これにどっぷり浸かっていると気がふれやしないかと心配です。でも、つまみ食いでも体は肥るんですね。ほどほどが一番かもしれません。 |
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