晩年ニートの成り上がり さんの日記

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欺瞞  2011/09/02(金) 03:47:50
 よく街角で、「あっ、あいつキモイw」とか言うヤツって沢山居ますよね?でも、世間では、「人間って、自分が思っているほど他人に興味ないよね」って言いますよね?絶対にウソです。どう考えても間違っている。どんだけ二枚舌なんだよって思う。

再訂正  2011/09/02(金) 03:44:33
 「引きこもり」→「ニート」→全部撤回
「木を見て森を見ず、森を見て木を見ず」
中々、難しいものがありますね。「引きこもり」をクローズアップする人たち、例えば精神科の医師達は、恐らくは彼らに肯定的です。しかし、社会的な目から言えば、明らかに否定的です。
ちょっと調べたのですが、「引きこもり」と「ニート」っていう定義の違いって、ほとんどないようですね。
なんか、色々考えていると、泣けてきました。

訂正  2011/08/31(水) 05:30:11
 ×「否定的アイデンティティーをもう一度簡単に説明しておくと、非行とか引きこもりとか、世間的には認められない価値観を選択することです」
○「否定的アイデンティティー〜、非行とかニートとか、〜」

に訂正します。「引きこもり」→「ニート」です。

歴史とは何か?  2011/08/31(水) 02:25:10
 E・H・カーによれば、
「歴史とは解釈のことです」

相似現象  2011/08/31(水) 02:19:49
 人間の「認識」は、実に絶妙です。よく出来ています。「歴史は繰り返す」という表現が成立するくらいです。厳密主義的に言えば、歴史の一回性(同じ現象は二度と起こらない)を重視する以上、「歴史は繰り返さない」という文言が成立するはずです。その方が流行しているはずなのに、そうではない。その理由に、「歴史A」と「歴史B」の二つに、一つの媒介する「本質」を見出し、AとBは相似な関係である、とあいまいに、輪郭をぼやして認識しているからです。AとBには一本の、「本質」という鋼鉄の棒が通っていると言われるのです。「本質」とは単一的なものである、というなれば、それでいいでしょう。「AとBは相似である、よって歴史は繰り返す」のでしょう。しかし、私は、本質でさえ複数あるという立場からすると、そうはなりません。

相場A  2011/08/31(水) 00:34:15
 来月の支払いを考えたりしていたら、ポジションをさらに減らさないといけないと思いました。「相場をマジメにする」ほどの金額でもありませんし、借金を減らすのはいいことだ、とも思いますので、マツダ株一枚、豪ドル買い一枚、で借金完済まで傍観しようと思います。「下がって保守的になる」のを眺めるに悔しいものがありますが、とにかく今後の支払い、財政事情を考えると、もうこれしかないかと、決断しないといけません。余程、意志が鈍らない限り、実行します。

相場  2011/08/30(火) 18:44:33
 カブドットコム証券のシステム?ルール?と調べていくと、店頭FXの証拠金として代用有価証券が使えるのはわかりましたが、必要保証金(豪ドルなら一枚34000円)の30%は現金が必要なことがわかりました。で、つまり、今のクラレ300株だけではFXが出来ません。現金が500円くらいしかありませんから^^;で、今考えているのですが、クラレ300株→日東電工100株に乗り換えて、2万円ちょっとの現金を作れば豪ドルが2枚買えるのではないか、と計算してみました。私の調査不足もありますが、クラレの業績が調子よくて日東電工の業績が悪いわけがない、という気持ちが強いので、クラレ→日東電工もいいかなと思い始めました。注意点として、クラレを少し調べると、輸出分の内、6割は円建て取引をしているというお話で、円高対応は現状、出来ているということです。つまり、日東電工は円建て取引が少なく、円高の影響を受けている、ということでしょうか?日東電工もニッチトップなところがあるとはいえ、例えばクラレの液晶フィルム関係のように、世界シェア8割ほどの驚異的なシェアとは言えません。そこらへんが、取引先と円建て取引に持ち込めるかどうかを左右しているのかもしれません。実は、もう一つ、クラレ→日東電工を考えさせるのが、上昇余地です。高く飛ぶ前は、低くしゃがまなければならない、というアレです。クラレは日経225と比べて本当に優秀な株価推移なのですが、とてもマイルドな感じで、つまり下落率がたいしたことないのですね。一方、日東電工はトコトンまで売り込まれました。その分、上昇が見込めるのでは?という算段です。

出発点  2011/08/28(日) 21:39:24
 E・H・カーの『歴史とは何か』の中で、「歴史とは解釈のことです」という記述に衝撃を受ける

「解釈」が重要なものだと思った。

解釈とは、「主観」のことだと思った。

主観も同様に重要なものだと思った。

このままだと、主観のごり押しで、独善的になると思った。

客観性の優越を認めざるを得ないと気が付いた。

なんとか主観の重要性を主張できないものか?

非現実的、理想主義的  2011/08/28(日) 21:22:36
 具体性がない。具体的説明がない。いわゆる説得力がない。
「魂を込めるとは何か」
私はどうやら、アイデンティティーの確立を勉強したいらしいのです。「アイデンティティーの確立」を別の表現で言えば、「自分らしさを世間の中で成立させる、認めさせる」ということだから、主観を客観性の優越の上で打ち立てることです。

「魂を込める」=「自分らしさに説得力を持たせる」
「説得力」=「個別的具体例から帰納して法則性を導き出す。そして、逆演繹で個別的具体例を予測する」

とりあえず、「説得力」という言葉を解読する必要があります。

主観主義の前がき  2011/08/28(日) 21:06:49
 どうも、主観主義=否定的アイデンティティーの選択、と捉えられそうなのですが、私の言いたい主観主義とは、あくまで客観性の優越の上での主観性を重視したい訳ですから、自身の主観性には客観的説明が可能であることを明言しないといけません。

つまり、『主観主義』の前がきで、堂々と、客観性の優越(主観性に対する)を宣言しておかないと誤解が生じる可能性がある、つまり、私が言いたいはずの主観主義=アイデンティティーの確立という認識の正反対の解釈が行われそうで、主観主義=否定的アイデンティティーの選択と解釈されそうで恐ろしいのですね。否定的アイデンティティーをもう一度、簡単に説明しておくと、非行とか、引きこもりとかを表し、世間的には、客観的には、常識的には認められない価値観を選択すること、です。

悔しいかな、客観性の優越は認めつつも、わずなか主観性に魂を込めるのです。
「主観一割、客観九割。その一割に魂を込める」

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