庭 2011/05/14(土) 23:51:12 |
| 花壇を作って花やハーブや果物を植え、庭の端の方には木や野菜を植えた。土作りとか、めちゃくちゃ適当にやってしまった。石灰も入れ忘れたけど後から撒いておけばいいかな。本当は土を配合して一週間くらいは寝かせておくらしいのだが、面倒なのでそれもやらず。まぁ、全滅は無いだろうし、上手く行かなかったものについては研究して再チャレンジすることにしよう。 小さくても庭があるのはやっぱり良い。小さい庭でも草取りと枯れ草拾いに半日×2日かかった。草や枯れ草は普段なら肥料としてそのまま土に埋め込んでしまうところだが、放射性物質が気になるので全部処分することに。ガイガーカウンターが手に入るようになったら、庭中きっちり測定しなくては。
金は買ったまま。ゴムと油は、指値していたけど結局入らず。なんだか休止状態。 |
浜岡原発2 2011/05/10(火) 14:39:31 |
| 一匹羊さんの言われるような、大人の事情による阿吽の呼吸で浜岡原発の停止が決まったというのは現実としてはそうで、解決法としてはわからなくもないんだけど、個人的にはやはり違和感は否めないなぁ。 地震国の日本でもプレート境界の上にあるのは浜岡原発くらいで、しかも地盤がそれほど堅くないとか、活断層が近くを何本も通っているということが後からわかってきて、国内外から浜岡を特に危険とする意見が多かったわけで、地震による揺れを理由に浜岡だけを止めて他の原発や水力ダムを止めないのがそれほど非合理的とは思わないけどね。アメリカから特に浜岡原発だけを止めるように要請があったという話もあるし。 今回の福島原発は津波は大きかったが地震による揺れ自体は大したことが無かったわけで、津波を理由にするなら、逆にそれこそ浜岡原発を特別視する理由が無くなり、日本中の原発について1000年に一回レベルの津波対策をしなくてはならないことになる。 要するに、ごく単純な論理すら破綻しているにも関わらず、それで国民が納得するだろうと考えている政府も舐めすぎだし、理屈が合ってないにも関わらず浜岡が止まったことで満足するような人(そんな人がもしいればだが)も馬鹿である。政府としては、理屈は明らかに間違っているけど、これでみんなそれなりに満足するんだから、大人の事情を汲んで細かいことは気にするな、という姿勢なのかもしれない。 しかしそれにしても物には限度というものがあるんじゃないかと思う。「AならばBである」と「BでなければAではない」が同値である、というのと同レベルのごく単純な論理すら破綻している方策がまかり通るようでは技術立国日本の将来が心配になる。というか、そんな国は嫌だな。理系人間は全滅してしまったのかねぇ。
原発については個人的には廃止論者だが(福島の事故の以前から日記にも何度か書いている)、基本的には日本は民主主義国家だから民意で決めればいいと思う。今回の地震の前までは、強力なプロパガンダによって原子力は安全で事故は絶対に起きないとされていたが、現時点では、人間の作ったものだから想定外の事態が起きれば事故は起きるという当たり前のことがようやく前提になった。その他、事故の程度によっては広大な土地が失われる可能性があるし、電力会社にはトラブルを隠蔽する方向にインセンティブが働く、等の情報を前提として、それでもメリットの方が大きいと民意が判断すれば原発を推進すればいいだろう。まぁ、その可能性は低いと見ているが。 チェルノブイリでは政治体制の問題もあり健康被害の詳しいデータが得られなかったが、福島原発の事故では今後10年くらいでかなり詳細なデータが取れると思うので、それも原発を推進するかどうかの判断材料になるだろう。なんせ、未だに広島長崎のデータしかまともなデータが無いので。 |
浜岡原発 2011/05/10(火) 01:28:35 |
| 浜岡原発が危険なのは、地盤が軟弱で直下型地震が起きると想定以上の揺れが発生する可能性が高いからであって、津波に弱いからではない。それなのに、防波壁が出来るまで停止するというのはポイントがずれている。止めるなら廃炉にすべきであって、防波壁が完成してから再開しても危険性は大して変わらない。 揺れを理由に廃炉を命じると反発が大きいから、津波対策を理由にしてひとまず数年間止めさせようという作戦なのかもしれないが、筋が通らなさ過ぎる。浜岡原発の停止自体は賛成だが、そこへの持って行き方がおかしい。いつからこの国は、目的を達成するためなら理由は何でも良いことになったのか。こんなのが通るなら、政府は何だって理由をつけて強行できてしまう。恐ろし過ぎるな。 |
買い 2011/05/06(金) 17:45:39 |
| 金、10枚まで買い直した。 基本的に全て買いで見ているので、石油やゴムもこれ以上下がれば長期目的で少し買いたいところ。 |
価値の基準 2011/05/04(水) 11:44:33 |
| 宝くじの話は色々と考えてみるとなかなか面白い。 合理的か非合理的かを考えたとき、相場を張る人は、これはもう職業病みたいなもので、自然と金銭的価値を基準に考えてしまう。金銭的価値を基準に考えると、金銭の出入りが無い場合はゼロサムだから、宝くじを売る方が利益を得ていれば、必然的に、買う方は損をしているという結論になる。 しかし、(抽象的だが)幸福度なるものを基準にした場合は、金銭的な出入りが無くても幸福度がゼロサムになるとは限らない。例えば、全財産が1000万円の二人の一般的な給与所得者について、強制的に、一方の財産を2000万円にしてもう一方を無一文にすると、強制した後の方が前よりもトータルの幸福度は少なくなると考えられる。 合理的というのは、理屈に合っているという意味で、理屈の基準の種類は問わないから、金銭的基準から見て非合理的なものが幸福度的基準から見て合理的になることも、またその逆も有り得る。 ただ、幸福度を基準にした場合に難しいのは、個人差が大きいことと、状況に依存する面が大きいことである。例えば、一般的な給与所得者から全財産が2000万円の人と無一文の人を選び、強制的に一人1000万円に平均化した場合、上の例の逆なのでトータルの幸福度が増大するかといえば、一概にはそうは言えない。 幸福度を基準にすると、そういう複雑なことが色々と出てくるので、割り切って全てを金銭的基準で判断する、という態度を取ることにも一定の合理性はある。しかしそれは簡略化した近似手法に過ぎないわけだから、100%の合理性があるとまでは主張できないだろう。 このあたりはプロスペクト理論の領域で、累進課税などの課税制度の最適化などとも関係していて興味深いと思う。課税制度の最適化にしても、その基準はトータル幸福度の最大化とか経済成長の最大化とか色々あるが、経済成長にしても最終的な目的は幸福度の増大にあるわけで、最終的にはどの時間軸(正確には時間軸に沿った積分)で幸福度を考えていくか、という点に収束することになると思う。 |
リスク 2011/05/04(水) 07:52:41 |
| 金は、もう1枚仕切りの指値をしていたが、10円届かずに下げてしまった。しかし将来を考えると、もはや買いポジションを持ってないことがリスクになりつつあるように思う。あまり安易に利食いするのも考えものかもしれない。 今後、当分は商品はトレンドフォローで取り放題のような気がする。早いとこシステム運用を開始しないとなぁ。
東京での生活はかなり落ち着いてきた。家の中は2階がまだ片付いてない。連休の間に庭に色々植えたい。
日本の状況を見ていると、今後就職する人にとっては将来の選択肢を日本に限定する事自体が大きなリスクになりつつあるように思う。昔は公務員や銀行員はリスクが少ないと言われていたものだが、世界に向けてつぶしが利かないことは不利になると思う。もっとも、公務員でも銀行員でも、ジェネラリストではなく何か世界に通用するスペシャリストとしての技能があれば別だが。
冬木実さんが宝くじについて書いているが、お金の実際価値は額面価値と完全には連動しないので、単純に期待値では割り切れないところがある。だからこそ保険とか宝くじが商売として成立するのだが。 一般的な給与所得者を想定し、彼の全財産を1000万円と仮定する。10分の1の確率で1000万を失うが10分の9の確率で200万円を得られる賭けがあったとしても、彼はこの賭けには乗らないだろう。期待値はプラスだが、彼にとって全財産である1000万円を失うことの実際価値の減少幅は200万を得られる実際価値のプラス幅の10倍以上だからである。しかし10億円持っている人にとっては、マイナス1000万円の損失幅はプラス200万円のプラス幅の約5倍なので賭けに乗ると思う。 20万分の1の確率で10億円当たるくじを1万円出して買うかといえば、その人にとって10億円でどうしても叶えたい夢があり、10億円に1万円の20万倍以上の実際価値があるならば買うだろう。しかし、100億円持っている人にとっては10億円の実際価値は1万円の実際価値の約10万倍にしか過ぎないので、このくじを買うことはない。 収入や財産の規模に比べて小さい金額になればなるほど実際価値と現実価値の乖離は小さくなるので、宝くじを買う人が、4分の1の確率で3万円得られて4分の3の確率で1万円損する賭けをしないとしても、特に行動に矛盾があるとは言えない。 個人的には、実際価値を吟味して、宝くじは買わないし、生命保険や疾病保険にも入らないが、自動車保険には入っている。まぁ、団信は入らないといけないので入っているが。 |
発電方法の評価 2011/05/02(月) 10:24:41 |
| 発電方法のポテンシャルについて数値的なことをいくつか調べてみたので、備忘録として書いておく。
福島原発の事故により日本において原子力発電所の新規建設は絶望的になったと思われるが、この分をどう代替していくかが問題となる。目先の話(今年の夏)に関しては特に問題は出ないだろう。3月25日の東電の発表によると7月には最大電力供給力は4650万kWまで回復できるとしており、一方で東電管内の最大電力需要は5500万kWと予測している。東電は揚水発電設備を1050万kW分保持しており、さらに北海道電力と中部電力からの電力融通が100万kWほど期待できるので、ギリギリ足りると思われる。
現在稼働している原発をすぐに止めるのは現実的ではない。30年程度かけて、既存の原発を廃炉にしながら徐々に入れ替えて行くのが妥当だろう。100年後くらいには、世界中の砂漠に太陽光パネルを設置して超電導送電で世界中に送電するようなシステムが出来ると思うが、今後30年では難しい。日本は今後少子化が進み、電力需要も伸びないと思われるので、原子力の5000万kW分を代替することを考えればよい。 現実的な可能性としては、LNG火力、地熱、太陽光、風力ということになるだろう。太陽光や風力について、出力調整ができず不安定で、かつ、出力が直流だったり、交流でも周波数が一定せず、送電ラインに乗せるには質が悪い、等の意見が見られるが、これらは単なる技術的な問題であり解決可能である。出力の不安定さ(曇ったり風が止まったりすると急に出力が落ちる)については、火力発電(特にガスタービン発電)の出力調整で臨機応変に対応できる。現実にも、今まで地震などで原発が緊急停止したときには瞬間的に火力が出力を上げてショックを吸収している。数時間単位の緩やかな変動や昼夜の変動については揚水発電所の増設で対応すればよい。揚水発電の効率は70%程度なので、夜間の余剰電力の70%を昼間のピーク時に使うことができる(現状では深夜に火力発電の出力を3分の一に落として運転している)。太陽光や風力の電気としての質の悪さについては、インバータ等の強電技術は日本の得意とするところで、本質的な問題にはならない。
LNG火力は埋蔵量や安定供給の点からも有望である。最近喧伝されていた原子力の利点は二酸化炭素を出さないことだが、LNG火力の発電量あたりの二酸化炭素排出量は石炭火力の半分、石油火力の3分の2程度である。分単位の出力調整が可能なので太陽光や風力による出力変動に機敏に対応できる。技術的にも特に困難は無い。技術的には5000万kWを全部代替することも可能だが、石炭火力や石油火力に比べて少ないとはいえ二酸化炭素を出すので、全部は難しいかもしれない。
地熱について。産総研の推計では日本における現実的なポテンシャルは2000万kW程度、そのうち80%が国立公園等にあり現状では開発が不可能、開発可能な20%の400万kWのうち開発されたのが53万kWという報告がある。温泉地と競合するなど、現実的に建設不可能な場所も多いだろうけど、開発規制の撤廃で1000万kW程度は確保できると思う。技術的な問題は無い。発電コストは1kWhあたり10円を切って、火力と競合できるレベルまで来ている。高温岩体発電が実用化されれば日本の総需要を単独で賄えるらしいが、商業化にはあと10年から20年程度はかかりそう。オーストラリアで27.5万kWの実験発電所が建設中らしい。
太陽光発電について。コストは高いが低下傾向にある。現在で火力の2倍〜4倍程度(日照など条件によって違う)だが、世界中で生産の拡大と技術革新が続いており、2020年頃には火力を下回ると言われている。発電密度の低さがネックとなるので設置面積が議論に上がることが多い。出力は1m^2あたり晴天時で100W程度なので、100万kWだと10km^2の面積が必要。夜間も全部均して考えて設備利用率を10%とすると100万kWあたり100km^2となる。付属設備等を含めると200km^2程度は必要かもしれない。山手線の内側が63km^2なので莫大な面積が必要なように思えるが、田舎に行けば10km四方で100km^2になるから大した面積ではない。日本の耕作放棄地が2005年の時点で3860km^2もあるし、住宅用の太陽光発電システムが3kW(設備利用率10%で0.3kW)程度なので330万世帯が取り付ければ100万kW程度になる(日本の世帯数は5000万世帯くらい、一戸建ての数は2650万戸くらい)。福島原発から半径20kmの面積が627km^2なので、政府が全部買い上げて4分の一程度の土地に設置すれば100万kW程度は何とかなるかもしれない。30年先まで考えれば、200万kW程度は確保できるのではないかと思う。200万kWと聞くと大したことがないように感じられるが、設備利用率10%で200万kWだと晴天時の出力は2000万kWとなる。電力のピークは必然的に昼間のカンカン照りの時間帯になるから、そのピーク時に2000万kWをカバーできるなら恩恵は非常に大きい。
風力発電について。コスト的には10年以内に火力を下回ると予想されている。太陽光と同様、発電密度の低さが問題だが、太陽光よりは密度は高い。既存のウィンドファームの実績から計算すると、1ha(0.01km^2)あたり1000kW程度の密度では建設できるようだ。100万kWだと10km^2、設備利用率を20%とすると平均100万kWの電力を得るのに50km^2必要になる。現時点で設備容量として合計200万kWを超える発電所が稼動している。利用率20%とすると40万kWとなる。経産省の2010年の新エネルギー部会では発電量で300万kWを導入目標としている。世界では2010年時点で合計1億9400万kWの設備容量があり、利用率20%としても4000万kW程度の発電が行われている。各種報告を見ても、日本において今後30年で発電量で1000万kWを達成するのはそれほど困難ではないと思われる。必要面積は500km^2となる。問題は騒音と低周波である。低周波による健康被害はかなり深刻のようだ。福島は風力発電の好適地なので、福島原発周辺の土地を政府が買い上げて密集して建てるのが良いと思う。後は海上が有望だが、台風に備えるとコストが上がる。
単に原子力の5000万kW分を代替するというだけならば全部火力で置き換えればよいが、そうすると燃料価格上昇の影響を受け易くなるし、二酸化炭素の排出を減らすという国際公約の実行が不可能になる。現実的な解決法としては、30年後に向けて、LNG火力で2000万kW、地熱で1000万kW、風力発電で1000万kW、後は電力ピークを太陽光発電で埋める、という感じにしていくしかない。上での検討結果から考えても、これには相当の困難が予想される。ただ、30年あればかなりの技術革新が期待できるので、意外と簡単にクリアできるかもしれないが。技術革新を促すためには発送電分離は絶対に欠かせないだろう。
ただ、もしかしたら30年後には、福島原発事故の記憶も薄れて原子力発電の新規建設が可能になるかもしれない。老朽化した原発を安全な最新式のものに建て替えますと言えば、理解が得られる可能性も無くはないような気もする。 |
学校の汚染 2011/04/30(土) 10:08:12 |
| 福島の学校の汚染に関していくつか動きが出ている。
福島県郡山市が独自に小中学校や保育所のグラウンドの表土を削り取る作業を始めたことに対して、文部科学省は「事実関係を確認したい」とコメントした。ニュアンスとしては、市が勝手にやったことだが、敢えて止めはしない、という感じか。削った表土の搬入先の処分場周辺で反対する動きが出ているようだが、腰折れしないように願いたい。汚染だらけの中で、せめて学校だけは可能な限り線量を下げてもらいたいものである。表土除去の費用は郡山市全体で5000万〜1億円程度とのこと。福島全域で実施しても知れてる。
小佐古敏荘内閣官房参与(東大教授・工学系研究科原子力専攻)が辞任。辞任の理由は、政府の法令違反や情報非公開に対する抗議の他、学校での限界放射線量に対する抗議もあるようだ。「(年間20ミリシーベルトを容認すれば)私の学者生命は終わる。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」とのこと。この人は経歴や著作を見ても原子力業界と非常に繋がりが深いことが窺えるが、それだけにこの発言は重みがある。
あまり他人の文章をそのまま写すことはしないのだが、現状の問題点がいくつか的確に述べられているので、小佐古敏荘氏の辞意表明の全文を以下に転載しておく。
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平成23年4月29日
内閣官房参与の辞任にあたって (辞意表明)
内閣官房参与 小佐古敏荘
平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。
私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から勅命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。
この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。
1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい
この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。
初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県*、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。(*原文ママ)
また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40−50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。
2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい
緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。
今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。
小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。
また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。
以上 |
金 2011/04/28(木) 09:22:30 |
| この間の下げで1枚買い直して9枚になったが、また1枚仕切って8枚になってしまった。もはや安値は無いかもしれないという予感もする。
ジャック・アタリ「国家債務危機」を読んでいるが、非常に面白い。 |
補足 2011/04/28(木) 00:38:40 |
| ICRPの推計で、100mSvの被曝で10万人あたり500人の過剰発癌が生じると書いたが、よく読むと過剰発癌は10万人あたり1000人のようだ。500人は癌による死亡者の数であった。 よって、下の計算(子供の感受性を3倍とする)では、20歳までに癌になる人は通常で10万人あたり182人なのが、20mSv被曝の場合で600人増えて782人、年間20mSvを2年間被曝すると1382人に増えるということになる。
100mSvで10万人あたり1000人だから、20mSvでは200人になるか、というのは、実は詳しくはわかっていない。ただ、100mSv以上では比例関係が見られることから、低線量についても比例関係が成り立つと考えるのはそれなりに合理的である(いわゆる閾値無し直線モデル仮説)。この値以下なら健康被害が生じないという、閾値が存在すると主張する人もいるが、それが検証された結果は無い。閾値があるかどうか、あったとしてもそれがいくらか、何もわかっていない現状では、安全側に考えるということで、閾値は無く低線量でも比例関係が成り立つと考えるのが妥当である。ICRPも同様の立場に立っている。 「低線量被曝による健康被害は確認されていない」から、「低線量放射線は安全である」と主張している人がいるが、以前にも書いたように、「確認されていない」というのは「統計的に(例えば95%とかの)信頼水準では証明されていない」ということを示しているだけで、「安全であることが証明された」と言っているわけではない。あくまで、「わからない」ということしかわからないのである。低線量被曝の影響が証明されないのは、発生頻度が低い現象ほど検証に多くのサンプル数が必要とされるからだ。検証しようとすれば100万人規模の人体実験が必要になるだろう。 ICRPの推計は主に広島・長崎の被爆者の追跡調査を元にしている。原爆による被曝は大量の放射線を一度に浴びる形になるので、今回のような低線量を長期的に浴びるようなケースと影響が異なることも考えられるが、今のところは他に目安になりそうな基準が無いのでICRPの推計を用いざるを得ない。チェルノブイリでも色々とデータがあるようだが、原発事故の場合は汚染の濃淡の差が大きく、被曝量の推定が難しいので、信頼性の高い検証結果が得られ難いのである。 微量の被曝は健康に良いという、いわゆるホルミシス効果を主張している人もいる。最初にホルミシス効果が発表されたのはアメリカ保健物理学会だが、この学会は放射線防護学の学会で、いわゆる原子力業界の影響力が強いことが窺え、被曝を安全と考える方向にバイアスがかかっている可能性が高いと想像できる。実際、学会自体が年間50mSvの被曝は無害であると声明を出している。日本でも放射線業界で研究が行われているようだが、探してもまともな論文が出てこない。個人的には、怪しい、という感触を受ける。 非常に残念なことではあるが、行政は子供の被曝を防ぐつもりは無いようなので、今後、各地の空気・土壌・食品の線量をきっちり計って記録し、福島の子供の健康状態を追跡調査をすれば、10年から20年後には、今はまだよくわかっていない低線量の影響もある程度は明らかになると思われる。 |
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