TOEIC 2011/11/26(土) 20:15:26 |
| 今日、友人と話をした結果、TOEICの受験申込をしました。やっぱり目標は作った方が無難だろう、ということです。今回の目標は、TOEICで500点を取ることです。その目的は、最終的には楽しい充実した人生を送る為であり、目標をクリアすることが正の循環を生み出し、最終目的を達成するのだということです。 |
師匠の言葉 2011/11/25(金) 06:50:48 |
| 「楽しいからやる、というのが本当の姿ではないでしょうか。」 |
草学者と相場師 2011/11/25(金) 04:59:06 |
| 結論としては、いくら相場師にあこがれていても、向き不向きがあって、相場師は諦めて、草学者として生きていくのがいいだろう、ことです。学問も考え事をするので、これはこれで非常に楽しいし、アウトプット、成果、作品としては、相場師より草学者の方がドデカイ予感があります。 |
ジャスティス 2011/11/25(金) 04:55:35 |
| マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』が手元にあるのですが、目次をみると、これが非常に役立ちそうです。これが難しそうであれば、白熱教室の方が読みやすいそうだから、そっちを買ってみるのもいいかもしれません。 |
経験論 2011/11/25(金) 04:49:25 |
| ジョン・ロックの経験論によれば、人間は生まれたとき「白紙」の状態である、らしい。赤ちゃんから経験を積んで大人になる。その「経験」が最重要である。
ヒュームは、道徳とは感じるものだと言ったそうだが、彼は経験論を採用しているので、つまり、自分の経験して感じたものが基盤になっていると言っていることになる。
ここで一つの疑問。「読書などの追体験」は経験としてみなすのか?である。読書から得た「知識」が追体験の基盤であるが、その知識は経験と呼べるのか?つまり、追体験は経験と呼べるのか?である。これはかなり難しい。例えば、恋愛。「恋愛本」を参考にして自身の恋愛に臨む人は馬鹿にされる傾向があるように思う。所がです。自分が恋愛に悩んだとき、恋愛経験が豊富な友人に話を聞くのは大いに結構なことだ、という風潮もあるように思う。つまり、「恋愛本」はダメで、恋愛経験豊富な友人はオッケーである、という風潮があるように私は思っている。しかし、「恋愛本」も、恋愛経験豊富な著者が執筆しているのではないのか?という矛盾が見受けられる。「恋愛本」からの追体験は実体がなく、友人の話は経験にカウントする、とは異常ではないか?という思いがある。
今のところ、私は、追体験も経験にカウントしたい、という岩井克人氏の「お金では買えぬもの」を参考にしたい。 |
軸 2011/11/25(金) 04:37:33 |
| (『経済学―名著と現代』日本経済新聞社編の、ヒュームに対する、松井彰彦氏の文章を猛烈に参考、引用して書きました。) ジョン・ロックの経験論を採用したデイヴィッド・ヒュームの言う、道徳とは理性によって判断されるものではなく、感じられるものであり、共感という感情こそが道徳の根底をなすものという考え方に、私は立脚して今後の生活を送ろうと思う。しかし、カントの言う、道徳とは理性的なものであるという主張に対しても、一定の理解を示しておかねばならない。 所で、共感とは、身近なものから連想されるという。自分と同じ境遇にある人に対する共感は、見知らぬ人に対する共感よりも強くなる。自国民に対する共感は他国民に対する共感よりも強くなる。ヒュームは、「似たような事象からは似たような結果が生まれる」という言葉を『人性論』に書いているようだ。 (ここからは私がすでに思いついていたこと) 共感とは、思いやりである。人間は、相似関係を拡大縮小して把握する能力がある。自分の経験と相似の関係にある他人の経験に対しては、拡大縮小の能力を用いて思いやる。自分のある経験Aでは、ちょっと悲しい気持ちになった、のであれば、他人の経験AダッシュがAよりドデカイ経験であるならば、相似関係から拡大縮小して、Aでちょっと悲しい気持ちだったら、Aダッシュでは猛烈に悲しい気持ちになるだろう、という思いやりである。 (よって考え出したいこと) 思いやりが道徳の基盤であると言い換えてみたい。これが、主張の倫理的アプローチの一つであり、ここでは、その思いやりという倫理に論理的仕組みはなさそうである。 |
物書き 2011/11/24(木) 10:32:23 |
| 人間は生まれたときは白紙である、その後の経験により自分というものは形成される、という経験論に立つならば、物書きの才能というものはない。あるとすれば、経験に裏打ちされた才能である。ということは、経験は訓練により強化される。練習をすればいいということになる。 |
相場 2011/11/24(木) 06:21:39 |
| 愚かなことだと笑ってください。とりあえず、日々の勉強時間確保の為に、デイトレどころか短期、中期の相場は断念しました。問題は、借金返済です。株とどうしても手が切れない。そこで、愚かなのは重々承知の上、月々の返済額を限界まで減らして、浮いた枠で株の積み立てをすることにしました。借金完済予定は再来年末くらい。積み立ての内容は、三菱商事、三井物産、住友商事の総合商社にそれぞれ一万円づつです。この積み立ては、個人年金のつもりで楽しんでやりたいのですが、しかし、使途はあくまで個人年金限定としたいつもりです。この3万円だけは、コツコツと地道に積み立てていく習慣にしたいと思っています。 |
ちょっと待ったぁー! 2011/11/18(金) 18:52:05 |
| 今、山川の『もういちど読む日本史』というのをやっているのですが、数学と日本史では勉強の仕方が違ってきてしかるべきなのかもしれません。とにかく日本史は、通史を早くあっさりとやって、とにかく興味の持てる部分を知ることが先決で、そこから細部に降りていく、というやりかたが必要なのかもしれません。そうすることで、もっと別の時代の細部を知りたくなるといういもづる式が発揮されるのかもしれません。 |
勉強 2011/11/18(金) 18:44:57 |
| 常々、自分の勉強の仕方を残念だなぁと諦めていたことがあります。 数学や物理の場合は、教科書の一章、二章、とあったとして、導入部分を納得しただけでは済まず、練習問題はやるはずです。つまり、ある程度わかるまでやるはずです。所が、日本史や英語、経済の場合、導入部分を納得すれば、とにかく先に進みたいのです。わかるまではやらない。論理・理屈を理解するのが面倒くさい部分はすっとばしてしまう。焦りでしょうか。うっすらとでも全体をカバーしておきたい、そんな自分の気持ちもわかるのですが、先に進むことよりも理解することが大事なのですから、教科書を先に進むことが第一ではいけません。それがどうも自分にはわかっていないようなのです。 |
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