リスク 2011/05/04(水) 07:52:41 |
| 金は、もう1枚仕切りの指値をしていたが、10円届かずに下げてしまった。しかし将来を考えると、もはや買いポジションを持ってないことがリスクになりつつあるように思う。あまり安易に利食いするのも考えものかもしれない。 今後、当分は商品はトレンドフォローで取り放題のような気がする。早いとこシステム運用を開始しないとなぁ。
東京での生活はかなり落ち着いてきた。家の中は2階がまだ片付いてない。連休の間に庭に色々植えたい。
日本の状況を見ていると、今後就職する人にとっては将来の選択肢を日本に限定する事自体が大きなリスクになりつつあるように思う。昔は公務員や銀行員はリスクが少ないと言われていたものだが、世界に向けてつぶしが利かないことは不利になると思う。もっとも、公務員でも銀行員でも、ジェネラリストではなく何か世界に通用するスペシャリストとしての技能があれば別だが。
冬木実さんが宝くじについて書いているが、お金の実際価値は額面価値と完全には連動しないので、単純に期待値では割り切れないところがある。だからこそ保険とか宝くじが商売として成立するのだが。 一般的な給与所得者を想定し、彼の全財産を1000万円と仮定する。10分の1の確率で1000万を失うが10分の9の確率で200万円を得られる賭けがあったとしても、彼はこの賭けには乗らないだろう。期待値はプラスだが、彼にとって全財産である1000万円を失うことの実際価値の減少幅は200万を得られる実際価値のプラス幅の10倍以上だからである。しかし10億円持っている人にとっては、マイナス1000万円の損失幅はプラス200万円のプラス幅の約5倍なので賭けに乗ると思う。 20万分の1の確率で10億円当たるくじを1万円出して買うかといえば、その人にとって10億円でどうしても叶えたい夢があり、10億円に1万円の20万倍以上の実際価値があるならば買うだろう。しかし、100億円持っている人にとっては10億円の実際価値は1万円の実際価値の約10万倍にしか過ぎないので、このくじを買うことはない。 収入や財産の規模に比べて小さい金額になればなるほど実際価値と現実価値の乖離は小さくなるので、宝くじを買う人が、4分の1の確率で3万円得られて4分の3の確率で1万円損する賭けをしないとしても、特に行動に矛盾があるとは言えない。 個人的には、実際価値を吟味して、宝くじは買わないし、生命保険や疾病保険にも入らないが、自動車保険には入っている。まぁ、団信は入らないといけないので入っているが。 |
発電方法の評価 2011/05/02(月) 10:24:41 |
| 発電方法のポテンシャルについて数値的なことをいくつか調べてみたので、備忘録として書いておく。
福島原発の事故により日本において原子力発電所の新規建設は絶望的になったと思われるが、この分をどう代替していくかが問題となる。目先の話(今年の夏)に関しては特に問題は出ないだろう。3月25日の東電の発表によると7月には最大電力供給力は4650万kWまで回復できるとしており、一方で東電管内の最大電力需要は5500万kWと予測している。東電は揚水発電設備を1050万kW分保持しており、さらに北海道電力と中部電力からの電力融通が100万kWほど期待できるので、ギリギリ足りると思われる。
現在稼働している原発をすぐに止めるのは現実的ではない。30年程度かけて、既存の原発を廃炉にしながら徐々に入れ替えて行くのが妥当だろう。100年後くらいには、世界中の砂漠に太陽光パネルを設置して超電導送電で世界中に送電するようなシステムが出来ると思うが、今後30年では難しい。日本は今後少子化が進み、電力需要も伸びないと思われるので、原子力の5000万kW分を代替することを考えればよい。 現実的な可能性としては、LNG火力、地熱、太陽光、風力ということになるだろう。太陽光や風力について、出力調整ができず不安定で、かつ、出力が直流だったり、交流でも周波数が一定せず、送電ラインに乗せるには質が悪い、等の意見が見られるが、これらは単なる技術的な問題であり解決可能である。出力の不安定さ(曇ったり風が止まったりすると急に出力が落ちる)については、火力発電(特にガスタービン発電)の出力調整で臨機応変に対応できる。現実にも、今まで地震などで原発が緊急停止したときには瞬間的に火力が出力を上げてショックを吸収している。数時間単位の緩やかな変動や昼夜の変動については揚水発電所の増設で対応すればよい。揚水発電の効率は70%程度なので、夜間の余剰電力の70%を昼間のピーク時に使うことができる(現状では深夜に火力発電の出力を3分の一に落として運転している)。太陽光や風力の電気としての質の悪さについては、インバータ等の強電技術は日本の得意とするところで、本質的な問題にはならない。
LNG火力は埋蔵量や安定供給の点からも有望である。最近喧伝されていた原子力の利点は二酸化炭素を出さないことだが、LNG火力の発電量あたりの二酸化炭素排出量は石炭火力の半分、石油火力の3分の2程度である。分単位の出力調整が可能なので太陽光や風力による出力変動に機敏に対応できる。技術的にも特に困難は無い。技術的には5000万kWを全部代替することも可能だが、石炭火力や石油火力に比べて少ないとはいえ二酸化炭素を出すので、全部は難しいかもしれない。
地熱について。産総研の推計では日本における現実的なポテンシャルは2000万kW程度、そのうち80%が国立公園等にあり現状では開発が不可能、開発可能な20%の400万kWのうち開発されたのが53万kWという報告がある。温泉地と競合するなど、現実的に建設不可能な場所も多いだろうけど、開発規制の撤廃で1000万kW程度は確保できると思う。技術的な問題は無い。発電コストは1kWhあたり10円を切って、火力と競合できるレベルまで来ている。高温岩体発電が実用化されれば日本の総需要を単独で賄えるらしいが、商業化にはあと10年から20年程度はかかりそう。オーストラリアで27.5万kWの実験発電所が建設中らしい。
太陽光発電について。コストは高いが低下傾向にある。現在で火力の2倍〜4倍程度(日照など条件によって違う)だが、世界中で生産の拡大と技術革新が続いており、2020年頃には火力を下回ると言われている。発電密度の低さがネックとなるので設置面積が議論に上がることが多い。出力は1m^2あたり晴天時で100W程度なので、100万kWだと10km^2の面積が必要。夜間も全部均して考えて設備利用率を10%とすると100万kWあたり100km^2となる。付属設備等を含めると200km^2程度は必要かもしれない。山手線の内側が63km^2なので莫大な面積が必要なように思えるが、田舎に行けば10km四方で100km^2になるから大した面積ではない。日本の耕作放棄地が2005年の時点で3860km^2もあるし、住宅用の太陽光発電システムが3kW(設備利用率10%で0.3kW)程度なので330万世帯が取り付ければ100万kW程度になる(日本の世帯数は5000万世帯くらい、一戸建ての数は2650万戸くらい)。福島原発から半径20kmの面積が627km^2なので、政府が全部買い上げて4分の一程度の土地に設置すれば100万kW程度は何とかなるかもしれない。30年先まで考えれば、200万kW程度は確保できるのではないかと思う。200万kWと聞くと大したことがないように感じられるが、設備利用率10%で200万kWだと晴天時の出力は2000万kWとなる。電力のピークは必然的に昼間のカンカン照りの時間帯になるから、そのピーク時に2000万kWをカバーできるなら恩恵は非常に大きい。
風力発電について。コスト的には10年以内に火力を下回ると予想されている。太陽光と同様、発電密度の低さが問題だが、太陽光よりは密度は高い。既存のウィンドファームの実績から計算すると、1ha(0.01km^2)あたり1000kW程度の密度では建設できるようだ。100万kWだと10km^2、設備利用率を20%とすると平均100万kWの電力を得るのに50km^2必要になる。現時点で設備容量として合計200万kWを超える発電所が稼動している。利用率20%とすると40万kWとなる。経産省の2010年の新エネルギー部会では発電量で300万kWを導入目標としている。世界では2010年時点で合計1億9400万kWの設備容量があり、利用率20%としても4000万kW程度の発電が行われている。各種報告を見ても、日本において今後30年で発電量で1000万kWを達成するのはそれほど困難ではないと思われる。必要面積は500km^2となる。問題は騒音と低周波である。低周波による健康被害はかなり深刻のようだ。福島は風力発電の好適地なので、福島原発周辺の土地を政府が買い上げて密集して建てるのが良いと思う。後は海上が有望だが、台風に備えるとコストが上がる。
単に原子力の5000万kW分を代替するというだけならば全部火力で置き換えればよいが、そうすると燃料価格上昇の影響を受け易くなるし、二酸化炭素の排出を減らすという国際公約の実行が不可能になる。現実的な解決法としては、30年後に向けて、LNG火力で2000万kW、地熱で1000万kW、風力発電で1000万kW、後は電力ピークを太陽光発電で埋める、という感じにしていくしかない。上での検討結果から考えても、これには相当の困難が予想される。ただ、30年あればかなりの技術革新が期待できるので、意外と簡単にクリアできるかもしれないが。技術革新を促すためには発送電分離は絶対に欠かせないだろう。
ただ、もしかしたら30年後には、福島原発事故の記憶も薄れて原子力発電の新規建設が可能になるかもしれない。老朽化した原発を安全な最新式のものに建て替えますと言えば、理解が得られる可能性も無くはないような気もする。 |
学校の汚染 2011/04/30(土) 10:08:12 |
| 福島の学校の汚染に関していくつか動きが出ている。
福島県郡山市が独自に小中学校や保育所のグラウンドの表土を削り取る作業を始めたことに対して、文部科学省は「事実関係を確認したい」とコメントした。ニュアンスとしては、市が勝手にやったことだが、敢えて止めはしない、という感じか。削った表土の搬入先の処分場周辺で反対する動きが出ているようだが、腰折れしないように願いたい。汚染だらけの中で、せめて学校だけは可能な限り線量を下げてもらいたいものである。表土除去の費用は郡山市全体で5000万〜1億円程度とのこと。福島全域で実施しても知れてる。
小佐古敏荘内閣官房参与(東大教授・工学系研究科原子力専攻)が辞任。辞任の理由は、政府の法令違反や情報非公開に対する抗議の他、学校での限界放射線量に対する抗議もあるようだ。「(年間20ミリシーベルトを容認すれば)私の学者生命は終わる。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」とのこと。この人は経歴や著作を見ても原子力業界と非常に繋がりが深いことが窺えるが、それだけにこの発言は重みがある。
あまり他人の文章をそのまま写すことはしないのだが、現状の問題点がいくつか的確に述べられているので、小佐古敏荘氏の辞意表明の全文を以下に転載しておく。
---------------------------------------------------------------------
平成23年4月29日
内閣官房参与の辞任にあたって (辞意表明)
内閣官房参与 小佐古敏荘
平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。
私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から勅命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。
この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。
1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい
この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。
初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県*、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。(*原文ママ)
また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40−50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。
2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい
緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。
今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。
小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。
また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。
以上 |
金 2011/04/28(木) 09:22:30 |
| この間の下げで1枚買い直して9枚になったが、また1枚仕切って8枚になってしまった。もはや安値は無いかもしれないという予感もする。
ジャック・アタリ「国家債務危機」を読んでいるが、非常に面白い。 |
補足 2011/04/28(木) 00:38:40 |
| ICRPの推計で、100mSvの被曝で10万人あたり500人の過剰発癌が生じると書いたが、よく読むと過剰発癌は10万人あたり1000人のようだ。500人は癌による死亡者の数であった。 よって、下の計算(子供の感受性を3倍とする)では、20歳までに癌になる人は通常で10万人あたり182人なのが、20mSv被曝の場合で600人増えて782人、年間20mSvを2年間被曝すると1382人に増えるということになる。
100mSvで10万人あたり1000人だから、20mSvでは200人になるか、というのは、実は詳しくはわかっていない。ただ、100mSv以上では比例関係が見られることから、低線量についても比例関係が成り立つと考えるのはそれなりに合理的である(いわゆる閾値無し直線モデル仮説)。この値以下なら健康被害が生じないという、閾値が存在すると主張する人もいるが、それが検証された結果は無い。閾値があるかどうか、あったとしてもそれがいくらか、何もわかっていない現状では、安全側に考えるということで、閾値は無く低線量でも比例関係が成り立つと考えるのが妥当である。ICRPも同様の立場に立っている。 「低線量被曝による健康被害は確認されていない」から、「低線量放射線は安全である」と主張している人がいるが、以前にも書いたように、「確認されていない」というのは「統計的に(例えば95%とかの)信頼水準では証明されていない」ということを示しているだけで、「安全であることが証明された」と言っているわけではない。あくまで、「わからない」ということしかわからないのである。低線量被曝の影響が証明されないのは、発生頻度が低い現象ほど検証に多くのサンプル数が必要とされるからだ。検証しようとすれば100万人規模の人体実験が必要になるだろう。 ICRPの推計は主に広島・長崎の被爆者の追跡調査を元にしている。原爆による被曝は大量の放射線を一度に浴びる形になるので、今回のような低線量を長期的に浴びるようなケースと影響が異なることも考えられるが、今のところは他に目安になりそうな基準が無いのでICRPの推計を用いざるを得ない。チェルノブイリでも色々とデータがあるようだが、原発事故の場合は汚染の濃淡の差が大きく、被曝量の推定が難しいので、信頼性の高い検証結果が得られ難いのである。 微量の被曝は健康に良いという、いわゆるホルミシス効果を主張している人もいる。最初にホルミシス効果が発表されたのはアメリカ保健物理学会だが、この学会は放射線防護学の学会で、いわゆる原子力業界の影響力が強いことが窺え、被曝を安全と考える方向にバイアスがかかっている可能性が高いと想像できる。実際、学会自体が年間50mSvの被曝は無害であると声明を出している。日本でも放射線業界で研究が行われているようだが、探してもまともな論文が出てこない。個人的には、怪しい、という感触を受ける。 非常に残念なことではあるが、行政は子供の被曝を防ぐつもりは無いようなので、今後、各地の空気・土壌・食品の線量をきっちり計って記録し、福島の子供の健康状態を追跡調査をすれば、10年から20年後には、今はまだよくわかっていない低線量の影響もある程度は明らかになると思われる。 |
20ミリシーベルト 2011/04/26(火) 04:00:01 |
| はやく原発のことなど書かなくてもよいようになって欲しいのだが、次々と信じられないことが起きるので書かざるを得ない。 久住静代原子力安全委員会委員が、20日開かれた衆議院青少年問題特別委員会で、基準の妥当性について、「社会的、学校教育等々、総合判断の下で可能と判断したもので、 年間20ミリシーベルトで健康に影響が出るということはない」と発言した。この人は放射線影響学が専門であるから、100mSvの被曝で10万人あたり500人の過剰発癌が生じるというICRPの推定を知らない筈は無い。比例関係を仮定すると20mSvでは10万人あたり100人になる。この人は嘘を言っているか、20mSvで健康に影響が出ないという特殊な考えを主張しているか、そのどちらかである。 「健康に影響が出ない」とは誰も断言できないが、10万人あたり100人というのはごく僅かだから問題ない、という人もいる。たとえ100mSv被曝しても発癌率は0.5%増えるだけだが、喫煙では発癌率は100%増える(2倍になる)から、喫煙の方が遥かに危険だという人もいる。そういう数値のまやかしを、科学者が事実をわかった上で言っている。そしてそれを間に受けてしまう人が多い。 前にも書いたが、そもそも普通は若者はほとんど癌にならない。国立がん研究センターのがん情報の全国年齢階級別推定罹患率を見ると、10万人あたりの癌罹患率が、0-4歳で11.8人、5-9歳で7.2人、10-14歳で7.9人、15歳-19歳で9.5人となっている(2005年のデータ)。この罹患率は1年あたり新たに癌になる人数なので、それぞれ5倍して足すことによって、20歳までに癌になる率が計算できる。計算すると10万人あたり182人ということになる。 さて、若者ほど放射能の影響を受け易いこと、放射能による癌の潜伏期間は5年から20年程度ということが知られている。仮に、子供が放射能の影響を大人の3倍受けるとし、潜伏期間を10年とすると(甲状腺癌の潜伏期間が10年、白血病が12年くらいである)、10歳以下の子供が20mSv被曝した場合、20歳までに癌になる人が10万人あたり300人増えるという計算になる。元々182人だったのが482人になるんだから、増加率としてはかなり多い。これは1年間に20mSv受けてその後被曝しなかった場合であり、2年続けて20mSv被曝すれば増える人数は600人になる。 10万人あたり300人とかいう数字は、一つの高校に一人とか二人は発生する頻度である。今から10年後に、こっちの高校で甲状腺癌が一人、あっちの学校でも白血病が一人、という感じにポツポツと発生することが予想される。かなり目立つだろうし、周囲にも多大な恐怖を与えると思う。そうなったとき、年間20mSvで健康に影響は無いと言い切った人は何と言うだろうか。癌以外も含めると健康被害はもっと多いだろう。 数字だけ見れば、死因の3割以上は癌だから、癌がわずかに増えても大したことがないように思える。しかし死ぬ人のほとんどは老人なのに対して若者はあまり死なないから、若者については相対的に放射能の影響は大きくなる。そもそも、そんな論法が通用するなら、人間はいつか100%死ぬわけで、被曝したって100%死ぬのは同じだから問題はないということになってしまう。 喫煙との比較にしても、全国年齢階級別推定罹患率を見れば、肺癌に罹る人数は0歳から44歳まで累計しても10万人あたり70.5人である。一方で20mSvの過剰発癌は10万人あたり100人で、肺癌の原因が全て喫煙だとしても人数的には20mSv被曝の過剰発癌の方が多い。肺癌罹患率は45歳から急激に増加する。つまり、高齢者にとっては確かに喫煙や高血圧の方が放射能よりも危険であるが、若者が若いうちに癌になったり死んでしまったりするリスクに関しては、20mSvの被曝は喫煙に比べて大きい、特に子供に関しては比較にならないほど大きいということになる(そもそも子供は煙草を吸わない)。 赤ん坊から老人までひっくるめて平均で考えたりするから、こういう馬鹿げた話になってくるのである。何の疑問も持たず、納得してしまう人も多過ぎるように思う。 あと、交通事故など全ての死因を含め、20歳までに死亡する人数は10万人あたり650人くらいなので、これと比べても、10万人あたり300人の過剰発癌というのは多いし、あらゆる手段を用いても回避すべき状態だと思う。それなのに、どうして子供を守ろうという発想が出てこないのか。 付け加えると、ICRPの過剰発癌の見積もりは甘過ぎる、という考えを主張している研究者もいる。 |
責任の所在 2011/04/24(日) 23:18:52 |
| 神風特攻隊が、戦法としては最悪の、ほとんど意味の無い作戦であったというような話をすると、日本の為に死んで行った英霊たちに失礼だと思わんのか、という感じの反論にあうことがある。彼らが無意味に死んだということを認めたくない気持ちはわかるが、認めたくないということと事実がどうであったかは別である。神風特攻隊が犬死にだったかどうかは、もしかしたら議論が分かれるかもしれないが、犬死にだったとした場合にはその責任は主に軍部にあるわけで、彼らが可哀想だからという理由で議論を封じてしまうと責任の所在を曖昧にしてしまうことになる。 福島原発近県の野菜を買わないと書いた人に対して、農家の人達がどんな気持ちで野菜を作っているのか考えたことがあるのか、とか、風評を撒き散らすのか、とか、みんなで復興しようとしているのに自己中心的な人間だ、などの非難が寄せられているのをよく目にする。東京の人間は福島原発の電気のお陰で良い生活ができたんだから、こういう時こそ福島の野菜を食べて応援するのが当然だろ、なんてことを言う人もいる。色々とズレまくっている。農作物や魚介類が放射性物質で汚染されてしまった責任はひとえに東電にある。前にも書いたように、たとえ基準値以下でも汚染された食品を忌避する動きが出るのは当然(その基準値もWHOの基準値より遥かに緩い)であるし、その損害は東電が負うべきものであるのに、農家の人が可哀想だからみんなで食べて応援しよう、などと言ってツケを消費者に押しつけてしまうと、責任の所在が曖昧になってしまう。 事実を直視すると誰かの責任を問わねばならないし、被害者が可哀想である、また、責任を問うと和が乱れる、それならば事実から目をそらして曖昧に済ませよう、といういつものパターンである。今回の場合は特に子供に犠牲を強いる形になるので、少々看過し難いものがある。 都内に住んでいる女性が、子供が通う学校に、水筒を持参させたい、給食の材料の産地を開示するように要求したい、と思うけどどう思うかと掲示板に書いたのに対して、賛否両論が山のように寄せられている。その母親の要求は当然だと思うけど、非難も多くて驚いてしまう。日本以外だったら議論にすらならない話だと思う。うちの場合だったら、産地が開示されない場合には弁当を持参させるだろうなぁ。そういう場合を考えると私学の方がいいのかもしれない。 |
事実と体面 2011/04/24(日) 22:08:16 |
| 現に発生している事実よりも体面や形式を重視する日本の悪い面が浮き彫りになりつつある。 福島原発周辺に10年か20年は人が住めない、というのは事実であるが、地元の人達の希望を壊すから、そういう事は言ってはならないらしい。安心して生活するというのが希望の中身なら、福島原発の周辺には既に希望は無い。その事実を言わないというのは欺瞞である。チェルノブイリにおける強制避難の基準以上の線量でも、同心円に拘り、もっとも線量の多い事故発生直後に住民を放置した。今頃になって避難させても既にかなり被曝してしまっている。 文科省は、放射線管理区域以上の線量でも小学生を校庭で遊ばせてもよいと言っている(管理区域では未成年者の就業は禁止されている)。小学校を移転したり休校にすると面倒だし、カリキュラムが順調に消化されないと責任問題になるが、基準を引き上げればとりあえずは問題を先送りできる。しかし将来、癌や白血病が多発しても責任を取る人はいない。 避難区域で避難しようとしないお年寄りを説得している、みたいなニュースが流れているが、はっきり言って、中年以上の大人は少々被曝したって大したことはない。成長期の子供に対する影響こそが重要なのである(放射性物質に対する感受性は大人の10倍とも言われている)。 汚染というのはばらつきが非常に大きい(正規分布ではない)。普通はそのばらつきを考慮して、基準は一桁くらい安全側に設定するものだが、土壌にしても食品にしても、事故後に設定された基準には、その点が全く考慮されていない。 福島県の小学校は校庭の土壌を入れ替えるべきだし、土壌の入れ替えが済むまでは屋外での活動は禁止すべきだろう。そもそも、事故の直後に、原発からの距離に関係無く、線量の高い地域の子供は強制疎開させるべきであった。 政府にとっては、子供を守ることよりも体面の方が大事らしい。子供を守ろうと思うならば、校庭の土壌を入れ替え、子供にだけは放射性物質に汚染されてない給食を出すのが当然だと思う。福島原発の近県では被曝はもはや避けられないが、子供にとって多くの時間を過ごす学校での被曝がゼロになればかなり安心できる。汚染されてない土や汚染されてない食品が入手できないならば話は別だが、現実には十分入手可能である。可能なのになぜやらないかというと、面倒だとか不安を掻き立てるとか秩序が乱れるとか、基準値以内の食品を使わなかったら二重基準だと批判されるとか、色々と理由があるんだろうけど、結局は、子供の健康のことなど何も考えてないということに尽きると思う(そもそも、大人と子供は基準が違って当然だとは思うが)。 子供は未来への希望である。子供を守ろうとしない国に未来はない。ここ最近の失望は極めて大きい。神風特攻隊で未来ある若者達を死なせまくった頃から何も変わっていない。結局、昔から社会の和のために個人を犠牲にする社会なのだと思う。身近な人の安全は自分達で守らないといけない。子供にも、将来は海外で就職するように言って育てよう。 |
新居 2011/04/15(金) 12:39:40 |
| 地デジ化の工事7万円、カーテン20万円、エアコン45万円、食器棚8万円、加湿空気清浄機2万円、etc、etc、何かと金がかかる。10万円以下だと安く見えてくるから不思議である。
水道水の線量も平常値に近いくらいまで下がってきたので、今あるミネラルウォーターを使い切ったら水道水に移行することにしよう。
統計について。「1mSv以下の被曝では発癌との因果関係は見られない」などという言い回しがよく使われる。統計の基礎知識があればその本当の意味がわかるのだが、一般の人だと、これを聞くと、1mSv以下の被曝が原因で癌になることはないということが“証明されている”、と思ってしまう人もいるかもしれない。 統計においては、無限個のサンプルを調べることはできないので、統計的な結果は常に不確実性を含む。例えば、100人のインフルエンザ患者に新薬Aを投与したところ90人が治ったとする。新薬Aはインフルエンザに効果がありそうだが、治った90人は薬とは無関係に自然治癒した可能性もあるので、新薬Aが効いたということを100%断言することはできない。対照群として別の100人を用意し、偽薬を投与して、新薬Aを投与したグループと比較するということも行われる。こうすれば信頼性はかなり高くなるが、その場合でも新薬Aを投与した100人に偶然何らかの共通因子があるとか、単なる確率のばらつきでそれらしい結果が出ることもあり、100%の確度で結果を断言することはできない。 100%確実なことが言えないなかで、実際どういうことが行われているかというと、サンプルの分布を仮定した上で、例えば95%以上の確率で正しいだろうと判断できるなら、因果関係があるとしているのである。 95%というのは信頼水準と言われ、更に確実な結論が必要とされる場合には99%や99.5%などが用いられることもある。1mSv以下の被曝と発癌について、いくらの信頼水準で検定されているのかはわからないが、よく用いられる95%とすると、「1mSv以下の被曝では発癌との因果関係は見られない」というのは「1mSv以下の被曝と発癌に因果関係がある確率は95%未満である」と言っているに過ぎないということになる。 95%では因果関係が無いという結論でも、信頼水準を90%とか80%とかに下げれば、因果関係があるという結論になることも有り得る。学者が論文を書いたり、製薬会社が新薬の試験をしたり、メーカーが製品の品質管理をしたりする場合には、確実性を高めるために95%とか99%とか、判断基準を厳しくするのは当然だと思うが、今回のような予防的な措置が必要とされる場合に高い信頼水準を用いるのは適当とは思えない。 この野菜を食べて健康被害が出る確率は80%です、と言われて摂取を控えたとして、後から実は安全だったと分かっても、特に消費者からは文句は出ないからである。地震速報と同じで、安全サイドから判断するなら、結果的に外れてもいいので取りこぼしを無くす方がいい。逆に、社会不安を高めたくない政府サイドや農産物や海産物を売りたい生産者にとっては、信頼水準は高い方がいいのだろう。 |
金2 2011/04/12(火) 10:08:24 |
| 4000円台でもう一枚仕切ってしまい、8枚に。でも外電下がってるので買い直せそうだ。
毎日地震が何度もあって、だんだんと感覚が麻痺してくる。
半径20キロ圏外でも累積被曝量が高い地域が避難対象になったが、場当たり的過ぎる。事故後の早い段階で高い線量が検出されたが、その時点で、累積被曝量がすぐに大変な値になることは分かり切っていた話だ。放射性物質は最初が多いので、避難するなら高い線量が検出されてすぐであるべきで、今さら避難というのは遅すぎる。政府の言いなりで動いていたら、ろくなことにならんな。 |
|