晩年ニートの成り上がり さんの日記

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お金を稼ぐということ  2011/06/26(日) 19:57:07
 昨日今日と自分なりに仕事を一生懸命したので、すごく疲れましたが、でも久しぶりの充実感を味わいました。ビールは飲まないので、サイダーで乾杯しました。お風呂に入るのが楽しみです。お金を稼ぐって、とても大変なことだと、久しぶりに思い出して感動して、書き込みしてしまいました。

犬の続き  2011/06/25(土) 20:26:40
 結果から言うと、労災で対応することになりました(傷はたいしたことありませんでした)。とにかく、病院の窓口で衝撃の事実というか、(厳密な説明ではありませんが)「自分の家の犬ではない、もしくは野犬でもない、どこで噛まれたかハッキリしている場合は、健康保険はききません」と言われ、「初診料だけでも2700円はかかります」でとどめを刺されて、結局、経営者に相談して労災保険を適用することになりました。正直、1000円くらいの負担であったなら労災は考えなかったのですが、4000円のバイト料を稼ぐために初診料2700円+α(治療費)を払う気力は全くありませんでした。そこは経営者も流石に納得してくれましたので良かったです。とりあえず、病院では狂犬病の狂の字も出なかったので、現代日本では狂犬病はあまり問題視されてないようです。
とりあえず、救急処置が必要な場合(噛まれた周囲一体がパンパンに腫れる)だと、「犬に噛まれた牙の跡が穴?みたいになってますよ」(聞き間違いかもしれませんが)と言われ、そこまでではなかったので、安心しています。あと、病院にポスターが貼ってあったのですが、今回の件と少しからみますが、「労災保険がはっきりと適用できるケースで健康保険を適用させると、労災隠しとなり、処罰の対象になります」とあったので、まあ、経営者に労災分のいくらかの負担をさせるのを遠慮するケースもあろうかと思いますが、健康保険の適用対象外だったのであれば、素直に労災を経営者にお願いすべきなんだなと、少し勉強になりました。

小型犬に噛まれました。  2011/06/25(土) 08:06:01
 困りました。仕事中に犬に噛まれました。何回も通院することはないと思うので、治療費がどうとかはいいのですが、その犬が狂犬病の注射を打っているかどうかが気になります。そもそも私の仕事というのが、その犬のいた家にとっては、ある意味どうでもいい内容で、そんな仕事、余計なお世話だと言われる可能性もあって、注射をしているかどうかの確認を職場からお願いできるかどうか微妙です。もっとも、その仕事の依頼元があるので、まあ万が一の時は責任をかぶせられるのですが、傷跡もあるしちょっと病気がきになります。これがまたゲンが悪いことに、別件の仕事をスポット的に一週間ほど頼まれていまして、今日がその初日なんですね。小型犬だと思って甘く見てしまったなぁ。とりあえず、もう少ししたら病院に行ってきます。

帰納と演繹のまとめ  2011/06/24(金) 08:30:35
 観察、経験して法則を導き出し(帰納)、その法則から具体的個別の事例を予測する(演繹)。

第二外国語  2011/06/23(木) 07:11:20
 第二外国語として、中国語にするかギリシャ語にするか。

なんとなく、第二外国語は必要な気がするんですね。つまり、英語をしっかりしたものにするのを待ってからの第二外国語ではなく、同時並行的に、です。もちろん、英語に比重は置くわけですが。難易度から言って、中国語が良いとは思うのですが、将来、中国に旅行する機はまるでないんですね。アテネなどの哲学的雰囲気?は感じてみたいと思うのですけど。ただし、ギリシャでも英語はある程度、通じるらしいんですね。ならば、中国語かと。一応、今年度一杯は英語、特に「5トレ」に集中したいのですが、第二外国語について、パラパラとチェックして検討はしておきたいと思っています。

  2011/06/22(水) 08:17:22
 以前、英語だけでなく中国語も勉強しておきたいよなぁ、と思ったとき、まずは英語を本格的にしてからだ、と考え直したのですが、ふと、今朝方、歳をとってからギリシャに旅行するのも良いなぁなんて思いまして、ギリシャ語はどうか?!とふと浮かびました。なんか、こうやって欲が実を結ぶといいですね!

過大評価  2011/06/22(水) 06:44:23
 ジェリー・ミンチントン『うまくいっている人の考え方』の訳者あとがきで、自己評価での過大評価をプラスに捉える文章を書いておられます。
「かつて、フランクリン・ルーズベルト大統領はマッカーサー元帥を評して、「自分を過大評価する人間を絶対に過小評価するな」と言ったそうです。自分の力や才能を過大評価する人は、とてつもないプラスのエネルギーを持っていて、他人の批判や中傷に動じず、自分の信じる道を突き進み、物事を成し遂げることができます。こんなすごい人を過小評価することは絶対にできない、そうルーズベルトは言っているわけです。」
小ざかしい解釈はせずに、私はこのことを信じてみようと思います。何故ならば、「私は自分の潜在能力を信じている。少しでも手応えを感じているものに対してはチャレンジしたい。しかし私の自己評価はとても低いものである。」この姿勢は、謙虚なようでいて、実はかなり卑怯でセコイものであると、思うようになったわけです。自分の潜在能力を信じているのであれば、はっきりと、自分を過大評価していると表明すべきだと思うのです。このように至りました。

日東電工  2011/06/21(火) 09:57:09
 もしかしたら、美味しい株価水準で買い戻せるかもしれません。まあ、美味しい水準に落ちるまでに反発したら、もちろん気持ちよくあきらめます。

しかし  2011/06/21(火) 09:38:26
 法律が適用されない、たいしたことのない罪に対しては、罰則(怖いおじちゃんに怒られる)がなくても自律的に正しいことをしよう、というのが本質かな?とも思えますね。う〜ん、やっぱり、本質とは単一的なものではなく、振り子のように振幅を持っている、というのか、つまり、いつもいつも真ん中に静止している状態を観察できるとは限らない、と言うべきではないでしょうか。正直、本質という言葉は実に使いづらいです。

本質A  2011/06/21(火) 09:33:57
 法律ってなんでしょうか?
「法律で罰せられるのはいやだから、悪いことはやめよう」
私は、この文言を、前回の母親が言い出したとしたら、その母親のしつけの仕方があながち本質からずれてるとはいえないなぁ、その母親も本質的なしつけをしていたのかもしれない、とさえ思います。
本質と客観性は関係しています。当然、本人だけが本質と思っていてもだめで、つまり、本質とは主観的なものではなく客観的なものなわけです。所がですね、本質がどうちゃら言う人間って、「自分だけは例外である」と思っているふしがあるんですね。つまり、自分だけは適宜、本質を知っている、と思っている訳です。自分の考えを曲げようとは思わない。こういう人は多分、ほっといたら自滅するタイプだし、例外は師匠くらいかなぁ、と思います。株の世界で、「自分のやり方で間違いがあるはずがない」と思っていた人間のうち、集中投資していた連中はことごとく消えています。ああいう連中がまだ夢うつつの時期の掲示板での立ち振る舞いって、気色悪かったですね。「本質」という言葉は、ここぞ!という瞬間に放つ光の矢のようなものかな、と思いました。

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