晩年ニートの成り上がり さんの日記

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主観主義の真骨頂  2011/05/19(木) 01:53:53
 「根源、源泉から何が湧き出てくるのか、それを言動に影響させる」

「ナインティナインの岡村さんが頑張っているから、俺も頑張ろう」

と思いたいのであれば、主観主義は矛盾しているから、あきらめなければならない、のだろうか?

「どうしてそれをやりたいのか?」これがはっきりしていないのに、

「岡村さんが頑張っているから俺も頑張ろう」

これでは絶対に長続きしないと思うのです。

根源的にどうか?源泉から何が湧き出てくるのか?

人は一人では絶対に生きてはいけない。

もしも、地球に私しか生きていない状況で、

「自分らしくなれ!(be myself)」「自分の力でやれ!(by myself)」

こんなにも虚しい言葉はありません。

地球には私以外にも沢山、人がいるので、相対化はするし、体裁も気にするけども、どうやって、主観主義の真骨頂を普及させるか?しかし、成功している人にとっては、当たり前の話なんですよねぇ、・・・多分。

「良い方向に変りたい、とにかく変りたい」

相対化と体裁  2011/05/19(木) 01:17:42
 「イチローが頑張っているから私も頑張ろう」→相対化
「人からどう思われているか気になるので、無難にしておこう」→体裁を気にする

「あの人みたいになりたい!」と言っておきながら、体裁を気にするのは愚かだ、と言うのは、論理的に矛盾しているのではないか?論理が破綻しているのではないか?

人から刺激を受けることを肯定するのであれば、体裁を気にすることを義務としなければならない。

「人に馬鹿だと思われたくないから頑張ろう」という体裁と、「イチローみたいに頑張ろう」という相対化は、「同じレベル、イコール」だと思われます。

体裁は気にしたくない、と思うのであれば、イチローなんて関係ない、と言わなければならない。

相対化=体裁=客観=形式=儀式

通信大学  2011/05/18(水) 23:30:26
 いずれ通信大学に入学したい、と思っていますが、果たして、大学の思惑通りに、つまり、大学側の強制する勉強、テキストを私は素直にやるだろうか?と思うと疑問です。自分のやりたいようにやる、多分、独学でも、視野の狭い把握でとどまったとしても、自由にのびのびとやったほうがいいかなぁ。正直、年間で15万円前後+スクーリング費用がかかるのですが、ドブに捨ててしまうことになりそうなんですね。
まぁ、あんまり難しく構えない方がいいですかね。とりあえず入学してもいいかな。その代わり、株には資金を回せなくなるのです。これが一番痛いかも・・・。

難しい  2011/05/18(水) 23:13:40
 「それをやって、何の意味があるのか?」

こう問う必要がある場合もあるし、ない場合もある。

学問的、学界的、体裁的には必要かもしれませんが、

師匠があるとき言った、「楽しいからやる、というのが本当の姿ではないでしょうか?」

これでいい!と思い込もうとしても、自分の中の、効果や効能を期待する功利主義が首をもたげてきては、「何の意味がある?何の意味がある?」と言ってくる。

と、ここで思い出したのが!

阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』の中で彼の師匠が言った、「解るということはそれによって自分が変るということでしょう」

とにかく私は変りたい。何が何でも変りたい。是が非でも変りたい。

変りたい、変わりたい、変りたい。

訂正  2011/05/18(水) 21:41:29
 「ツァラトッストラ」→「ツァラトゥストラ」
「素直に自信の血肉」→「素直に自身の血肉」

以上です。

NHK 「100分de名著」  2011/05/18(水) 07:07:32
 4月分の「100分de名著」は、ニーチェの「ツァラトッストラ」だったのですが、ようやく今、見終わりました。今のこの感動はどう表現したら良いでしょうか?私の今、進んでいる道、やっていること、すべてがニーチェによって規定されているかのようなこの気持ち。仏様の手のひらの上の孫悟空のように、私もニーチェの手のひらの上でグルグル、ゴロゴロ。ニーチェが精神を病むのが確か40才後半だったと思うのですが、つまり、40年いくらの経験から、その後の100年を、もしかしたら200年、いや1000年、もっとか?を規定するとは、これはすごいと思われます。「人間なんてこんなもので、未来永劫、性質は変らないよ、だからたかがか40年間、人間を見ただけで、人間の普遍性なんてすぐに発見できるし、つまりその普遍性は未来永劫変らないのだから、人間性の未来予測なんてお手軽に出来るんだよ」と、まあひねくれた見方も出来なくもありませんが、そう見たとするなら、私にもチャンスはある。たかがか、これっぽっちの経験しかない私にも、人間の普遍性を発見し、人間性の未来予測も可能なんだと思えるわけです。100分間でニーチェがわかったと思うのはお目出度いことだ、なんて分別は働かせるのではなく、役に立ったと思えることがあったのであれば、それは素直に自信の血肉にすればいいと思います。
しかし、講師役の、哲学者、西研先生は、これはすごく優しい、物事をわかりやすく教えてくれる、すばらしい先生だと思いました。機会があれば、著書を読んでみたいと思います。
ちなみに、5月の「100分de名著」は、孔子の「論語」です。

最近、緩み気味なので  2011/05/17(火) 07:23:17
 「何をするかではなく、何をしたか?」

再訂正  2011/05/16(月) 07:20:06
 「客観の重要性を認めつつ、あたかもこの世には主観しか必要ないというインパクトを与える」
に訂正します。

訂正  2011/05/16(月) 07:15:31
 「客観の重要性を認めつつ、主観の必要性をことさら訴える」
に訂正します。

主観主義  2011/05/16(月) 07:12:18
 本の題名は『主観主義』で行きたいと思います。
しかし、肝心要の部分、「どのくらいの割合を主観でいくのか?」
という抽象的なルールを決めておかなくてはならないと思っています。
今の所、私は日本人である、という点から、最低でも客観5割以上は必要であるとしたい所です。
人間は時々刻々と、永久にフィードバック制御をしている生き物だとすると、確実に「客観性」は必要になってきます。抽象的で恐縮ですが、主観だけの環境でフィードバックは不可能であり、客観性、つまり他者からの影響は絶対に必要だと思うのです。主観は自己の経験により、客観は先人の知識により鍛えられるとします。う〜ん、上手く表せませんが、主観と客観の融和が頭脳になり、フィードバックは何か?それとも、主観が頭脳で客観がフィードバック機能?だろうか。
とにかく、客観は必要であると認めつつ主観の重要性をことさら訴えるという、至難の業を成し遂げようとしているのかと思うと、武者震いだ。誰に強制される訳でもなく、自分で考えたいと思う事を考える幸せを忘れないようにしたいです。

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