雲のジュウザ 2011/05/05(木) 20:27:47 |
| 雲のジュウザ! |
目標ではなくビッグバンを 2011/05/05(木) 18:56:20 |
| 目標に向かってひたすら努力するのではなく、根源的な、爆発的な動機に従ってがんばろう! |
道具 2011/05/03(火) 06:53:33 |
| 大工が、ノコギリやカンナをとても大事にするように、自分も学問するための道具をとても大事にしたいと思います。師匠は、「頭、脳みそ」が大事な道具だと言っていましたが、私にはちょっと大げさかなぁと思いながらも、そこまで考えて、脳みそに悪いことはしないようにしたいな、と、一歩進めてみようかな。睡眠はとても大事ですよね。建築家の安藤忠雄さんも、部下には、事務所に置くパソコンや製図道具などの道具は自前で揃えてもらうようにしているそうです。机も大事にしたいですね。テキスト、教材も大事に使いたい。とにかくは、学問と株に関する道具は大事にします。 |
反省しました、というか、今気づきました 2011/05/02(月) 16:56:32 |
| 帰納法だとか演繹法だとか、「事実」がどうだとか、この「芳名録」を「タンツボ」にしていたのは私でした。お間抜けです。これからは気をつけます。先の彼の気持ちもわかるかなぁ。 |
つまり 2011/05/02(月) 16:49:47 |
| 親友二人は絶対、大事。友人二人も大事です。付き合いがあると言えば、この4人しか居ませんから。でも、なんで今ちょっと書き込んだかと言えば、本音を言うと、郵便職員時代からの友人二人に、ちょっと突き放すように、ちょっとそんなに俺に感情をぶつけてこないでくれ、という感じで、感情的に言ってしまったところがあって、ちょっと失敗したなぁ、と反省しているというか、もう時間は逆に戻らないよなぁ、と思っているのです。 |
困ったことが・・・ 2011/05/02(月) 16:41:20 |
| 皆さん、すみません、ちょっと書き込むだけでも楽になるかと思って書き込みます。
ちょっと回りくどいですが、書きます。 私には友人が4人いて、その内の2人は学校教師をしていまして、彼らが大学生時代からの付き合いで、かれこれ17年くらいになります。この二人は親友と呼べると思います。ただし、電話では月に2回くらい話しますが、会うのは、恒例の夏の一泊旅行くらいです。 で、残り二人の友人は、私が12年くらいまえに3年ほど郵便職員をしていたときの同期(3週間の新人研修で相部屋だった。勤めている局は島根と福山でバラバラ)で、こちらは1月か2月に一回は会う感じです。で、この二人はまだ郵便職員で、どうも大変らしくストレスが貯まっているのです。一人はまだマシ(それでも精神的病気にならないように気をつけねば、と言ってる所帯持ち)なのですが、もう一人が、「いつも電話に出てくれてありがとね!」と言ってくれるのですが、週に一回、多ければ週に2回電話があります。その彼も、昔は、電話の内容をあえて分類すれば、健全な相談話でした。今俺、こんな感じで、どうすればいいかねぇ?といったもので、私に出来うる限りの、自分としては親身に相談に乗ってあげているつもりでした。がしかし!今はですね、今年四月に転勤してきた上司(大ボス的存在)が、話を聞いていると、なんか頭がおかしい?健常者ではあるのですが、例えば、友人にちょっと物を取ってくれと依頼して友人がそれを渡すと、「片手ではなく両手で渡せ」と言ってきたり、提出物をその上司の机の上に置いたら直後に呼ばれ、「角度が15度ズレている。きちっと正確に置く様に」とか、他にもあるのですが、それはいいのですが、問題がですね。「私がタンツボ状態、コエダメ状態、掃き溜め状態?」になってるんですね。「ちょっと困ったことがあってね」と神妙に言ってくるならわかるのですが、もう感情をのっけてきて、「ありゃぁおかしかろうー、どーなっとんやー」と私におもいっきりぶつけてきます。最初は、「おーおー怒っとる、怒っとる」と思ってましたが、「そんなに気になるなら、その大ボスの上司はもう局長しかいないので、局長に言うか、それがいやなら、組合やそれこそ支社(郵便局を管轄する所)にコツコツ積み上げるしかないんじゃない?おれだったら、その大ボスに直接言ってやるけどね」と言うと、「スポルトさん、そこまで大げさな話ではないから」と言う。先ほど言われたのは、たとえ話を出してきて「警察に1万円落とした、と言っても、警察は1万円ぽっち、探してくれんだろ?」それと同じなんだ、と言う。私にしてみれば、たとえ話とその大ボスの件は、まったく関連性がない話で、とにかくどこかに、こんな異常なことが存在している、という記録は残しておかないといけないと思うので、どこかに言うべきだ、と思うのですが、仕返しと言うか、逆恨みが怖いらしい。
いやいや、正直、わかってるんです。私に感情をぶつけてストレス発散しているというか、まあ、人に言うだけでも、問題は解決しないけど気が楽になる、とかいうことだと思います。でもね、その大ボスは4月に赴任してきて、私に「●●はおかしかろう!」ともうここ1ヶ月、ずっとです。私は「タンツボ」じゃないんです。
ここに書き込んだとして、どうしようもなく、また、私も彼とおなじことをしているのかもしれません。「ここは掃き溜めではない」と思われる方もおられるかもしれません。でも、これはまだ一回目なのでお許し下さい。 |
全値押しの刑 2011/05/02(月) 09:43:26 |
| なんか、今回だけは全値押しの刑にはならない気がする。つまり、二番底はないと見ます。 |
ユニクロ 2011/05/02(月) 08:42:05 |
| ユニクロに対する私の印象は、とにかく抜群です。価格は手ごろ、そしてなんといっても、店員さんが、なんか優しい。贔屓目に見れば、「良い地域社会で育ったのかなぁ」と思えるくらいです。私が株を始めたITバブルの弾けた直後くらいは、とにかく自分の主観は信じないようにしていました。自身の主観を客観的評価に置き換えられないと思っていたからです。まあ、流石に、マツダ大好き人間の私にも、客観的にマツダは人気ないなぁとはわかっていますけども。それはいいとして、「タラレバ」は山ほどありますが、ファーストリテイリングを2003年の代行返上売り時代に買わなかったのは、痛恨の極みです。ユニクロの店員さんは、当時も優しかったし、感じが良かったです。とある流通コンサルの助言もあったそうですが、とにかく客に対して優しい。好き嫌いはあるかもしれませんが、でも、洗練され過ぎていないところがいいし、なんか、心が見える気がします。 もう、今更感は拭えませんが、ファーストリテイリングには、かじりつこうと思います。
パナソニックも、大坪社長を信じてみよう。 |
続き 2011/05/01(日) 13:57:07 |
| 前の例は、事実に価値判断を含んでいるようなので、例としては不適切かもしれません。
所で、「まさにたった今、料理人が運んできた、ホカホカの料理が机の上にある」
という場合、空腹の人Aと満腹のBでは、どうでしょうか?
事実「料理が机の上にある」
この事実は共通認識できるのではないかと、私は思います。(そう思わない人もいるかもしれません)
所で、この事実、無視していたらどうでしょうか?「腐った料理が机の上にある」となりますが、空腹の人Aは、腐るまで無視するでしょうか?また、満腹の人Bは、腐るまでに手を出すでしょうか?
実証主義にズブズブに漬かりきった事実偏重主義者は、どう捉えるのでしょうか?「料理が机の上にある」というのは事実ではない、と言うでしょうか?事実が共通認識できたのであれば、導き出される結果も共有できるはずだと主張するのでしょうか?
「料理が机の上にある」というのは、先の事実分類でいけば、「受動的事実」であり、事実そのものが意味を語りかけてくる種類のものではない、としました。「能動的事実」の場合は、逆に意味を語りかけてくる、としました。この語りかけられる意味とは、思弁するなら、つまり、わざわざ経験する訳でもなく、実験データとして提出された訳でもなく、ほんのちょっと机上の空論するだけでわかりそうなものとして、「意味を共有できない部類の人」もいるかもしれない、そう思える訳です。もしそうでなければ、文明が発達してさえいれば、様々な領域において、共有できる問題は沢山ある、ということになります。これは本当でしょうか?ありえません。様々な領域で意見が対立しているというのに。そしてまた、自分たちは絶対に、天と地がひっくり返ろうとも間違ってはいない、間違っているのは明らかに、あちらさんの方だ、と、お互いに思っているのに。
大言壮語すれば、戦争を起こすカードは現代社会において封印されている中で、政治的意思を相手に押し付ける方法はあるのでしょうか?ありえません。「事実」とやらが腐り果てるのを待つ意外、方法はないでしょう。とにかくは、自分の生きている間に手柄を立てよう、なんて思い上がったことは考えないのが吉です。 |
少し続き 2011/05/01(日) 07:06:30 |
| もし、あなたは今、お腹が空いている。
目の前に、とてもおいしそうな食事が置かれている。
「とても価値のある食事が目の前にあるのは事実だろ!」
とあなたは主張するかもしれません。
しかし、世の中はあなたの考えるほど、単純ではありません。
そんなこと、事実ですらない、と捉えられるかもしれません。
近代的・現代的教育を受けている別の観察者からすれば、確かにあなたの主張する事実度合いは理解してもらえるかもしれません。
しかし、それは結局は、自分以外の他の観察者にゆだねられます。
あなたは傲慢にも、強引にも、他の観察者に、自身の「事実観」を押し付けますか? |
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