晩年ニートの成り上がり さんの日記

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  2011/08/11(木) 06:04:50
 ふと気になって計算してみると、案の定、ほんの少し足が出ていました。まあ、借金自体が小額であることと、過去を振り返れば、今まででもよくあったことなので驚く訳ではないのですが、しかし弱気の虫が騒いでるんですね。結局、大震災後に儲けた分は吹っ飛んでるんです。これがショックです。マツダ単体で見ると面白いのですが、世界景気が減速するだとか、金融システム不安がどうだとかになると、マツダの景気がよくなるはずがありません。昨日のマツダの株価が185円でしたので、例えば、今はとりあえず借金を返済しておいて、株価が200円に戻った、そんな外部環境のときになって再度、借金でもすれば良いかな、と考えないこともありません。どうするべかなぁ。

共感  2011/08/10(水) 13:00:39
 共感する者同士、付き合うことになった。
共感できなくなったとき、別れることになった。
これでいいのでしょうか?
付き合うことの条件は、共感し合えることでしょうか?
別れることの条件が、共感しえなくなったときだとしたら。
共感できなくても付き合えばいいし、
共感できても別れればいい。
なんかこう、他に条件があるような気がしますよねぇ。
真理を探すためには深くへ入り込まなければいけないとか、幻想じゃあないでしょうか。
あえて真理と言うなら、それはもっと、表層にあるような気がします。
なるほど、幸せの青い鳥のことですね!

FX  2011/08/08(月) 18:13:45
 豪ドルは結局、証拠金を割り込んでいたのを発見したので、これ以上の無理は出来ないと判断して損切り、証拠金を株に戻しました。ぼーっとしている間にも値段の動くものがある、というのがFXの魅力だと感じていたようで、ポジのなくなった今、かなり寂しい気持ちです。協調介入を当て込んで始めた米ドル買い参戦から、結局8万近く損してしまいました。FXは当分、自粛です。

倫理に関して訂正  2011/08/07(日) 12:57:25
 倫理は、教育により、学習は出来る。論語の「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」を知識としてインプットすることは出来る。だから、それを導出することは必要ないのだけれども、別の表現として、「証明」はしなければならない。証明したことにより、「納得」することになる。納得は、経験、体験、追体験により可能となる。しかし、納得はできるけども、「体得」、「会得」はできない。論理の免許皆伝はできるかもしれないけども、倫理の免許皆伝は、未来永劫できない。よって、人類は、同じ間違いを繰り返す、という真理が確定する。

教育  2011/08/07(日) 10:20:36
 「教育」ということは、物凄い人類に有効な社会システム?なのだろうと思った次第です。もし、日本に、教育というシステムが組み込まれていなかったら?と思うとゾッとします。しかし、世界を見渡せば、教育と言うシステムが組み込まれていない、もしくは有効に作用していない国々があるのだろうと想像すると、偉い人はなんとかしてほしいな、と思ってしまいます。

渋沢栄一  2011/08/07(日) 07:34:16
 城山三郎さんの小説で、確か『雄気堂々』だったかな?で渋沢栄一をモデルにしていたと思いますが、これまた確かあとがきだったと思いますが、奥様の言葉が紹介されていて、「主人は、とても論語を大事にしていました。何故なら、浮気に関しては戒めがないから都合が良かったのでしょう」といったニュアンスでしたが、これを読んで、「渋沢栄一、死ねぇやw」と思ったので、結局、『雄気堂々』は読んでいません。なので、渋沢栄一がすごいとも、全然思いません。

賽の河原の石積み  2011/08/07(日) 07:06:04
 賽の河原の石積み、を思い出しました。
石を積む。崩される。石を積む。崩される。石を積む。崩される・・・
未来永劫、色あせることのない真理、それが倫理でしょうか。
人は生まれ、倫理を証明し(ああ、論語の言っていたことは正しかったんだな、と気づく)死に、生まれた人はまた、同じことを繰り返す。
しかし、論理は、色あせることがある。間違っていたと気づくこともある。これまで100年間正しかった論理が、今後100年間も正しいとは言えない可能性が残る、それが論理でしょうか。

ちょっとカッコイイ表現  2011/08/07(日) 06:59:31
 ●論理とは、ストック型である。
●倫理とは、フローである。

論理と倫理  2011/08/07(日) 06:53:20
 @論理(理性)は伝承できる。
A倫理(感情)は伝承できない。
●「伝承できる」とは、例えばピタゴラスの定理という理性の果実、導出された結果(aの二乗+bの二乗=cの二乗)を自由自在に使う事が出来る。利用者は、わざわざ一から考えて、結果(定理)を導出してから使う必要はない。結果の恩恵に即座にあずかれる。その結果を出発点として、さらなる高みに登れることが出来る。つまり、ピタゴラスの定理が発見される前よりも、進歩した状態に移行できる。

●「伝承できない」とは、例えば論語の「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ(自分の望まないこと、嫌なことは、人にしてはいけない)」という倫理の場合、一見、明文化されて代々、受け継がれていることから、伝承されていると表現できるのかもしれませんが、先のピタゴラスの定理の場合と比べて、人間は進歩した状態に移行できているのか?と問われれば、そうは言えないわけです。「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という状態から人間は進歩していると言えるでしょうか?そうではなく、人間は、生まれて成長する過程で、つまり人生経験を積む過程で、その倫理を一から導出しなければなりません。その倫理に辿りついたとしても、自分の望まないこと、嫌なことでも、人に平気でやってしまうことが往々にしてあるという結果を見るに、その倫理を導出できたとしても、人類はそこから先に進歩している、先に進んでいる、より高みに登っている、とはとても言えたものではないと思う次第です。「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という真理を有効活用できていないのです。ピタゴラスの定理という真理は有効活用して、どんどん先へ進んでいるというのに、人類は、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という文言をいつまでも、いつまでも有難がって、そこから先に進むことは泣く、いつも、いつも、堂々巡りです。人生経験を積み、「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という定理の導出に成功した後でさえ、それを人生に生かすことは出来ません。「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という文言は確かに、代々受け継がれているけれども、人類はそれを役に立てているのだろうか?有難い、有難い、と拝んでいるにもかかわらず。

●論理(理性)は伝承できる。これが人類は進歩できる原因である。
●倫理(感情)は伝承できない。これが人類は同じ間違いを繰り返す原因である。

喧嘩  2011/08/06(土) 09:30:14
 ●論理をぶつけ合う
●感情をぶつけ合う
論理は詰め将棋ではありません。主観による解釈が多分に含まれています。こんなくだらないものをぶつけあって、何が建設的なのでしょうか?感情をぶつけあったほうが、余程、建設的です。

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