ごめんなさい 2011/03/30(水) 20:01:49 |
| 先ほどニュースで、福島第一原発の、恐らくは現場に一番近いリーダーへの電話取材が流れていまして、原発作業員の方々の過酷な勤務環境を知りまして、とても自分では耐え切れないと思いました。事の深刻さを、今になってようやく感じました。お分かりだとは思いますが、正直、悪意を持って書き込みした部分があるわけですが、能天気に、無自覚に書き込みをしているほうが多く、自覚のない悪意の影響とは、これはこれでこうも恐ろしいのかと思います。 自分の想像力のなさが、とても恥ずかしいです。これからは、ニュースを沢山見て、問題意識を共有できる努力をします。大変、申し訳ございませんでした。 読者の皆様、クリックしてくださいまして、ありがとうございました。 |
強力にオススメ! 2011/03/30(水) 14:53:16 |
| 電子辞書は、マジでオススメです。今年の一月に、シャープのPW−AM700という、英語の単語をネイティブが発音してくれるのを買ったのですが、広辞苑を引くのも楽しいし、英単語を引くのも、これまた楽しいです。アマゾンの電子辞書の中で、シャープのPW−M800という8000円くらいのが消費者に絶大な支持を受けているようですが、これは英語の発音がないんですね。私が電子辞書を買うとき、どうしようか迷ったのですが、やっぱり発音してくれるPW−AM700を買って良かったです。値段が12000円弱なので、この4000円くらいの差をどう感じるかわかりませんが、英語にこだわりがなければ、アマゾンの一番人気PW−M800がオススメです。これは私の父親が使ってる電子辞書でもあります。私は元々、辞書とは紙のものを使うべきだ!みたいな古い、保守的な人間だったので電子辞書にたどり着くまで出遅れてしまいました。それが、母親が中国語の勉強で結構昔から電子辞書を使ってるのを見ていて、やっと購入にいたった次第です。くどくなりましたが、電子辞書一台で、あなたの人生はかならず実りあるものになるはずです! |
意志(意思)とは? 2011/03/30(水) 08:40:16 |
| 意志とはなんだろう、と思い、お気に入りの電子辞書で広辞苑を引いてみると、どうも、理性的なものであり感情とは対立するもであるようなことが書いてありました。 師匠の文章を読むと、「たしかな意志」を感じると表現したいのですが、それは、理性と感情が混ざり合ったもので、理性的なものだけとは表現できません。 私も、「たしかな意志」を印象付ける、そんな文章を書きたいところです。 |
倫理学 2011/03/29(火) 13:59:52 |
| 先日、「倫理」の意味がわからないよなぁと思っていたけども、ウィキペディアでさえ調べてなかったように気づいたので調べてみました。すると、「道徳」とは理性によってもたらされるのか、感情によってもたらされるのか、議論が分かれている、らしいのですね。 ●道徳とは理性によってもたらされる(イマヌエル・カントによる) ●道徳とは感情によってもたらされる(デイヴィッド・ヒュームによる)
正直、カントのリンクを辿っても難し過ぎるし、これ以上はわかりません。一つ苦し紛れに書けば、倫理学の一つに「メタ倫理学」というのがあって、「倫理的主張の理論的正当化を課題とする」とあることは、今後の私へのヒントになるかなと思いますが、なんとかかんとか、じゃないですが、カントを調べる必要もあるかな、と今の所考えています。
なんとなく読んでみて下さい
今の所私は、「原爆問題」に対して、「論理的アプローチ」をしている派閥と「倫理的アプローチ」をしている派閥があると思っていまして、それぞれ対立しており、片方は論理を、一方で倫理を利用しているものですから、永遠に交わることのない平行線かなと思っていました。多分、私は倫理的アプローチをしている派閥に属するかなと思っていまして、で、先日、「倫理でも論理的な仕組みを持っている」とかどうとか書きましたが、そこが、「倫理的主張の理論的正当化を課題とする」という「メタ倫理学」を必要としているのではないかとあたりをつけた感じです。
倫理学が、道徳とは理性によりもたらされるのか、感情によりもたらされるのか意見が分かれていることと同様に、原爆問題において、「論理的アプローチ」と「倫理的アプローチ」で意見がわかれていても、なんら不思議はない訳ですね。で、果たして、本当に平行線のままで良いのか?という時に、「倫理に論理性を持たせる」ということが歩み寄りになり、妥協にいたるのではないかなと、今の所、想像しています。
とにかく、カントを調べることと、メタ倫理学を調べることが課題です。 |
でも 2011/03/29(火) 10:39:17 |
| ユニクロの店員さんは、明らかに、他の一般の店員とは違い格段に優しいし、丁寧ですよね。ABCマートの店員さんも、すごい良かったですけど。正社員かアルバイトかで、こうも違ってくるのか、給料の違いがこうも接客態度に露骨に反映されるものか、儲かる商売だから店員さんの態度がいいのか。 |
株 2011/03/29(火) 10:04:48 |
| 結局、リバウンド後の高値から結構下がってしまったので、残念ですが、薄利でも欲しいので利確しました。やっぱり、セオリーとして、こういうときの利食いって、早めにしないといけないですね。 今は、現物は性懲りもなくパナソニック、信用をファーストリテイリングにしました。ファーストリテイリングは、障害者雇用に積極的な部類に入ると思うし、その雇用は体裁を取り繕うその他大勢の大企業とは少し違うように感じたために評価しました。もちろん、戻り高値を狙うためでもあります。 思惑通りにいかない。 |
不思議だ 2011/03/29(火) 08:50:39 |
| ちょっと思い出したのが、友人から、「教師として、他人の子供だから教育できるんだけども、これが自分の子供だとしたら、とてもじゃないけど教育する自信がない」と聞いたことがあって、別に巷で聞くにも、「仕事だから介護とか看護の仕事とか出来るんであって、これが身内だったとしたら・・・」とか、なんででしょうね。自分のことには頓着しないんだけども、他人の事になると一生懸命になれる、というケースもありそうで、これは不思議だ。私自身の経験としては、ほんと自分にはいい教えを植えつけようとは思わないんですが、他人に対しては、おせっかいというか、老婆心というか、年寄りの冷や水というか、なんか気がまわるようなケースがあるんですね。 義務感とか使命感とかおせっかいとか、思いやりとか。 他人には我慢強く出来たりするのに、親とかには我慢しないとか。他人には頭を下げられるのに、家族には頭を下げないとか。 |
ただし 2011/03/28(月) 01:47:34 |
| 以前も書きましたが、原爆問題の神経を覆う包皮はとてつもなく分厚く、つまり雑に取り扱ってもよく、この度の原発問題の神経はむき出しでデリケートであり、つまり慎重に取り扱わなければならない、という立場であれば、私とはまるで立場も思惑も違いますので、未来永劫、理解しあえないかもしれませんね。ただし、この度の原発問題の神経を覆う包皮が出来て、それもいつしか分厚くなり、つまり雑に取り扱ってもいい時がくるかもしれないですね、とは思います。 |
私の意見 2011/03/28(月) 01:35:16 |
| 「比較」が非常に難しいのは、望田先生のいうところの「比較の目的」と「比較レヴェルの確定」が、価値観やイデオロギーや、立場や、思惑などによって、有効か無効かの判断が変ってしまうのではないかという心配です。望田先生も、「恣意的な比較があってはならない」とは警告されておられますが、やっぱり難しい。 隠すのは卑怯なので書きますが、私は「原爆と原発」を比較しています。被爆二世という、立場、思惑によってです。「比較レヴェル」は「放射線の影響」であり、一定の同質性はあるという判断で、「比較の目的」は、放射線の影響という「比較レヴェル」を固定して、原爆の影響と原発の影響を統一しませんか?原発の影響は情で対応するけども、原爆の影響は時間が経過しすぎているので、それは歴史と捉え、つまり情ではなく冷静な論理で対応しましょう、と言うのではなく同様に情で対応しませんか?そうでなければ両方とも、冷静な論理とやらで対応しませんか?つまり、被爆二世、三世に対しては原爆の影響と病気の発生において科学的因果関係は認められないとかどうとかばっさり一刀両断しておきながら、いざ自分に火の粉が降りかかるや、こと原発問題が発生するや、これは出来たてほやほやの問題であり、原発の放射線は、先ほど科学的因果関係という論理で一刀両断しておきながら、今回は情で対応するので、遺伝してしまうかもしれない、心配だ、というのはやめませんか?そうでなければ、被爆二世、三世はピンピンしているので、今回の原発の放射線も遺伝せず、「福島第一原発被曝二世」がもし生まれることがあるのであれば、同様に遺伝しませんよと、ばっさり一刀両断しませんか?情で対応してはいけませんよ、ということです。原爆問題はすでに歴史になっているので、ばっさり論理で切って捨ててよく、今回の原発問題は出来たてほやほやなので、ばっさり論理で切って捨てるのは可哀想だ、情で対応しなければならない、というのはやめませんか?ということです。 肝心かなめの「論理」という科学的因果関係については、当然と言うか理解してもらえると思いますが、私は医者でもなく専門家ではないド素人ですので、全くわかりません。 言ってみれば、科学的因果関係という論理に対する素人の私が、被爆二世という立場、思惑で「原爆と原発」を比較するのは無理があるのかもしれませんが、皆さんにも立場や思惑があるのと同様ですので、ご理解いただけるのではないかと思います。 |
比較続き 2011/03/28(月) 00:54:56 |
| 「比較の目的に沿って、比較の対象の選定および比較レヴェルの確定が正しく行われねばならない。だが、このような配慮は、自然界における比較においては、まず誤ることはないであろうが、人間の歴史における比較の場合には、こうした基礎的な配慮でも誤りなく行うのは、けっして容易ではない。」 |
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