欲 2011/06/22(水) 08:17:22 |
| 以前、英語だけでなく中国語も勉強しておきたいよなぁ、と思ったとき、まずは英語を本格的にしてからだ、と考え直したのですが、ふと、今朝方、歳をとってからギリシャに旅行するのも良いなぁなんて思いまして、ギリシャ語はどうか?!とふと浮かびました。なんか、こうやって欲が実を結ぶといいですね! |
過大評価 2011/06/22(水) 06:44:23 |
| ジェリー・ミンチントン『うまくいっている人の考え方』の訳者あとがきで、自己評価での過大評価をプラスに捉える文章を書いておられます。 「かつて、フランクリン・ルーズベルト大統領はマッカーサー元帥を評して、「自分を過大評価する人間を絶対に過小評価するな」と言ったそうです。自分の力や才能を過大評価する人は、とてつもないプラスのエネルギーを持っていて、他人の批判や中傷に動じず、自分の信じる道を突き進み、物事を成し遂げることができます。こんなすごい人を過小評価することは絶対にできない、そうルーズベルトは言っているわけです。」 小ざかしい解釈はせずに、私はこのことを信じてみようと思います。何故ならば、「私は自分の潜在能力を信じている。少しでも手応えを感じているものに対してはチャレンジしたい。しかし私の自己評価はとても低いものである。」この姿勢は、謙虚なようでいて、実はかなり卑怯でセコイものであると、思うようになったわけです。自分の潜在能力を信じているのであれば、はっきりと、自分を過大評価していると表明すべきだと思うのです。このように至りました。 |
日東電工 2011/06/21(火) 09:57:09 |
| もしかしたら、美味しい株価水準で買い戻せるかもしれません。まあ、美味しい水準に落ちるまでに反発したら、もちろん気持ちよくあきらめます。 |
しかし 2011/06/21(火) 09:38:26 |
| 法律が適用されない、たいしたことのない罪に対しては、罰則(怖いおじちゃんに怒られる)がなくても自律的に正しいことをしよう、というのが本質かな?とも思えますね。う〜ん、やっぱり、本質とは単一的なものではなく、振り子のように振幅を持っている、というのか、つまり、いつもいつも真ん中に静止している状態を観察できるとは限らない、と言うべきではないでしょうか。正直、本質という言葉は実に使いづらいです。 |
本質A 2011/06/21(火) 09:33:57 |
| 法律ってなんでしょうか? 「法律で罰せられるのはいやだから、悪いことはやめよう」 私は、この文言を、前回の母親が言い出したとしたら、その母親のしつけの仕方があながち本質からずれてるとはいえないなぁ、その母親も本質的なしつけをしていたのかもしれない、とさえ思います。 本質と客観性は関係しています。当然、本人だけが本質と思っていてもだめで、つまり、本質とは主観的なものではなく客観的なものなわけです。所がですね、本質がどうちゃら言う人間って、「自分だけは例外である」と思っているふしがあるんですね。つまり、自分だけは適宜、本質を知っている、と思っている訳です。自分の考えを曲げようとは思わない。こういう人は多分、ほっといたら自滅するタイプだし、例外は師匠くらいかなぁ、と思います。株の世界で、「自分のやり方で間違いがあるはずがない」と思っていた人間のうち、集中投資していた連中はことごとく消えています。ああいう連中がまだ夢うつつの時期の掲示板での立ち振る舞いって、気色悪かったですね。「本質」という言葉は、ここぞ!という瞬間に放つ光の矢のようなものかな、と思いました。 |
映画とか小説とか 2011/06/20(月) 05:36:01 |
| 映画「ブッダ」をまず見なければ、とは思っていますが、「プリンセストヨトミ」も、是非とも見たいなと思っています。原作は『鴨川ホルモー』の作者とかで、それも是非とも読んでみたいなと思っていたのですが、中々重い腰をあげられませんで。しかし、「印象」って言うんですかね、中身を当然知らない段階から「印象」をもってして中身を見せたくさせる、ってプロかなぁと思いますね。まぁ、そのためには中身をちょっとは明かさないといけないですけどね。なんにせよ、今は、「ブッダ」、「プリンセストヨトミ」、『鴨川ホルモー』(これは小説だけじゃなくて映画も)を見たいな。 |
本質とは? 2011/06/19(日) 22:36:40 |
| 本質がわからないんですよね、本質が。 師匠は、「ある母子が電車に乗っていて、子供が座席の上に土足でキャッキャと騒いでいる。それを見た母親は、怖いおじちゃんに怒られるから、座席の上に土足で上がるのはやめようね。騒ぐのもやめようね」という事例を出して、この母親は本質を見誤っている、と指摘していました。結局、何が本質かは書いてくれなかったのですが、多分、「座席の上が泥や土などで汚れると次の人が座れなくなり迷惑をかけるから、そんなことはやめようね」というのが正解だったのかなと、思っています。とまあ、体裁や他人の評価を気にするサラリーマン人間が大嫌いだった師匠の言い分はわかるのですが、しかし本質をわかっている人のほうが少なそうなものかなぁとの印象を持っています。先の例では、子供はまず、座席の上に土足で上がると怒られる、という経験をする。そのまま大人になり、さあ母親になったとき、自分の母親と同じしつけを子供にする。でも実際は、「座席の上に土足で上がると怒られる。何故ならば・・・云々」と座学で教えられる以前に、ああ、そうか、「人に迷惑をかけてはならない。何故ならば自分が迷惑をかけられると嫌だからだ。(これは多分、論語から来てそう)」というのが本質であるなら、それは様々な状況に当てはめることは出来そうですねぇ。 しかし、先の母子の母親に、その本質を認めさせることって、出来ますかねぇ。私には、やっぱり本質って単一なものって思えないんですよね。そもそも、本質は重要なものだと価値判断できるかどうかも問題です。 正直、「本質事例集」なるものがあったら飛びつき買いしたいところですが、我慢して自分の頭で考えるとします。 |
カネボウ化粧品 2011/06/19(日) 19:57:16 |
| 化粧品のことは全くわからないのですが、もし仮に私が女でカネボウ化粧品の熱烈なファンだったとして、鐘紡の株を持ってたとしたらどうなったのだろうか?恐ろしい話ですよね・・・。 |
しかも 2011/06/19(日) 04:31:07 |
| 鳥取県は一部、裏切ってますし。 |
少子化 2011/06/19(日) 04:28:50 |
| もし道州制が採用されたとしたら、今のように市町村単位の少子化対策ではなく、道州単位の少子化対策になったりして、例えば中国州は少子化対策に熱心でないから、少子化対策の熱心な東北州に移住しよう、とかの動きが出て、そして東北州に限っては出生率がグングン上がった、なんてことはおきないでしょうかね?市町村単位の少子化対策と道州単位の少子化対策では効果は違ってきそうなものです。「国と市町村」の間の道州にしたら楽園が見えます、ってのもなんか変ですが。しかし、中国州が出来たとしたら、州都を巡って、広島市と岡山市の仁義なき戦いが繰り広げられそうで怖いですね。 |
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