| とりあえず、ダメだ 2011/12/30(金) 11:49:33 |
| | とりあえず、プリントアウトしたものを少し見ていますが、内容が稚拙で幼稚で、意気消沈です。しかし、これを小難しい言い回しにしたり、無理に肉付けしたりすると、しらけ鳥です。骨組みの部分はいいのですが、説得力をつけるために、つまり論証したりするための肉付け部分が悲しい、残念な内容です。やっぱり、とにかく情報を仕入れること、本を読むことです。論語で言う、自分の頭で考えるばかりで、外部から情報や知恵を仕入れることをしないとダメだ、という状況だと思います。 |
| 思いつきと論証 2011/12/30(金) 10:09:58 |
| | 2ちゃんねるの多分、哲学関係のスレッドで見たのですが、
●思いつきと論証は違う。西洋哲学は論証した点で優れている。
確かに、思いついた人は、昔、昔にいたのかもしれない。しかし、論証した時点でようやく、歴史に残ることができる。私も、論証しなければならない。その為にはやはり、個別的具体例を収集し、帰納、演繹して還元しなければならない。 |
| もっともっと 2011/12/30(金) 08:45:16 |
| | 主観を大事にするということは、同時に客観も大事にするということだろうか? これはちょっと意味がわからない。 |
| さらに逆説 2011/12/30(金) 08:41:45 |
| | 自分のことを大事にしようと思うことは、同時に他人のことを大事に思うということだろう。自分のことを愛せない人間に、他人のことを愛せるわけがない、というのと同じだろうか。 |
| ちょっとおかしかった 2011/12/30(金) 08:39:05 |
| | 真に物理学の発展を願ったであろう湯川博士に思いをはせて、自分のことを考えているだけではダメだ、と書いておいて、主観主義を大事にしよう、というのは、なんか変でしたね。 |
| 湯川秀樹のウィキによると 2011/12/30(金) 07:36:30 |
| | どうやら、阪大時代、上司から朝永振一郎氏との競争を煽られていたようです。湯川博士は、その時、どんなことを思ったのでしょうか? |
| つまり 2011/12/30(金) 07:20:18 |
| | 「無知の知」つまり、無知が転じて知となる、という発想は、真理かもしれない。私は、主観主義を信じて、突き進む。競争をしないことが競争に勝つことだという逆説は、相対化や比較や客観からは生まれない、絶対的な、主観的なものだと思っている。 |
| オープンソサエティー? 2011/12/30(金) 07:01:53 |
| | NHKの番組で、湯川秀樹は学内に、共同会館のようなものを作ったらしい。それは恐らくは、真に物理学の発展を願ったのだろうと思う。自分のことを考えているだけではダメだということだろう。 |
| 逆説 2011/12/30(金) 06:56:15 |
| | つまり、競争に真に強い人は、競争しようとはしていないのかもしれない。 |
| 勝利という価値観 2011/12/30(金) 06:51:54 |
| | 勝利するという価値観を人間が知ってしまった以上、人間が競争から逃げ去ることは出来ないのだけども、しかし、超一流の人間は、競争の弊害から脱出していることに注目しないといけないと思う。つまり、大部分の人間は、競争の弊害にどっぷりと漬かっていると私は思っている。そんなことを思っていると、競争は悪だ、平等がいいんだ、なんて転じてしまう。イチローや松井秀樹は、運動の苦手な人間を馬鹿にしたりするのだろうか?同様に湯川秀樹は勉強の苦手な人に馬鹿だとか頭が悪いだとか、言ったことがあるのだろうか?真に競争に強い人は、一般ピープルとは明らかに違う。真に競争に強い人は、「競争」ということに対して、一般人とは違う捉え方をしているに違いない。もしかしたら、勝利という価値観を持っていないか、もしくは隠し通すのがよほど上手いか、どちらかではないだろうか。もし、人に勝利するということに価値を見出していないとしたら、もうお手上げです。そんな価値観を私が持っている以上、私は超一流には一生、なれない。しかし、理想と言う看板は掲げていたい訳です。競争の弊害から脱出したい。競争の本質が相対化だとか比較だとかと言うのであれば、一生涯、その弊害から逃れることは出来そうにない。やはり、競争の本質とは、主観主義ではないかと思っている。 |
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