イデオロギーとはなにか? 2011/05/20(金) 20:27:08 |
| 「イデオロギーとはなにか?」も重要な章立てかな、と思います。 |
イデオロギー演算処理 2011/05/20(金) 20:20:47 |
| インプットA→「イデオロギー演算」→アウトプットB
イデオロギーが同じならば、つまりインプットAが同じであるならば、アウトプットBもすべて同じになるのでしょうか?私は違うと思っています。 |
確実に 2011/05/20(金) 00:46:26 |
| 例えば18才とか19才とか、「まわりはほとんどが大学に行って勉強しているから、俺も勉強しよう」という健全な強制力はガシッと働いているはずで、その20才前後の期間を外して、独学という自己管理(まわりは勉強していないけども、俺は勉強しよう)というのは無理がある。というのも、高校時代の勉強内容と大学時代の勉強内容には難度に隔たりがあって、大学での勉強には確実につまずきの連続があるはずだ。やっぱり、「やりたいことをやる、やりたくないことはやらない」これでいいじゃないか。それで本が出版できなかったのならば、原因は明らかに努力から逃げたからで、自分が一番わかっているのだから。 親孝行をしつつ、自分のやりたいことをやる。この折衷はなんとかなる。 |
ちょっと待ったあ! 2011/05/20(金) 00:33:11 |
| まずい、まずい、通信大学に2013年から9年連続で勉強しようと紙に書いたけども、絶対に不可能だ。毎日8時間以上、勉強に費やし、大学費用も年に50万円以上も投入するなんて、ありえない。
「少年老い易く、学成り難し」
学者とはやっぱり天才がなるものだから、無謀なチャレンジはやめたほうがいい。無理に大学に行かなくても草学者は名乗れるのだから。それでも、どうしても大学に行きたいのであれば、3年次編入で2〜3年にすべきだ。ただ、現実を想像するに、1日8時間以上、勉強に費やすなんて、絶対に不可能だ。欲は出してはいけないもんだなぁ。怖い、怖い。絶対に神経をすり減らしてしまうはずだ。 多分、「本を出版したい」という気持ちは持っていてもいいんだけども、それと通信大学は別だ。なんとかなるし、なるようにしかならない。大丈夫だ。 |
う〜ん 2011/05/19(木) 01:59:50 |
| これはいわゆる、「原理主義」かなぁ。
今気づきました。 |
主観主義の真骨頂 2011/05/19(木) 01:53:53 |
| 「根源、源泉から何が湧き出てくるのか、それを言動に影響させる」
「ナインティナインの岡村さんが頑張っているから、俺も頑張ろう」
と思いたいのであれば、主観主義は矛盾しているから、あきらめなければならない、のだろうか?
「どうしてそれをやりたいのか?」これがはっきりしていないのに、
「岡村さんが頑張っているから俺も頑張ろう」
これでは絶対に長続きしないと思うのです。
根源的にどうか?源泉から何が湧き出てくるのか?
人は一人では絶対に生きてはいけない。
もしも、地球に私しか生きていない状況で、
「自分らしくなれ!(be myself)」「自分の力でやれ!(by myself)」
こんなにも虚しい言葉はありません。
地球には私以外にも沢山、人がいるので、相対化はするし、体裁も気にするけども、どうやって、主観主義の真骨頂を普及させるか?しかし、成功している人にとっては、当たり前の話なんですよねぇ、・・・多分。
「良い方向に変りたい、とにかく変りたい」 |
相対化と体裁 2011/05/19(木) 01:17:42 |
| 「イチローが頑張っているから私も頑張ろう」→相対化 「人からどう思われているか気になるので、無難にしておこう」→体裁を気にする
「あの人みたいになりたい!」と言っておきながら、体裁を気にするのは愚かだ、と言うのは、論理的に矛盾しているのではないか?論理が破綻しているのではないか?
人から刺激を受けることを肯定するのであれば、体裁を気にすることを義務としなければならない。
「人に馬鹿だと思われたくないから頑張ろう」という体裁と、「イチローみたいに頑張ろう」という相対化は、「同じレベル、イコール」だと思われます。
体裁は気にしたくない、と思うのであれば、イチローなんて関係ない、と言わなければならない。
相対化=体裁=客観=形式=儀式 |
通信大学 2011/05/18(水) 23:30:26 |
| いずれ通信大学に入学したい、と思っていますが、果たして、大学の思惑通りに、つまり、大学側の強制する勉強、テキストを私は素直にやるだろうか?と思うと疑問です。自分のやりたいようにやる、多分、独学でも、視野の狭い把握でとどまったとしても、自由にのびのびとやったほうがいいかなぁ。正直、年間で15万円前後+スクーリング費用がかかるのですが、ドブに捨ててしまうことになりそうなんですね。 まぁ、あんまり難しく構えない方がいいですかね。とりあえず入学してもいいかな。その代わり、株には資金を回せなくなるのです。これが一番痛いかも・・・。 |
難しい 2011/05/18(水) 23:13:40 |
| 「それをやって、何の意味があるのか?」
こう問う必要がある場合もあるし、ない場合もある。
学問的、学界的、体裁的には必要かもしれませんが、
師匠があるとき言った、「楽しいからやる、というのが本当の姿ではないでしょうか?」
これでいい!と思い込もうとしても、自分の中の、効果や効能を期待する功利主義が首をもたげてきては、「何の意味がある?何の意味がある?」と言ってくる。
と、ここで思い出したのが!
阿部謹也『自分のなかに歴史をよむ』の中で彼の師匠が言った、「解るということはそれによって自分が変るということでしょう」
とにかく私は変りたい。何が何でも変りたい。是が非でも変りたい。
変りたい、変わりたい、変りたい。 |
訂正 2011/05/18(水) 21:41:29 |
| 「ツァラトッストラ」→「ツァラトゥストラ」 「素直に自信の血肉」→「素直に自身の血肉」
以上です。 |
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