晩年ニートの成り上がり さんの日記

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NHK 「100分de名著」  2011/05/18(水) 07:07:32
 4月分の「100分de名著」は、ニーチェの「ツァラトッストラ」だったのですが、ようやく今、見終わりました。今のこの感動はどう表現したら良いでしょうか?私の今、進んでいる道、やっていること、すべてがニーチェによって規定されているかのようなこの気持ち。仏様の手のひらの上の孫悟空のように、私もニーチェの手のひらの上でグルグル、ゴロゴロ。ニーチェが精神を病むのが確か40才後半だったと思うのですが、つまり、40年いくらの経験から、その後の100年を、もしかしたら200年、いや1000年、もっとか?を規定するとは、これはすごいと思われます。「人間なんてこんなもので、未来永劫、性質は変らないよ、だからたかがか40年間、人間を見ただけで、人間の普遍性なんてすぐに発見できるし、つまりその普遍性は未来永劫変らないのだから、人間性の未来予測なんてお手軽に出来るんだよ」と、まあひねくれた見方も出来なくもありませんが、そう見たとするなら、私にもチャンスはある。たかがか、これっぽっちの経験しかない私にも、人間の普遍性を発見し、人間性の未来予測も可能なんだと思えるわけです。100分間でニーチェがわかったと思うのはお目出度いことだ、なんて分別は働かせるのではなく、役に立ったと思えることがあったのであれば、それは素直に自信の血肉にすればいいと思います。
しかし、講師役の、哲学者、西研先生は、これはすごく優しい、物事をわかりやすく教えてくれる、すばらしい先生だと思いました。機会があれば、著書を読んでみたいと思います。
ちなみに、5月の「100分de名著」は、孔子の「論語」です。

最近、緩み気味なので  2011/05/17(火) 07:23:17
 「何をするかではなく、何をしたか?」

再訂正  2011/05/16(月) 07:20:06
 「客観の重要性を認めつつ、あたかもこの世には主観しか必要ないというインパクトを与える」
に訂正します。

訂正  2011/05/16(月) 07:15:31
 「客観の重要性を認めつつ、主観の必要性をことさら訴える」
に訂正します。

主観主義  2011/05/16(月) 07:12:18
 本の題名は『主観主義』で行きたいと思います。
しかし、肝心要の部分、「どのくらいの割合を主観でいくのか?」
という抽象的なルールを決めておかなくてはならないと思っています。
今の所、私は日本人である、という点から、最低でも客観5割以上は必要であるとしたい所です。
人間は時々刻々と、永久にフィードバック制御をしている生き物だとすると、確実に「客観性」は必要になってきます。抽象的で恐縮ですが、主観だけの環境でフィードバックは不可能であり、客観性、つまり他者からの影響は絶対に必要だと思うのです。主観は自己の経験により、客観は先人の知識により鍛えられるとします。う〜ん、上手く表せませんが、主観と客観の融和が頭脳になり、フィードバックは何か?それとも、主観が頭脳で客観がフィードバック機能?だろうか。
とにかく、客観は必要であると認めつつ主観の重要性をことさら訴えるという、至難の業を成し遂げようとしているのかと思うと、武者震いだ。誰に強制される訳でもなく、自分で考えたいと思う事を考える幸せを忘れないようにしたいです。

楽しめれば良い、という発想  2011/05/15(日) 21:23:00
 以前見たブルーインパルスのドキュメンタリーで、隊長が言っていた言葉がずっと頭に残っています。「空を飛んでいて楽しいと思ったことは一度もありません。それは仕事だからです。」特殊な仕事だから、と一言で片付けるのはもったいない気がします。何かの役に立たないだろうか?何か重要な言葉のような気がする、そんな思いがありながら、「英語は楽しい、とにかく勉強したい、あれもこれも試してみたい」なんて言ってる自分はなんだかなぁ、です。あんまり深く考えても詮無きことかな。「何故ではなく、いかに」だ。

頭のメンテナンス  2011/05/15(日) 17:27:54
 今、日課として、日めくり感覚で読める(一日分が2ページくらいの分量)本を6冊用意して、朝のウォーキング+朝英語の後に、本当に心が落ち着いている時に、20分くらいかけてじっくり読んでいます。その6冊の中で、茂木健一郎さんの『脳が変る生き方』を、脳を大事にする、頭を大切に使う、そんなことが心がけられればいいなと思って、読んでいます。これも、一応、「55のヒント」みたいな感じで、断章感覚?で読めますので、上手くいけば、55日で読み終えて、また最初から始まる、という感じになると思います。
このように、日課として日めくり感覚で朝活の一部に組み込まれる本が、多過ぎず少な過ぎず、そして1サイクル終わってとても大事な本に思えたらまた最初から読み始めて、そして何年か何十年かたったとき、どんな本が生き残っているかなと、少し楽しみもあります。
あと一冊増やしても良いかな?と思えるのが、日本サッカー代表キャプテンの長谷部誠さんの『心を整える』です。お気に入りの書店でも、「人気があるので入荷までちょっと時間がかかりそうです」と言われましたし、アマゾンでもすぐには手に入らないようです。
頭を鍛ええ、脳のメンテナンスをして、その上で、植物が自然に芽が生えるように私の考え事も生まれてくれば良いかな、と、自然に任せるべきかな。私はハンデを背負っている、とかいいつつも、失うものは何もない、のんびり時間を費やせる、これはかなりのアドバンテージだと自覚して前に進みたいと思います。

「何故ではなく、いかに」

BAKUMAN  2011/05/12(木) 18:06:55
 『ヒカルの碁』を読み終わって以来、いつか佐為が復活するのでは?と我慢していたら、なにやらデスノートという漫画が始まっており、原作者がほったゆみさんじゃあないことにショックを受けました。見るわけにはいかない、と思ってスルーしていたら『バクマン』が書店に並んでいました。一巻のあらすじを読むと、これはもう読まざるを得ない、と思いましたが、義理立てをする形と財政事情から、とりあえず我慢の日々を送りました。先日、コンビニで漫画大賞として『三月のライオン』が並んでいたので、1巻だけでも買ってみるかと思い手を出すと、少女マンガっぽい部分はあるものの、これがかなり面白く、『のだめ』と『JIN』が終わってしまって物色していたのもあり「三月のライオン」を買った訳ですが、「バクマン」を忘れていたじゃあないか!と、囲碁漫画→将棋漫画→「バクマン」と連想した次第で、バクマンを読み始めたのですが、これまたすこぶる面白いのです。すると、力作を読む側ではなく書く側にまわりたい、という欲望と言うか野望がまた首をもたげてきたのですね。「小説家になりたかったけど文才がないのがわかっていたので学者を目指した」という教官がおられたそうですが、私はそんなに賢くないので、未だ、書く側にをあきらめきれないのです。「バクマン」の主人公達が集英社に持ち込みを始めたのを見ると、私も頑張らねば!と思い、「目標」とか「目的」とか、好きじゃあないんだけども素直にならないといけないと思い、妄想とか夢とかのレベルではなく現実的に直視するべきか?と考え始めました。「書きたいものを書く」、でも形は整えなければならないし、チャレンジはいいんだけども、砂を噛む思いをしていかなくてはならないし、なにより努力しなくてはならないわけで、その上で報われる約束はまるでないのです。でも私の今の立場は、失うものは全くないわけで、あきらめる手はまるでないから、何かに応募してみるのはいいんではないかと、少し現実味を帯びてきた所です。

方針転換  2011/05/12(木) 08:09:05
 今後すべての余剰資金を日東電工に捧げることに決めました。ファーストリテイリングの信用分も解消して、信用分も日東電工に捧げます。

  2011/05/11(水) 14:18:47
 パナソニックは、やはり今後の競争激化(すべての面において!)が怖く、ホールドする自信がないため、日東電工に切り替えました。パナは、今後、余裕資金が出来てくると、いつでも買い戻せると思うので、しばらくは我慢します。

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