困ったことが・・・ 2011/05/02(月) 16:41:20 |
| 皆さん、すみません、ちょっと書き込むだけでも楽になるかと思って書き込みます。
ちょっと回りくどいですが、書きます。 私には友人が4人いて、その内の2人は学校教師をしていまして、彼らが大学生時代からの付き合いで、かれこれ17年くらいになります。この二人は親友と呼べると思います。ただし、電話では月に2回くらい話しますが、会うのは、恒例の夏の一泊旅行くらいです。 で、残り二人の友人は、私が12年くらいまえに3年ほど郵便職員をしていたときの同期(3週間の新人研修で相部屋だった。勤めている局は島根と福山でバラバラ)で、こちらは1月か2月に一回は会う感じです。で、この二人はまだ郵便職員で、どうも大変らしくストレスが貯まっているのです。一人はまだマシ(それでも精神的病気にならないように気をつけねば、と言ってる所帯持ち)なのですが、もう一人が、「いつも電話に出てくれてありがとね!」と言ってくれるのですが、週に一回、多ければ週に2回電話があります。その彼も、昔は、電話の内容をあえて分類すれば、健全な相談話でした。今俺、こんな感じで、どうすればいいかねぇ?といったもので、私に出来うる限りの、自分としては親身に相談に乗ってあげているつもりでした。がしかし!今はですね、今年四月に転勤してきた上司(大ボス的存在)が、話を聞いていると、なんか頭がおかしい?健常者ではあるのですが、例えば、友人にちょっと物を取ってくれと依頼して友人がそれを渡すと、「片手ではなく両手で渡せ」と言ってきたり、提出物をその上司の机の上に置いたら直後に呼ばれ、「角度が15度ズレている。きちっと正確に置く様に」とか、他にもあるのですが、それはいいのですが、問題がですね。「私がタンツボ状態、コエダメ状態、掃き溜め状態?」になってるんですね。「ちょっと困ったことがあってね」と神妙に言ってくるならわかるのですが、もう感情をのっけてきて、「ありゃぁおかしかろうー、どーなっとんやー」と私におもいっきりぶつけてきます。最初は、「おーおー怒っとる、怒っとる」と思ってましたが、「そんなに気になるなら、その大ボスの上司はもう局長しかいないので、局長に言うか、それがいやなら、組合やそれこそ支社(郵便局を管轄する所)にコツコツ積み上げるしかないんじゃない?おれだったら、その大ボスに直接言ってやるけどね」と言うと、「スポルトさん、そこまで大げさな話ではないから」と言う。先ほど言われたのは、たとえ話を出してきて「警察に1万円落とした、と言っても、警察は1万円ぽっち、探してくれんだろ?」それと同じなんだ、と言う。私にしてみれば、たとえ話とその大ボスの件は、まったく関連性がない話で、とにかくどこかに、こんな異常なことが存在している、という記録は残しておかないといけないと思うので、どこかに言うべきだ、と思うのですが、仕返しと言うか、逆恨みが怖いらしい。
いやいや、正直、わかってるんです。私に感情をぶつけてストレス発散しているというか、まあ、人に言うだけでも、問題は解決しないけど気が楽になる、とかいうことだと思います。でもね、その大ボスは4月に赴任してきて、私に「●●はおかしかろう!」ともうここ1ヶ月、ずっとです。私は「タンツボ」じゃないんです。
ここに書き込んだとして、どうしようもなく、また、私も彼とおなじことをしているのかもしれません。「ここは掃き溜めではない」と思われる方もおられるかもしれません。でも、これはまだ一回目なのでお許し下さい。 |
全値押しの刑 2011/05/02(月) 09:43:26 |
| なんか、今回だけは全値押しの刑にはならない気がする。つまり、二番底はないと見ます。 |
ユニクロ 2011/05/02(月) 08:42:05 |
| ユニクロに対する私の印象は、とにかく抜群です。価格は手ごろ、そしてなんといっても、店員さんが、なんか優しい。贔屓目に見れば、「良い地域社会で育ったのかなぁ」と思えるくらいです。私が株を始めたITバブルの弾けた直後くらいは、とにかく自分の主観は信じないようにしていました。自身の主観を客観的評価に置き換えられないと思っていたからです。まあ、流石に、マツダ大好き人間の私にも、客観的にマツダは人気ないなぁとはわかっていますけども。それはいいとして、「タラレバ」は山ほどありますが、ファーストリテイリングを2003年の代行返上売り時代に買わなかったのは、痛恨の極みです。ユニクロの店員さんは、当時も優しかったし、感じが良かったです。とある流通コンサルの助言もあったそうですが、とにかく客に対して優しい。好き嫌いはあるかもしれませんが、でも、洗練され過ぎていないところがいいし、なんか、心が見える気がします。 もう、今更感は拭えませんが、ファーストリテイリングには、かじりつこうと思います。
パナソニックも、大坪社長を信じてみよう。 |
続き 2011/05/01(日) 13:57:07 |
| 前の例は、事実に価値判断を含んでいるようなので、例としては不適切かもしれません。
所で、「まさにたった今、料理人が運んできた、ホカホカの料理が机の上にある」
という場合、空腹の人Aと満腹のBでは、どうでしょうか?
事実「料理が机の上にある」
この事実は共通認識できるのではないかと、私は思います。(そう思わない人もいるかもしれません)
所で、この事実、無視していたらどうでしょうか?「腐った料理が机の上にある」となりますが、空腹の人Aは、腐るまで無視するでしょうか?また、満腹の人Bは、腐るまでに手を出すでしょうか?
実証主義にズブズブに漬かりきった事実偏重主義者は、どう捉えるのでしょうか?「料理が机の上にある」というのは事実ではない、と言うでしょうか?事実が共通認識できたのであれば、導き出される結果も共有できるはずだと主張するのでしょうか?
「料理が机の上にある」というのは、先の事実分類でいけば、「受動的事実」であり、事実そのものが意味を語りかけてくる種類のものではない、としました。「能動的事実」の場合は、逆に意味を語りかけてくる、としました。この語りかけられる意味とは、思弁するなら、つまり、わざわざ経験する訳でもなく、実験データとして提出された訳でもなく、ほんのちょっと机上の空論するだけでわかりそうなものとして、「意味を共有できない部類の人」もいるかもしれない、そう思える訳です。もしそうでなければ、文明が発達してさえいれば、様々な領域において、共有できる問題は沢山ある、ということになります。これは本当でしょうか?ありえません。様々な領域で意見が対立しているというのに。そしてまた、自分たちは絶対に、天と地がひっくり返ろうとも間違ってはいない、間違っているのは明らかに、あちらさんの方だ、と、お互いに思っているのに。
大言壮語すれば、戦争を起こすカードは現代社会において封印されている中で、政治的意思を相手に押し付ける方法はあるのでしょうか?ありえません。「事実」とやらが腐り果てるのを待つ意外、方法はないでしょう。とにかくは、自分の生きている間に手柄を立てよう、なんて思い上がったことは考えないのが吉です。 |
少し続き 2011/05/01(日) 07:06:30 |
| もし、あなたは今、お腹が空いている。
目の前に、とてもおいしそうな食事が置かれている。
「とても価値のある食事が目の前にあるのは事実だろ!」
とあなたは主張するかもしれません。
しかし、世の中はあなたの考えるほど、単純ではありません。
そんなこと、事実ですらない、と捉えられるかもしれません。
近代的・現代的教育を受けている別の観察者からすれば、確かにあなたの主張する事実度合いは理解してもらえるかもしれません。
しかし、それは結局は、自分以外の他の観察者にゆだねられます。
あなたは傲慢にも、強引にも、他の観察者に、自身の「事実観」を押し付けますか? |
「事実」について 2011/05/01(日) 06:53:41 |
| どうも、「事実」には二種類以上、区分できる性質があると思います。これは思考法として2元論が流行していることもあると思いますが、つまり、@「能動的事実」とA「受動的事実」です。(しかしながら、「事実」とはよくわかりません。「事実とはなにか」という本があってもいいくらいです。)
@能動的事実とは、それ自体が意味を持っているかのように語りかけてくる、つまり、普遍的事実で、Aとは違い、解釈が分かれにくいもの。しかし、ここが重要なのですが、解釈が絶対に分かれない事実とは、恐らく存在しないと思われます。 例)原発から放射能漏れがおこった
A受動的事実とは、それ自体、意味を持っているのかどうか、観察者にゆだねられる。 例)リンゴが机の上にある このAの場合、リンゴではなくて、例えばシュークリームなどの甘いものだとか、ご飯だとかで、また違ってくるはずです。空腹の人が観察した場合とそうでない人が観察した場合、「事実の意味」が違ってきますし、もしかしたら「事実の存在」すら疑われてしまうかもしれません。しかしながら、「清掃人」という立場、「料理人」という立場だとかからすると、時間の経過とともに、「ご飯が机の上にある」という事実は、意味が変化してきて、「いずれ処分しなければならない」という「能動的事実」に変化してしまうかもしれません。
@、Aの双方に言えることは、物には出発点があるということであり、「事実」にも「元(原、OR源)事実」なる、ある事実の元になる事実があるだろうことです。事実Aがあるとすると、ここから時間が経過することにより事実Aダッシュに変化して、事実度合い、事実の意味、が変ってくるであろう事です。しかしながら、これは、「因果関係」を確定させる作業と似たようなものかもしれません。事実Aダッシュの元事実である事実Aは、一体全体何か?というとき、確定できないかもしれません。少し稚拙に感じられるかもしれませんが、現在までに存在する、様々な「事実」の元事実を、「ビッグバン」に求めて良いものではないという予測があるからです。
@の原発の場合、元事実は何でしょうか?原発を作ったから?核反応が確かめられたから?果たしてどうでしょうか。自然科学者が、自身の実験室内で事実尊重主義を有難がり、拝みあげるのは好きにすればいいのですが、人文・社会科学系の学問においては、もうすでに実証主義的事実尊重主義は時代遅れの古臭い学説に成り果てています。「歴史学」においては、実証主義的歴史学は19世紀に大流行したものであり、その始祖としてのレオポルト・フォン・ランケは、「近代歴史学の父」と言われるくらいです。
皆さんは、「事実」という言葉を、お手軽にお使いですか? |
決めます! 2011/04/29(金) 03:17:22 |
| そう言えば・・・。あれもこれも、はイケナイ。と昔、書いた記憶がありますが・・・。 「英語5分間トレーニング」に集中! 「3ヶ月トピック英会話」と「実践!英語でしゃべらナイト」は、とにかく楽しむことを目的に、テキストは買うけども深追いはしないことだ。 「まずは薄い問題集を繰り返しやることだ」とは、名言ですねぇ(哀 |
学習法 2011/04/28(木) 08:19:03 |
| natsuzohさんの書き込みに少し重なりますが、昨日、英語教師の友人と、私の英語学習について話をしていました。結局のところ、「学習者」は、@人から言われた有効な学習法を素直に信じて学習する人と、A結局は自分の少ない経験を頼りに自分なりの学習法を編み出す、この2パーターンにわかれるかもしれない、ということでした。私の場合は、間違いなくAのパターンだなぁと思います。入り口は@でも、結局、自分であれこれ教材に手を出したりしてしまいます。Aは、急がば回れで、習熟は遅いかもしれませんが定着はしっかりしているかもしれない。しかしですね、ホント自覚があるのですが、「自分の方法は果たして正しいのだろうか?」と不安になってしまって、結局のところ、先生(先輩、先人)にお伺いを立てるハメになってしまう。大げさに言えば、鉄血宰相ビスマルクの言う、「賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う」を思い出してしまいます。 とりあえず、2008年度、友人には「基礎英語3」一本で、と言われ、「5分間トレーニング」が開講されてからは、それに移行するように、とのことなのですが、どうしても別のテキストにも触手が伸びてしまいます。なんだろう・・・この欲張り感は。一応、今思うに、賢者は賢者のままですが、愚者はブレイクスルーが望める、ということで、自分の思う通りにやってみようと思います。う〜ん、やっぱり、「5分間トレーニング」に9割方のエネルギーを注いで、完ぺき主義的な気持ちは捨て去るべきかなぁ。理屈的には、A、B、Cと、同じ英語の分野でも3種類を学習するよりは、A、A、Aと重ねてやったほうがいいはずなんですよね。これは確かだなぁ。ちょっと見えてきたかもしれない。 |
おかしい・・・ 2011/04/27(水) 17:15:45 |
| 今、文化相対主義をウィキで調べてみると、学問的には19世紀に始まったように書かれている・・・。高校講座よ・・・。ただし、ウィキには、「文化相対主義的」考えは、古代からあるのはあった、とありますので。しかし、少し、高校講座に対する権威的位置が下がってしまったかも。 |
モンテーニュ 2011/04/27(水) 17:07:15 |
| 高校講座・世界史によると、16世紀のモンテーニュの言葉として、「ヨーロッパの文化が普遍的であると考えるのは問題ではないか?」といった感じで著書『エセー』に書かれたそうです。これを「文化相対主義」と呼ぶらしい。つまり、大航海時代の幕開けにより、アステカ帝国やインカ帝国など、ヨーロッパ文明と比較する対象が増えてきたことによると思われます。 |
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