晩年ニートの成り上がり さんの日記

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空振りだったかもしれません。  2010/12/10(金) 23:02:12
 現代人がよく、「過去に●●な因果関係があって、現在、原因としての萌芽が見受けられるので、将来、過去のその因果関係が再現される可能性がある」という未来予測をすると思われますが、それと私が考えていたことがどう違うのか、まるでわかりません。
相場に例えるならば、チャートを用いた未来予測とどう違うのか、これまたわかりません。

大したことはなかった、ということかなぁ。

オーギュスト・コント  2010/12/10(金) 22:36:11
 コントのウィキを見ていましたが、どうも彼も在野の学者だったようですね。そのような方はもしかしたら沢山おられるかもしれないと思うのですが、しかしながら、彼らは、大学の教官になろうと思えばなれたはずの人なわけで、大学の教官になる実力はまるでない、草学者がどうとか言っている私とは比べるべくもないわけでして。ちなみに、日本のコント研究者として有名なのが清水幾多郎でして、あのE・H・カーの『歴史とはなにか』の訳者でもあるのですよねぇ。学問とはもともと学際的である所へ、後世の人間が細分化していった、という感じでしょうかね。

それはさておき、勉強時間が足るのかな?と思うのですが、コツコツ進んでいくしかありませんけども、急がば回れか、直線的に行くべきか、1日2日、考えてみます。

誤解なきよう  2010/12/10(金) 21:22:05
 秋山さんが存在を紹介してくださったのは原田大六先生のことで、彼にかんする書籍のことではありません。ちょっと書き方があいまいでした。すみませんでした。

原田大六  2010/12/10(金) 20:58:20
 秋山さんご紹介の原田大六先生の伝記的な本はアマゾンに注文したので、内容に関してはその到着を待つべきかもしれませんが、彼のウィキペディアによれば、どうも一般教養の分野はすっとばして、専門家に専門分野である考古学の師事に入っているようなのですよね。在野の草学者をめざす私から見れば神のような方なのですが、彼が一般教養をすっとばした、ということを私も真似をすべきだろか?と思っています。つまり、一昨日くらいにアマゾンから届いた『大学新入生に薦める101冊の本』を読まずに、一般教養の分野はすっとばすべきか?と少し、功を焦っている?そんな状態です。それとも急がば回れだろうか・・・。

急に冷めてきた・・・  2010/12/10(金) 20:37:32
 もともと、帰納とか演繹とかを知ったのは高校数学での出来事で、「可逆、不可逆反応」という言葉を聞いたのは高校物理(と大学での熱力学)でのことで、何も別に大したことないじゃん、って言われればそれまでなのですが、しかし、

「具体的事例から帰納法を用いたものを逆演繹して」→現象の予測に適用する

この方法は、今後、一生、私の草歴史哲学生活につきまとうことではないかと思われます。

まあ、とにかく、今回の神の啓示云々を、掲示板の方ではなくこちらの芳名録にひっそりと書いたことは良かったです。マジ、ハズバナになってたかもしれません。

神の啓示  2010/12/10(金) 20:30:02
 これはまさに神の啓示かもしれません。アンビリーバボーです。私は、先月29日の「草歴史哲学者宣言」において、以下のように書いています。(一部、可逆反応的を不可逆反応的、に訂正しています)
●「具体的事例を沢山、収集して、そこから一般化、抽象的表現をし、不可逆反応的にまた具体的事例を生み出す。そんな草歴史哲学者になれたらいいなと思い、」
以下に、J・S・ミルのウィキペディアにおける、「論理学におけるミル」の項目に書いてあることを記入します。
●「論理学の分野では『論理学体系』(1843年)を著した。この中でミルは、実証主義的な社会科学方法論の確立をめざし、帰納法によって発見された経験法則を再度、現象の予測に適用して法則の真理性を確認するという、オーギュスト・コントの歴史的方法を基にした逆演繹法を確立した」

正直、今アップアップになってますし、また私の文章解読力が大したことないので、どの程度、同じようなことを考えていたかを説明しきれませんが、少し書いてみます。

●「具体的事例から一般化・抽象的表現をする」→これは帰納法
そこから不可逆反応的に具体的事例を生み出す、と書いています。これが、ミルのウィキに書かれていた、「帰納法によって発見された経験法則を再度、現象の予測に適用して(中略)逆演繹法を確立した」に当てはまるように感じます。つまり、「不可逆反応的に具体事例を生み出す」=「帰納法によって発見された経験法則を再度、現象の予測に適用して」=逆演繹法
となり、さらにつまり、不可逆反応的(もしくは可逆反応的)=逆演繹法
となるのかなと思いました。

確かに読者の皆様におかれましては、大げさな、とお感じになられるかもしおれませんが、「私がやりたいと思っている方法を、過去の偉人がすでにやっていたと思われる」ということは、「過去の偉人がすでにやっていたと思われることを、私は自身の経験・体験・見聞などから一から発見した」と言いたくなる訳です。この興奮、高揚、ハッピー度合いは言い知れません。もっとも、明日の朝になると、「なんだ、別にそれほどでも・・・」と思うかもしれませんが・・・。

ハズバナ(恥ずかしい話)になるかどうかは、今後の私の努力次第ですが、今日2010年12月10日は、「奇跡の日」かもしれません。とにかく、私は間違っていはいないんだ、と思えた一日になると思います。

田中化学研究所  2010/12/09(木) 10:42:48
 今度こそ、全値押しの刑をくらう予感が的中しそうだったので、大きく崩れた所で利食って(投げて)しまいました。結局、買値から直近高値を経験して下げた後、その値幅の半分くらいで投げた格好になります。投げる瞬間、「もうパナソニック一本でいいよ^^;」って思えたので、いいです。とにかく、三洋電機で失敗したときのマイナス状態からはかなり復活したので、少し考えた後、パナソニック一本じゃあ面白くない、って思えば、他の方法もありかなぁと。まっ、いいさ。

(無題)  2010/12/08(水) 06:58:42
 人の顔色をうかがいながら生きていく、そんな人生も、十分に理解できるよなぁ・・・。

よく思うこと  2010/12/08(水) 06:36:30
 常日頃思うのは、潜水艦って自艦から超音波?を放って敵艦などに跳ね返った超音波を拾って、敵艦などの位置を把握すると同時に自艦の位置も把握してたんだよなぁ?確か、ってことです。川口かいじ『沈黙の艦隊』で確かそうだったなと思います。これがですね、「反動的思考」って言うのでしょうか、よく結びつくんですよね。反動で思考するって感じで、今の日本でよくあるのが、「外敵の存在を体感して初めて日米同盟のありがたみを知る」ってやつです。これがまあ、相対的思考、とも言い換えられるのかなと思うのですが、これまたよくあるのが、反面教師を用いないと自己の立ち振る舞いを制御できないとかってやつです。しかしながら、かといって主体的に、主観的に行動すればどうなるのかというと、実は恐ろしいことが待ち受けてたりして、もう、困りました。とまあ、こんな所で立ち往生している次第です。

今日の考え事  2010/12/08(水) 06:06:04
 今朝方、ずっと考え事をしていたのですが、「ああ、師匠だったら、親友だったら、間違いなく●●●だと言うだろうな」っていうのが即答で出てくると確信しまして、考え事をするのが馬鹿らしくなってしまいました。う〜んと、○○さんだったらきっとこう言うだろうな、と決め付けるのはどうかなと思わなくもないのですが、例えばこの人は左よりの人だから間違いなくこの問題に関してはこう答えるだろう、と決め付けるのは浅はかだといった感じです。まあ、でも、今朝方考えていたことが馬鹿らしくなってきた、というのは良い答えではあるなぁ、と、今は思っていますので、それはそれでいいかなと。結局のところ、悩むのが商売になってたらいけないな、ということでした。

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