晩年ニートの成り上がり さんの日記

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天皇賞  2012/04/29(日) 15:06:32
 勉強をほとんどしてませんが、事実上、今日初めて自分で馬券を買いました。来月から毎週日曜日やってみようと思っています。
11と16と18のボックスを買いました。あとは8の単勝です。

所で、競馬番組に杉様が出てる!

5月一杯までの目標!  2012/04/27(金) 06:47:46
 ●野家啓一氏の歴史哲学を勉強する事。
●野家氏の『歴史を哲学する』によると、歴史哲学には分析哲学、科学哲学が必要の様である。
●分析哲学とは、まずはヴィトゲンシュタイン近辺を勉強する事。
●『大学新入生に薦める101冊の本』によると、科学哲学として酒井邦嘉氏『科学者という仕事』が挙げられている。酒井氏のことは、大杉正明先生の「英語ものしり倶楽部」でインタビューを受けておられたので知っているし、爆笑問題の「日本の教養」でも出ておられた。野家氏も酒井氏も、元々は物理学出身である。

とりあえず、時間を区切って勉強してみようと思っている。時間は区切らない方がいいならば、それはそれでいい。

気分転換  2012/04/24(火) 09:29:40
 気分転換でロングドライブに行って、
帰りにクロッシーを申し込んで来よう。

理想と現実、そして現在と過去  2012/04/22(日) 07:30:48
 茂木健一郎『脳が変わる生き方』を二周目に突入して読んでいます。彼は多様性を称賛します。金子みすずの言葉が出てきます。「みんなちがって、みんないい」です。私は思いました。金子みすずという理想にどんどんぶつかって、そして現実を見る。また理想にぶつかり、現実を見るという繰り返しを続けていけばいい。E・H・カーは、『歴史とは何か』の中で、「歴史とは現在と過去との対話である」と言った。彼には進歩史観があるようなので、つまりは、現在と過去との対話を繰り返すことでよりよい未来が開けてくる、との思いがあるのだろうと推測しますが、この考えを拝借すれば、理想と現実との対話を繰り返すことで、よりよい、より理想に近づいた現実が訪れるのだろうと、今考えています。学んで思い、思って学ぶ。インプットし思考し、アウトプットし、またインプットするの繰り返し。私はスタートラインに立てていることを確信しています。私は四季の中で秋のもの悲しさが一番大好きですが、春の雰囲気も抜群にいいですね。気持ちをドライヴさせてくれます。

歴史哲学  2012/04/18(水) 00:29:24
 『歴史を哲学する』を読み始めると、「歴史哲学」とは史学科ではなく哲学科でやるもののようだ、というニュアンスが伝わります。そして私は今、哲学科の学部生ほどの知識すらないことが判ります。

歴史哲学  2012/04/18(水) 00:14:12
 野家啓一『歴史を哲学する』を今、読み始めました。自分の勉強不足を恥じ入る内容ですが、その分、歴史哲学におけるスタートをこの本によって始めることが出来るのだと、確信しました。

春ドラマ  2012/04/17(火) 20:23:19
 今の所、「梅ちゃん先生」の堀北真希さんは良いです!今日の「リーガルハイ」は、めちゃくちゃ楽しみです。読者の皆様、「陽だまりの樹」は見ていますか?もし気に入られたら、原作の漫画を読んでみてください。最高にオススメです!

既得権益とは何か?  2012/04/11(水) 08:09:40
 どうも、「既得権益」に対する理解が不十分でした。出直してきます。

全然ネタバレではありません。  2012/04/11(水) 04:14:38
 ちょっと書くことが途中で変わってしまったので、全然「陽だまりの樹」のネタバレではありません。

現象Aと現象B  2012/04/11(水) 04:00:10
 現象Aと現象Bが相似の関係であるかどうかを判別するとき、現象Aと現象Bを帰納的に分析して、双方の規則性、法則性を見比べるのだろう。

AとBが相似な場合、Aの後に来る現象AダッシュとBの後に来る現象Bダッシュのそれぞれも相似でなければならない。

現象Aを現象Aたらしめるもの、それは、帰納的に導き出された規則性によるものであり、現象Aの後に来る現象Aダッシュは、その帰納的に導き出された規則性から演繹されるものである。つまり、現象Aダッシュは現象Aから予測可能であるはずだ。本来、現象Aと現象Bが相似の関係であると証明されたなら、現象Aダッシュと現象Bダッシュの相似関係を証明する必要はない。

しかし、現象Aから時間の経過とともに現象Aダッシュが表れるとき、現象Aの傾向から演繹されて予測されていた現象Aダッシュとは違うものが現れる可能性がある。つまり、現象Aから現象Aダッシュが予測不可能な場合がある。だから、現実的には、現象Aと現象Bが相似関係にあるからと言って、現象Aダッシュと現象Bダッシュも相似関係にあるとは言えない可能性がある。

その場合とは、現象Aと現象Aダッシュが不連続な場合に起こる。先ほどの例で言えば、幕府が起こり維新が起こる。幕府が起こり維新が起こる。この繰り返しは、「日本人とは、既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という規則性が現象Aと現象Aダッシュの境目で不連続な場合である。これを言い換えれば、現象Aを現象Aたらしめる「概念」が現象Aダッシュに持ち越されないことである。

ここでふと疑問に思う。「既得権益」の「既得」とはなにか?もっと言えば、「得」とは何か?すなわち、「価値」や「価値観」である。もし、現象Aと現象Aダッシュで「価値観」が転換していた場合、どうなるのだろうか?現象Aでは●●な既得権益にしがみついていた。しかし現象Aダッシュでは、●●な既得権益には価値がないという価値観に転換しているので、その既得権益にはしがみつくはずがない。しかし、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握が常に成り立つのであれば(連続)、●●な既得権益とは別の価値ある既得権益にしがみついているので、現象Aでは既得権益とみなされていた●●にしがみつかないからと言って、現象Aダッシュでは既得権益××にしがみついているのだろう。

現象Aでは「金(ゴールド)」に価値が置かれていたが、現象Aダッシュではゴールドは全く価値がなくなってしまっているが、「銀(シルバー)」に価値が転換していたとする。しかし、この程度の価値転換であるならば、単に、「金属から金属への価値転換が起こっただけだ」と把握されてしまいそうである。劇的な価値転換として、ゴールドから石ころへの変化はどうだろうか?これでもまだ、「液体や気体ではない個体間の価値転換にすぎない」という概念把握がされてしまいそうである。つまり、ゴールドから石ころへ価値転換が起こったとしても、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握に変化は起こらない。もっと言えば、いくら価値観が変わろうとも、価値の対象がゴールドから石ころに変わろうとも、人間が「価値観」という概念を持っている以上、何かに価値を見出してしまう性格である以上、「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握は変わらない。

現象Aを現象Aたらしめる「概念」が現象Aダッシュに持ち越されない、不連続なケースとは、余程のことがない限り、起こりえない。

私の本来の主張はこうである。「現象Aと現象Bが相似であるからと言って、現象Aから現象Aダッシュへの移行を見て、現象Bの後には現象Bダッシュが来るはずである、としたり顔で言うのは間違いだ」ということである。しかし、ゴールドという既得権益を守る現象Aと、石ころという既得権益を守る現象Bは相似ではないかもしれない。しかし、「既得権益を守る」という概念把握が出来る以上、AとBは相似である、と言わざるを得ない。「既得権益を守ろうとする性質一定の生き物である」という概念把握という連続する鎖を断ち切ることは、容易ではない。いくら価値転換が起ころうとも、「価値観」という概念が成立する以上、「既得権益を守ろうと〜」は確実に連続する。

利害関係の外にある人間が、いざ利害関係の中に入り込んだとしても、利害関係の外にいた時と同じ価値観?感情?気持ち?を維持出来るのであれば、何も問題はない。「俺だけは特別な人間である」のならば、是非とも、負の連鎖をあなたが断ち切ればいいだけの話である。

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