晩年ニートの成り上がり さんの日記

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具体的と抽象的  2011/03/14(月) 08:58:56
 ●具体的なものから抽象的なものに昇華させる
●抽象的なものから具体的なものを想像する
具体的な世界と抽象的な世界を行ったり来たり、自由自在に動き回る。具体的なものから一般化をすることが出来、抽象的なものから具体例を自由自在に提出する。

理屈  2011/03/14(月) 08:46:29
 実地の測定ではなく、理屈的に理論的に、論理的に位置を把握するのであれば、その理論を過信してはいけないということですね。ただし、実地の測定が間違っていた、という恐ろしい経験もあるかもしれません。
ああ、いけないいけない、功を競ってはだめだ。功を求めてもいけない。功利的になるのは、無欲で勝利した後だ。

なんだろう?原点復帰  2011/03/14(月) 08:36:34
 どう表現していいんでしょうか。人間って、効率を考えて、逐一原点復帰はしませんよね?例えば、原点から右に1メートル移動した後、さらに1メートル移動した場合、原点からは2メートル移動したことは理屈的に把握しているんだけども、とにかく直近1メートル移動したことを重視する。原点からどのくらい離れたかは常に理屈的に把握している安心感が油断を招き、やっぱり原点からの距離を逐一測定している訳ではないので、誤差が積もり積もって、結局、原点からの距離が理屈的に把握していた数値とつじつまが合わなくなってしまっていた、なんてことが起こるはずです。
先人の業績は、それはすごい事で、とてもありがたい価値があるのは当たり前のことで、当然、先人の業績を新たな出発点とすることが効率的だし、やっぱり利口なんでしょうけど、でも誰かが常に原点からの位置を実地に測定する、そんな泥臭い、不経済で非効率的な作業をやってくれないと、絶対に原点からの位置がずれてしまう。はずだ。
急がば回れ。基本的な、功績は認められず、地味で、人知れず、黒子とすら思ってもらえない、そもそも、原点からの距離が今は理屈と符合する、という確認をするだけという徒労に終わるかもしれない、そんな役割は正直嫌だ。でも、いつか原点からの距離がずれてしまうという絶大なる確信がある。
こんな時は、城山三郎さんの小説かなぁ。

『やめないよ』  2011/03/13(日) 14:20:36
 キング・カズの『やめないよ』が今日、届きました。早速プロローグを読みましたが、これは面白くなりそうです。「楽しい」を連発しているのが気になりましたが、「楽しいことばかりしていると充実感が得られないの原理」の事は忘れて、一緒に熱くなりたいと思います。キング・カズにはこれからも日本サッカー界を引っ張っていてもらいたいと思います。

今も思い出します  2011/03/12(土) 13:59:56
 10年くらい前だったでしょうか、私の住む家の敷地(隣の家からも見える部分)で野良猫が泡を吹いて悶絶しかかっていて(その後、その猫は居なくなっていました)、私は「フンッ別に」と思っていたら、丁度そこに居合わせた隣の家のおばあちゃんが「可哀相に、可哀相に、ああ」と嘆いておられたので、相変わらず情の深い人だなぁ、と思ったのですが、私が情けのない人間かどうかわかりませんが、何かきっかけがある度にその事を思い出します。隣のおばあちゃんが情け深いのか、私が薄情なのか。広島・長崎の原爆の日が訪れるたびに、「他県民は、マジでどんだけ民度の低い奴らなんや」と思うのですが、これは教育の結果現れる違いであり、つまり広島県民や長崎県民は原爆教育を受けているから受け取り具合に違いが出てくるだけと言われればそれまででしょうか。私はよくこの原爆の「被災」と地震や台風などの「被災」を重ね合わせたりします。私は「比較論者」が大嫌いで、よくいる手合いのあれです、「それとこれは別問題で、比較検討の対象にはならない」としたり顔で言う奴らですが、それが大嫌いで、とにかく、私は原爆と天災を同列に扱うのですが不思議なもので、原爆には情が働くものの、天災にはあまり情が働きません。先のニュージーランド地震に関しては募金はしましたがそれまでです。今回の東北太平洋岸の地震に関しても、被害の規模は未だ不明ですし、募金はするでしょうが多分それまででしょう。阪神淡路大震災の「●●年目」とかテレビで見ても、馬鹿正直に言えば(人間の礼儀とか機微?とかに照らし合わせればノータッチで済ませるのでしょうが)ほとんど感情は動きません。「そんなことを論じるくらいだったら、もっと原爆のことを論じろよ」と思ったりもするのですが、阪神淡路方面の方は逆の気持ちなのかもしれませんね。とにかく、誰とは言いませんが関西系のあるアナウンサーが、明らかに広島の原爆記念日のことは意図的に無視して話題をずらした瞬間の表情とか、イントネーションとかが浮かびます。人災と天災は別問題なんでしょうかね。そんなに「原爆、原爆」って連呼するなよと言わんばかりの、被害者面すんなよ、と言わんばかりの、広島・長崎を特別視するなよと言わんばかりの、ああ得も言われぬものでした。(実は他県民からそんな批判を受けたことがあるので)
原爆問題は主義主張が絡み合った複雑だけども神経は分厚い包皮につつまれた問題なので雑に扱っても良く、天災は神経がむき出しにされたデリケートな問題で、万人はその被災に最大限の情を向けるべきであり、人災と天災は別問題だと言うべきなんでしょうかね。まあ私は、言ってみればなんでもかんでも比較可能論者なんでしょうか。
私の今までの見立てでは、人は他人に対する弱者感応帯というものが十人十色で、様々な弱者?に対して情が対応できる人がる一方、特定の弱者に対してしか情が対応出来ない人もいる(私がそれです)し、特定の弱者と言っても人それぞれでしょうか。私の直感を言えば、人は自分の助けたい種類の、つまり情が反応する人々を各自、援助すれば良いんですよね。
 大人だったら口にしないことかもしれませんが、この度、書きました。

恐ろしい事実?:充実感とか  2011/03/12(土) 11:59:29
 先ほど、「今、ほとんど充実感を感じていない」ということに気がつきました。「充実感や達成感を感じる人生を送りたい」と漠然と思っていましたが、少なくとも充実感に関しては、「負荷やストレス」の中で努力を継続しない限り、感じることはないのではないか?!と直感しました。面倒くさい事、しんどい事、実現可能性の低いこと、やるべきことだがやりたくない事、そんなものに果敢にチャレンジした報酬として「充実感や達成感」をもぎ取ることが出来るのではないでしょうか?つまり、好きなこと、楽なことをやってばかりでは充実感は得られない訳で、ここにも「反動のメカニズム」はガシッと働いており、「充実感や達成感」も主観?の産物で、他人からどんなに「充実した人生ですね」と言われようが、本人が「充実なんてしていない」と言えばそれが正解なんじゃないかなと思うようになりました。病気をして健康の有り難味を知る、不自由をして自由の開放感を知る、地獄の、一夜漬けの連続というあの試験期間が終わった後の強烈な開放感、山高ければ谷深し。反動とは、合法的な麻薬みたいですね・・・。人間の歴史なんて、所詮は反動の歴史だろう、としたり顔になりそうです。
 今、英語の勉強することがすごく楽しい、でも楽しいからこそ、充実感は得られない。ああ、もどかしい。それとも、もっともっと英語に時間を割けば充実感は得られるのでしょうか?いや、まあ、今はとにかくストレスがなく、仕事も楽しいしほどほどの給料(笑われてしまう額ですが)、ほんと楽しいですが、「あの苦しい後に来る充実感?や達成感」は感じません。贅沢でしょうか・・・?

人間・安藤忠雄  2011/03/12(土) 10:10:17
 安藤忠雄さんの言葉には感服します。以前、テレビ(ウェークアッププラスとか、関西系)で拝見した頃から惹かれるものがあるなぁと思っていましたが、今回の日経新聞の「私の履歴書」を見て益々ファンになりました。「最後まであきらめない」とか「強い思い」とか、「気力」とか、気持ちがにじり寄ってくる感じです。
 私の場合、「最後まであきらめない」とか決めてしまうと、逃げ場がなくなってパンクしてしまうかもしれない、そんな感触があるので、また、挫折してしょんぼりしてしまう危険もあるので楽に行きたいのですが、草歴史哲学者の道はあきらめずに粘ってみたいと思います。ふっと忘れてしまうときはありますし、もしかしたら1年以上、チャレンジしない期間があるかもしれませんが、「草歴史哲学者」の文字だけは刻み込んでおこうと思います。
当面は、健康第一、安全運転、英語の勉強にじっくり取り組みたいと思っています。どれも難しいのですが、もしかしたら英語の勉強が一番簡単かもしれませんね。
 英語の勉強プランを少し変更してみました。早朝のウォーキング30分の間に基礎英語2と3を聞いていましたが、代わりに「スーパーコーパス練習帳」のCDを聞こうと思います。CDが2枚ありまして、これは今朝、さっそくポータブル・ラジオサーバーに入れ込みました。多分、2枚で2時間くらいでしょうか。これをウォーキング中、ひたすら聞きまくる。私は英語を極めようとするならば、とにかく英作文が出来るようにならないといけない、絶対にそれが近道だと思っていまして、「スーパーコーパス〜」はそれを実現できる練習法の一つだと確信しています。具体的には省きますが、「日本語→ポーズ→英文」の繰り返しなので、(商標とかないと思いますが)「瞬間英作文」の練習になるはずです。「瞬間英作文」という言葉は基礎英語2の高本裕迅先生が言っておられて、「これは為になる!」と思いアマゾンで検索してみると、別の執筆者でしたが、「瞬間英作文」という題名で本を書いておられるのを発見しました。「スーパーコーパス〜」をマスター出来たら買ってみようと思います。
 とにかく基礎英語に始まった今の英語の勉強、約3年とちょっと続いていると思うのですが、私にしてはかなり珍しく、多分、人生で初めてだと思うくらい勉強が続いています。勉強した結果や成果、効果は決して求めない、そう思ってスタートしたものですが、今では欲が出て英検準2級にチャレンジしようとしています。とっかかりは無欲でも、先に進むと功利的になってもいいのかもしれませんね。
 健康だけには気をつけたいと思います。

英語の勉強  2011/03/08(火) 20:33:27
 1ヶ月ほど前から始めたことは、新聞配達中は日本語禁止、英語だけで考えることです。まあ、当然日本語は少しは出てくるわけですが、かなり英語縛りしているのでストレスが貯まるのですが、不思議と続いています。「●●って英語でなんだろう?」ってのは持参しているメモ帳にメモッておいて、家で電子辞書を使って調べるようにしています。この英語縛り、実は新聞配達の不配・誤配防止に役立ちまして、通常の日本語OKモード(普通の時のことです)だとホント妄想ばかりしていて、配達の最後の家を配り終わったときに1部2部と新聞が余った場合、スタート時点から記憶を呼び戻すときに配達の記憶がまるでない、なんてことになって全軒、ポストを確認して処理しなくてはならなくなったりします。で現時点では英語で妄想出来るはずもなく、まあ、不配・誤配の元となるくらい英語での妄想が達者になった暁にはオッケーかなぁと。妄想を達者にするためには英作文の訓練が最強かなと思っていますがどうでしょうか。
あと、今朝からやりはじめたのは、どうして今頃気が付いたのだろうかとおもうくらいなのですが、早朝のウォーキングを30分くらいしているのですが、その間に基礎英語2と3を合計30分聞くことです。これもナイスアイデアなのですが、とにかくどうして今頃気が付いたのだろうかと思っています。
これで、毎日の日課であるウォーキングと朝英語が楽しみで仕方ありません。ウォーキングから帰ってから、本格的に朝英語として「5分間トレーニング」をみっちりやります。とにかく、英語の勉強(特にリスニング)が楽しくて仕方ありません。進歩の速度は遅いのですが、過去を振り返れば確実に上達しているのが実感出きるので、好循環が働いて進んでいます。
とにかく、納得したい。

眼精疲労  2011/03/08(火) 12:55:12
 正確には、ほんの少し目を使っただけで目が疲れてくる、です。ただし、何故かはわかりませんが、いわゆる「テレビ」を見たときは、私の言う眼精疲労は出てきません。また、新聞配達中とかウォーキング中は問題ありません。パソコン、テキスト、新聞、雑誌などは眼精疲労がすぐに現れます。困ったことに、眼科で処方してもらった、疲労を取り除く目薬が全く効かないどころか、痛みを助長している気がしていて、使わないようにしています。
現状、どうしても「英語5分間トレーニング」と『スーパーコーパス練習長』だけは目を通しておきたいのですが、日経新聞はどうするか迷っています。先月中旬から購読し始めておいて、明日から中止します、と言うわけにはいきません。なんせ、職場が新聞販売所で、そこから配達されているわけですから・・・。
眼科で、なんとか話をよく聞いてもらうしかないようです。それか、日経新聞は事情を話して購読中止、英語のテキストは「5分間トレーニング」に絞り、テレビの英語講座を活用すること、くらいでしょうか。とりあえず目を休めることは有効であることがわかっていますので、極力目を使わないようにしたいと思います。

ニーチェ  2011/03/06(日) 20:22:49
 先日、お気に入りの書店に立ち寄ったとき、ふとニーチェ入門的なムック本?に目が入り(もしドラ的な表紙)少し目次とか見ていると、ニーチェは「世界は解釈で出来ている」と言ったそうだとありました。どうも、哲学でありがちな、「客観的事実というものは存在せず、すべては主観(主体による認識)によって形作られている」という思想の元がニーチェなのかなぁ、と思った次第です。E・H・カーが『歴史とは何か』の中で、「歴史とは解釈のことです」と言ったのも、元を辿ればニーチェに行き着くのかなあ。
買いたいなとは思ったものの、「これは明らかにミーハー気分が勝っている状態だ、ニーチェを読んだら周囲からカッコイイと思ってもらえるかもしれない」という小人的打算が気になったのであきらめました。しかし、「主観と客観」という問題意識がニーチェにより提示されたとすると、そんなに新しい問題意識か?!と疑問も残り、これは少し勉強しておかないといけないと思い直しまして、いつかアマゾンで買ってやろうと思っています。
実は、大学4年の時に担当の教官から「何故ではなくいかに」と直接諭されたとき、ニーチェの言葉によると、と教官は言ったような記憶がおぼろげながらありまして、実際どうなのか気になるので、ニーチェは調べてみたい気持ちがずっとあります。
しかし、眼精疲労が直らず、とにかく目からの情報は極力控えている状態でして、英語のリスニングが主な勉強になっています。困りました。

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