ちょっと焦ってます^^; 2010/11/29(月) 15:45:33 |
| 「可逆反応的」に訂正。 「不可逆反応的」に訂正です。 |
訂正 2010/11/29(月) 15:39:31 |
| 最後の当たりの、「可逆反応的」を「不可逆反応的」に訂正いたします。
「可逆的反応」だと、具体的事例と、そこから生み出された抽象的表現がいったりきたりで、「具体的事例&抽象的表現」が永遠にワンセットのままです。
「不可逆的反応的」にして、具体的事例から一度、抽象的表現@をして、その抽象的表現を生み出した元となる具体的事例以外の具体的事例を新たに「不可逆的反応的に」生み出す、という感じです。その新しく生み出された具体的事例からも、抽象的表現@をすることは可能である、そんな関係です。 |
草歴史哲学者 2010/11/29(月) 15:05:14 |
| 読者の皆様、本当にありがとうございます。ナイナイの岡村さんが頑張っておられるので、私も頑張ろうと思い、精神に負担にならないような(失礼します・・・)宣言をしたいと思います。
あまり詳しく書いても意味のないことですが、大学を卒業したあとに就職した会社を一年も経たずに病気で退職し、歴史学者を目指してとある大学の科目等履修生になりました。本当は病院の先生に、「2年間は安静加療して下さい」と言われましたし、同時に「歴史じゃあ飯は食えないよ?」とも言われましたが、当時はとにもかくにも、履歴書に穴をあけるわけにはいかない一心で目標を決めたわけです。まだ、当時を笑って暮らせるほど忘れたわけではなく、とにかく苦しかったです。病気も苦しかったですが、それより何より、好きだと思っていた「歴史」を、いざ具体的な努力に突入してみると、基礎学力が必要なことは言うまでもなく、外国語に時間を取られる、授業に出席しないといけない、青くさい問題意識しか持たない、そんな若造に納得のいくテーマなど決められず、「大学を卒業した君にならわかると思うけど、学部生の書く卒論なんて、即ゴミ箱行きのようなものだからね、がんばって」と言われショックを受け、まあ、早い話がこんな面倒くさい努力には耐えられないと思い挫折しました。学者になるための努力は、とてもじゃないけど私には出来ないと思った次第です。 それから月日は流れ、2004年に一念発起して株に真剣に打ち込むためにも掲示板に積極的に参加しようと試み、とある場所で活動を始めました。最初は書き込むと猛烈に怖いやらドキドキやら夜は寝られないやらで大変でしたけど、次第に慣れ始め、不思議と、書き込みすることそのものもですが、その為に考え事をすることが楽しく思え始めました。考え事をすることは元々好きではありましたが、あの当時、なにかしら目覚めた感じでした。そして、「勉強で飯は食わぬと高楊枝。草野球ならぬ草学者を目指します」と書いたら、師匠が君は面白い人ですね、と言ってくれて、もう飛び上がるくらい嬉しかったのを覚えています。ただし、そこからが株漬けの毎日で、ライブドアショック以降、意地を張って中小型株で勝負をして負け、冴えないダラダラとした時間を潰し、そして今に至ります。 私は、どちらかと言うとではなく、間違いなく「抽象的な世界?」が好きで、あまり具体的なものは興味がない人間でした。しかし、今、自己分析をするに、ほんの少しの具体的事例からすぐ抽象的、一般的表現をしてしまう癖があり、その抽象的な表現は極めて主観的で友達に主張しても、「例えば?」と言われるばかりで具体的事例は並べることが出来ずに、地団太を踏むばかりでした。そこで今考えていることは、とにかく具体的事例を勉強して集めること。そしてその多くの具体的事例から一般化、抽象的な表現をし、その表現の伝わらない人から「例えば?」と具体例を求められれば答えられるようになること。そんなことを考えています。 分野は、あまり確立されていないようですし、私自身もはっきりとは説明出来ないのですが、「歴史哲学」を目指そうと思っています。直感的に浮かぶのは、「歴史学」と「哲学」に分割して、通信大学でそれぞれ2年間勉強すること。一応、大学は決めているのですが、順番が問題です。理想的には、歴史学を2年間勉強して(どこの国のどの時代かは決めてあります)具体的事例を集め、そして哲学の大学に移り、その集めた具体例を一般化、抽象的に昇華させる、なんて都合のいいことを考えていまして、そしてそれら成果を引っさげて、また歴史学の通信の大学院に進む、なんて妄想しています。ただし、「歴史哲学」をするのであれば哲学科に居たほうがいいとかがあれば、それは考え直さなければなりません。まあ、そこまで今から心配する必要はなく、まずは通信の大学で歴史学を二年間、勉強することを目指します。 「歴史哲学」と言えば、まずはヘーゲル、次に西田幾多郎や三木清などがあげられるようですが、はっきり言って、どれも意味がわからず、すべて投げ出しました。「学問」とは、先人の成果を批判的に活用し、新たな成果を生み出すものである、ということのようですが、先人の研究成果の意味が汲み取れない以上、やり方は一つだけです。「自分で一から築き上げること」です。もちろん、「何々入門」とかの入門書は読むにしても、極力自分の頭で考えることを重視して、遠回りしてでも、例えば「君、それはもう先人の誰々さんがすでに考えていることだよ。専門用語では●●と表現するんだよ」と言われるリスクはあっても、いわゆるゼロベースからって言うのですかね、がんばりたいと思います。 具体的事例を沢山、収集して、そこから一般化、抽象的表現をし、可逆反応的にまた具体的事例を生み出す。そんな草歴史哲学者になれたらいいなと思い、ここに、軽く宣言いたします。とにかく大学に入学するまでは、活動範囲は9割9分がここ、芳名録になると思いますので、読者の皆様におかれましては、ひっそりと応援してやって下さいませ。よろしくお願いします。
最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。 |
ナインティナインの岡村さん 2010/11/27(土) 23:56:32 |
| 岡村さんが復帰されたそうです。もう、本当に嬉しいです。彼とは同い年になるので、私の憧れであり、期待の星です。彼ががんばってくれたら、私もがんばろう、そう思える存在なのかもしれません。彼の思うように、これからも活動を続けてくれることを祈っています。 |
貫地谷しほり 2010/11/26(金) 22:32:59 |
| おのみっちゃんの泣き顔を見るたびに、「ちりとてちん」での貫地谷しほりの迫真の演技、「お母ちゃんみたいになりとうないんや!」での号泣シーンを思い出してしまいます。視聴率の悪かった「ちりとてちん」を絶賛するちりとてちんヲタク、通称ちりヲタが猛烈な迫害を受け、耐え忍び、そして隠れちりシタンとなってまで活動する方達のためにも、私も貫地谷しほりを応援します。ユーキャンのCMソングだったファンキーモンキーベイビーズのPV?に彼女が出ていまして何度も見るのですが、確かにいい。(閲覧数からわかる通り、PV全体の評価が高いだけかもですが)しかし、「あんどーなつ」、「ブザービート」、名前は忘れましたが、刑事役の要潤と出ていた深夜ドラマといい、役の型(演技)が固まっていて(ワンパターン)、どうも「ちりとてちん」から抜け出せていない印象を受けます。まあ、見守るしかすることはないのですが・・・。 |
おのみっちゃん 2010/11/25(木) 08:43:04 |
| 今朝のおのみっちゃんの顔に、ふとした瞬間でしたが、竹内結子の顔が見えました!神が降りた瞬間です。しかし、セコセコと昔の連ドラの「あすか」で竹内結子の顔を見てみましたが、おのみっちゃん、ちょっとこれは追い越せないよ・・・。 |
吉川英治の名言 2010/11/21(日) 22:56:50 |
| 人生の名言集みたいなのを見ていて、吉川英治の名言が載っていたので記録しておきます。 「登山の目標は山頂と決まっている。しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある」 |
松本隆 2010/11/21(日) 19:25:38 |
| 今、星間飛行を聞いていますが、う〜む、やはりすごい。あの意味のわからない不思議系、また天然色系の歌詞は彼にしか書けないかもしれないと思います。「心が光の矢を放つ」なんて言葉、フツー出ますかね?ぶっちゃけ、もう自分が作者側に回るのはきっぱり諦めて、他人の力作にどっぷりつかって生きていく、そんな人生でもいいか?!なんて傾いたりもしますが、いやいや、しかししかし、どうしてどうして・・・。 |
スターダスト 2010/11/20(土) 10:38:51 |
| おのみっちゃんの所属する事務所はスターダストなんとかなのですが、やはり竹内結子にはかなわないにしても、北川景子には演技では勝っているのではないかと思います。まあ、竹内結子の演技力に対する評価は贔屓目が入っているかもしれませんが。しかしながら、おのみっちゃんの損保顔を前面に出すとすれば、竹内結子を追い越すことも可能なのではないかと思いはしますが、彼女の純和風?な顔にはやっぱりかなわないかなぁ。今後が楽しみではありますが、比嘉愛未や、特にずば抜けた演技力をもつ(これも贔屓目かも)貫地谷しほりなど、朝の連ドラ出身者が最近ぱっとしない中、おのみっちゃんの将来が気にならないのは嘘になります。 まあ、なにより、鳥取が第二のふるさとであるオラにとっては、微力ながらも応援していく次第でありますし、まだまだてっぱんも、あれ、まだ4ヶ月以上残っているのか、う〜ん、楽しみだ。 |
おのみっちゃん 2010/11/20(土) 10:26:57 |
| おのみっちゃん、ぶりかわええ! それはさておき、血のつながりがあるなし、に関わらず、家族の絆というものは素晴らしいものなのですが、しかし、血のつながりはやはりすごい力があるようなのですね。 |
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