(無題) 2008/02/20(水) 20:31:35 |
| 石原銀行こと新銀行東京に400億円の追加出資とのこと。銀行ともなると追証もスケールが大きい。金融機関は引き際が大事だとは思うが、どんなものか。この銀行は、結構FX会社の信託保全もひきうけているので、影響は甚大である。私は石原は好きではないが、石原のようなタイプの政治家は、必ずしも人気取りをする必要がなく、有権者に我慢を強いるようなことでもすべき政策は断行できるという強みがある。私は彼の任期があるうちに新銀行の尻ぬぐいをちゃんとすべきだと思う。なあに、石原の支持者などは、三国人の悪口でも言ってやればスカッと爽やかになって忘れるから、気にすることはあるまい。 |
(無題) 2008/02/19(火) 20:22:28 |
| 「土龍の巣窟」というサイトを発見した。そういえば土龍さんっていらしたな。「北越の小人」さんも発見。しかしここもやはり動きのないサイトとなって久しいようだ。 |
(無題) 2008/02/18(月) 21:47:52 |
| 首都圏の生産緑地が減っているとの記事を読む。農業を続ける人がいない場合に、都会の畑が原則通りに自治体に買い上げられる例が少なく、ほとんどが宅地化されてしまうのだという。記事は、そうして都市部の緑地が減っていくことを愁えているのだが、田畑は一般の人が憩えるような公共性のある「緑地」だろうか。そもそも生産緑地など称してはいるが、本当は自然保護なんかのためにもうけられたのではなく、急激な都市化の中でまともに課税すればとてもじゃないが農業などやっていけないので、いわば近郊農家を保護するために作られた制度にすぎないのだ。だから、農家を継ぐ者が居なくて、彼らの自由意志で高値で宅地として売却されるのはむしろ理にかなうことだと思う。よって記事にあった生産緑地制度維持を前提とした農業経済学者のコメントは全く共感できなかった。日本の「農業経済学」は、いわゆる通常の経済学とは何の関係もない学問のようである。たぶん堂免さんのそれと似たようなものだ。 |
(無題) 2008/02/17(日) 20:15:16 |
| またしても未公開株の勧誘がきた。○○エンジニアリングという会社の株を有限投資事業組合で買うから出資せよと言う。ネットで見る限り、このエンジニアリング会社の社長はどうも業界では有名人らしいのだが、こんな事で大丈夫なのかと、他人事ながら心配である。しかし投資事業組合を通して買うとは、「ファンド組成人」もうまい方法を考えたものだ。おっと、ここですかさず(w)とか入れておかないと、またまた変な言いがかりをつける向きもあるかもしれないから、気をつけておこう。 |
(無題) 2008/02/14(木) 20:43:45 |
| 久しぶりに通貨のチャートを見たらZARJPYが大きく下がっていた。実に14円を切っている。高金利通貨だけにロンガーが多いと思われるが、ひたすら値洗損を堪え忍んでいるのだろうか。値をとばしている貴金属とは好対照である。 |
(無題) 2008/02/13(水) 21:05:58 |
| 堂免信義『「民」富論』(朝日新書)を読む。この人は光文社ペーパーバックスから『日本を滅ぼす経済学の錯覚』という本も出している東大理学部卒のエンジニアで、経済学は独学なのだそうだ。さてその主張は次の通り。 「自由貿易は必ずしもよいことではない。むしろ一時的には失業を生み、過酷な弱肉強食の修羅場がかなり続く。主流派の経済学者はやがて新産業が生まれ失業が吸収されると言うが、そうすんなりいくとは限らないし、新産業が生まれるほど活力ある社会なら、国内産業を保護しながら国民の力で協力することによっても新しい産業は生まれるはず。むしろよけいな苦痛があるぶん自由貿易を避け、地産地消をすすめるべき」 この主張は歴史的には目新しいものではなく、かつてかなり多くの国で採用された。しかし第二次大戦はその政策の帰結としてのブロック経済がその遠因になったし、保護主義は長期的な弊害が大きいことも確認されているので、今の経済学者で上記の意見に賛成する人は少なかろう。私も、地産地消が豊かさにつながるなんてとても信じられないし、日本国民が協力しあえば保護貿易でも世界に遅れをとらないというのも信じがたい。しかし一部の役人は未だこういう政策に共感するらしく、この本も内閣官房内閣参事官のご推薦である。北畑次官の発言もなるほどと思われる。地産地消はよく農林関係部局でさけばれています。この人は役人言葉に詳しいなあ。役人みたいだ。 |
ただのまんじゅう 2008/02/12(火) 21:47:02 |
| 昔のいろはがるたに、「ただのまんじう ぶしのはじまり」というが、ここに書かれているのは、清和源氏の2代目、源満仲の事である。所領が摂津国多田にあったから、多田と号したのであり、してみると「多田」は苗字あるいは苗字の原型となったものである。しかしそうすると昔から「多田満仲」といわれているのは、いささか不思議な表現である。本来なら「多田源太満仲」とか「多田新発意満仲」とか呼ばれるべきで、苗字に実名が直接接続するのはおかしい。このことは明治初めまで守られた原則で、それゆえ「ただのみつなか」と読むことはあまりにも不自然なので「まんじゅう」と雅号のように音読するのが通例である。 しかし「多田満仲」という表現が昔からあるのには変わりない。平安・鎌倉時代の人ならば、このような表記を見れば「多田」はまちがいなく「本姓」だと思ったことであろう。もしかすると満仲は、源氏ではなく、昔から摂津の国多田に勢力のあった豪族ではなかろうか。そして都にいて平将門追討で名をあげた源経基に取り入って源氏の姓をちょうだいしたのではないかという気がする。事実経基と満仲の親子関係は疑われているようである。 |
暴論に正論あり? 2008/02/11(月) 20:22:53 |
| 蔵研也『国家は、いらない』を読む。日本唯一のリバタリアン(無政府資本主義者)を自称する著者の怪著である。その主張は、公的セクターを支配する者は、公益を声高に主張していながらひそかに市場原理によらずして私益を追求する存在なので、できるだけ公的セクターの役割は小さくあるべきだということである。 具体的主張としては、電気水道ガスはもっと自由化すべき(水道事業は民営化すべき)、日本の住宅地の地価が高すぎるのは借地借家法と税制のゆがみのためである、農産物を保護し自給率向上をめざすなど無意味、放送電波は競売すべし、知的所有権を過保護にするな、医者はとんでもなく増やせ、といった内容である。水道事業の民営化、農業に関する主張、電波入札などはだいたい共感できる内容だった。また公権力に対する非常にさめた視線も、一面の真理をつくものであり、本当は有権者がもっと厳しくならなければならぬところである。まあ、彼らの真の姿はなかなか見えにくいからねえ・・ 彼は公的分野の役割を極端に小さく限定し、最低限の弱者救済だけやればよいと言うのが結論であるが、実は公的セクターこそは、市場自体をも存立可能なものとしている社会秩序を供給する主体であるから、その点に対する言及がないのがちょっと不思議であった。でも一応無政府主義者なのだから仕方がないか。 |
(無題) 2008/02/10(日) 09:37:46 |
| 民主党がガソリン値下げを言い出したとき、いかにも人気取りという感じがしてあまりいい印象はなかったが、そもそも現状の税率が暫定であり、これによって無駄な道路の建設が少しでもやむならばいいかなと思っていた。しかし案の定出るわ出るわ、道路利権亡者の抵抗が。田舎へ行くと、ほとんど交通量がないのに道路だけは異様に立派で驚くが、それでもなお道路がほしいのだろうか。こういう一味は何かというと災害時のことなどを持ち出してもっと道路が必要なのだと言い立てる。本当にきりがないのである。本気でそんなに災害時の交通途絶のことを言うのなら、山間部や離島に住むこと自体がもはや間違いである。そのような土地に住む人たちはすぐにでも強制移住させるのが正当である。移住の自由のある国日本では、もちろん彼らもすべての条件を勘案に入れた上で山間部や離島に住むという選択をしているにすぎないのだから、人間の住むあらゆる至る所に、高規格の道路をよこせ、沖大東島のようなところにも橋もよこせというのは(これくらいこのことも言い出しかねない笑)、とんでもなくばかげている。 このような反社会的な集団をどのように処理すればよいのだろうか。かつてのヨーロッパでは、民衆の敵は「壁の前に並べる」のが当然であるとされていた。民主主義と社会科学の発達した現在では、それは芸がないことである。一つの方法としては、公共投資によって、どの程度地価総額が上昇するかをモデルを作って検討してみることである。欧米で公共工事の実施に当たって採用されている手法である。日本もまじめに検討してみるとよい。真に必要な工事だけが行われるようになり、財政は改善し、税金は安くなるであろう。社会科学を正当に使用することにより、またしても「国民の敵」を排除することができるのである。 |
(無題) 2008/02/08(金) 20:00:01 |
| それにしても経済産業省事務次官のお粗末な発言にはあきれる。何しろ彼は「最近現れた」デイトレーダーは馬鹿だというのだから。北畑氏は金融、証券会社が自己玉を常に(まさにその会社の経営には何の関心もなく)日ばかりで動かしているのをよもや知らないわけではないのだから(そしてその意義もおそらく知っているのだから)、実のところ彼は「個人」でそれをやり「大儲け」している人間にただただ嫉妬しているにすぎないのだ。彼の発言は世界の笑いものであろう。 |
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