季節 さんの日記

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(無題)  2008/01/10(木) 21:01:09
  you-tubeには興味深い動画がたくさんアップされているが、正月休みには古い歌謡曲の映像などをいろいろと眺めていた。私は芸能にはうといので、作曲家の筒美京平氏が2000年代にもヒット曲をとばしていたとはまったくしらなんだ。先日なくなった阿久悠氏などと違いマスコミに出ることも少なく、あまり話題になることもないが、昭和44年のブルーライトヨコハマからずっと一線で活躍し、時代の求めに応じて作風をどんどん変えているのだからたいしたものだ。たださすがに80年代以降は聞いてもぴんとこない曲が多く、この人の名曲はやはり70年代、すなわち「歌番組の時代」までに多いように思われる。ただ惜しむらくはあまりにも歌謡曲、歌謡ポップスの世界にどっぷりつかっているせいか、三木たかし・荒木とよひさコンビの「四季の歌」のような「叙情歌」(「音楽の教科書」や「みんなのうた」に紹介されてもおかしくないような曲という意味である)にめぐまれないのが残念である。もっとも私にとっては、小学校の昼休みに流された浅田美代子の「赤い風船」がなつかしく、叙情歌のように感じられた。あらためて聞いてみると浅田の歌は恐ろしくへたくそであるが。

(無題)  2008/01/09(水) 21:56:50
 卒業式にはまだ早いシーズンであるが、最近小学校の卒業式で合唱用に編曲されたkiroroの「未来へ」が歌われるそうだ。私らのころは「贈る言葉」であったが、歌謡曲臭さが多分にある「贈る言葉」よりは「未来へ」のほうがよい曲であると感じる。だいたい私どもの頃から、音楽の教育現場で「ポピュラーソング」の類が採用されるようになったと思う。たとえば、若い人たちなら誰でも知っている「翼をください」にしても、私たちは小学校高学年の頃に初めて「合唱曲」としてふれたのであり、実際に赤い鳥が生で歌っていたのを知っているわけではない。そのほか、「この広い野原いっぱい」「誰もいない海」「今日の日はさようなら」「若者たち」などは、みんな教科書で習ったものだ。こう列挙してみると、60年代後半から70年代前半までのカレッジフォークは、歌い継がれるよい曲が多い。大正時代の童謡と、70年前後のフォークソングは、日本の(健全な?)歌を代表するものとして、古典のようになるのかもしれない。

共和党勝利の予感  2008/01/07(月) 19:35:34
  アメリカ大統領選挙の予備選がはじまった。ここへきて民主党はオバマに追風が吹いているようだ。しかし何しろ長丁場だし、アメリカは民主主義の伝道師を以て任じている割には、大統領選挙の仕組みは信じがたいほど不合理なので、意外にも共和党の大どんでん返しもあり得るのではないかという気がする。それというのも、民主党の有力候補二人は、いずれも元上院議員だからだ。カーター以降、アメリカの大統領はもっぱら元州知事から選ばれている。どうも今のアメリカで、行政府の長たる大統領に元議員が選ばれる余地は少ないのではないか。最終的に共和党の候補者も一人に絞られるのだし、共和党のマケインあたりならともかく、ジュリアーニ元ニューヨーク市長などが候補者となれば、民主党は苦戦するように思われる。
 大沢悠里のゆうゆうワイドを聞いていたら、オバマが大統領になった場合、KKKなどにより暗殺されるのではないかなどと言っていた。物騒な予想であるが、あながちないとはいえない。ラジオでは、人種的偏見によって起こると予想していたが、たとえばブッシュを戦犯として追及しようとして、狂信的保守派に暗殺されるなどと言うことも考えられる。そうなれば、イラク戦争開戦の真相究明は、「国民の和解を推進するため」と称して、うやむやに終わることとなろう。まさに暗殺するに十分な動機となりうる。

(無題)  2008/01/04(金) 19:22:36
 最近は子供の名前にもいろいろあるようだ。今日私が店で品物を探していると、「ゆな〜 ゆな〜」ととさけぶお父さんの声を聞いた。ついにあらわれたか、ゆなちゃん。私は頭が古いせいかどうしても「湯女」を連想してしまう。そういえば「えな」という子もいたっけ。えな回収業者というのもあるらしいが。居そうでいないのが「大久保清」で、これは事件の直後裁判所で改名の申し立てが相次いだためだそうだ。まあ最近は「清」とか「勤」とか言う名前ははやらないから、うっかりつけてしまう人は少ないようである。

12月の成績 商品−391860円 為替0円

(無題)  2007/12/25(火) 22:57:35
  細野祐二『公認会計士vs特捜検事』(日経BP社)を読む。一部上場企業キャッツの倒産事件にかんし、経営陣と共謀して粉飾決算したとして1審2審ともに有罪判決を受けた公認会計士の、反論の書である。田中森一本を読んだときにも感じたことだが、この種の経済事件あるいは知能犯というのは、本人の自白というのが決定的な証拠となるので、最初から検察のシナリオに証言をおとしこむというのが当然の手法となっているということだ。そうしてそのために事実上の拷問も行使している。ということは、日本の検察というのは、本質的に、1930年代のソ連の検察と何ら変わらないと言うことである。もしかしたら、洋の東西を問わず、検事というのはそういうものなのかもしれぬ。
 昔ソ連に、ヴィシンスキーという高名な検事がいた。マルクス主義が思想的に権威を持っていた頃は、政治学者ラスキをして、「ベンサム以来の最大の法律家」といわしめたが、今はスターリン時代のただの首切り役人としてその著書が顧みられることもなくなっている。スターリンは、筋書き通りの自白が得られないと、「殴れ、もっと殴れ」といっていたし、ヴィシンスキーは「自白は証拠の女王である」として(「最大の法律家」の割に陳腐な言葉であるが)これを忠実に実践したようである。今の日本の検事は殴るとき後に残らないように、電話帳を使うという話もあるようである。そうしてこれほどの取り調べに堪えて自白調書に署名を拒否して裁判に臨んでも、「共犯者が自白」しているばあいは、99.9%有罪なのである。たとえその自白が明白な矛盾を含んでいる場合でも。モスクワ裁判のようなものである。

(無題)  2007/12/21(金) 18:52:17
  今年の商品相場を顧みると、相場人口が減りつづけ、昔に比べ「えさになってくれる人」が減る中にあって、大衆のさや取り筋がねらわれた1年であったと思う。私はガソクラックと、大豆鞘で破滅的にやられてしまった。さや取りをやるのは今年が初めてあったが、さや取りは片張り以上に損切りが大事であると思い知らされた。もう来年は商品やめて週末の為替日ばかりにでも専念するかな。

(無題)  2007/12/21(金) 00:20:40
  神奈川県警の課長が霊感商法にからんでいたと報じられている。霊感商法といえば、原理運動あたりから使われ出した言葉だが、時々公民館などで行われる高島易断などもこれに近い高額のお布施を要求するらしい。アメリカ生まれの、サイエントロジーなどもお高いようである。ある意味「癒し産業」ともいうべきであろう。悪徳であることは間違いないが。

(無題)  2007/12/19(水) 00:14:40
  もう十数年前になろうか、かつて横綱免許権を持っていた熊本在住の相撲の家元「吉田司家」が破産したとの記事が出ていた。ところが最近の田中森一本によると、現在この名跡は、許永中を通じて阿含宗の桐山靖雄が持っているらしい。司家の名跡があるからといって、相撲協会に何ほどの権利があるというわけでもあるまいが、よりによって新興宗教の教祖に持って行かれたとは、協会も困っていることだろう。

(無題)  2007/12/14(金) 22:46:23
  日本の大衆為替投資家をさして、「東京の主婦」だとか「ミセス・ワタナベ」だとかいうのはまだいいが、「キモノトレーダー」というのは、どうにも勘弁してもらいたい。銀座あたりの水商売風の女性がパソコンに向かって取引している写真が出ていたが、所詮ガイジンのイメージする日本はこんなにも安易な図柄なのかとがっかりする。正味の話、着物姿で取引する人よりも、全裸で取引する人の方がまだ多そう。

(無題)  2007/12/12(水) 20:53:25
  弁護士の田中森一が、立て続けに対談集を出した。宮崎学との『必要悪』夏原武との『バブル』である。
 確かにおもしろくはあるが、・・・率直に言って、ヤクザの組長を「親分、親分」とうれしそうに語る田中は、周辺者となっていっぱしのアウトローをきどる向きによくありがちの図式で、いくらかうんざりした。所詮彼は上層部しか見ていないし。この両書は彼のためにもださないほうがよかった。私は『やくざが店にやってきた』の宮本照夫さんのほうがかっこいいと思う。
 ヤクザの組長を、上場企業の役員としても通用するなどとやたら買いかぶる人もいるけれど、彼らの資質は、土建業の親方を上回ることはないと思う。実際出身階層も似ているし。暴走族のリーダーをすばらしいと持ち上げるのと、本質的に似たようなものだ。確かに人の上に立っているのだから、それなりのものとは思うけれど。

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