季節 さんの日記

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(無題)  2007/09/28(金) 22:30:32
  1ヶ月間も 、自分が考えていたポジションとさかさまの玉を持っていたことが明らかとなった。どうも変だと思っていたが、実に10%近い損失である。ショック。

(無題)  2007/09/28(金) 00:26:58
  ビルマの民主化要求デモで日本人カメラマンが死亡したらしい。かの国もいよいよ容易ならざる事態になったが、外国の意識あるマスコミが軍事政権の名乗る「ミャンマー」という名称を嫌いビルマと称しているのに、日本ではミニコミのようなところを除いて政府も報道機関も「ミャンマー」と称しているのは、日本人の信念のなさの現われと受け取られてもしょうがない。ことにウヨの連中が外国の民主化について口角泡を飛ばしている対象は、中国北朝鮮といった、彼らの言うところの「特定アジア」に対してだけであって、タイやシンガポールやブルネイやアラブの王国に対しては、何一つ言及しない。所詮彼らの言動は党派的なもので、心から外国人の人権や民主化にシンパシーを持っているわけでないのは歴然としている。所詮ウヨはその程度の存在なのだ。
 しかし正直日本人がこんな調子でいるかぎり、北朝鮮の拉致被害者を救出すべく諸外国に団結と支援を呼びかけて、今ひとつしらけた反応しか帰ってこなかったとしても、ある意味自業自得であろう。

(無題)  2007/09/26(水) 23:35:56
  時津風部屋で急死した力士が、実は親方や兄弟子たちから暴行を受けていたという。相撲といえば、「無理偏にげんこつ」の世界だから、こういうことも昔からありそうだし、現に千代の富士が現役時代に時分の部屋にいた北天佑の弟をリンチしたとかうわさになっていたことがある。しかし死者が出たのは初めてではないか? いや、今までは稽古中の急死ということでごまかされてきたのかもしれん。
 考えてみれば、相撲の世界は、江戸時代から基本的な組織の仕組みが変わっていない。幕下以下は給料ももらえず、基本的には住み込みである。今まではそれでごまかしが利いたのかもしれないが、果たして今後もこれで持つのだろうか。前近代的な部屋制度の根本から見直さなければいけないように思われる。

「ロンドンの銅買いませんか?」  2007/09/25(火) 23:04:15
  少し前、ロコロンドンの金をやらないかという投資のお誘いの話の中で、さすがにロンドンの銅を買わないかという業者はないようだと書いたら、最近ついに(ロンドンかどうかは知らないが)日本で銅が証拠金で売り買いできるようになったようだ。名づけて「商品CFD」という。何でもあるFX会社では、金・銀・原油・銅がFXと同じように売買されるというのである。
 これが本格化すれば、商品先物に強力なライバル出現といったところだが、どうです皆さん、やりますか(笑)

(無題)  2007/09/23(日) 22:57:15
  今日は朝日に載っていた「耕論」の感想を述べようと思ったが、掲示板の方で「天才」談義が持ち上がっていたので、そちらのほうに関しふと感じたことを書こう。
 天才相場師と一言で言うが、私はこれには二つのタイプがあると思う。ひとつは、ある一時期ものすごい成績を上げるが、失うときはすっからかんになってしまうタイプである。もうひとつは、人知れずこつこつと何十年も利益を積み上げている人である。マスコミに派手に取り上げられ、世間でイメージする天才相場師は、ほとんどが前者ではないだろうか。その典型が是川銀蔵である。
 是銀は、晩年には所得税を滞納して印税を差し押さえられ、彼自身「株で儲けた金は一銭も残っていない」といっていた。実際は是川奨学基金を残しまた大阪市などに多額の寄付を行っているから、彼の生涯成績がマイナスであったとは考えられないが、彼が基本的に「相場で得たものは相場に返す」という考え方の持ち主であることは間違いない。彼に限らず、有名相場師は概してこれに近い考えのようである。彼らにとって相場は遊びであり、それで得た金はあぶく銭なのである。それだから、相場を否定する人たちからは、「それみろ。あの有名相場師だって最後はすっからかんではないか。だから相場で儲けるなんてことは出来ないのだ」といわれてしまうのだ。
 しかし、マスコミに現れない、もうひとつのタイプの「天才」相場師は、前者ほど派手に成功はしないだろうが、間違っても「相場の利益を相場に返そう」とは思わないだろう。なぜならそれが唯一の収入源だからである。その代わり彼らの成績は比較的コンスタントである。
 どちらのタイプを尊敬するかは、人それぞれだろう。しかしギャンブル嫌いの私としては、後者のほうに共感を覚える。ギャンブル好きの人が相場に向いているかどうかは、プロの世界でも両説あるが、私は向いていないと思う。かつてのコテハン珈琲相場師さんも同じ説だった。ちなみにケインズ(彼も商品相場で利益を上げて後に男爵に叙せられても恥ずかしくないくらいの富を得た)も同じことを言っている。「プロの投資手法というものは、耐えられないくらい退屈なもので、全くギャンブルに対して興味がないような人に最も向いているね」

(無題)  2007/09/22(土) 20:02:42
  フランスにある国際キログラム原器が0.05ミリグラム減っていたそうである。1キロ金塊にすると約13銭分である。もっとも、1キロバーにももっと大きな誤差があるだろうが。これが「原器」であるだけに、正式には1キロの重さが減ったと解釈しなければならないのである。そろそろ新しい定義に変えたほうがいいですな。
 ところで金は今はフォーナインが標準であるが、一昔前はスリーナインだった。その頃作られた金の延べ棒はやっぱりいくらか割り引かれるのであろう。確か中国では、スリーナインの市場もあるはずである。例のパンダ金貨もスリーナインである。ミニ金も最近出来高が上がってきているが、いったいどういう人がやるんだろうか。

バイカイ付け出し廃止  2007/09/22(土) 13:31:57
  先日、今まで取れていた中部大阪アルミの2円の鞘が突如取れなくなり(ふたを開けてみると-2円の損切りに終わった)さすがにこの市場からの撤退を考えているが、ふと中部大阪のHPを見ていたら、5日から、システム化導入によりバイカイ付け出しを廃止し、全て場にさらすことにしたとの事。なるほどそういうことだったのか。しょうがないな。

(無題)  2007/09/20(木) 21:39:22
  数日前、トリフォが自己破産した。トリフォといえば、旧名を太陽ゼネラルといっていて、当時のコテハンにもここを愛用する人がいたが、結局あっけなくつぶれてしまった。こういうとき委託証拠金は保全されるというが、それ以外の余剰金はどうなのか、本当に1000万までは保全してくれるのか、少しばかり怖いものがある。だいたいいくら委託証拠金は保護するとしたところで、業者が「懐玉」をしていた場合は、まず救ってはもらえまい。思うに先物会社は、業績が悪化したら、無理せずに早めに撤退してもらいたいのである。出来れば為替会社のように、財務諸表が一定限度悪化したら、金融庁の命令で業務停止となったほうがよい。そう考えると、かのグローバリーが、もはや悪徳営業が出来なくなったと見るや、さっさと撤退したのは、実に正解であった。先物会社の経営においても、早めの損切りが肝心ということである。

(無題)  2007/09/15(土) 19:22:15
  双葉社から出ている週刊大衆のグラビアヌードの裏ページに、「弁護士法人 浜田卓二郎事務所」の広告が出ていた。浜田卓二郎といえば、奥さんの真紀子さんが違う選挙区から衆議院議員選挙に出馬して当時話題になり、保守的な人の多い支持層から「奥さん一人を御することが出来ない男が、どうして国政を御することができるのか」とばかり総スカンをくらってか、二人とも落選したのを思い出す。自民党議員は意外にも家庭ではリベラルすぎる人がいるらしい。 宮沢喜一なんかも、家庭ではすごくリベラルで、そのリベラルさをもっと国政で出してほしかったと子供が残念がっていたほどである。
 その浜田が、今は東京で弁護士事務所を構えている。主に借金利子の過払い金の取り戻しをやっているようである。議員は選挙を落ちればただの人というが、こうなるとやはり弁護士資格というものは強いものだ。元国会議員という肩書きも、特殊な人脈を持っていそうで一見頼もしく思われる。グレーゾーンの廃止でサラ金業界は冬の時代となり、昨日にはクレディアの倒産も伝えられた。借金の整理など基本的にはルーティンワークで、それでいながらもと国会議員が体面を保てるほど稼げるのであるから、弁護士にとって今はウハウハのときであろう。とはいえ、将来はマトモな業者は全て法定内となり、過払い金を請求する先は全てアウトロー勢力となるであろう。そのとき弁護士の真価が問われると思うのである。

『IQってホントは何なんだ?』  2007/09/14(金) 22:15:49
  村上宣寛『IQってホントは何なんだ?』(日経BP社)を読む。村上は同じ出版社から『心理テストはウソでした』を出して物議をかもしたが、本書もまたかれ一流の毒のある読み物となっている。前著も本著も、細かい点ではいきすぎというか、悪意が勝ちすぎる嫌いがあるが、当たっている点も多いのは事実である。日本の教育学界や心理学界ではここ数十年の間、IQごときに関心を持つのは差別主義者か俗物であるとして、知能の研究(特にその測度や個人差)は顧みられる事がなかった。知的機能に関する研究は、もっぱら認知心理学の名の下に、人間を序列化するようなことのないような形で、研究されてきた。しかし欧米では、その後も知能に対する研究が深められ、これまで日本で紹介されたことのない新しい研究が進んでいる。
 本書はその新しい研究を本邦初紹介として書いてあるが、内容的には少し前に出版されたイアン・ディアリ『知能』(岩波書店)を少し増補したものというべきか。また新しい知能の分類についての研究の紹介は『人事アセスメントハンドブック』(金子書房2000年)にも詳しく載っており、厳密には初紹介とはいえない。本書が「ハンドブック」を完全無視するのは不可解である。
 もひとつ気になるのは、アメリカの知能検査が職務能力と0.5の相関があるのに、日本のSPIが0.25〜0.3くらいしかないのは、日本のSPIがg(一般知能)を測定してないからであるまいかと論を進めているが、これはほかの解釈の可能性を悪意を持ってシャットアウトするもので、いかがなものか。私の見るところ、採用テストと職務能力との相関をとると、特にそれが狭い範囲の人たちを選抜して採用した場合、相関係数は低くでがちであり、そのへんの事情が統制されていない限り、異なる研究の相関係数を単純に比較することは出来ないと思う。たとえば、三菱商事に合格する人は、全人口から見ればきわめて限定された、優秀な人たちである。このような人たちの間で、採用テストの成績(SPIを使用しているかどうかは知らぬが)とその後の出世に高い相関がえられなかったとしても、なんら不思議ではないのである。
 村上氏は富山大学教育学部の教授だそうであるが、富山大学生も、この本を読んでこれくらいの疑問は感じてほしいものである。

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