季節 さんの日記

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公共事業と××  2007/05/29(火) 21:21:01
  公共事業にともなう入札がほぼ100%××××××××××××××××××、もちろん大多数の役人はそれにはタッチせず、利益ももらっているわけではない。しかしながら、ごく一部の中に、予定価格を漏らしたりして対価を求めるやからもいるのであろう。土木系の技術職の中に、たまに突然退職する人間がいるが、おそらく内部で発覚して、警察沙汰になる前にひそかにやめさせたものと思われる。こういう、予定価格を漏らすの類は、もっとも現場の職員の不正であるが、もう少し幹部級の人間になると、官製談合の調整役などもやるようである。そんなわけで事業官庁というのは、みな腐敗の要素があるのであり、国土交通省はもちろんのこと、農水関係でも、農業土木など、ゆがんだ部分というのは存在する。林政官公庁などは「緑と環境をまもる」などという一見、市民受けしやすいクリーンな印象を与えるが、本質は(ほとんど取るに足りない)木材産業、治山林道業界と、あとは自分たち自身の雇用のためにあるといっても過言ではない。

松岡農相自殺  2007/05/28(月) 20:58:43
  これはまず、還元水がらみではなく、林野庁談合事件に絡むものでしょう。私も知らないわけではありませんから。

高松塚解体  2007/05/25(金) 22:15:47
  高松塚が解体された。こんなことを書くと年齢がばれてしまうが、私は高松塚が発見されたときのニュースを、かすかに覚えている。テレビに、鮮やかな婦人群像が映し出され、母親が「これは昔の人の墓だ」と説明したのを聞いて、これのどこが墓なのかといぶかしがったのを思い出す。そのときの婦人像も顔すらわからない無残な姿に変わり果てた。おそらく発見されてから1年後には、尋常ならざる変化が観察されたはずで、20年後にはどうなってしまうかを、容易に予測できたであろう。いったい、文化庁の小役人たちは、何を考えていたのであろうか。
 私は、何を隠そう某公的機関に勤めている人間であるが、出来の悪い役人のひとつの特徴として、案件を塩漬けにしてしまうやからがいる。そうやって自分の異動をひたすら待つのである。驚くべきことに、役所の出世システムは、仕事の能力とは全く連動しないから、こんな人間であっても、たとえば庁内報が高度に丸暗記できれば、何一つとがめられることなく出世してゆくのである。(都道府県などでは出世の基準は、基本的に過去1年の庁内報の丸暗記の度合いで決まる。)最近は県庁にも、たとえば東大物理学科出などが何をトチ狂ったのか、配属されたりするが、こんなのが出世基準であるから、いくら彼の地頭がよくて仕事が出来ても、丸暗記でマーチ諸君に敵わなければ、出世することは全くない。こんな連中に任せているから、高松塚古墳の壁画は、永久に失われることとなったのである。嗚呼。

相場の才能と事業の才能  2007/05/24(木) 23:09:31
  相場で成功するひとは、社会に出ても成功するという話がある。「成功」の程度をどの程度のものと考えるかにもよるが、両方で「大成功」を収めるのは、単純に確率の問題から言っても難しい。知られている中で両方で最も成功したのは、寺町博氏ではなかろうか。この人は、日本トムソンの創業者で、会社を上場するまでにこぎつけた技術者だが、また同時に、株と商品の世界で有名な相場師でもあった。しかしあるとき株で大穴を明けてしまい、日本トムソンを人手に渡してしまった。しかしあらためてTHKを立ち上げて、これもまた上場させたのだから恐れ入る。フジフューチャーズのオーナーでもある。この人以外で、いわゆる仕手筋の人で、事業家として一流の人は、あまりいないのではないか。一方、武富士のオーナーだとか、リクルートの江副氏とかが、事業をセミリタイアしたあと、商品先物に参戦したとか言ううわさを聞いたが、あんまり大もうけしたという話は伝わってこない。二つの才能を兼ね備えるのはなかなか難しいようである。

日本の労働生産性は先進7か国中最下位  2007/05/23(水) 21:31:17
  だそうである。もともと日本のホワイトカラーの労働生産性がそれほど高くないのは知られていたし、今回発表されたようないわゆる購買力平価で計測すれば物価の高い日本はいっそう不利になる。この発表を受けて、政府ではホワイトカラーの働き方について抜本的な改革を目指す所存のようだ。しかし、この低さは、結局のところ最近順位低下の著しい一人当たりGDPの少なさを、別の仕方で表現したものに過ぎないのではないか。となると、単に労働者の働き方の問題ではなくして、日本社会のルールの根本的な部分に原因があるのではないかと思う。たとえば、この国は詐欺に対し非常に甘いので、経済資源のかなりの部分が詐欺の小道具として使われているし、談合やサービス残業の横行に代表されるような、法の支配の不備も著しい。(日本を欧米に比較するとき、すくなくとも日本は中国の人治主義を笑う資格はない)結局のところ、日本人は法を使って争うということをしないから、こんな違法行為がまかり通るのであり、その原因のひとつに法的サービスの供給が少なすぎるという点にある。司法試験受験生が丸暗記競争をくりひろげても、法的サービスの向上には全くつながらない。アメリカのように、丸暗記などそこそこでよいから(単純比較は出来ないが、択一の問題はさほど複雑でもないのに、せいぜい6割出来れば合格で、8割の受験生がクリアする)ロースクール生のあらかたが弁護士となり、弁護士稼業で競争してくれたほうが、法的便益の改善につながるのではなかろうか。

あてにならないwikipedia  2007/05/22(火) 22:26:14
  Wikipediaの家康以前の松平氏の所を読んでいたら、とんでもないことが書いてあった。初代の親氏から、家康の祖父の清康にいたるまで、正式には「在原親氏」だの「在原清康」だの名乗っていたというのである。しかし、こんな名乗りは同時代文献ではまず見られないものである。松平氏の出自については、古く三代信光が賀茂氏を名乗ったことが知られており、また源氏を名乗ることもあったらしいが、現在広く流布している系図による、(源氏である)新田氏の分流としての松平氏という主張は、家康によってなされたものであることは定説である。はっきり言って松平氏を在原氏とつなげる説は、その家康よりも後代に現れた、取るに足りないものである。「在原親氏」だの書きこんだ人物は、そんな後世の取るに足りない説を聞きかじって、「正式の名乗り」などと称して彼の脳内にしかない人名をwikiに書きまくったのである。
 困ったことに、この人物は、歴史上のおもに苗字で呼ばれている人物について、同じようなことを大量に書き込んでいるのである。なかには坂本竜馬ですら、源のナントカと名乗ったとかナンセンスなことが書いてある。私の見るところ、その半分以上は確かな証拠など何もないと思う。大体いわゆる「本姓」での名乗りは、中世以降、まず朝廷で官位を授かるときくらいしか使用しないのであるから、ごく普通の武士が「本姓」での名乗りを残していることのほうが珍しいのである。この半可通の御仁は、相当の系図オタクと見えて、おそらく各家の出自から考えて、このような本姓を名乗ったはずだとでっち上げたものだと思われる。しかし先の松平氏の例で見てもわかるように、出自伝承自体が当人が在世して頃よりはるか後に唱えられたものである場合もあるし(その場合はそのような名乗りは絶対にありえない)、かりに当人が生きていた頃の出自伝承があったとしても、真実その伝承のとおりの名乗りをしていたかどうかは別問題である。むしろ一般の武士にとって、本姓など無縁であっともいえる。したがって本姓による名乗りなど辞典の記述としては無用の長物、全部削ったほうがよいのである。要するに史料的裏づけのないことを書いてはいけないのだ。
 この御仁の書いたナンセンスな書き込みは、さすがにすぐに削除されたものも多いが、あまり人が来ない項目では、1年以上にわたって誤った項目が書き込まれたまま放置されている。所詮wikipedia、多くの人はさして当てにしていないと思うが、時として全く愚にもつかないことが、長年改められないままもっともらしく記述してあるという好例であった。

国民投票法  2007/05/21(月) 22:09:00
  憲法改正のための国民投票法が可決された。こちらの掲示板でも、ついに話題になったようである。日本人の今後の生活に無縁であるはずがないのだから、人々が関心を持つのは当然であろう。ところで国民投票法が可決されたことで、いわゆる護憲派の人たちは絶望し、あるいはいきり立ち、保守派の人たちは勝ち誇っているようであるが、私に言わせると、どうもそうは問屋が卸さないと思う。なぜならば、今度の国民投票法は、内容ごとに投票にかけるからである。となると、単独で章をなしている9条は、必ずそれ自体が切り離されて、国民投票の賛否の対象となるであろう。最近の世論調査などでは、9条については現状維持がおおむね50%おり、これに対し改正派は30%くらいしかいない。冷戦崩壊後、日本においては非常に保守化が進んだのに、なおこれだけの差があるのである。保守右翼が願望してやまない9条解体、国軍復活は、国民投票によるかぎり、永久に不可能ではないかとすら思われる。私などは「首相公選・一院制・9条維持」が理想の体制ではないかと思っている。多分これは国民投票では通るであろう(笑)
 真実の意味で国民の敵は誰か?もはや多言を要すまい

赤ちゃんポスト  2007/05/18(金) 21:37:01
  設置について賛否両論があったが、赤ちゃんポストが正式に熊本に設置されることとなった。が、その第1号は、3歳の男の子であるというから、病院も驚いたことであろう。しかし、前近代社会では、子供が捨てられたり売られたりすることは、珍しくもなんともないことであった。古い社会にはやたら宗教施設が多く、また聖職者の人口に占める割合も多いが、これはその実「人口調節機能」を果たしていたのである。胎児や生まれたばかりの子供を間引くように、ある程度育った子供であっても、経済的に育てられそうになければ、お寺の小僧さんにしたのだ。チベットあたりでは、今でもそうだという。最も今の日本は、減りゆく人口をいかに維持するかが課題となっているわけだが。

肩書き信仰  2007/05/17(木) 22:58:29
  前回、アメリカのニセ学位について書いたら、儲太さんも、教授号のお誘いがあったとの事。ごく普通のサラリーマンには、この手の称号の効用はなかなか想像しにくいが、よく考えてみると、コンサルタント業などでは、単なる自己満足を超えた、それなりに商売道具として役に立つものかもしれない。そういえば、ボストンだのマッキンゼーだのといった、今をときめくセンコンの連中も、東大京大といった学歴と、ハーバードだのLSEだののMBAをひけらかして、客を暗示にかけているのだから、似たようなものである。少々胡散臭いところがあっても、現に職務経験を単位に換算して、何がしかの論文を書いて博士号をもらえるのなら、それを名乗ることは称号詐称にはなるまい。そこは大人の阿吽の呼吸というべきであろう。お医者さんでも、いわゆる旧帝大とか慶応あたりを出た人は、卒業証書を恭しく飾っているものである。日本では、足の裏のご飯粒といわれている医学博士号よりも、こういうところの学士号のほうが威厳があるらしいのである。

外為どっとコムの  2007/05/16(水) 20:05:35
  会社概要を読んでみると、口座数10万、預かり金700億、従業員127人であった。先物業界は預かり4000億で従業員1万5000人くらいいるんだっけ。為替会社だったら従業員1000人もいたら足りる計算である。

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