本日の取引 2008/09/15(月) 17:24:17 |
| ドル/円を104.95でさらに買い。 激しく下げてんなぁ。 |
本日の取引 2008/09/15(月) 16:07:14 |
| ドル/円を105.84で買い。 これはいただき、多分。 |
(無題) 2008/09/15(月) 06:48:10 |
| グリップをちゃんと意識したら、ドライバーが劇的によくなった。 youtubeで『SGAゴルフレッスン動画』というのを見たのが良かった。 主催者でコーチの北市秀男という人は結構な肥満体型なのに、上手い。 ホームページを見たら、ヤマハで開発をしていたとのこと。 今はショップ経営もしているようなのだが、場所が札幌・・・。 |
(無題) 2008/09/12(金) 22:54:15 |
| 昨日の回復分の1/2が飛んだ。 |
(無題) 2008/09/11(木) 21:59:48 |
| 日経新聞の隅っこに連載中の「美の十選 尊大な王と悲しみの王妃」が面白い。
昨日の損失分は、今日回復した。 |
(無題) 2008/09/10(水) 20:12:45 |
| 昨日建てられなかった鞘取りの片割れが、値が飛んで成立・・・。 まぁ、今回は不注意や怠慢によるものではないので、しょうがない。 |
(無題) 2008/09/09(火) 21:05:44 |
| 新規の鞘取りの片割れが値幅制限に引っかかって建てられなかった。 明日、値が飛びませんように・・・(有利な方向に飛ぶのならウェルカム)。 |
(無題) 2008/09/08(月) 21:23:57 |
| DVD『ニューオーリンズ・トライアル』(監督:ゲイリー・フレダー)を買った。 一度観た映画なのだが、また観たくなり買った。 アマゾンで送料込みで新品が1,776円。中古もあったが、数百円の差だったので新品にした。 映画の内容は、アメリカの裁判の舞台裏を題材にしたものだが、本当にこんななのだろうか。
ピッチャーの工藤公康に対する二宮清純のインタビューの中で、ピッチングには「軸回転」と「タテ回転」しかない、とあった。 その違いは体型によるという。 ゴルファーでも同じようなことを言う人がいる。 ゴルフのレッスンを受けるときは、自分に似た体型のコーチを選ぶことにする。
JR系列のコンビニ「NEW DAYS」で携帯の料金の支払いをしようとしたら、公共料金の支払いは受け付けていないとのこと。一瞬、レジが故障でもしているのかと思ったが、違う様子だった。 驚いた、というか、自分で勝手にコンビニだと思い込んでいただけで、これはコンビニではなかったのだ、少なくと自分の定義の中では。
とうもろこしと一般大豆が12月から、単位(?)が今の1/5になるらしい。 最近、証拠金が高くなっているので嬉しい。 ところで、米の上場はどうなってしまったのだろう。
先月下旬から取引再開している。 先週末、利食った。順調な滑り出し。 明日また新規で建てる予定。 |
本日の読書 2008/08/31(日) 15:30:53 |
| 『スポーツ名勝負物語』と『プロ野球の一流たち』(共に、著者:二宮清純)を平行して読んだ。 二宮清純の文章は雑誌や新聞で時々目にしていて、いつも「面白いなぁ」と思っていたが、まとめてちゃんと読んでみて、こんなにも上手くて面白かったのかと感動した。 その面白さは、実際に試合やレースを見ているかあるいはそれ以上のものがあり、その試合やレースがまるで自分の所有物になったかのような錯覚に陥る。 二宮清純があと10人位、いや100人位いて、世で行われる全てのスポーツにおいて記してくれたらと思う。 こういう人がいると、「本っていうのは本当に素晴らしいな」と思う。積読をするだけで人生が保障されたような気になれる。 アマゾンで検索したら、数十冊の著作がある。ありがとうございます。
『望郷の道』(著者:北方謙三、日経新聞で連載中)を毎朝読んでいる。 面白くて毎朝の楽しみなのだが、読点の付け方がいつも気になる。 |
本日の映画 2008/08/31(日) 00:43:14 |
| 『明日への遺言』(監督:小泉堯史)を観た。 法廷ものはハズレが少ない。 日本映画で法廷ものは珍しい。
事実に基づいた映画なので脚本の出来とは無関係だが、主人公である岡田中将の主張には無理が感じられた。「無差別爆撃を行った敵機の搭乗員を戦犯とみなして処刑する」ことと「一切の責任は司令官である自分にある」とすることは矛盾している。
岡田中将は自分のみが責任を負うことによって部下をかばったが、もし、部下にも責任を共有させたなら岡田中将は死刑を免れたのだろうか?それとも自分には責任がないのに、若い部下をかばうために全ての責任を負ったのだろうか?
岡田中称が日記を綴る場面で、「戦争はなくならないような気がする」というような内容を記述していたが、同意見である。 「戦争」の定義にもよるが、仮に戦争が絶対的な悪なら、アメリカ大陸を発見したヨーロッパ諸国は先住民との交渉にどのような手段をとっただろう。 アメリカがイギリスから独立するにはどうすればよかったのか。 日本を統一するのに、戦国武将たちの武力は不要だったのか。(日本は戦争に絶対といえるほど反対する割には、冷酷な戦国武将たちを英雄扱いするという矛盾がある) もし自分の土地が干上がって家族達が飢え死にしそうなとき、隣の肥よくな土地の住民が運悪く価値観が異なり、「水も食料も何一つあげないヨー、アッカンベー」と言ってきても平和主義を貫き、話し合うのだろうか。そのとき自分の家族は100人で、隣の土地の住人は数人だったら?「分かりました。私達はこれで滅びてしまいますが、あなた達お隣さんは今後栄えていって下さい。」って言う?
こういった類の物事の是非を問うときに、「じゃぁ、自分が犠牲者になっても同じことが言えるか?」という意見があるが、言える訳がない。 個としての自分と、全体の一員としての自分は別物である。 |
|