季節 さんの日記

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積極営業と受身営業  2007/04/25(水) 23:03:26
 何日か前、為替取引会社の勝ち組と目される会社について、結構専業組ががんばっているという話をした。為替取引が自由化して、かれこれ10年ばかりたつが、初期の頃は商品先物系の会社が多かった。率直に言って私は、提供するサービスの類似性から言っても、商取会社がこの分野を席巻するだろうと思っていた。したがって私の予想は外れたわけである。その理由を考えてみるに、FX取引では、不請招勧誘が最初からほぼ禁じられていたためだろう。このため、先物おなじみの「積極的な」テレコール勧誘が出来なかった。また口座を開いた後も、基本的にはネット取引であるため、外務員による「明日ドル、爆発的に上がりまっせ〜 腰ぬかさんででくださいよ〜〜」調の営業や、両建てや仕切り拒否といった問題が最小限に抑えられていたことが大きい。つまり商品先物の「得意」とする営業「手法」がほとんど使えなかったのである。
 為替取引会社の営業は、商取のそれに比べると、きわめて受身である。すると競争は主として、手数料の安さ、通貨ペアの種類、スプレッドのせまさ、システムの安定性や使い勝手、スワップポイントの高さといった、顧客本位の観点でのものとなった。残念ながら商品先物系はこれらの競争ではトンとだめで、独立系や他分野からの進出者にあっけなく敗北してしまったのである。わずかにくりっく365系で気をはいている程度である。そうして受身営業であるのに、結果的にいまや商品先物より大衆化が進んでいる。これからの商品先物がどうあるべきかについて、示唆するところは多いというべきであろう

アラロブさやとり  2007/04/24(火) 22:32:57
 アラビカとロブスタが上場してからもう10年近くたつであろうか。たしかアラの単位が69キロと中途半端になっているのは、ロブと鞘取りをしやすくするためだという話を聞いた。事実、私が掲示板を覗きだした頃、アラロブ鞘取りを得意とする人がいた。しかしやがてベトナム大豊作の影響で両者の鞘は開きっぱなしとなり、その人は大打撃をこうむってしまった。その頃言われたのは、アラロブの鞘取りをするのは、ジャガイモを売ってサツマイモを買うようなものだ、という話であった。それ以来、私の頭の中ではアラロブストラドルは成り立たないという情報がインプットされてしまった。最近の相場表を見ると、ロブでヘッジしつつアラでローリングなどで出来そうな気もするが、かなりリスクは高そうである。珈琲指数はうちの店では出来ないし。

むかしの日中の国民総生産を比較する。  2007/04/23(月) 21:09:24
  『近代東アジア経済の史的構造』(中村哲編 日本評論社)という本を読んでいたら、1936年の中国の国民総生産(厳密には国民所得)の数字が載っていた。金額は257億元(74億ドル)一人当たり41.22元(14.64ドル)である。ちなみに当時の日本のGNPは大川推計によると193億24百万円(55億94百万ドル)一人当たり275円(79.72ドル)である。日清戦争前の1887年では通貨価値を物価指数を用いて時価に直すと、中国は57億元(43億ドル)、一人当たり15元(11ドル)、日本は8億18百万円(6億23百万ドル)、一人当たり21円(16ドル)であった。ここに用いたレートはいわゆる購買力平価ではなく、為替レートによるものであるから、大体において当時の市場評価にもとずく両国の経済規模を物語っている。円元パーなのは1936年は偶然だが、1887年は、両国ともメキシコドルを円・元の通貨単位にしていたから、必然である。
 これを見てわかることは、日清戦争当時、日本は赤子をひねるように中国をやっつけたが、実は経済規模ははるかに中国のほうが大きかったこと、日中戦争当時もなお中国のほうが「経済大国」であったことである。戦前、とくに19世紀の戦争はまだまだ「総力戦」といえるようなものではなかったといえよう。では、日本・中国・朝鮮で何が違ってたのかというと、実は財政規模であって、幕末の頃の日本と中国の財政規模はほぼ同じ、朝鮮はこれよりはるかに小さく、江戸時代の日本人は中国・朝鮮人より6倍から12倍も重い税負担だったことが知られる。この重税こそが、日本を近代国家にいち早く飛躍させたとするなら、皮肉な話である

保守派の中国予測  2007/04/22(日) 23:49:20
 中嶋嶺雄『香港回帰』(1997)を読んだ。中嶋といえば、保守派の論客としてしられ、北京に対し極度に否定的な予想をするので知られる。この人が、香港が返還された年に中公新書から出した本が図書館にあったので読んでみた。案の定、香港の将来について極度に悲観的で、沈み行く都市国家と決めつけている。またこの本は、中国のひとりあたりGDPが2000ドルを超えるのは「21世紀もだいぶ先」などといっている。だいぶ先というからには少なくとも一世代ぐらい先と考えているようだが、事実は2006年に達成した模様であるから、この点でも大外れである。どうもこうなると予想というよりは、中国にはぜひとも失敗してもらいたいという、保守派の願望としか言いようがない。さすがにこの本は絶版になっている様だが、巷には今日もシナ破綻を願望する悪意に満ちた「予想」が垂れ流されている。この本はそれらにたいするよき教訓となるであろう。

知られざる名曲? その5  2007/04/20(金) 22:57:13
  マックス・レーガー(独1873〜1916)は、後期ロマン派の重厚な、あるいはバッハ風の擬古典主義の作風が特徴とされ、平凡社の一般向けの百科事典にもその名があり、すくなくとも音楽史に詳しい人ならば、決して無名とは言えないはずの人であるが、その作品は、晦渋などといわれ、じっさいに聞いたことのあるひとはすくないのではないか?私は23枚組みの室内楽全集を手に入れて、何よりも43歳という生涯の短さの割りにその作品の多さに驚いた。さてその「後期ロマン派」風の珠玉の旋律が聴けるかというと、・・・世評どおり晦渋な作品が多かった(笑) この人は音楽理論が先行したような作風であると思う。残念ながらクラシックの初心者には間違っても聞かせられない曲だとオモタ。

ちかごろ「出来不申」が多くはないか?  2007/04/19(木) 22:20:20
  今日のロブの先限の後場1,2が出来なかった。私はこの節成り行きの仕切注文を出していたので、携帯で仕切注文を確認したときは、一瞬何がおきたかわからなかった。そういえば最近は板寄せでも、あちこちの節で出来ないのをときどき見かける。これは困ったことである。

手に負えない逆恨み  2007/04/18(水) 20:23:15
  長崎市長が射殺された。報道によれば、数年前、市の工事でできた穴に車が落ちて、数百万円をゆすろうとして拒否された過去があり、うらんでいたという。これが本当の動機かにわかに信じられぬが、この事件で思い出すのは、数年前民主党国会議員石井紘基が右翼に刺殺された事件であろう。あのときも、犯人の右翼の男は、さんざん情報を提供してやったのに邪険にするのは許せないとして、殺害に及んだのであった。こういうのを、パラノイアというのであろうか。しかしこういう基地外じみた人間を陰で操っている黒幕がいそうな感じもする。豊田商事の永野会長(もとあそこの外務員である)や、オウムの村井幹部がやられた事件も、真相はわからずじまいである。

総合取引所  2007/04/17(火) 21:54:54
  政府も証券・金融先物・商品先物を統合した総合取引所の設置に向けて動き出した。いささか遅すぎたくらいである。そもそも、商品先物業界が、両建てや不招請勧誘を禁止するかわりに、登録外務員制度などのばかばかしい言い訳でお茶を濁してきたのは、監督官庁たる経産・農水両省の無能振りを証明するものであった。よってこの連中から権限と天下りポストを取り上げることは、信賞必罰の観点からも当然のことである。聞くところによると、コメ上場が実現しないのは、市場原理を導入することによって、「コメは日本人にとって神聖な作物である」といういいわけができなくなり、外国からの門戸解放圧力に耐えられなくなるのを恐れたためという。三流役人なら考えそうなことである。農水省および地方自治体の農林部門は、役所の中でももっとも費用対効果の薄い浪費部門なのは、ちょっと業界通ならばみな知っていることである。
 はれて三等農林役人の監督下を離れた商品先物市場では、いよいよコメ上場が本決まりとなるであろう。関西取引所は大証と合併することになると思うが、これを機会に堂島以来の伝統を復活させる意気込みでがんばってほしい。できればコメも複数銘柄を上場させるか、籾米など関連商品を上場させて、鞘取りの機会を狙いたいものである。

崇教真光、ベルギーで城を買う  2007/04/16(月) 19:24:04
  週刊新潮を斜め読みしたら、新興宗教の崇教真光がベルギーで城を買って、現地で気味悪がられているという記事があった。地元の何とか言う伯爵が熱心な信者で、地元ベルギーでは信者が急増中らしい。日本で海外に進出している新興宗教といえば、大体南米がメインで、つまりは地元の日系人の信者を集めるというパターンが多いが、ベルギーは特段日系人は多いとは思えぬから、これはちょっと珍しい。思うにこれは「世界救世教」系の教えに起因するのではなかろうか。世界救世教は「岡田」という人が始めた宗教で、宇宙の主宰神を信じ、手かざしにより宇宙のパワーを集めて病を治すという。真光はこの別れである。この系統は、元来は教派神道のはずであるが、大宇宙の最高神を信じるという点で、かなり一神教にちかい。それゆえ、ベルギーのキリスト教徒にも受け入れられやすいのだと思う。現にベルギーでは「真光の業」で私もキリストになれると評判なのだそうである。
 世界救世教は、たいそう儲かっているようで、信者の中に、我も我もと独立を試みる人間が後を立たない。実際ここから分かれた新興宗教は数多いのであるが、それでもなお資金は潤沢である。その資金力を以て建てたのが、伊豆のMOA美術館で、黄金の茶釜は有名である。相場をやっている人の中には、結構宗教がかった人もいるようであるが、宗教的才覚に恵まれているのであれば、当てにならない相場の動向に身をゆだねるよりも、一旗あげてみてはどうだろうか?世界にマーケットを求めるつもりなら、やっぱり一神教的教義がいいだろう。これに病気直しの漢方でもドッキングすれば、大成功間違いなし!?

現代人の起源  2007/04/15(日) 00:24:39
  2,3日前、どこかの山奥で、3万年前の日本人の祖先が(祖先とは限らないが)黒曜石を採掘していた後が発見されたと報じられた。3万年前の人類が、現代人と変わらない知能を持っていた証拠であると伝えられている。その頃の人類はすでに、ホモサピエンスに属するから、それは当然だろう。ところが、その「当然」が、現代人類学では必ずしも、当然ではないらしい。というのは近年、人類は5万年前に脳内にある重大な変化が生じて、爆発的な発展を遂げたという説が、結構はやっているからである。先日のニューウィークにも、比較的近年の3つの突然変異が、現代人としての行動をもたらしたという説が紹介されている。最近は日本人学者でも、この説を信じている人がいるらしい。
 しかし、ニューズウィークによると、その突然変異の最も最近のものは、わずか6000年前だというのだという。その主張によれば、たぶん最後の突然変異こそ都市文明をもたらしたのだといいたいらしいのだ。しかし、わずか6000年前の突然変異ならば、世界中の人類に広がっているとはとても思えない。となると現代人の中に「都市文明」を築く能力のない人たちが大量にいることになる。本当だろうか?なんとなく最近の人類学は、なんでも突然変異を持ち出し、文明の差を簡単に脳内構造の差に結びつけるきらいがありすぎる。現代人が今もなお刻々と進化し続けていることは確かだろうが、文明の進歩とそれが直接結びついているというのはどうにも信じがたい。5万年前にたった一箇所の突然変異で文法的言語が魔法のごとく生まれたという説も、わたしには新手のキリスト教的創造説にしかみえないのだが。

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