クック諸島金貨 2007/04/09(月) 21:12:14 |
| 最近時々、ニュージーランド領クック諸島金銀貨なるものの広告を新聞で見かける。鉄腕アトムの金貨だとか、ハローキティの金貨などがそれである。おそらく日本の業者が委託して、独自硬貨を作っているのだろう。以前は、サンマリノの切手が有名であったが、最近は聞かない。いずれにせよ小国ならではの面白い商売ではある。このクック諸島というのは調べてみると面白い国で、ニュージーランドの自由連合ということで、日本は独立国としては承認してはいないけれども、20数カ国は実際に主権国家として承認しているのである。であるなら、書店で売られてる地図の中に、ひとつくらいは独立国としているのがあってもよさそうだが、わが国の地図業界はことのほか政府に忠実であるらしく、みなニュージーランド領扱いである。 このような、独立国なのかそうでないのかあいまいな、半主権国家がいつの間に現れたのか知らないけれども、かつてのエジプトはオスマントルコの宗主権を認めた国際法上の従属国と呼ばれた。また、よく考えてみると、英連邦自治領も、正確にいつごろ独立国になったのか、私は知らぬ。通説では1930年のウェストミンスター勅令で独立国とみなされたとされるが、その後、日本政府はどんな扱いをしたのであろうか? 大東亜戦争では、ご承知のとおり米英に宣戦したけれども「当然のごとく」豪州とも戦争状態になっている。これはどんな国際法解釈でそうなったのだろう?また蘭印にも侵入しているが、これはどうか? しかしこれは、当時日本政府はオランダに有効な政府なしとみなして、一方的に戦闘を開始したのかも知れぬ。仏印は、相手政府(無論ヴィシー政府である)の承認を得ての「進駐」である。こう考えると近い時代のことでも、意外にわからぬことが多い。外務省に問い合わせてみようかな。 |
生き残った為替会社 2007/04/08(日) 11:33:30 |
| 金融先物取引法が改正になってから、為替会社も淘汰されてきたが、掲示板などで話題になる会社を挙げてみると次のとおりである。 ○独立系 マネーパートナーズ MJ サザ FXA証券 G M O証券 外為オンライン すばる証券 121FX アトランティック ミスター証券 JNS FX119 ヒロセ通商 外為.com FXオンライン ○証券系 豊証券 オリックス証券 ○商品系 太平洋物産 三貴商事 ひまわり証券 オクトキュービック エース交易 スターアセット証券 ○短資系 上田ハーロー セントラル短資
こう見てみると、初期の頃多かった商品先物系が意外に振るわず、独立系が健闘しているのがわかる。商品先物系はくりっく365のような取引所を通した取引のほうが向いているのだろう。 |
邪馬台国はどこか? 2007/04/06(金) 23:20:53 |
| 以前安本美典の邪馬台国説を批判的に書いたが、そういっている自分があやしげな「謎解き」に挑戦するのはいかがなものかという感じはするが、日記帳の埋め草として思うところを書いてみよう。 まず、邪馬台国論争は文献では解決がつかないのは明らかである。文献でもっとも同時代史料に近いはずの魏志倭人伝は、その記述を全て生かすと矛盾が発生してしまい、どの記事を生かしどの記事を捨てるかで百説乱舞の状態となる。神話伝説は論外であろう。とすると、より確実な同時代史料、すなわち考古学的資料から議論を出発して、しかる後に文献を解釈するほうが、むしろ正しい結論に近づくであろう。 では考古学的資料から見た邪馬台国はどうなるか。実は235〜244年の紀年鏡が12枚ほど、主として畿内を中心に発掘されており、この分布から見ると、まさに卑弥呼の時代、畿内を中心とした日本列島が中国年号と接触しうる状態にあったことが結論できる。物的証拠からは、邪馬台国は畿内である可能性がずっと高いと考えられる。そのほか年輪年代学による古墳時代の繰り上げも傍証となる。 このように、考古学的証拠から、邪馬台国はヤマトに有った可能性が高いとすると、魏志倭人伝はどのように解釈すべきか。やはり「南至投馬国」はもと「東至投馬国」とあるのをある時期転記誤りしたものと思う。で、投馬国は、山田孝雄説により出雲と考えたい。すると、ここを出発して、水行十日で敦賀あたりに上陸し、陸行一月で、南下して「南至邪馬台国」と記述しうるからである。あるいは投馬国のまえの「南至」は隣の行の語句を転記してしまったのではなかろうか。日本海回りのコースは瀬戸内海より遠回りであるが、投馬国が邪馬台国連合を構成する有力国「出雲」で、あえて使者が訪問すべき理由があったとすれば納得がいく。 この考え方を採用すると、「南至邪馬台国」の記述は生かせるので、陳寿が、途中の旅程にある国々をすべて邪馬台国より北にあったがごとく記述するのも理解しやすくなる。また、東を常に南と記述したわけではないから、女王国の南にあったという狗奴国を、あえて東方に求める必要もない。狗奴国は、その官狗古智卑狗が菊池彦と理解できるから、九州の熊襲と考えたい。この辺は内藤湖南説を採用すべきだろう。すなわち邪馬台国と狗奴国の戦いは、ヤマト王権と熊襲の戦いと考えたいのである。 以上のように、考古学的資料から出発し、あえて記紀神話の類は無視したが、結論を見てみると、かつてヤマトと並ぶ権威を持っていたらしい出雲だとか、景行から神功の初期ヤマト王権にもっとも具体的な形で対立したことが伝えられている熊襲などのことが、それとなく伝わっているようで面白い。 |
知られざる名曲 その4 2007/04/04(水) 22:02:30 |
| 久々に知られざる名曲について書こうと思う。本日はエルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ(イタリア 1976〜1948)のヴァイオリンソナタである。ヴォルフ=フェラーリといえば、主として喜歌劇の作曲家として知られ、なかでも『聖母の宝石』の間奏曲が有名であるが(あまり知られていないか)初期にはドイツ風の室内楽曲も創作したようである。今手元にあるのは、Dinamicレーベル、クリスティアーノ・ロッシVn、マルコ・ヴィンセンチPfであり、全部で3曲ある。今気づいたのは第三番ホ長調は1943年と晩年の作であるのに、作品番号はたった27に過ぎない。歌劇には作品番号が振られていないから、歌劇以外のジャンルでいかに作品が少ないかを物語っている。しかしこのソナタを聴く限り、なかなかのメロディメーカーで、ほかの作品も十分期待できるものである。率直に言ってヴォルフ=フェラーリは、歌劇も大して上演の機会に恵まれているとはいえないが、もっと聴かれてもよいのではないか。 |
世界中の実質金利は同じか? 2007/04/03(火) 20:29:46 |
| あいかわらず世間では為替取引が盛んであるが、これに対し、経済学に詳しい人から、異論が出ているようである。いわく、長期的に見て世界中の実質金利はほぼ同じであり(なぜなら、高金利の国には低金利の国から、金利差がなくなるまで資本流入が続く続くから)、ゆえに名目金利の差は期待インフレ率の差であり、よって高金利通貨はその分値下げ圧力がかかるはずである、と。この説が正しければ、スワップ狙いのポジというのは、利益にならないということになる。はたしてどうだろうか? この考え方には二つの問題点があるように思われる。まず第1に、期待インフレ率は真にインフレ率を予測するものであるか? 人間はそんなに優れた未来予知能力を持っているか知らん。第2に、世界の実質金利は、それほど常に一定値に収斂するものであるのか?私には、世界の実質金利が同じというのは、あらゆる会社の投下資本利益率が同じになるというのと同じくらい、ありそうにないことのように思われる。いわゆる新古典派経済学の想定する社会では、資本を、非常にリキッドな、必要に応じ伸び縮み可能なものと想定する傾向がある。反主流派経済学の闘志ジョーンロビンソンは、かれら新古典派が資本をsteelと表現するのを捉えて、それはむしろleetsと呼んだほうがよい、なぜならそれが何であるかわけがわからないからだ、という名言を吐いたが、まことにもっともである。実際の社会では、自由かつ瞬時の資本の流動などありそうにないから(なにしろ資本とは究極的には、多くの場合物的な固定物である)、そう簡単に世界の実質金利が均衡するなどということはなく、そこに裁定機会があると考えたほうがよい。とはいえ、ポジをひたすら放置するのは考えものであるが。 |
忘れられた作曲家 2007/04/02(月) 22:29:52 |
| 3月31日の日経の文化欄に「顧みられぬ非凡の作曲家」として、黛敏郎のことが書いてあった。黛といえば、『題名のない音楽会』の司会として、また右翼的言動で知られた人物であり、1960年代には日本でもっとも国際的に令名の高い芸術家として、あの三島由紀夫ですら、この人と共同作業をやればきっと世界に名を売り出せると、敬意を持って近づいてきた大物であった(もっとも最もその後仲たがいするが)。黛に比べれば、そのころは武満徹はずっと無名であった。しかし80年代に入り、武満の名がダントツに持てはやされるにつれ、黛は生きながら急速に忘れ去られ、没後はいっそうその感を強くする。わたしは黛にしても武満にしても、前衛無調の音楽はあんまり好きではないが、むかし池袋の文芸坐で観た、松本清張の『張り込み』の白黒の短編映画の音楽が黛で、これはなかなかよかった。芸術音楽の世界は、ここ10年ばかりの間に、かつてもてはやされた前衛系の作曲家の陰に隠れた人を発掘する試みが進められている。たとえば黛の師匠の伊福部昭などがそうである。こちらのほうは、バルトーク張りの民族主義の調性音楽は、戦後はむしろ時代遅れとされ、長らく不遇であったのだけれど、90年代に急激に復権し、戦後日本を代表する作曲家の一人として教科書にも載るようになった。先年なくなったが、黛に比べると対照的な死に際であった。
3月の収支は 商品180,080円 為替31,453円(sp7,167) |
「海外口座財テク、脱税 7億6千万隠す」 2007/03/29(木) 20:15:26 |
| 海外先物取引や為替取引で稼いだ利益を、外国の銀行口座やタックスへイブンの会社などに隠していたとして、64歳の元会社員が国税当局に告発された。なかなかやってくれるものである。税務当局は税務調査上必要があるならば、第三債務者等にたいし必要な史料を求めることができるのであって、刑事捜査のように、裁判所の令状等は一切必要はない。したがって税務官庁こそは警察をしのぐ、日本で最も国民の秘密を握っている機関であるという。実際犯罪者たちも、そこらのチンピラのような単純粗暴犯ならいざしらず、広域暴力団上層部あたりでは、警察より税務署が怖いのだという。それで五菱会のヤミ金融事件では、儲けた金を香港のプライベートバンクに隠したのであった。税務当局の調査権限は当然には海外にには及ばないけれども、実際には犯罪の国際捜査とおなじく、国際的な取り決めによってそこそこの協力が行われているようである。 したがって国税庁には、どんなジャーナリストも及びもつかないような、国民の秘密が沈潜しているのであり、特に有名な大物にまつわるそれに従事する一握りの徴税役人は、彼らの仲間内だけでニヤニヤしながら、その秘密を棺おけに持っていくのである。国税庁ならば堤康次郎の認知した子供の数とその消息も知っているであろう。なぜならかれらは必要ならば戸籍謄本も取れるからだ。 |
従軍慰安婦について 2007/03/28(水) 20:38:09 |
| 掲示板のほうではアメリカが突如この問題を取り上げたことについて、議論が盛り上がっているが、もちろん今これが話題となっているのは、本質的に拉致問題にかかわりすぎて足並みをみだす日本に対する攻撃材料として用いられているからである。さりとて、日本の右翼のように「強制連行は真っ赤なでっちあげ」などと宣伝したところで、あまり説得力はないであろう。 歴史学的に言えば、これらの慰安婦は、官の関与のもと、業者が、時に甘言を弄し、時には詐欺的手口をもって、主として朝鮮から多くの女性をかき集めたのは、確かに実証できることである。なぜ主として朝鮮から慰安婦が募られたかというと、日本国内では需要に満たすほどの女性が集まらなかったのはもちろんのこと、当時日本が批准していた条約に「醜業ヲ行ハシムル為ノ婦女売買禁止ニ関スル国際条約」があって、人身売買が国際法違反とされたが、この条約が植民地を適用除外とし、したがって朝鮮においては適用されないとされたためである。 このような事情があるから、日本の一部の右翼のように、慰安婦が全てを了解済みで、もっぱら金のために自ら応募したかのように主張することは、いささか反知性的であり、国際的にも説得力を欠くであろう。(反知性的といえば、最近主としてネット上で「朝鮮は植民地ではなかった」などというばかげた議論が、ウヨ連中によって主張されているようであるが、一般的に日本本国と異なる法的地域を構成しているのはもちろんのこと、当時の政府自身が、朝鮮を植民地と称した例もあり、また条約の解釈でも朝鮮を植民地としているのだから、そんな主張は論外である。ウヨ連中の平均的知性が低いのは今に始まったことではないから別段驚かないが、こんなやからでもネットでは一定の力を持っているのだから、不快なものである。このような輩をのさばらせれば、いずれ冗談でなく、反知性主義の勝利ということになるであろう) |
為替の行末 2007/03/28(水) 00:02:24 |
| ここ2、3年、ドル円を初めとする為替の変動幅が小さくなっているようである。以前ならば、通貨当局の思惑によってかなり一方方向への相場が現出することがすくなくなかったが、為替取引の解禁によって、一般大衆が広く取引に参加することにより、そのようなことが困難になったためであろう。もうひとつの原因としては、世界の経済学が標準化した結果、経済政策自体が各国で共通化しているためではなかろうか。少なくとも先進国では、持続的に二桁インフレになるような政策を推進するとは思えない。このような現象は政府当局の収税能力が弱く「シニョレッジ」に頼った財政の国にはおきがちであるが、先進工業国では失うものがあまりにも大きいからである。となると、くりっく365に上場しているような通貨を分散投資すれば、5年ぐらいのスパンで見れば、平均的に「いってこい」なんじゃなかろうかと思う。 |
国際臓器市場 2007/03/26(月) 22:56:20 |
| 『フォーブス』の5月号に「途上国への臓器移植ツアーを斡旋する闇ブローカー」という記事が載った。十何年ほど前だったか、何とか言う芸能人が、フィリピンへ肝臓の手術を受けに行くという話があって、芸能界に疎い私は、何ゆえにフィリピンに行かねば成らぬのかいぶかしかったが、その後かの国が臓器売買天国で、早い話その芸能人は臓器を買い付けて、移植してもらおうと思ったのだと合点した。結局手術は果たせず日本に帰ってきたと記憶するが、その後もアンダーグラウンド本では、こういう話をまことしやかに語るものもある。しかしのこの記事が出色なのは、ブローカー自身が顔写真入りでインタビューに応じている点だ。さらに、家族のためにはまだまだ死ねぬと、高額の金をはたいて、臓器移植を待つ男の写真もある。それゆえこの記事は、日本の興味本位のアングラ本とは比べ物にならないほどの信用力があり、その取材力には脱帽する。 はたして人間の臓器のような、とても「需要と供給」が一致するとは思えないものを市場で売買することが許されるのか? しかしこれはいくら法律が禁じようと、必ず闇の取引は行われるであろう。どうしてもあってほしくないのは、アングラ本が伝える、東南アジアのどこかにあるという人間牧場の話だとか、子供が臓器目的に誘拐されて解体されてしまう話だとかである。フォーブスでもさすがにそんなことは書いていない。この手の話は最初に一橋文也が書いていたが、このライターが全く信用ならない人物であることは『赤報隊の正体』を読んでよくわかった。単なる興味本位の与太話であればよいのだが。 |
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