石原を事実上応援する共産党 2007/03/13(火) 22:30:20 |
| 東京都知事選は、当初石原の圧勝と予想されたが、浅野前宮城県知事の出馬で、ここにきて両者伯仲だと報じられている。私は、皇統に関しては男系護持の、世間で言う超保守派なのかもしれないが、これは文化的な価値を擁護したいがためであり、政治一般についてはむしろリベラルである。つまり浅野を応援する立場である。石原はここに来て、四男をを都の文化事業に参画させたりして、思い上がりがますます激しくなっているから、ここらで知事を交代せしめるのは、都政のためになると信ずる。 ただ、どうも目障りなのは、例によって「共産党候補」の存在である。共産党は、どこの選挙区にもアホみたいに候補者を立てるが、正直言って、だいたいの地区で当選の可能性などほとんどないのである。共産党に入れるような人が、自民や石原のような極右に一票を投ずる可能性はまずないから、当選可能性のない共産候補の存在によって主に割を食うのはリベラル勢力である。今回も浅野は最初からハンディを負っているといわざるを得ない。 いわゆる「保守」の人は、単純に強者が大好きで、勝ち馬に乗る性質があるから、選挙はすこぶる強い。「巨人・大鵬・玉子焼き」の世界である。これにたいし、リベラルの人は、よく言えば判官びいき、悪く言うと、個性派過ぎてまとまりがなく、どうしても選挙では票が割れてしまう。先物なんぞやっている偏屈者が多いのである(笑) しかし、選挙で「石原」を倒すというのは、近頃調子に乗っている保守陣営に大きな衝撃を与えることは間違いないのであり、正直、こんな大事な戦いでは、共産党には遠慮してもらうことが、共産党自身のためにもなるのではなかろうか。こんなところで共産が相変わらず独善的な態度を改めないのなら、「護憲のための広範な勢力の結集」など夢のまた夢である。 |
知られざる名曲 その3 2007/03/12(月) 20:48:51 |
| 今日は、クザイヴァー・シャルヴェンカ(ポーランド1850〜1924)を取り上げよう。彼にはピアノ協奏曲が4つのほか、手元にはコリンズレーベルでピアノ三重奏曲2曲、ピアノ四重奏曲1曲、ヴァイオリンソナタ、チェロソナタがある。そのほかピアノ曲が多数あるようである。どの作品も後期ロマン派ふうではずれが少ない。ショパンが19世紀後半に生まれたら、作ったであろう様な曲調である。もっともショパンはピアノ曲以外はあまり上できの曲とはいえないから、それについてはシャルヴェンカのほうが安心して聞ける。彼はもう少し知られてもよいのではないだろうかと思う。 |
『日本人になった祖先たち』 2007/03/11(日) 12:00:21 |
| ここ20年ばかりの自然人類学の進歩はすさまじい。特に分子生物学によってDNAを直接調べることによって、系統を明らかにするということが可能となった。実際、ネアンデルタール人のDNAが抽出されるなどとは、20年前には予想もしなかったことである。 さて表題の本(篠田謙一著 NHK出版)は、ミトコンドリアDNAをもとに、日本人の系統を論じた本である。ミトコンドリアDNAは女系を通じて子孫に伝達されるもので、男系を通じて伝達されるY染色体とともに、網の目にならない一本の整然とした系統図をたどることができるという利点がある。もちろんこれは利点であるとともに、それ以外の遺伝的な系統を捨象してしまうという欠点もあるが、網の目よりも樹状の系統図のほうが素人目にもロマンを感じさせるのは否めない。 ロマンといえば、われわれが絶大な関心を抱くのはY染色体のほうであろう(笑)。およそ父系社会では、血筋=男系の血筋だからである。Y染色体の系統は、理論上は実系の系図と一致するはずである。イギリスの研究では、同じ苗字を持つ人は60%が互いに同じY染色体を持っているらしい。イギリスの苗字の起こりは1000年前であるので、これによると不義密通の子(や養子)は一世代にせいぜい1%位だったという計算もある。日本では残念ながら、諸外国にはない婿養子という制度が古くからあり、苗字が女系で継承されることがしばしばあるので、このような苗字とY染色体の一致はありそうにない。中国や韓国では苗字を変えるというのは親不孝であり、タブーとされてきたから(養子でさえ父系の同族から取るべきであるとされた)、イギリスと同じような結果が得られるかもしれない。 ところで、皇室のY染色体は、どのようなものであろうか。これは永遠のタブーかな(笑) |
ネット先物界のレベル 2007/03/09(金) 21:36:16 |
| たまに、あちらこちらに残っている、6、7年ほど前のふるいログを見てみる。するとときどき、あきれるほどレベルの低い自分の書き込みを見つけて恥ずかしい限りである。(今も別段レベルの高い書き込みをしているわけではないが)正直、何でアノ程度のことであれほど思い上がってたのかと考えると、やはり、周りのレベルが格段に上がっているのではないかと思われる。7年ほど前の先物掲示板というと、毎度おなじみの被害者たちの絶叫とそれに対する説諭の繰り返し、悪徳商法マニアックスといくらも変わらない雰囲気だった。上手そうな人も何人かいたけれども、この芳名録の歴々とくらべると多分普通くらいではないかと思う。その「うまいひと」も多くはいつの間にか消えてしまった。先物に飽きたのだろう。 |
取引所通貨取引の拡充 2007/03/08(木) 22:28:21 |
| ここ数日為替は急変したが、相変わらず為替取引は盛んのようである。とくに東京金融先物取引所のくりっく365はでだしは思ったほど出なかったが近年は出来高も急増している。しかしいかんせんクロス円に偏っているのが難点である。ここは通貨ペアのいっそうの充実に期待したいところであるが、あるいは、東京一極集中を打破する観点から、大阪証券取引所に期待してもよいのではなかろうか。たとえばトルコ円、アイスランドクローネ円といった、高金利通貨の取引所為替取引など始めれば、人気が出るだろうと思う。 私は首都圏在住だが、もともと血統は関西であり、あまりにも東京一極集中は日本のためにもよくないと思うのである。 |
金属泥棒 2007/03/07(水) 21:27:37 |
| 近頃金属泥棒があっちこっちで頻発しているようである。私の職場の同僚に、ローカル線の廃線跡を歩くのがシュミという人がいるが、見慣れぬ人物が怪しげな風体でうろついていると、さては昼間のうちにレールの下見でもしに来たのかと、地元の人に通報されるのではないかと心配である。とはいえ、うっかり公共物に金属が使えなくなるレベルまで金属が高騰したということは、そろそろこの相場も終わりかなと思うのである。あ、でも私は近頃商品は鞘取りしかしていないので、これはポジショントークではありませんよ。 |
知られざる名曲 その2 2007/03/06(火) 21:09:52 |
| 今日は、カミーユ・サン=サーンス(仏 1835〜1921)の『ミューズと詩人』作品132を紹介する。 サン=サーンスといえば、すこぶるメジャーな作曲家で、クラシックに関心のない人であっても「白鳥」(『動物の謝肉祭』から)ならば、必ず聞いたことがあるであろう。しかしドイツ音楽重視の日本の風潮からは、かなり軽視されている作曲家の一人であろうと思う。ベートーヴェンやブラームスに比べ、深刻味がなくて詰まらんというのであろう。しかしたしか片山杜秀だったか(記憶が定かでない)、サンサーンスを詰まらんというのは、「ケーキは栄養にならないからつまらない」というような無粋な話だと、いっていたような気がする。 さて、『ミューズと詩人』は、そのサンサーンスの作品の中でも、あまり知られているとはいえない曲である。ヴァイオリン、チェロに管弦楽という取り合わせは、普通の協奏曲と違いソロを二人も要するので、演奏の機会にも恵まれないようだが、甘美な旋律はいかにも職人芸だし、2つの楽器でミューズと詩人をあらわす、安易といえば安易だが、それだけにわかりやすさは安心して聞けるものである。手元にある盤はEMIレーベル、ウルフ・ヘルシャーのヴァイオリン、ラルフ・キッシュバーンのチェロ、ピエールデルヴォー指揮ニューフィルハーモニア管弦楽団の演奏である。 |
知られざる名曲 その1 2007/03/05(月) 23:40:51 |
| 最近ここに書くネタもなくなってきたので、音楽のネタが出たついでに、折に触れ知られざるクラシックの名曲のことでも語ろうかと思う。第1回目は アレクサンドル・ゲチケ(ロシア 1877〜1957)『トランペット協奏曲』である。 トランペット協奏曲自体がそもそも珍しいし、あるとしてもバロックの頃の量産音楽か、現代の前衛じみたいささかとっつきにくいものがあるばかりで、ロマン派の曲調で聞きやすいものは少ない。その中でもこの曲は大変聞きやすく、親しめるものである。全1楽章で適度に短い。こんなトランペットのレパートリーがあっておよいだろう。私の手元にあるのはフィンランディアレーベルの、ジョウコ=ハリャンネのトランペットとペッカ・サヴィヨキ指揮クオピオ交響楽団の演奏である。(なおこれから紹介する曲はいずれも無名曲ばかりであるから、演奏家もしらない人たちばかりである) |
裸の王様 2007/03/03(土) 00:54:05 |
| 皆さんご承知の、『裸の王様』という童話がある。ドイツ語の原題は『皇帝の新しい衣装』というが、ペンローズの著書『皇帝の新しい心』は、無論それを踏まえたものである。誰だったか、これにぴったしの話が現代にあるという。それは
現 代 音 楽
である。 そういえばジョン・ケージに『4分33秒』という、その時間一切音を鳴らさないという「作品」があって、これがまじめな芸術表現だと思われた時代があった。しかし結局今に至るまで、新ウィーン楽派以降の無調音楽はついにポピュラリティをえられない。私も正直、こういう音楽にはついていけない。でもつい10年位前までは「バカなものにはわからない」高級な芸術だと思われていたのだ。最近はさすがにそうでもないが。 それにしても日本の誇る最高の世界的芸術家である「はず」の武満徹の音楽を、果たして日本人はどれほど親しんで聴いているだろうか?率直に言って、同じ20世紀の名曲なら、カバレフスキーの『道化師のギャロップ』のほうが、題名は知らなくでも多くの人は聞いたことがあるに違いない。運動会の定番だし。 |
水車の歴史 2007/03/01(木) 20:40:39 |
| T.Sレイノルズ『水車の歴史』を読む。西欧社会における水車の利用の歴史を書いた本である。本書を読むと、ヨーロッパが世界に先駆けて近代化を成し遂げた理由は、人種的優秀さや「プロテスタントの精神」などよりも、むしろ際立った水力利用に主原因があったと考えられる。事実、前近代社会にあって、ほとんどヨーロッパだけが、水車を極限まで利用し、工業動力として使用するに至った社会なのである。(英語のミルは、水車から転じて工場の意味になった)唯一の例外は江戸時代の日本で、幕末には、人口当たりにするとルネサンス以前のヨーロッパに近いところまで水車が普及し、一部に工業動力として用いられた。日本が非欧州社会でもっともスムーズに近代化を果たしたのは偶然ではない。 またこの本を読むと、水力利用がほとんど普及しない、人力や家畜力に頼った社会は、見かけ上どれほどすばらしい大都市を築き上げ、優れた工芸を残したとしても、本質的には古代社会であり、一足飛びに近代化するものではなかったこともよくわかる。例として、古代ローマや、中世の宋帝国が挙げられよう。どちらも部分的には水力利用は行われたが、人口比でみると、中世ヨーロッパとはくらぶべくもない。近代社会が、水力で動く工場を必要としたという史実を見れば、これらの社会がそのまま近代化に向かうことなく衰退していったのは、別段驚くべきことでもなんでもないのである。
2月の損益 商品47,110円 為替-72,267円(sw3,093円) |
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