名前 | ぴょーたん | 更新日時 | 2025/08/17(日) 22:05:31 |
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どんな人? | うさぎ年 うすのろ〜おマヌケ男子 《1ー13》 今回のイベントルールは、以下の通り。先ず、5名の男の子が一人ずつ順番に、自己PRや歌パフォーマンスを、壇上に座っているかぐや姫の前で披露し、それを彼女に捧げる。次に、5名の男の子が一人ずつ順番に、薔薇の花を持って階段を登り、かぐや姫の前に跪いて愛の告白をする。 かぐや姫は、「YES」か「NO」の札を挙げる。「YES」なら、くす玉が割れて、めでたくカップル誕生。「NO」なら、男の子はかぐや姫の前から強制的に地下に落とされ、消える。おおよそこんな流れだ。 「さあ、トップバッターは、金沢みどり丘高校の吉村治人くん、かぐや姫に捧げるその曲は、“東京音頭”です。さあ、張り切って、どうぞー!」 銀ぶち眼鏡にスポーツ刈りの僕は、司会者の紹介に促され、自ら手拍子を始めると、応援に駆けつけてくれたクラスメート達も手拍子で合わせてくれる。 「チャンチャランチャ、ランチャランチャ、ハあ〜♫〜、おどりお〜どるな〜あ〜らっ、ちょいと、とうきょ〜お〜♫〜んどっ、あヨイヨイ、ーーー」 かぐや姫は、一瞬苦笑いしたかと思うと、微妙な真顔に変わっていった。 続いて、少し長めの髪をなびかせながら颯爽と登場したのは、エントリーナンバー2番、甘いマスクの男の子。彼がかぐや姫に捧げた曲は、「哀愁でないと」、トップアイドル・としちゃんのデビュー曲だ。振付けもキマっているから、男子から見てもカッコよくて、つい見入ってしまう。 観客の女の子達は、明らかに、目にハートを浮かべている。 かぐや姫は、ウットリした眼差しで彼の一挙手一投足にまで夢中なご様子。 さて、5名の男の子の歌パフォーマンスが終わって、次はいよいよ愛の告白タイムだ。 《1ー14》 先ずは、エントリーナンバー1番の僕が、薔薇の花を持って階段を登る。いざ、かぐや姫の眼の前に跪いて、金沢さくら丘高校のマドンナを至近距離で見上げると、その完璧なまでの可愛さに、僕は、思わず自らの瞳にハートマークを点灯させてしまった。後にも先にも、みんなを笑わせたくて、自分が目立ちたくて、この会場に来ていたから、告白のセリフなどは二の次で、事前に全く準備していなかった。告白なんてもちろん初めてだ。 ーーーこんなことなら、ちゃんとセリフを考えておけばよかった。 僕は、いつの間にか、本気モードに切り替わっていた。そして沈黙の中で、なんとか言葉を見つける。 「ぶ、部活は、何ですか?」 「硬式テニスです」 「ぼ、僕はバドミントンです」 「??ーーー」 ーーーもしかしたらこの女の子は、僕の幸運の女神かもしれない。 正にあり得ない、自分に都合の良い流れを、勝手に妄想し始める。さらに沈黙が続いた後、咄嗟に思いついた言葉を繰り出す。 「ひと目惚れしました。今度、僕とデートしてもらえますか?」 ーーー森哲也の呟きーーー おいおい、何で“前座”が本気になってんだよ、“前座”ならここは「よかったら、僕と一緒に東京音頭、踊ってくれませんか?」だろう。 僕は、薔薇の花をかぐや姫に差出し、頭を垂れて目を閉じる。そして、恒例の観衆による大合唱が始まる。 「お・ち・ろー、お・ち・ろー、お・ち・ろー、ーーー」 かぐや姫が札を挙げる。その審判は、 「NO」 僕は、強制降下、奈落の底に落とされ、無惨にもその場から消えた。 イベントが終わって、今日の流れを振り返ってみた。 ーーーかぐや姫から「NO」を突きつけられたのは、結局僕だけじゃん、何で? 先ず僕が「東京音頭」で落とされて、2番目のイケメンが「哀愁でないと」で「YES」の審判、めでたく、くす玉が割れて、カップル誕生。3〜5番目の普通の奴らは歌っただけで、たぶん彼等はほぼサクラだから、かぐや姫への告白も、かぐや姫の審判を受ける事も無く、しかも地下に落とされずに終了、ってストーリー。 ーーーあーっ、もしかしてこれって、最初からそういうシナリオ設定だったのかも?要するに、1番目の僕は、知らないうちに2番目のイケメンを引き立てる為に用意された“前座”の役目を任されていたって訳か。ってことは、僕を誘ったクラスメートは、実は“前座”に適任な奴を探していて、それに丁度相応しかった僕に目を付けたって事だったんだな。うーん、なるほどー。 元々、何で僕?と思っていたけど、まあこの勝手な推測で納得することにした。 《1ー15》 このイベントを盛り上げる事に少し貢献できて、概ね満足していたが、この日を契機に、僕の意識は変化し始めた。自らの容姿を少しは気にするようになり、女の子から自分がどんな風に見られているのかが気になり出した。自分の歩いている姿をショーウィンドウで確認しては姿勢を矯正し、髪は普通に戻してみた。 共通1次テストも終わり、国立大学2次試験を控え、僕は、那智治香の家の近くの歯科医院に通院する機会があった。治療の合間、歯科衛生士さんたちの楽しそうなおしゃべりが聞こえてきたかと思うと、一人の歯科衛生士さんが僕に声を掛けてきた。 「何年生?」 「3年ですけどー」 「えーそうなんだー、どこの高校受けるの?」 えっ、と思ったが、気をとり直して、 「大学受験です」 「えー、うっそー」 そのやり取りを横で聞いていた他の歯科衛生士さん達が近づいて来て、その話題に飛びつく。 「えー、ウソでしょー、かわいー」 「どこの大学目指してるの?」 「さぬき医科大学です」 「えー、それどこー?医学部?すごーい、頑張ってねー」 「ありがとうございます」 僕はお姉さんたちからすれば、中3生に見えるのか、興味を持ってくれて、かまってもらえるだけでも嬉しいんだけど、よく考えれば微妙だよなと思った。僕は、改めて自分の容姿について、現実を認識させられた。僕はかわいい系かあ。まあ、そっち系でいくしかないか。大学に合格できたら、今の自分を直視して、自分の身の丈に合った女の子に目を向けようと思った。そして、僕にとって那智治香は、永遠に憧れのアイドルとして、手を伸ばしても到底届くことが出来ない雲の上の存在になっていった。 | ||
投資手法 | 普段は〜逆張りスイングをイメージした裁量 まれに〜順張り逆指値エントリー | ||
好きな銘柄 | 生煎饅頭(上海、4コ120円)・さぬきうどん(1杯180円)・香箱蟹(こうばこがに、1杯千5百円) 中日ドラゴンズ サガン鳥栖(J2) 中国語・鉄道・地理・気象 若松駿太〜祐誠高校→2012ドラF〜中日ドラゴンズ(13〜18)→栃木ゴールデンブレーブス(19〜)→福島レッドホープス(21〜24) 若松悠平〜祐誠高校→長崎国際大学→香川オリーブガイナーズ(21〜)→福島レッドホープス(22〜) | ||
フリースペース | 75年4月、私達の初めての出会いは中1の春でした。君は窓際の前から2番目、私はその右隣の席でした。いつもおしゃべり楽しかったです。そして私はいつの日か君を好きになり君の前では緊張してしゃべれなくなってしまいました。そして君は私にとって手を伸ばしても届くことが出来ない雲の上の存在になっていきました。 85年4月2日、同総会の2日後、憧れの君と素敵なデートができて最高に幸せでした。2軒目のお店に向かって夜の片町を歩いていると、君は私の腕をつかんでくっついてくれました。飛び上がる程うれしかったです。今でもその時の左腕の感触は忘れません。帰りに家まで送っていく途中、誰もいない公園での2人、まるで恋愛映画のワンシーンのようでした。さらに数日後届いた君からのラブレターはうれしすぎる想定外で、感激のあまりどうしていいのか戸惑ってしまいました。両想いだなんて、正に夢の世界でしか見ることのできない情景でした。 3年後の25才で君と結婚できるように、早速バイトを増やしました。3年間で300万円貯める予定でした。85年末に君の銀行(香林坊支店)で50万円をスーパー定期にしたのはその一部です。1年後の春には予定通り通過点の100万円貯まっていました。 85年9月、君が高松から金沢に戻った後、私は君宛の手紙に「オレの可愛い妹の治美ちゃんへ」と書きました。それ以降、私達の関係は次第にぎくしゃくし出しました。 85年12月末、私は既に2人の間にかなりの危機が迫っているのを感じつつも、君の家にプレゼントを渡しに行きました。君の部屋には私達2人の写真が飾ってありました。でもその時の君の様子から私は怖くなってしまい、言葉少なく帰宅してしまいました。 86年1月末、電話で君は私に言いました。「大阪に行ったのは約束してたから、、、プレゼント返さないと、、、」私はフラれたと思い、受話器を置きました。 86年3月、金沢片町の君が行きつけのスナックに私の足は向かっていました。ここは初デートの日と8月の2回、君と過ごした想い出の場所です。私がお店に入ると、ママは私を見るやいなや大歓迎してくれて、君を呼ぼうとするんです。「たぶん来ないと思います」って私は止めたのですが、ママはハイテンションで君の家に「彼氏が来てるよー」と速攻で電話。しかし次の瞬間、ママのテンションは急降下、、、その後別人のように私を無視し出しました。結局ママにはフラれたことも言えず、店を後にしました。 86年 スーパー定期 → 中期国債ファンド → 株式(現物) 87年 私は思い切って1年半ぶりに電話してみると、 君は私に言いました。「なんかうれしー」 けれども私は「また会えたらいいね」と言うのが精一杯でした。 88年 再び電話してみるとお母さんは私に言いました。 「あの子結婚したよー」…ヲワタ 88年 商品先物に手を出しわずか1ヶ月であり金(約400万円)全て失う。 91年 中学校の同窓生名簿が送られてきました。 約180名の同級生のうち勤務先が記載されていたのは、 なぜか君と私の2人だけでした。 天文学的な確率なんだけど…神様の悪戯でしょうか。 99年 商品先物再開〜 サヤ取り 片張り 確定損益計 99年 ± 0万円 +125万円 +125万円 00年 + 88万円 −419万円 −331万円 01年 − 69万円 −186万円 −255万円 02年 +127万円 + 55万円 +182万円 03年 −103万円 + 76万円 − 27万円 04年 +202万円 −455万円 −253万円 05年 +283万円 +106万円 +389万円 06年 +336万円 + 17万円 +353万円 07年 − 96万円 −127万円 −223万円 08年 −246万円 − 55万円 −301万円 累計 +522万円 −863万円 (課税対象) (入出金ゼロ換算) 株式先物 くりっく365 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 09年 + 1万円 ± 0万円 + 1万円 7,022千円 10年 +77万円 −84万円 − 7万円 6,525千円 (− 7.1%) 11年 − 8万円 ± 0万円 − 8万円 6,355千円 (− 2.6%) 12年 +19万円 − 6万円 +13万円 7,452千円 (+17.3%) 13年 −32万円 +34万円 + 2万円 8,363千円 (+12.2%) 14年 −71万円 +69万円 − 2万円 9,837千円 (+17.6%) 15年 +53万円 +13万円 +66万円 11,203千円 (+13.9%) 16年 +90万円 −18万円 +72万円 11,755千円 (+ 4.9%) 17年 +12万円 −12万円 + 2百円 5,000千円 (−57.5%) 18年 −14万円 +14万円 + 5百円 9,330千円 (+86.6%) 株式先物 CFD 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 19年 −11万円 +11万円 + 3百円 7,852千円 (−15.8%) 20年 −24万円 +24万円 + 1百円 3,424千円 (−56.4%) 21年 + 112万円 − 112万円 + 3百円 1,914千円 (−44.1%) 22年 − 182万円 + 182万円 +18百円 5,354千円 (+179.7%) 23年 −72万円 +72万円 +28百円 6,241千円 (+16.6%) 24年 − 126万円 + 126万円 +32百円 5,430千円 (−13.0%) 25年 − 210万円 + 204万円 − 6万円 8,731千円 (+60.8%) 99年・・・ビビリながら、ピンで分散短期逆張りで、コツコツと。 〜04年・・資金管理ずさんで、ただの博打の連続〜。 05年・・・サヤ取りとデイトレに特化。 06年・・・やっと資金管理が重要と悟る。 07年・・・04年夏〜07年夏の3年間は有効額右肩上がりでルンルン♪ ルール違反により30%のドローダウン! トレード・ルールの見直しと厳格化を試みる。 08年・・・サヤ取りの従来手法が通用しなくなり、 07年夏の有効額ピークから50%弱のドローダウン! 「デイトレ・システム」と「サヤ取り・システム」を模索するも断念。 09年〜・・商品先物を封印し、225ミニなどチョロっと〜 12年〜・・秋山さんの研究データと私のトレード傾向(癖、嗜好)との マッチングから225ミニ中心に〜 20年4月有効額ピークから21年9月一時92%ドローダウン! 21年7月〜投資対象(CFD)拡大し、一時有効額518%アップ 23年12月有効額ピークから24年8月一時68%のドローダウン! |
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