名前 | ぴょーたん | 更新日時 | 2025/06/12(木) 22:01:56 |
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どんな人? | うさぎ年 《1ー4》 一方で、那智治香のあだ名は、「ブンブン」。「なち」が「蜂(はち)」の音と似通っているせいで、誰かが聞き間違えたというエピソードが発端で、このあだ名が生まれたようだ。でもそれは女子の間だけ限定の愛称だ。 多くの男子は、那智治香のことを「なち」と姓を呼び捨てで呼んでいるが、中には、那智治香のことをからかって「ハデ」と呼ぶ男子もいる。 那智治香の上の前歯2本が目立っているのがその理由のようだが、僕から言わせると、それは可愛い小動物をイメージさせる、彼女のチャームポイントの1つだと思う。 他の男子と違って僕には、女子に対して呼び捨てで呼ぶような男っぽい度胸など無い。だから結局僕は、那智治香のことを、さん付けで「なちさん」と呼ぶ。 テストの結果が返ってくると、那智治香と僕は、点数を見せ合いっこして一喜一憂する。ふたりの成績は、トップクラスではないものの上位のほうで、お互い僅差が多いから勝っただの負けただの、この瞬間はまるでジェットコースターにでも乗っているような、爽快なスリルを味わえる。 僕は那智治香に対して、オープンで楽しい女の子だなあと好感を持つようになっていた。 那智治香はいつも明るく快活だから、自然にみんなが彼女のところへ寄ってくる。その割に自己主張は控えめで周りとバランスを取っている感じなので、恐らく彼女に敵はいないと思う。 特に那智治香の時折見せる、少しはにかむような表情や口調が、僕には印象的だった。僕の意識はいつの間にか、左側の席にいる女の子、那智治香に向いていった。 彼女は僕に対してどんなふうに思っているんだろう。特に警戒しなくていい、隣でよく発言する男の子、という感じなのだろうか。 ーーー席替えなんて、ずっとしなくていいのに。 兎に角この席は、居心地が良かった。 《1ー5》 梅雨明け間近の7月。 久し振りの太陽の眩しさに、瞳がまだ十分対応しきれていないのか、つい目を細めたくなってしまう。ここ数日間、ずっと雨続きだったこともあり、本格的な夏の到来を予感させるそんな陽射しに、何だか心が弾んでくる。 今日の3限目は体育。男子も女子も水泳の授業だ。 肌寒いどんよりした曇りの日は、プールになんて入りたくないけれど、こんな日は、蒸し暑さも相まって正にプール日和と言える。 中学生になると体育の授業は男女別々、指導する先生も違う。だから、男子と女子が同時に同じプールに入る事があったとしても、それぞれの授業内容は異なるわけで、授業中に男女が交流することは、そうそう無い。 ところが、今日は珍しく、男女が同時に25メートルプール内を、自由にランダムに泳いでいい時間帯が設けられていた。おそらく体育の先生同士で、前もって打合せをしていたのだろう。 そしてこのフリータイムになった途端、さっきまでピリッとしていた空気は一変、授業中だというのに、まるで休み時間のように、みんなリラックスモードに切り替わっていく。 好き勝手に泳いでいる子もいれば、水に浸かりながら、おしゃべりに夢中になって、はしゃいでいる子も結構多い。先生の声や笛の音だけの平凡なプール授業の空間が、いつの間にか、歓声やら奇声やらも入り交じり、初夏の陽気も手伝って、活気のある賑やかなレジャープールへと化していく。 | ||
投資手法 | 普段は〜逆張りスイングをイメージした裁量 まれに〜順張り逆指値エントリー | ||
好きな銘柄 | 生煎饅頭(上海、4コ120円)・さぬきうどん(1杯180円)・香箱蟹(こうばこがに、1杯千5百円) 中日ドラゴンズ サガン鳥栖(J2) 中国語・鉄道・地理・気象 若松駿太〜祐誠高校→2012ドラF〜中日ドラゴンズ(13〜18)→栃木ゴールデンブレーブス(19〜)→福島レッドホープス(21〜24) 若松悠平〜祐誠高校→長崎国際大学→香川オリーブガイナーズ(21〜)→福島レッドホープス(22〜) | ||
フリースペース | 75年4月、私達の初めての出会いは中1の春でした。治美ちゃんは窓際の前から2番目、私はその右隣の席でした。いつもおしゃべり楽しかったです。そして私はいつの日か君を好きになり君の前では緊張してしゃべれなくなってしまいました。治美ちゃんは私にとって手を伸ばしても届くことが出来ない雲の上の存在になっていきました。 ところが85年4月2日(同窓会の2日後)、憧れの治美ちゃんと素敵なデートができて最高に幸せでした。2軒目のお店に向かって夜の片町を歩いていると、君は私の腕をつかんでくっついてくれました。飛び上がる程うれしかったです。今でもその時の左腕の感触は忘れません。君の家まで送っていく途中、誰もいない公園での2人、まるで恋愛映画のワンシーンのようでした。さらに数日後届いた君からのラブレターはうれしすぎる想定外で、感激のあまりどうしていいのか戸惑ってしまいました。治美ちゃんと両想いだなんて、正に夢の世界でしか見ることのできない情景でした。さらにしばらくして君と恋人関係になれるなんて、夢のまた夢が実現してしまうのですから、私は世界中で一番幸せ者かもーと思いました。 その3年後の25才で君と結婚できるようにとバイトを増やしました。3年間で300万円貯める予定でした。85年末に君の銀行(香林坊支店)で50万円をスーパー定期にしたのはその一部です。1年後の春には予定通り通過点の100万円貯まっていました。 85年9月、治美ちゃんが高松から金沢に戻った後、私は君宛に送った2通の手紙に「オレの可愛い妹の治美ちゃんへ」と書きました。その時の私達はとても仲の良いラブラブな関係だったと思います。次は11月に大阪で会おうと約束しましたね。私達は親公認のカップルとしてまだ間もなかったので、ご両親に対して真面目な交際をアピールしようと思い、大阪のホテルはシングルを2部屋予約しました。私は治美ちゃんのことが大好きだったのでその後もずっと恋人関係のつもりでした。しかしそれ以降、私達の関係は次第にぎくしゃくしだしました。 85年12月末、私は既に2人の間にかなりの危機が迫っているのを感じつつも、治美ちゃんの家にプレゼントを渡しに行きました。君の部屋には私達2人の写真が飾ってありました。なのにその時の君の様子から私は怖くなってしまい、言葉少なく帰宅してしまいました。 86年1月末、電話で君は私に言いました。「大阪に行ったのは約束してたから、、、プレゼント返さないと、、、」私はフラれたと思い、受話器を置きました。 86年3月、金沢片町の彼女が行きつけのスナックに私の足は向かっていました。ここは初デートの日と8月の2回、彼女と過ごした想い出の場所です。私がお店に入ると、ママは私を見るやいなや大歓迎してくれて、彼女を呼ぼうとするんです。「たぶん来ないと思います」って私は止めようとしたのですが、ママはハイテンションで彼女の家に「彼氏が来てるよー」と速攻で電話。しかし次の瞬間、ママのテンションは急降下、、、その後別人のように私を無視しだしました。結局、ママには彼女にフラれたことも言えず、店を後にしました。 87年、私は思い切って彼女に電話してみると、君は私に言いました。「なんかうれしー」。けれども私は「また会えたらいいね」と言うのが精一杯でした。 88年、再び電話してみるとお母さんは私に言いました。「あの子結婚したよー」…ヲワタ 91年、中学校の同窓生名簿が送られてきました。約180名の同級生のうち勤務先が記載されていたのは、なぜか治美ちゃんと私の2人だけでした。天文学的な確率なんだけど…神様の悪戯でしょうか。 22年11月、私はあの一言がキッカケで、誤解とすれ違いを招いた事に、今になって突然気付きました。かなりのショックで、それ以来心の整理がついていません。彼氏から妹呼ばわりされて、さらにシングルを2部屋予約されたら、もうこれってほぼ決定的って思っちゃいますよね。あー、なんでそんな事もわからなかったのかなあ、本当に私はとんでもない大バカ野郎です。あの一言で治美ちゃんにつらい哀しい思いをさせてしまったと思うと、どうしようもない気持ちになり、悲しくて胸がいっぱいになって、涙があふれてきちゃいます。大好きな君の心に大きな傷を負わせるなんて、私は何ということをしてしまったのか、自分を責め続けるしかありません。全然気付いてあげられなくて本当に本当にごめんね。 君から笑顔が消えている時に、どうして寄り添ってあげられなかったのか、ゆとりがなくて心が小さすぎました。私には治美ちゃんを幸せにする資格も無いし、そんな器も持ち合わせていなかったのかなと思います。 治美ちゃんは私にとって、人生の中で忘れることのできない素敵な女性であり、生涯の大切な宝物です。もし可能であれば、治美ちゃんの私に対する誤解を解いて、君の青春の1ページを書き換えてくれたらうれしいなと思っています。君がこれからも幸せな人生を送っていけることをいつも願っています。 86年 スーパー定期 → 中期国債ファンド → 株式(現物) 88年 商品先物に手を出しわずか1ヶ月であり金(約400万円)全て失う。 99年 商品先物再開〜 サヤ取り 片張り 確定損益計 99年 ± 0万円 +125万円 +125万円 00年 + 88万円 −419万円 −331万円 01年 − 69万円 −186万円 −255万円 02年 +127万円 + 55万円 +182万円 03年 −103万円 + 76万円 − 27万円 04年 +202万円 −455万円 −253万円 05年 +283万円 +106万円 +389万円 06年 +336万円 + 17万円 +353万円 07年 − 96万円 −127万円 −223万円 08年 −246万円 − 55万円 −301万円 累計 +522万円 −863万円 (課税対象) (入出金ゼロ換算) 株式先物 くりっく365 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 09年 + 1万円 ± 0万円 + 1万円 7,022千円 10年 +77万円 −84万円 − 7万円 6,525千円 (− 7.1%) 11年 − 8万円 ± 0万円 − 8万円 6,355千円 (− 2.6%) 12年 +19万円 − 6万円 +13万円 7,452千円 (+17.3%) 13年 −32万円 +34万円 + 2万円 8,363千円 (+12.2%) 14年 −71万円 +69万円 − 2万円 9,837千円 (+17.6%) 15年 +53万円 +13万円 +66万円 11,203千円 (+13.9%) 16年 +90万円 −18万円 +72万円 11,755千円 (+ 4.9%) 17年 +12万円 −12万円 + 2百円 5,000千円 (−57.5%) 18年 −14万円 +14万円 + 5百円 9,330千円 (+86.6%) 株式先物 CFD 確定損益計 有効額 (有効額変動率) 19年 −11万円 +11万円 + 3百円 7,852千円 (−15.8%) 20年 −24万円 +24万円 + 1百円 3,424千円 (−56.4%) 21年 + 112万円 − 112万円 + 3百円 1,914千円 (−44.1%) 22年 − 182万円 + 182万円 +18百円 5,354千円 (+179.7%) 23年 −72万円 +72万円 +28百円 6,241千円 (+16.6%) 24年 − 126万円 + 126万円 +32百円 5,430千円 (−13.0%) 25年 − 210万円 + 210万円 − 0万円 8,752千円 (+61.2%) 99年・・・ビビリながら、ピンで分散短期逆張りで、コツコツと。 〜04年・・資金管理ずさんで、ただの博打の連続〜。 05年・・・サヤ取りとデイトレに特化。 06年・・・やっと資金管理が重要と悟る。 07年・・・04年夏〜07年夏の3年間は有効額右肩上がりでルンルン♪ ルール違反により30%のドローダウン! トレード・ルールの見直しと厳格化を試みる。 08年・・・サヤ取りの従来手法が通用しなくなり、 07年夏の有効額ピークから50%弱のドローダウン! 「デイトレ・システム」と「サヤ取り・システム」を模索するも断念。 09年〜・・商品先物を封印し、225ミニなどチョロっと〜 12年〜・・秋山さんの研究データと私のトレード傾向(癖、嗜好)との マッチングから225ミニ中心に〜 20年4月有効額ピークから21年9月一時92%ドローダウン! 21年7月〜投資対象(CFD)拡大し、一時有効額518%アップ 23年12月有効額ピークから24年8月一時68%のドローダウン! |
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