(無題) 2009/09/28(月) 23:23:54 |
| 小さい頃からピアノを習っている人には、程度の差はあれ「絶対音感」を身につけている人が少なくない。しかしながらある程度大きくなると、この能力はほとんどつかなくなってしまうのも、又よく知られる事実である。とにかく、音楽をまじめに学ぼうと自覚する頃には、努力してもつけようがない能力であるから、音楽家として一流になるには必ずしも必要ではないと割り切って、相対音感などほかの能力を研ぎますしかない。 とはいえ、最近コンクールに出てくるようなピアニストは、ほとんどが完璧に近い絶対音感の保持者ではあるまいか。なぜならピアノは音域も広いし、鳴らすべき音符も他の楽器に比べ桁違いに多いから、演奏家が絶対音感を保持することによる有利さは測り知れないからである。絶対音感があれば鳴らす音が頭に入っている限り反射的に正確に打鍵することができるのであるから、ミスタッチの可能性は格段に減るはずである。近現代物のような調性の余り感じられない曲では、その有利さはさらに際だつだろう。 だからぶっちゃけたはなし、完璧な絶対音感にはほど遠い音楽学生は、ピアノよりも、より少ない音符ですませられる楽器に専攻を変えるよりほかないのが実態ではないか。よくヴァイオリンをやっている人が、耳の良さではピアノに負けぬと向こうを張っている場合があるが、ヴァイオリンで音を作るときに必要な耳の良さは基本的に相対音感の(もっと具体的に言えば調律師的な)耳の良さだと思うので、絶対音感が弱いことによるハンディは弾くべき音域、音符がすくない分ピアノに比べればだいぶ小さいと思う。 古き良き時代は、演奏中ピアニストが止まってしまう事故がよくあったという。これも絶対音感が弱い故に一瞬弾くべきキーがわからなくなってしまう事によって起こる。しかし日本は世界でまれに見るほど音感教育に熱心であるし、ピアノは「競技人口」も多いので、近年のコンクールの最終選考に残るクラスではまず見られなくなった。 最近東京芸大の音楽学生に音感テストをしたところ、36回のピアノの音当ての試行で、一度も間違えなかった人がおおよそ半数を占めたという。この割合から推定すると、芸大や桐朋のピアノ専攻の人であれば、8割方「完璧な絶対音感」の保持者と思われる。そうでなくっちゃ実際の所ピアノで一流にはなれぬのだろう。誠に恐れ入る話である。 |
(無題) 2009/09/26(土) 00:28:02 |
| 京大の根井雅弘さんと言えば、若くして読書界にデビューした人で、少子化でアカポスゲットが難しい昨今にあって、複数の大学からオファーがあったという。私も最初彼の新書を読んだときは、きっと経済学史の有力な学者になるのだろうと予想した。しかしその後も一般向けにケインズ・シュンペーター並びに同世代の経済学者についての同じような薄い本を書きまくっているわりには、ちゃんとした研究書はないようである。その意味ではちょっと期待はずれの感がある。彼には現代経済学のほか、ポストケインズ派の評論などをしてもらいたいと思っていたのだが。現状、東谷暁氏のほうが、純粋に「経済学評論」の点ではるかに内容のある本を書いているといったら、言い過ぎであるか。 |
(無題) 2009/09/21(月) 23:32:03 |
| くれよんしんちゃんの作者臼井儀人さんが山で遭難したようである。最近中高年層を中心に山歩きがはやっているが、あの辺は、妙義山とか、結構岩山も多いようだ。一人で入山する人もいるのだろう。 |
(無題) 2009/09/20(日) 11:01:35 |
| 文春新書の東谷暁『エコノミストを格付けする』は、なかなか面白い。東谷は「経済評論家評論家」の定番になりつつある。かれは早稲田の政経の出であるが、アカデミックに経済を専攻したことはないと言うが、なかなかどうして外国の文献もよく目を通している。 日本の主流派経済学界は、アメリカの主流派経済学者については、いかなる批判もしない。たとえば毒舌で有名な池田信夫は、(彼のキャリアと毒舌故に、日本の経済「学界」に受け入れられているわけではなさそうだが、かれがアメリカの主流派経済学の信奉者であることは明かである)日本の経済学者、エコノミストについては、ほんのちょっと首尾一貫しない点やオールドケインジアン的見解を口にすれば、地底人などと口を極めて批判するくせに、あきらかに首尾一貫しない「ノーベル経済学受賞者」クルーグマンを決して批判しない。 「ノーベル経済学受賞」という事実を権威付けに評価するのは、消えた高橋洋一もそうで、かれは「マンデル=フレミング理論」はノーベル賞受賞である故に正しいと主張していたものだった。実際の所変動相場制で財政拡大により金利(実質だろうと名目だろうと)が常に上昇するかどうかは事実のレベルで確認できない。90年代日本の例などは、身近に知ることができる明らかな反例である。池田・高橋は歯に衣着せぬ人だから目立つが、日本の主流派経済学者はだいたいにおいて池田・高橋と似たり寄ったりの、アメリカの新古典派=ニューケインジアンを決して批判しない権威主義である。 であるから、主流派経済学者系エコノミストの主張は、現実の問題を考えるときには、眉につばつけて考えた方がよい。逆に経済学者でも反主流派の小野善康や、現場出身者で新古典派的洗脳をそれほど受けていない山家悠紀夫・菊池英博らの主張の方が、リアルに即していると考えられる点が多々ある。 |
(無題) 2009/09/14(月) 20:54:35 |
| 最近のワンルームマンションの営業はとみに悪質で、「不動産は買いません」と言ってガチャ切りすると、すかさずリダイアルしてきて、「話も聞かずに切るのは失礼じゃないですか!」などという。職場でもやられたことがある。これを逆ギレ商法というのだそうだが、その不愉快さは往年の先物営業の比ではない。恫喝による押し売り、あるいは「氏ね」などの失言を誘って告発をちらつかせながらの押し売りなのである。この商法をはじめたのは、住友銀行を辞めた元銀行員が立ち上げたワンルームマンション販売会社で、某宗教団体ともつながっているらしいと言うから驚く。政権交代でちょっとはおとなしくなるかどうか。 |
(無題) 2009/09/10(木) 22:55:59 |
| 群馬の八ツ場ダム中止問題では、地元群馬はじめ恩恵を受ける一都五県の知事が一斉に反発している。中止を打ち出した民主の顔も立つように、このさい、国としての事業は中止するが、一都五県でダム建設のための広域連合でも作ってそれに丸投げすればよいのではないか? そもそもダムというのは恩恵を受ける流域がはっきりと区分けできるのであるから、あくまでその地域の税で建設すべきであって、国費を投入すること自体最小限であるべきと言える。一都五県の住民の税金で作れば誰も文句は言うまい。自然保護団体は不満かも知れないが。 |
新潮懲りないなあ 2009/09/09(水) 21:45:35 |
| 週刊新潮の9/17号に『中田カウス脅迫嫌疑をかけられた前田五郎手記』が掲載された。手記によれば、脅迫事件の後、カウスに呼び出されて、密室で二人っきりになったところで新聞記事と脅迫文のコピーを突きつけられ、「この字、誰かににてまんなあ」とヤクザそのものの脅しを受けたというのだ。 仮にこれが事実だとしたら、そもそもいったいカウスは何のために前田五郎を呼びつけたのだろうか? 呼びつけて詰問したいのであれば、カウスは現会社当局の忠犬だそうだし、当時の吉野社長や大崎副社長も同時に脅迫されているのだから、吉野・大崎・顧問弁護士同席の元で前田を呼びつければいいのである。カウス一人でこんな事をしても真実の解明につながらないどころか、逆に前田に「カウスに脅迫された」などと言われてしまうのがオチではないか? こんなリアリティのない話を、なんらカウスに取材することもなく掲載してしまう新潮は、まるでブラックジャーナリズムみたいだ。こんなことじゃそろそろ「反社」認定されちゃうよ。 |
(無題) 2009/09/08(火) 22:52:43 |
| 同じ芸術専攻とはいえ、美大生は必ずしもまじめとは言えないが、ピアノ専攻の音大生は例外なくまじめで、事務員としても使えると言う。なぜかというと、美術系の才能は日々の鍛錬がなくとも或程度維持できるが、ピアノ演奏の腕を維持するためには、毎日一日たりとも休まずに何時間という練習を欠かさず続けることが、絶対的に必要だからだ。ピアノを習ったことがある人なら、1日練習を休めばおよそ3日分腕が落ちることは、皆知っているだろう。 そういえばピアノをちゃんと弾ける若い女性はほとんど髪が真っ黒である。 |
(無題) 2009/09/05(土) 10:58:56 |
| 民主党が八ツ場ダムを凍結するそうである。2000億にのぼる金をかけてここまできたのであるから、建設するのが「合理的」なのであろうが、選挙で凍結を断言しているから、おそらく事業は中断されるのであろう。読売あたりは此にずいぶん不満のようであるが、政権発足の初っぱなから公約違反をするのは政治的にも道義的にも不可能で、やむを得ない。昔青島幸男が都市博中止を掲げて知事に当選するや、ただちに多額の違約金を払って博覧会を中止した。これにしてもあそこまで準備したのであるから実行した方が合理的に違いないが、今思い返して都市博をやった方が良かったと思う人は少ないであろう。こういう事は民主主義のコストと割り切るしかない。だいたい将来の水需要予測もかなりの程度「水もの」なのであるから。 それはそれとして、無駄な公共工事をなくすのもよいが、役所が毎年定期的にやる「イベント」の類も大胆に見直すべきではないか。「国体」「植樹祭」をはじめとして、日本全国にはすでに存在意義の無くなったイベントが無数にある。だいたい農水に多いが、こういう行事の費用はそれに直接かかる金だけでなく、それに張り付く公務員の人件費もバカにならないのである。で、金と時間をかけている割には、現実の意義や効果は不明で、多くは関係者の「自己満足」に終わっているのが実態なのである。 |
(無題) 2009/08/29(土) 10:52:05 |
| 選挙では、民主大勝が予想されている。櫻井よしこは、真の保守政党でなくなった自民党は下野を覚悟せよとだいぶまえから言っているが、私は今後の保守系論者の身の振り方にちょっと興味がある。というのも、いままでの自民党支持者の中には「自民党が与党であるから」支持すると言う人たちが、かなり多いように思われるからである。つねに勝ち馬につくというのは、右よりの人にありがちな行動様式である。『正論』や『will』が、反権力(笑)の雑誌になってしまうとは、想像もできない皮肉である。 前回新進党が政権を取ったときは、自民党が社民村山を首相にするという奇策をとって、1年で政権に復帰した。もし1年以上も下野を続けたら、もしかして自民の組織維持は難しかったかも知れない。今回は自民はおそらく、1年以上の下野を強いられるであろう。そうなると自民自身が分裂し、「日本愛国会議」などと言った極右政党が誕生するかも知れない。櫻井よしこは今の自民は真の保守ではないと言っているが、客観的に見て櫻井のスタンスは、保守と言うより外国で言うところの「極右」に相当すると思う。西部邁や渡部昇一や西村幸祐や嫌韓流や日本会議の人たちと一緒に、日本のネオナチでも作ったら、国際的に見てわかりやすい。 |
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