相場界芳名録

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名前パラジウムの錬金術師更新日時2009/01/06(火) 07:13:07
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パラジウムの錬金術師 さんの日記

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下村博文文科相の「金の疑惑」相次ぐ 板橋区選出の下村氏、権力で政治資金を集める?  2014/11/29(土) 21:16:58
 http://the-liberty.com/article.php?item_id=8794

20日に公表された政治資金報告書によると、下村博文・文部科学大臣が代表を務める自民党東京都第11選挙区支部(板橋区)が、文科省から補助金を交付した2つの学校法人から計10万8千円の献金を受けたことが判明した。5月に提出した同報告書に記載されていた。11月20日付朝日新聞(夕刊)が報じた。

寄付者名を代表者個人に修正した下村氏の事務所は、同紙の取材に対し「個人の寄付を、その方の肩書きである法人の寄付と誤解していた」と話し、違法行為に当たらないと説明。しかし、政治資金規正法では、国から補助金を受け取った団体から、1年以内の政治献金を禁止している。神戸学院大学の上脇博之教授は、「補助金を受けた学校法人が一時的にでも献金を負担すること自体、違法性が高い」と同紙で述べている。

これは、政治資金規正法の抜け道を使った違法行為である疑いが強い。10万円程度の少額とはいえ、法令遵守の意識が低いと言わざるを得ない。

実際、下村氏に対する疑惑はこれだけではない。先月発刊された週刊誌「フライデー」は、下村氏本人が資金集めに勤しむ様子を掲載した。

記事は、9月27日、下村氏の後援団体「東北博友会」が仙台市の一流ホテルで開いた講演会の様子で、下村氏が約20分間の講演を行ったもの。これに先立つ8月末、医学部開設を申請していた東北薬科大学が、医学部としては37年ぶりに認可され、会場には、教育・医療関係者らが集まった。もちろん、同大の理事長の姿もあり、挨拶を終えた下村氏に頭を下げ、握手を求めた。会費1万円を徴収した講演会は、医学部新設を祝う集会のようなものだったという。

日本大学の岩井奉信教授は、同記事の中で、「参加する側としては、パーティ券を買うのと同じ気持ちですよね。(中略)文部科学大臣という許認可権を持っている人ですから、当然、大学関係者は買うでしょうね」と述べ、下村氏の講演会に批判的な見方を示した。

スキャンダルと言えば、先日、小渕優子・松島みどり両大臣が辞職し、国会が空転した騒ぎがあった。しかし、与党を批判すべき野党側は、選挙戦に突入したことで、下村氏を追及する余裕はない。冒頭の報告書の修正も、そのごたごたに乗じてうやむやにしようとした感が否めない。許認可権を持つ立場を露骨に利用する人物が、果たして大臣に相応しいのか。

疑惑がつきまとう下村氏は、当然、説明責任を果たすべきだ。人の道を教える教育に携わる人間であればこそ、である。(山本慧)

「植物工場」 幸福の科学の昔の書籍に載っていましたね!  2014/06/15(日) 08:59:41
 確か「ビジネス革命」だったと思う。

転載:

http://www.asahi.com/articles/ASG66324CG66UQIP002.html?ref=rss

 生産量が国内最大規模の野菜工場が千葉県柏市に完成、今月稼働を始めた。温度管理しやすい木造の工場(床面積1260平方メートル)では、栽培棚が11段、約5メートルの高さまで積み上げられ、レタスやハーブがLEDと蛍光灯の光で水耕栽培される。

 各地で植物工場を手がける「みらい」(東京都千代田区)と、現地で次世代型都市「柏の葉スマートシティ」の開発を進める三井不動産の共同事業。1日1万株の生産が可能だという。天候などに左右されず、1年通じて1袋約180〜200円の安定した価格で供給できる。関東を中心にスーパーや飲食チェーンで販売する。(山口明夏)

http://toth.blog86.fc2.com/blog-entry-534.html

オバマとプーチンの実力  2014/05/08(木) 19:11:58
 http://ameblo.jp/itonozomi/

ベトナム海上警察に、中国の艦船が衝突してくる様子が伝えられていますね。

2010年の尖閣諸島沖での漁船衝突事件の映像ととても似ています。


ウクライナ問題を発端として、国際情勢が動きつつあります。


地域で配布しているチラシの内容を転載させていただきます。


◆ウクライナ問題は経済的救済力競争

 ウクライナ問題をめぐってロシアとアメリカとの関係が悪化しています。
 幸福の科学グループ大川隆法総裁は、「オバマ大統領の新・守護霊メッセージ」と「プーチン大統領の新・守護霊メッセージ」を収録しました。
 オバマ大統領守護霊は、プーチン大統領を「悪魔の中の悪魔」と位置付け、ウクライナ問題でのロシアの対応を批判しました。
 これに対し、プーチン大統領守護霊は、ウクライナ問題は経済的救済力競争であるという見方に同意し、EUがウクライナに緊縮財政を押し付ければ、失業者が増え、経済はガタガタになる可能性が高いため、ロシアに救済を求める地域は救済したいという考えを明らかにしました。
プーチン大統領が指摘する通り、ウクライナ問題の発端は経済問題です。
ヤヌコーヴィチ大統領はロシアから総額150億ドル(約1兆5600億円)の融資を受ける見返りとしてEUとの連合協定を見送りました。これに反発した新EU派の住民が行ったデモがヤヌコーヴィチ大統領の退任を求めるデモに発展。内閣の全閣僚が辞任しても、デモは悪化の一途をたどり、ヤヌコーヴィチ大統領は亡命せざるを得ず、キエフで暫定政権が発足しました。
プーチン大統領の「EUの協定を中止しなければ、融資をしない」という圧力のかけ方は強引なやり方ではありますが、ギリシャの財政危機であれだけ揺れたEUがウクライナを救済するために1.5兆円の融資を行えるかどうか。正直難しいのではないかと感じます。


◆EUによるウクライナ救済は可能か

現在、EUがウクライナに対し、融資をするとなると、ドイツがお金を出すことになります。フランスも、スペインも、イタリアも、財政問題を抱え他国に融資する余力はありません。
しかし、「ウクライナを救済するために、なぜドイツだけが負担を強いられなければならないのか。」当然、ドイツ国内では不満が高まります。そのため、融資の条件として、厳しい財政緊縮策、増税の実施が要求されます。しかし、ギリシャの事例を見ても分かる通り、急激な財政緊縮と増税は不況をもたらし、失業者が街にあふれる事態を生みます。国家の財政が安定する代償として、民間経済に深いダメージを与えることになります。赤字企業に対する融資の条件として、従業員数の削減、給与カットを銀行が要求するのと同じで、大きな痛みを伴うのです。
このようなEUの救済に対して、条件なしで融資を受けられるロシアの救済のほうが良いとヤヌコーヴィチが考えたのも無理はありません。


◆ロシア制裁の最悪の結末

日本が一番避けたい事態は、ロシアが孤立化した結果、急速に中国との結びつきを深めていくことです。
アメリカ、中国、ロシアという大国に挟まれている日本としては、どこか一国と関係が悪化している場合、他の国を敵にしてはいけないというのが、日本外交の基本です。第二次世界大戦では中国とアメリカを敵にした結果、敗北しました。
現在、尖閣諸島問題をはじめとし、中国との関係が悪化しているなか、ロシア・アメリカとの友好関係を強化していかなければなりません。
 武力を背景として、自国の領土を拡張しているロシアに対し、それを止めたいというアメリカの気持ちもよく分かりますが、経済制裁の結果がどうなるのか、冷静に見極める必要があります。冒頭で指摘した通り、ロシアが孤立化した結果、中国と連携が強化され、さらにその連合にイスラム教圏が加わるということになれば、日米は苦しい状況に追い込まれます。
 中国は人権弾圧を行うジンバブエのムガベ政権に経済援助をするなど、国際社会から孤立した国と連携を強めています(北朝鮮もそうですが)。天然資源に恵まれたロシアが国際社会から孤立化すれば、すぐに接近を図るでしょう。中国・ロシア・イスラムの連携は、何としても避けなければなりません。


◆危機の時代に入りつつある日本

 今回、オバマ大統領は「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲である」と明言しましたが、多くの米国債を保有している中国と対立したくない、というのがオバマ大統領の本心です。
 中国・ロシアの連携に楔を打つことが重要ですが、ロシアとの関係を急速に縮めれば、アメリカが日本に対して不信感を募らせる可能性もあります。
 ですから、今回のオバマ大統領訪日で、TPPの大筋合意に至れなかったことは非常に残念です。ロシアとの関係強化の前に、日米の連携を強化しておきたかったところです。
 今年の2月、アメリカ海軍太平洋艦隊司令部のジェームズ・ファネル大佐は、「昨今の中国海軍をはじめとする中国軍の訓練は、対日“短期激烈戦争”の準備を進めていると判断せざるを得ない」との分析を発表しました。
 それに対して、ペンタゴン報道官カービー海軍少将は、「中国の平和的な発展繁栄は、東アジア地域にとってのみならず、世界にとっても好ましい」というオバマ政権の姿勢を再度発信しています。
 中国海軍と第一線で対峙しているファネル大佐が中国への警戒感を強めているのに対し、ペンタゴンの危機意識が薄いことがわかると思います。
 第二次世界大戦前、ソ連の脅威に対し、アメリカは日本とのパートナーシップを強化すべきだというジョージ・ケナンの提言をアメリカが採用しなかったことと似ています。戦後ジョージ・ケナンが発表した「X論文」は大きな影響力を発揮し、ソ連封じ込め政策が基本路線となりました。
 いくら客観的には正しい戦略であったとしても、それが採用されるとは限りません。
 むしろ、人間は見たい現実しか見ないことを考えると、中国と友好関係を維持できるという夢想をアメリカは持ち続けるのではないでしょうか。
 友好関係を維持しながらも、アメリカに依存しない日米関係を築いていかなければなりません。

大東亜戦争  2014/02/25(火) 16:35:58
 ハーバート・ジョージ・ウェルズ (イギリス、歴史学者、著作家)

転載:

http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/daitoua.html

  H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


  アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)

  第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。(1965年十月二十八日、英紙「オブザーバー」)

 英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年三月二十二日「毎日新聞」)


日韓2000年の真実」名越二荒之助編著 国際企画より


 今から十五年ほど前、アジア各国の軍部代表がマニラに集ったときのことだ。例によって韓国軍の代表が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。列席のアジアの親日家たちは「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに耐えなかった。だが列席の日本の自衛官はひと言も発しなかった。」

 そこで、列席していたインドネシアのアリ・ムルトブ准将は韓国の軍人に向かって次のように日本を擁護した。彼はASEAN結成の仕掛け人である。
<日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。

ここで、インドネシアの日本民族の価値について申し上げる。今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国の日本と競争したから、立派な工業国になれたので ある。近くに強力な競争相手がいることは素晴らしいことだ。

つまり日本の近くに位置していることは幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けているといってよいくらいだ。

インドネシアが日本に近ければ今のような貧弱なインドネシアではない。
 つまり、我々インドネシア人は「日本はなにもしてくれなくてもよい。」と考えている。日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分アジア・アフリカに尽くしている。
 だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体の一員とは言えないし、対等のパートナー とも言えないのではないか。>

自虐史観からの開放:日本とスリランカを結ぶ友好の歴史  2014/01/13(月) 22:52:10
 これだろう。

■「アジアを救うことこそ日本の役割」■

 イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようと
19世紀末に立ち上がったのが、スリランカ建国の父と呼ばれ
るアナガーリカ・ダルマパーラであった。

 敬虔な仏教徒の家に生まれたが、当時のキリスト教の強い影
響で、聖書にちなんだダビッドという名をつけられていた。し
かし仏教再興運動を進める中で、自ら「アナガーリカ(出家者)
・ダルマパーラ(法の保護者)」と名乗ったのだった。

 ダルマパーラは仏教の縁で、明治22(1889)年2月に初めて
日本を訪れた。おりしも大日本帝国憲法発布式が行われており、
ダルマパーラは近代日本の胎動を目の当たりにした。

 ダルマパーラは明治25(1892)年に2回目、明治35(1902)
年に3回目の来日を果たした。3度目の来日の2か月前、日英
同盟が結ばれており、ダルマパーラは「欧米人のアジア人に対
する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるア
ジアを救うことこそ日本の役割なのだ」と語っている。

 その2年後、日本は大国ロシアに対して戦いを挑み、これを
打ち破った。日本の勝利にスリランカの人々は熱狂した。ダル
マパーラも「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいて
いないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに
死の淵から生還したのだ」と語っている。

転載:

http://www.melma.com/backnumber_115


■1.「日本は自由であるべきである」■

 1951(昭和26)年9月6日午前11時、スリランカ代表のJ
・R・ジャヤワルダナの演説が始まった。舞台は米国サンフラ
ンシスコ講和会議である。[a]

 51カ国からの代表が集まって、日本との講和条約を結び、
日本の独立を認めるかどうかを議論する場であった。米国が中
心となって、日本の独立を認める講和条約案がまとめられてい
たが、ソ連は日本の主権を制限する対案を提出し、さらに中国
共産党の出席を求めたりして、審議引き延ばしを図っていた。

 ジャヤワルダナ代表は、自らはスリランカ代表ではあるが、
「日本の将来に対するアジアの人々の全般的態度における彼ら
の感情をも述べうる」として、こう語った。

 アジアの諸国、セイロン(JOG注:スリランカ)、インド
及びパキスタンの日本に対する態度を活気づけた主要な理
念は日本は自由であるべきであるということであります。
・・・

「自由であるべき」とは、日本の占領を解いて、独立を回復さ
せるべき、という意味である。

■2.「アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のため」■

 講和条約への賛成を表明した後、ジャヤワルダナ代表はその
理由を述べた。

 アジアの諸国民が日本は自由でなければならないという
ことに関心をもっているのは何故でありましょうか。それ
は日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、
アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり日本を
保護者にして盟友として見上げていた時に、アジア隷従人
民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。

 私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅
力のあったこと、そしてビルマ、インド及びインドネシア
の指導者のあるものがかくすることにより彼等の愛する国
々が解放されるかも知れないという希望によって日本人と
同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すこと
ができるのであります。

「共栄のスローガン」とは、日本が大戦中に唱えた「大東亜共
栄圏」のことであり、実際に欧米諸国の植民地支配からの独立
を目指す国々の代表が東京に集まって、「大東亜会議」が開催
されている。[b]

 さらにビルマ、インド、インドネシアでは、日本が支援して
設立された独立軍が、これらの国々の独立戦争に大きな役割を
果たした。

 ジャヤワルダナ代表は、日本に対する賠償請求権を放棄する、
と続け、その理由として、仏陀の「憎悪は憎悪によって消え去
るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るものである」を
引いた。

 ジャヤワルダナの演説が終わると、賞賛の声の嵐で会場の窓
のガラスが割れるほどであったと『サンフランシスコ・ニュー
ス』は報じている。また『サンフランシスコ・エグザミナー』
紙は「褐色のハンサムな外交官が、セイロン島よりやって来て、
世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説
き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」と評した。

 この後、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアを除く49カ
国が講和条約に署名し、翌年4月28日、日本はついに独立を
回復したのだった。

■3.西洋の植民地支配400年■

 おそらく当時の日本国民は、遠く離れたスリランカの一外交
官がなぜにこれほどまで日本を擁護してくれるのか、いぶかし
く思ったろう。しかし、スリランカの歴史を辿ってみれば、そ
の理由も見えてくる。

 スリランカとは「光り輝く島」という意味で、その美しい豊
かな自然から「インド洋の真珠」とも呼ばれてきた。北海道の
8割ほどの国土に、現在では2千万人の人々が住んでいる。

 紀元前5世紀に北インドから移住したシンハラ人が王国を作
り、紀元前3世紀に仏教が伝わると、それ以降、現在まで仏教
国として信仰を守ってきた。

 しかし、スリランカはインド洋交易の重要拠点であり、その
ため、早くから西洋諸国の侵略にさらされた。1505年にポルト
ガル人がやってきて、約150年間、沿岸部を支配した。1658
年からは今度はオランダが替わって約140年間、植民地支配
を続けた。さらに1796年にはイギリスが支配者となり、全島を
支配下においた。

 イギリスは、スリランカ全島を紅茶の生産基地とし、米まで
輸入しなければならない状態にしてしまった。独立を求めて大
規模な反乱が三度起きたが、いずれも武力鎮圧された。

 イギリスは南インドから移住してきた少数派のタミル人を優
遇し、彼等を教育して役人とし、多数派のシンハラ人を治めさ
せた。この巧妙な分割統治が、現在も続く民族闘争の原因となっ
た。

 同時にキリスト教徒を優遇し、仏教を抑圧した。シンハラ人
のほとんどは仏教徒で、教育を受けることも難しかった。

■4.「アジアを救うことこそ日本の役割」■

 イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようと
19世紀末に立ち上がったのが、スリランカ建国の父と呼ばれ
るアナガーリカ・ダルマパーラであった。

 敬虔な仏教徒の家に生まれたが、当時のキリスト教の強い影
響で、聖書にちなんだダビッドという名をつけられていた。し
かし仏教再興運動を進める中で、自ら「アナガーリカ(出家者)
・ダルマパーラ(法の保護者)」と名乗ったのだった。

 ダルマパーラは仏教の縁で、明治22(1889)年2月に初めて
日本を訪れた。おりしも大日本帝国憲法発布式が行われており、
ダルマパーラは近代日本の胎動を目の当たりにした。

 ダルマパーラは明治25(1892)年に2回目、明治35(1902)
年に3回目の来日を果たした。3度目の来日の2か月前、日英
同盟が結ばれており、ダルマパーラは「欧米人のアジア人に対
する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるア
ジアを救うことこそ日本の役割なのだ」と語っている。

 その2年後、日本は大国ロシアに対して戦いを挑み、これを
打ち破った。日本の勝利にスリランカの人々は熱狂した。ダル
マパーラも「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいて
いないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに
死の淵から生還したのだ」と語っている。

■5.「次に生まれるときには日本に生まれたい」■

 3度の来日で、日本の驚異的な発展を目の当たりにしたダル
マパーラは、シンハラ人の自立のためには技術教育が欠かせな
いと考え、日本に留学生を派遣する財団を設立した。

 大正3(1913)年、ダルマパーラは最後の訪日を行い、帰路、
満洲と朝鮮も訪れた。日本はこれらの地に惜しみない資本投下
を行って、急速に近代化を進めていた。ダルマパーラは「日本
が2、3年の内にこの地で完成させたことを、イギリスがイン
ドで行ったならば優に50年を要していただろう」と、植民地
を搾取の対象としかみないイギリスとの違いを指摘した。

 ダルマパーラの活動によって、仏教に根ざしたシンハラ人の
民族主義運動が高まっていった。イギリスの植民地当局はこれ
を警戒し、おりから発生した暴動の首謀者としてインドで5年
間もダルマパーラを拘束した。弟も捕らえられ、半年後に獄死
した。それでもダルマパーラは運動をやめず、昭和8(1933)年、
69歳でスリランカ独立の日を見ることなく、生涯を終えた。
「次に生まれるときには日本に生まれたい」とよく話していた
という。

■6.皇太子のお召し艦を一目見ようと胸を弾ませて港に赴いた少年■

 1921(大正10)年3月、日本の巡洋艦『香取』がスリランカ
を訪れた。当時、皇太子であった昭和天皇をお乗せして、ヨー
ロッパに向かう途上であった。

 皇太子のお召し艦を一目見ようと港に集まった人々の中に、
一人の少年がいた。15歳のジャヤワルダナであった。

 ジャヤワルダナは、昭和54(1979)年、国賓として来日した
際に、宮中の歓迎晩餐会にて次のように語っている。[1,p82]

 外国の統治の下では、人々の信仰や言葉、慣習などはほ
とんど消え去りそうになっていました。

 このことから、私達だけではなく、西欧の帝国主義の下
で同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国
民達は日本を称賛し、尊敬していたのです。先の80年の
間、日本はアジアにおいて独立国として立ち上がっていた
のです。

 西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配
していた時に、あなた達は彼等と競い、匹敵し、時には打
ち負かしていました。

 陛下が1920年代に皇太子としてスリランカを訪れた
際には、私は気持ちを高ぶらせて陛下が乗船されている艦
を一目見ようと港に行ったものでした。

 当時の日本は、日英同盟のもと、第一次大戦をイギリスと共
に戦って勝利し、世界の強国として頭角を現しつつあった。自
分たちと同じアジア民族で、かつ共に仏教を信奉する日本の皇
太子が、自国の巡洋艦で対等の同盟国であるイギリスに赴くと
いう出来事は、「自分たちもいつかは独立を」という希望をス
リランカの人々に抱かせたに違いない。

■7.「インドとスリランカにいる兄弟・姉妹に呼びかけます」■

 1932(昭和7)年にコロンボに生まれ、スリランカ独立後に海
軍兵学校部隊長となったソマシリ・デヴェンドラ氏は、次のよ
うに語っている。

 1941年に日本が真珠湾を攻撃し、第2次大戦に参戦した
時には、スリランカ人は日本に対してある種の同情を寄せ
ていました。・・・

 1942年の初め、強力な日本海軍はインド洋上の敵艦をど
んどんと破壊していき、スリランカ島に向かっていきまし
た。しかし、その時にスリランカに停泊していたイギリス
軍艦の多くは第一次世界大戦当時に造られた古いものばか
りでした。

 4月、日本海軍の航空隊はスリランカの都市を空襲し、
それらの軍艦に攻撃をしかけてきました。この航空隊は真
珠湾攻撃に参加した後にやって来た隊でした。日本軍の爆
撃の命中率は世界で最も正確だったと言われています。

 この空襲の際に、3人が乗った日本軍の攻撃機1機が墜落し
た。コロンボのカテッナ市営墓地には、墜落死した日本兵の墓
が造られている。

 日本軍はシンガポールを占領した後、投降したインド兵を集
めて、インドの独立を目指すインド国民軍を組織させた。その
中にはスリランカ人の部隊もあった。

 インド国民軍はシンガポールからインドやスリランカに向かっ
て「ラジオ昭南(シンガポール)と呼ばれるラジオ放送を行っ
た。

 当時12歳だったデヴェンドラ氏は、このラジオ放送をよく
聞いていた。「こちらはラジオ昭南、インドとスリランカにい
る兄弟・姉妹に呼びかけます」という言葉で始まり、「ワン
・デイ・マータラ」という、今でもインドでよく知られている
インド国民軍の歌を流した。

 アメリカの情報機関は、このようなインド向けの放送が、イ
ンド人の心理に与えた影響は非常に大きかったとしている。

■8.「私達は日本に、このことを感謝しなければなりません」■

 日本が敗戦した日は「Victory over Japan Day(対日勝利の
日)」と呼ばれ、大きな都市では記念式典が開かれた。デヴェ
ンドラ氏が住んでいたラトゥナプラでも式典が開かれ、イギリ
ス側代表の後で、氏の父親がスリランカ側を代表して演説を行っ
た。

 この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。し
かし、私達は日本によって得られたものがあります。それ
は愛国心という心でした。それは、日本によって全てのア
ジアの国々にもたらされたのでした。

 戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、ス
リランカ、ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意
識を得たのです。私達は日本に、このことを感謝しなけれ
ばなりません。

「対日勝利の日」に、英国側の前で、日本に感謝する演説を行
うとは、まことに大胆な言動である。それだけ強い気持ちが籠
もっていたのだろう。

 1948年2月4日、スリランカは独立を果たした。日本が設立
を支援したインド国民軍の指導者たちをイギリスが「反逆者」
として軍事裁判にかけようとした事に対して、インド全土に暴
動、ストライキが広まり、それがきっかけとなってインドは独
立を勝ち得た。それとともに、イギリスはスリランカからも撤
退したのである。

 昭和天皇のお召し艦を一目見ようと港に駆けつけた少年ジャ
ヤワルダナが、独立政府の要職についていた。そしてサンフラ
ンシスコ講和会議で日本を擁護する演説をすることになる。

 日本は明治以降、スリランカの人々の独立への希望に灯を点
してきたのだが、今度はそのスリランカが日本の独立を助けて
くれたのである。
(文責:伊勢雅臣)

(コメント)
以前、NHKの番組『その時、歴史が動いた』で、サンフランシスコ講和条約の際の、東南アジア諸国の日本擁護の演説が、見事に日本批判の演説として解説されていたことがある。戦後、日本人はマスコミを始めとする反日勢力に、いいように嘘の歴史を刷り込まれてきたが、大東亜戦争が無ければ、未だに大部分の有色人種が奴隷同然の身分だったことは間違いなく、我々の祖先は有色人種の白人支配からの解放という、有史以来の大革命を成し遂げた、人類史に残る英雄といってもあながち間違いではないと考えている。

日本が大東亜戦争に突入したのは、アメリカを始めとする白人列強国家の罠に嵌ったのが直接の原因だったが、戦略的に勝ち目のなかった日本は、律儀にアジア解放の理想を掲げ、戦いには負けはしたものの、奮戦の末、その理想は見事に実現させたわけである。もし世界に日本が無かったならば、と考えてみれば、そこには白人が有色人種を支配し、家畜のように詐取する地獄のような世界しか想像出来ないだろう。

過去400〜500年の世界史を検証すれば、大東亜戦争での日本の正しさは揺らぐことがないのだが、連合国は極東軍事裁判を利用して、自分達が今まで被っていた悪の仮面を日本に被せ、日本が被っていた善の仮面を自分達で被ってしまった。日本人は自分達が正しいのにも関わらず悪だと思い込み、連合国の人間は自分達が悪なのに正義だと信じ込んでいるのである。善の仮面を外せば醜い本性が現れてしまうので、連合国は武力や策略を使ってでも日本を黙らせておきたいのだろう。

日本が黙っている間に、大量移民などで合法的に日本を滅ぼしてしまえば尚良いと考えているのではないだろうか。大量移民が無理でも、マスコミや教育を利用して社会や国を弱体化させ、日本人を愚民化して牙を抜いてしまえば、軍事的に制圧することは容易くなる。米軍の庇護下で太った豚が、ある日突然、野山に放たれ、中国という虎に献上された時、豚にはもはや虎の餌以外の選択肢がないのが現実である。せめて今のちに豚から猪くらいにはしておかないと、本当にチベットの二の舞になりかねないだろう。

一般公衆の年間被爆許容水準は「1ミリシーベルト」のはずですが、どうなってんの?  2013/05/29(水) 20:11:22
 一般公衆の年間被爆許容水準は「1ミリシーベルト」って、まだ言ってる人は、

原発事故がなくても、自然放射の年間被曝量が、1ミリシーベルト強あるのに

無知すぎると思う。


現実は、この記事にあるとおり

1986年のチェルノブイリ原発事故の甲状腺被ばく線量は50〜5000ミリシーベルトで、周辺地域の子どもの甲状腺がんが急増したが、今回の推計値は成人、1歳児とも、がんのリスクが高まるとされる100ミリシーベルトを下回った。


やっぱり福島は安全だった。国連科学委「被曝による健康被害なし」。

転載:

http://mainichi.jp/select/news/20130528k0000m040100000c.html

国連科学委員会:福島第1原発事故「明確な健康影響ない」


毎日新聞 2013年05月27日 22時33分(最終更新 05月27日 22時51分)

 東京電力福島第1原発事故による周辺住民の健康影響を調べている国連科学委員会は27日までに、事故後1年間の甲状腺被ばく線量を推計し、原発から30キロ圏外の福島県の1歳児は最大66ミリシーベルト、30キロ圏内にいて避難したケースでも最大82ミリシーベルトとする報告書案をまとめた。「被ばく線量は少なく、健康への明確な影響はないとみられる」としている。

 1986年のチェルノブイリ原発事故の甲状腺被ばく線量は50〜5000ミリシーベルトで、周辺地域の子どもの甲状腺がんが急増したが、今回の推計値は成人、1歳児とも、がんのリスクが高まるとされる100ミリシーベルトを下回った。(共同)

尖閣有事で日米が共同作戦計画 中国軍上陸も想定  2013/03/21(木) 13:53:48
 日本人は、北朝鮮、中国を押さえ込む覚悟を決めよ!

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130321/plc13032113230006-n1.htm

2013.3.21 13:22

 日米両政府が沖縄県・尖閣諸島をめぐる日本有事を念頭に共同作戦計画の策定に乗り出したことが、21日までに分かった。岩崎茂統合幕僚長とロックリア米太平洋軍司令官が同日から米ハワイで会談し、作業加速を申し合わせる見通しだ。

 策定は、日本と中国の対立が偶発的な武力衝突に発展しかねないことを懸念した日本側が米国に打診。尖閣への中国軍上陸や衝突に至った場合、陸海空の自衛隊が合同で米軍と共同作戦に当たるなどのシナリオが検討されているもようだ。

 尖閣では中国艦船が繰り返し日本の領海を侵犯。中国海軍の艦船が海自の護衛艦に射撃管制レーダーを照射するなど行動がエスカレートしている。尖閣は日本防衛義務を定めた日米安全保障条約の適用範囲と表明している米国も条約義務を履行する上で、日本との共同計画が必要と判断した。

 日米間には周辺事態法に基づき、朝鮮半島有事を念頭に置いた協力計画が存在するが、日本有事を想定した計画はなかった。(共同)

米国上院が日本の核武装を論じた北朝鮮の核兵器開発への対抗策として浮上  2013/03/17(日) 15:31:10
 日本は核武装しないと、北朝鮮、中国を抑えることができなくなるだろう。

転載:JB PRESS

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37337?page=4

米国連邦議会の上院外交委員会で「日本の核武装」が主要な論題となった。熱っぽい討論が繰り広げられた。この展開はこれまでの日米関係の常識では想像もできなかった事態である。私自身、まったく驚かされた。

 米側での日本の核武装論については、つい2週間前の当コラムでも取り上げてはいた。ただし、その事例は前ブッシュ政権の国務次官だったジョン・ボルトン氏が大手新聞への個人としての寄稿論文で言及したことにとどまっていた。ところがその直後の3月7日、今度は立法府の最高機関の上院の、しかも外交委員会という国政の大舞台で複数の議員や新旧の政府高官たちが論議したのである。

 この舞台は上院外交委員会全体が開いた「米国の対北朝鮮政策」と題する公聴会だった。

 この種の外交課題についての公聴会は、同じ上院でも外交委員会の下部に複数ある小委員会の1つが主催することがほとんどである。だが重要なテーマについては母体の委員会全体が主催者となるのだ。ちなみに外交委員会には民主、共和両党の議員合計20人が加わっている。

どんな趣旨にせよ、日本の核武装などというシナリオ自体、日本で猛烈な反発が起きることは必至だ。世界で唯一の核兵器の犠牲国という歴史の重みは特記されるべきだろう。非核三原則も生きており、国民の多数派から支持されている。だから現実の国家安全保障という観点からでも、日本の核武装などという言葉には激しい非難が沸くであろう。仮説のまた仮説であっても、日本が核兵器を持つという想定は、それを表明するだけでも犯罪視されかねない。

 ところがその一方、北朝鮮というすぐ近くの無法国家が日本や米国への敵視政策を取りながら、核弾頭ミサイルの開発へと驀進している。米国の政府や議会がその核兵器の無法国家への拡散を必死で阻止しようとしながら思うにまかせず、その事態が深刻になる中で、北朝鮮の核武装への阻止の手段、あるいは抑止の手段として日本の核武装という想定を語る。これまた無視のできない現実なのである。

 北朝鮮の核武装という事態が米国にそれほどの危機感を生んでいることの証左でもある。米側のそうした現実は日本側でいくら反発を覚えるにしても、自国の安全保障政策に絡んで実際に起きている現象として知っておくべきだろう。北朝鮮の核兵器開発は米国にも東アジアにも、そして日米関係にもそれほど巨大なインパクトを投げ始めたということでもある。

東アジア地域で核保有国が続々と出てくる?
 さて、それでは実際に日本の核武装はこの上院公聴会でどのように論じられたのか。2時間半ほどにわたったこの公聴会の模様からその関連部分を拾い上げて報告しよう。

 まず公聴会の冒頭に近い部分で上院外交委員長のロバート・メネンデズ議員(民主党)が日本に言及した。

 「私たちは最近、政権指導者の交代があった日本についても、金正恩政権にどう対処するか、その効果的なアプローチをともに考える必要があります」

 メネンデズ委員長の冒頭発言の後に登場した最初の証人はオバマ政権国務省のグリン・デービース北朝鮮担当特別代表だった。そのデービース代表に委員会側のボブ・コーカー議員が質問する。

 「北朝鮮の核問題では、米国の同盟国である日本と韓国が米国の抑止への信頼を崩さないようにすることが重要ですが、あなたも承知のように、米国はいま核戦力の近代化を進めてはいません。だから日本などが米国の核抑止による保護への懸念を抱くとは思いませんか」

 デービース代表が答える。

 「私は国務省に勤務するので、その問題への十分な答えはできないかもしれませんが、私の知る限り、日本では米国の防衛誓約が危機に瀕したという深刻な心配は出ていないと思います。たぶんオバマ政権の『アジアへの旋回』戦略がその種の心配を抑えているのでしょう」

 この時点から他の議員たちが加わっての意見の表明や質疑応答がしばらく続き、マルコ・ルビオ議員(共和党)が意見を述べた。ルビオ議員は若手ながら共和党側で次期の大統領候補の1人とも目される気鋭の政治家である。

 「私がもし日本、あるいは韓国だとすれば、北朝鮮が核武装を進め、その核兵器保有が国際的に認知された場合、自国も核兵器を保有したいと考えるでしょう。だから北朝鮮の核武装による東アジア地域での核兵器エスカレーションへの恐れは極めて現実的だと思います」

 クリストファー・マーフィー議員(民主党)も日本に言及した。

 「北朝鮮の核武装が公然の現実となると、東アジア地域の力の均衡は劇的に変わるでしょう。10年、あるいは15年後には日本を含め、4カ国、または5カ国もの核兵器保有国が出てくるかもしれない。中国はそんな展望をどう見るでしょうか」

 デービース代表が答えた。

 「中国は日本と韓国での一部での核についての議論には細かな注意を払っています。私は日本でも韓国でも核兵器開発を支持するコンセンサスはまったくないと思います。しかし中国は気にしています」

日本の核武装を極度に恐れる中国
 やがてデービース氏が証言と質疑応答を終え、第2の証人グループとしてスティーブン・ボズワース元韓国駐在大使、ロバート・ジョセフ元国務次官、ジョセフ・デトラニ元6カ国協議担当特使の3人が登場した。

 委員長のメネンデズ議員が北朝鮮の核武装を防ぐ上での中国の重要性を改めて強調した。

 「2005年に北朝鮮がそれまでの強硬な態度を改めて、非核の目標をうたった共同声明に同意したのは、中国が援助の削減をちらつかせたことが大きな原因になったそうですが、これから中国にその種の北朝鮮への圧力を行使させるにはどんな方法があるでしょうか」

この問いにはジョセフ氏が答えた。同氏は前ブッシュ政権の国務次官として軍備管理などを担当し、北朝鮮の核問題にも深く関わっていた。

 「私自身の体験では中国が北朝鮮に対する態度を大きく変えたのは、2006年10月に北朝鮮が最初の核実験を断行した直後でした。この実験は米国にも東アジア全体にも大きなショックを与えました。

 私は当時のライス国務長官に同行し、まず日本を訪れ、当時の安倍(晋三)首相や麻生(太郎)外相と会談しました。その時、安倍首相らは米国の日本に対する核抑止の誓約を再確認することを求めました。米側は応じました。しかしその後、すぐに北京を訪れると中国側はまず最初にその日本への核抑止の再確認に対する感謝の意を述べたのです。そして米側の要望に応じて、北朝鮮に強い態度を見せました。

 中国は日本の独自の核武装の可能性を心配していたのです。しかし米国が従来の日本への核のカサを再確認したことで、日本独自の核開発はないと判断し、それを喜んだのです。その時、中国は初めて北朝鮮への国連の制裁決議に同意しました。それほど中国は日本の核武装という展望を嫌っているのです」

 マーフィー議員がジョセフ氏に質問した。

 「日本が現在の政策を変え、米国の核のカサから離脱して、独自の核武装能力を開発するという可能性はあると思いますか」

 ジョセフ氏が答える。

 「はい、議員、私はあると思います。それはもし米国が北朝鮮の核の扱いに失敗し、同盟国への核抑止の誓約の明確な宣言を履行せず、ミサイル防衛も十分に構築しないというふうになれば、日本は長年の核アレルギーを乗り越えて、独自の核による防御策を取るだろう、ということです」

 以上が上院外交委員会の公聴会で出た「日本の核武装」についての言葉のほぼすべてである。そのやり取りには、北朝鮮の核武装に始まるいくつかの事態が起きれば、日本は独自でも核武装を真剣に考え、実際にそのための手段に着手する、という見解に集約できるだろう。日本自身が核武装をたとえ望まなくても、中国に対する外交カードとしては使ってほしい、という期待でもあろう。

 日本を取り囲む東アジアの核の現実はこんなところまで進んでしまったのである。


 この公聴会はタイトル通り、長距離弾道ミサイルの発射や核兵器の爆発の実験を断行し続ける北朝鮮に米国はどう対処すべきかが討議の主題だった。その流れの中で「日本の核武装」というテーマが再三再四、論じられたのである。

北朝鮮の核兵器開発に米国が大きな危機感
 その論議の趣旨を最初に総括すると、以下のようになる。

 「米国は北朝鮮の核武装、特に核弾頭の長距離弾道ミサイルへの装備をなんとしてでも防ぐべきだ。だがこれまでの交渉も対話も圧力も制裁も効果がなかった。いまや北朝鮮の核武装を実際に非軍事的な手段で阻止できる力を持つのは中国だけである。

 その中国がいま最も恐れるのは日本の核武装だ。だから日本の核武装というシナリオを中国に提示すれば、中国は北朝鮮の核武装を真剣になって止めるだろう。

 その一方、北朝鮮が核兵器の保有国として国際的にも認知されるようになると、日本側で核武装への動きが起きかねない。米国政府は核拡散防止条約(NPT)の主唱者でもあり、日本の核兵器保有には反対だが、北の核武装が公然たる現実となった場合には、日本が核を持つ可能性も改めて米側で論議すべきだろう」

アベノミクスを救う、ただひとつの道  2013/03/10(日) 21:28:10
 転載:
http://www.manjusri.net/

数日前のこと。

 たまたま見かけた、昼の情報番組ミ○ネ屋では、こんなシーンが映っていた。
 特集であるらしい画面には、不安そうな主婦やサラリーマン。
 「物価を上げるって言うのに、給料は上がらない……」
 「円安で、小麦もガソリンも急騰して値上げする。どうしたらいいの……」
 と、ひたすら困った困ったどうしましょう、といった体。
 「未来に暗雲立ちこめる」、みたいな論調を全力で作り出していた。
 「あっ」と思った。
 その特集の内容は、以下の朝日の記事と同じ内容だったからである。

 【給料上がらず物価上昇? アベノミクスに地雷(AERA 2013年3月11日号)】
http://dot.asahi.com/aera/2013030500005.html

 【安倍氏のリフレ政策 デフレ不況よりも生活は苦しく】
http://dot.asahi.com/news/politics/2012113000021.html

 「はじまったな」と思った。
 マスコミによる安倍たたきである。
 新政権発足後の「百日の蜜月」の終わりまで、あと一ヶ月もない。
 そろそろ、マスコミは盛大なバッシングの準備運動をはじめたいところだが、政権担当は二度目で、手慣れた安 倍政権は、徹底的な安全運転。
 高かった支持率が、なんと、さらに上がって、目下、隙がない状態である。
 さあ、どこから攻めるかマスコミさんよ、と思いきや、なるほど、切り口はここであったか。
 確かに、これは効くだろう。
 株価が上がっているとはいえ、すべての人が日本企業の株に投資をしているわけではない。
 給料が上がるとはいえ、すぐに来月から日本人全員の給料が一割アップするわけではない。
 なのに、ガソリンが上がる。
 小麦が上がる。
 生活に不可欠なものの価格が、次々と上がっていくのだ。
 主婦はたまったものではない。
 財布の中身を覗くたび、首が絞まるような気持ちになっているところに、マスコミがこうした論調をぶち上げれば、
 「なんだ。アベノミクスなんて、空騒ぎだったんじゃないの」
 「こんなはずじゃなかった。裏切られた」
 ……激しい失望感へ世論を導くのは、赤子の手をひねるようなものだ。
 うまくすれば、「民主党時代の方がよかった」という大合唱を起こすこともできる。

 きわめていやな予感がする。
 思い出していただきたい。
 小泉政権は「構造改革」という名で、規制緩和による景気対策を打ったが、結局、日本人全員の給料アップまで至らず、消費が伸び悩み、「実感なき景気回復」などという汚名を着せられたどころか「格差社会」「ワーキングプア」などという迷言をマスコミに生むことを許してしまった。
 それは安倍政権もよくわかっていると見える。
 この轍を踏んではならない、と思ったのだろう。

 【平均給与増で税額控除 賃金上げ促す法人減税 増加分の最大10% 政府・自民固める 】
http://www.nikkei.com/article/DGKDASFS1202R_S3A110C1MM8000/
 として対策を出した。

 しかし、である。
 円安や物価高は待ったなしだ。
 それに対して、法人減税の決定と実施による経済政策は遅れて効果が出てくることは言うまでもない。
 アベノミクスの大きな弱点がここにあるように見えはしないだろうか。

 もし、アベノミクスの成果が、個人の増収に還元されるまで、数ヶ月かかるなら。
 マスコミは、この糸口から切り込んで安倍政権のネガティブ・キャンペーンをはり、夏の参院選では、安倍自民の票を、大きく削ることができる。
 さすれば、憲法改正もならなくなる。アベノミクスの不首尾は、日本の国防にまで響きかねないのだ。

 だが、いったいどうしたものか。
 アベノミクスの効果が出て、日本人全体の給料がアップするまでの間、「物価の値上がりの苦境感」を、日本人全員からぬぐい去らねばならない。
 はたして、「給料が上がらず、物価が上がる中で、すぐに財布に優しい、即効性のある政策があるか」、という、それはひとつの「公案」である。
 そんな魔法のような方法があるわけはない、と、誰もが思うことだろう。

 ところが、あるのである。
 このバッシングを躱す、「たったひとつの冴えたやり方」を、安倍政権にいま、提示しているのが、唯一、「幸福実現党」である。

 実現党はなんといっているのか。
http://www.hr-party.jp/new/wp-content/uploads/2013/03/572df6c89562df3cbcaf51fd7fec681d.pdf
 答えはひとつ。
 「減税」……消費税の増税をやめ、法人税をも大幅に削る「減税」なのである。
 給料がすぐに上がらなくても、「減税」という形をとれば、「物価は上がっていながら、主婦のふところは大丈夫」という状況を作ることが可能なのだ。
 これこそが、もし、マスコミがこの方向から大攻勢をかけてきて、アベノミクスが窮地に落ちたときに、安倍政権を救う一手なのだ。

 ……減税。
 これを聞いた多くの自民の議員は、おそらく、「とんでもない」というだろう。
 麻生さんは増税論者。谷垣さんも増税論者。財務省に完全な洗脳を受けている。
 だが、安倍首相の支持率をあげたのは、財務省の政策ではない。谷垣さんではない。麻生さんではない。
 安倍首相を再び首相にしたのは、大川総裁が実現党を通じて語った政策である。
 その政策は、「絶対にだめだ」「そんなの国が滅ぶ」と、周囲の人々が大声で大合唱してきたものだ。
 だが、いざ、安倍首相が決断し実践したところ、かくもめざましい結果が出た。
 ならば、今度も同じことだ。

 安倍首相。
 頼みます。
 難しいことはいらない。
 再び、大川総裁の政策を入れていただきたい。
 一言、「消費税の増税は見送るっ!」と叫ばれよ。
 そして、
 「法人税に、さらに、大減税を加える!」と発表されよ。
 そのとき、「賃金上げを促す法人減税」は見事に生きて、よどんでいたお金は日本の働くお父さんやお母さんのもとに落ち始め、日本人の所得は上昇をはじめるだろう。
 たったそれだけ、その二言を公式の席上で発するだけで、嘘のように、日本の民間は活気づく。「アベノミクスで暮らしが苦しくなった」などという批判は完全につぶしきることができるだろう。

 このアベノミクスの成功は、経済のみの成功ではない。
 ここ二ヶ月ほどの日本の経済の復活は、中国に抑止をかけようとしている。
 そればかりではない。再び繰り返すが、夏の参院選の保守票の確保につながって、この国は、経済ばかりでなく、憲法改正によって、軍事的にも救われる道が開ける。

 そのために、実現党は、すでに、次の参院選も「派手な負け戦」を展開する予定でいることは明白だ。
 書籍「幸福実現党に申し上げる 谷沢永一の霊言」は傑作だった。現れた谷沢翁の霊は、「実現党が当選する見込みなどないっ! 全くないっ!」と語り、だから、「下手に迎合するな」というのだ。中でも、「負け方が弱くなる!」は、強烈な一転語であった。
 こうした応援のもと、今回も実現党は、「落ちることが恐ろしくない」という脅威の集団として、後じさりする安倍首相の後方で、命知らずの論陣を張り、時には安倍首相自身に対しても、強い一矢を射ることだろう。
 それはまるで、関ヶ原で、怖じて動かぬ味方・小早川に家康が打ち込んだ一発の銃弾のように、安倍首相を動かすだろう。

 戦いは始まっている。
 日本の次なる運命の岐路を超えるための、次の戦いに、保守陣営が勝利を収めてくれることを望むばかりだ。

アルジェリアは何故強硬策に出たのか?  2013/01/24(木) 19:52:42
 遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。

日本も、アルカイダのようなテロ組織を野放しにしてはなりません。

今回のこと、防衛力の弱い日本人は、狙われます。

自衛隊の特殊部隊を送り込めるような体制作りを躊躇してはなりません。

http://markethack.net/archives/51859232.html

アルジェリアの天然ガス処理施設で起きた人質事件で、アルジェリア政府は人質救出作戦を強行しました。これを書いている時点で、その結末に関する情報は交錯しています。でも人質の中に、かなりの犠牲者が出たと言われています。

このため世界の政府はアルジェリア政府を非難しており、メディアやブログでも強硬策を批判する声が大きいです。犠牲者が出たことは大変残念に思います。でも僕自身、昔、プラント関係の仕事をしていたので、今回のアルジェリアの事件のようなアブナイ場所で働く事のむずかしさや、現地の政治や宗教問題の複雑さ、ホストカントリーの政府や軍隊の考え方の違いについては、いろいろな価値観に接する機会がありました。そこでこれについて今日は書いてみたいと思います。なお、僕は今回の強硬策を支持するわけでも、非難するわけでもありませんので、念のため。

まずなぜアルジェリア政府が強硬策に出たのか? ですが、これは有り体に言えば、そうするほかなかったからです。

先ずアルジェリア政府はジハード派などの反乱分子に対して、断固とした態度を示し、「脅迫には、応じないぞ」というメッセージを送る必要がありました。なぜなら、ここでジハード派を叩いておかないとアルジェリアの国全体が、政情不安に陥る危険性があったからです。

アルカイダなどのテロ組織は政府のしっかりしていない国、経済の混乱している国を好んで、寄生します。そのほうが草の根のレベルでの庶民の不満を上手く利用して、取り入りやすいからです。国がしっかりしているところでは、ジハード派は活動しにくいです。

ウサマ・ビンラーディンはサウジの有力一族で建設業などの事業を展開していましたが、サウジを追われ、イエメンやアフリカに活動の拠点と転々としていったのには、そういう理由があります。彼が最後に寄生していたパキスタンにせよ、アフガニスタンにせよ、フィリピン南部にせよ、これらは全て国家が何らかの機能不全、ないしは真空状態になっている場所です。

アルジェリアの場合、北部山岳地帯にジハード派が巣食っていましたが、政府の努力でかなり彼らは駆逐されました。その連中が南のマリに流れ込んだのです。つまりテロリスト分子は「弱い方、弱い方へと流れる」わけです。

マリとしては弱体な政府、弱体な軍隊のところへアルジェリア北部マグレブ地域からジハード派がどんどん流れ込んでくるので、迷惑な話だったわけです。このままジハード派の転地を放置し、見て見ぬフリをしていたら、ジハード派は弱い国、マリに寄生することで、ゆっくり体力を回復してしまう……そこでフランスは、この際、徹底的にジハード派を叩いておこうという狙いでフランスの兵士を送り込み、マリ軍と共同でジハード派の巣窟を電子機器でマーキングし、そこへ空爆を誘導するという根絶オペレーションに打って出たわけです。

アルカイダはトップダウンの、命令系統がハッキリした組織というよりは、ハンバーガーやピザのフランチャイズ店みたいな運営になっており、ローカルのスポンサーが或る程度独立した裁量や自由意思で、他地域のアルカイダと緩い連携を保ちつつ、基本的には勝手に動きます。つまり以心伝心みたいな部分があるわけです。マリでジハード派がこのように近代兵器によって押しまくられると、アルジェリアのジハード派もそれに対してシンパシーを持ち、「自分達もなにかコトを起こして、仕返しせねば」という気持ちになるのです。なぜならアルジェリアでは締め付けがだんだん厳しくなっているし、リビアもカダフィ政権が倒れた後、曲折を経ながら正常化への道を歩もうとしているからです。つまりマリが潰されたら、いざというときの行き場所がなくなるわけです。

今回、アルジェリア政府がフランス空軍の上空通過を許した背景には、ジハード派の反感を買っても、マリの拠点を潰しておくことが、将来のジハード運動の根絶への近道だと判断したからに他なりません。

今回、アルジェリア軍が人質を取って立てこもっている天然ガス施設を激しく叩いたことで「ジハード派とは、取引しない」というメッセージは明白になりました。だからジハード派はショックを受けている筈です。

勘違いしてはいけないのは、我々日本人が憎むべきは強引な対応をせざるを得なかったアルジェリア政府ではなく、天然ガス施設に働いている民間人の人たちを人質にとり、巻き添えにしたジハード派だという点です。

実際、アルジェリア政府は全く単独でうごいているわけでもありません。その証拠にマリにおけるアルカイダ根絶作戦は多くのアフリカ諸国ならびに西欧諸国を巻き込んだ、国際協力のもとに行われてきたのです。

マリのジハード拠点を叩くためのフランス軍の戦闘機やヘリコプターは、チャド、ブルキナファソ、ニジェールなど、アフリカ各地の基地から飛び立っています。空爆に際してはアメリカなどの衛星データ・システムの支援を受けているはずです。空爆でジハード派の力を弱めておいて、最終的には地上軍を動員して、ジハード派を掃討する計画なのです。その地上軍はナイジェリア、ニジェール、ブルキナファソ、セネガル、ガーナ、トーゴなどの幅広い国から構成され、これに米国、カナダ、スペインなどの軍隊から出される指導教官によってトレーニングが施されることになっていました。さらにジハード派への弾薬、武器のサプライ供給を断つための国境警備も強化されました。

だから全ての責任をアルジェリア政府だけに押し付けるのは、情弱です。

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