相場界芳名録

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名前Momozo更新日時2010/07/02(金) 01:22:57
どんな人?Previously known as 百三
フリースペースInspired by Mikitani-san and Yanai-san who plan to make English their official in-house language, I decide to choose English to be my official Homeiroku language.
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Momozo さんの日記

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  2011/07/11(月) 23:01:12
 ヒッチコックの映画に「鳥」というのがある。市民がとりに襲われるというおそろしい映画である。なんでこんな話をするかというと今日鳥に襲われた。地下鉄に乗るために駅にむかって歩いていたところ「クエェェ!」というような声とともに頭に衝撃を感じた。驚いて首をすくめるとバタバタと鳥が飛び去っていった。鳥は向こうの枝に止まってこちらを見ている。白い腹に黒い背の中型の鳥である。

私はきっとよく前を見ないで飛んでいて間違ってぶつかったのだろうと解釈した。そして歩行を再開すると間もなくまた「クエェェ!」というような声とともに頭に衝撃を感じた。わざと私を攻撃していることを瞬時に理解した。

なぜだ?私の優秀な頭脳は即座に事象の解析を開始した。「私の頭に巣をつくりたいのか?」と思ったとたん昔パーマをかけて頭が鳥の巣のようになった友人を思い出した。思い出し笑いをしてしまった。ありがとう鳥さん、ちょっと愉快な気分になれたよ。

と鳥をみると、やつは枝に止まってこちらをみている。にらみ合ってしまった。また過去の記憶がよみがえってきた。がきのころ窓をあけると塀の上を猫が歩いてきた。猫は窓の前にくると止まってこちらを見た。目が合ってにらみ合いが始まってしまった。先に目をそらした方が負けである。実際は数十秒くらいであったろうが長く感じた。このにらみ合いはどのような形で終末を迎えるのかなどとぼんやり考えていた。

すると突然猫は「フン」と人を馬鹿にしたように鼻をならすとこちらに向けて放尿しはじめた。パニックになった私を尻目に猫は悠々と歩いて去っていった。たいしたやつだった。私もあのくらいの度胸と神経がほしいものだ。

そのとき「ピヨピヨピヨ」と雛の鳴き声が回想に割って入り数十年前の日本から異国の地の現実に引き戻された。「そうかあいつは雛を守ろうとしていたのか」しかし、こんな人通りの多いところでいちいち人を襲っていたら駆除されてしまうんじゃないかと心配になった。

貸し金庫事情  2011/07/05(火) 06:40:09
 特に預けるものも無いんだが、貸し金庫の空きがあるうちに一つ確保しておこうかとこちらの銀行で貸し金庫を借りた。

日本の場合、借り賃が年間2万円くらいかかったが、こちらではたったの4千円である。容積は日本より一回り小さいくらいである。

金庫室の大きさは、日本の場合は20畳くらいであったが、こちらは巨大で、博物館の展示室くらいある。

入室は、日本は磁気カードと暗証番号で自由に入って金庫を自由に開くことができたが、こちらでは入室時に係員が本人確認し、金庫室では、待機している他の係員の鍵と私の鍵を入れないと金庫が開かない。

日本では、貸し金庫は、ついでのサービスみたいな位置づけで、申し込んでもたいてい「開きはありません」と断られるが、こちらでは積極的に金庫を貸し出している。

つまり、こちらの貸し金庫は、日本に比べて安価で借り易くセキュリティが厳重である。私は、こちらは治安の関係で貸し金庫が日本より一般的なのかと思ったが、聞くところによると、こちらでは墓が不足しており、お骨を収めるのに使っているひとも多いそうだ。

ちょいと島へ  2011/07/05(火) 06:16:04
 船で一時間ほどの島に遊びに行ってきた。旅は予期しないことが起こるのが楽しみなのであるが、今回もいきなり船の中でなぞの白装束集団に遭遇した。まるでパナウェーブのようである。集団は40人ほどで固まって着席しており、航行中に数人が紙でできたお札のようなものを大量に海に撒いていた。私は激しい好奇心に襲われたが、話しかけにくい雰囲気だったので遠巻きに見ていた。彼らの正体は今回の旅の終盤で明らかになる。

さて、私は寂れた漁村を想像していたのであるが、島は若い男女の集団でごった返していた。遊びにきたグループ、カップル、大学のクラブの合宿らしい集団などである。まるで江ノ島のようであった。

昼時だったので土産物屋の通りの洋食屋に入った。私は350円の海鮮パスタを頼んだが、こちらの相場で150円くらいのものだった。連れはヌードルを頼んだところ出前一丁が出てきた。こちらでの出前一丁の地位は日本よりも格段に高い。

ところで、私の気を引いたのは粗末なランチではなく、向かいの席に座っているべっぴんさんであった。見つめられると思わず吸い込まれてしまうような瞳をしている。一方、相手の男はどう見ても秋葉のオタクでジャージのパンツをはいている。男は支払いのとき「つりはいらない」などとカッコつけていた。美女とオタクの組み合わせで実に興味深かった。このヲタクのどこにこんな美女を惹きつける魅力があるんだ、金か?などと想像をめぐらせた。まあ、私も美女を2人連れていたが(家内と友人、連れていたというより連れられていたと言ったほうが正確かもしれない)。

さて、ランチの後、ちょっと歩いたらすぐに島の反対側に出た。小さい島である。島の裏はビーチになっていて、雰囲気はまさに湘南、関西なら須磨である。ビキニのお姉さんたちが白い肌をあらわにしている。紫外線は肌に良くないんだが。まあ、日本のビーチのようにガンマ線で肌を焼くよりはいいだろう。

ビーチの端に有刺鉄線で厳重に警備されたヘリポートがあった。いったい何のためだ、軍事関係か?などと、またまた激しい好奇心に襲われた。私は人の100倍くらい好奇心が強いのである。するとバリバリ音がして黒塗りのリコプターが飛んできて上空を旋回し、着陸を開始した。私は全力でヘリポートに駆けていった。そして、私は全てを理解することができた。そこには救急車が止まっており、患者をヘリに乗せるとヘリは爆音を上げて飛び立っていた。とても暑い日だったので、私はヘリの立てる風を全身に受けて体を冷却した。

その後、島内の中央にある昭和年代の日本を髣髴とさせる古い通りを歩き、島の表側に戻ってきた。10歳くらいの少年が大人を2人のせて汗だくになりながら自転車式の人力車を引いている。この年齢で働くとは実に偉い少年だと感心した。しかし、後になってわかったのだが、ここのシステムでは、人力車屋は、人力車まるまる一台客に貸し出し、客が自分でこぐことになっていた。つまり先ほどの少年は観光客だったのである。

さらに歩いていくと不思議なものを目にした。紙で作った高級車である。大きさは一畳くらいある。これは面白いと思い紙車の前でポーズをとって写真を何枚もとった。と、そのとき異様な視線を感じた。視線の方向をみると、船で見かけたなんちゃってパナウェーブである。しかも今回は白装束だけでなく、ねずみ男のような三角頭巾までかぶってバージョンアップしている。

パナウェーブの後ろを見ると花で囲まれたおじいさんの遺影が飾られていた。この特殊衣装は葬式のものであった。そういえば、銀行の前でおばあさんが白装束で「じいさんがデリバティブを買わされて破産して自殺した」と抗議しているのを見たことがある。

するとまもなく葬式が始まった。チンチンドンドンとチンドン屋のような演奏の中、白装束集団は地べたに胡坐をかいて座り、じっと前(遺影と反対側、通りに面した方向)を凝視している。

聞くところによると、これがこちらの伝統的な葬式で、紙細工は葬式の後焼き、亡くなった人があの世に持っていくそうだ。よく見ると、船やあの世への階段など紙でできたお供え物が備えられ、隣には焼却炉があった。おじいさんは80歳くらいだった。この異国の地で激動の時代を生き抜いたおじいさんの人生に思いを馳せ、紙のプレゼントとともに昇天する様を想像し、なかなか心のこもったよい葬式だなと思った。

文化の違い?  2011/07/03(日) 01:26:50
 先日、こちらの主婦の方とファミレスで話をする機会があった。彼女は、子供二人とお手伝いさんを伴っていた。
こちらでは、中流以上は住み込みのお手伝いさんを頼むのが一般的である。

話は弾み、楽しいひと時を過ごすことができた。が、一点気になったことがあった。

私らはケーキやお茶、パフェなどを飲み食いしたが、お手伝いさんは水だけである。彼女は私の代金も払ってくれるほどジェネラスな人なので彼女がけちということは全然無い。気になって聞いてみたところ、これが普通だそうだ。ちなみに周りを見渡すと、他のお手伝いさんも水だけである。

私だったらいたたまれず、お手伝いさんにもケーキを買うが、こちらでは逆にお手伝いさんにケーキを買うほうがおかしい感じがするらしい。

駅前にお手伝いさんの派遣センターがあって、訓練風景の写真などが飾ってあり、うちでも一人頼もうかと思っていたが、ちょっと抵抗を感じたのでやめようと思う。

原発避難民?  2011/07/03(日) 01:08:47
 最近、原発避難民として海外移住できないか、みたいな話を目にするようになった。実は、私も原発難民に認定されるか幾つかの大使館に問い合わせてみた。それによると、難民を認定する団体があって、そこの認定が必要とのことだった。

難民と言えば、政治、宗教によって迫害されている人が一般的だと思うが、原発難民というカテゴリがあるのだろうか。

それ以前に「原発避難民として海外移住する」という問いかけ自体が自己矛盾をはらんでいる可能性がある。

つまり、原発事故で難民となるわけであるから、身体が放射能に汚染されている可能性があるわけで、仮に汚染されている場合、身体は放射性廃棄物と同じ扱いになり、移住どころか逆に隔離の対象になるのではないだろうか。

私は空港で放射能チェックを受けたが(当時は任意、今はわからない)、幸い放射能が検出されず入国できた。仮に放射能が検出された場合、私の扱いはどうなっていたのか。職員に聞いておけばよかった。

なぜ諦める  2011/06/28(火) 01:14:43
 先日東京から異国のこの地に友人が遊びに来たので晩御飯をご馳走してもらった。彼女は原発事故の深刻さはわかっていたが「ここまで生きたらもう私はどうでもいいわ」と自嘲気味に笑っていた。「この諦観は何なんだ」と私は悲しい気持ちになってしまった。

以前の彼女は生命力にあふれ、熱く未来を語り、そこがなんとも魅力的だったのだが、いま私の目の前にいるのは、外見は以前と変わらず美しいが、いまや人生を終えんとする人のようであった。

私は「ニュースに気をつけて、何かあったらすぐに逃げるように」というのが精一杯であった。東京の人と話をするとみな同じような反応を示す。まるで催眠術にかかっているようだ。日本政府の情報後出し作戦がうまくいったということか。

政府なんかになめられてたまるか。私は生き残りゲームへの参加を宣言する。何度も入管に足を運んで書類を出したり面接したり大変だったがビザもなんとか取れた。「ゲームの達人」という小説があるが、サバイバルに必要なものは、世界をゲーム盤とみるゲーム感覚である。

ゲームのはじまり  2011/06/27(月) 22:57:03
 現在、3号機が黒煙を、4号機が白煙をもうもうと上げている。
偏西風によって北半球に汚染が広がるのに2年、貿易風によって南半球に広がるまで7年だそうだ。
福島原発の放射能量を考えれば、最悪の場合、北半球全滅となるだろう。
ということで、生き残り確率を高めるために北半球に2箇所、南半球に1箇所逃げ場所を設けるのがよいとの結論に達した。もちろんすぐにはできないのでとりあえずは考えるだけであるが。飢饉や戦争リスクも考えなくてはならない。
ファンダメンタルズを分析して自分の資力に合わせてマーケットでポジションをとるのと同じである。
南半球といえば、普通はオーストラリアやニュージーランドを思い浮かべるだろうが、おそらくこの2カ国には移民の希望者が殺到するだろうからここを目指すと生き残り確率が低くなると思う。相場と同じで人の裏を行ったほうがよい。南アフリカのゲーテッドタウンなんか穴場だと思うが、果たしてどうか。
3.11に賽は投げられた。生き残りゲームに参加するか座して死を待つか何れかしかない。

小旅行記  2011/06/24(金) 15:25:28
 姉貴さんもご苦労様でした。

シーフードで有名らしい漁村に遊びに行ってきた。

昼飯を食おうと思って港にある観光客用のレストランに行ったところ、日本では天然記念物のカブトガニ(フリスビーくらいの大きさ)やシーラカンスのような(というかシーラカンスに見えるが)巨大な魚など、外国では水族館にいるような魚介類が展示されていた。値段はランチセットが三千円位だった。

三千円も払ってカブトガニを食う気にはならなかったので、大衆食堂に行き、四百円のシーフードカレーを頼んだ。周りは労働者風の人たちで飯場のような雰囲気である。すると、おもしろいことにカレーにはボルシチとこちらでは定番のミルクコーヒーがついてきた。ボルシチを食べてみると確かにその味がし、高田馬場のチャイカのボルシチにはもちろんかなわないが、なかなかうまい。

飯場の安カレーにボルシチとは妙な組み合わせだが、聞くところによると、こちらの洋食屋ではボルシチかマッシュルームの入ったクリームシチューがついてくるのが習慣とのことだった。言葉がよく通じないので適当に注文したところボルシチを選択したらしい。日本で言ったらしょうが焼きに味噌汁がついてくるようなものだろうと理解した。カレーのほうは蟹とホタテがかまぼこ製でインチキくさかったが(この値段では文句は言えないだろう)、ココナツのまろやかさが風味を添え、なかなかうまかった。

昼食の後、国立の自然公園に行った。平日ということもあるだろうが、巨大な公園には、殆どだれもいず独占状態だった。子供向けのキャンプ施設が充実してたが売店のおじさんが言うには、子供は勉強が忙しくてこんなところにはこないそうだ。確かにこちらの子供は学校から山ほど宿題がでるうえ、塾にも通い、みんなめがねをかけている。勉強ばかりしてると人間がちいさくなるぞ、と思うのだが、こちらでは出世しないと一生社会の底辺で苦労しそうな感じである。

人は草取りのおじさんくらいしかいなかったが、牛はたくさんいた。昔はベトナム難民の避難所があったそうだが、今では牛が放し飼いされていて、中には闘牛場にいるようなやつまで散歩していた。牛を刺激しないように私も散歩したが、頭にあるのはやはり故国のことである。なんとかなってほしいが無理だろうなあ、と私にしては珍しく憂鬱な気分になってしまった。

ID  2011/06/23(木) 00:01:30
 日本では勝手に投票用紙が送られてくるが、こちらでは住民票がないので、選挙のために登録するみたいだ。駅前でバイトらしき男女が「登録してください」と通行人に声をかけている。

こちらには住民票がないかわりにIDカードがあって、役所関係、郵便の受け取り、図書館、病院、その他いろいろ全て単一のID番号で管理されている。情報遺漏のリスクはあるが個人情報が一元化できるので合理的。

また、日本では住所確認は運転免許証で行うが、こちらでは自分宛の公共または金融機関からの郵便物で確認する。

(無題)  2011/06/22(水) 02:12:36
 ちょっと離れた大都市に行ってみたが、予想以上の近代都市でインフラは日本なみ。地下鉄に乗るのに空港のようにX線で手荷物検査するのには驚いた。

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