先物日記(2008年1月〜4月)

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2008年4月30日

22日に仕掛けた鞘取りを利食いした。資金300万に対して11万の利食い。復帰初戦としては悪くない。 3億あったら少なめに仕掛けても500万くらいは儲かったか…、というのは考えない事にしよう。 短期間で資金を何倍にもしようとする人の金を、 年間数十%の利益を狙う人が回収していくのが現実である。 夢を追う人は金を払い、現実を見る人がそれを受け取る。

クラックは食ったが、インフレヘッジが逆行して、 今月の損益率はマイナス0.25%であった。まぁ、ぼちぼちと調子を上げていこう。



2008年4月29日

昼飯は8番ラーメンへ。よもぎざるラーメン、不思議な食感と味だなぁ。
午後は、中村の土地についてビー家と取り交わす借地権の契約書を作ったり、相場の研究をしたり。 彼女はひたすらアイロンをかけている。一人の時はアイロンなんかほとんどかけないので、 形状記憶じゃないシャツは忘れ去られ、形状記憶シャツばかり着ている。 これで形状記憶じゃないシャツにも出番が来るというものである。



2008年4月28日

晩まで仕事。家に帰って彼女の作ってくれた中華風あんかけご飯食べた。美味いな。



2008年4月27日

近所のインドカレーの店に行ってみた。 初めて行ったのだが、昼間はバイキングをやっていて良い感じである。また来よう。

ここ最近ずっと読んでいた池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」を読み終わった。 やはりこの人は文章が上手いわ。 自分も文章を書くときには何度も書き直して、出来るだけ引っ掛かりが無くなるように心がけるけど、 引っ掛かりを無くすとどうしても文章が平板になってしまう。 この人の文章は、起伏に富んでいるにも関わらず滑らかである。 話の筋は、太平洋上の小さな島国であるナビダード民主共和国のマシアス・ギリ大統領が失脚する、 という題名そのままの話なのだが、 ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に影響を受けて書いたと著者が語っている通り、 エピソードや寓話が散りばめられ、ファンタジーと現実社会が連続的に融合した物語となっている。 ただ、この人の文章は綺麗すぎて長編になると少し読んでいて疲れる。 先日読んだ「スティル・ライフ」のような短編の方が個人的には好きと感じる。
更に、森真沙子「廃帝」を読んだ。南北朝時代、北朝の初代天皇となった光厳天皇の物語である。 後醍醐天皇が隠岐に流され、北朝側の天皇として即位したのも束の間、 勢いを盛り返した後醍醐天皇・足利尊氏連合に退位させられる。 建武の新政失敗し後醍醐天皇が吉野に逃れると再び北朝の時代になるが、 足利氏の内紛の際に尊氏に見捨てられて南朝側に捕まり、10年にもわたって軟禁されてしまう。 一貫して、運命に翻弄される受身の人生が描かれている。 自分で人生を切り開いていく後醍醐天皇や足利尊氏らとの対比が鮮やかである。 高校生のときに読んだ吉川英治の私本太平記なんかとは逆の立場から書いてあり楽しめた。 佐々木道誉とか、いたね、そんな人物が。懐かしい。



2008年4月26日

夕方まで相場の研究をしたり、スーパーやらホームセンターやらに買い物に出たり。
夜は彼女と片町へ。まずはいつも良く行く割烹へ。 もう馴染みなので、何か美味しいものを食べさせて、と言えば旬の美味しいものが色々と出てくる。 鰯の刺身、のど黒の焼き物、山菜の天麩羅、などが美味かった。 その後はいつものお店へ。ママさんやお店の女の子に彼女を紹介した。 互いの好感度は高かったようだ。 あまりこういうお店に彼女や奥さんを連れて行く人はいないのかもしれないが。



2008年4月25日

彼女が金沢に来るというので、朝4時に起きて部屋を掃除した。 さすがに、部屋の中を歩くと足の裏に埃がつくという状況はいかがなものかと。 金沢に越してきてから、家はほとんど寝るだけにしか使ってなかったから、 まともに掃除をした記憶が無いんだよねぇ。 連休には獣ちゃんも来るので、いずれにしても掃除はしないといけなかったのだが。 床を磨き、トイレを磨き、風呂を磨き、台所を磨き、洗面所を磨き、 布団を干し、コタツ布団をコインランドリーで洗い、やっと全てが綺麗になった。 仕事に行き、帰ってきて掃除の続きをし、ようやく終わったところで彼女が到着。 近くの居酒屋で晩飯を食った。



2008年4月24日

ぴょーたんさんからメールが来て、返信として書いた文章で、 自分で書きながら面白いと思った部分があるので、ここにも書いておく。 相場を試験問題とすると

1:優位性を確保する
2:適正な資金配分を心掛ける
3:良い心理状態を保つ

の3問がほぼ全てである。
配点と合格点は個人の考え方次第だが、私見では、 問題1が60点、問題2が30点、問題3が10点で、 合格最低点(儲かるか損するかの分岐点)が75点と考えている。

昼飯を食ってたら、偶然、大学時代の友人と会った。出張で金沢に来ているらしい。 普段着の姿しか見たこと無いから、ビシッと背広にネクタイしている姿が新鮮だった。

急に、明日までに作らないといけない書類が発生したので、晩11時くらいまで職場に残って完成させた。 A4を文字で埋めて5ページの企画書を作る程度なら5時間ほどで出来るようになった。 1ページ1時間。英語だとその5倍はかかるが。 こういう事務仕事は以前は嫌で嫌で仕方が無かったが、今は割り切ってさっさとやる事にしている。 しかしやはり無駄に時間を使っている感は非常に強い。



2008年4月23日

ここんとこ、帰宅時間が翌日に回らないので良い感じである。 システム売買は連休明けを目処に投入したいところ。

本業の年収を大きく上回る税金が、ちゃんと引き落とされていた。 昨年は実質マイナスなのに、なんで帳尻益を出してしまったのか悔やむ。 ずっと儲かり続けるという幻想があったから、 税金はコンスタントに払っていけば良いという気持ちになっていたのだ。アホだ。

彼女と話していて、付き合い始めた頃に800万円くらいの資金を運用していると聞いて、 この人、お金持ちだなぁ、と思ったと言っていた。 運用資金の桁はその頃に戻ってまたやり直しという感じだが、 当時に比べたら、車も買ったし、実家の土地も買ったし、別荘も買ったし、 金と白金の現物もあるし、安定した職にも就いているし、生活の質としては大きく前進している。 結局、お金は実際に物に変えた分しか実感が湧かないわけで、 何億と儲けても使わなければ無いのと同じである。 実際、幻のように儲かって幻のように消えた、という感じである。 今から思うと、急激に金が増えたために、 何億という金を保持する器が追い付かなかったということだろう。 だからあんなクソ相場で飛ばしてしまった。 次に億を掴んだ時には器も出来ていると思う。



2008年4月22日

今日から相場に復帰した。やはりオフ会でモチベーションが上がったのが大きいなぁ。 今後は鞘取りとシステムの二本立てで行こうかと思う。まずは鞘取りを仕掛けた。 システムも、もうすぐ何とかなりそう。 最適パラメータを自動で選び続けるようにしたら良い感じになってきた。 金なんか最適パラメータ自体があまり現れないので、ほとんどシグナルが出ないが、 裁量判断で金という銘柄を除外するのではなく、システムの結果として除外されるという点に意味がある。
資金は何とか工面して300万入金。何とかこの範囲で運用したいが、 場合によっては別荘完成時に払う予定で取ってある分をいくらか投入することも可能 (別荘は夏のボーナスで何とかする)、 住民税として取ってある分を投入することも可能(住民税は今後の給料で何とか払う)、 結婚資金として取ってる分を投入することもできる(結婚資金は冬のボーナスで何とかする)、 更に場合によっては金貨と白金貨を売却すれば何とかなる。 しかしまぁ、そこまでやったら人間としては終わってるわな。 相場は余剰資金でやるべきで、どんなに先でも使い道の決まってる金を使っちゃいかん。
300万を今後3年半で38倍に出来れば無税枠は全て使い切れるが、 必要利益率を計算すると年間180%となり、さすがに非現実的である。 しかし、毎年300万ずつ追加しながら利益率100%で回せば3年半で7000万くらいにはなるので、 このあたりを目標にしよう。実際は利益率50%がせいぜいかもしれないが。



2008年4月21日

朝から仕事だが、先週、鬼のように仕事をしたおかげで結構助かっている。 夜の9時には帰宅することができた。

日中、30分ほど自由な時間があったので、気配値に合わせて石油製品に指値を入れてみた。 10枚ほど消化されれば自分の玉の番になるのに、待てど暮らせど約定しない。 時間も無いので取り消した。こんな閑散では先が思いやられる。

この歳になって、ようやくお金というものが少し理解できてきたように感じる。 金に支配されることほど愚かなことはないが、金を支配しようとしてもいけない。 お金は人間が作り出したものであるが、創造者の思惑を超えてそれは独自の意思を持つかのように動き、 集散し、そして何ものにも支配されない。 追いかければ逃げるし、お金にとって気持ちのよい使い方をすれば、居心地が良いので自然と集まってくる。 猫みたいなものだ。ポイントは、自分が気持ちよくなるために使うのではなく、 お金が気持ち良く世の中に回るように手助けしてあげる、ということである。
お金の立場から見て気持ちの良い使われ方というのは、端的に言えば、 世の中の笑いの総量が増える使い方である。片町のいつもの店の常連のお客さんで、 とても綺麗なお金の使い方をする人がいる。片町の人達を応援するような感じでお金を使う。 気さくで、いつも周りには笑いが絶えない。反対に、自分の自尊心を満足させるため、自分の欲望のため、 自分が楽しむため、という人のお金の使い方は美しくない(というか、普通)。 満たされないと不満の気持ちが起きる。
基本的に、運というのは、笑い、利他、楽観、に集まり、不機嫌、利己、悲観、からは逃げていく。 お金も同じである。しかし往々にしてお金の有無で感情が左右されるので、実際は難しい。



2008年4月20日

昼頃まで博多駅近くのスタバでシステムの検証など。 新幹線とサンダーバードを乗り継ぎ金沢へ。

移動時間で、池井戸潤「架空通貨」を読んだ。 最初の方は少し冗長な感じだが、主人公が田神町に乗り込んだあたりから急速に話が展開し、 ラストまでぐいぐい引き込まれる。こんな女子高生と高校教師はおらんやろ、とは思うものの、 そこは小説ということで。 物語のプロットは、今までに他では見たことのないようなもので、 その着想力には脱帽せざるを得ない。

最近クラックがまた動いているようなので、仕掛けてみたい気もする。 ただし色々と問題は多い。 どうせ1セットか2セットずつの仕掛けなので流動性はあまり障害とはならないだろうけど、 期近を見ていると、もはや現物市場から遊離した価格形成となっているようで、 まともな裁定原理が働いているのかという疑問が生じる。 あと、システム売買に徹すると決意しておいて翻すのもなぁ。



2008年4月19日

昨日の記憶が飛んでいて、朝起きたときに財布やパソコンがあるか心配したが、 ちゃんとある。良かった良かった。しかし二日酔いが酷い。 風呂に入り、日記の更新をしていたら、ロダンさんから電話が…。 ロダンさんに指摘され、待ち合わせ時間を1時間勘違いしていることに気が付いた。 自分で待ち合わせ時間を提案しておきながら自分で間違っているのだから世話は無い。 駄目だ〜!
ダッシュでホテルを飛び出し、博多駅で電車に飛び乗り、 30分遅刻して南福岡駅でロダンさんと天流運慶さんと合流。 東洋軒で一食目のラーメンを食った(マイナス2次会)。醤油豚骨というのかなぁ。あまりピンと来なかった。 雑餉隈で西鉄に乗って天神へ。赤のれん節ちゃんラーメンでラーメン二食目(マイナス1次会)。 美味いんだが、若干スッキリ感に欠けるかな。この系統なら、だるまラーメンの方が美味いか。
時間を潰しに3人で丸善書店へ(マイナス0.5次会)。 相場書籍のコーナーで、あれやこれや言いながら立ち読み。 あんまり気になる本は無かった。それにしても、 マーケットの魔術師シリーズとか実践・生き残りのディーリングとか、ネタの使い回しっぽいなぁ。 どちらも、東洋経済新報社や日本経済新聞社の原版が一番良かったが。
しまうまさん、kizukiさん、Kentさん、natsuzohさん、と合流してカフェへ(0次会)。 途中で特気さんが参加。ひとしきり話をした後、ようやく1次会の会場へ。 エースさん、ぴょーたんさん、なおちゃん、廣瀬さん、えいじさん、が合流。 今日のエースさんは比較的普通の感じだった。前に大阪で会った時は相当怪しい人だったが。 料理はイカが美味かったなぁ。 2次会はバーに。3次会で秀ちゃんラーメンへ。今日食べたラーメンで一番美味かった。 しかし一日に3回ラーメンを食ったのは生まれて初めてである。
今回、初めて会った人は、天流運慶さんとkizukiさん。 天流運慶さんは予想していたのと印象が違った。ネットに書き込むときはテンションが上がるのかもね。 kizukiさんも想像と印象は違ったけど、紳士的な感じはネットもリアルも同じであった。



2008年4月18日

ビジネスホテルで自転車を借り、建築屋さんまで打ち合わせに行った。 市街からは結構遠い。別荘は更に向こうなので、自転車で移動するのは大変である。 もっとも、別荘に住み始めたら市街まで行く用事もそんなには無さそうだが。
まずは正式に売買契約書に署名捺印。 内装は結局、壁と天井は杉板張り、床は部屋によって杉と檜を使い分けることにした。 山小屋みたいな感じになりそう。 コンセントの位置、スイッチの位置、照明の位置、などを決めて打ち合わせは全て終了。
次に現地へ移動。ビー宅がほぼ完成していて、 後は内装工事の残骸を片付ければもう住めそうな状態になっていた。 気になったのが、一段高い土地に建っている後ろの家と海への直線上にちょうどビー宅の二階があり、 太平洋への眺望を完全に遮っていることである。トラブルにならねば良いが。 どちらにしても後ろの家とは険悪な関係になりそうである。うちはあまり関係ないけど。
水捌けが悪そうなので、家が建ってから対策を立てないといけないだろうなぁ。 砂利を敷くだけでは不足かもしれない。水がスムーズに流れ出すように考えなくては。
再び市街に戻り高知銀行で口座を開設。時間が余ったので自転車で付近を走って地理を把握した。 自転車を返却し、中村駅へ。ちょうど良い時間に普通列車があったので、 特急を使わず、これでチンタラ高知まで行くことにした(窪川で乗り換え)。 電車の中でネットバンキングで建築代金の半額を振り込んだ。
高知空港から福岡空港へ。こちらも約1時間のフライトである。 電車で行けば4時間半はかかるのでやはり飛行機は偉大である。 ちょうど黄昏時に福岡上空に到着。街の無数の明かりが宝石を撒き散らしたように美しい。 朝日と共に起き、夕暮れと共に寝るなら明かりは要らないわけで、 人間が人間らしくあるためにはかくも夥しい灯火が必要なのか。 世界にはいったい何個の電球があるのだろうと考える。
中州では知ってる女の子のいるお店へ。ウィスキーのボトルを一人で半分ほど空けてふらふらに。 店を出てからホテルまでどうやって帰ったのか記憶が無い。

22日に引き落とされる所得税、その後に請求が来る市民税、別荘の残り代金、 家具などの諸費用、車の修理代金、などを考えると、 相場に回せるお金がかなり少なくなってきた。数百万がせいぜいというところか。 撤退した時に昨年の市民税の第4期分の事をさっぱり忘れていて、かなり計算が狂った。 結婚のためにもそれなりの金額を想定しておかないといけないし。 金貨と白金貨を売れば資金はできるが、そこまでする気も無いしなぁ。 消費税が上がるまでは持っておきたい (いつか消費税が13%以上になるなら、先物市場で買うより金貨を買った方が得、 ただし白金貨は逆鞘があるので先物の方が得だが)。

ところで、苦しい立場にいる者ほど甘い誘惑に引き寄せられ、更に苦しい立場に追い込まれる。 常識で考えれば、非常識な事を望んで非常識な事をしているとすぐ分かるのだが、 自らを客観視する視点はとうの昔に失われている。 相場は残酷だが、人生において10年かかる経験を数ヶ月で体験させられるというだけで、 人生も相場もそんなには変わらないのかもしれない。 最終的に、借りた金で相場を張るとか他人に売買を一任するとかし始めると、もう末期症状である。 だいたい、世の中のあらゆる職業には適性というものがあり、相場についてもそれは例外ではないのに、 みな自分だけは何とかなると思っているのはなぜなんだろうね。 損する人の存在があってはじめて儲ける人が存在するのに。 適性が無い者はトータルすれば負け続けるだけだが、 将棋なんかと違ってまぐれで勝つこともあるから自己評価が歪むのかも。見極めが肝心やね。 まぁ、相場から叩き出された自分が言うのも何だけど。



2008年4月17日

近鉄電車で名古屋へ移動。JALのマイルを消化するためである。 ANAだったら伊丹から出てるんだけどね。 名古屋は、駅前と地下街の賑わいを見るだけで、他の地方に比べて景気が良さそうだとわかる。 特におばちゃんが元気だ。しかも愛想が良い。
小牧から高知空港へは約1時間のフライト。飛んだと思ったら降りる。 高知からは特急南風で中村へ。 中村駅に降りた瞬間から懐かしさに包まれる。不思議な感じ。 時間も遅いので、コンビニで弁当とビールとツマミを買い、 ビジネスホテルで風呂に入った後、ベッドに寝転がりながらこの日記を書きつつビールを飲んでいる。 幸せ。明日も早いし、そろそろ寝よう。

飛行機と特急の中で、池澤夏樹「スティル・ライフ」を読んだ。 この人の本は初めて読んだけど、ただ者ではないな。 どう説明して良いか難しいが、山奥の澄んだ湧き水に朝顔の蜜を僅かに溶かし、 寒天で固めて作った直方体が、ただそこにある、という感じ。 読者に何かを強いるわけでもなく、澄んだ存在としてただそこにある。 しかし人間を拒絶しているわけではなく、触ってみると心地良い。 スティル・ライフも良いが、同じ一冊に入っているヤー・チャイカもなお良かった。 ちょっとこの人の作品を他にも読んでみたい。



2008年4月16日

昼過ぎに、当面、通常の業務以外でやらなければならない仕事はあらかた片付いた。 A4の紙にやるべき仕事を書いてあったのだが、27項目あったのが、ほとんど横線が引かれて気持ちが良い。 これで明日から日曜日まで休める。

最近、全く洗濯ができなかったので、まとめて洗濯してコインランドリーで乾燥させ、 そこから着替えを鞄に詰めて出発。 金沢駅で、建築屋さんや現場の人に差し入れのため加賀鳶の大吟醸を3本購入。 サンダーバードで大阪へ。

5月の終わりと6月の始めに、USSひまわりグループで講演することになった。 「個人投資家・秋山昇の成功と蹉跌」という感じの題になる予定。 自分が数百万の元手からどのように5億という金を儲け、そこから3億損したのか、 というのを具体的な売買譜を見せながら解説するつもり。 TSRの鞘取りとかクラックとかコーヒー指数裁定とか、今は通用しなさそうな手法ばかりなので、 実際に参考になるかどうかは疑問だが、どういう姿勢で相場にアプローチすべきか、 という点については、もしかしたら参考になるかもしれない。
講演料はこちらで指定してくれと言われて少し考えてしまった。 相場をネットで調べてみると千差万別。結局、自分にいくらの値段を付けるのかという所に行き着く。 一応、こちらで考えた値段を言ったところ、それで決定。 今後こういう依頼があったら、この金額を基準にしよう。

特急に乗っている時間に、小川洋子「博士の愛した数式」を読んだ。 映画は以前観たけど、原作の方がよっぽどいい。 映画はかなり原作に忠実だが、原作の行間に漂う微妙な機微を表現し切れていない感じを受ける。 余談だが、作中に完全数というのが出てくるが、奇数の完全数が存在するか存在しないかは証明されていない。 気になる問題である。



2008年4月15日

今日も仕事。職場に泊まりこみ。
現在の自分の仕事は大雑把に言って3種類に分けられる。 新しい物を生み出す仕事、人を育てる仕事、書類書き等の事務仕事、である。 新しい物を生み出す仕事は楽しいし、どれだけ長時間やっても苦にはならない。趣味みたいなものである。 人を育てる仕事は非常に疲れるが、やり甲斐がある。事務仕事は苦手で疲れる上にやり甲斐も少ない。 最近、事務仕事の比率が高くてうんざりである。 ところで、相場を仕事として見た場合、上の3分類にはどれも当てはまらない。 金は儲かっても、世の中からは遊離している印象を受ける。 やはり自分にとっては何億儲かろうと相場は趣味に留めておくのが性に合っている。

いつもメールはサーバー上でまず迷惑メールだけ削除してから読み込んでいるのだが、 疲れていてボーっとしてるためか、うっかり全メールが選択された状態で消去ボタンを押してしまった。 こういう時のためにどこかに転送しておくべきかもしれないなぁ。



2008年4月14日

一日中仕事。疲労困憊。今日も帰宅は午前3時頃。 ここんとこ働き過ぎである。でも、ちょくちょく気分転換に本を読んだりはしているが。 少々サボっても、裁量労働制で元々残業代は出ないので問題は無い。

谷川葉「警察が狙撃された日−国松長官狙撃事件の闇」を読んだ。 警察や公安がどれだけ腐敗していて、どういう策動でどのように国松長官狙撃事件が葬られたか、 というは良くわかったが、この自己陶酔的な文章はどうにかならんのかねぇ。 普通に書いてあれば迫真のドキュメンタリーだったと思うのだが。 ちなみにこの本は相当に痛いところを突いていたらしく、 警察が、著者の素性を探るために、三一書房の取引銀行に密かに取引状況を照会した ことが明らかになって話題になった。原稿料の振込先から割り出そうとしたのだろう。



2008年4月13日

昼過ぎまで仕事。夕方、友人が金沢に来ているので、21世紀美術館を案内してから木倉町で飲んだ。 日曜日なので休みの店が多かったが、営業している良い感じの居酒屋を見つけた。

友人は最終の特急で京都に帰り、自分は再び職場へ。午前4時過ぎて帰宅。 今のうちに仕事を片付けないと来週後半休めない。



2008年4月12日

5時間ほどかけて、1月上旬から溜まっていたメールの返事を書いた。 昔から筆不精なもんで。

人見安雄「逃亡者の掟−国際指名手配第一号犯の4600日」を読んだ。 著者は美術品窃盗犯の片棒を担いだことから警察に追われる身となる。 妻は、刑務所で昔の悪い人脈が復活することを恐れ、人見氏に国外逃亡を勧める。 かくして妻と二人の13年にわたる逃亡生活が始まった。 逃げた国は、香港、台湾、タイ、ベトナム、フランス、スペイン、ギリシャなどなど。 フランスで、ある無名画家と出会ったことにより、子供のときから好きだった絵を再び描き始め、 ついにはギリシャで画家として成功、富と名声をつかむ。 最終的に自首して日本に送還されることになった、作者の波瀾万丈の自伝である。 この人、出所後は日本でも画家として活躍したそうだ。尋常じゃない。 読み始めたら止まらなくなり半日で読み終わってしまった。 奥さんがたくましくて素敵である。 小学校の時に、先生が人見氏に描いて贈った落日の絵が、画家としての原点になったと書いてあった。 逃亡先でも、困窮すると不思議とキーとなる人物に出会い、人生が切り拓かれる。 「求めよ、さらば与えられん」という言葉を実感する。人生の巡り合わせの不思議である。

仕事があるので夕方から職場へ。たぶんそのまま泊まりだなぁ。



2008年4月11日

今日は職場の花見の会であった。 浅野川沿いの割烹で、川沿いの桜がぼんぼりに照らされる様子を見つつビールと日本酒を飲んだ。 その後はタクシーで片町へ。いつもの店に行って白州の水割りと余市のストレートを飲み、 シャンパンとワインをみんなで空け、更にいつものショットバーに行ってラガヴリンをロックで、 次いでズブロッカを飲みたくなってロックで出してもらい、結局、家に帰ったのが午前4時であった。 色々飲んだものだ。

結婚後の夫婦の資金配分について考えている。 彼女は少なくともしばらくは専業主婦になるつもりである。 色んな人から話を聞くと、夫が稼いで妻が主婦になる場合、 妻の側はなかなか自由にお金を使うのが難しいようである。 実際には使っていても、夫に対して何らかの気兼ねが発生することが多い。 自分の母親を見ていても、主婦をしていた間は非常に窮屈そうであったが、 後に働き始めて母親自身のお金を持つことで非常に自由になったように感じる。 人間にとって経済的自由というのは非常に大切であるが、 夫婦の財産の位置付けは、しばしば経済的自由の障害となり得る。 そのあたりはスッキリとさせておきたいところである。
現在、彼女とも話しながら以下のような感じで考えている。 まず比率を決め、自分の給与とボーナスはその比率で按分し、 彼女が管理するお金と自分が管理するお金に分ける。 食費や家事など日常生活に関わる経費は彼女が管理するお金から出し、 家賃および光熱費は自分の管理するお金から出す。 残りは各自、相手を気にせず自由に使っても良いし貯金しても良い。 離婚した場合は、各自の管理するお金をそのまま財産分与の配分とする。 自分が死亡した場合にも、彼女の管理下のお金は優先的に彼女に相続する(と遺言しておく)。 相場や副業の利益は全部、自分のもの。彼女が働いたらその分は彼女のもの。 ただし家事の負担状況により比率は調節する。 また、これらの決まりは子供ができた場合には改定する。
管理云々と書いたのはもちろん、あげてしまうと贈与になり贈与税がかかるからである。 彼女が管理するお金からは、年間110万円ずつ彼女名義の口座に移動させれば、 彼女名義の貯金もできるだろう。 家事労働の対価として夫の稼ぎの一部を妻が自己の財産として受け取るのは当然と思うのだが、 条文上は夫が稼いだ金は全て夫の財産ということになっており、 家事労働の価値はゼロとしか見なされていない (運用上は実質的共有財産と見なされるが、根拠条文が見当たらない)。 これって、おかしいんじゃないだろうか?  一般の贈与とは別枠で、家事労働に対する取り分として、 同居している夫婦間の贈与に控除額が設定されるべきだと思う。 だいたい、離婚の際の財産分与では結婚後に築いた夫婦の財産は共有財産と見なされるのに、 夫婦間で110万円を越えて移動させると贈与税がかかるって、おかしいだろう。 相続税の脱税防止というのはわからんでもないが。



2008年4月10日

深夜まで仕事。 最近、頭痛が酷い。原因は明らかで、仕事と売買システムの開発のため、 始終ディスプレーに向かっているためである。 時々目を休めたりマッサージしたりしてはいるが、 画面を見る時間を減らさなければ根本的な解決にはならない。

映画「靖国YASUKUNI」の公開中止問題。この国もかなり危機的な所まで来ているなという印象。 映画自体は見てないので論評はできないが、右翼の中でも意見は分かれているらしい。 実際は取り立てて騒ぐほどの内容でも無いようだ。 現状は公開中止が話題になるだけまだ救いがあるが、 こういう公開拒否、出版拒否、掲載拒否、発言拒否、会場提供拒否、等が頻発し、 しかも話題にもならなくなった時が怖い。 愚民化の動きは大体は市民やマスコミの側の自主規制から始まる。 ネットが健全に発達して防止力を発揮するよう願いたいが。



2008年4月9日

タイコムのコンテストに出るかどうか迷い中。 しかしまだ相場に再参入する準備が整ってないので、参加するとしても先になりそうだが。 実施要綱を見ていて気付いた事は、最低金額の50万円で参加し、 自分の本売買の一部をコンテスト口座で多めに張り、破綻した場合に100万、200万、 と倍々で他口座から資金を移動していけば、100%程度の利益率は簡単に出るんじゃなかろうかということ。 まずはそれで資金を増やし、後は普通に売買すれば良い。 利益率の計算において追加入金にはペナルティーが課されるが、それほど不利なわけではないし、 本売買を分割しているだけなので全体に対する影響も無い。 しかしもう、才気走った売買をするつもりも無く、 システム売買のみで年20%〜30%の利益率を目標にしたいので、 そもそもコンテストの趣旨とも合致しない気もする。 一番の問題は、途中出金が難しいということ。 出金できなくはないが棄権扱いになるので、資金を引き上げる必要を感じたときに行動が遅れる可能性がある。 50万円だけなら良いが、追加入金したり利益が出たりで何百万かに増えていた場合にはリスクが大きい。 このままの状況が続けば、今後数年で取引員の半数以上は潰れる可能性があると思っているので、 噂が出た段階でどの口座からもすぐに資金を移動できる態勢にしておきたいのだが。

結婚は、まぁ、付き合って6年くらいで、このままずっと付き合いだけ続けるのは、 さすがに世間的にも通用せず、いつかやらないといけないわけで、じゃぁそろそろやろっか、という感じ。 時期未定の予定が具体的な予定に変化しただけで、特に切っ掛けもドラマチックなこともなし。
自分は女性と出会うと、一応、一度は結婚相手と想定してシミュレートしてみる。 いくら魅力的な女性でも、何十年も一緒にいる様子を想像してみると、 たぶん3年で嫌になるな、とか、相手の性格のこの点が最終的に気になって駄目だな、とか、 いずれ自分の悪い性格が出て衝突するだろうな、とか、単に合わないな、とか、 仮面夫婦になりそう、とか、10年後に一緒にいることが想像すらできない、とか、 ほとんど良い結果が出たことがない。 その点、今の彼女については、お互い70歳くらいで一緒に暮らしている所まで想像できるので、 貴重な人であると思う。好き嫌いとは別の尺度も重要になってくる。



2008年4月8日

年末を目処に結婚するという方向で話を進めることになった。 結納などは省略し、時機を見て正式に向こう側に挨拶に行き、 その後に大阪あたりで互いの親を交えて食事をする方向で調整中。
まだ具体的には何も決めてないが、何となく彼女と話していて思いついたのは、 近い親類と友人数人にだけ来てもらって奈良ホテルで式を挙げ、披露宴は無しにして、 来てもらった人達でホテルで食事をし、その後、奈良公園で、 ウェディングドレスで鹿を背景に写真を撮り、春日大社に参拝して終了。 夜は二人で入の波温泉にでも宿泊。 後日、レストランか何かで結婚パーティーを、招く人を変えて何回かやる、という感じ。
疲れるのは嫌なので、ゆるゆるやりたいところ。 旅行は後日になりそうだがグダンスク(ダンツィヒ)に行って海岸で琥珀を拾う予定。 多分、乗り継ぎのついでにコペンハーゲンでも何泊かする。 これも長いと疲れるので一週間くらいで。



2008年4月7日

電池の夢を見た。9Vの乾電池を舌や唇で触ってビリビリしながら、 これを充電してビリビリが続くようにしないといけないなぁ、と思つつ電子部品を物色するという夢。 確実に、なおちゃんの芳名録の日記を見たせいである。

深夜まで仕事。午前3時ごろ帰宅。



2008年4月6日

大学院の友人(2月に長野に誘ってくれた人)が、たくさん人を引き連れて金沢にやって来たので、 総勢8人で町を観光した。いつも彼の周りには人が集まってくる。これも人徳だろうなぁ。
近江町市場の回転寿司で昼食を食べ、尾山神社、金沢城公園、21世紀美術館を散歩、 そこから車で自分のお勧めの大乗寺へ行き、野田山墓地の前田利家とまつの墓に挨拶して解散した。 金沢城公園は桜が見頃で相当な人出であった。 21世紀美術館は「タレルの部屋」が気に入っている。金沢に来た人には是非見て欲しい。 グーグルのイメージ検索でも沢山ヒットするが、空を切り取ったかのような錯覚が不思議だ。 大乗寺は観光客もほとんどおらず、静寂の中、読経と鐘の音だけが響いていた。今度、座禅に来たいものだ。



2008年4月5日

昨日から引き続き仕事。



2008年4月4日

一日中仕事。そのまま職場に泊まりこみ。

ようやく桜が咲き始めた。咲き始めると一気だね。



2008年4月3日

ここ一週間ほどシステムの開発にかまけて仕事が溜まってしまった。 さすがにマズいので、しばらく仕事する。

本所次郎「鉄砲」を読んだ。鉄砲はもちろん相場用語の鉄砲である。 内容は小説なのだが、読む前に予想していたより、かなりリアルで面白かった。 本所次郎さんの小説はどれも綿密な取材の跡がうかがわれて好感が持てる。 淡々とした文章なのに、ちゃんと面白いというのがすごい。 元々は経済記者だったそうだ。どうりで上手い筈である。



2008年4月2日

最近、仕事とシステムの研究しかしていない。
システム開発は若干苦戦中。何となくわかったのは、金、円ドル、円ユーロ、日経平均、あたりには、 順張りで取れる余地がほとんど無いということ。 国際金融の中で効率的な値付けがされていて優位性が少ないのだろう。 日経平均に関しては、各銘柄が平均化されて優位性が減殺されているのかもしれない。 指標ではなく225先物で分析すれば違った結果になるかもしれないが。 これらは、ほぼランダムに近いが、どちらかといえば逆張り有利である。 システムにしても、ある程度は逆張り的な考えを入れたものでないと機能しないようだ。 しかし順張りと逆張りの優位性のわずかな差は、 十数年から数十年に一度の大変動で結局は帳尻が合うんじゃないかと思っている。
成績が良いのが、ガソリンとゴム。この2銘柄については、 ほぼあらゆるタイムスケールに関して順張りが有利で、取引はもうこの2銘柄だけで良いような気がする。 しかしこの2銘柄が永久に存在するわけもないので、色々な銘柄に広く網を張りつつ、 取れる銘柄だけにサインが出るような仕組みにしたいものである。
人間がなかなか順張り系のシステムに従えない理由として、人間は損切りが苦手だからと説明される事が多い。 実はそれは見当違いである。本当の原因はシステムの性能に対する信頼性にある。 将来に渡って確実に期待値がプラスであると事前にわかっており、 期待値がプラスであるという事に疑いが生じないならば、 いくら損切りが続いても人間は耐えることができる。 システムの性能に対して疑念があるから従えなくなってしまうのである。 しかも運用前に期待する収益率は往々にしてカーブフィッティングで嵩上げされているため、 実際の運用で予想外の低収益また減収に見舞われて疑心暗鬼に陥ってしまう。
最初が肝心である。年間収益率20%でも10%でも良いので、 相場の状況がどのように変わっても、 自分が死ぬまで期待値プラスを維持すると確信できるものを作りたい。



2008年4月1日

引き続きシステムの研究。 色々な市場に適用してユニバーサルな効果を見ているが、 成績の良いのが、ガソリン、ゴム、円ドル、日経平均、悪いのが、円ユーロ、 どちらとも言えないのが、金、白金、ドルユーロ。 どれもパラメータを最適化すればそこそこの成績が出るが、本当の実力には疑いが残る。 試しに乱数で架空の相場変動を作ってテストしてみたが、それなりの確率で最適化できるグラフが出現する。 ただ、乱数で作ったものに比べると実際の相場の方が利益が出易い傾向にあるので、 優位性があるのは間違いがないように思えるが、実際の相場のサンプルが8つでは確信的なことも言えない。 日経平均と円ドルを除くと、ここ8年ほど、ずっと一方的なトレンドが続いており、 サンプルとして適当かどうかという疑問も残る。
パラメータは時間スケールに関するパラメータである。 銘柄によってなぜ最適なパラメータが異なるのかという点についても考察が必要である。 そもそもトレンドフォローがなぜ有利なのかということから考えなくてはならない。 一つは外部要因、つまり、 未だ明らかになっていない材料がジワジワと市場に浸透することによってトレンドが発生する、 もう一つは内部要因、これは、逆張りする人の投げ踏みによって動きに勢いが出る。 前者は材料の内容によって時間枠が異なるし、後者は投資家の平均玉保持期間に影響され、 証拠金や手数料が安くボラティリティーが大きいほど短い時間枠のトレンドが発生し易くなる。 材料に関するトレンドは時間枠もマチマチなので、 主に取ろうとするのは後者ということになり、 その最適パラメータは銘柄や取引条件の違いや参加者の質(ファンドの参入など) により当然に異なることになる。 結論としては、過去データで最適化したパラメータで将来も勝ち続けられる可能性は、 それほど高くないのではないかという気がする。ただし、市場環境が変化しない間は通用する。
結局のところ、市場に狙った時間枠のトレンドが存在するのか判定して、 トレンドの存在する時期だけその時間枠にフィットしたパラメータを稼動させるという操作が必要になる。 巷にはトレンドフィルタなるものがあるが、これは実際にはほとんど役に立たないようだ。 フィルタをかけるということは、フィルタ自体を一つのシステムと看做すと、 二つのシステムをかけ合わせていることになる。通常、複数のシステムをかけ合わせると、 それぞれのシステムの平均化した実力しか発揮されない。 よって利益を出すためにはシステム部分とフィルタ部分の両方の性能が良くなくてはならない。 その為にはフィルタ部分にも最適化が必要になり、 見かけ上は良く機能していても、本体とフィルタのどちらかが駄目になれば全体性能が落ち、 そうなる確率はシステム本体だけの場合よりも高い。
以上のようなことは、理屈を考えずにやるからそうなるのであって、 自分のシステムがどの時間枠を対象とするのか数学的に計算し、 その時間枠のトレンドを判定するようにフィルタを設計すれば問題は無くなる。 最終的には確率論と統計学の問題になってくる。
そもそもトレンドというものの定義も問題で、 例えば乱数で相場を作ってみればわかるが、 ランダムウォークにも常にそれなりのトレンドが発生している。 しかしランダムウォークに対してはどのようにシステムを組んでも儲けることは出来ない。 それゆえ、通常ランダムに発生する以上のトレンドが発生しているかどうかを判定しなければならない。 例えば白金なんかは何年も上げ相場が続いているが、この上げも、 統計的に見ればランダムの範囲からは逸脱はしていない。



2008年3月31日

仕事の合間にシステムを改良。 2000年から2007年にかけての8年間の検証期間で、 パラメータを最適化してオプティマルfの限界まで張った場合に約70倍になる。 年間利益率にすれば70%である。しかしこの場合には、 道中に資金の7割減のドローダウンを食らうことになる。さすがにこれは精神的に耐えられないので、 ドローダウンを2.5割に抑える資金配分を考えると、8年間で7倍、年間で28%の利益率となる。 パラメータ最適化の影響を考えて、実際は年間20%弱というところだろう。 相場技研で一週間1万円で売買サインを公開して執筆料を稼ぎ、後は貸付債権がある程度返ってくれば、 4年後に資金を7000万程度にするのは可能かもしれない。そうすれば何とか無税枠は全部消化できるかも。 無理な確率の方が高いが。 ただ、利益率20%は少し低いので、せめて35%程度を見込めるようなシステムに改良したいところである。

愛車のみかんちゃん、各種点検と不具合の修理、それと車検で、合計40万〜50万くらいかかるらしい。 一昨年はクラッチ交換で30万くらい、ガレージ代も年間20万くらいかかるし、 ガソリン代も給油するたびに1万ほどかかる。普通のサラリーマンには維持できんぞ。 相場で稼がんと、しゃーないで。

晩は片町へ〜。



2008年3月30日

自分の考えている、良いシステムの条件について:
1.パラメータが少ないこと。パラメータは一つか多くても二つが望ましい。 パラメータが多いと、簡単にカーブフェィッティングできてしまう。 3パラメータだけでもかなりのカーブフィッティングになってしまう。
2.パラメータ変動に対して安定性があること。 最適パラメータから少々ずれても損益が大きくぶれないことが重要。
3.同じアルゴリズムで多くの銘柄に適用可能であること。 一つの銘柄だけにしか通用しないシステムは、銘柄の性質の変化に対して脆弱かもしれない。
4.トレンドフォローであること。逆張りシステムは未曾有の変動が起きた時に破綻する。 逆張りも色々と検討してみたが、やはりどのように巧妙に大損回避の仕組みを作っても、 何年かに一度の大幅なドローダウンは避けられない。結果的に順張り有利と考えられる。
5.利益の源泉が明らかであること。言い換えると、システムに意味があること。 相場のどのような動きを取ることで利益を出すのか、明確に簡潔に説明可能でなければならない。 RSIだのRCIだのADXだの移動平均だのをごちゃごちゃと組み合わせて検証してみても、 所詮は手法によるカーブフィッティングに過ぎない。
6.移動平均よりもEMAをベースとすること。 過去の値動きほど現在に対する影響が少ないというのは当然であるので、 移動平均よりもEMAの方が性能が良いというのも当然である。
7.値幅よりも変動率を基準とすること。値段が上がれば変動も大きくなり、値段が下がれば変動も小さくなるので、 固定値幅で考えていては値位置によって効果が異なってしまう。
8.仕切り判断に建値を介在させないこと。現在の建ち玉の建値がいくらであろうと、 その玉の有利不利は変わらない。建値は個人的な話であり、 仕切りの基準は純粋に相場のデータを基に行うべき。
9.手数料を多めに仮定しても利益が出ること。個人的には、往復4000円程度を仮定してテストしている。
10.ドローダウンが少なく、損益曲線が右肩上がりの直線に近いこと。

とりあえず朝から晩まで色々と考え、以上の条件を満たし、金、白金、ガソリン、ゴム、 に対してそこそこ利益の出るシステムを考案した。 秋山レシオを元にした2パラメータのトレンドフォローシステムなんだが、若干の問題は残っている。 売り買い途転し続けるタイプなので、休みを入れることでパフォーマンスの向上の余地があること、 銘柄によって最適パラメータが異なり、安定性にやや難があるということである。 まぁ、ベースは出来たので、時間をかけて改良していこう。 また忙しくなるので、5月再開は難しいかもしれないなぁ。

ところで、同じシステムをコーンと大豆に適用してみると見事にガタガタである。 長年の経験によれば、コーンは一年草だけあって、 一年というスパンを何らかの形で取り入れたシステムでないと上手く機能しないように思われる。 作付、成長、収穫、需給、の各局面で動き方が異なり、なかなか単一のシステムでは取り難いものがある。 大豆に関しては本当に値動きが意味不明だ。今まで色々なシステムを作ってきたが、 大豆だけは他銘柄とかけ離れたパラメータを設定しないといけないことが多い。 しかし背景には何らかの理由があるのだろう。



2008年3月29日

夕方まで仕事。帰宅後、再開に向けて相場のシステムの構築を始めた。 どのような相場にも適用できるシステムを開発したいのだが、はっきり言って非常に難しい。 一番簡単なのは東京ガソリンだけに通用するシステムである。 東京ガソリンについては、かなり適当に作っても綺麗な右肩上がりの損益グラフを持つシステムが出来上がる。 しかしそのアルゴリズムを金や白金に適用しても、大抵は望むような結果は得られない。 このようなものが堅牢なシステムと言えるだろうか?  これはつまり、システムが東京ガソリンに固有の性質を利益の源泉としている可能性があるわけで、 将来、銘柄の性質が変化してしまった場合に通用しなくなる恐れがある。 であるから、堅牢性を求めるなら、同じアルゴリズムで、投資対象と考えている、金、白金、ガソリン、ゴム、 の4銘柄に通用するシステムが望ましい。しかしなかなかこれが難しい。 分析していると、相場の動きはほとんどランダムなのではないかと思えてくる。 実際にも、統計学者が調べても容易にアノマリーを見つけられないほどにはランダムに近い。 よくまぁ、こんなものにみんな参加するもんだ。 特に、大損した後に何の研究もせずにホイホイと再参入する人の気が知れない。 定見を持たずに当て物で張る人間は取れんだろう。



2008年3月28日

晩まで仕事。どうも仕事が溜まっているので、そのまま職場に泊り込み。 外に出たのは出勤の時と、仕事の合間にコンビニに出掛けた時だけ。

コンビニといえば雑誌の立ち読みなんだが、 現在、リアルタイムに立ち読みでチェックしている連載を書き出してみると、 意外に多くてびっくりした。
「モーニング」:へうげもの、ディアスポリス、カバチタレ、バガボンド、僕の小規模な生活、宇宙兄弟
「ヤングマガジン」:頭文字D、エリートヤンキー三郎、新宿スワン、赤灯えれじい、なにわ友あれ、ユキポンのお仕事、猿ロック、カイジ、カテキン、奇食ハンター、彼岸島
「ビッグコミックスピリッツ」:ボーイズ・オン・ザ・ラン、ハクバノ王子サマ、闇金ウシジマくん、新ブラックジャックによろしく、ホムンクルス、地平線でダンス、アニマルJOE、京大M1物語
「ヤングジャンプ」:嘘喰い、カウンタック、風の陣、GANTZ、孤高の人、TOUGH、ハチワンダイバー、夜王、LIAR GAME
「ビッグコミックオリジナル」:釣りバカ日誌、弁護士のくず、玄人のひとりごと、深夜食堂
「コミックバンチ」:奇跡のヒト、裁判長!ここは懲役4年でどうですか、女王様がいっぱい、新バイオレンスジャック、デブになってしまった男の話
「漫画ゴラク」:ミナミの帝王、喰いしん坊、柳都物語、SとM、銀幕ボンバー、外道坊、堕悪、いのち屋エンマ、今日からヒットマン
「スペリオール」:医龍、キーチVS、こまねずみ出世道
「イブニング」:極悪がんぼ、餓狼伝、サンスパ
「ビジネスジャンプ」:傷だらけの仁清
「漫画アクション」:罪と罰、極道めし、うちの妻ってどうでしょう?、新・幸せの時間、BARレモン・ハート、My Pure Lady、鈴木先生、脳内格闘アキバシュート、ワイルド・ナイツ
「ヤングアニマル」:3月のライオン、デトロイト・メタル・シティ
「スーパージャンプ」:ゼロ、リングにかけろ2、仁、バンパイア
「ヤングサンデー」:闇のイージス、おやすみプンプン
「別冊漫画ゴラク」:大市民日記、愛人形
「少年チャンピオン」:ギャンブルフィッシュ、鉄鍋のジャン、範馬刃牙
「近代麻雀」:むこうぶち、リスキーエッジ、オバカミーコ、ナグモ、ムダヅモ無き改革
といったところ。結構時間を使っている。しかし無駄も人生のうちである。 どんなに忙しくても、本を読み、漫画を読み、映画を観て、用も無くネットを徘徊し、酒を飲む。 息抜きがないと老けるからね。



2008年3月27日

晩まで仕事。その後、片町へ。お店の女の子の誕生祝にシャンパンを開けて、 自分のボトルも空になったので入れたら、計43000円。 何億もあった頃にはどうってことない金額が、結構きつく感じるこの頃である。 再び億の金を手にすることはあるのだろうか。



2008年3月26日

出張終了。鶴橋で串カツを食い、サンダーバードに乗り、久しぶりに金沢に帰ってきた。
ここ数日、相場について色々と考えていたが、 やはり225オプションの取引には困難が伴うという結論に達した。 カレンダースプレッドとリバースカレンダースプレッドを3限月間で仕掛けて、 ボラティリティーに関するバタフライスプレッドのようなポジションを組んで歪を取ることを考えていたのだが、 手数料等を考慮するとほとんど参入のチャンスが無いようである。
というわけで、(株式やFXについては後々考えるとして)とりあえず商品であるが、 ざっと見渡して、現状でまともに取引できるのは、金、白金、ガソリン、ゴムの4つくらいのように思える。 後はもう、どうしようもない銘柄ばかりになってしまったようだ。 この4銘柄については異限月鞘取りはほぼ無理なので、 これらを6通りに売り買い組み合わせてマーケットニュートラルを維持しつつ逆張りすることにする。 しかし、ただの逆張りだと最近の白金のような動きにブチ当たると大きくドローを食らうので、 システムの順張りを組み合わせてリスクの低減を図る。 これら全てを資金配分までシステム化する。
という方向で売買プランを考えることにしよう。4月中は何が起きるかわからないので、 5月の連休明けの始動を目標にしたい。



2008年3月25日

ちょっと相場を覗いてみたが、石油三品、ますます取引の低迷に拍車がかかってるなぁ。 原油なんか死んでると言っても良いくらい。 再参入しても取引できる選択肢が限られてしまうな。クラックなんかもう無理。
実は、急激に資金を増やそうと思ったときに一番効率が良いのが鞘取りである。 片張りはハイリスクハイリターン、鞘取りはローリスクローリターンであるが、 リスクは資金配分で調整できるので単純な比較には意味が無い。 同じリスク量あたりで比較した場合、鞘取りはむしろ片張りよりリターンが大きいと思う。 個人的な感覚としては、年間で10%〜30%程度の破綻リスクを許容すれば、 片張りなら100%、鞘取りなら200%くらいの利益を狙える。 今の相場状況を見ると、鞘取りという選択肢がほとんど無理になってしまっており非常に残念である。 数年前のコーヒー指数と原市場の鞘取りのような、金が落ちているようなチャンスはもう無いんだろうなぁ。



2008年3月24日

一昨日から大阪出張である。昼間は仕事、夜は道頓堀のあたりで飲み。 一次会4000円、二次会も4000円、大阪は安くて良い。九州も安かったが。 金沢だと、二軒行って1万円札で足りるというのは考えられない。



2008年3月23日

京都で後輩の結婚パーティーに出席した。 彼と彼女は、大学の時に自分が友人と創ったサークルの会員である。 出会いの切っ掛けもこのサークルなので、もし自分達がいなければ彼らの出会いも無かったことになる。 もし子供が生まれたら、その子の誕生の一因になったという意味で自分達も親みたいなものである。 つくづく、人と人の出会いの仲立ちとなるというのは有意義なことだと思う。
ウェディングドレス、すごい膨らむんやねぇ。ちょっと中に隠れてみたい。



2008年3月22日

相場が凄い動きになっている。システム売買で再参加を考えているが、 こんなストップ張り付きばっかりの相場でまともに売買できるとは思えないので、 落ち着くまで静観。
ボラが上がればチャンスが増えるというのは実は正しくない。 値動きが大きくてもランダムな動きでは誰も儲けることができない。 長期的な視野で参加している人や同じ手法で前から継続して参加している人は良いけど、 そうでない人は休むところと見る。
実は、だんだんと相場を再開する気も薄れてきたりして。 人間、何かを為そうと思ったら、持っているエネルギーを根こそぎ投入しても足りないものである。 あまり他の事にエネルギーを使いたくないのがこの頃の心境。 個人的に精神の不滅を信じているが、肉体の死に際して金や不動産を持って行けないのは明白で、 唯一、意味があるのは心の状態である。 魂の鍛錬および外世界との関わりという意味で残りの人生を考えた場合、 自分にとって相場を張ることにどれだけの意味があるのか考えてしまう。
なんて書いてるけど、単に面倒になってきただけという説もある。



2008年3月21日

新東京タワーの名称が色々と検討されているらしい。新タワー東京でいいんじゃね?

車を診てもらいに持って行った。しばらく入院予定。 工場には色々とアルファがありテンションが上がる。最近の曲線曲線してるアルファよりも、 個人的には、75やフェッタやスッドのような、がっちりした感じが好きである。

彼女に薦められて、浅野いにおの漫画「おやすみプンプン」を読んだ。 めちゃくちゃツボにはまった。シュールすぎる。 この人、20代でこんな突っ走った、ある意味で偏執狂的な漫画を描いちゃって、 気が狂ってしまわないか心配である。すばらしい。



2008年3月20日

友人と散歩で狸谷山不動院に行った。ここは初めてだったが、異様な妖気が漂っていて非常に気に入った。 自分の京都のお薦めスポットにランクインしておこう。 お寺の裏からは、瓜生山から比叡山まで続く山道に出ることができる。 今回はすぐ近くの曼殊院まで歩いた。
ところで、京都に住んでいた時はよく大文字山に登ったものだが、しんどさが丁度手頃なので、 今でもつい基準に考えてしまう。例えば今日の散歩は0.5D(Dは大文字の略)、この前の摩耶山は2.5D、 富士山は五合目からで18D、などなど(数値は単なる主観)。

午後は大阪へ。淀屋橋駅で芳名録を見ていたら、 ABcさんが梅田阪急で開催中の武田双雲氏の展示会について触れていて、 面白そうだったので行ってみた。 この人の名前は初めて知ったのだが、「北の零年」の題字を書いた人なんだね。 この題字は印象に残っている。 ざっと見た印象としては、気持ちのいい字を書く人だなということ、 技巧は豊富だがそれに溺れていないのも良い。 ただ、線一本だけでも見る人を圧倒するような迫力があるかというと、そこまでは難しい感じがする。 知り合いの陶芸家の方で、器というのは料理を引き立たせるものだから、 清潔感が大事であり、自己主張しすぎるのは良くない、と言っている人がいる。 双雲氏の字は丁度そんな感じに思えた。しかし、料理という主役を支える器と、 それ自体が主役となるべき書では、自ずから道は違うと考えるべきである。 出来る範囲で無難にやっているという感じがしなくもないが、実際どうなのかはわからん。
偉そうなことを言ってるが、自分は字は悪筆で全然駄目である。祖母が書道と日本画の先生で、 小さい頃には習ってたんだけど、全く意味無し。

心斎橋で、彼女とその友人と待ち合わせて韓国料理の店に行った。 以前、岡地の支店長さん、洋士さん、ビーちゃん、ろっぽさん、などと行った店である。 風邪を引いているので辛めの鍋が丁度良かった。



2008年3月19日

今日は滋賀へ。2時間ほど講演して、講演料と交通費と宿泊費で5万円ほど頂いた。 ちょっとした臨時収入である。 講演の後、伏見に連れて行ってもらって旨い日本酒を飲んだ。
その後、京都の友人の所に行ったのだが、飲み過ぎていたため、 どうやって辿り着いたのかほとんど記憶が無い。 更に友人宅で、この前、沖縄で買ってきた泡盛を飲んだ。



2008年3月18日

寒いので暖房をつけたまま寝たら風邪を引いた。午前中で合宿は終了。

神戸市立博物館に寄った。思っていた以上に面白い。これで入場料金200円は破格である。 昔の地図の特別展がやっていて楽しめた。多くの地図の日本の周辺に、琉球、朝鮮、蝦夷、 などと同じ感じに、小人国、女護国、というのが描いてあった。 小人国は身長35cmくらいの背の低い人達の住む国、女護国は女性だけの国のようだ。 外国を紹介した本にも真面目に説明が書いてあったので、 実際に実在する国として理解されていたのだろう。 最初に創作した人がいる筈だが、みんなが信じれば真実として通用するようになるという良い例である。 その他、国宝の銅鐸や兵庫港の歴史など、常設展も面白かった。

マンションを買いたいという人が周りに何人かいる。 これから暴落する可能性が高いと思うので、焦って買うことないよってアドバイスしているが。

商品市場が連日のように暴落している。 商品本来の値段に上乗せされていた金融商品としてのプレミアムが全部剥げるまで下げるのではないか。 過去に無かった事が起きているので、過去データをベースにした手法に優位性があるとも思えない。 落ち着くまで静観と考えていたが、今の所は正解である。
世界恐慌突入の可能性は更に高まっているような気がする。1ドル80円程度は予想範囲だが、 もしそうなっても、とち狂ってドル買い介入なんかやらないでもらいたいものだ。 1ドル50円とか30円とかになってそのまま戻らなかったら目も当てられないし、可能性はゼロではないと思う。 普通に考えれば通貨価値の下落は商品の上昇に結び付くが、 経済規模もクラッシュすれば物価水準も半値程度では止まらない可能性もある。 また、仮に相場で取っても会社が破綻して出金できない可能性もあるのでは?  色々な意味で今エントリーするのはリスクが大きいように思える。
さて、ガタガタになったアメリカ経済を、ヒラリー大統領がどう立て直すのかお手並み拝見といきたい。



2008年3月17日

今日は午後からみんなでハイキングに行った。 徒歩で摩耶山に登り、六甲山牧場へ。摩耶山からの景色は大阪から明石辺りまで見渡せて素晴らしい。 おそらく夜景も極上に違いない。看板に夜景評論家・丸々もとお、という人の文章があった。 珍しい評論家もいるもんである。ネットで調べたら結構本格的に活動している人らしい。
六甲山牧場は、子供のときに父親に連れて来てもらった記憶では広大な牧場のイメージがあったが、 記憶よりずっとこじんまりした所であった。記憶というのも当てにならないものだ。
宿泊所にある椅子が素晴らしく座り易い。調べたら、Vitraというブランドの Charles & Ray Eames Aluminium Groupという椅子だった。手に入るなら中村の別荘に置きたいな。



2008年3月16日

チベット情勢が緊迫化している。 北京オリンピックを控えて過激な弾圧には出られないとの思惑もあるのだろう。 人間にとって誇りは食料と同じく不可欠なものである。 今や、たとえ情報統制してもネットを経由していくらでも情報は出入りする。 今後、中国政府は難しい舵取りを要求されることになるだろう。
ただ、この時期になって、チベット問題、農薬餃子、環境汚染問題、 などが一斉に出てきたのは偶然ではなく、何らかの仕掛けによる可能性もある。 このまま中国が経済発展してしまうと世界経済の持続的な成長が不可能になってしまうので、 何としてでも中国を潰してしまいたいと思う勢力があってもおかしくない。

別荘の見積もりがようやく出た。家本体だけで1200万ちょっと。 ウッドデッキや浄化槽その他諸経費を合わせると1300万というところか。 家具等も入れると1400万、まぁ、予想の範囲内に収まったようだ。 建築屋さんに感謝である。

ようやく今後の資金計画の目処も立ったので、そろそろ相場にも再参入と行きたいが、 金もあまり無いし時間も無いのが辛いところ。



2008年3月15日

今日から六甲山の近くで研修。7時過ぎに起き、シャワーして8時前に朝飯、 9時から17時まで勉強と討論、途中に昼飯、18時から晩飯、19時から議論しながらひたすら飲む、 という何とも健康的な生活である。 携帯の電波が入り難い。ネットもLANのコンセントが二箇所にあるだけ。 最寄のコンビニまで歩いて40分ほどかかるので、ほぼ缶詰状態である。 付近は猪が普通に出るらしい。

円が100円を割れている。当然というか、さもありなんというか。 購買力で考えたら80円くらいで良い。 円安になるというのは日本の価値が下がるということであるから、 政府が円安を望むのはおかしい。日本にとっては円高が国益に適う。



2008年3月14日

徹夜で作業をしたが、いくつか不明な点があり、結局、技研の確定申告は間に合わず。 出張から帰ってきてから期限後申告するしかない。

今日から2週間ほど関西方面へ出張。

夕方から、昔お世話になった方の定年退職のお祝い会に出席した。 その方は、高校の時に大病をして長期入院したため大学に進学するのが1年遅れ、 無為な時間を過ごしたと思っていたが、後から思い返せば1年遅れたおかげで、 修士1年から当時世に出たばかりの革新的な研究に余裕を持って関わることができ、 今の自分がある、もし普通に進学していたら、修士2年になって研究課題を変えるのは難しいから、 パイオニアにはなれなかったかもしれない、 一見、無駄に見えるようなことでも、実は全ては何らかの意味があり繋がっているように感じる、 と言っておられた。
その方のお陰で自分の人生も大きく変わったので、もしその方が高校生の時に病気をしていなかったら、 自分も別の人生を送っていた筈である。偶然か必然か。縁起というのは不思議なものだ。



2008年3月13日

相場技研の確定申告をまとめているが、良くわからない銀行振り込み、経費と現金残高の食い違い、 アカウントの付け間違いなどが何件かあり、 全てを完全に明らかにするために電話で連絡を取ったりして時間を使ってしまった。 常日頃からちゃんと明細を付けていれば年度末にあたふたする事も無いのだが…。 相場技研のシステム自体が事務処理に負担をかける仕組みになっているのが問題だなぁ。 会員は好きな時に好きな金額を振り込んでくるし、執筆者も好きな時に好きな金額を引き出す。 普通の会員サイトのように毎月一定の会費だと楽なんだけど、それだと技研の持ち味も無くなるし、難しい。



2008年3月12日

早朝から仕事。奇跡的に3時頃に暇になり早退することができたので、 自転車で税務署まで行って書類を提出してきた。

帰りにイオンシネマで「明日への遺言」を観た。まぁまぁ。 岡田中将は立派な人だと思うが、映画にするほどの事なのか疑問。 全ての責任は自分にあると主張して部下を庇ったが、 そう主張するなら無差別爆撃の責任も搭乗員ではなく米軍の上官にあるわけで、 処刑を正当化するには論理が破綻している。 気になった点が一つ。斬首は名誉な処刑法だという台詞があったが、ウソつくなよって思う。

家に帰って相場技研の確定申告の書類を作り始めた。



2008年3月11日

14日から出張だというのに次から次へと仕事が発生する。 職場のスキャナが上手く動かず、ゼロックスの人とあれこれ試しているうちに数時間も消費してしまった。 結局、全ての仕事を終えて帰宅したのは深夜。 相場技研の確定申告もしないといけないんだが、時間があるか微妙である。

相場関係で1万4000円分ほど領収書が出てきたが、 やり直すための時間とそれで助かる2800円とあまりの眠気を比較して、作り直すのはやめにした。



2008年3月10日

仕事、会議、仕事。

早起きして作業して確定申告の書類は大体出来上がった。 しかし13日の午前中くらいしか提出できそうな日が無い。 それにしても、昨年利益計上して今年大損し、 金が無いのに何が悲しうて本業の年収を上回る税金を払わにゃならんのか。 今後3年9ヶ月ほどで無税枠が1億以上あるが、これを使い切れるかどうか。 7000万ほど儲けられれば4000万くらいは値洗損で持ち越せるから、 4年弱で500万を7000万程度まで増やせれば何とかなる。 これは今までの張り方のようにある程度勝負しないと無理だな。

夜まで仕事して片町へ。



2008年3月9日

ジェフェリー・アーチャー「百万ドルをとり返せ!」を読んだ。 架空の石油開発計画に乗せられ、ボロ株を高値で掴まされて大損した被害者4人が結集し、 張本人を探し当てて損失を取り戻そうとする話。 現実はそんな上手くは行かんだろう、と読みながら思っていたが、 一応、最後にはその点について納得できるオチもついている。 面白いんだが、まだ一昨日読んだ本の余韻が残っていて感動が薄くなってしまう。 株式を巡る動きがやけにリアルに書かれているなと思っていたら、 実は著者自身が石油会社の株で同じような詐欺に遭って、それを切っ掛けにして本を書いたらしい。 本書は大ヒットして映画にもなったようなので、著者も損失は取り返したのだろう。

さて、書類作ろう。



2008年3月8日

新銀行東京、凄いなぁ。累積赤字が1000億円を超えて東京都の出資金の額を超過したそうだ。 ほとんどが無担保融資で、融資直後に焦げ付く案件が多かったらしい。 暴力団のフロント企業や詐欺師に大量の資金が流れたことは容易に想像できるし、 普通の企業の場合でも、倒産寸前に融資を受けて夜逃げ資金の足しにするくらいのことは頻発したであろう。 誰かの選挙資金にも流れたかもしれない。 しかも無担保融資の可否を財務諸表のみで機械的に判定していたらしい。 行員は、半年潰れない会社だったらどんどん貸せ、と言われていたそうだ。信じられん。 役人ばかりで金融のプロがおらず、まともに審査できる人がいないんだから仕方ないか。 金を貸してもらいたい人間はどんな嘘もつくし、どんな演技だってする。 こういう人達を相手にしているわけで、融資担当者には相当な審査能力が要求される。 最後は長年の経験による観察眼が決め手になってくるのだが、 経験も無く、機械的に判定しているなら、判定基準に合うように申請すれば、 いくらでも金を引っ張れるということになる。 銀行の前に札束を山と積み上げて、ご自由にお持ち帰り下さい、と書いてあるようなものである。 適当な会社を作って無担保で相場資金を借り、満玉張って、当たればラッキー、 外れたらそのまま倒産させる、なんてことも可能だったかもしれない。 こんなブラックホールに、東京都は更に400億円を出資するという。 相場なら下がっていてもまた上がることもあるかもしれないが、 いずれ確実に破綻することが明らかな銀行に、 これ以上ジャブジャブと税金を注ぎ込み、闇社会に資金を供給し続けることに何の意味があるのだろうか。 財政豊かな東京都とはいえ、太っ腹なことである。

確定申告の書類を作らなきゃ。 14日から出張で、12日と13日は一日中身動き取れないので、 税務署に行くチャンスは10日の午前中か11日の午前中しかない。



2008年3月7日

午前中は仕事。1時ごろに空港に着き、昼飯にソーキ蕎麦を食い、売店でお土産を買った。 例の焼酎も購入。飛行機で小松空港へ。意外と寒くない。6時ごろ自宅に帰ってきた。

飛行機で本日の日経新聞を読んだ。経済教室の「「臨界点」の国際的な経常収支不均衡」は、 全く自分の考えと同じである。ドルは70円程度まで下げると考えている。

ジョナサン・ハー「シビル・アクション−ある水道汚染訴訟」を読んだ。 一昨日、ホテルの近くのゲオで見つけた本なのだが、昨日の夜から読み始め、 空港へのバスの中、空港での待ち時間、飛行機の中、小松空港から家までのバス、 自宅についてからも延々と読み続け、上下2巻を一気に読み切った。 これは凄い。読み出したら止まらない。水道汚染をめぐる裁判に巻き込まれてしまった、 ある若手弁護士の話である。 彼の名前はシュリクトマン。いくつかの裁判で多額の賠償金を勝ち取り、得意の絶頂にあったが、 ふとしたきっかけで難しい裁判にのめり込んでしまう。同僚や友人は撤退を勧めるが彼は聞こうとしない。 裁判が壁にぶち当たり、資金的にも行き詰まり、彼の精神は蝕まれて行く、 かと思うと、一転して有力な助っ人や証人が現れ、状況がガラリと変わる。 そんな調子で二転三転して、片時も本から目を離せない。 これは実際に起きた事件のドキュメントであり、 事実の持つ迫真性に満ち溢れていて、 やはりノンフィクションはフィクションを圧倒的に凌駕すると感じさせられる(ジャンルにも依るだろうけど)。 登場人物のキャラクターも際立っていて、それぞれに魅力がある。 特にシュリクトマンは、証拠集めや裁判の準備に全財産どころか借金までして資金を投入し、 勝てば天国、負ければ破滅、というような勝負に出る人物で、 個人的には結構感情移入してしまった。 彼が感じた不安、焦燥、感情の浮き沈み、精神状態が体調に現れる様子などは、 相場を張る人間に通じるものがあり、一方で、一般人には理解し難いものであると思う。 彼は金と名誉と正義のために戦っていると言っていたが、行動を見るかぎり、 実は金儲けのためでもないし、正義のためでもない。 彼にとって、裁判こそが生きている実感なのである。 映画にもなっているらしいが、これだけの重厚な内容を2時間弱に納められるのか疑問だ。 とりあえず海外作家部門で今年読んだ本のベストにランキングしておく。 司法関係の友人に勧めてみよう(既に知ってるかもしれないけど)。 実は訳者が「ぼくの美しい人だから」の人と同じだと気付いた。面白い偶然。 しかし「ぼくの〜」の訳は良かったが、 こちらの訳は主語のはっきりしない読み辛い箇所が多くていまいちである。 原書で読んでみたい。



2008年3月6日

プレゼンの途中、少し込み入った議論になり、 緊張していたのと英語力の不足のため良く聞き取れず、自分の言いたい事もあまり伝わらず、 一時的に英語に堪能な人に手助けしてもらう状況に陥ってしまった。 こんな事ではいけない。今回に限らず色々な面で英語力の不足により不利を被っている現状があり、 早急に何とかしなくてはいけない(と、ずっと思っている)。 相場を停止して時間も出来たし、何とかするかぁ。

昼、何人かで港の魚市場に行き、採れたばかりの魚とサザエと海ぶどうを買い、 併設されている食堂で料理してもらって食べた。 サザエはつぼ焼き、魚は刺身とアラ汁。美味すぎる。しかも安い。 こんな所が自宅の近所にあったら毎日でも行きたいものだ。 ご飯のおかわりが自由なので、何時間でも粘れる自信がある。



2008年3月5日

概ね一日中仕事であった。空いた時間に海辺を散歩し、堤防で昼寝したり本を読んだり。 夜は近所の居酒屋へ。魚の名前が総じてわからん。 タマンとかエイガーとか、10個くらいわからん名前が…。 店長に聞きながら色々と頼んだが、白身魚が多かった。

グレン・サヴァン「ぼくの美しい人だから」、 久しぶりに胸に響く恋愛小説を読んだ。 誠実に相手に向き合うとはどういうことなのか、大切な人を失って初めてわかることもある。 広告会社のエリート社員マックス27歳、ハンバーガーショップの店員ノラ41歳、 普通なら交わることもないような二つの人生が偶然交差し、泥沼に嵌るように恋愛し、 最終的にそれぞれが良いと思った決断を下す。 その結末は? 恋愛に悩む人や胸の痛みを懐かしむ人にお薦めしたい本である。



2008年3月4日

午前中は仕事。午後は、海外から来ている人達のために観光ツアーが組まれていたので、便乗した。
最初に訪れたのは沖縄ワールド文化王国。玉泉洞という鍾乳洞があり、なかなかの迫力である。 天然記念物らしいが、観光路を通すために鍾乳石を切った箇所が多くあり、どうなのかと思う。 他、トロピカルフルーツの温室、琉球ガラス製作、黒糖生産、泡盛醸造、等の実演販売など。 あと、エイサー演舞とか。沖縄も何度も来ていたら別に珍しくもないが。
次は首里城。既に行ったことがあるので、一人だけツアーを抜け出して別行動を取った。 王陵など、周辺にもポツポツと見所があり、歩き回って時間を潰した。
最後は国際通りで晩飯を食って終了。 昨年末に沖縄に来たときに見つけた隠れ家に行こうと思ったが、 電話をかけたら今は閉店しているらしい。残念。

久米仙「球美」18年古酒、まろやかでまったり美味い。香りも優しい感じ。 買って帰ろうか思案中。

琉球では、儀間真常という人が重要人物らしい。琉球王国の歴史を少し調べている。 絶対王政にしては農民から高位に登った人もいて、 比較的実力主義の社会だったのかもしれない。

沖縄は実質的には日本の領土であり、それは台湾出兵の帰結により国際社会でも認められているが、 琉球処分以降、形式的には実は沖縄の領有権は未だ確定していない。 米国も公式には沖縄の領有権については関知しないという立場を取っている。 米国から返還されたのは、あくまで施政権であって領有権ではない。 このあたり、将来的に付け入られる隙があるかもしれないので注意が必要と思う。 尖閣諸島について同じ論法で来ているので、もし尖閣諸島を取られたら、 次は沖縄を返せと言い出す可能性もある。 まぁ、レベル的には、南樺太の領有権が確定していないと言うのと同じ程度の言い掛かりではあるが。

穀物、ランチギャップが凄いな。もう遠い世界の出来事に思える。



2008年3月3日

タクシーで金沢駅へ、金沢駅からバスで小松空港へ、小松空港から飛行機で那覇空港へ、 那覇空港からホテルの送迎バスでホテルへ。
先方が用意してくれたホテルは、部屋がやたらと広く、 建物自体が小高い丘の上にあり、部屋のある11階から海が広々と見渡せる。 個人的には宿は寝られれば満足で、室内が良くても別に嬉しくは無いのだが、 景色が良いのは嬉しい。ただ、市内まで遠いのが不便である。
沖縄は意外と寒い。昨年末に来たときはTシャツ1枚でも暑かったのになぁ。 午後に着いて、そのまま夕方まで仕事。 晩は近くの居酒屋で飲んで、更にホテルの部屋で飲んだ。 居酒屋でワニの香草焼きを食ったが、沖縄で養殖してるのかな。 肉質はさっぱり系で美味い。



2008年3月2日

昨日は結構飲んだが、ウィスキー中心だったので二日酔いもなし。 明日からの出張準備のため、昼から職場へ。 10日間くらいゆっくり休みたい気もするが、無理そうだねぇ。 今日は昨日と一昨日にも増して暖かい。

確定申告しなきゃ。出張から帰ってきてからだなぁ。



2008年3月1日

土曜日だけど午後から仕事で出勤。 夜は職場の人達と飲み。一次会は居酒屋、二次会はいつもの店、三次会はショットバーに行き、 他の人が帰った後も同僚の人と二人で、近くに座っていた女性と話をしたり、 バーテンダーのお兄さんと競馬の話や京都のラーメンの話で盛り上がっているうちに、 朝の4時を回ってしまった。

家について色々と考えた経験があると、店に行っても、カウンターとか椅子とかテーブルとか、 造作に目が行ってしまう。



2008年2月29日

今日は非常に暖かい。昨日あれだけあった雪もあちこちで融けている。 春の訪れを感じる。3月は、ひと雨来るたびに暖かくなるが、 金沢はほとんど常に雪か雨が降っているので、どんな具合になるか。 花見は4月10日くらいだそうだ。 福岡では3月下旬だった。

2月は逃げる、とは言うが、ほんとに今月は一瞬で終わったなぁ。



2008年2月28日

朝から晩まで仕事。雪の中から自転車を掘り出して、凍結した道を滑りながら帰宅。



2008年2月27日

朝から晩まで仕事。朝は自転車で出勤したが、夜は吹雪なのでバスで帰った。



2008年2月26日

朝から夕方まで仕事。
来月の沖縄出張、日付を間違えて一日早く飛行機のチケットを取っていたことが判明。 以前にも同じ事があった。またかよと思ったが、一応、過去のメールをチェックすると、 先方にも間違った日付を伝えていることが判明した。 結局、間違っていたのは自分の記憶の方で、実際の出張予定は自分の思い込んでいたのより一日早く、 チケットも先方への連絡も問題ないということがわかった。 30代に入ってから、有り得ない勘違いやミスをすることが多くなった。あかんなぁ。 経費節約とマイルを貯めるために出張の手配は自分でやってるけど (そのかわり予約ミスしてキャンセル料が発生しても自腹)、 これも事務に任せた方が良いのかもしれない。



2008年2月25日

今日は早朝に出勤する必要があり、バスも無いので雪の中、40分かけて徒歩で歩いた。 雪だらけで自転車は無理である。 タクシーを使えるのだが、まだ雪が珍しいので歩いてみたのである。 それにしても、雪の踏み固められた所を歩くと滑るし、新雪の所を歩くと踝まで埋まる。 雪を踏む音が心地よい。 道を歩いていると、滑るとは思わない所で滑るので油断がならない。 いかにも滑りそうな所は注意して歩くので却って滑らないのである。 相場と一緒だ。

夕方まで仕事し、同僚の人と近くの居酒屋でビールを飲んでから帰宅。



2008年2月24日

ようやく別荘の細かい仕様が決まった。 ユニットバスはプレシオの1.5坪、キッチンはクレディアのL型対面。 キッチンカウンターは定価で70万くらいする人造大理石に。風呂の浴槽も人造大理石。 リビングとキッチン合わせて17畳、それに洋室が6畳、これは3枚引き戸で区切り、 引き戸を仕舞えば一つの大きな空間になる。 キッチンと洗面所とトイレと風呂以外は床から天井まで全面杉板張り、 風呂の窓から海も見え、リビングからは掃き出し窓でウッドデッキに出られ、 ウッドデッキを通じてビーちゃん宅と繋がっている。 キッチンとユニットバスで合計定価380万くらいになった。定価の6割くらいで入るとは言っていたが…。 これで味噌汁とベーコンエッグくらいしか作らなかったら笑ってしまう。 まぁ、中村に行ったときには色々と料理をしてみよう。魚も釣れそうだし。 キッチンの寿命を20年、一年に10日使用するとして、一日あたり1万円。なかなか贅沢な金の使い方である。 見積もりが幾らで来るかドキドキ。1300万程度で収まれば良いのだが。 以前だったら100万や200万は誤差みたいなもんだったが、今となってはシビアにならざるを得ない。 しかしこの別荘だけは相場の記念みたいなものだから以前の金銭感覚で建てることにする。 それにしても、土地だけでも先に買っておいて良かった。 ビーちゃんが土地を見つける前に大損してたら、この話は確実に無かっただろう。

井上靖「氷壁」を読んだ。そんなに古い小説とは思わなかったが、 女給仕とか夜汽車とかという言葉が出てくるので、 もしやと思って奥付を見ると昭和38年初版とあった(文庫版)。 新聞に連載されていたのは昭和31年からだそうだ。情景描写や小説のスタイルからは、 とてもそんな昔の小説だと思えない。 ハッピーエンドではないが不思議と読後感は爽やか。 常盤支店長がなかなか良い味を出している。



2008年2月23日

キッチンの構成を考えたが、いくつか気になる点があったので、再度、古府のトステムのショールームへ。 キッチンカウンターの材質と洗面台の色を確認し、更に自分の考えたプランが実現可能かを聞いた。
ところで、ユニットバスのカタログを見ていて気が付いたこと。 安い設定の基本プランを個々にアップグレードしていけば、 高い設定の基本プランと大してスペックの違わないプランが出来るが、 エクセルで細かく検証してみると、値段はそれでも高い設定のものが高い。 残った違いは床の材質だけだが、それにしては価格差がやや大きい。 結局、金持ちからは多めに取ろうということなのかも。
ユニットバスはカタログから設備を選んでいけば合計価格が全部出せるが、 キッチンは組み合わせの可能性も合計価格も良くわからず、 とにかく見積もりを取ってくれという感じになっている。 そこが分かり難くて聞きに行ったのである。 組み合わせのパターンが多過ぎてカタログに載せ切れないのかもしれない。 ネット上でシミュレートできると便利なんだけどね。

109シネマで「ある愛の風景」を観た。デンマークの映画。 幸せに見えるが何となく危うい均衡を保っている家庭が、夫のアフガニスタン派遣を期に激変していく。 人の弱さをこれでもかと抉り出しつつ、 それでも希望に向かうような展開に持っていくあたり、秀逸である。

家に帰り、109の本屋で買った「歴史群像シリーズ84 満洲帝国−北辺に消えた王道楽土の全貌」を読んだ。 郵便制度の話とか新京の都市計画の話などが自分にとって目新しくて良かった。 満洲帝国なんてのも、もう100年ほど前に作っていたら国際社会でも問題にならなかっただろうけど、 時期が遅すぎたねぇ。 独立国家の体裁だけ整えておけば見逃してくれると考えた時点で甘いと言わざるを得ない。 そもそも、満州事変を起こした当初は、関東軍は満洲を日本に併合する方向で考えていたが、 国際社会の反発を恐れた政府の圧力で満洲国建国に路線変更したという経緯があるので、 最初から国際社会なんてものは考慮の外だったわけだ。 無理を通すならそれ相応の根回しが必要だが、逆に国際連盟を脱退するようでは話にならない。
地政学的には、大陸国家と海洋国家を兼ねることは出来ないから、 海洋国家であることを運命付けられている島国は、 大陸に勢力地を持ったとしても、いずれは大陸内部からの攻撃で勢力地を失うことになる。 そういう意味では、どのみち朝鮮半島や満洲は維持できなかったと思われる。 しかし上手くやれば台湾は維持できたかもしれない。



2008年2月22日

物品購入の関係で突然仕事が降ってきた。テキパキと手配して片付ける。 雑用という言い方はあまり好きではない。雑多な仕事という意味だろうけど、 雑にやる仕事というニュアンスにもなりかねないので。 しかし自分の本筋から逸れるような仕事があるのも事実。こういうのはその場その場で片付けるに限る。

フランク・アバネイル「世界をだました男」を読んだ。 これは映画「キャッチミーイフユーキャン」の原作となった本で、 著者の詐欺遍歴を書いた実話である。 パンナムのパイロットに成りすまして偽造小切手を切りまくったり、 飛行機に無賃搭乗したり、医者に成りすましたり、偽造の大学卒業証書で弁護士試験に受かったり、 大学教授になって社会学の講義をしたり(面白くて人気だったらしい)、やりたい放題である。 本物の制服を着ていて外見がそれらしく見え、その上、偽造の身分証明書を持っていれば、 簡単に信用された、性善説の通用した大らかな時代だからこそ成立した事例かもしれない。 しかし彼自身の努力と才能と人当たりの良さも重要な要因だったという印象を受ける。 著者は逮捕されて服役した後、詐欺対策コンサルタントとして成功し、 偽造し難い小切手を考案して特許を取ったりしているらしい。 というか、この人、普通に真っ当な人生を歩んでも成功しただろうなぁ。
関連して、種村季弘「ぺてん師列伝−あるいは制服の研究」とか、 ユングの言うペルソナの概念が思い浮かぶ。



2008年2月21日

会議が3連発。なんでこんなに会議が多いのか。

東京から出張で来ている人がいるので打ち合わせ、夜は片町へ。 香箱も終わって、今はズワイ。金沢に来て良かったのはやはり蟹だなぁ。 臭みの全くない新鮮な白子もいい。 その後はいつものお店へ。今月は飲み代がかなり嵩んでいるので、 理由が無いとき以外は片町へ出ないようにしている。

東芝がHD-DVDから撤退すると表明した。 だいたいこういう競争って、名前が格好良い方が勝つのでは?  ブルーレイの方がクールな感じがするし、 HD-DVDだとハードディスクDVD?と思ってしまう。 VHSとベータにしても、ベータは名称からして一番じゃなくて二番みたいだし。



2008年2月20日

雷鳥で金沢へ帰還。 帰り際に、一昨日、洋士さんに借りた原りょう(寮のウ冠無し)「愚か者死すべし」を読んだ。 面白くてスイスイ読めるが、主人公の葛藤や矛盾というものがあまり描かれていないのがイマイチか。 でもこの、投げやりで達観したような感じが良いという人もいるのかもしれない。 これって、あらかじめ「そして夜は甦る」、「私が殺した少女」、「さらば長き眠り」 の順に読んどかないといけなかったのかも。

午後から会議。

イージス艦と漁船の衝突、こんなお粗末な事故が起きていいのか?  いくら防空能力に優れていても、 これでは爆弾を満載した小型船の自爆テロに簡単にやられてしまってもおかしくないのでは。



2008年2月19日

朝から夕方まで仕事。 夕方、少し時間があったので竹田のトステムのショールームに行ってきた。 ユニットバスとキッチンをトステムにするのは既に決めていたのだが、 カタログの色と実際の色はかなり違うことがあると聞いていたので、念のため見に行ったのである。 ユニットバスは浴槽から壁の色まで茶色系に決めていたのだが、実際に見るとかなり濃い茶色である。 ミルクコーヒーのイメージだったが実際はチョコレートという感じ。 でもまぁ、これでも悪くはないかなと思う。キッチンは色だけ決めていた(茜色)ので、 実際どう見えるかだけ確認。悪くない。カタログを貰って、 構成などはこれから検討する。

夜は三条河原町で仕事関係の飲み。開始まで時間があったので古本屋をウロウロし、 江戸幕府御用金についての本とオランダ東インド会社の本、その他6冊ほど目に付いたものを購入。 古本屋に長居すると、ついつい荷物が増えてしまう。
ビアバーでビールをたらふく飲み、御池のバーでスコッチを飲んだ。 久しぶりの京都の夜であった。



2008年2月18日

今日から京都へ出張である。仕事が終わった後、昔住んでいた出町商店街のあたりを歩いてみた。 懐かしいなぁ。 商店街の入り口あたりに、夫婦でたこ焼きとお好み焼きを焼いている屋台がある。 学生時代に時々買って食べたものだが今もちゃんとあった。 話を聞いてみると、27年くらい前からずっと続けているそうだ。 素直に凄い。

岡地大阪支店に寄り、洋士さんと焼き鳥を食いに行った。 技研の今後について少し話をした。いずれシステム売買で相場を再開したら、 サインも技研で公開するつもりだが、 しばらくは暇がなくて無理か。



2008年2月17日

阪神高速の環状線をぐるぐるとドライブした。いよいよシャフトのバランスが悪くなっていて、 次に乗る時にはもう診てもらわないといけない状態である。 これでは、もうあまりスピードも出せない。車検ももうすぐだし、近日中に何とかしなくては。
それにしても、潜在能力は高い(調子の良いときには時速200キロ以上出しても全然ブレない)んだけど、 普段は病弱で(よく調子が悪くなり)、何度も入院し(修理し)、 時々相手をしてあげないと拗ねる(バッテリーが上がる)し、低血圧(暖機運転に時間がかかる)の、 美人(持ち主の欲目だが)の箱入り娘(シャッター付きのガレージで大事に保管) と付き合ってるみたいである。



2008年2月16日

昨日から職場に泊まり込んで昼頃まで仕事。家に帰り風呂に入って、サンダーバードで大阪へ。 前歯の詰め物が取れた。チョコの食べ過ぎか。 3月上旬に沖縄へ出張することになった。 英語で1時間プレゼンすることに。少し憂鬱だが、まぁ、何とかなるだろう。

週明けによっぽどプラチナメイプルリーフを売却してしまおうかと思ったが、 頑張って我慢する。財産としてずっと所持すると決めたんだから、 アルミと同じ値段になっても後悔はしないと決めた。



2008年2月15日

朝から晩まで仕事。そのまま職場に泊まり込んで仕事。 ようやく当面の仕事が一段落しそうなので、週末は少し相場の研究ができそうである。 もう、相場にはあまり時間を取られたくないので、最初に完全なシステムを作ってしまい、 場を見るのは引け間際だけにしたい。
過去に大きく張ったという経験は今後の相場においてはマイナスでしかない。 自分の知り合いでも、数百万を数千万や数億にした経験のある人は、 その感覚が忘れられずについ張り過ぎてしまって、何度も破綻を繰り返して、 いつまでも浮き上がれない人が多い。多いというか、そういう人がほとんどである。 そうならないため、資金管理まで含めて全てシステム化してしまうつもりである。



2008年2月14日

一日中仕事、そして会議。事務の人と片町の女の子やママさんにチョコを貰った。 彼女に貰った分もあり、あるとついつい食べてしまうので要注意である。



2008年2月13日

昨日から引き続きファイナンス関係のミーティング。 雑談の時に業界の話を聞くと、1万行程度のプログラムを書ける実力があり、 関数解析の初歩を理解している人なら、学歴も年齢も業界経験も不問で、 どこの金融機関でも引く手あまただそうだ。 数理ファイナンスの理論については、もし知らなくても、関数解析的な考え方ができる (例えば、無限次元空間と言われて連続関数の空間とかL^2空間とか、 具体的なイメージがすぐに浮かぶ)なら、二ヶ月程度で速習できるので問題ないとのこと。 職に困ったらそちらの業界に転職してみるのも良いかもしれない。
結局、金をいくら貯めようとも、貴金属や土地を持ってようとも、 能力をつける以上の貯蓄は無いということである。 今の時代、医者とか弁護士とかの専門職は別として、普通に働く場合は、 数学の素養と外国語とプログラミング能力があれば、相当に潰しが利く。 数学なんて仕事の役には立たないと言われることもあるが、 数学を基礎とした論理的な思考はあらゆる所に応用できるし、 例えば実験技術や工学的な能力よりも適用範囲が広いと個人的には考えている。 外国語に関しては、自分は下手な英語しかできないが、 英語ともう一つくらい外国語をある程度以上のレベルで使えれば、仕事などでもかなり有利になる。 プログラミング能力は若いうちからの訓練が不可欠だが、かなりの確率で眼が悪くなるのが難点。 ということで、学校の勉強では数学と英語が大事という話。 社会とか国語とかは単に働いて生活して行く上ではそれほど必要ではないが、 人間としての深さを醸成するという意味ではこれも重要。

深夜まで仕事をし、帰ろうと外に出たら、もうほとんど誰も歩いていないので、 ふわふわした新雪が降り積もっている。街路樹が雪で真っ白になり、街灯に照らされて幻想的な景色である。 足首まで雪に埋まりながら自転車置き場まで移動し、タイヤを埋もれさせながら家まで帰ってきた。



2008年2月12日

今週は仕事が山積である。気合いを入れて乗り切ろう。 午前中に一件片付け、午後からはファイナンス関係の人達と打ち合わせ。 晩は皆さんと和食のお店へ。その後、二軒はしごして解散。 今月は飲み代が嵩んでいる。たぶん10万超えただろう。 家計の収支を考えると平均して月5万ほどに抑えたいところだが。



2008年2月11日

獣ちゃんが、死ぬまでに何としても一度、くら寿司に行きたいと言ってたので、 昼前に昨日のメンバーで待ち合わせてサンルート店へ。 しかしこの店だけ、皿を入れるスロットも無ければ、ビックラポンも無いことが判明した。 まぁ、また次の機会にもう一度だね〜。

解散した後、本町のINAXギャラリーで開催中の 「石はきれい、石は不思議 -津軽・石の旅-」展を見に行った。 んんんんんんんん、津軽半島、行ってみたいぞ〜。瑪瑙や津軽石を拾いに行きたい。 乳白色の瑪瑙の柔らかい色合いが良い。障子の色のようで日本的でもあるし、 モンゴルあたりのヤギの乳のようでもある。 展示されているコレクションの持ち主の文章を読むと、 石は人間が手を加えず自然のままが良い、という人と、 磨いて美しくなる石は磨いてあげるべき、という人がいて、 考え方の違いが面白かった。どちらもが正解なのだろう。 メインの津軽石の展示と並行して、何人かのミニコレクションの展示もあり、 月のリズムを感じる訓練として満月の夜に一つずつ石を拾う人が印象的であった。 芸術系の人の発想が自分にとっては新鮮である。

暇つぶしのため梅田の紀伊國屋書店で志水辰夫「行きずりの街」を購入、 帰りのサンダーバードで読了。 この人の本は二冊目だけど、悪くはないと思う。 有り得ない偶然の多発はやや気になるが、 偶然でもなければ広い東京で複数の物語が交錯するわけも無く、 小説自体が成立しないので、それは目を瞑るべきだろう。 純粋で強い面もあるが自己陶酔的でダメな男を描かせると上手いね。 しかしまぁ、なかなか昔の松本清張、現在なら高村薫のような、 重厚な文章を書く作家はいないものだ。

白金の上昇、理解不能だな。 地金を売却してしまいたくなるが、ずっと持つと決めたので我慢。 でも冷静に考えれば、金より安くていい筈。



2008年2月10日

朝から中華スープとベーコンエッグを大量生産した。 別荘に来ている女性陣に上手なベーコンエッグの作り方を教えてもらった。 別に大したことではなくて、途中で水を少し入れて蓋をして蒸したら上側も早く固まるというだけなんだが、 今まで引っくり返して表裏焼いてきた数十年間は何だったんだろうという感じ。
昼前に南小谷駅まで送っていただき、糸魚川へ。糸魚川から金沢へ。 金沢で途中下車して昼飯を買って、オフ会に出席するためサンダーバードで大阪へ。 集合時間まで少しあったので梅田周辺を歩いてみたら、 梅田芸術劇場からLOFTにかけての辺りが再開発されて様変わりしていた。

オフ会は、獣王氏、ビーちゃん、MIGHTY氏、たれぱんだ氏、それと自分と彼女の6人でこじんまりと飲んだ。 二次会に行くかと思ったけど、獣ちゃんが体調が悪いのか、ホテルに帰ってしまったので、 何となく一次会だけで終了した。



2008年2月9日

朝から特急はくたかで糸魚川へ、糸魚川から大糸線で南小谷へ。 白馬に大学院時代の友人の馴染みの別荘があり、遊びに来ないかと誘われていたのである。 その別荘は、彼の親の世代が30年位前に仲の良い友人同士で共同で建てて、 今は創立メンバーと、その子供の世代、合わせて二世代で利用されているそうだ。 創立者の家族、友人の同級生、仕事の知り合い、などなど、 18人くらいが集まり、自炊したり飲んだり、楽しく過ごすことができた。
元々、飲みに行くだけのつもりだったのだが、スキー場が非常に近く、 雪を見ていると急に滑りたくなって、帽子からウエアから手袋から板まで全てレンタルして滑ってみた。 スキーは8年前に1回と12年前に1回行ったきりなので心配だったが、 以前と変わらないレベルでは滑ることが出来た。 しかし、やはり以前と同じで綺麗には滑れない。 二本の板をピッタリ合わせて小刻みにターンしていくやつ、あれが出来ないんだよねぇ。
今回誘ってくれた友人は、かなりの変り者なのだが、表裏が無く、嬉しい時も不機嫌な時もすぐに顔に出るし、 思っている事を何でも率直に言ってしまうので、かえって信頼され、 自然に周りに人が集まってくるような人物である。
夜はみんなで近くの温泉へ。 夏にまた遊びに行きたいものだ。



2008年2月8日

昨日と同じような一日であった。
昼間、お客さんを案内して近江町市場の海鮮丼屋さんに行った時の話。 清算のとき、お会計はまとめてお願いします、と言われたのは別にいい。 お釣りが丁度3000円だったのだが、小銭が無いと割れないので、 1000円分だけ100円玉と500円玉で下さいと言ったら、駄目です、と言われた。 レジに小銭が無いわけでもないし、それくらいのサービスはあっても良いと思うのだが。 金沢では他にも色々と、つっけんどんな対応をされる事がちらほらある。 それも、金沢以外ではまず考えられないような事が多い。 殿様商売というか、プライドが高いのか、 こういうのは金沢に来てから良く感じるし、好きになれないなぁ。 京都だって表裏はあるかもしれないけど、少なくとも表面上はサービスをちゃんとする。 こういう細かい対応の違いが客を減らす原因になるということがわかってない。
晩はいつもの加賀料理の店。明日早いのと仕事が残っているのとで、 いつものお店には行かずに帰ってきた。

事務次官がデイトレーダーのことをバカと言ったのが話題になっている。 まぁ、デイトレーダーがバカだというのは語弊があるが、 デイトレをやってるバカは多いわな。 でも、流動性のためには、バカなんて言わずにおだてて大いに取引してもらった方がいいのだが。



2008年2月7日

昨晩は結構飲んでしまったが、 朝早くから大事な仕事があるので絶対に起きなくてはと心に決めて寝たら、 朝の5時に目が覚めてしまった。 二度寝すると危険なので、そのまま起きて職場へ。 午前中は雑用で走り回り、午後から会議の司会、晩は飲みで、昨日と同じイタリアンへ。 その後はいつものお店へ。眠くて倒れそうだった。 2時ごろ帰宅して一瞬で寝た。



2008年2月6日

昼は雨だったのに夕方から雪に。
今日から3日間は職場関係で全国からお客さんが来るので、 ホスト役の一員として3連続で飲みの予定が入っている。 その後は私用で、土曜日に長野で飲み、日曜日に大阪で飲む予定。
夕方まで仕事をし、ゲストの方をホテルまで迎えに行って、いつものイタリアンへ。 その後はいつものお店へ。帰宅したら午前2時半であった。



2008年2月5日

現在、金と白金の地金(コイン)を持っていて、いざという時には換金して、 家族がいたとしてもそれで2年か3年は食って行けると思うのだが、 ここで問題は、今から30年後や50年後に、金や白金が今と変わらない価値を持ち続けているか、 ということである。
基本的に生産され続け、減ることは無いので、地球上に存在する量は増えて行くばかりである。 現在、地球上に人間が保持している量が、金12万トン、白金4000トン、 年間鉱山生産量が、金2500トン、白金200トン、 可採鉱量が、金4万トン、白金7万トン、 確認埋蔵量が、金9万トン、白金8万トン、 生産コストが、金300〜400ドル/オンス、白金400〜500ドル/オンス、と言われている (生産コストについては非常に不透明なので、参考程度)。
金はそのうち掘り尽くされるか、新しい鉱山が見つかったとしてもコストは上昇する一方なので、 価値としては揺ぎ無いと思われる。9万トン掘り尽くしたら地球上の量は倍くらいになるが、 その場合でも、新しく産出されないという事実は希少価値を高めるだろう。
白金は現在のペースで生産すると40年間で3倍の量になってしまうし、当面は枯渇の心配も無いようである。 現在の高値は供給の不安定さと将来の需要増大を前提としていると思われるが、 白金を使わない触媒だとか、白金を使わない燃料電池だとかが開発されれば、 需給も大きく緩和するかもしれない。 ただ、理系の直感からすると、白金というのは極めて性質の良い金属なので、 人類の技術が進歩し続ける限り、色々と新たに需要が発生するのではないかと思う。 このあたりの予測は非常に難しいが。
今後の購入は金を中心にして白金の比率を下げた方がいいかもしれない。 現在、金2:白金1だけど、4:1くらいの比率でもいいかも。



2008年2月4日

Marquis Who's Whoなる紳士録に名前を載せないか、というメールが来た。 詐欺かと思ったが、調べてみるとちゃんとした会社で、 その紳士録は100年以上の歴史があるらしい。 料金もかからないようなので、データを送っておいた。

久しぶりに片町へ出た。同伴でイタリアンへ。 やっぱり健康で美味いものを味わえるのが一番やね。



2008年2月3日

今日は久しぶりにゆっくりできる。

晩飯を買いにスーパーに行ったら、餃子が大量に売れ残っていたので買ってきた。 こういう時が一番安全なのにねぇ。

久しぶりに車関係のサイトを見ていると、結構アルフェッタの出物があるようだ。 自分が探し始めた3年前から実際に購入した2年前までは、市場にも出ている良い車体はわずかで、 探すのに苦労したものだけど。 年式を考えても、そろそろヒストリックアルファに入りつつあるし、 人気が出てきたのかもしれない。



2008年2月2日

昨晩は確か午前2時頃に寝た。目が覚めたのが5時半。 えらく早く目が覚めたなぁ、今日は有効に時間が使えるなぁ、と思ったが、 いつまで経っても夜が明けない。朝じゃなくて夕方だった。 どうりで、3時間半しか寝てないとすれば眠くない筈である。 しかしまさか13時間以上も寝てしまうとは。 体が独断で無理やり休養を取ったという感じだな。 おかげで体調は良くなった。多分90%くらいまで回復。 しかし土曜日を返して欲しい。

餃子の王将で餃子と天津飯を食ってきた。そういや中国産冷凍餃子が事件になっているが、 その時は特にも気にも留めていなかった。



2008年2月1日

朝から晩9時頃まで仕事。先月末締め切りだった業界紙への寄稿文をようやく書き上げて速達で送付。 来週月曜日までの仕事を一件終わらせた。 先月末が期限の仕事がもう一件あり、これは週末にやるしかない。 相場の研究どころではないな。

職場の周辺で2回、家の周辺で1回、凍結した地面で滑って尻餅をついた。もうやだ。

最近の若い人には、努力したんだからそれを認めてくれ、というようなことを言う人が多い。 いくら努力をしても結果が出てないなら評価はできない、と言うと、 何か理不尽なことを言われているかのような顔をする。 さぼっていても結果を出す人と、努力しても結果が出ない人、 前者の方が評価されるのは当たり前なんだが、若い人の考えは総じて反対のようだ。 これも競争を排除した悪平等教育の賜物か。
努力は必ず報われる、というのは実はウソなのだが、教育の現場でそれを標榜するのは問題ないだろう。 子供に閉塞感を与えないための、嘘も方便というやつである。 しかしその一方で、世の中は競争社会であり、 それぞれの能力に応じて生きる道を模索していかなければならないという現実に、 自ら気付くように持って行かなければならないと思う。



2008年1月31日

昨日から職場に泊まりこみ、朝から晩まで仕事。 夕方、意識が遠のいて部屋のソファーに一時間ほど倒れた(寝てただけとも言う)。 下痢続きで栄養が取れていない気がする。しかし風邪は回復してきた。 忙しい中、気合で無理やり治した感じがしなくもない。 体がダルくても、咳が止まれば断然楽になる。さすがに今日は7時で帰宅した。

最近、値動きもたまに見ているが、だんだんと相場が遠い世界に思えてきた。 市場に流入する資金が減ってしまって、どの銘柄の鞘も片張りも、実需より内部要因主導になり、 もはや自分の戦略では取れる気がしない。 だいたい、どこが買った、どこが売った、で動くような市場はうんざりである。 取組がある程度あれば、参加者の心理が全体として罫線や波動に現れるものだが、 資金が逃げて懐の深さが失われてしまうと罫線も波動もガタガタになってしまう。 そういう意味では、昨年の後半あたりから日本の商品市場はどんどんと変質してきているわけで、 それ以前に有効だったシステムや手法が現在や将来に通用すると考えるのは、楽観的に過ぎると思う。
まぁ、再度参加するにしても、数ある市場のうちの一つという位置付けにならざるを得ないだろうなぁ。 商品を特別視する理由も無くなってしまったし。 今から思えば、商品のオンライントレードが始まった1999年頃から、 改正商品取引法が厳格適用されるようになった昨年くらいまでが、ネットトレーダーの黄金期であった。 規模の縮小とともに市場は再び過去のようなローカル市場に回帰し、 コミッションによる対面取引が有利となって、 今度は情報の入らないネットトレーダーがカモられる時代になるのだろう (既にその兆候はある)。
市場が変わりつつあることは昨年あたりから感じていて、 さっさと見切りをつけて株だのオプションだの為替だのに移行した人は周りにも多かったのだが、 個人的には商品に愛着もあり、今まで何億も儲けさせてもらった恩もあるので、 心情的にも抜けるには忍びなく残っていたのだが、 最後に2億ほど取られた上で叩き出されたので、多分もうこれ以上付き合う義理は無いと思う。



2008年1月30日

体調は相変わらずだ。飲みに行かないので金がかからなくて良い。 仕事が終わらず職場に泊り込み。

システム売買を煮詰めたいのと、オプションの戦略を考えたいのだが、全く時間が取れず。 しばらくは無理だな。

東京に行っている間に読んでいた、久坂部羊「破裂」を読了。 前半は白い巨塔のようで良かったが、大学における派閥、高齢化問題、医者の薬物中毒、 ロマンス、医療裁判、ジャーナリズムの現実、官僚と医師会、などなど、 色々なテーマを盛り込みすぎたせいで後半にかけてダレた感じ。著者は現役の医者だそうだ。 ネットで調べてみると、この本より第一作の方が評価が高いみたい。 登場人物の官僚Sが推進しようとする政策に関しては、 作中に出てきた政策はさすがに過激すぎて受け入れられないだろうけど、 予算配分に濃淡を付けることで現実を変えて行くという程度はアリだと思う。



2008年1月29日

ゲストルームのバスには窓があり外が見渡せる。東京タワーを眺めながら風呂に入って、 natsuzohさんに挨拶してから出発。羽田空港へ。 飛行中、風邪のため耳の気圧調整ができず、耳と頭が猛烈に痛くて困った。 金沢に戻ってきたが、思ったほどは寒くない。助かった。
一旦家に帰ってスーツに着替え、職場へ。 風邪は相変わらず。下痢が止まらず、食べた物が水のようにそのまま出てしまう。 仕事がなかなか終わらず、帰宅したのは深夜1時15分。 どうかと思う。



2008年1月28日

風邪の上に下痢も加わり、ちょっと酷い状況に。今日は有休だが、明日は普通に仕事。 寒い金沢には帰りたくないぞ。

銀行で金を下ろしてメイプルリーフの金貨と白金貨を買った。 経済情勢が不透明なので出来るだけ現物資産に換えておくことにする。 世界中で倒産が倒産を呼び、大恐慌になる可能性も僅かだがある気がする。 食うに困るような状況にならない限り、コインは死ぬまで所持する予定。 田中貴金属に20人くらい並んでいたが、換金売りの人ばかりで新規に買おうという人は自分一人だった。 これで、現所持金から別荘代金と今年払う税金といざという時の為の貯金を引けば、 余剰金はこれから相場を張るための500万のみとなった。 これでもう、物理的に誰にも金は貸せん。
そういや、借金が払えず自殺して保険金で清算すると言っていた知人は、 自己破産して生きる方向で話を進めるらしい。とりあえず良かった。 いくら金が返ってきても、死んで枕元に立たれたら嫌だからね。 それにしても、いざという時に、男は弱く、女は強いものだ。

NONは酷いな。こんな市場、潰れてしまえばいいのに。 まぁ、どのみち時間の問題のような気もするが。 しかし人生で一度くらいはこういう理不尽な目に遭うのも良いかもね。

せっかく東京に来たので、神田の古本屋街へ行ってみた。 しかし着いた瞬間に倒れそうになったのでモスバーガーに避難し、しばし休憩。 ウロウロしていると、乗り物専門の古本屋を発見。 そこでアルフェッタGTV6/2.5の本物の取り扱い説明書(英語)を発見。 おおおおお、何とまぁ、ここに有るべくして有り、出会うべくして出会ったような品物である。 他、70年代から80年代にかけてのカーグラフィック誌でアルフェッタ関係の記事の出てるのを5冊ほど、 あとジウジアーロの写真集なんかを購入。 そのまま歩いて東京ドームに向かおうと思ったが、健康な時なら平気だろうけど、 今この多量の本を抱えていては死んでしまうと思い、ローソンからゆうパックで自宅に発想した。

神田から東京ドームへ徒歩で移動。東京ドームホテルで三日月さん主催のオフ会に参加した。 参加者は、三日月さん、一匹羊さん、スプレッドジェイさん、ケンシロウさん、踏み投げさん、仙一さん、 浅田恵さん、鉄砲一本張りさん、麒麟さん、くるくるさん、自分、の11人。 なかなか盛況な飲み会になった。二次会はホテル43階の夜景の綺麗なバーへ。 一昨日の飲み会と今日のオフ会で、結構新しい人達と知り合いになれて良かったと思う。 昨年春の相場技研の新年会でお会いした人も多かったが、 あの時は色々とあたふたしていたので記憶が曖昧な状態であった。 ともかく、三日月さん、幹事お疲れ様でした。
夜はnatsuzohさんのマンションのゲストルームに泊めてもらった。 ゲストルームは27階で、景色が素晴らしく良い。一人で泊まるのはもったいないなぁ。 natsuzohさん、侍さん、宿泊費まで奢って頂き、ありがとうございました。



2008年1月27日

せっかく東京に来たので観光でもしようかと、日の出桟橋へ。 そこから水上バスに乗って、お台場の船の科学館へ。 やっぱり船はいいね。別の人生を一つ生きられるなら、海運関係の仕事に携わって船に乗りたかった。 ここは船の模型が沢山あって楽しい。特に客船がいい。 それぞれの船に無数の客が乗り、無数の人生があったと思うと、なぜか涙が滲んでくる。 最近、すぐ感傷的になってしまっていかんな。 一角では2001年末の不審船事件のドキュメントがビデオで流れていて見入ってしまった。迫力がある。 今日も相変わらず体調は悪く、階段を上るたびに座り込んでしまった。
ちょうど近くでクラッシクカーフェスティバル・ニューイヤーミーティングが開催されていたので見学。 色々と良い感じの旧車が展示されていた。スバル360が良かったなぁ。

ゆりかもめで新橋へ。倒れそうだったのでドトールで少しウツラウツラした。 ケンシロウ氏と合流して韓国料理の店へ。途中で踏み投げ氏が合流。 弱虫熊さんと合流し、中華料理屋に場所を移動して少し飲んだ。



2008年1月26日

今日からオフ会で東京へ行かなければならないが、完全に風邪を引いてしまった。不覚である。 喉がガラガラで声を出すのも辛い。 最近、急に寒くなったのと、相場に一区切りついて緊張が抜けたのが悪かったようだ。 日曜日はゆっくり休むことにしよう。
羽田には2時半頃に到着。しばらくロビーで本を読んで時間を潰し、オフ会会場の品川へ移動。 7時までスタバで仕事をしてから会場へ。 参加者は、natsuzohさん、侍さん、麒麟さん、季節さん、バカボンさん、なおちゃん、 儲太さん、パプティマスさん、やっちんさん、それに自分の10人。 体調は最悪だったが、やはり相場仲間と会うとテンションが上がって、しんどいのも忘れてしまう。 それにしても、侍さんとnatsuzohさんはオーラが輝いていたなぁ。やはり順調に儲けている人は違う。 自分も順境のときはこんな感じだったんだろうけど、こういうのは自分では気が付かないし、 見上げる立場にならないとわからないものである。
相場に対してかなりモチベーションが上がったが、ダラダラ張っても仕方が無いので、 自分の納得の出来るシステムが完成するまでは再参入はしないつもり。 商品に参入するまでに5年間研究したことを考えると、別に相場をやらないことは苦痛にはならない。 ただ、できれば今後4年間で無税枠1億1500万を使えれば良いんだが、難しいだろうねぇ。



2008年1月25日

夕方まで仕事。ようやく一仕事片付けた。

NON大豆がストップ安で一般大豆がストップ高。とうとう来たか。 資金配分が半分なら乗り切れていたなぁ。悔しい、と思う反面、 今回無事に乗り切れていたとしても、 いずれ何年か後にまた想定外の相場が来て同じ事になっていたに違いない、 それなら今回負けて良かったという思いもある。でもやっぱり凄く悔しい。
いくら無い無いと言われていても、 受け渡しできるNON大豆の現物は有る所には豊富に有るという話を実は事前に聞いていた。 だからこそ仕掛けのペースが速くなり、撤退が遅れてしまった。情報が入るのも良し悪しである。
そもそも、現物筋や大手筋がいつ現物を繋ぐか受けるか引くかで好きに動かせる相場というのは、 一般人にとって恐ろしく不利である。総合的に大衆が損をする方向に誘導できるわけだから、 競馬と一緒で、投資した瞬間に資金が8割以下になるようなもの。 参加すればするほど損をする。まぁ、そんなことは分かっていたことだが。
受け渡しに絡む取引主体の数がある程度以上あれば、 当業者間に競争原理が働いて需給を正確に反映するんだろうけど、 現状の日本の市場ではそんなものは期待できない。 まぁ、インサイダーばかりの株式市場でも儲けている投資家はいるわけで、 まともな市場かどうかというのと儲けられるかどうかは別問題ではあるが。 昔、競馬の分析をしたことがあるが、もし控除が10%なら、 安定して勝てるシステムを作ることは可能である。

それにしても、自分の損なんか、 ソシエテ・ジェネラルのトレーダーが7600億円の損失を出したのに比べたら遥かにマシだな。 トレーダーは自分と同じ30代だそうだ。 それだけのポジションを会社に内緒で持てるってのが凄いが。



2008年1月24日

朝から晩まで仕事。 一面、粉雪が積もって、歩くと舞い上がる。 こっちの雪は結構湿気が少ないんだねぇ。

シンガポール石油製品のガソリン・灯油・軽油・ナフサの価格が2001年9月から、 タイのゴム現物のハチャイ・スラト・ナコーンのUSS価格とバンコク・ソンクラーのRSS価格が2001年1月から、 コーンFOBプレミアムの月次データが1989年からと日次データが2003年8月から、 フレートのBPIインデックスが1998年12月からとPanamaxガルフ−ジャパンが1998年12月から (2002年1月から2003年8月まで欠落)、その他色々なデータを現在まで継続して記録しているのだが、 もう必要ない気もするし、手間もかかるので、どうするべきか考えている。 ウェブにアップして、継続したい人には継続してもらおうかな。



2008年1月23日

とうとう貸付先のうちの一人が破綻確実になってしまったようだ。 昨年12月末期限の分が入金されず債務不履行状態になっていたので、 契約書を作り直し、もう無理を言っても仕方が無いので月2万円ずつでも返してもらうことにして、 一回でも滞れば全財産を差押え、 第三者破産申立をして裸になってケジメをつけてもらうつもりだったが、 そんな悠長な事を言ってられる状況でも無くなったようである。 どこまで本当かわからないが、ヤバい金を運用していて債務超過になり、 金策のためクレジットカードのショッピング枠の現金化までやってしまったようなので、 運用している金の清算が無事に済んでも自己破産は避けられない状況だろう。 自殺して保険金で清算するしかないと言っていたが、 何とか生き延びる方向で考えようと話をした。 銀行口座の金も尽き、このままでは生命保険料の支払いもできず、 携帯電話も2日後に止まってしまって進退窮まるので、最後に10万円だけ貸してくれと言われて、 甘いなと思いながらも貸すことにした。 上手く乗り切ってほしいと思うが、正直、こういう状況にどう対処して良いのかわからなくなる。 もしこれが親とか彼女とか世話になった人とかなら、自分の財産を切り崩しても助けるだろうけど、 そうじゃない場合には、たとえ生死に関わるといっても厳密に線を引くしかない。 そうでないと、全ての困っている人を助けなければならないことになりキリが無いし、 自分の人生が崩壊してしまう。

一般的な話をすると、担保があれば別だが、担保も無しに金を借りるということは、 結局は人間関係を担保にしているわけで、短絡的に言うと人間関係を現金化していることに他ならない。 ちゃんと返済している間は良いが、 不履行になればその時点で仲間とか友人とかいう人間関係は消滅することになる。 人間扱いされなくなっても文句は言えないはず。 金を借りる人は、それだけの覚悟があって借りているのか。 相場の世界、自分の金が無くなれば簡単に人から借りて何とかしようとする人間が多過ぎる。 最低だ。

朝から夜10時ごろまで仕事して、片町へ。 メロンを半分に切って種を取った所にブランデーを注いで、常連みんなで果肉をスプーンで掬って食べた。 やたら美味い。しばらく時間が経つとブランデーがメロンに滲み込んで、 洋菓子のような味に。これはちょっと家でもやってみたい。



2008年1月22日

数ヶ月以内に世界の金融市場が崩壊する可能性が少しあるような気がする。 銀行や証券がバタバタ潰れたら、商品の取引員なんかひとたまりもないだろう。 日本は欧米に比べたら比較的安心かもしれないが、油断はできない。 ひとまず商品の口座からは数十万だけ残してほぼ全額を出金した。 しばらく、いくつかの銀行に1000万以下になるように分けて置いておこう。
母親がシティーバンクに金を預けていたので、これも出した方が良いと電話した。 でもまぁ、シティーバンクも昨年から預金保険に加入しているので1000万までは保証されるが。

志水辰夫「飢えて狼」を読んだ。最初の方がバタバタして呆気にとられるが、 択捉島潜入のあたりからグイグイ引き込まれた。 関連してベレンコ中尉亡命事件について少し調べてみた。

ほとんど金の入ってなかった口座で、先週末に一応コーンの買い注文を入れておいたところ、 15日の後場3節にストップ高で買いが成立し、17日に証拠金不足で強制決済されていたことが判明。 後場3節が終わり、他の口座はすぐに不成立と出て、この口座もまだ成立してなかったので、 不成立かと思ってずっと見てなかった。全然気がつかんかった。冴えん。



2008年1月21日

ポジションは無いが、いつもと同じように相場が始まった。 記録を見返してみると、2000年にホームトレードで相場を始めてから先週まで、 一度もポジションがゼロになったことが無いということに気が付いた。 基本的に、乗り換え乗り換えしながら休みを入れない手法なのだが、 まさか相場を始めてから一度も休みを入れたことがないとは思わなかった。 まぁ、必ずしも休みを入れるのが良いとは限らないが。

それにしても、ポジションと資金が無くなり、猛烈な喪失感に苛まれている。 もっと早めに撤退していれば億の金が残ったのにと後悔するが、 17日の時点でも自信を持って増し玉していたくらいだから、 何億あろうが今の金額になるまで粘ってしまって、結果は同じだっただろうと思う。 もしパラジウム相場の時に本格的に相場を張っていたら、 パラジウム売り白金買いでとことんまで粘って爆死していただろうねぇ。 もうそういうのは好い加減に止めにしないとね。

しかし喪失感を感じる反面、世の中にこんなにも時間というものがあったのかと、 驚きを感じている。やっぱり相場を張っていると意識がいくらかそちらに向くので、 どうしても現実世界の密度が薄くなる。 相場を止めて、時間が薄められたものではなく、原液で流れてくるような感覚がある。 こういうのも、相場を張る上で犠牲にしていたものだと言えるのかもしれない。 おかげで仕事がはかどる。

結局、自分は心の底で相場を止めたかったのだと思う。 金が残る限り止められないので、止める為には大損するしかなかったのだろう。



2008年1月20日

金沢に戻った。相変わらず雪の金沢である。

システム売買の研究を始めた。 これを機会に、じっくりと何ヶ月かかけて堅牢なシステムを開発するつもりである。 はっきり言って、東京ガソリンだけに通用するシステムや、 東京コーンだけに通用するシステムを作るのは簡単なのだが、それでは未来永劫通用するかどうか疑問が残る。 今後は出来るだけ相場には時間をかけたくないので、 利益率は低くても、出来るだけユニバーサルなシステムを作りたいところ。 カーブフィッティングを防ぐためにパラメータは1つか多くても2つだけで、 しかも自動的に最適なパラメータが選択され、 商品でも為替でも株でもそのまま適用できるようなシステムが出来れば理想的である。 とりあえず商品だけで試しているが、 ガソリンとコーンとゴムの3銘柄に対して安定した成績を出すシステムすら難しい。 何となくガソリンとゴムは傾向が似ているが、コーンは少し動きが異質な感じがする。 秋山レシオを使ったシステムは既にあるのだが、石油以外は少々ドローダウンが大きいのと、 日経平均に全く歯が立たないので、改良の余地があると感じている。



2008年1月19日

愛車に乗って、年末に行った千早赤阪の蕎麦屋へもう一度行ってみた。 最近またプロペラシャフトのバランスが悪くなってきてるなぁ。 もうすぐ車検で、他にもいくつか不具合があるし、ちょと診てもらわないと。 晩は焼肉。

彼女との会話が印象に残ったので以下に書いてみる。

「いやー、ここ一ヶ月で2億円ほど損をして、資金をほとんど飛ばして、ただの人になっちゃったよ。」
「ただの人が、アルファロメオに乗ってたり、5000万円の土地を持ってたり、別荘を建てたりしないよー。」
「でもまぁ、現金はあまり残ってないからねぇ。残ってるのは今まで本業で稼いだ分だけだなぁ。」
「普通の人が2chでスレになったりしないし。凄いと思う。 しかも1000まで行って次のも建ってるし(結構チェックしてるらしい)。 なかなか居ないよ、2chにスレを持ってる人って。 それに、借金を背負ったりしなかっただけ良いんじゃないの? 仕事もあるし。」
「本当は、10億稼いでクルーザーを買って、何百億か稼いで先物の会社を買収して、 自社ビルの屋上に日本庭園でも造ってそこに住みながら相場を張りたかったんだけどねぇ。」
「それは、そうならない方がいいと思う。 自社ビルの屋上なんかに住んでたら、社員が飛び降りたり気の狂った社員に刺されたりしそう。 屋上の日本庭園ってそういうイメージがある。 ドラマみたいだけど。それに彼女っていうだけで私が誘拐されたりするかもしれないし。」
「大損して頭のおかしくなったお客さんに刺される可能性もあるかもね。 それに、何百億円となると確かに誘拐も有り得るよなぁ。」
「嫌です。そんなの。」
「でも、これからは何の理由も無くフェリーのスイートに乗ったりとかはできないなぁ。」
「普通は何か記念日とかに乗るイメージが…。でも朝起きたら北海道に着いてるやつは乗ってみたい。 北斗星だっけ? ハチクロで真山が理花さんと乗ったやつ。」
「そうそう、北斗星ね(実はカシオペア)。大阪からだったらトワイライトエクスプレスだなぁ。 札幌から大阪に戻るのは結構チケット取れるんだけど、大阪から札幌はなかなか取れないんだよねぇ。 やっぱり帰りより行きがいいよなぁ。やっぱり相場で稼がないとあかんな。」
「え〜。」
「それにしても、あれだけ減らなかった体重が4kg減ったし、だいたい1kg5000万円のダイエットやね。 たぶんこれ以上高価なダイエットは世界中探しても無いんじゃないかと。」
「それ、面白すぎるんだけど。」

まぁ、相場でいくら損をしようが、今の彼女と付き合っていることに比べたら、どうでもいいことだな。



2008年1月18日

一晩じっくり考え、やはり一度撤退すると決めたにも関わらず言行不一致なのは人間としてどうなのかと思い、 案外ここが人生破滅するか生き残るかの分岐点かもしれないと結論し、 今日、午前中にこれ以上逆行するならば撤退することにした。 結果は油もコーンも安く、一般大豆が引けにかけてストップ安に叩かれるのを尻目にNONだけ高い大逆行。 もう張り続ける気力も無くなった。粛々と仕切り。完全撤退完了。マイナス1200万。

先限のNONと一般の鞘、後場2の鞘31600円で最後の玉を落とした。 これが最拡大だったら最高のオチがつく。 色々と話を聞いていると、かなり提灯も付いてたみたいで、 NONと一般の鞘取りは提灯を合わせるとNONで1万枚〜2万枚くらいになっていた可能性がある。 ポジションを書くのを止めた方がいい(もしく逆のポジションを書くとか、もう仕切ったと書けば良い) という忠告を何人もの人から受けたが、身銭を切ってドラマを演出するのも目的の一つだったので、 これはこれで良かったと思っている。 都合の良いように自己のポジションを糊塗する輩が多いなかで、正直にポジションを書いて、 なおかつ儲けを出すというのを目標にやってきた。 信用というものは金よりも大事で、しかも一度でもウソを書けば、 今まで積み上げた信用が全て無駄になってしまう。 まぁ、そうやって積み上げた信用をどう使うかは、 この商品市場が衰退していくなかで曖昧になりつつあるが。

夕方から大阪へ移動。

相場を始めてから現在までの相場関係の収支を以下に記す。

【収入】
売買利益   2億0500万(税引前)
相場技研収入   1300万(税引前)

【支出】
実家の土地     5300万
相場関係者に貸付 7300万
金貨・白金貨     700万
別荘の土地     1000万
寄付          600万
車関係        300万
税金(相場)     6400万
税金(相場技研)   300万

ということで、一応は勝ち逃げではあるものの、現金はほとんど残らず。 8年間の本業での収入も全て取引口座に入っていたので(銀行預金はほとんどゼロ)、 残っている金はそれなりに何千万かある。しかし、相場で残った現金がほとんど無いことを考えると、 取引員の口座に入っている金はちょうど本業での稼ぎと等しいということになり、 年収と比べると、8年間の間、個人的な贅沢にはほとんど金を使ってないことがわかる。
今後、別荘の建築に1500万ほど必要で、これは本業の収入から持ち出しになってしまう。 更に500万で完全システム売買でもやるつもり。 これ以上は実業で稼いだせっかくの収入を食い潰すわけには行かないので出すつもりはない。 貸してる金がいくらかでも返ってきたら225オプションに手を出してみるつもり。
相場の利益と技研の収入を合わせても8年で割ったら本業以外に年収2700万という感じで、 これなら実業で頑張った方が良かったかもしれない。 まぁ、一生付き合って行けそうな友人と何人も知り合いになれたし、 相場自体も良い経験だったので、自分の人生において無駄ではなかったとは思うけどね。

税金については、年明けに大損して終わるという最低のパターンになったので、 儲けが2億なのに6400万も税金に取られるという状況に。そのかわり無税枠が1億1000万ほど生じたが、 おそらくこれを今後3年で使い切ることは出来ないと思われる。 これでも毎年ある程度の利益を値洗いで持ち越していたからまだマシであるが。

実家の土地が残ったので一応老後は安泰だろう。今は両親と祖母が住んでいるが、 誰も住む人が居なくなれば売るなり貸すなりして、それなりの足しにはなる筈。

微妙なのが貸付金である。金を持っていると色々な人から貸してくれと言われる。 大して面識もない人に頼まれても断るんだが、親しく付き合った人の頼みはなかなか断り辛い。 しかも人によっては、貸してくれないと首を吊って保険金で何とかするしかないとか言い出す人もいて、 憂鬱な気分になる。 そうこうしながら色々な人に貸しているうちに合計すると大きな金額になってしまった。 だいたい、人に金を貸すと、貸した人の相場の調子が気になって落ち着かないし、 せめて貸した分を稼ごうと無理をして相場の調子が狂うし、 返済の約束を破られる度に心に怒りが湧き起こって自己嫌悪に陥るし、 自分は質素な生活をしているのに貸した人間が贅沢してるのを見ると異様にムカついてまた自己嫌悪に陥るしで、 金を貸して良いことなんか一つもない。 返済についても、今は返せなくても最後は保険金で返すからとか言われてまた憂鬱になる。 そんなんで返してもらっても何も嬉しくない。 こんなんだったら現金は全部寄付するか不動産に換えるかドブに捨てるかした方がマシ、 と思ったのも相場が嫌になった原因の一つか。 相場が嫌になるというより、金を持っていることに疲れたというべきか。



2008年1月17日

NON大豆と一般大豆の鞘は28500位に。一般大豆が同鞘なのに比べてNONは当先8000円の順鞘。 これは玉さえ維持していれば鞘滑りで取れるのでは?  などと考えて、割高な先を踏むのももったいないと思い、ささやかだがNON450枚一般90枚まで増し玉した。 我ながら往生際の悪さに呆れてしまう。撤退するんじゃなかったのかと。 今日は前日比マイナス1200万。

昨日から深々と雪が降り積もっている。



2008年1月16日

今日も逆行。マイナス2400万。 恐らくコーンは先限に行くほど高くなると見て、中物を買って鞘の形にしようと思い、 マイナスで寄り付いた9月と11月を合計125枚買った。 しかし実は注文ミスをしていて、9月ではなく1月を買ってしまい、 しかも1月を多く仕切り過ぎてしまって、結局、11月と1月が買い越しになってしまった。 案の定、次節から下げ始めたので、もう全部投げるしかないと仕切って行ったら日計りで大きくやられた。 コーンに合わせてある原油もどんどん下がり、安値で投げさせられた。 NON大豆は6場節に分けて仕切るつもりが、何節かストップ高に張り付いて仕切りが成立せず、 引けにかけて一般大豆が急落し、NON大豆は5番まで下げて先限だけ続伸したので、 さすがにこの鞘は美味しいだろうと、NON415枚売り一般大豆83枚買いだけ残して終了。 この枚数なら、恐らく一日で4000万とかやられることはないだろうから、 別荘を建てる金は何とか残りそうである。現在、鞘が26000円くらいなので、 15000円くらいまで縮小すれば4000万程度は取り返せるだろうし、駄目なら撤収すれば良いだけ。 どちらにしても、もう商品相場には未練も無いし。
相場には、数百万の資金から始めて、最大時で、コーン500枚、NON1800枚、原油1100枚、粗糖800枚、 程度まで建てたこともあり、なかなか面白い経験をさせてもらった。 コミッションとして業界に入って端取ったり現物に絡んだりすれば別の面白さもあったんだろうけど、 そこまで人生かける気もないし。

夜は片町へ。職場の人は、今まさに楽しく一緒に飲んでいる人が、 3週間ばかりの間に2億弱も損をしているなんて知らないのが、ちょっと面白い。



2008年1月15日

想像していた通りの大幅逆行でマイナス4100万。総撤退開始。一日で一億以上損切りしたのは始めてかもしれない。 仕切りは、NON大豆が1750枚中809枚、コーンが460枚中130枚成立した。 それに合わせて相応の一般大豆と原油と石油製品を仕切り。 明日には撤収できると思うが、金が残るかどうかは微妙なところだな。 相場を始めてからの利益は2億以上あるが、現金は実はそんなに残っていない。

民主党がガソリン暫定税率を下げるとか言ってるが、アホじゃないのか?  どんなに税金を下げても原油が高いという事実は変わらないんだから、 国全体で考えれば負担は減らない。減らないどころか、安くなれば需要が減退しない分だけ、 トータルで考えれば負担が増える。こんな小手先の人気取り策を弄するとは。 正常な民主主義のためには政権交代が行われるべきと思っているので、 しばらく民主党に投票するつもりだが、もうちょっとしっかりしてもらいたいもんだねぇ。



2008年1月14日

休みだけど仕事に追われる。忙しい時や相場が曲がるときほど本を読んでしまう。これは現実逃避だな。 まぁ、昔から週に一冊くらいは常に何か読んでるが。 一昨日から読んでた、高杉良「新・金融腐食列島 混沌」を読了。 このシリーズ、どんどん駄作になって行くなぁ。一作目は良かったが。



2008年1月13日

まぁ、今までどんな相場も最後には取ってきたので、 成功ばかりで、一人の人間の物語としてはいまいち面白味に欠けるなと思っていたので、 人生経験としては一度、大負けするのも悪くはないと思う。 一段落したら回顧録でも書こうかな。 相場との出会いから取引手法の変遷、また一緒に相場を張る戦友との出会い、などを振り返って書いてみたい。 相場自体は、500万くらいから完全システム売買でもやるか。 こうなった以上、本業に集中したいので、相場にかける時間は極力少なくしたいところ。 完全システム売買なら、平均して年30%程度の利益は出せると思う。 500万から始めて年30%なら税引後で14年後くらいにはまた億の金になっているだろう。 リアルトレードコンテストに出てみるのも良いかもしれない。
それと並行して225オプションの研究もしないとなぁ。何を利益の源泉とするかというイメージはあるのだが、 具体的にそれをどう売買に落とし込むかというのがちょっと難しい。検証もしないといけないし。

友人と博多駅周辺で昼ご飯を食べ、金沢へ出発。家に着いたら日が暮れていた。



2008年1月12日

昨晩は農務省の発表があり、あまりに怖くて外電を見られなかったが、 現実は受け入れないといけないと思って恐る恐る覗くと、 コーンと大豆が暴騰で原油が暴落、週明けの大幅逆行は避けられない様相を呈している。 とりあえずコーンとNON大豆の売り玉の仕切注文を出し、 更にコーン7月と9月と11月に新規買いの注文を入れておいた。
頭がボーッとするし、胃が痛くて吐き気がする。 人間、精神に過大な負担がかかると、すぐに身体に影響が出る。 例えば、恋の病というのは気のせいではなく本当に胸が痛くなって呼吸が困難になるし、 相場の場合は胃に来る。胃が痛くムカムカして吐き気が止まらず、吐いても吐いても収まらない。 2004年の秋を思い出した。
現在、NON大豆の売り玉が1750枚、一般大豆の買い玉が350枚、コーンの売り玉が420枚、 原油および石油製品の買い玉が200枚というところ。到底無事に逃げられるとは思えないが…。

朝からスタバで仕事。仕事が一段落した後、村上龍「イビサ」を読んだ。 また滅入る話を読んでしまった。しかしこの小説、身を削って書かれた感じで鬼気迫るものがある。 やっぱり村上さんは二人とも凄いな。
キャナルシティーで「アイアムレジェンド」を観た。まぁ、いまいちだなぁ。 まず、人類最後の一人じゃないからキャッチコピーと違うし、納得の行かない点も多い。 しかしこの映画、現在のアメリカの苦悩を表現しているのかもしれない。 自爆テロを繰り返すイスラム過激派、イスラム諸国を民主化しようとしても理解されない孤独、 そうだとしても、それはそれで独善的に過ぎるが。



2008年1月11日

午前中は仕事、午後は岡地福岡支店へ。 廣瀬さんと話をしながら相場を張った。東工取のザラバが延長になったにも関わらず外電速報がそのままで、 曲がっている間はダルくて改良する気が起きなかったのだが、 5時半まで暇だったのでプログラムを直した。
相場はマイナス2300万。そろそろ限界である。さすがに来週明けから撤収を開始するしかない。 岡地ではため息ばかりついていて、廣瀬さんに、ため息つくと幸せが逃げていっちゃいますよ、 と言われた。今は幸せよりもNON大豆とコーンが終わって欲しい。 でもそれは、とりあえずの幸せとイコールか。

場が引けてから、博多駅の近くの陳麻家という店で陳麻飯という麻婆豆腐ご飯のようなのを食べた。 辛くて山椒が利いていて旨い。広島の例の坦々麺みたいに中毒にはならないが。
廣瀬さんと別れ、単身で中州へ。知ってる女の子が店を移ったというので、新しいお店へ。 久しぶりに会えて楽しかったが、相場のこともあり地面が揺れるほど飲んでしまった。 途中、なぜかラーメンを食べ、博多駅近くのホテルへ戻り、倒れるように寝た。 曲がって酒を飲むようでは駄目だね。



2008年1月10日

今日から福岡へ出張。やっぱり福岡の街は空気が肌に馴染む感じがする。

NONと一般の鞘が少しだけ順行して700万のプラス。 とりあえず一息ついたが、助かったのか寿命が延びただけか。



2008年1月9日

明日から福岡へ出張。準備のため忙しい。

今日はマイナス4800万。一日あたりの逆行記録更新である。 大豆の鞘はようやく想定枚数を仕込んだが、逆行が想定以上なので、明日以降、 これ以上逆行するようなら撤退する。 しかしNONと一般の鞘、22000円も軽く突破か。今までの8000円とかの鞘は何だったんだ?  コーンのこの異様な強さも理解し難い。 これだけ東京が割高なら、シカゴを買って東京を売れる筋は儲け放題だな。
何にしても、もう、この相場、取れても取れなくても、商品相場には愛想が尽きた。



2008年1月8日

色々と仕事で忙しい。

相場はマイナス2200万。年始早々4500万ほどやられている。 ドツボに嵌っているなぁ。そろそろ引き際を考えないといけないかもしれない。 もう少し粘ってみて駄目なようなら、金のあるうちに退場すべきだな。 最後がこういう相場なら、未練も残らなくて良い。



2008年1月7日

石油の買いが逆行してマイナス800万。必ず何かが逆行する。何をやっても駄目である。 一般大豆とNON大豆の鞘はとうとう2万円を突破した。ここは増し玉。

東穀ザラバ、酷いな。売り気配と買い気配がこんなに離れてたら、誰も取引する人が居なくなるだろう。 東工の取引時間延長は良いんでないか。24時間取引でも良い。 気に入らない人は勝手に15時半で取引終了して、その後の動きはオーバーナイトギャップと考えれば良いだけ。



2008年1月6日

金沢へ帰還。濃い正月であった。

「椿三十郎」を観た。良かったんだが、織田裕二はやっぱり、いい人で爽やか青年というイメージがあるので、 どうもこういう役には違和感を感じるなぁ。 俺は抜き身の刀だ、と言ってる割には全然ギラギラしてない。 反面、豊川悦司の妖しい演技は良かった。

昨日遭遇した、危険な運転をしているトラックの会社の電話番号をネットで調べて苦情を言った。



2008年1月5日

自分はいつも時計が無くても決めた時間にピッタリ起きられる(酒を飲み過ぎると駄目だが)。 前夜、獣ちゃんは事務所に遅刻しないように7時半に目覚ましをかけると言っていた。 朝、目が覚めたが、目覚ましが鳴る気配も無い。何となく7時半の予感がしたが、 あまりにもしんどくて眠たかったため、目覚ましが鳴ってないからまだ7時半ではないのだろうという事にして、 わざと時計を確認せず二度寝することにした。次に目が覚めて時計を見たら、案の定、8時半であった。
朝食を取り、出発。凍結箇所を通るのに非常にナーバスになっていたが、 陽も昇って少し解けかけていたので、何とか無事にクリア。ほどなく獣王事務所に到着した。
何だか3人で密談したいらしいので、除け者の自分一人で例の怪しい坦々麺を買い出しに出発。 地図を頭に入れて、海方面に向かい、2号線を越えて無事に見覚えのある店に到着。 既に老若男女の中毒患者達がそわそわしながら順番を待っていた。 坦々麺を4つテイクアウトし、今度は別の道で原爆資料館の前を通って帰ってきた。 コンビニでさとうのご飯を温めてもらって、事務所でみんなで食う。 しかしこの坦々麺、美味いんだが、手に力が入らなくなるし、 ビーちゃんは無言でゾンビのように事務所を歩いているし、 やっぱり何かおかしい。また食いに来たいところ。
ようやく手に力も戻ってきたので、帰り道をネットでチェックし、再び3人で出発。
山陽道を走っていると、走行車線も追越車線もそこそこ混んでいるなかで後ろからトラックに煽られた。 そのトラックは自分らの前を走っている車にも煽りを繰り返し、 あわや接触事故が起こしそうな瞬間もあった。 そもそも混んでいれば追越車線で煽られても簡単には走行車線に戻れないし、 それほど速く進めるわけもなく、危険なだけで全く無意味な行為である。 ナンバーと会社名と降りたインターをチェックしたので、電話して苦情を言うことにしよう。
神戸で無事にビーちゃんを家まで送り、第二阪奈道路で奈良へ。 無事に奈良の実家に到着した。今回の旅行では、およそ1100Kmほど運転したことになる。 ガソリン代は8000円くらいしかかかっていない。やはり軽自動車は燃費が良いね。 何よりも、事故が無くて良かった。



2008年1月4日

朝ご飯を食べ、相場をチェック。 今日はマイナス1500万。マイナススタートである。 NON大豆と一般大豆の鞘が2万円くらいまで拡大してきた。 今まで買い越しだったのを、今日でようやくNON大豆5枚:一般大豆1枚の比率に合わせた。

それぞれの町にはそれぞれの雰囲気がある。松山の町は、上手くは言えないが優しい雰囲気がある。 背の高い建物が少ないので、高速道路の高架が空に架かっているような感じがする。 松山港からフェリーで広島に上陸。フェリーに乗ってから、 何も食べるものを買ってないことに気が付いたが、 運転の疲れが出て寝てしまったので関係なかった。
フェリーターミナルから広島駅方面に運転し、ほどなく獣王事務所に到着。 しばらくウダウダしてから4人で出発。広島の道は曲がりくねっていて運転しにくい。 途中、交差点を横切った時に隣の車線に入ってしまってクラクションを鳴らされた。
宮島口の駐車場に車を止め、フェリーで宮島へ。 ライトアップされた宮島に参拝し(閉まっていたので門の所にお賽銭を置いてきた)、島内を散策。 タヌキを発見して睨めっこになったが、何時まで経っても決着が付かないので、こちらが退散した。 紅葉谷のあたりがライトアップされて幻想的である。獣ちゃんが、 ここは自分の庭みたいなものだと言わんばかりに紅葉谷の奥の方に歩いて行くので、 みんなで付いて行ったら、どんどん道が寂しくなってきた。 実はあまり良く分かってなかったらしい。 しばらく行くと分かれ道に出たが、下界に通じていると案内板に書いてある方の道は、 明かりが無く真っ暗である。しかし意を決して明かりの無い道を進んだ。 京都に住んでいたときは、よく懐中電灯も何も持たずに大文字山に登り、 たまに滋賀まで歩いたりしたので、暗い道は全く怖くないのだが、 ビーちゃんは暗い所では全く目が利かないらしく、歩くのに苦労していた。
ほどなく街に帰還。しばらく歩くと「町かど」という喫茶店を見つけた。 みんな凍えそうになっていたので、助かったとばかりに店に入りコーヒーを頼んだ。 店の雰囲気はレトロモダンな感じで、こだわりが感じられて良い。 マスターが、サービス精神旺盛というか話始めると止まらず、 色々な話をしてくれたが、自分はここ数日の疲れでボーッとしてしまっていた。
帰りのフェリーも気になるので、喫茶店を辞去し、フェリー乗り場へ。 乗り場付近で、鹿がカラスのようにゴミ箱を漁っていてびっくりした。 奈良の鹿に比べてひもじい思いをしている印象を受ける。増え過ぎが原因だろう。 適切な頭数管理が必要と思われる。
フェリーで広島に戻り、コンビニで食料と食物を買い、 獣ちゃんの予約してくれた、アルカディアビレッジなる温泉保養施設に向かった。 キャプテンハーロックかいなと思ったが、アルカディアは理想郷という意味だそうだ。 かなり山の中にあり、途中、道路が凍結していて、 一瞬ツルッと滑って、その瞬間だけで3時間運転したくらい疲れた。 何とか目的地に到着し、駐車場でまた滑って嫌になった。
時間が押していたので、すぐに温泉に入り、コーヒー牛乳を飲んでしばし休憩。 そしておもむろに大富豪大会が始まった。 極度に疲れていて何を考えるのも面倒だったし、このメンバーなら適当でいいだろうと、 出たカードも覚えず、適当に出していて最後に2を残して自爆したりしてるうちに負けが込み、 途中から、ん?これはちょっとヤバいぞと思って気合を入れたが挽回できず、 一人負けで終わってしまった。こんな事では相場も先が思いやられる。
朝4時くらいに就寝。事前に、布団を4枚並べて寝る場合、 あやまちが起きなさそうな配置は一通り(逆並びも考えると二通り)しか無いなぁと考えていたが、 ベッド2つ+布団2つという組み合わせだったので余計な心配だった。



2008年1月3日

午前中、なにはともあれ別荘の土地を見に行った。海を見渡せる高台、海岸まで徒歩一分、 横は森、やっぱり良い場所だ。別荘が建ったら、昼間は海を眺めながら本でも読んで、 夜はビーちゃん達と酒を飲み、日頃の疲れを取りたいものだ。
海岸を散歩していたら、何か動物の足跡がずっと続いていた。犬にしては大きい。 鹿か何かかな。まさか熊ということはないと思うが。 ビーチの入り口でビー夫妻と鉢合わせした。 しばらく海を眺めていると、ぷかぷかサーファーが浮かんでいるなかで、 ボードの上に立って箒で海面を掃くようにして水面を移動している人を発見した。 周りのサーファー達と全く異世界の雰囲気を漂わせていたが、後でビーちゃんに聞いたら、 そういうスポーツがあるらしい。ちょっとやってみたい。
午後から建築屋さんと打ち合わせ。建築確認のための間取りを確定し、 屋根と外見はビー宅に合わせる事にし、 キッチンやユニットバス等はカタログを借りて後日決定するということで、比較的すぐに終わった。 以前メールで間取りソフトについて教えてくれた方がいて、事前にフリーソフトで作っておいたので、 ノートパソコンでパースをクルクル回転させたりしながら建築屋さんに見せてたら、 私の方がお客さんみたいですねぇ、と言われた。

打ち合わせが終わり、ビーチまでビーちゃんを迎えに行き、中村を後にした。 ビーちゃん夫は仕事があるため、ここからは3人である。 まずは四万十川に沿って宇和島方面に抜けた。 思えばこの、所によって車二台すれ違えない細い道を通るのも3回目か。 遠く離れたこの土地にこんな感じで関わるようになるとは、不思議なものである。
宇和島を過ぎたあたりからやけに渋滞して宿まで辿り着けるか心配だったが、 何とか間に合った。今晩の宿はログハウスである。 どんどんと山の中に入って行き、道が合っているのか心配になった頃にようやく到着した。 良い感じのご夫婦がやっている宿で、一日一グループ限定なので自分達以外の客はいない。 ログハウスはご主人が5年かけて建てたそうである。 自家製の野菜で作った料理、自家製の椎茸の炙り焼き、 ご主人が獲ったイノシシのシシ鍋などを美味しく頂いた。 その後、薪で焚いた風呂に入って、暖かい布団で熟睡した。 寝るときは暑かったが、夜中、暖炉の火が弱くなると同時に少し冷えて目が覚めた。 やはりログハウスは熱がどんどん逃げるので、 普段住むには光熱費が普通の家の何倍もかかりそうである。 もっとも、暖炉なら薪さえあれば良いが。



2008年1月2日

今日から四国中国方面へ旅行に出発である。実家のミラを借りて大阪へ。 大阪で彼女を乗せて、明石海峡大橋を渡って淡路島へ。 おおっ、サービスエリアに観覧車があるぞ。 サービスエリアでは玉葱ラーメンや玉葱ケーキを食べ、観覧車に乗ってしばし休憩。 夜は夜景が綺麗だろうなぁ。
淡路島から四国に上陸。後からビーちゃんに聞いたところでは、 一旦一般道に下りて徳島自動車道に乗るのが近いのだが、 良く分からなかったのと、一度高速を降りると料金が高くなりそうなので、 高松自動車道を行ってしまった。徳島道と高松道は近い所で3Kmくらいしか離れていないのに、 なんで繋がってないんだろうか。なにか政治がらみの話があるのかもしれない。
ラジオを聴いてたら、槇原敬之が出てて山本シュウとテンションの高いトークを繰り広げていて、 かなり楽しかった。槇原は東京の人かと思ってたけど、トークを聞いてるとめちゃくちゃ関西弁である。 高槻出身だそうだ。かなり親近感が湧いた。
高知自動車道を終点で降り、道の駅で試食したり休憩したりしつつ、 夕方になってようやく中村に到着した。とりあえず宿にチェックイン。 テレビをつけたら、さんまのまんまに井上真央が出てた。 可愛らしいなぁ。そういえばこんな感じの女の子に付き合って下さいと言ってフラれたことがあった。 昔の事なのでもう名前も思い出せないけど。
一休みしてビーちゃん夫妻と合流。居酒屋で別荘について打ち合わせをした。 ビー宅は外観は全部白で統一するらしい。一体感を出すためにうちも合わせようと思うけど、 正直、どういう感じになるか想像がつかない。



2008年1月1日

今年も宜しくお願い致します。

元旦は奈良の実家に家族で集まってお祝い。

今年、読んだ本の一冊目が楡周平「マリア・プロジェクト」。いきなり陰鬱な本を読んでしまった。 良かったが前半と後半のギャップがあり過ぎるのがいまいち。 二冊目が遥洋子「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」。これは面白い。 人によって色々と読み方が違う本だなぁ。



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