虚実 2015/03/23(月) 13:37:01 |
| 知り合いの駄菓子{一般的にスーパーで売ってるような菓子}のドライバーが いるのだが「空気運んで 空気売ってるようなもんです」と仰ってた。
服飾は ともかく実質と離れたところに余りにコストが掛かりすぎる。 これは非常に難点で パターン作成が旧態然としたところが多いことは何度も 書いたけどこれもまた同じだ。
今 素材を保管する{湿度温度一定日光には当たらない}特別な保管倉庫の 必要を感じている。近いうち工事を始めるだろうが費用は70万程度だろう。
70万円を高いとみるかどうか 分からないけどこれは服そのものの品質管理の 為に必要なコストだと思う。高いだろうか?どうだろうか?
確実に必要としても 国内トップモデルの三日程度のギャラと同額程度だ。 今は殆どがフランスに集結してしまったが俗にスーパーモデルと言われる人たちなら一日一万から五万ドルは掛かる。日本国内に連れてこようと思ったら移動費宿泊費食費も別に払わなければならないだろう。
しかも彼彼女らは聞いた話だが超ワガママらしい。約束の飛行機には乗ってこないし 「出来るよ」と言っていたことでもやらせてみると出来ない。 酷いのになると酒だか薬だかでヘロヘロで 転んでステージに靴を投げつけた 人もいると聞いた。モデルと経営者が結婚した話は余り聞かないので 人格的には相容れないもの同士なのだろう。
コストは虚と実があるなら虚の部分だ。スーパーモデルと言われる方たちの アイデンティティは一部では超重要で「一にも二にもとにかくモデルで全てが決まる」という経営者もいる。{つか滅茶多い}一日平均二万ドルとして 諸経費を払って会場{テント}の設営込でたったワンステージで60万ドルは 掛かるだろう。
あくまで現段階だが個人的にはバカバカしいコストに思える。着てくださる 方が「自己中心派」なら スーパーモデルが着てどうのは余り関係ないだろう。一般的には そういったショーがあって その中からバイヤーが選んで 店舗に並ぶ。が将来的にもそうかは分からない。いわゆる「ハコ」の店舗は 世界的にも どんどん減っているのだ。バイヤーが買わないことには売られる こともないので超話題になったものでも実際に売りものにはならないことは 非常に多い。
またもや個人的だが ぼくはファッションショーというのが余り好きではない。作為的に見えるし みえるのは余りに虚の部分だけだ。 それより袖口の仕上げがロック一発なのか、ダブルステッチとジグざく縫いを 組み合わせたものなのか、そういうディティールのほうが気になる。 それなら服そのもの展示会、御足労頂くのもなんだから 直接箱積めにして 代理店に送るだけでもいい。
虚の部分を限界まで削れば 実の部分そのものに惜しみないコストと労力は掛けられるはずだ。他所はどうだか ぼくはそのほうがいいな。 |
人生なげちゃってます。 2015/03/23(月) 03:33:29 |
| 慣れてきた気がする。集中力がちょっとは持続するようになった気がする。 構造設計//** 2015/03/19(木) 21:15:40に書いた「瞑想」と言えるほどの ものかどうかは知らないけど 机に向かったまま仮眠みたいなことが出来るようになった{かもしれない}
「人生投げちゃってます」って人けっこういますけど ぼくの場合と同じかどうかは分からない。人生投げちゃってるのであれば最強じゃないか、と思うのだ。恐怖を感じるようなものが何もなく かといって無意味に威圧的なわけでもない。自然体で余裕を持って取り組めるという意味だ。
ファッション業界{服飾業界というものを極めて表層的にだけ捉えた場合という個人的な造語}に関わったことがないわけじゃない。んだがいつでも逃げれるように出口は確保していたから自分に火の粉が掛かったこともなく 代表者として奉られたり非難の嵐にあったわけでもなかった。
要するに服飾業界というのは ぼくにとって「もっとも恐るべき仕事」だった。服飾業界に携わるというのは「生きて帰ってくるものが誰もいない戦地へ赴く」も同然のことだ。実際 一時的に成功してもそれが長く続くものなど誰ひとりおらず 最後はひょうひょうボロボロになって死ぬのが落ちだ。
長いことうまくいっている人は様々な業種を手がけており 大抵の場合服飾の売上がメインではない。ことアメリカにその傾向が強いが「ファッションデザイナー」というのは「会社経営者」のことを指し、彼らは「実は全く服には携わっていないしメモ書きすらもしない」と公言している。
まあ他所のことはどうでもよろしいが ある意味「人生投げちゃってる」上 とくに怖いものなど何もなくなった今、 ようやく冷静に取り組めるようになった。失敗したところで頭があがらないほど落ち込むこともないだろうし成功しても なんともならん天狗になることもないだろう。人生なげちゃってます。 |
構造設計//** // 2015/03/20(金) 12:49:01 |
| もちょい付け加える。一般的なソフトウエア{音源なども含む}は誰でも コピーすることが出来る。アシュケナージの天才的なピアノ演奏であろうとも ピアノが弾ける必要もなければ音符が読める必要も またピアノすら必要では ない。いかなる高度な3Dレンダリングであろうとも専門的な知識などは不要だ。
しかし服飾の場合は仮にいかなる設計図が流出しようとも同じレベルのものを 作ろうと思えば 同じレベルの機材素材技量が要求される。アニオナ{エルメスのニットはここが作っている}のカシミアのニットを作ろうと思えば最高のカシミアが最低限必要だ。世界最高のカシミアを落札しているのは毎年ここである。
ぼくが思うに あらゆる分野で設計はあるのだが{いかなる設計にも関わっていないと思っている人にも人生設計というのはあるだろう}服飾の設計はもっとも難しいと思う。
数学 物理学 材料学 また流体力学まで精通した人が どこのでもいいが まあプラダ{デザインチーム}の設計した服を見ただけで スっと線を引いて 図面を起こして縫製して つまるところそれは販売力を持つであろうか?
すごく幸いなことに ここのサイトのマスターはその道の大家である。 氏の記述のどこかに「イタリア製のグローブ{手袋}の設計は素晴らしい。 仕上げ 縫製などに若干粗雑なところは散見出来るものの その欠点を補って有り余る設計力がある。」というのを書かれているのを見たことがある。
氏はあえて そういうことを書いたのであろうか?ぼくはそうは思わない。 正直な心情だと思う。
世界的な工業デザイナーが服飾設計に手を出した例はいくつかある。がいずれも失敗して二度と手をだしてはいない。ジョルジェット ジュジャーロさんも 大失敗して敗走しているしルイジ コラー二さんはラインナップすることさえ出来なかった。
ぼくの人生最後のビジネスとして 相手に不足はないぜ。だが毎時間心が 折れる。「もうこんなことやめて安穏とした人生を送ろうか。。」と考える。 がまた気を取り直して始める。過去のことを忘れて次に進む習性というのは 相場で学んだことだけどね。 |
構造設計//** 2015/03/19(木) 21:15:40 |
| ちょと下の日記に補足。 >極論すれば一着でも千着でも それほど手間は変わらない。
設計段階では ということ。ソフトウエアなら元があればいくらでも どころかネットで流出したら食い止めようがないくらいに同一のものが垂れ流されるが服でそれはありえない。
パターンはデジタルで流出する可能性はあるが{現にそういうこともあろうが}パチもの偽物以上のものが作れる技量があるなら自分できっちり創業したまえよ。
設計段階では というのは違うものを千着でも同じものを千着でも手間はそれほど変わらないということだ。
しかし服の販売員をしたことがある人は分かると思うけど
「一点モノと言われるものって売れない」んですよ。マジ売れないんです。 一点しかないくせに売れないんです。バーゲン処分でも売れないくらい売れないんです。また「非常に生産数が少ない」のもかなり売るのは難しい。 「希少品」「レア物」というのは言い換えれば「不人気商品」なのである。
やはり人は孤立するのを嫌うものなのだろう。ある程度は同類がいてほしいものなのだろう。一点しかない印象派の油彩より 数百もプリントされたポップアートのほうが販売力は強い{過去形かもしれないが}
個人的資産の形成にもう興味は無い。銀行残高の上がり下がり 商品株価の上がり下がりに一喜一憂するようなこと、もう一分一秒だってしたくない。んだが見る。なんで見るかってと そういうのに一喜一憂していた過去の自分を嘲笑う為だ。少々皮肉を込めれば現在そういうことをしている人が可笑しくてしょうがない。人生かける程価値があると思えない。
しかし服飾は奥が深い。深すぎる。目眩がする。集中力が続かない。
友人に相談する。
「それはねえ、しょうがないですよ。筋肉トレーニングだって8時間やれったって無理でしょ?寝るしかない。」
「じゃあ二時間ごとに寝ろと?フランス語やドイツ語の勉強しろってのなら 要領がわからんでもないよ。そんなに大きな壁はない。んだけど服飾の本気の設計なんて未体験ゾーンなんだ。初めてコンタクトレンズを目に突っ込んだみたいに あるいは驚くようなものを食べたときみたいに消化不良しちゃうんだよ。」
「そうだな。。多くの人が音楽を聴いたり本を読んだりするのが気分転換になると思ってる。だけどそれはかえってエネルギーを使うだけなんだよ。方法はあるっちゃある。んだけどマスターするのに相当のエネルギーを使うよ。それは瞑想って言われてる方法なんだけど」
もうここまで行っちゃうんですね。瞑想ですよ。瞑想。 |
構造設計 /* 2015/03/18(水) 11:13:28 |
| なんども書くが これは個人的な備忘録であって超自戒である。
下の日記にちょっと付け加える。
*しかし服は{これは意外に認識されていないのだが}いちいち作るものである。
付け加えると「いちいち一点ずつ作るものである。」
人は食べるとき「いただきます」「ご馳走さまでした」という。 ご馳走の意味はここでは深くは書かないが「このひと皿に多くの手間と 血と汗と涙が詰まっている」のだ。
それは服も同じである。縫い糸一本針一本、生地もたとえ三枚千円のヘインズであろうとも 綿花畑でそれこそ本当に血を流しながら摘み取られて生地になっているのだ。
また服はアルミニウムのように溶かして再利用できないことが多い。 ひと針ひと針まさしく真剣勝負なのだ。
多くが服を着るときなんとなくめんどくさそうに適当なんであろうが これからは服を着るとき泣け!とまでは言わんが あなたが着ているその 服は まさしくあなたのためだけに作られ あなたに選ばれ あなたの為に 働いてくださる道具なのだ。多くの多くの血と涙と知力体力を結集して あたなの為だけに作られたものなのだ。
服は本やCDその他ソフトウエアのように元があればガンガン同じものが幾らでも作れるものではない。極論すれば一着でも千着でも それほど手間は変わらない。
ぼくは多くの服を持っているが つくづく軽薄であった。本当に酷い奴だった。実のところよく見ていなかったし 深く考えていなかった。涙が出る。
「幾多の苦労を乗り越え さらに海を渡って ぼくの為だけに来てくれたんだね ありがとう 本当にありがとう」 |
構造設計 / 2015/03/18(水) 03:46:50 |
| たしかに ぼくが作る製品は人を選ぶことになるだろうが プロとして個人的な拘りとかエゴは出来る限り廃するつもりだ。
下記の日記のように既存のパターン制作は個人的には余りに偏見が多いと思うし ぼくのエゴではなく時代に沿っていないと思う。
さらに言うと「毎シーズン次々と新しいスタイルとアイディアを提案したい」という一見もっともらしい考えはメーカーサイドでは支配的だ。
んだがそれもエゴに過ぎないと思う。つまるところ自分の能力を誇示したいだけであって んなこと着る人には関係ないことだ。
例えばぼくは凄く気に入っているボトムもトップもある。古いものであるが未だに好きで良く着る。同じものが欲しい。んだが買えない。買えないんだよ?
「これはもう遥か昔のモデルですから今はもうないです。」ってんなもん オメーんとこの都合だろうが。エンドユーザーでしかも あんたんとこの製品を買えないってどういうこと?「新しいスタイルを提案したい」だかなんだか知らんがんなもん こっちにゃどうでもいい。これが欲しいんだ!あんたんとこの製品だぜ?でも売ってないし買えない。
これがPCだの家電製品ならしょうがない。ああいうのは実のところ他社製品の固まりでメーカーが売ってるのはイメージだけだからだ。
しかし服は{これは意外に認識されていないのだが}いちいち作るものである。確かに生地やボタンなどは全く同じというわけにはいかないだろうが 近いものは あるだろうしパターンは保管されいるはずだから出来ないはずがない。
でもそれが出来ないことがないところでもやらない。それはエゴだ。 出来ないところは多い。それが下記日記に書いた堕落であるがなにからなにまで外注で「自分のとこのタグが付くだけで飛ぶように売れる」と堕落して奢ればなにからなにまで外注一括大量生産、それならそんな注文受けれない。
困ってしまうのは調子づいて努力しなくとも勝ちグセがついてしまうと自分の力と勘違いしてしまうことだ。ある日突然飽きられ見向きもされなくなる。 しかし人件費も家賃もあらゆる経費は容赦なくのしかかる。売上は無きに等しい。それで潰れる。服飾はそういった有為転変の繰り返しである。
ぼくだったら そういう注文があったら大喜びで受けるに決まってる。 もちろん空いた時間でコツコツ作るだろうから時間は掛かるだろうけどね。 |
構造設計 古典偏見個人的 2015/03/16(月) 00:33:57 |
| 忘れちゃならん、これは備忘録だ。覚書だ。
大事なことは先生は年配の方であり 古風、いいふうに言えば「伝統的踏襲」とも言える。事務所にPCは無い。{いまどき本当に珍しいです}携帯電話の 番号は教えてもらったけど「これはスマホっていうのじゃなくて 小さな電話」という解釈をされていらっしゃる。固定電話は無い。音響品なども一切なく事務所の中は俗っぽい音が一切ない。
ここからが一番重要で 超重要で ぼく自身が拘り、いやだれもが拘り望んでいるであろうことに思うのだが{んだから個人的身勝手な拘りではないのだ}伝統的とも言えるパターン作成は ぼくが思うに色々問題が多い。
国内でパターン作成方法というと文化式ドレメ式田中式、あと分派がいくつか、おおむね5つほどしか手法はない。文化式などは数万の人体サンプルから割り出したベストを謳うしドレメ式は曲線を多様したフィット感の優秀さを謳う。
が ぼくが思うのはジャストはベストとは限らないということだ。多くがそれは間違っていると思うはずだ。だが靴を特注したことがある人はピンとくるはず。日本人の足の形は悪い。特注でジャストフィットする靴を作れば潰れた カエルのような無様なものが仕上がってくる。だから将来的には親指や小指の部分が膨れて来ようともカッコいいスラとした靴を好む。新しいうちは あるいは馴染めばジャストじゃなくてもカッコいいのだ。
ぼくはよくもわるくも自己中心的なんだろう。世でいうファショニスタには 「自分は着ないし着ても似合わないことは分かってるけど有名タレントのあの人と同じものを所有したい」という方もいる。しまって出して眺めてまたしまう。飽きたらヤフオクで売る。また「夏涼しく冬暖かけりゃいいんだよ」という方もいる。
ぼくは誰がなんと言おうと好きなものは好き、自分が勝手に気に入ったものがいい。有名であろうが無名であろうが関係ない。「自分が着てサマになっている」とおもえるか?がすべての自己中心だ。それは製品にも反映されるはずで もし ぼくの作った服を気に入って着てくださる方がいらしゃるとすれば 自己中心派だと思う。いい言い方をすれば一本ビッとしたところがある方だ。
だから最大公約数的に割り出す必要はない。思い切るところは思い切ればいい。ためらわず尖った部分はあっていい。{ここの考えのツメが甘いとダラダラと堕落していく。それは多くのメーカーがそうだった}
もう一度 古典的なパターン作成に話を戻すと当然最大公約数的である。 「男性は太く大きく 女性は細く小さい」統計的にそうなのだろうが ぼくが 思うに そんなん無茶苦茶な偏見とも思える。ぼくは大抵の女性より細いし、 身長160センチ体重38キロの友達もいる。統計はともかく そんな偏見がまるで当てはまらない方は大勢みえる。彼は小さく細い身体とは裏腹に通常のLL寸くらいの服をダブダブ着ることを好む。自分が好きで拘ってそういうスタイルを選ぶ。白いファーのコート、しかもダブダブ、白の太いボトムの彼は まるで白くまの子供だ。彼は彼の拘るスタイルに居心地の良さを感じ、遠目からも彼を見つけることが出来る。また おすもうさんのような大きな体型で 堂々たる自信に満ちた女性も見えるのだ。
要するに最大公約数的パターンは最初からそれほど考慮する必然性がない。 「男性は太く大きい 女性は細く小さい」偏見である。また「男性は直線的 女性は曲線的」というのも偏見だ。度合いの差こそあれ男性も女性も曲線的だ。
まだ深くのめりこんだわけではないので将来的にどうなるかは分からないが ぼくの書く線は 直線的なパターンになると思う。パターンが直線的でも 着る方に合わせて曲線的に馴染むように線をひくつもりでいる。
だから先生から教わるパターン作成方法に相当に手を加えなければならなくなると思う。また生地を男性向け女性向けと分けるつもりもない。パターンも 4割強 男女共通にするつもりだ。いずれも線そのものは直線的だが馴染んで その方にあってくるはずだ。
今考えてる作図法はこんなところです。 |
当然自転車で場所を探したのだが{土曜日} 2015/03/15(日) 15:02:11 |
| とりあえずパターン作成の名手の方と話を付けた。先生は来週からいきなりの 講義を希望したが ぼくはなにかと準備があるので 四月一日からにしていただいた。事務所だらけの一帯はまさしく迷宮なので 車を停めて徒歩でウロウロしてたら場所さがすのにどんだけ掛かるかわかったもんじゃない。当然チャリでいった。{毎日行ってる人はいくら迷宮でも余りに普通すぎて場所の説明を第三者にするのが難しいことが多い}
準備というのは アイロンについてである。通常 生地というのは一反が大体13メートル、横幅が122センチ{ダブル幅}なんだけど これを一反洗いを掛けて縮ませる。それに全体にアイロンを掛ける。要するにそれだけの生地にアイロンを掛けるスペースを作らなきゃならない。「洗濯したら目茶目茶縮んで子供服みたいになった」って話はたまに聞くけどそりゃ処理が悪い。
アイロン台っつうと華奢な足のついた小さな物を想像すると思うけど業務用は 殆ど建築物である。ぼくはそこまでしなくても硬い床にシーチングして吸湿させればいいと考えた。幸いその部屋は床は石なのでシーチングすれば業務用よりさらに高品質なものが出来るはずだ。
要するにぼくはパターン作成と縫製は同時に考えている。もちろんアイロン台といっても小さなウマは絶対必要だしミシンの横に置く普通のアイロン台も必要だ。ミシンとアイロンはまさしく一体で考えるべきでちょっと縫ってはアイロン、の繰り返しである。究極はアイロンワークだと思う。 実際ミラノの超一流処ろになると接着芯もパッドも一切使わず、アイロンワークだけでスーツを作るくらいだ。{日本でここまで超最高級は需要がない。}
究極というとオールハンドステッチとアイロンワークだと思うな。 単純にゆっくり縫えば丈夫で着込むうちに身体に馴染んでくる。対極は毎分1500からすごいのになると5000針もの業務用ミシンだ。 パターンだけ国内も国外も共通だがイタリア製と日本製はどこか違うという人がいるけど そりゃあったりまえです。足ふみミシン{要するに超ゆっくり}はイタリアでは未だ現役である。{といっても超高級品に限るが}
分類上ミシンは家庭用と業務用に分けることが一般だけど 家庭用だから質が劣るというわけではない。ミシンは一部例外を除いて妙な付加価値がついて値段が高くなるということが余りない。単純に値段と質は正比例すると考えてそれほど差し支えはない。業務用は機能が単純で速度が速い、家庭用は機能が豊富で品質のいいものなら仕上がりもいい。値段と質はほぼ比例すると書いたが大体20万円クラスのものならどれを買ってもまあ大丈夫。
ぼくは色々考えたが二台の家庭用{コンピューターミシン}と4本取りロックミシンを二台使っている。普通のミシンは上糸と下糸の二つだけど4本取りロックミシンの糸の色替えは大変に手間なので ロックミシンは何台でも欲しいところだ。しりあいのデザイナーは6台のロックミシンを使っているけどまだ欲しいと言っている。
ロックミシンは超便利である。一般的なTシャツだとかスエットなんかならロックミシンだけあれば十分なくらいだ。が個人的には出来るだけ家庭用ミシンの充実した機能を使いたい。ロックミシンに使う糸は若干伸びるし 仕上がりを主観的に見るぶんには惚れ惚れする。が薄汚れて伸びたウーリーの跡は客観的に見ると非常に汚い。糸屑のゴミが付着してるみたいだ。だからぼくは白いウーリーが余り好きではないのだ。
業務用にせず家庭用にした理由は他にもある。業務用をメインに使う人でも 家庭用の豊富な機能を使いたがる。が業務用の単純な機能と小さな おさえ金になれてしまうと使えない。家庭用のおさえ金は大きいので針本を目視できないのだ。要するに家庭用を使い込んだ人は なんのこともなく業務用は使えるけど逆は難しいということ。個人的にも無粋なロック跡より家庭用のジグザグ縫いで仕上げたもののほうが高いデリカシーを感じますな。
どーしてこんなこと書いたかってと 雑誌の付録にもパターンが付いてるのは あるしパターンのDLサイトも沢山あるけど 縫製とアイロンワークで別物って ことです。「パターンが同じなら仕上がりもほぼ同じ」という考えが一般的だけど 全然ちがうよ。
いやあ まさに個人的な備忘録ですな。あとから見て「あのときは。。」とか 考えるかもしれんけど それが堕落して安易な方向へ行かないようにしないとね。 |
相場のことも 2015/03/13(金) 14:41:33 |
| ぼくが値位置だけ見続けて延々買わなかったのは波乱が大きすぎたからだ。 値位置からして下はそれほど無いと考えた人はいようが その値位置まで戻る 保証はない。天井波乱という言葉はあるが底値波乱という言葉はない。 50ドルそこそこでも もしかしたらここが天井圏かもしれんという思いがあった。
いずれにしてもどんどんどん!の三空叩き込みかそれに近いことが起きないと 整理は付きにくいだろう。それは人為的に起こされるかもしれないし自然に起きるかもしれない。50ドル近辺では毎日数千円、大きいと3000円幅の上下波乱があったが 叩き込が欲しいところだ。{つかこれ天井圏の動きだよね。普通に考えれば}
次限月の発会から連休 連休明け数日 ドライブシーズン{ガソリン需要期} は注意深く見ていよう。叩き込みがあるとすりゃそこらへんだろう。 もしなかったら年単位で押し目買い、戻り売りを繰り返して なんかの拍子に抜けることがあればそちらにつく、という作戦。まあ叩き込み買い方総投げがない限り とにかくとにかく死ぬほど上値は重いよ。抜けるっても100ドル越えってことだからねえ。
にしてもジムロジャースの言ってることを鵜呑みにしていた人{原油買い円買い}は かなり大変なことになってるのでは?強いて氏はぼくのタイプで いくつかの銘柄を損切っても 一つで大きく取るタイプだろうからねえ。 あんまり一般的ではない気はする。関係ないが灯油の宅配で 先週配達員の計算間違いで5000円も多くとられていたことが分かって激しくショックである。{数百万の損切りは平気なくせに}どっかで5000円分 浮かしたいな。 |
んで 2015/03/12(木) 12:09:52 |
| 専門学校の線は消そう。多くを見るまでもなく日本での専門学校、生徒 講師設備 すべてにおいて最下層ってのは数少ない例外はあるかもしれないが さしずめそうなるのは必然だ。数多く見るまでもない。
ぼくは小数や分数や些細な生活習慣まで矯正されるような施設に行く必然性もないし さらに「学生」という立場が欲しいわけでもなく{大半が学生という身分を買っている}友達が欲しいわけでもない。単純に技術が欲しいだけだ。
通常は高校卒業後に入る専門学校、ぼくが行ったとすれば奇異に見えるかもしれん。しかしだなあ 服飾業界だぞ。なーんの経済的な基盤もなく極めて成功率の低いところに高校卒業したばかりの子供が行くほうが可笑しいように思うがなああ。{専門学校はやたらと就職率を謳うが 大半はなるのはただの販売員。別に専門学校なんていかなくても誰でも出来る。実際の製作スタッフはすべて外注が主流。社内に囲うことなどあまりない。}
土曜日に個人的に洋裁師の方とのアポを取った。あたりまえだが学校法人でも 就職の斡旋などはない。ぼくが必要なのは技術だけだ。 |
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