(無題) 2009/08/01(土) 19:56:03 |
| 国際通貨基金のHPに、1980年から現在までの各国のGDPがのっている。また、KITCOというサイトには、古い時代からの金銀の平均価格が掲載されている。そこで、各国の一人あたりGDPを金で表したらどれくらいだろうかと思い、計算してみた。2008年の日本の金換算の一人あたりGDPは1375グラムである。2000年には4102グラムであるから、だいぶ縮小したことになる。過去最高は2005年のルクセンブルクで、5662グラム、最低は1987年カンボジアの、1.2グラム(!)であった。レートのせいもあるのだろうが、富裕国と貧困国の所得の差は、むしろ開き気味のように思われる。
7月 ー38640円 |
(無題) 2009/07/11(土) 09:41:54 |
| 外務省の元次官が日米核密約について証言した。もちろん彼の行為は公務員の守秘義務に違反するが、しかしながら外務省がもっと大きな悪に染まっていることを暴いてくれているので、ある意公益通報的な意味があるとも言える。秘密外交そのものは昔からあるが、ふつうこのようなことは、政権担当者の了解あってのことである。しかし今回図らずも明らかにされたのは、密約は歴代の次官の引き継ぎ事項であったが、大臣には必ずしも知らせてないようなのである。こんな行政上の大事な事項を大臣に知らせないというのだから、つくづくなめられたものではある。タナカマキコあたりはたぶん何も知らされていないだろう。 したがって日本国政府は国会に対していけしゃあしゃあとウソの答弁をしていたことになるが、ウソをつくくらいならノーコメントを貫く方がましである。すくなくとも世界の文明国ではそれが常識であり、虚偽が発覚した後のペナルティは途方もなく大きい。しかもウソが発覚しないようにするために文書の破棄まで行っているのだからなにをか言わんや。日本の文書保存状況は、おそらくスターリン治下のソ連以下であろう。スターリンの大粛清は、犠牲者が一桁の数字まであげられるほど、案外記録が残っている。そういう意味では日本の官僚機構を支配する倫理は文明国よりもアジア的専制社会のマンダリンのそれに近い。 |
(無題) 2009/07/04(土) 23:27:05 |
| 世襲議員の定義には多少のずれがあるが、一般に三親等以内の親族に選挙地盤をつがせたのを世襲議員と定義すれば、衆参722名の国会議員のうち衆院事務局によるとおおよそ270名前後がそれに当たるという。しかもそのうち230名が自民党議員である。自民党が世襲制を否定できないのは当然だと思った。ところで『リベラルタイム』(この雑誌もうさんくさいが)は「世襲・旧体質 全国知事一斉点検」と銘打って特集を組んでいる。知事にもそんなに世襲がいるのか知らんといぶかしんで記事を読んでみたが、なんと全国47都道府県知事に定義に当てはまるような世襲知事は一人もいないのだ。唯一藩主の分家の子孫という人がいたが、それとて3世代前に藩主だったわけでもないし、たまたま血筋がそうであるというにすぎない。実際平均的知事は経歴から見ても今の国会議員より遙かに優秀であると思われる。世襲政治家の跋扈による国政の劣悪化は、またしても日本国憲法に定められた議院内閣制に起因すると判断せざるを得ないのである。日本の将来は明るくない。 |
(無題) 2009/07/01(水) 23:32:56 |
| アンガス・マディソン(Angus Maddison)『経済統計で見る世界経済2000年史』(柏書房)は、以前書評をしたかしらん? 過去2000年にさかのぼって、各国のGDPを計算してみせたもので、太っ腹なことに彼のHPにも数的データは皆掲載されている。不変価格で過去と現在の様々な地域の経済水準を比較してみて、其れを一般に人々に示すことに、純粋に喜びを感じているようである。1990年のゲアリーケーミスドルと言う一つの単位での計測結果は、それなりに興味がないわけではない。 ただこの本でいろいろ調べ物をしようとすると、やはり当時の名目価格で表されていないためどうも扱いにくい。結局マディソンのデータは、1990年時点の購買力平価での各国のGDPを、それぞれの実質経済成長率に従って過去に逆算してみせたもので、不変価格を計算するに当たってのデータやウェイトはブラックボックスだし、厳密に言えば物価データやウェイトが異なればそれぞれの「ゲアリーケイミスドルによる不変価格」は、決して比較可能ではない。たとえば1600年の一人あたりの中国の所得は600ドル、日本は520ドルだが、1870年には中国530ドル、日本737ドルであるといい、18世紀末頃に日本は中国を抜いたと推計するが、このような計算はゆめゆめあてにならないであろう。 ということで、マディソンの本は、計算の元となるべき当年名目価格を明らかにすべきであって、それがないために資料価値が半減してしまっている。欧米人はどうしたわけか経済統計を扱うに際し「購買力平価や不変価格」による数値の加工が大好きだが、かならずしも実際の経済力を表すには適切でないし、その当時の名目価格に割り戻せるようにしていないと、当時の歴史史料とつきあわすことが困難になってしまうのがどうにもいただけないと思う。 |
(無題) 2009/06/29(月) 21:49:05 |
| 変動相場制が当たり前になっている現代から見ると、ごく近年の昔のことでも、とても不思議に感じられる。1ドル=360円の相場が、たとえば円だから角度にして360度だろうということできまったなどと言う話など、本当だろうか? 実際の所、だいたい1ドル300円のあたりで決めようと思ったが、少し日本のインフレが進んだので、色を付けて360円としたというのが真相のようである。現代の我々が日々の為替の理不尽な動きに一喜一憂しているのに、固定相場制の時代はこんなにも人為的に、適当に決めることができたのだから、ホントに不思議である。中央銀行が実際にそのレートで交換に応じれば、確かにそのレートになるであろうが、それにしても今とは隔世の感がある。 幕末の時もそうだが、固定相場制の時代は、まず交換レートを「適当に」きめて、おもむろに交易を開始する等というやり方が、結構通用したようである。そのレートが実勢より強いか弱いかで、出超になるか入超になるかがきまり、両国の物価水準が自ずから調整されて、新たな均衡に到達したようである。幕末の場合は、貿易均衡点よりはかなり両安に決定されたから、出超となり、強度のインフレとなった。かりに幕府の主張するレートだったら、幕末は金貨流出と強度のデフレに悩まされたであろう。 |
(無題) 2009/06/28(日) 21:14:28 |
| 幕末の頃、貨幣素材から導かれる日本の金銀比価は1:5であり、国際社会では1:15であった。だから開港と同時に大量の小判が流れ、日本は大損をしたというのが、よく聞く話である。日本は小判一両=一分銀4枚であったのだが、メキシコドルと一分銀の重さから1メキシコドル=一分銀3枚のレートが決められ、1.33ドルで小判1枚が手に入れられた。この小判は外国ではその金の含有量により4ドルで売れたわけである。 もちろん、事前に幕府はそのことを把握していたし、だからこそ1メキシコドル=1分のレートを主張し、事実メキシコドルの半分の銀を持つ安政二朱銀(2こで一分)を発行して、小判の流出を防ごうとした。しかしこれは外国から激しく抗議されて、一ヶ月で撤回を余儀なくされたのである。かくて1ドル=3分のレートが確立したわけだった。 ところで案外知られていないことであるが、開港後、慶応三年頃まで日本は大幅な貿易黒字であった。おそらくサービス収支は微々たるものだし、資本収支は認められていないから、流出した小判を遙かに上回る価値を持つ銀が日本に流入したはずである。 そこで思考実験を試みる。仮に幕府の思惑通り金の価値を基準にして1ドル=1分にしたらどうなるか?ドル建ての日本の物価は三倍となり、貿易はまず大幅な赤字となったであろう。これは結局小判が流出したであろう事を意味する。つまり、どちらのレートをとろうとも、どちみち日本の金は流出したのであり、これは金銀比価からいって必然だったと推定できる。また、金が流出したから「損をした」というのも、貿易の原理からするといささか被害妄想と言うべきであろう。 もっとも1ドル=1分のレートは、最初幕府が試みたが、日本の物価があまりに高くなりすぎて、容易に貿易は行われなかったようである。だからこそ外国公館から非難が殺到したのだ。しかしこのレートであれば、日本は「ゆっくりと」世界貿易の中に入っていけたであろう。外国圧力に屈したもっとも本質的な結果は、決して金が流出したなどということではなく、大幅な両安ドル高レートによって、日本が「急激に」世界経済の中に組み込まれた点にあるのだと思われる。 |
(無題) 2009/06/26(金) 21:50:52 |
| 自民党の政策は現実的であり、野党のそれは非現実的であるという。私もそう思う。しかし、だから自民が半永久的に政権を担当すべきであると思う人は少ないだろう。政権党が「現実的な」政策を提案するのは、官僚を直接使っている立場でもあるのだから、むしろ当然のことであり、常識的な政党であれば、民主党をはじめどの党が政権をとっても、「現実的な」政策を提案するにきまっている。一方野党はそれにたいして反対しなければならない立場にあるのだから、どうしても非現実的になってしまうのは、或程度やむを得ないことのように思う。だから逆説的に言えば、、政策が「現実的」かどうかは、良い政治を求める場合、案外判断基準にならないのではないかとさえ思える。 率直に言えば、「現実的な政策」とは「官僚の政策」なのである。自民党自身が積極的に「年金改革」「消費税引き上げ」「農政改革」を言っているわけではない。官僚たちが、このままでは行政が持たなくなると自民党を突き上げており、自民党がしぶしぶ重い腰を上げて政策としているのである。仮に民主党が政権を取っていたら、民主党が全く同じ政策を提示していたに違いない。もちろん官僚の政策は必要であり、むしろおおむね合理的なのである。このような政策は多くの場合必然的なものだから、案外投票の判断基準にはなりにくいのである。 自民党らしい政策というのは、たとえば「NHKの偏向放送はけしからん」「夫婦別姓はたとえ選択制でも認めない」「世襲議員のどこがわるい」などといったものであろう。民主の政策と言えば「外国人に地方参政権を」などであろうか。政党の違いは、本質的にこういったところに現れるのだと思う。野党を「政策の非現実性」といったことでこき下ろすのは、常に「勝ち組与党」の支持者であり続けたい人にはありがちではあるが、必ずしもフェアではないだろう。 |
(無題) 2009/06/26(金) 10:16:28 |
| 与謝野馨氏が「あの」オリエント貿易より迂回献金があったのは、ちょっと意外な取り合わせで驚いた。大川隆法は与謝野氏は総選挙の半年後に「帰天する」というアレな予言をしたが、今頃は予言が少し当たり出したと得意になっているかも知れない。 世間では民主党有利との報道が流れているが、れいの偽装障害者団体の郵便料金詐取問題もあり、予断を許さないと思う。捜査当局は総選挙中の石井一検挙あたりを狙っているのではあるまいか。世襲議員の多いのは自民であるが、民主に「うさんくさい」議員が多いのは、オレンジ共済事件の新進党の友部いらい、周知の事実である。基盤のない人が一旗揚げようとして民主に入ってくる輩が多いためと思われる。 |
(無題) 2009/06/23(火) 23:49:41 |
| 菅家さんがほぼ再審無罪確定である。「自白は証拠の王」と言うが、捜査段階の自白ほどあてにならぬものはない。裁判における推論はいわゆる「歴史叙述に用いられる推論」が許されるが、歴史でも科学でも、対象を拷問することはないし、「自白」することもないから、ただ事実によって推論するのである。裁判証拠においては、調書は、むしろあてにしてはいけないとさえ感じられる。この間逮捕された厚生労働省局長は、未だ否認しているようであるが、べつに自白など無理にとることもないだろう。 |
(無題) 2009/06/20(土) 11:26:18 |
| 未開社会の人間というと、牧歌的なイメージがあるが、実はそうではないことは、文化人類学者の間では常識である。『10万年の世界経済史』という本によると、1000人あたりの殺人率は米国で0.07人であるが、インドネシアのアチェ族は15、ニューギニアの部族で7前後と、その数値は数百倍にも達し飛び抜けて高い。狩猟採集社会では男性の死亡原因の21〜75%は殺人によるのである。現代社会では、たとえ戦争によってもこれほどの数値に達することはまれであるから、かつて人類がいかに凄惨な殺し合いをしたかが知られよう。このような数値を見ると、一見残忍な古代の専制社会がなぜ受け入れられたかがわかる。気まぐれな王の殺戮でさえ、それ以前の凄惨な殺し合いに比べればましであるからだ。 著者のグレコリー・クラ−クは、未開社会の殺人率がこんなにも高いのは、おそらく彼らは遺伝的に現代人と異なるのだろうと言っているが、これはさすがに間違いだと思う。それはクラーク自身があげているピトケアン島の故事からも明かである。1789年、15人の白人・タヒチ人男性、12人のタヒチの女性が、ピトケアン島という無人島に漂着し、自給自足の生活をはじめたが、13人の男は殺し合いによって死に、一人は自殺して、男は一人しか生き延びなかったのである。確か日本でもアナタハン島に男10数名と女一人が漂着し、その女(写真を見るとかなり醜いという)をめぐって凄惨な殺し合いがおき、最後に原因を作った女を殺そうとしたという話がある。権威ある法秩序がなければ、いつだって殺し合いを始めるのがホモ・サピエンスの性(さが)と見える。 |
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