季節 さんの日記

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(無題)  2009/09/20(日) 11:01:35
  文春新書の東谷暁『エコノミストを格付けする』は、なかなか面白い。東谷は「経済評論家評論家」の定番になりつつある。かれは早稲田の政経の出であるが、アカデミックに経済を専攻したことはないと言うが、なかなかどうして外国の文献もよく目を通している。
 日本の主流派経済学界は、アメリカの主流派経済学者については、いかなる批判もしない。たとえば毒舌で有名な池田信夫は、(彼のキャリアと毒舌故に、日本の経済「学界」に受け入れられているわけではなさそうだが、かれがアメリカの主流派経済学の信奉者であることは明かである)日本の経済学者、エコノミストについては、ほんのちょっと首尾一貫しない点やオールドケインジアン的見解を口にすれば、地底人などと口を極めて批判するくせに、あきらかに首尾一貫しない「ノーベル経済学受賞者」クルーグマンを決して批判しない。
 「ノーベル経済学受賞」という事実を権威付けに評価するのは、消えた高橋洋一もそうで、かれは「マンデル=フレミング理論」はノーベル賞受賞である故に正しいと主張していたものだった。実際の所変動相場制で財政拡大により金利(実質だろうと名目だろうと)が常に上昇するかどうかは事実のレベルで確認できない。90年代日本の例などは、身近に知ることができる明らかな反例である。池田・高橋は歯に衣着せぬ人だから目立つが、日本の主流派経済学者はだいたいにおいて池田・高橋と似たり寄ったりの、アメリカの新古典派=ニューケインジアンを決して批判しない権威主義である。
 であるから、主流派経済学者系エコノミストの主張は、現実の問題を考えるときには、眉につばつけて考えた方がよい。逆に経済学者でも反主流派の小野善康や、現場出身者で新古典派的洗脳をそれほど受けていない山家悠紀夫・菊池英博らの主張の方が、リアルに即していると考えられる点が多々ある。

(無題)  2009/09/14(月) 20:54:35
  最近のワンルームマンションの営業はとみに悪質で、「不動産は買いません」と言ってガチャ切りすると、すかさずリダイアルしてきて、「話も聞かずに切るのは失礼じゃないですか!」などという。職場でもやられたことがある。これを逆ギレ商法というのだそうだが、その不愉快さは往年の先物営業の比ではない。恫喝による押し売り、あるいは「氏ね」などの失言を誘って告発をちらつかせながらの押し売りなのである。この商法をはじめたのは、住友銀行を辞めた元銀行員が立ち上げたワンルームマンション販売会社で、某宗教団体ともつながっているらしいと言うから驚く。政権交代でちょっとはおとなしくなるかどうか。

(無題)  2009/09/10(木) 22:55:59
  群馬の八ツ場ダム中止問題では、地元群馬はじめ恩恵を受ける一都五県の知事が一斉に反発している。中止を打ち出した民主の顔も立つように、このさい、国としての事業は中止するが、一都五県でダム建設のための広域連合でも作ってそれに丸投げすればよいのではないか? そもそもダムというのは恩恵を受ける流域がはっきりと区分けできるのであるから、あくまでその地域の税で建設すべきであって、国費を投入すること自体最小限であるべきと言える。一都五県の住民の税金で作れば誰も文句は言うまい。自然保護団体は不満かも知れないが。

新潮懲りないなあ  2009/09/09(水) 21:45:35
  週刊新潮の9/17号に『中田カウス脅迫嫌疑をかけられた前田五郎手記』が掲載された。手記によれば、脅迫事件の後、カウスに呼び出されて、密室で二人っきりになったところで新聞記事と脅迫文のコピーを突きつけられ、「この字、誰かににてまんなあ」とヤクザそのものの脅しを受けたというのだ。
 仮にこれが事実だとしたら、そもそもいったいカウスは何のために前田五郎を呼びつけたのだろうか? 呼びつけて詰問したいのであれば、カウスは現会社当局の忠犬だそうだし、当時の吉野社長や大崎副社長も同時に脅迫されているのだから、吉野・大崎・顧問弁護士同席の元で前田を呼びつければいいのである。カウス一人でこんな事をしても真実の解明につながらないどころか、逆に前田に「カウスに脅迫された」などと言われてしまうのがオチではないか?
 こんなリアリティのない話を、なんらカウスに取材することもなく掲載してしまう新潮は、まるでブラックジャーナリズムみたいだ。こんなことじゃそろそろ「反社」認定されちゃうよ。

(無題)  2009/09/08(火) 22:52:43
  同じ芸術専攻とはいえ、美大生は必ずしもまじめとは言えないが、ピアノ専攻の音大生は例外なくまじめで、事務員としても使えると言う。なぜかというと、美術系の才能は日々の鍛錬がなくとも或程度維持できるが、ピアノ演奏の腕を維持するためには、毎日一日たりとも休まずに何時間という練習を欠かさず続けることが、絶対的に必要だからだ。ピアノを習ったことがある人なら、1日練習を休めばおよそ3日分腕が落ちることは、皆知っているだろう。
 そういえばピアノをちゃんと弾ける若い女性はほとんど髪が真っ黒である。

(無題)  2009/09/05(土) 10:58:56
  民主党が八ツ場ダムを凍結するそうである。2000億にのぼる金をかけてここまできたのであるから、建設するのが「合理的」なのであろうが、選挙で凍結を断言しているから、おそらく事業は中断されるのであろう。読売あたりは此にずいぶん不満のようであるが、政権発足の初っぱなから公約違反をするのは政治的にも道義的にも不可能で、やむを得ない。昔青島幸男が都市博中止を掲げて知事に当選するや、ただちに多額の違約金を払って博覧会を中止した。これにしてもあそこまで準備したのであるから実行した方が合理的に違いないが、今思い返して都市博をやった方が良かったと思う人は少ないであろう。こういう事は民主主義のコストと割り切るしかない。だいたい将来の水需要予測もかなりの程度「水もの」なのであるから。
 それはそれとして、無駄な公共工事をなくすのもよいが、役所が毎年定期的にやる「イベント」の類も大胆に見直すべきではないか。「国体」「植樹祭」をはじめとして、日本全国にはすでに存在意義の無くなったイベントが無数にある。だいたい農水に多いが、こういう行事の費用はそれに直接かかる金だけでなく、それに張り付く公務員の人件費もバカにならないのである。で、金と時間をかけている割には、現実の意義や効果は不明で、多くは関係者の「自己満足」に終わっているのが実態なのである。

(無題)  2009/08/29(土) 10:52:05
  選挙では、民主大勝が予想されている。櫻井よしこは、真の保守政党でなくなった自民党は下野を覚悟せよとだいぶまえから言っているが、私は今後の保守系論者の身の振り方にちょっと興味がある。というのも、いままでの自民党支持者の中には「自民党が与党であるから」支持すると言う人たちが、かなり多いように思われるからである。つねに勝ち馬につくというのは、右よりの人にありがちな行動様式である。『正論』や『will』が、反権力(笑)の雑誌になってしまうとは、想像もできない皮肉である。
 前回新進党が政権を取ったときは、自民党が社民村山を首相にするという奇策をとって、1年で政権に復帰した。もし1年以上も下野を続けたら、もしかして自民の組織維持は難しかったかも知れない。今回は自民はおそらく、1年以上の下野を強いられるであろう。そうなると自民自身が分裂し、「日本愛国会議」などと言った極右政党が誕生するかも知れない。櫻井よしこは今の自民は真の保守ではないと言っているが、客観的に見て櫻井のスタンスは、保守と言うより外国で言うところの「極右」に相当すると思う。西部邁や渡部昇一や西村幸祐や嫌韓流や日本会議の人たちと一緒に、日本のネオナチでも作ったら、国際的に見てわかりやすい。

(無題)  2009/08/21(金) 20:12:58
  江戸時代の日本は、そのまま孤立していたら、独自に産業革命を達成しただろうか。昔から江戸時代の日本は、西洋にたとえるとどれくらいの発展段階にあるのかという議論があった。江戸時代の発展を高く見る立場からは、イギリスの17世紀ぐらい、絶対王制の時代と見る人がいる。川勝平太は、西欧の絶対主義のころ、日本も又勤勉革命という大きな変化を遂げたと主張し、「西欧と日本の平行進化」と言っている。この「平行進化論」は、他のアジア諸国に対して、封建制の成立等日本だけが歴史的に西欧に近かったという主張で、優越感をくすぐるせいか、今でもどちらかというと右よりの人が主張することがあるが、学界の主流では、だんだんはやらなくなっている。近年ピューリッツァ賞を受賞したダイアモンド『銃・病原菌・鉄』にしてもクラークの『10万年の世界経済史』でも、封建制という概念は全く重視されず、日本は普通に中国や朝鮮とまとめられている。
 しかし一方、西洋人でも江戸時代の日本や宋時代の中国の経済的達成を高く評価する意見はあるのであって、江戸時代がこのまま続いていればイギリスのように産業革命が起こったという意見も成り立つのである。しかしはたしてそうか?私は産業革命による近代資本主義の成立のためには、二つの条件が必要であったと思う。一つは水力利用の高度の発達であり、もう一つは公理主義思考の受け入れである。
 最近、ニュートンの『プリンキピア』の文庫本が発刊された。その内容は公理と定理の導出であって、ユークリッドの原論以来の公理主義思考がヨーロッパに息づいていることを如実に示している。このような思惟こそが真の科学的精神であって、このような思考がなければニュートン力学も微積分も成立し得なかったと思う。であれば、オイラーもなく、工学もなく、近代資本主義もなかったのである。江戸時代の和算家は『原論』をくだらない書物と見なしていた。論証数学の意義を認めず、従って彼らの書物には「証明」がない。もちろん和算という独自の高度な数学が発達したことは日本においても科学的思考のわずかな芽があったと見ることは可能であるが、それにしてもここから近代科学成立までの距離は相当遠く、従って江戸時代に独自に産業革命が起きた可能性はかなり小さく、むしろ数百年と言った相当長い年月にわたって停滞したことであろう。

(無題)  2009/08/19(水) 01:44:25
  アメリカの証券市場で、0.03秒というわずかの情報の早さを利用した超高速取引を禁止するそうである。普通の人間がアクセスできない情報の早さをを利用するのは一種のインサイダーで、不正な取引であるというのだ。私に言わせれば、コンマ秒以下の単位で売り買いすること自体が、もうすでに人間業ではないので、すくなくとも「手動」で取引している人間は全員不利と言うことにもなりかねないと思う。そうなると個人の投資家が直接取引することはもはや無くなり、ただ高速システムを運用するファンドを見極めるだけというのが合理的な選択と言うことになるのだろう。
 ちなみに今ベルリンで世界陸上が行われているが、フライングの基準は、実はピストルのなる前に反応するかどうかではなく、ピストルが発射されてから、0.2秒以内に反応したらフライングになるのだ。なぜなら、0.2秒以内に反応するのは人間業ではあり得ず、「ヤマを賭けた」と判断されるからである。

(無題)  2009/08/17(月) 22:38:49
  斉藤由貴の『卒業』はいい曲だけど歌詞には全く共感しないというコメントにワロタ。たしかにラブソングであることがほとんど前提と言っていい、現代のポップスには考えにくい歌詞であろう。変な歌詞と言えば、梓みちよの『こんにちは赤ちゃん』も名曲ではあるが私には昔から相当違和感がある。なにしろ二人だけの夜のために赤ちゃんよ静かにしてくれと歌っているのだから。『てるてる坊主』の「そなたの首をちょん切るぞ」は子供の頃から知っているし子供らしい残酷さが歌われていて自然であると思う。

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