(無題) 2009/06/18(木) 23:10:16 |
| 6月から、主要薬品のネット販売が禁止された。ネット販売を推進する楽天は、行政訴訟に訴える構えである。確かについ先頃まで、薬を売るのは薬剤師に限られていたし、ためにドラッグストアでは薬剤師が不足して、ちょっとした大衆薬を売るのにも、大学で4年(今では6年である)も専門教育を受けた薬剤師でなければならないというのは、不合理ではないかという意見が渦巻いた。その一方で、「富山の薬売り」のような伝統あるものについては、基準もさして明確でないままに、伝統的業者に無試験で販売を認めているという、妙な柔軟性もあった。 薬剤師のことを古来日本では「くすし」というが、これはすなわち医者そのものであった。つまり医師が調剤師を兼ねていたわけである。一方薬の販売業者は「薬売り」であって、それこそ独楽でも回しながら売る人もあったくらいで、社会的威信は大いに異なり、断じて「くすし」ではなかったのだ。薬剤師は調剤をするからこそ、大学で6年も学んだ上に国家資格を要する専門職なのであって、単なる純然たる販売にそんな資格はいらぬように思われる。大衆薬を売る資格をいかに厳格にしようと、家に持ち帰ればその薬を誰が飲むかもわからないのだから、実際のところ大衆薬の多くは売るだけなら別段資格など無くても良いようにさえ思えるのだが。 |
(無題) 2009/06/17(水) 23:00:09 |
| 傷害団体証明書偽造で厚生労働省局長が逮捕された。以前、外務省の報償費横領事件で室長が逮捕されたときは、危ない書類は自分で起案して自分で決裁していたようであるが、この人も当時課長で権限もあったのだから、後ろ暗い書類はせめて部下に作らせず自分で作るべきだったと思う。起案させず決裁印さえ拒否するとは。女性局長あたりだともう充分出世してるし当然ダブルインカムだし、逃げ切れるからいいが、こんなのにまきこまれてあたら人生を棒に振ったら悲惨である。 |
(無題) 2009/06/13(土) 00:26:14 |
| ここ10年、いや20年ばかり、中央政府では官僚バッシングがかまびすしい。確かに、緑のオーナー制度だとか、すでに存在意義の無くなった国民体育大会をだらだら続けるなどといった、政治の側の監督不足(まあ国体はむしろ政治家が利権化しているためやめないのだろうが)が感じられなくもないが、政治家が官僚の意見を聞かないのが良いというのは、ちょっと違うと思う。実際の所、地方の首長は行政を行うに当たって、地元役人をじゅうぶんたよりにしているし、人間万能ではないのだから当然であり、誰もそれを非難したりはしない。東京政府の官僚バッシングは、多分に議院内閣制の矛盾から生ずるフラストレーションを、政治家が官僚に責任転嫁しているだけのことだと思う。 民主党は政治主導の政治を実現するなどと言って、政務官を大量に政府内に送り込んだりするそうであるが、民主をことさらけなすつもりはないけれど、こんなことをしても混乱が増すばかりで、政治主導とは何の関係もないと思う。大切なことは、大臣がきちんと人事権を持つことである。日本の大臣がろくすっぽ次官の人事権すら持っていないことは、「次官レース」なる言葉が存在することからも明白である。現実に次官になる5,6年前から、なぜか次官の候補者はほぼ2,3人に絞られているのである。5,6年先の大臣は誰になるかもわからないのに(笑) 地方では、副知事レースや副市長レース(最近助役から名称を改めた)なる言葉はあり得ない。なぜならこのような特別職は首長が信任する人を選ぶからである。もちろんいきなり外部から登用と言うこともある。だいたいにおいて部長級以上は首長の意向が最優先である。これは当然のことで、自分が意見を聞き頼りにすべきである人間であればこそ、しっかり人事権を握るのである。これが真の政治主導である。こういうことは、およそ組織で働く社会人なら誰でも理解していることだと思うが、永田町の住人になるとこんな基礎的なこともわからなくなってしまうのが、日本の悲劇なのである。 |
(無題) 2009/06/10(水) 23:24:02 |
| 以前林野庁で募集していた「緑のオーナー」制度で損をした投資家が国を訴えるという。私は緑のオーナー制度を知ったときに、「和牛商法」はもしかしてこれをヒントとしたのかとも思ってしまったが、それにしても日本の材木は確か昭和30年代が価格のピークであるのに、何とも大胆な「オーナー」制度を作ったものだと感心した。もっとも『農協の大罪』を書いた農水省元局長の山下一仁氏によれば、「農水省内では経済学の使用は禁じられている」そうであるから、この制度が破綻してのちのち訴えられるところまでは思い至らなかったのだろう。
5月、証券72,346円 |
(無題) 2009/06/06(土) 11:24:32 |
| 世襲議員の弊害がとりざたされている。世襲は民主もあるが、たしかに自民党に割合が多いのは事実である。案の定自民の世襲議員制限案も骨抜きになった。しかしある意味、世襲こそは保守思想の真髄とも言うべきであるから、保守政党に世襲制限を求めるのは共産党に民主集中制放棄を求めるくらいむなしいことのように思われる。最終的には選挙民の問題ではないか。 |
(無題) 2009/05/31(日) 23:02:16 |
| 板橋の資産家老夫婦が何者かに殺された。犯人は未だ捕まっていないが、現金1000万が手つかずだと言うから、恨みによる犯行だろうか。それにしてもこの夫婦は、地代だけで年収5000万ほどあったようである。一昔前先物では1年に一人あたり300万の手数料を払い300万損をしていた計算になるはずと、たしか岩井俊也さんが書いていたが、たぶんこういう人たちが平均を引きあげていたのであろう。 |
大川隆法、「国師」に就任?! 2009/05/27(水) 22:54:47 |
| 今日新聞の広告に出ていた。国の師匠ってこと? 大燈国師みたいなものか?もっとも池田大作は「庶民の王」と名乗っているようですか。 大川は新党を結成するそうであるが、察するところ「主観的には」公明党に替わる自民党の連立相手になるつもりなのであろう。もっとも彼も「大統領制」(首相公選制のことであろう)の支持者らしいところはご愛敬である。 |
(無題) 2009/05/01(金) 00:34:59 |
| 久しぶりに加藤登紀子の知床旅情を聞く。この歌は森繁久弥が鼻歌交じりに短い時間で造ったと言うが、なかなかどうして日本の歌の中では不朽の名曲だと思う。一説に出だしが早春賦と似ていると言うが、作曲家の團伊久磨はそんなの気にならないし、知床旅情の方が遙かに良くできている、だいたい早春賦もモーツァルトのうれしや五月〜と言う曲にそっくりだと評している。同感である。 知床旅情は即興で作ったと伝えられているだけあって、歌詞も「変種」が多い。三番を「羅臼の村にも」を「知床の村にも」と歌う場合もあるし、最後の「白いカモメを」を「白いカモメよ」と歌うことも多い。もっとも森繁によれば、「私」は「白いカモメ」であり(比喩なのか?)最後は「を」が正しいとの由。 |
(無題) 2009/04/25(土) 10:06:35 |
| 漢検の理事長の大儲け問題で相変わらず揺れている。税制優遇の財団法人が大儲けすることの法的問題が問われているのだが、よく考えてみれば、日本の伝統芸能の家元制度なども同じ問題を抱えているのでは無かろうか。お茶の裏千家など、経済的には相当を資産をため込んでいるらしい。ある意味大久保理事長は「千家」のようなものだといえなくもない。そもそも漢字検定だのお茶だのが、財団法人でなければ実施できないほどの必要性があるのか大いに疑問である。逆にいっそのこと「検定試験」の実施団体は業界団体でなければ、すべて営利法人でなければならないという風にすればよい。お茶もお花も漢字検定も株式会社で大いに結構。それでなお権威を感じる者があれば受験すればよいし、新規参入も相次ぐであろう。 |
(無題) 2009/04/21(火) 21:50:04 |
| 週刊文春に最近の子供の名前が読みにくいと言う記事が載っていた。ネットにはDQNネームサイトなるものもあるらしい。しかし文春にしても例示されている名前について、存在を確かめたものではないらしいし、ネームサイトの名前にいたっては、少し極端すぎて創作くさい。まあ、たしかに昔は見られない名前が増えているのは事実であるが。 昔は「さくら」という名前は(寅さんに出てくるが)すぐ散ると言うことでつけなかったし、「美咲」も身を割くに通ずると言うのでつけなかったようである。ところが近年はこのような名前は普通に見られるし、「ゆな」ちゃんも出現している。逆に今の子には「○子」という名はオバサンっぽく感じるに違いない。まあ、せめて読みやすい名前を付けてほしいものだ。 |
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