とりあえず、やる気は出てきた! 2025/08/05(火) 16:15:12 |
| 『みんなのセンター教科書・倫理』を少しですがコツコツ読み進めていたら、とても気になる箇所があって、昔に買っていた山川の『倫理用語集』で調べたりとか、これまた昔に買っていた飲茶さんの『史上最強の哲学入門』の該当箇所を丹念に読んだりとかしていたら、湯水のようにやる気がモリモリ湧いてきました。具体的には、紀元前5世紀頃(紀元前480〜紀元前410ったら前5世紀ですよね?)にアテネで活躍したソフィスト(弁論家)であるプロタゴラスが琴線にひっかかりました。今まで気づかなかったのか、最近の私の考えである、真理とか真実とか事実とか本質などの単一的に語られるものは、価値観の多様化とともに単一なものではなく複数的なものである、といったものをすでにプロタゴラスは考えていたようです。彼の言う相対主義(人それぞれの考え方、感じ方、判断)「人間は万物の尺度である」によって、万物を貫く普遍的な真理など存在しない!と考えたそうです。人により、場所により、時により、同じはずのものが色々と異なって見える、ああ、パースペクティビズムとか、もしかしたら違っているかもしれませんが、構造主義的と言おうか(まあ違うんだろうけども)そんなことはとっくの昔に「相対主義」として発明されていたんだなと度肝を抜かされました。その相対主義的衆愚政治に疑問を呈した、絶対的な真理とは何かを知ろうとしたソクラテスが現れるのです。
話は全く変わりますが、相場は確かに面白いのですが、完全なるリスクが避けられません。上手い人、賢い人はリスクを極力避ける方法を知っていて、そして実践出来るのでしょうけども、私は特に信用取引でどうしても失敗してしまいます。リスクが避けられません。このリスクのある、ストック型の行動ではないことに情熱を傾けるよりは、実質破産した今の私はストック型の行動に情熱を傾けるべきではないかと、今なら引き返せるなと思っています。今がチャンスです。相場はイデコの投資信託と、NISAの単元未満株による分散投資(本当はここもインデックスなりの投資信託の方が良い)で、持てる時間はストック型の行動に費やすべし!です。
丹念に、丁寧に、コツコツと、本を読み進める。今ならやり直せそうな気がします。 |
自信がなくなってきた 2025/07/31(木) 18:34:36 |
| 大学なんて夢のまた夢。午前中は元気があるのですが、午後から全くやる気が出ません。最初は哲学がどうだとか言っていましたが、専門書を読む努力も続きそうにありません。数学の問題集を繰り返しやるのがコストパフォーマンスの良い趣味なのでしょうけども、これも自分に出来るのだろうか。とにかく自信がありません。なんか、心の底では大きく考えすぎているんでしょうね。なんのことはない、小さいことを日々コツコツやっていけばなるようになるのでしょうね。何も成せなくてもいいじゃないかの精神で生きていこう。 |
相場に関して 2025/07/30(水) 10:34:02 |
| こればかりはリスクが伴うので実に難しく、そして悩みます。10銘柄に分散投資と言っても、そんなことならパッシブ投信に入れておけば、となります。色々と今考えていますが、失敗しても後悔しない選択肢から選び取るのがいいのかなと思っています。一番最初は、投資なんてしている場合ではなくて、高金利の借金を全力で返済するのが筋だろうと思いました。そうすると3年強の借金返済期間が約2年に縮まる計算になりました。しかしながらその2年が非常に長い。空虚な時間に感じてしまう訳です。そうだとすると、一発を狙ってサイバーダインに突っ込んで、あわよくば1年以内に借金完済を目指す、とも考えました。成功したら嬉しいことから選択するのか、それとも失敗しても後悔しないことから選択するのかを考えると、リスクが伴うことから言えば、やはり失敗しても後悔しないことかなと今は思っています。やはり心の中にずっとひっかかっている、逃した魚は大きかった信越化学かなーとかどうしても頭に浮かんできます。NTTはちょっと怖い。少額だからこそ10銘柄に分散して基本に忠実に、というのも捨てがたいです。多分、信越化学を単元未満でコツコツ買っていくと思うのですが、将来どうなるかわかりません。 |
繰り返す挫折もまた人生か 2025/07/29(火) 11:56:01 |
| (かなり長くなりそうです。もしも良ければ最初の方だけでも読んでいただけると嬉しいです。)
再び相場で同じ過ちを犯して挫折した身として、またまた学問と相場で再出発したいと思うようになりました。「宣言」をすることに意味はあるのか?と痛切に思ったりもしますが、宣言をしては挫折をし、そのまた同じ繰り返しもまた人生だろうと、今感じています。毎度毎度、「今度こそは!」という思いでありまして、読者の皆様においては、単なる胡散臭い宣言でしかありませんが、次に今の思いを書いておきます。
安部謹也『自分のなかに歴史をよむ』にあるように、安部先生が恩師から「それがないと生きてはいけないというようなテーマを選びなさい」と教えられた内容を優先して、やはり私は哲学の道に進むべきかなと思っています。進みたいとも思いますが、進みたい分野は理系にもあっても、それがないと生きてはいけない訳でもないので、結局は哲学かなーといった次第です。進むべき、です。
早速、高校倫理の昔買っていたセンター試験対策本をみっちりと読みこもうと思って先ほど少し読みました。プラトンが「善く生きる」と言っているようで、詳しくはわかりませんが、少なくとも直感的に「基本に忠実に生きるべし」という教訓を私の経験から重視すべきだと感じていますので、学問においてはもちろんのこと、相場においても基本に忠実に生きるべし、と実践して行きたいです。少し相場の事を書いておきますと、来年三月までにサイバーダインへ現物で集中投資をしておきたい、と考えておりました。もちろん「今最短の、手っ取り早い」投資先だと踏んでいるからです。しかしこれは基本ではありません。しかもこんな「絶対儲かる」という自分の主観を信じて何度失敗してきたことか、という話です。しかしサイバーダインは本当に手っ取り早く儲かるかもしれない。もしもそうなった時の戒めの為にも?、やはり基本に忠実に分散投資を愚直にやっておきたいと誓います。具体的には単元未満株でコツコツ10銘柄くらいにNISA枠で投資します。基本的には配当太郎さんの主張する、単純に言えば高配当利回り且つ累進配当銘柄にしたいと思います。これでやり始めて、来年三月くらいには15万円くらいの軍資金になっているかと思いますが、万が一サイバーダインが爆発していたとして、その基本に忠実な手法を愚直に維持出来るかどうか。あえてサイバーダイン一択にしないことの意味をこれからずーーーっと考えていきたいと思います。
次に大学ですが、日本大学通信課程の哲学科に、数年後に入学しようかと思っています。哲学演習のスクーリングは、なんとか克服できるでしょう。日大の最大の利点は、通信課程においても大学院があることです。全日制大学の哲学科で言う所の博士課程後期とは違いますが、哲学科において博士課程後期にも進めます。そこは置いておいても、大学院までは進みたいなと思っています。入学時期を数年後に設定した理由は、もちろんお金の面もありますが、やはり学力として、高校倫理と英語は頑張っておきたいのが最大の理由です。「哲学科に進みました。大学院を受けようと思っています。でも高校倫理は勉強していません。」これは何かおかしいと感じます。とまあ、準備をしっかりとして大学へ、と考えています。
決意といったものではありませんし、また挫折してもいいやとも思っていますが、火がついたいまとしては、今度こそは本気です。基本に忠実に、愚直に善く生きます。吐いた唾は飲み込めませんので、先の書き込みも削除しません。それでは出発進行! |
このままだと寝覚めが悪いので 2025/07/21(月) 23:07:04 |
| 私が郵便職員だった20数年前の書留や小包の配達に関して書いておきます。まず速達系は早出の勤務の人間が処理します。で書留系は普通郵便を配る日勤の勤務が同時並行で配ります。その時、速達の書留は、書留の性質が結局は優先されるので、速達と同時に持って出た速達の書留が不在だった場合は、不在通知を入れて集配局に持って帰ります。そして書留系は、配達終了してお昼ご飯を食べて昼休憩が終わった後の営業時間を勘案しつつ、且つ普通郵便の配達具合も見ながら一回で「準不在通知(一旦お伺いしましたが留守だったので夕方17時以降の便で再度お伺いしますという旨が記入されている)」を入れるか、もしくは普通郵便と書留が一通り終わった後にもう一度、準不在通知を入れなかった場合は二度目の呼び鈴を押して回ってそれでもダメだったら準不在通知を入れて遅出の勤務に後を託します。
で遅出の人間は何をしているのかと言いますと、昼前に出勤してとにかく小包を配りまくります。この場合も当然配達量を勘案して、一発で準不在通知を入れるか二回目(要は往復で)で準不在通知を入れるか計算して配達に臨みます。記憶が曖昧ですが、15時頃にお昼ご飯を食べて休憩し、16時過ぎくらいから17時からの夜間便の段取りを考えます。この17時から持ち出す配達物は、普通郵便の配達の便で持ち帰られた書留系、そしてポストに入らなかった印鑑もサインも不必要な定形外(ベネッセの子供チャレンジだけではないけどそれも多い)と後は昼前から自分で配り始めたが結局準不在通知を入れて持って帰っていた小包です。これらがまたやっかいで、17時の出発までに集配局に準不在通知を見たお客さんから「今日の〇〇時以降にお願い」の電話がかかってきたものや、前日、前々日の最終的な不在通知を見て電話をかけてきた再配達のものもまた含みます。でこれまた物量を勘案して、電話の一切かかって来ていない家に一発で最終的な不在通知を入れるのか、もしくは往復の帰り道に二度目の呼び鈴で不在だった場合に結局不在通知を入れるのかを考えたりするだけではなく、当然ながら再配達の電話をかけてきたお客さんが指定の時間前後に一切帰宅していなかったとかもざらで、その場合はもう不在通知をいれられないので、この場合は確実に往復の帰り道に再度寄ったりします。その再配達の時間に不在だった家から集配局に「今帰りました!」と連絡があって、その旨遅出の携帯に内勤から「悪いけど〇〇さんに行ってくれーや」という連絡も入ったりします。もちろんその日の17時以降の便で不在通知を入れた書留系、小包、定形外でも、わがままなお客さんはその日の内にどうしても手に入れたいと連絡をしてきたりして、Uターンしたりとか道順を変えたりとかやりくりします。そしてまた、物量が少ない場合には、往復で集配局まで返ってきてから事後処理をした後、もう一度、不在通知は入れたがこれからお客さんが帰宅されるかもしれないということで更に往復をして呼び鈴を鳴らすこともあります。
本当はもっと苦労していますが、基本的に配達員は配達物を配達完了にさせたいという気持ちが強いです。私の場合は、余程急いでいない時は、且つ居留守がバレバレの場合とか、何やら引きこもりっぽい人はいるとか経験上知っている場合とか、かなり粘って呼び鈴をお客さんが癇に障らない程度に押します。多分2分前後一軒で粘ることもあります。しかし中には客先で粘らず準不在通知や不在通知をすぐに入れて後は他人に託す、という配達員もいます。また、かなり強引な解釈ですが、効率を考えて、一発で不在通知を入れて後はお客さんからの連絡指定待ちにしておいて、指定の日時に他人に行かせるという言い訳をする配達員もいます。細かいことを考えれば、配達員が客先で呼び鈴を押した時、お客さんがトイレに入っているだとか、鍋に火をかけているとか、お風呂に入っているだとか、テレビがいい所だとか、お客さんの事情で居留守を使われることもあると思います。再配達の指定がある場合にでもそんな居留守もあるでしょう。
結局の所、郵政民営化の前段階の郵政公社の時代のさらに前だったと思いますが、準不在通知を廃止して、一発で不在通知を入れるやりかたに切り替わりました。それまでのやり方が過剰サービスだったのかもしれないとも思います。配達人は変わりつつも、一軒の家に一日に最低二回、はっきり言えば二回以上呼び鈴を鳴らしに行く非効率さ?を思えば、一発で不在通知を入れるやり方もあながち間違ってはなかったかなとも思っています。正直に言って、クロネコとか佐川が呼び鈴を粘らないのは、とにかく早く一発で不在通知を入れておいて、連絡が来て配達が確実にできるだろう時に配達をしたいのかなーと想像します。極論、それはそれで車での道順のやりくりが大変なはずなのに、そうしたいということは、余程暇なんだろうなーと思います。もちろん、私のいた集配局のように一日に何度も呼び鈴を鳴らすのも、それだけ暇があるということなのかなと、今思えば感じることです。
とまあダラダラと書いてきましたが、あくまで20数年前の話でした。 |
ただただ悔しい 2025/07/21(月) 12:13:21 |
| もしも私が病気でなかったら、私が小学生の頃の塾のカッコイイ先生が東京理科大出身だったので、私も真剣に東京理科大を目指したかった、というのがあります。又、後で知ったのですが、いわゆる旧帝大出身は絶大なブランド力があるということですので、旧帝大にももしかしたらチャレンジしたかったかもしれません。ただ、高校3年生の頃を思い起こせば、広島大学の理系は、数学と英語以外に物理と化学の二科目必要で断念したのはただの言い訳で、広大の二次試験の数学の問題なんかをチラ見してみると、チンプンカンプンでまるで歯が立たないというか、糸口が全く浮かばないという始末でした。「もし高校三年間、毎日授業を真剣に聞いて板書もして、一生懸命勉強していれば」と後悔したりもしますが、それで果たして広大の数学が解けたか?と言われれば疑問でしかありません。じゃあ山口大、少し背伸びをして愛媛大はどうかと言っても多分無理だったかなーと今でも思います。鳥取大に合格できたのは、二次試験で、確かに英語と物理は実力が出たと思っていますが、数学の最後の大問がなんと二週間前に塾の先生がやっておけと出題してくれた、記憶では立命館大学の赤本のなんと文系!の数学の問題がほぼそのままで出てくれたお陰だったのもあります。
思い返せば、私のいた高校の成績がオール10と思われる人が(何故に推薦を受けなかったのかわかりませんが。それよりも成績の悪い友達が推薦で受かっている)一般入試で落ちている人を二人知っていることを考えれば、いかに広大の一般入試が難しいのかが良くわかります。あの頃に一生懸命勉強していれば、と思ったとて、結局は鳥大レベルなのかなーと思います。東京理科大なんて夢のまた夢かなー。でも、そんな後悔があるので、今でも通信大学に、とか放送大学で、とか思ったりしています。もっとマヌケなことに、進研ゼミをこれから3年間一生懸命勉強して、旧帝大にどのくらいの判定が付くのかやってみたいとか考えたりしています。
あまり深く考えずに、興味のある「主観」について、通信大学の哲学科か放送大学で心理学を勉強すればいいのになーとか思ったりしますが、哲学科は演習の為にスクーリングが絶対に外せないし、放送大学でアドラー心理学を勉強して臨床心理士になったとした所で、精神科医には敵わないのかなぁとか思うとげんなりしてしまいます。最終的には、やっぱり読書をして自分で道を切り開いていくしかないのかな。 |
私が何故に差別発言をするかと言えば 2025/07/21(月) 11:07:50 |
| 私がこれまで精神障がい者として差別されていたから、逆に差別し返しているだけです。目には目を歯には歯をのハンムラビ法典を地で行っているだけです。秋山さんの書いておられる、言いやすい所、やりやすい所、そして攻撃しても攻撃され返せない所に向けて差別しているだけです。私は私のやりたいようにやります。 |
すみません、差別発言に聞こえますが 2025/07/21(月) 10:47:18 |
| 昔はそれだけ郵便配達員の質が悪かった(外務員試験のレベルが低かった)訳です。私のいた特定局の外務員を仕切っていたとある局長代理(今はこういう言い方はしないようです)は、「なんでワシが電話で部下の代わりに客に頭を下げにゃーいけんのんや!」と電話を切った後ほざいたり、私の直接の上司の総務主任(詳しくはわかりませんが、今では多分、課長代理?)に至っては、「なんでワシが部下よりも苦労せにゃーいけんのんや!」とかのたまっていた時代です。とにかく程度の低い配達員が昔は沢山いました。私が営業の出来ない上司を罵倒していたり、早く総合担務は廃止して、適材適所の専担(多分、専門担務)の配達と営業で職員を分けろ、とか言い出したものですから、近隣の特定局では、正に営業の出来ない程度の低い上司に位置する人間からは嫌われていました。あ、ちなみに先ほどの局長代理が電話を切ってほざいた直後に、私は「それがオマエの仕事じゃろーが!」と叫んでやりましたが。当たり前の話ですが、その局長代理は何も言い返せませんでしたが。
とにかく、皆さんに今の郵便配達員について知っておいて欲しいのは、今郵便配達をしている40歳台以上の職員は、かつて営業成績の悪かった落ちこぼれです。そういった連中が今何を考えながら配達をしているのか、それは推して知るべしです。まあそう言う私も、営業成績がトップクラスの上司から、「オマエがそんなに言うんじゃったら、オマエだけでも営業専担にしてくれーと局長に言ってやってもええんで」と言われて尻込みしました。私はただただ、営業の出来る人たちばかりの前向きさに溢れるミーティングに包まれて、気持ちよく営業に励みたいと思っていた訳で、営業の専門職をこれからやれないこともない(新聞の飛び込み営業で培った根性と自信はある)とは言え、病気の影響もあると思いますが、太陽が昇っているお昼に仕事をするというのがゾッとします。もちろん、内勤よりは外勤向けの人間ですので、明日からでもハローワークに行ってチャレンジしたい気もなくもないですが、やはり二の足を踏んでしまいます。
かなり増長してしまいましたが、くれぐれもポストは大きい物にしておいたほうが良いと思います。新聞でも元旦のものが入らないようでは、「ただの無邪気で無能な人」で終わってしまいます。 |
早い話が 2025/07/21(月) 10:13:23 |
| 衣食が足りてない家はポストが小さい、ということです。衣食足りて礼節を知るです。 |
そんな事よりも「ドデカポスト」 2025/07/21(月) 10:06:18 |
| 私が借金をして貧乏になってしまったりしていなかったら、自腹で1万〜2万円?くらいするらしいドデカイポストを買ってきて、玄関先に置いておいて、ポストに入らない物を呼び鈴なしで投函できるように、また印鑑のいるものを置き配できるようにしておきたいです。私が郵便局の外務員だった時代に、半日配達、半日営業というのをやっていました。当時、小泉さんの郵政民営化論に郵政省が抵抗するために、郵便局の「三位一体化論」を提唱していた煽りを受けた、まあカッコ良く言えば肝いりの「総合担務」と言われる郵便局の勤務形態でした。要は、外務員一人が配達なり郵貯・簡保の営業なりで外に出ている時に、お客さんから「郵便・貯金・保険」のどれを聞かれても答えられるように、という名目でした。それで一通りは知っているつもりです。
何が言いたいかと言いますと、配達に関しては、私のいた特定局と規模の大きい普通局とでは、また昔と今でも色々と違いはありますが、少なくともポストに入らない定形外のものや印鑑もしくはサインの必要な書留、小包類は配達員にとって、まともな言い方をすれば負担になっていたし、本音を言えば、くっそ超が1億付くくらいめんどくさい仕事でした。恐らくはほとんどの配達に携わる人間がそう思っていたことでしょう。もちろん私は営業もしていましたから、そんなことはおくびにも出しませんでしたが、最低でも私はそう思っていました。ですから、郵便職員に限らず、クロネコや佐川の配達員が呼び鈴を鳴らして「はよー出てこいや!ボケが!」とか思ってんのかなーとか思うと気が気でなく、「オマエの家のポストが小さすぎるんじゃぁ」とか思ってるだろうなーとか、色々と気を回すとやはり両親には度々言っていますが、ドデカポストは必須です。いわゆる業務委託された、小包一個当たりナンボの世界で働いている方々はよくわかりませんが、少なくとも期間社員もしくは正社員でイチイチ小包一個当たりの儲けが自分の給料にどのくらい反映されるかだとか、有難みがどうのこうのとか、(最初は真面目に思っていましたが)段々といい加減になってきます。
話は戻りますが、先ほどの三位一体論が理解出来ない、つまり営業が苦手か出来ないか、とにかく営業成績の悪い、程度の低い職員は、早い話が配達先で本音を態度に出してしまいます。ただ、問題なのは態度に出すか出さないかではなくて、心の中の本音としては、大概の配達職員が「ポストに入らない物、印鑑かサインの必要なもの」は超めんどくさい(郵便職員の場合は通常郵便、普通ならポストに入る定形外と同時並行で書留系のものを配るが小包は別便)と思っている訳です。
ハッキリと言います。「はよーオマエんちのポストをデコーせーや!」そう思っている職員は沢山いることでしょう。遠くない将来、様々な配達員から局社内で言われる可能性がある、「ポストの小さい家=低学歴の家」は予想に難くないですね。声を大にして予言しておきたいです。 |
|