姉貴募集 さんの日記

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ブルージャスミン**  2015/09/13(日) 19:31:01
 「バーナードが大損したってことは大もうけした人がいるってことだね。」と質問された。鋭い。

「そりゃそうだよ。損するとこ 得するとこ 手数料とるとこ で成り立ってるわけだから。ジャスミンが少々贅沢したって微々たるもんだ。あんな程度、日本のパチスロ店経営者の娘にだっている。」と自分で言って気が付いたのだが

そっからさらに
「バーナードってユダヤ人だね。」と言われる。

損するA 得するB 手数料とるC 実は大根大本は同じだったりすることが多いのだが顧客に大損させたAも すべて儲けているわけでバーナードはすべての罪を背負わされて適当にトカゲの尻尾きりされた、というのが実情かな。

何の力もない ぼくや貴方みたいなのが列強と戦うなら 「手数を減らして奇襲」これしかないね。

ブルージャスミン*  2015/09/12(土) 10:38:36
 「おそらく殆どの人が半分しか理解できないと思う」というのは おごりで書いたわけでもなんでもなくって この映画はバーナード{ハル}のことを描くことについて匂わせてもおらず完全に「語ることを放棄」しているのでぼくが書くことに意味を見出したわけ。

実話では息子さんは自害されているので アレン監督は息子さんの知り合いにインタビューして「あの電話一本のせいで」と度々言っていたのを確認したのではないだろうか。だとしたら息子さんは間違っている。

もし生きていたら「君の親父さんは 金額的に大きいにせよ自転車操業で大クラッシュは遅かれ早かれの問題で引き際を誤っただけだ。」と言いたいところだ。

インデックスファンドでもなんでもこの種は頃合を見て「解散」する。ここはアメリカの信じられない部分だが金を集めるだけ集めて「解散」するのだ。この映画では宝くじにあたったことになっているが、この手の連中が相手にする顧客は退職金だったり年金だったりするので敏腕集団でもなんでもなく実は素人集団なのだ。{宝くじをあてに というのはあり得る}

どうしてバーナード{ハル}が引き際を誤ったのか、という伏線は「女や知り合いのまえでイイカッコしい」だったから、に他ならないしこの映画の幹でもある。ぼくが電力会社の「起こるべくして起こった事に対して無策」と並列させたのは引き際を誤ったバーナードと間違いの質が同じだからだ。
{ただし命が掛かっている間違いを平気で起こした電力会社のほうが罪深いだろう}

よくよく考えると「ブルージャスミン」という映画は ぼく的に「究極的やおい映画」であり{やおい とは 山無し落ち無し意味無し}表面的になぞられる多くの人が考えるであろう「転落したセレブざまーみろ」ではない。ぼくとしてはジャスミンが有り得ないほどチャーミングで嫌なやつには全く思えない。この映画を好きな理由はジャスミンが可愛いからだ。{とあとから気が付いた}

ブルージャスミン  2015/09/10(木) 14:02:26
 アメリカ国内の調査によると「世界で最も偉大な映画人」一位がチャップリン二位がイーストウッド三位がアレンらしい。

そのアレン監督の とびっきりの佳作が「ブルージャスミン」である。しかもひさびさの相場の映画の佳作でもある。

ぼくが観た映画をいちいち評論することに意味などないが、「ブルージャスミン」については おそらく殆どの人が半分しか理解できないと思う。

この映画には致命的な欠点がいくつかある。
んだから ぼくが書くことに多少は意味がある気がする。しかし半分であっても「ワケが分からん」映画ではないので誰でも楽しめるはず。

この映画は金融詐欺史上最悪の「バーナード メードック事件」が題材である。ぼくは前の日記で「アメリカには金融詐欺師とウォルマートのレジ打ちのどちらかしかいない。」と書いたことがあるが この映画は残念ながら二極を描くつもりだろうが二極に見えない。

まずメードック役の「ハル」は記号的アイコンの有名俳優を起用するべきだった。せっかくスタローンがアレンを敬愛してるんだからスタローンが演ずるとスパっとはまったはず。

バーナードはナスダックの元会長で超ハイソ超クリーン超有名であることを最大限活用する手口だったので、どこにでもいそうなおっさんに高そうなスーツを着せたり別荘がどうのといったところでイマイチ説得力が無い。

さらに携帯電話。現代人はとにかく携帯スマホへの意識は異常に高いので 劇中に出すなら最大限気を使わなければならない部分だ。時代背景からして携帯電話を持たせるんなら長いアンテナの付いたバカでかいものにするか若しくは持たせないほうが良かった。

「手始めにパソコンをはじめてみたけどチンプンカンプン」とかジャスミンに言わせても今のアンテナ無しカメラ付きスマホは小型PCであって「携帯は使えるけどパソコンは使えない」なんて可笑し過ぎる。ジャスミンがパソコンを学ぶといってもプログラミングでもレンダリングでもなく ただの使い方である。今は「スマホ」「ハイスペ」という区分けであって基本どちらも同じである。ここの違和感はハンパじゃないので どうかここは割り引いて観て欲しい。ここを割り引かなかったら現代人の大半は興ザメである。

ジンジャーの容姿立ち振る舞い。「先進国では貧困層ほど肥満であり、アメリカは特に酷い」ことは知れ渡っているのでジンジャーの「拒食症レベルのダイエットクレイジー、しかし巨乳、年齢性別不詳の全身整形」はビバリーヒルズにはいるんだろうが ようやく一万ドル貯めるレベルにはいないだろう。マクドナルドとタイソンの食いすぎでデブデブでは絵的にサマにならないってことなんだろうけど いくらなんでもジンジャーは行き過ぎである。

さらに多くの人がひっかかるであろう息子のいう「あの電話のせいで」。
映画を観た人の結構な割合がハルの不倫相手と考えたと思う。そのほうが合点がいく。が恐らくはFBIへの通報である。

追記すると実話は自殺したのはバーナード{ハル}ではなく息子のほうなのだが{バーナードは懲役160年で現在も服役中} 通報ひとつで事件性を持たせるほど単純ではない。書いてて気が付いたのだがバーナードは意図的に自分のパートナーに金融オンチを選んでいたのではないだろうか。

「自分の知名度社会的地位を利用して金を集める」ことは犯罪ではない。
それどころかそうでなくては お金を集める{しかも天文学的}ことなど不可能だ。最初にぼくが「ハル役は記号的アイコンである必要があった」と書いたのはそういう理由だ。

バーナードの手口は集めたお金の最初に約束した利息だけ払い続ける、また新規顧客を得て延々同じように利息のみ払い続けるというものだ。んだが
「元本を返さず利のみ払い続ける」ことも犯罪ではない。またバーナードによって巨万の富を手にした前例も不可欠だ。この映画は残念ながらバーナードのクレジット{信用}が余りにバカな描かれ方しかしていない。

バーナードに事件性を持たせるには検察側と組んだ{事件の当事者でもある}ジャスミンとドロドロ延々のやり取りが必要で電話一本で警察はどうにも出来ない。

これも書いていて気が付いたのだが「起こることは想定していたのにもかかわらず無策」で多数を殺した挙句 反省の色無しの電力会社がいかに罪深いか。バーナードの比ではない。

他にもジャンミッシェルバスキアの絵の取り扱いも、アイロニーのつもりなんだろうが かなり微妙など、突っ込みどころ満載の映画ではあるが それを差し引いても佳作だよ。

「時計仕掛けのオレンジ」みたいに「よう、これからどうする?」ってなもんさね。

第二の故郷だから言わせてもらうが *  2015/09/09(水) 19:10:28
 第三者が聞こえる もしくは閲覧できる状況で特定個人を根拠のない誹謗中傷をすること はバリッバリの名誉毀損である。

あんまり見たくなかったのだが ねこじいさんはネット上ではほぼ完全に犯人扱いされていたようだ。噂の発端はどこか、推測は付く。東京都ならあんな感じ いっくらでもいる。

山田容疑者は「あからさまな弱者を苛める」卑劣なやつだったようだが
ねこじいさんを犯人と決め付けた おめーらも同類だ。恥を知れよ。

彼が「山の手に住む大金持ちだが 好んでみじめったらしい素振りが好き」な人だったらやるまいに。あからさまに苛めてもやり返せない相手と にらんだ上でネット上でありもしないこと、あったとしても取るに足らないことを理由に犯人扱いしてたんじゃねーのか?同類だわ。

ねこじいさんは表に出さないにしてもどれほど苦しんだろうか。例のオリンピアデザ公は「これ以上の誹謗は人間として耐えられない」だとよ。くっだらねー。ただ単に「PCで平面構成する世の中になって、使うソフト使う機能が似てくるから仕上がりも似てくる、誰に頼んでも似たようなものだろうが強いて名前の通った人が選ばれた」ってことだろ?書いてるのもバカバカしいくらいくだらねー。

ねこじいさんが これを読んでいる可能性は低いだろうが あなたは場合によっちゃ第二の袴田事件の犯人になっていた可能性だってなきにしもあらずだった。あの辺にゃ人権派弁護士とやらがわんさかいるから 数人やりかえしてやったらどうだ?人生本気で戦わなきゃならんときはある。

第二の故郷だから言わせてもらうが  2015/09/08(火) 15:48:13
 実を言うと ここのところずっと体調が悪かった。

原因は あの寝屋川少年少女の惨殺事件である。事件が起こってから寝ても一時間くらいで目が覚めてネットをチェックしたくらいだ。

場所からして さかきばらせいと事件みたいな意外な展開も予想した。なんで場所かっていうと ぼくは11年間くらい引越し6回くらい兵庫大阪辺りは住んでいたので土地勘もそれなりにあるが それ以上に空気感みたいなものを知っているからだ。

さかきばらせいと事件の時も最初の目撃証言から割り出した犯人像や犯人と思われる人物の絵は「黒いゴミぶくろを鞄代わりに持った だらしなく伸びた汚い髪の猫背の浮浪者 年齢40から50」だった。実の犯人はご存知の通りである。

そもそもなんでこんな似ても似つかない真逆が「犯人像 目撃証言」になってしまったのかも あの地の空気を知っているぼくには想像が付く。とにかく真犯人が挙がるまで落ち着かなかった。名古屋から距離的に丁度いいこともあって今でも米原から大阪方面は頻繁にドライブに行くのだが真犯人が挙がるまでは それはやめようと思った。

「同じマンションの住民だなんて知らなかった。」らしい。

ははあん。あの地ならではだなと思った。東京なら いや名古屋でも京都でもそうだが住む場所、止まる駅によって家賃は大きく違う。が兵庫大阪辺りは家賃の差は劇的というほど違わない。むしろハイソな場所のほうが安いこともある。{家賃は大家さんが設定するので}吹田のボロアパートから夙川の新築に越したとき新築にも関わらず同じ広さなのに後者のほうが家賃が安かった。

なんであの地ならではと思ったのかというと家賃は大差ないくせに居住者の地位や年収 世評によって行政が強制しているわけでもないのに同水準が固まる傾向がある。うそだと思うのならあの辺りのあらゆる電鉄に乗ってみれば分かる。歩いても何分も掛からないのにまるで電車内の人となりは違う。

全国的にトップクラスの高校やら そこを無意味に推す親御さん、それにむらがる業者{塾経営など} やたらと高い物価{たしか西宮あたりって全国一ガソリン小売価格が高かったはず} 意外に知られていないが立ち並ぶ大少の工場、さらに同水準が固まって生活する傾向があるとはいうものの横の繋がりは全くない。独特の狂気が蔓延している。だから「同じマンションとは知らなかった」というのは納得できた。「人情味ある街」だなんてだれがいったんだろ?異常な一体感があるのは阪神タイガースの応援だけ。

個人的には オリンピアデザ公のことなど どれほどえぐってもいいから その分あの犯人を疑われることを覚悟の上で行動した「ねこじい」に最大の賛辞となんらかの栄誉を称えるべきだと思う。彼が東京都民だったら疑われたか?せいぜいミュージシャンくずれだの役者志望のフリーター程度だろう。大手家電メーカーの大リストラでどうの以前、神戸に取引所があったころより前から 異様な狂気は蔓延していたよ。同水準{と思っている人たち}が固まる割りに足を引っ張り合う。

あと店先に赤旗だの新興宗教のパンフレットを置きまくる習慣もやめたほうがいいと思う。「こういう信念がある自分等は偉い、お前等はバカだ。こっちへ来い」って暗に言ってるも同然だし それも完全に差別意識だからね。

ねこじいさんは「寝屋川は死んだ」みたいに言ってたけど あなたを称えることで生まれ変われる気がする。

うううう うまい。。いい。  2015/09/03(木) 00:04:13
 このことについて書かずにおれなくなった。多くの方にとっては「なにをいまさら」かも知れないが「孤独のグルメ」。もうめちゃめちゃ面白い。

原作者の久住昌之氏については ぼくがほんの子供のころから知ってる。ふざけているように見せかけて凄い知性と作画家への深い敬意を感じた。

氏は「日常の些細なことでも演出によって素晴らしいものになる。スタンリーキューブリックの影響です。」というようなことを対談で答えていた。
推測だが「とりあえずビール」って言葉を記号的に独立させたのも氏じゃないかな。

一生涯「完全に演出されたリアリズム」を追及したキューちゃんであるが、これは元はキューちゃんの考えではない。キューちゃんの数少ない対談記事によると「自分にとって最良の本はプドフキンだった。氏の本は単純だ。
麦を刈る少年、これを演出次第でどれだけ変わるか、内容はそれだけ。麦を刈る少年、これだけなんだ」

これも推測だが久住昌之氏も通りがいいからキューちゃんを出したんであって実はプドフキンじゃないかな。「麦を刈る少年」の演出。

「孤独のグルメ」も「飯食うおじさん」だけである。しかしめちゃめちゃ面白い。映画好きのぼくとしては実写ドラマ版のことなんだけど。

「でもあれって松重豊さんの凄さでもってるようなもんじゃん」って意見もあるだろうし それはぼくもそう思う。チョイ役で重鎮俳優が何気に出ているのも「松重豊さんがいるから」だろう。でも度外れて制作費が掛かってるわけじゃない。当然オールロケ。莫大な制作費を掛けなくたって素晴らしいことは出来るのだ。全員の熱い相互敬意を感じるところも嬉しい。

「もう生きる気力もない。したいこともない。消えてしまいたい」なんて言ってる人は是非「孤独のグルメ」をみることを勧めるよ。「食わずに死ねるか!うおおお!」って生きる気力が みなぎること請け合いだ。

ああいうのを本物の良作っていうんだろうな。ぼくだけかもしれないけど 「おいしんぼ」とか「ザ シェフ」とか料理ものの佳作は数あれど「食わずに死ねるか!」って人間の本懐がマグマのように吹き出ることはないもん。

「ポジティブなバイブレーション」まさに「孤独のグルメ」にはある。
だから生きる気力が失せてる人 そうで無い人にも最高最良!

まだいる胡散臭い輩に騙されるな!  2015/09/02(水) 08:35:45
 まえに書いていた芳名録の引き出し方が分かった。
http://akiyama.net-trader.jp/whoswho/view.cgi?res=090302072731

それなりに面白いことも書いてはいる気もするけど やっぱ相場の話はすぐに風化するね。個人的には書くに値しない。なんらか まとめる機会でもあれば相場のこと云々の大半 ばっさり切ることになるだろうな。

当時一時期、なんでかアクセスを気にしていたことがちょっとあって、
超短文で相場でいくら稼いだ、損したが一番食いつきがいいことに気がついて書いたことがある。どうでもいいことだな。個人的には。

もともとぼくは読まれることを想定していなくってあくまで備忘録であり、「三行以上読めない」人にはスルーしていただいて結構、オツムがツイッター脳になっちゃった人は「居酒屋NOW」とかいう書き込み{ああいうのはだからなんだというより、だから私は充実しているといいたいのだろうが それをネット上の架空名義で書くことに何の意味があるんだろう}でも読んでろ、ぼくのはそういうのじゃないし長文{これが長文ってほどか?}にするときは あえて余り読んで欲しくないときに意図的にすることもある。

それと これが一番大きいんだけど今の若い人と相場の話は出来ないです。ホールドするスパンが短すぎる、スケールが小さすぎる、また{恐らくはネット上の詐欺師どもの情報でも見て}変に洗脳されちゃっている等。

これは昔も今も変わらないけど

弱い人って「相場の流れは毎日毎時間ころころ変わる」と考える。

逆に強い人は「一時的な上がり下がりはあれど一端できた流れは簡単に変わるものではない」と考える。

もっと強い人は流れを見定めたら値段すら見ない。「タダになる」と言って値段も見ずに売りまくるし「青天井」と言っては値段も見ずに買い捲る。

若い人に相場のアドバイスをしようものなら翌日ちょっとした変動があれば怒られる。だからぼくは強いて言うなら「金の現物買ってホールド んだが確実ではないぞ。タダにはならんけどな」と言っておくことにしてる。

多分にもれず ぼくもずーーっと原油製品買いを見計らっている。遅くとも
6月中旬には買い始めるつもりだったのだが 結局一度も大きな整理商い{三空叩き込み等}が起きず、触れ幅が大きいまま{天井波乱という言葉はあるが底値波乱という言葉は無い}だったので未だに買い始めていない。

まだまだ時間掛かるだろう。それに出来高が薄すぎて長期ホールドしようにも60営業日くらいが限界。灯油需要期にも余裕でスルーされそうなので買い始めるとしたら早くて来年春先、もっと先か。その時場合によっちゃ10ドルであろうと100ドルであろうと上がると思ったら買います。問題なのは値位置じゃなくて30営業日くらいでどれだけの幅がとれるか、ってことだからね。

ぼくのみたゆめ  2015/08/29(土) 11:52:58
 ぼくは結構 悪夢を見ます。意外に冷静に「今夢をみてるんだな」という実感があって「もうちょい続きをみてみよう」って感じで楽しんで悪夢を見るんですがこれには意外な効果がありまして 翌日にはかつては恐怖を感じていたことが無くなったりします。

んが昨日見た悪夢は各別でした。そもそも「今夢をみている」とは思えず 完全にリアルに感じました。これは初めての経験です。 その中で意外に冷静な自分がいました。臭いも色もすべての感触があるんです。

さて夢の話の続きです。刑務員は執行担当以外は全員女性で とても事務的で上からの命令を粛とこなすだけです。ぼくは処刑一時間前に知らされます。弁護士だの裁判だのはありません。いきなりです。「歴史ってのは 無実の罪で処刑される人による部分もあるからなあ」くらいに感じて特に動じるとかやり残したことがどうのとか家族がどうのとか思いませんでした。

かすかに女性刑務員の影口が聞こえます。「あの人なんで処刑されるか知ってる?脱税よ。しかも自分がいくらくらい稼いでいていくらくらいの税が掛かるか殆ど把握してなかったんだって。滞納額は笑えるくらい少ないのよ。」

これはぼくの個性をとても反映しています。今までの少ない人生経験においても臨終の間際までお金の心配をする方が大半でしたが ぼくはこの期に及んでだからなんだくらいに思いました。

粛清の決まった人たちが8畳ほどの牢に入れられていて ぼくもそこにいれられる。男性はインテリっぽい人ばかりで 女性はチャラい感じ、人によっては娼婦っぽい。ぼくは女性刑務員に全身の写真を撮られる。どういうわけか背中に大きな刺青がある。ぼくは刺青を入れたことはないので寝てる間に油性マジックかなにかで描かれた識別コードみたいなものだろう。

女性刑務員二人に両腕を掴まれて ぼくは刑場に連れて行かれる。牢にいる男性は前を向いたまま微動だにしないが 粛清の決まっている女性は泣きながらぼくに握手を求めてくる。ぼくは刑務員二人に目をやる。彼女らはちらっとぼくを向くなり前を見据える。「見て見ぬふりをしてやる」という意味だな、と分かったぼくは 握手を求める彼女ら皆に握手をして言う。「怖いことなんてない。また会おうぜ!」

処刑の方法は絞首刑なんだがちょっと変わっている。進化型とでも言おうか。処刑される人は まずその様子を見せられる。「こういう風にお前は殺される」という意味だろう。一般的には全身を猿轡にされ目隠しをされる。ここまでは同じ。だが突然床が割れてどーんと落ちるという仕組みではなく二段構造になっている。一段目が割れるとクレーンで荷物を降ろすようにゆっくりと下がっていく。二段目が割れるとどーんと下に落ちるという仕組み。

いきなり どーんだと体重によっては本当に首が切れてしまうことがあるそうでそうなったんだろう。淡々と支度をされ首にロープが掛けられるが気にもならない。早くしろ、くらい。一つ目の床が割るとゆっくりと下がってくが体重が軽いためか何かべつのことが起こっているのか知らないが首に負荷は全くない。

二つ目の床が割れてどーんと下に落ちても 首になんらの負荷もなく ぶらぶらしているだけ。理由は分からない。そうあってほしいという願いがあったわけでもない。一時間が経過してもそのままなので ぼくは降ろされる。今度は男性刑務員が両腕を掴んで別室に連れて行く。ぼくは足を引きずってすでに参っている演技をするが 男性刑務員の職務は執行に失敗した人を別部屋に連れて行くことだけだろうから演技は不要と判断して 普通に歩き始める。刑務員は職務上粛を装っているがガタガタ震えている。

別室には丹波哲郎がいる。丹波哲郎に似た感じではなく丹波哲郎がいる。
あとアシスタントが一人。こういう状況だとライフルを構えた特殊部隊に囲まれている気がするが そういう人はいない。丹波とアシだけ。

丹波は二本の注射器を床に並べ{直径5センチ長さ15センチくらい}左手を伸ばすように言う。一本目を注射すると ぼくは全身の関節が働かなくなりぶっ倒れて完全に虚脱する。その後全身に強烈な痺れが走る。
丹波は嬉しそうにマゾヒスティックに喜ぶ。二本目が注射されると内蔵のすべてが溶けるように熱い。言葉も出ないし人相も変えられない。丹波はとても嬉しそうだ。

しかしいつまでたっても致死しない。ぼくは死なない。いつまでたっても死なない。業を煮やした丹波は灯油をぼくに浴びせかける。{ガソリンではない。臭いを覚えている}しかし 火が無い。丹波は調達しようとするがアシスタントがなにやら話す。「いい加減 ヤバイですよ。この人 殺せません。この人を焼き殺したら大変な災いが我々に来ると思います。」
丹波は渋々納得する。ぼくは全身動かないのでずるずるひきずられる。

ぼくの目の前でぼくに関する書類がすべて どうにか手に入れたライターで焼いてハードディスクも物理破壊してしまう。要するに何もなかったことにされる。ぼくは 放り出される。目の前には川が流れているがまだ薬物は効いたままでうつぶせになったまま動けない。

劇的に考えればその後コンボイでも調達して突っ込んで中の無実の当獄者を救出して刑務員を全員射殺することでも画策するんだろうが、まるでそういう考えは起きない。すでにあの忌まわしい施設はぼくには関係ないのだ。

ぼくには名前も国籍もあらゆるイデオロギーも 必要とする人もいない存在になった。すばらしい。ぼくがなにをしてもマークされない。
薬が切れたら川を泳いで渡ってまずはてヘッジファンド設立プランを考える。ぼくは薬物の影響で全く顔が動かない状態なのだが頭の中でうすら笑いを浮かべる。


ここで目が覚める。あれは夢だった。

「手のひらに切り傷があると強く念じると本当に傷が出来る」と聞いたことがあるが、全身の虚脱痺れはその後4時間続き本当にベッドから動けなかった。

夢分析家みたいな人もいるようだが この夢が一体何を意味するのか聞きたいところだな。

日本人の本懐 2  2015/08/09(日) 09:48:21
 親に酷い目させられた子供も居るかも知れない。

子供に酷い目させられた親も居るかも知れない。

「こんな思いしているのは自分だけだ」と思うかもしれない。

そうではなくって それが元の日本人だと思えば気が楽になりませんか?

日本人からみてネイティブインディアン、セデック族、エスキモー、あらゆる人種、身近なところでいうと頻繁に映画の題材になるアイリッシュ{ただしアイリッシュの描き方について 突出して露骨な違いがあるわけではないので理解の片鱗すら難しい}と同じく 際立った特異性を外国人は感じているはずです。

一体いつから変わっていったのか 推測ですがキリスト教が日本に来て以来{キリスト教というのは世界で少なく見積もって二千だかの分派があるそうですが}土壌によって知識経験によって各々が解釈浸透して それが日本伝統古来のようになったのでは?と思います。

下の日記の続きです。「ぼくが小学生だったときの授業を思い出す。」

授業中、日本史でしたが教師が「エリートってなんだと思う?」と質問しました。ある生徒が「東大いく人」と答えました。教師は呼びつけてボコボコにシバき「バカやろう エリートっていうのは特攻隊のことを言うんだ。大義のために笑って死ねる人のことを言うんだ!」

この一連の現象は奇異でした。恐らく教師は前の日にギャング映画だかを観て生徒の返答によらず主従関係を明らかにする腹つもりだったろうことは今は分かります。無茶苦茶に奇異です。そもそも「エリート」って日本語じゃないし自己犠牲精神もキリスト教的であって一連のすべての現象は日本人の通性を象徴するものは何も無い。「東大」だけが記号として浮く。

アホ経営者の尻ぬぐいを すべてほぼ無関係の下の者が責任を取るはめになった、しわ寄せは常に下にいく、こういう目にあって理不尽を感じる方は多いでしょうが それが日本人の本懐なんでしょう。

さりげなく日常で使う日本語にも出てくる。
子供をみて「お父さんにそっくりですねえ!」という。

日本人の本懐  2015/08/08(土) 00:54:02
 とあるちょっと前に亡くなった 一生涯を特攻隊を描くことに費やした俳優の講演を動画サイトで見てた。「全く あなたという方は炎の役者ですね」と感心しきる。しかし同時に{こんなこと考えるやつ ぼく以外いるか?}すごく新鮮な印象すら受ける。

「特攻隊の方々は本土の親が一分一秒でも生きながらえるかもしれないという理由で命を捧げたのです!」「最近多い子供が親を殺す事件なんて かつてありましたか?ぼくは知りません。」「まして親が子供を殺す事件なんてありましたか?ぼくは知りません。」「みなさん もっと歴史を勉強してください!」「教科書では教えてくれないんです。今のマスコミでは言ってもいけないんです。何がいけないんですか?」

おおよそ二時間の講演は この内容が全てである。
一応書いておくと ぼくは世間並みには知っているし書籍も相当に読んだはずだ。だがそれは氏の言うように日本人本来の姿なのだろうか?

氏は地道な舞台活動を25年しても それが世界的に受け入れられることもなければ日本国内で自分の活動は大きな制約が掛かってきていることに強い
憤りと諦念を感じ、映画で世に問う方向にしていくつもりだったようである。

映画である。ちょっとここから 背筋が凍るようなことを書くかもしれないです。人間客観的にみることは案外難しいがレンタルDVDで世界的にどういう認識をされているのかは調べることが出来る。とても簡単だし単に「チェックする」なんてものじゃなく非常な意味意義を持つかもしれない。

「世界でいちばん有名な日本映画はなんでしょうか?」

余りに有名すぎて世界的にスタンダードすぎて存在すら忘れられているだろうが

多分「楢山節考」である。日本映画では殆どないカンヌパルムドール受賞作である。殆ど満場一致で決まったのを覚えている。文学的心情的に複雑な側面はあれど単純に言えば「労働力になりえなくなったら親でも殺す」映画であり日本は有史以来 不作かもしれない 労働力にならない理由で多くの身内を殺してきた。ここは奥ゆかしいとも言えるが残酷だ。「殺す」とは言わない。「口へらし」と言う。

「口へらし」の的になるのはまずは労働力にならない幼児である。主に寝ている隙に濡れ雑巾で窒息死させるのが一般的だったようだ。歴史的に綿々と続いてきた史実だから「親が子供を殺すなんてありましたか?」と問われれば「普通にありましたよ。それが日本史です。」というしかない。

幼児の口へらししても事態が良くならないなら次は老人だ。残酷だがそれが日本史実だ。多くのインテリが行き詰ってしまう理由は日本史実を考察するなら避けて通れないことを避けたいからではないだろうか?今村昌平監督は撮影当時若干42歳、ノーマークでパルムドール受賞後もレッドカーペットどころか騒ぐこともなかった記憶がある。

特攻隊の史実については ものの数年のことである。彼等は歴史的に賞賛される佳人であることに間違いないが象徴的な日本人ではないとは思う。適切な表現が思いつかないが ぼくが小学生だったときの授業を思い出す。

なにはなくとも「目の前の茶碗には飯が盛られているか?」が日本人の本懐本性なのかもしれない。「日本の食料品の自給率の低さが気になる。」と言っていたあの人は多分ここまで考えあげぬいての心情吐露なのだろう。

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